goo blog サービス終了のお知らせ 

ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

オオイヌノフグリが満開だ

2008-02-11 | 花と自然

最近3-4日ごとに雪が降り、その間また暖かくなる。すでに三寒四温は始まっているようだ。今日は暖かな日和になったので、花を求めて近くの沼のあたりを散歩してみた。紅梅はもうすでに花が終わりかかっているが、白梅はまだこれからのようだ。春の花もあまりみられないが、日だまりにはオオイヌノフグリが満開だ。ホトケノザ、ナズナなどの花に混じってノボロギクもいっぱい花をつけている。

 ノボロギクは外来種で、花も小さく見栄えはしない。冬でも咲いているし、季節感があまりない。名前も「野の襤褸菊」でかわいそうだが本当に名前の通り。セイヨウタンポポも咲き始めた。土手ではフキノトウが開き始めている。北海道のフキノトウと違ってこちらのフキは小さくて一口で食べ頃だ。

 フキノトウのように季節を知って顔を出すものと、オオイヌノフグリやホトケノザ、ナズナ、ノボロギクのように季節感がなくなってしまった花があるのはなぜだろう。できれば季節感を失わない花たちが主流であって欲しい。
 

雪山ハイキングになった

2008-02-07 | 花と自然
今週のハイキングは、図らずも雪山ハイクになった。今週も低山ハイキングをしようと、2週間前に行けなかった奥武蔵の大高山(493m)・天覚山(446m)をむすぶハイキングコースに出かけた。ところが先週の雪がようやく溶けたと思ったら昨夜再びの雪で、おもわぬ雪山ハイキングとなった。

 西武秩父線横手駅で電車を降りて歩き始めた。すぐに雪が現れる。登山口は沢沿いの道だが、雪が足首を超えるほどなのでちょっとびっくり。しかし、南側コースの多くは雪が無く、北側コースでは雪歩きを楽しめた。もっとも低山なのでワカンが必要なほどの雪ではない。

 歩き始めてすぐに、雪に動物の足跡が続いているのに気がついた。シカとキツネだろうか?シカの足跡は北海道で見慣れているのですぐわかった。もう一つの足跡は、北海道なら迷わずキタキツネと言えるんだが、このあたりでは犬かもしれないし、狸かもしれない。

 そういえば、先週の大持山・子持山の稜線上でもシカの足跡がいっぱいあった。奥武蔵にはシカの姿はあまり見なかったが、たくさん居ることは間違いないようだ。そういえば、大霧山へ登ったときには麓でウサギの足跡も見た。昔は武蔵野にはウサギはいっぱいいたようだが、最近ではノウサギの姿を見ることはほとんど無くなったので、ウサギの足跡を見つけたときは嬉しかった。まだ元気で居るんだなあ。

 まだ花らしい花は咲いていない。ようやくヤブツバキが咲き始めたようだ。唯一本の椿の木に花が二つだけ開いていた。それでもまったく花のないこの時期で、二つだけの椿の花は、ホッとさせるものがあった。

 今日は5時間歩いた。体調は良い。足も自信が出てきた。

20年ぶりの武甲山から大持山

2008-02-01 | 花と自然
今週も秩父の山を歩いた。かつて秩父の名山といわれた武甲山。今日では山の半分がなくなった哀れな姿をさらしている。武甲山には昔何回か登ったことがある。もっとも最近はそれでも20年前になる。その後武甲山はどうなっているのだろうかと思って登ってみた。

 生川に車を置いて歩き出す。もうすでに道路は圧雪と凍結で夏タイヤでは怖い。登山口は御嶽神社の鳥居をくぐる。武甲山の頂上が御嶽神社の奥社で、登山口は前社である。狛犬は写真で見るように狼だ。秩父地方の神社の狛犬はほとんどが獅子ではなく狼である。昔は秩父地方では狼が跋扈し、人々は狼を神の使いと畏れていたらしい。


 武甲山(1304m)は、登山道のほとんどが杉の人工林の中を歩く。陰鬱な登山道でまったく楽しくない。ひたすら地面を見つめ一歩ずつ歩いていくだけだ。ようやく落葉した広葉樹が現れたと思ったら、もうそこは頂上だった。登り初めてちょうど2時間。

 前回登ったときは広々とした明るい登山道だった記憶が強く残っているが、今回は杉の木立の間の薄暗い登山道だけだった。歩きながら考えた。あの記憶の登山道は無くなったのだろうか?しかし、よく考えたらそうではなかった。あの時の広々とした山肌には杉の苗木がいっぱい植えられていた。あれから20年。あの時の杉がもうこんなに兢々とした立派な杉林になっていたのだと気がついた。月日のたつのは早いものだ。

 山体の半分がセメント原料として採掘されてしまった武甲山。最初にこの山に登ったときは、時々響くサイレンの音に驚かされ、発破作業の間は登山道のあちこちに造られた避難施設に逃げ込んで発破が終わるのを待った。山が崩されていくのが実感としてあった。あれから30年くらいたつ。しかし、今日も10分に一回くらいの頻度でダイナマイトの爆破音が響いていた。まだまだ山は崩されて続けている。いい石灰岩を持った山の悲劇だ。秩父地方の山はほとんどどの山も石灰岩から成る。山道を歩いていても、岩肌の美しさに驚かされることが多い。

 武甲山からは南に尾根を伝う。一度300mほど一気に降りて、あらためて尾根を登っていく。小持山まで狭い岩尾根を歩くことになるが、それほど危険なところはない。武甲山の登山道が杉の人工林の中ばかりだったのに比べて、この尾根は痩せ尾根だけあって見晴らしがきわめて良い。人工林も少ない。雪がかなりついているので、安全のためにアイゼンを付けた。先週の山でアイゼンを忘れて苦労したので、今回はしっかり持ってきた。

 痩せ尾根ではあるが、適度に緊張感があってなかなか楽しい。もっともアイゼンでの歩き方を失敗すると引っ掛けて転倒するおそれがあるので、慎重に歩く。転ぶと左右どちらにしても奈落の底に転落することになる。小持山(1273m)を過ぎて、大持山までもやはり痩せた岩尾根が続く。慎重に歩けば危険なところはほとんど無いが、それでも2-3箇所では3点支持(両手両足の内一つだけで移動すること)を余儀なくさせられるところがある。遠くの山が今日はハッキリと見える。両神山の向こうに噴煙を上げる浅間山の真っ白な山体もくっきりと見える。

 この尾根筋にはミツバツツジとアカヤシオの木があちこちにある。5月頃に登ればきっと美しいツツジの花に逢えるだろう。そのころまた来てみたい。

 大持山(1294m)頂上は広々とした落葉広葉樹林の中だ。葉っぱが落ちてしまっているので、抜けるような青空に今朝登ってきた武甲山の姿が映えているのがよく見える。木の葉がついたらここからは何も見えない。武甲山の姿はいつも眺める表側とちがって裏からの武甲山は傷跡が見えない。昔はどちらから見てもこんなにどっしりとした素晴らしい山だったのだろう。

 

 ここからは下り一方だ。雪も腐ってしまっているのでアイゼンも必要ないだろうと思って、ここで外す。ところが油断したとたんに滑って転んでしまった。腕を痛めてしばらく起き上がれない。骨が折れたかと一瞬心配したが、どうやら打ち身だけだったようだ。痛みが治まるまで休憩して、あらためて下り始める。ここから妻坂峠までは急勾配の下り坂が続く。しかもかなり雪が深い。腐った雪だし、広い尾根なので滑落の心配はないけど、転ぶのはもういやなので慎重に降りる。妻坂峠から生川までは再び陰気な杉林になった。

 車にたどり着くまで今日は5時間半。どうやら少しずつ足が鍛えられてきたようだ。5時間以上歩いても膝が痛くは成らなかった。この調子で山歩きを続けておけば、夏の北アルプスも大丈夫だろう。今年は槍ヶ岳を目指そうか。東北の山も登りたい。岩手山にいっしょに登ろうと言ってくれた人もいる。登りたい山はいっぱいだ。

大霧山へ 巨人伝説ダイダラボッチ

2008-01-26 | 花と自然
今週も低山歩きのハイキングコース、東秩父の大霧山から定峰峠を歩いた。
(写真は大霧山)
大霧山の標高は767mと低いし、平野部にも近いから、雪のことはあまり気にかけずに登った。小川町の橋場から舗装林道の間を縫うような登山道を登る。45分くらいで粥新田(かゆにた)峠に到着。以前登ったときはここまで車で上がった。しかし、今日見たところ峠のあたりの林道は圧雪・アイスバーン状態だった。車で上がらなくて良かった。峠から大霧山への登りにかかる。

 このあたりから登山道の雪がどんどん増えてきた。軽く考えていたのは、雪がそんなにあると思わなかったことと、大霧山の印象が比較的平坦な頂上だったからだ。しかし、今日登ってみて「こんなに斜面がきつかったかな」と思った。短時間だったけど、斜面がきつく、雪があるので歩きにくい。軽く見たのでスパッツもアイゼンも持ってこなかった。せめてストックでもあると楽なのだが、私はいつもストックを持たない。軽アイゼンでも持ってくれば良かったと後悔したけど、後の祭り。

 吹きだまりなどでは膝を超えるほどの雪があった。平均でも北側の登山道は5-10cmくらいの雪だった。しかし、土曜日だったのでトレースがしっかりついていた。スパッツを忘れたのはそのおかげでなんとかなった。アイゼンをもってこなかったので、斜面は一歩一歩キックステップで登る。おかげでハイキングのつもりで来たのに今日は帰ってから足が筋肉痛だ。

 天気は良くて展望はよくきいた。遠く特徴ある奥秩父の両神山が見え、その向こうに白く見えるのは八ヶ岳だろうか。右にひときわ白い独立峰は浅間山だ。下の写真に写っているのは、すぐそばの笠山。一名おっぱい山だ。

巨人伝説は日本だけでなく世界中にあるが、ここ東秩父でもダイダラボッチ伝説が残っている。むかし、武蔵野に大太坊(だいだぼう)という巨人がいて、定峰峠に腰を下ろし、かぶっていた笠をとって置いたところが笠山になった。粥新田峠で粥を煮て食べ、食べ終わった釜を伏せたところが釜伏山となり、お箸を置いたところが二本木峠となった。また、荒川の水を含んで吹き出した霧が大霧山になったという。

 先日来の強風で澄み切った青空と大霧山の頂上を眺めていたら、昔の人が大空から睨みをきかせている巨人を怖れ敬った気持ちがふっと分かるような気がしてきた。

 大霧山から峰伝いに旧定峰峠を越えて定峰峠まで歩く。定峰峠では一軒だけ店をあけていた茶店に立ち寄り、おばあさんの手作りの暖かいうどんを、持参の冷え切ったおにぎりと一緒に食べて人心地がついた。ここからはバスの終点白石車庫までまた雪に埋もれた登山道をたどる。白石のバス停に着いたら一時間に一本のバスがでたばかり。車を置いてきた登山口まで県道を小一時間歩いた。風のないところは日だまりで暖かい。雪がいっぱいあったが、春も近づいている気配がする。
 

春よ、早く来い

2008-01-20 | 花と自然


冬に咲く花の代表といったら、やっぱりサザンカ。近所の垣根に咲いていた赤いサザンカを写した。サザンカには他に、純白のもの、赤白が混じったおめでたい模様のものなど色の変化もかなりある。自分の家には庭がないので、近所を散歩するたびに、あちこちのサザンカを眺めさせてもらっている。近所の庭の花を眺めるのも、散歩の楽しみだ。

いまは、庭に咲いているのはサザンカ、ロウバイ、ツバキ、コウゾくらいだ。もう少ししたらあちこちに梅の花が咲き始める。北海道と違って春が来るのが早い。春が楽しみだ。
 

何のための工事?

2008-01-18 | 花と自然


私の家は郊外の大規模団地のマンション。けれども私の部屋はもっとも外縁に位置していて、団地の横には入間川から流れる小川とその周囲の湿地帯があり、緑があふれているので、団地といってもコンクリートばかりを眺めている訳ではない。

 湿地帯にはカルガモやマガモが泳ぎ、キジも棲んでいる。夏にはカッコウも飛んでくることもある。引っ越してきた当初はカワセミさえも飛んでいた。部屋の窓から見る湿地帯の風景を私は好んでいる。写真は冬なので緑は少ないが、柳の大木が湿地帯の中に生えており、葦の草原が小川の周囲に生い茂っている。

 ところが、最近突然工事が始まった。反対側の湿地帯と住宅地の間にある土手の樹木を切り払い、重機で土手のすべての緑をなくしてしまった(写真)。


いったい何のための工事だろうかと立て札を見てみると、土手の法面崩落箇所の修復と書かれてある。しかし、土手が崩落したところなど見たことないし、工事は土手の全体の緑をはぎ取り、樹木を伐採し、完全な裸の土にしてしまっている。崩落箇所があったとしてもおそらく数メートルを補強すればすむ話だ。どうしてこんなことをしなければならないのだろう。

 おかげでカモたちは姿を消し、キジも遠くへ引っ越していったようだ。引っ越し先があればいいのだが。来年はもうカッコウの声も聞こえない。おそらく裸にした後には洋芝を植えるのだろう。あちこちの道路の法面に貼り付けられている外国の植物である。都会とはいえないけれど、周囲に緑地がなくなってきたこの貴重な湿地帯をゴルフ場のような生きものが棲めない場所にしようとしている。

 なぜ無用の工事を、いや有害の工事を国民の税金を使ってやるのだろう。すぐに工事をやめて欲しい。無駄な公共事業の典型だ。しかも自然を破壊する。私の住環境も破壊される。この緑地がなくなったらこの団地の部屋に住む価値もなくなる。
  

初雪の日に奥武蔵を歩く

2008-01-17 | 花と自然
今朝起きてびっくり。雪が積もっていた。初雪だ。けれども道路の雪はすでに溶け、車の屋根にうっすらと残っている程度だった。この様子だと山は雪が積もっているなと喜んで山歩きに出かけた。

 今日の山登りの予定は奥武蔵の大高山尾根を歩こうと思った。藪山で標高も500mくらいの低山だけど、人がほとんど歩いていないコースというのが気に入った。近くなので車で出かけたのが失敗だった。車をおいておこうと思った西武線のどの駅も駐車する場所が全くない。20年くらい前にこのあたりはよく登りに来たところなのだが、その頃はどの駅前も広い広場があって自由に駐車できた。ところが今は狭い広場しかなく、どこも駐車禁止になっている。時がいつのまにか様子を変えてしまったようだ。

 しかたなく反対側の顔振峠に登ることにした。こちらはよく来たことのある尾根筋なのだが、上まで舗装した林道が通っているので車で上までドライブすることの方が多かった。そこで今日は林道の入り口あたりに車を置いて、上まで歩いて登ることにした。舗装した林道をずっと歩くのは辛いなと思いながら登り始めたが、林道にほぼ平行に登山道が整備されていた。まあまあ予想よりは良い登山道で、それなりに歩きを楽しめる。コースタイム1時間だったが、30分であっという間に顔振峠に登りついた。景色はすばらしい。しかも朝方の黒い雲はまったくなくなってしまった。雪もほとんど残っていない。

 あまりにあっけないので、さらに傘杉峠まで歩く。途中にむかしよく来た素敵なハーブティーを飲ませる喫茶店がある。ここのベランダの景色は最高で、お茶を飲みながらベランダからの眺めを楽しんで行こうかとよっぽど思ったのだけど、まだあまり疲れてもいないし、ようやく歩くのに調子が出てきたばかりだったので、ここで休んでは何にもならないと、残念ながらパス。今度車で来たときにお茶を飲もう。

 傘杉峠までは林道から離れて尾根を上り下りしながら進む。傘杉峠から今度は高山不動尊まで林道と登山道を行ったり来たりしながら尾根通しの杉と檜の植林地帯を歩く。人工林は歩いていて本当につまらないが、ときどき見える遠くの山並みの景色が慰めてくれる。

 ピークを二つ越えてさらに登り返すと、周りの木が切られて広々とした広場に飛び出す。ここが関八州見晴台(高山不動尊奥の院)だ。標高771m。天気は良いし、遠くの情けない姿になってしまった秩父の名山武甲山や、秩父の盟主両神山のぎざぎざの稜線がはっきり見える。また奥多摩の山並みの向こうに、真っ白な富士山の上半身が輝いている。

 しばらく眺めを楽しみながら、お弁当のにぎりめしを頬張る。テルモスの紅茶を食後に飲んで、帰り道を下る。高山不動尊の本堂に参拝し、境内のオオイチョウの乳とよばれる気根に驚いて、下りの林道をひたすら歩く。結局今日は4時間歩いた。膝も痛くならず、むかし歩いたところだったけど足の回復は順調のようだ。
 

棒ノ嶺から

2008-01-09 | 花と自然
棒ノ嶺に登る途中、写真のような風景が見られた。遠くの山の尾根近くまでコンクリートに固められているのが見える。ええっ?これは何? 大雨などで土砂崩れが起こった跡なのだろうけど、尾根までの土砂崩れのあとをすべてコンクリートで固めてしまったようだ。異様な光景だ。

 これだけで何億円のお金が使われたのだろう。何十億円かもしれない。おそらくほとんどは国民から集めた税金に違いない。公共事業の無駄金の典型と思う。なぜ、すべてをコンクリートで覆う必要があるのだろうか?このコンクリートの一番下に林道が走っている。山の中腹を縫って走る林道が土砂崩れで埋まったのだろう。そしてそれを復旧するのに、また土砂崩れが起こらないようにとこの工事が行われたのだろう。

 しかし、尾根まですべてを固める必要があったのか?下部をきちんと工事すれば済んだ話ではないか。もっとも下部もコンクリートで固める必要があったかどうかも私は疑う。もし林道を守るためなら、その下部の林道を隧道にすればいい。山肌をコンクリートで固める必要はない。おそらくその方が費用も安い。

 なによりも山をコンクリートで固めるのは、生き物を無くしてしまう行為だ。斜面には樹木が生え、草が覆い、美しい花が咲いていたはずだ。コンクリートで固めたらあとにはなにも生えない。生き物が生きられない。そもそも日本の山は平均して100年に一回くらいの頻度で崩れているという。山は崩れて当たり前なのだ。コンクリートで固めて山を守るという発想をするなら、山はすべてコンクリートで固める必要がある。それは山を山でなくしてしまうことだ。山は崩れるもの。だから生き物もいる。

 名古屋の万博工事で有名になったシデコブシのように、崖崩れには特有の植物が生えている。他にも崩壊地特有な植物は多い。このような植物や動物にとって、100年に1回くらいの頻度で崩れる山肌がなければ存在し得ない。山が崩れることを前提に進化してきた生き物がいると言うことだ。山をただただ崩れさせないためと称してコンクリートで固めることだけを考えてきた人間は、愚かである。人間の安全を大事にするなら、山を固めて崩れないようにしようと愚かに考えるのではなく、山が崩れても安全なように考えるべきなのだ。

 関東周辺の山に登るたびに、かならずこのような悲惨な風景を見る。自然を大切に、生き物が生きていける自然を守るという気持ちがもっと人々の中に根付いていかなければ、おそらく人も生きていけなくなるだろう。

病み上がりに棒ノ嶺

2008-01-08 | 花と自然
 今日は一足飛びに春が来たような陽気だった。病み上がりなので遠くの山へ行くのはやめて、近くで何回か行ったことのある山を選んだ。いざとなったらいくつかのエスケープルートがある棒ノ嶺(棒ノ折山)に登ることにした。標高969m。すでに5-6回は登っている。しかし、今回はまだ登ったことのない尾根筋ルートから登り、落合に降りるルートをとることにした。この二つのルートを歩けば、棒ノ嶺のすべての登山ルートを歩いたことになる。

 にぎりめしと紅茶の入ったテルモスをザックに詰め込んで、尾根筋のルートを上る。足の痛みもなく快調だ。ただ、病み上がりなので体力が無くなっているらしいのが気に掛かる。なるべく急がないように歩いた。天気も良いし、時間も十分あるし、標高も1000m以下なので、気は楽である。週日でもあり人気はあまりない。

 頂上直下の登山道で奇妙なものを見つけた。灰色で子どもが絵に描く太陽のように四方に星形に広がっている。キノコの仲間でツチグリだ。真冬の今頃でもキノコが出ている。やはり今年の冬は暖かいのだろう。昨日は千葉の鴨川でキノコ取りの人が道に迷って死んでいる。

 頂上にはちょうど2時間で到着。途中、二人連れの登山者と前後したが、この人たちがラジオを大きくかけていて、騒々しい。私は山へ鳥の声や風の音など自然の音を聞きに来ている。もしくは静寂を求めて来ている。うるさい二人を引き離そうと頑張って登ったけれど、静かな山の中ではどんなに遠く離れてもラジオの音が耳につく。なんとかしてくれ。

 頂上で食事をさっさと終えて、二人が動き始める前に出発。ここから落合への下降点に向かう。長尾丸山への尾根筋にちょっとしたピークがある。槇ノ尾山(945m)だ。ここから落合に向けて降りる。しかし、降りる道がよくわからない。しばらく葉の落ちた落葉樹林の中をかすかな踏み跡を探しながら歩く。まもなく少しはっきりした踏み跡が見つかったのでそれに従っていくが、そのうち尾根に出てしまった。どうやら道を間違えて長尾丸山方面の尾根筋に出てしまったようだ。

 時間もあるし、足も痛くなっていないから、まあいいか。と、長尾丸山もついでに登ってくることにした。葉が落ちた明るい落葉樹林帯(写真)の尾根を20分くらい歩いて、今度はうすぐらい杉の植林地の中の頂上につく。958m。今日三つ目の頂上だ。そこからもと来た道を引き返す。そろそろ時間も過ぎてのんびり道を間違えながら歩く余裕も無くなりつつある。

 今度は正確に尾根をたどって槇ノ尾山まで引き返し、そこからの下降点を慎重に探す。少し降りたところにしっかりした道標があった。先ほどはこんなしっかりした道標を見逃したらしい。道標に従って落合までの急斜面を降りる。まるで崖下に転がり落ちるような急斜面が続く。落ち葉が厚く積もっていたのでシリセードのつもりで落ち葉におしりを降ろして滑ったが、落ち葉の下は霜柱が溶けてどろどろの泥だった。おかげでズボンは泥々。

 降りついたところは登り始めたところから数キロ上流の林道。ここからは林道を歩かねばならない。バスは11月までの運行で冬は動いていない。コンクリートの舗装道路を延々と歩くのは山道とは違う辛さがある。途中の有間ダム湖を近道しようと右岸に渡って歩いていたら途中で道路崩壊のために全面通行止めの立て札。どうやら去年の台風九号で湖岸の道路が崩落したらしい。あきらめてまた1kmもとの橋までもどり、歩き直す。

 結局、今日は6時間歩いた。しかし、病み上がりにしてはよく歩けた。筋肉が衰えていたらしく、筋肉痛が残った。でも、これで自信が戻った。来週はどこに登ろうか。

雪の中を歩いたが・・・

2007-12-30 | 花と自然
 久しぶりに雪をみたいと思って山に登った。登る山を決めるのがいつも大変だ。今回は日帰りで行けて比較的簡単そうでまだ登っていない山ということで、しかも多少の雪が期待できそうな西上州の山を選んだ。山の名前は父不見山(ててみえずやま)。1067mと低いけれども秩父の最奥で雪がありそうだと思った。以前、このすぐ北の御荷鉾山・西御荷鉾山を縦走したときに、雪がたくさんあったっけ。

 しばらく歩いていないので、まず歩けるかどうかが心配だった。また膝が痛まないだろうか?この山は麓の集落から林道を1時間以上歩いて登山口まで行くのが本来だけど、今日は林道を車で上り登山口から歩き始めた。歩き始めて15分。杉ノ峠に着く。わずかの時間だったが、びっしょりと汗をかく。どうも身体が重たい。やはりしばらく歩いていないツケが来たようだ。ここから稜線沿いに父不見山の頂上を目指して登る。登山道にはほとんど人が歩いた気配がない。木の芽生えや灌木がうるさい。ほとんど葉が落ちてしまった今でさえうるさいと思うほどだから、葉が茂った夏のこの道は藪こぎと変わらないだろう。夏に来なくて良かった。

 雪はまったくない。頂上にはあっけなく着いた。予想していたので頂上からさらに西の尾根をたどることにした。坂丸峠までにいくつかのピークを過ぎる。林の下にはところどころ雪がまだらに残っている。なんとか雪に会えた。しかし、このコースはほとんどが杉や檜の人工林で、面白くないことこの上ない。鳥の姿も見えない。もちろん花はまったくない。

 そのうち天候がおかしくなってきた。黒雲に変わり、雪が降ってきた。風も出てきて、急激に吹雪模様になってきた。うれしくてつい「雪やこんこ あられやこんこ」と歌っていた。湿った雪だがどんどん積もって、一面雪景色に早変わり。いやあ、うれしい。4月に北海道の雪と別れて以来初めてだから。

 坂丸峠を越えて、矢久峠にたどり着いたときには、雪は止んで薄日が差してきていた。膝もそろそろ痛くなり始めた。矢久峠から再び同じ道をたどってピークをいくつか登り直し、父不見山ももう一度登ってもとの登山口に帰る頃には登山道の雪ははかなく消えていた。このあたりのこの時期には雪が降りすぐに消え、また雪が降りまたはかなく消えを繰り返しながら、冬に向かっていくのだろう。冬は雪に覆われて藪も消えて歩きやすくなる。でももう一度ここへ来たいとは思わなかった。