二日目。朝食を5時半に終え、ほとんど見上げるような常念岳(2867m)の稜線をひたすら登る。この高度であればヒンヤリする冷気を感じるはずなのに、気温は30℃近い。すでに太陽は直接肌を焼き始めている。汗を流しながら登っては西に見える槍ヶ岳と穂高連峰の残雪を眺めながら小休止する。しかし、太陽が早くも高く登り始めたので、岩の陰に寄っても太陽の直射から身体を隠せない。
1時間15分かかって頂上を踏む。すばらしい眺めだ。天気も良すぎるくらい。昨日から前になり後になりして登ってきていた関西からの二人連れと頂上でも出会う。写真を取り合って一足先に頂上を後にし、蝶ヶ岳に向かう。蝶槍と称する稜線からの突起が小さいながらも槍の穂のように登頂意欲をかき立てる。
しかし、常念岳から蝶ヶ岳へは予想に反して稜線沿いのそぞろ歩きではなかった。これまで苦労して登ってきたのとほぼ同じくらいまでいったん下る。まだかまだかと言うくらいどこまでもどんどん下る。鞍部まで垂直に600mくらい下って、ゆっくり休息をする。これから登るぞと気合いをかけて、蝶ヶ岳への登りにかかる。再び400m以上の標高差を登らねばならない。蝶ヶ岳への登りは、樹林帯があって太陽の直射から遮ってくれるのがうれしい。ダケカンバやアオモリトドマツが涼しい木陰を創ってくれる。
樹林帯を抜けたら蝶槍の岩礫の登りにかかり、すぐに蝶槍の頂上を超えた。あとはなだらかな稜線をのんびり歩く。途中、一等三角点の蝶ヶ岳(2667m)頂上が登山道の脇にあった。三角点を踏んで蝶ヶ岳ヒュッテを目指す。蝶ヶ岳ヒュッテにたどり着いたのは11時半。ヒュッテでコーヒーを入れてもらって飲む。疲れた身体に甘い砂糖が染みこむようにうまい。
今日の予定はここに泊まるつもりだったが、まだ体力は問題なさそうだし、あとから来た関西からの二人連れもこのまま徳沢まで降りるというので、がんばろうと決めて長塀山(ながかべやま)の尾根にかかる。
長塀山に降りる手前の高まりに「蝶ヶ岳頂上」と記した道標が立っている。しかし、地形図を見る限り小屋の手前にある三角点が頂上のはずだ。どちらも標高はそう違わないのでどちらを頂上としてもかまわないと言えばかまわないのだが、こちらの頂上はおそらく山小屋を利用してさらに南へ縦走する人のために、わざわざ北の方へ10分ほども行かないでも頂上を踏んだと言えるように、だれかが作ったにせの頂上なのだろう。三角点はない。
長塀山の尾根はあまり期待していなかった。ただ梓川のほとりまで降りるにはこのコースがもっとも近いので取ったまでだった。ひたすら降りることだけを考えて歩き始めたのだが、実はこの蝶ヶ岳ヒュッテから長塀山までの40分間が今回の登山でもっとも多くの高山植物を見た場所だった。狭いながらもあちこちにお花畑があり、しかもよく残されている。このコースは登山者に不人気であまり歩かれていないらしいことが幸いして、お花畑が残っているのかもしれない。
長塀山を越えるとあとはひたすら樹林帯の中を下る一方だ。朝から5時間以上あるいたためにこの下りの頃から左足の膝関節が悲鳴を上げ始めた。痛くて前に進めない。もってきたサポーターを左膝にきつく巻いて、なんとかごまかしながら歩く。60分歩いては休息5分のペースで歩いてきたのが、30分歩いて5分休むとスローペースになり、やがて30分続けて歩けなくなり20分歩いて10分休みとなり、最後は15分歩いて15分休むという情けないことになってしまった。
やがて左膝だけでなく右膝も痛み出した。前に歩くと激痛が走る。平坦な道は何とか歩けるが、段差のある道はとても歩けない。もっとも山道は80%以上が段差のある道だ。しかたなく、後を向いて歩き始めた。急な坂道を下るときは後ろを向いて歩く方が歩きやすい。目は身体の下を見ていれば行き先は何とか見える。
あと少しと言うところまで来てとうとう歩けなくなってしまった。しかし、梓川の流れはもうすぐそこに見えている。夕方の樹林帯はどんどん暗くなってくる。足が壊れてもかまわないからと歯を食いしばって歩き出す。小さなコーナーを回ったとたん、目の前に山小屋「徳沢園」の赤い屋根が見えた。どんなにうれしかっただろう。屋根を目の前に見ながら大休止。心からゆっくりと休憩をとった。
徳沢園も金曜日の夜で大入り。飛び込みの私も押し入れの下に寝床を確保できた。徳沢園は梓川のほとりにあるので水は豊富。温泉もある。稜線の山小屋ではお風呂などはない。笑い話で「山小屋の宿泊客がお風呂はどこ?って聞いてきた」というのがある。山小屋に風呂はないのだ(サンナシ小屋も同じ!)。しかし、徳沢園は特別の山小屋だ。ゆっくりとお風呂に入り、汗と足の痛みを流す。生き返った思いとはこのことだろう。
翌日も上天気。週末の登山客の入り込みで大賑わいの徳沢から上高地までをのんびり花や川の流れを見ながら歩く。上高地からの登山客はまるで銀座並み。あとからあとから引きも切らずに人の波が続く。今夜の山小屋は大変だ。布団一枚に2-3人が寝ることになりそうだ。平日でよかった。
私が歩いているときも、穂高連峰などでヘリコプターが遭難した登山客の救助に飛んでいるのを見た。私がヘリコプターに乗らなくて良かったとつくづく思う。遭難しても、ヘリコプターに乗るのはいやだ。遭難したくはないが、そうなったらひっそりと死ぬのが理想だ。
まだ足の痛みは残っている。再度の山行に備えてリハビリの毎日だ。さあ、次は北海道の山だ。
