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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

公訴時効の廃止に反対する

2010-02-24 | 政治
法務省の勉強会は、殺人など重大な犯罪について、死刑などの特に重い罪については公訴時効を廃止し、それ以外の罪についても時効を延長する方向で見直すべきだとの最終報告を発表した。時効撤廃を強く求めている被害者や遺族の要望に応えたもので、法務省は今秋の法制審議会に刑事訴訟法の改正などを諮問する考えだという。マスコミは例によって時効廃止の大合唱をしている。しかし、私は反対だ。

 反対の理由は大きく三つほどある。その一つは、冤罪が多発する可能性が多いと言うこと。殺人など死刑に相当する罪の現在の時効は25年。それをそれ以上伸ばしても、事実上新しい証拠を見いだすことは難しいし、既存の証拠も劣化する。粗雑な捜査が行われ、罪もない人が罪を着せられる可能性がいまよりもずっと高くなる可能性が大きい。今でもたくさんの人が冤罪に泣いているというのに。

 反対する二つ目の理由は、現実に無理だろうということ。もし、時効が廃止になって、無限に捜査が続くことになれば、刑事の数は今の数倍が必要になる。増員をやらずに時効を廃止したら、結局のところ犯罪捜査の刑事・警官が過労になり、犯罪の検挙率は今よりずっと落ちるだろう。昔の犯罪にいつまでも足を取られて、今の犯罪も捜査がずさんになってしまうのだ。さらに、犯人が知らない間に死んでしまっていたら、捜査は無限に続けざるを得なくなる。いつまで経っても捜査を止めることができなくなるからだ。これはものすごくお金が掛かる。今の政府や自治体の財政ではとてももたないだろう。公訴時効の制度は、現実の制度の限界から考えられたものである。時効廃止などと言うのは非現実的だ。

 最後の理由は、被害者のすべてがいつまでも犯人捜しを希望してはいないだろうと思うからだ。マスコミには、いつまで経っても犯人が捕まらない限りは、心の傷は治らないという被害者の遺族のコメントに溢れている。しかし、本当にそんな人ばかりだろうか。けっしてそうは思わない。早く忘れたいと思っている人もいる。そしてどんなに身近な人が非業の死を遂げたとしても、いつかはかならず人の心から忘れ去られるときが来る。生き残った遺族は時効がなければ、いつまでも被害者のことを思い出さざるを得なくなる。それは本当に良いことだろうか。癒されるのは、犯人逮捕ではなく、時間が過ぎ去ることだ。

 それでも時効で犯人が許されることが納得できないという人も多いのかもしれない。しかし、それは個人の感情であって、国の司法が考えるのはそういう報復感情ではない。人々に法を尊重させ、治安を守るための司法なのだから、絶対に許せない犯罪はそうあるものではないのだ。凶悪な犯罪件数はどんどん減少している昨今なのに、なぜか人々の報復感情は激しやすくなっている。これと意味の不明な(手当たり次第の)殺人の出現とは、同じ事象の裏表に過ぎないように思える。死刑になりたいために誰でも良いから殺すという、死刑があるから起こる犯罪も起き始めている。

 ただ一つ、私が時効を撤廃しても良いと思うのは、ドイツがナチスの人道に背く犯罪に適応したような「人道に反する犯罪」だ。「数人の人を殺せば殺人犯だが、たくさん殺せば英雄だ」といわれるような戦争犯罪は本来許してはいけない。近くは、アフガンとイラクで数十万人を殺したブッシュ米大統領。そして米軍のイラク侵攻を即座に支持したコイズミ元首相。この二人の罪は永久に時効は来ない。


検察は勝ったのか

2010-02-07 | 政治
「大山鳴動してネズミ一匹」だったのだろうか。小沢一郎民主党幹事長をめぐる不法献金事件という東京地検特捜部の作りだした筋書きは、結局のところ小沢一郎氏の「事件」への関与を証明できず、不起訴になった。検察の思惑は外れ、あれだけ力を入れた小沢氏への捜査でも、犯罪となる証拠は何も見つからなかったということだ。マスコミに漏らした検察官の言葉は「小沢は限りなく黒だが、立件できる十分な証拠がなかった」としている。しかし、「限りなく黒」ということは、あくまで検察の思いこみであり、検察の筋書きであった。立件できる十分な証拠がなかったということは、結局のところ検察の考えた筋書きが真実ではなかったと言うことではないのか。

 そう言う意味では、あきらかに検察は小沢を狙って三度目の敗北をしたと言えるだろう。検察批判を田中ロッキード事件以来繰り広げてきた小沢憎しの検察が、小沢を立件したがっていたことは明らかだったからだ。今回の「小沢事件」は、あきらかに検察の報復であり、自民党政権と長い間蜜月関係を作り、自民党政権の思いを事前に察知し、先駆けて国策捜査を行ってきた検察が、野に下った自民党といっしょになって民主党政権に打撃を与えるために仕組んだ「国策捜査」であったのだろう。

 民主党にもいろんな人がいるが、検察を批判している議員は自民党とは桁違いに多いことを検察はもちろんよく知っている。捜査の可視化を民主党政権は推進している。検察は冤罪を生む温床でもある今の捜査方法をなんとか維持したいと必死に自民党や国民新党に働きかけている。なんとか民主党政権に可視化法案を出させないためにできることは何でもやろうとしているし、できれば民主党政権をもとの自民党政権に戻したいと考えている。「検察は正義」という仮面をはぎ取られないために、彼らはなんでもやるだろう。

 小沢不起訴で検察は負けたが、その代償に石川議員や秘書らを起訴した。しかし、彼らの起訴内容は、政治資金規正法の「不実記載」という微罪なのだ。収支報告書に4億円の収入を記載しなかったと言うだけの形式犯にすぎない。多くの国会議員がしばしば記載もれを指摘されて、あわてて「ミスでした」として訂正報告を行っていることは周知の事実である。石川議員の容疑もその程度のことでしかない。ところが、国民の投票で衆議院議員に当選した石川議員を、国会開会直前に形式犯で逮捕するという選挙民を無視したような強引なやり方を検察は行った。おそらくこれは、形式犯で逮捕して強制捜査で不法献金や脱税の証拠を固めて、小沢逮捕に結びつけようとした検察の別件逮捕であったのだろう。それが検察の筋書きは崩れてしまった。しかし、検察としては別件逮捕で国会議員を逮捕したとはとても言えない。言えば、検察官の首が飛ぶだろう。そこで無理を承知で石川議員や秘書らを形式犯で起訴せざるを得なかったのだ。元特捜部検事だった郷原弁護士は、こんなことで国会議員を逮捕することは検察として許されないと語っている。

 敗北した検察が頼みにしたのが、マスコミであった。政治資金規正法の不実記載などという近所のガキが柿の実を盗んだ程度のことを起訴した検察の悪あがきを、テレビや新聞は大きく扱って、助けた。マスコミは、起訴内容が適当かどうかを無視し、検察が起訴したからには、頭から石川議員や秘書たちは悪者で、それを知ってか知らずか管理する立場にいた小沢は悪人だという構図を振りまいた。検察の悪あがきをマスコミが助けたことによって、マスコミを疑うことを知らない馬鹿な国民が民主党政権の不支持率を支持率よりも上にしてしまった。喜んだのは検察だろう。これで夏の参議院で民主党が勝てない可能性が出てきたからだ。ひょっとしたら、自民党が勝って、捜査の可視化法案をぶっつぶすこともできるかもしれないと。

 どうせ、石川議員や秘書たちの判決は夏前にはない。参議院選挙の前に裁判を始め、検察の冒頭陳述で小沢の悪口を言いつのっておけば、マスコミは喜んで小沢批判、民主党批判を書いてくれるだろうと踏んでいるのだ。捜査には敗北したが、民主党批判に火を付けて、昔から権力を分け合ってきた自民党といっしょになって、再び自民党政権を取り戻し、「検察は正義」という認識を国民に植え付けて、やりたいようにやる検察、検察の言うことは裁判所は99%信じるという検察の天国を再び取り戻したいと思っているのだろう。踊らされていることも知らない、いや知らない振りをするマスコミの罪は大きい。

検察の横暴とマスコミの使命

2010-02-03 | 政治
東京地検特捜部が週刊朝日の記事について抗議したという。それはまあいいだろう。しかし、事情を聞きたいので出頭せよと著者の上杉隆さんに要請したという。それはまさに脅しではないのか。抗議するときは、出かけていって抗議し、抗議に対して弁明があればそれを聞くというのが普通の常識だ。抗議するから出頭せよとは、検察はなにを勘違いしているのだ。まるで容疑者扱いではないか。誰彼となく出頭要請をすれば、善良な市民はびっくりしてあわてて飛んでくると、検察は思い上がっていないか。

 まして、相手はジャーナリストである。報道内容に疑問を持ったと言っても、検察がマスコミにそのような形で報復とも言える行動を取るのは、マスコミへの脅迫=言論への威圧となることが分からないほど検察は権力そのものになりはてたのだろうか。週刊朝日の記事に書かれているとおり、「検察の狂気」が証明されたとも言える。

民主党は、司法の民主化を進めるべきだ。検察や警察が司法の独立の名前の元に権力をふるうことを許してはならない。まず検察庁の幹部を更迭すべきだ。長い間自民党支配のもとで権力と一体化していた検察の現官僚たちを一掃して、検察や警察が市民の「生活第一」で行動することに制度を改める必要がある。国策捜査など許してはならない。そして、裁判所との癒着を止めさせることが必要だ。検察が起訴したら99%が有罪になるというのは、とりもなおさず裁判所と検察との癒着を意味する。自動販売機と揶揄されているような検察の逮捕状請求への裁判所の盲従は、あきらかに裁判所の怠慢だ。このようなでたらめを許してはならない。

 そして、今度の検察の抗議という名の脅しに対して、心配なのが他のマスコミの対応である。この検察のやり方にあらゆるマスコミが抗議の声を上げなければならない。上杉隆さんの主張に賛成か反対かにかかわらず、ことは権力と言論の自由との関係に関わる問題だ。知らぬ顔は許されない。マスコミは自らの問題として検察の権力行使に批判の声をだそう。それをやらなければ、マスゴミと言われることに文句は言えなくなるよ。

検察とマスコミの相関

2010-01-22 | 政治
今日の朝日新聞朝刊を見て驚いた。民主党が検察のやり方とマスコミの対応を批判的に見ていることに対して、元特捜検事の言葉で「世の中が思い描くようなリークはない」と言わせ、外務省の機密漏洩事件に関して「取材の手段や方法が社会通念上是認されるものである限りは正当な業務行為である」という最高裁の判断をひいて、マスコミの報道に問題はないと居直っている。そしてわざわざデスクが署名入りで、「特捜部の狙いを薄皮を一枚一枚はがすように明らかにする作業を毎日繰り返している。多角的な取材と吟味なしに、真相に迫る事件報道はあり得ない」と大見得を切っている。

 もちろん、新聞報道のすべてが検察のリークで成り立っていると言うつもりはないが、リークというものは、検察が漏らすよといって出てくるものではない。業務上知り得た秘密を正式な記者会見や情報公開に基づいて公表する以外のものは公務員の守秘義務に違反することは、誰よりも検察はよく知っている。しかし、漏らさないといいながら、意図的に口を滑らし、今のは内緒だよとか言うと、記者は特ダネとばかりに飛びついてくる。記者はそれを苦労して得た取材によるものだと信じて、記事を書く。しかし、それが検察のリークなのだ。教えるから書いてくれというのは、リークでもない。そんなリークはあり得ない。だから、元特捜検事の言葉もそう思って聞けば、「世の中が考えているようなリークはない」ということになるのだろう。

 朝日のデスクが大見得を切ったが、小沢幹事長の周辺の捜査でマスコミが流した情報をマスコミがきちんと検証したとはとても思えないものが多い。陸山会の預金通帳への書き込みの内容などは、果たして記者は自分の目で見たのだろうか。それともコピーを見せて貰ったのだろうか。もし検察がコピーを見せていたら、これは明らかな守秘義務違反にあたるはずだ。おそらくマスコミはほとんど検証なしに「関係者によれば・・」という書き方で話を作っている。NHKニュースなどは「関係者によれば」とも言わない。

 関係者とはだれか。それが検察官であるのか、それとも小沢さんの関係者なのか、どういう関係なのかによって、読者は書かれている内容を判断できる。検察関係者の話なら、小沢の都合の悪いように言うだろうし、小沢さんの関係者なら都合の良いように言うだろう。われわれはその関係者によって書かれた内容を判断する。しかし、マスコミは「関係者によれば」としか言わない。それではわれわれは内容を判断できない。

 マスコミは結局、マスコミが書いたことはすべて真実なのだと思いこんでいる。しかし、それが全くのウソであることは、一度でもマスコミの取材を受けた人ならよく分かる。彼らは自分の頭で取材する前からストーリーを作っているのだ。そしてそのストーリーに合うようにコメントを求める。合わないコメント、矛盾するコメントが出てきたら、無視するか曲げて書く。それが大部分の記者のやり方だということは、私のわずかの経験からも言える。

 このマスコミ記者のやり方はどこかで見たように思いませんか。そうです。検察のやり方とそっくりです。多くの冤罪が検察が書いたストーリーに合わせてでっちあげられてきた。検察とマスコミは、実に仲の良い体質もそっくりの双子だった。今日のニュースで冤罪の再審で、犯人とされた菅家さんが、当時の検察官に謝って欲しいと言ったにもかかわらず、検察官はついに謝罪しなかった。無実の人を30年も獄に閉じこめておいて、死刑になるかもしれないという恐怖に陥れておいて、今になっても堂々と「犯人でないという証拠が見つからなかった」と言う。こんな人間が検察官をやっているとは恐ろしい。犯人だという証拠をつかむのが検察の仕事であり、犯人でないという証拠がないから犯人だというのでは、いったい大学で何を習ってきたのか。どうやって司法試験に合格できたのか。刑事司法の最低限のことも分かっていない。

 マスコミも同じだ。検察から聞き出したのが独自の取材だというなら、検察(釈迦)の手のひらで踊っている孫悟空みたいなものだ。検察の取り調べの可視化は絶対に必要だが、この際マスコミの取材もすべて録画して、のちのちの検証に備える義務を付けさせる方がいいのかもしれない。

検察は正義の味方ではない

2010-01-20 | 政治
自公政権の末期症状の頃に始めた検察の国策捜査だったが、政権交代したからと言って止めたら国民から何を言われるかしれない。だから鳩山首相の捜査では、政治資金規正法違反(母親からのお金を一般からの個人献金にしてしまった)で秘書を起訴して体面を取り繕い矛を収めた。しかし、小沢幹事長とは積年の恨みがあったから、国会開会の直前にむりやり秘書の国会議員を逮捕までして、小沢を責めるつもりらしい。検察のメンツがかかっているのだろうか。正義の味方「東京地検特捜部」という国民の声援を頼みにして。

 しかし、石川議員の通帳に何が書かれていたかとか、大久保秘書が何を供述したかなど、検察以外の人がとても知ることができないような捜査上の秘密が、堂々とNHKのニュースになる。NHKも検察からのリークだということも言わず、もちろん検証もしないで、石川議員が陸山会の預金通帳に「先生」とか「不動産」とか書いていた、と断定してニュースを流している。朝日新聞他の大新聞もまったく同じだ。検察が情報を漏らして、報道を自らに有利に誘導しているのはミエミエだが、マスコミ連中は新聞を売るためなら、悪魔にでも心を売るつもりなのだろう。検察の手のひらで踊りを踊るのになんのてらいもない。

 東京地検特捜部の国策捜査は、ここ数年目立ってきた。得意の情報操作で自らを正義の味方に見えるようにした上で、筋書きを書き、議員といえども逮捕する。国会議員がなぜ国会開会中の非逮捕特権をもっているか、検察はどれだけ理解しているのだろうか。政治の世界は悪と善の区別は見る人によって異なる微妙な世界なのだ。だからこそ警察や検察が勝手に話をでっちあげて判断し、国民の代表である議員を逮捕できないようにしているのである。

 民主党に政権交代して、国民の多くは政治の世界に新しい変革を期待できるようになった。しかし、それはまだ一部に過ぎない。事業仕分けは国民の耳目を集めたが、自公政権が作ってきた予算案の一部を衆人監視の中で切り捨てたに過ぎない。一種のパーフォーマンスだったとみんなが感じ始めている。本当の改革は再来年度の予算編成で見せてもらえるだろう。でも、まったく無駄な空母型ヘリ搭載艦の建設や、何の意味もないPAC3ミサイルの新規購入など、民主党政権になってもまったく手が付けられていない軍事費は山ほどある。さらにハイチへの自衛隊の派遣など、災害救助隊が行けば良いものを、むりやりに自衛隊を派遣している。

 そして、民主党政権に望みたいのは、警察と検察、裁判所など司法の改革だ。司法の改革を言われながら、最高裁は裁判員制度という裁判所の意向が最大限反映されるやり方で司法改革をやったと胸を張っているが、検察と裁判所の一体化は著しい。今回の石川議員の逮捕状も、検察の要求に裁判所はまったく判断を放棄して検察の言うままに判を押している。自党の幹事長が狙われているから検察と戦うというのは、ちょっと情けないが、しかし、これも良い機会かもしれない。検察の事情聴取や自白強要がすべて公開できるように、録画を義務づけたり、最高裁による地方裁判官いじめを止めさせ、本当の裁判官の独立を保証するような司法改革が求められている。裁判員制度は、刑事裁判ではなく行政裁判にこそ導入すべきなのだ。

 そう言う意味で、民主党にはがんばって欲しい。「どうぞ戦って下さい」。いまこそ検察の横暴と裁判官との癒着構造を断ち切る好機である。小沢さんを守るだけではなく、本当にきちんと検察を叩いて欲しい。正義の味方面をさせないために。

辺野古の基地は誰のため?

2010-01-09 | 政治

普天間飛行場の移設問題で、鳩山政権が優柔不断だとか、アメリカを怒らせ日米同盟に亀裂が走っているとかいうようなマスコミの一方的な宣伝が続いている。たしかに鳩山政権の閣僚がそれぞれの立場から意見を表明してきたから、鳩山政権が右往左往しているように見えたことは事実だった。しかし、年末に来年5月までに決着を付けたいという鳩山首相の態度表明で、決着が先送りになった。

 混迷を深めているというマスコミの論調とは逆に、私はこの一連のバタバタ劇から、物事がかなりよく見えてきたと思う。マスコミがアメリカは怒っている、現行の日米合意案だけが唯一の選択肢だと、マスコミは書き立ててきた。しかし、よくみると、そんなことを言っているのは、ブッシュ時代に自公政権とこの日米合意案(辺野古に新しい基地を作る案)を作り上げてきた旧政権のいわゆる「知日派」と言われる人だったり、ネオコン路線でなにがなんでも戦争を従っている軍人だったりする。オバマ政権の要人たちは、けっして鳩山政権を追い込むような言い方はしていない。沖縄の人たちの意見を十分聞こうという鳩山首相の言い方に理解を示すような言い方をしている。

 在アメリカの日本大使がクリントン国務長官に呼びつけられて現行の日米合意案が最善だと言われたというニュースが流れ、マスコミが鬼の首でも取ったように、アメリカは怒っていると書き立てた。しかし、これも大使が呼ばれもしないのにクリントンに会いに行って、現行の案がいいと言ってきたというのが本当だと分かった。自公政権で大使に任命されたので、自公政権がブッシュ政権とつくった合意案を何とか通そうという大使の勝手な行動だった。本当ならこんな嘘をついてまで現行案を通そうとする大使なんぞ、即刻首にしても良いくらいの重大なウソだったはず。しかし、岡田外相は大使に注意もしていないようだ。マスコミはウソだったことさえ認めようとしないで、一言も記事にしなかった。

 米軍再編計画で、アメリカは沖縄の海兵隊の機能をグアムに移転させる計画を作っていた。これもマスコミは無視し続けていた事実だった。宜野湾市長がアメリカ軍関係者から詳しい説明を受けてその計画書まで手に入れている。もっともそれは秘密でも何でもないことだった。しかし、日本のマスコミは8000人の海兵隊がグアムへ移転するという計画は報道したが、沖縄には18000人の海兵隊がいるから、主力は沖縄に残ると言い続けてきた。でも定員は18000人だが、実際にいる海兵隊員は11000人なのだ。8000人がグアムへ移転すれば、残りはわずか3000人。とても主力とは言えない。

 アメリカが米軍再編で計画しているのは、海兵隊の主力はすべてグアムへ移転する。しかし、いざというとき(戦争を始めるとき)には、沖縄の基地を発進基地として使いたい。だから普天間に変わる新しい基地を作りたいと言うことだった。それが辺野古である必要はない。しかし、日本の自公政権の利権によって辺野古に作ることが日本から提案され、アメリカは喜んでそれを受け入れたのだ。戦後のアメリカ占領時を除けば、沖縄に米軍基地が新しく作られたことはこれまで無かった。新基地建設によって利権が転がり込んでくる人たちが自公政権とつながっていた。辺野古に新しく基地を作ることによって、利権が転がり込んでくるし、アメリカにも喜んでもらえる。アメリカ追従路線の自民党政権だから、辺野古の合意案ができた。三白眼の自民党の石破政調会長がアメリカへ行ってアメリカの彼らの一味とあって現行の辺野古案が日米同盟にとってもっともいい案だと言っている。それ以外に選択肢はないなどと、何とかして辺野古に米軍基地を作らせようと躍起になっている。それがまさに自民党の願っていることなのだと今更ながらよく分かった。彼の目玉はアメリカの親分に向けられているのだ。

 しかし、鳩山政権は、長い混乱を通って、ようやく現行案以外の道を探り始めたようだ。再び辺野古へ戻ってくることはないと思いたい。そうでなければ、政権交代の意味はない。再び日米外交で密約をつくることのない民主党の連合政権で会って欲しい。社民党の重さがこれから重要になる。政権交代の実のある良いニュースを今年は聞きたいものだ。

評価したい民主党予算

2009-12-26 | 政治
来年度の予算案が閣議決定された。相変わらず、大手の新聞は「経済成長の道筋が見えない」とか、暫定税率の水準維持がマニフェスト違反だとか、自民党の批判と同列のような批判ばかりやっている。自民党の谷垣総裁が、「暫定税率の水準維持はマニフェスト詐欺だ」と言っていたのには、本当に驚いた。「暫定」だとして税金をかけたのに、いつまでも暫定をそのままにしたのは自民党政権ではないか。それを公約違反ではないと言えるのだろうか。少なくとも民主党は暫定税率を廃止するが、その代わりに別の税金をとるということなのだ。それは、国民がガソリン料金の値下げは、CO2排出削減の目標を外すことになるとして反対したもので、民主党の落ち度とは言えない。

 たばこの増税もマスコミの批判はおかしい。1本5円の値上げは、売り上げの減少を招き、結局税収は減ってしまうから、この増税はおかしいと批判している。しかし、このたばこの増税は、税収確保のためではないと鳩山首相は言っている。国民の健康のために、たばこを増税するというのが目的であり、むしろたばこの喫煙を減らして、健康保険の収支改善をするのが目的なのだ。これは国際的な取り組みの方向にも合致しており、これまでの自民党政権がWHOから何度も勧告を受けていながら、税金の減少につながる国民の健康への配慮を避けてきたことと、民主党政権の対応は大きく異なっている。

 全体の予算編成をよく見れば、これまでの自民党政権がやってきたことは、基本から大きく変えられていることが分かる。もちろん完全なものではないし、細かく見れば間違っているものも目に付くが、基本は「コンクリートから人へ」を推し進め、利権を排除し、ただただ公共事業で景気の押し上げを続けてきた政策からは、はっきりと決別しようとしていることがよく分かる。公共事業の19%削減、社会福祉への10%増など、これまでの自民党政権では絶対できなかった弱者への配慮が見える形で組み込まれてきた。

 マスコミが批判する「経済の成長戦略がない」という批判は、これまでの自民党政権のような政策しか経済対策は無いと思いこんでいる一部の政治家や経済専門家という連中の言葉をそのまま垂れ流しているだけなのだ。どれだけ政権内部での議論が、新しい経済政策を自民党時代とは違ったものを打ち立てようとしているか、まったく勉強していない。

 鳩山首相の公設第一秘書が起訴されたが、この政治資金規正法違反(虚偽記載)も、単なる形式犯で、自民党政治の時代に国策捜査として小沢・鳩山民主党代表を狙ったきわめて政治的な検察のやり方だった。民主党が政権を取ったいま、いかにして検察のメンツを保ち、しかも政権政党を怒らせないかという検察の苦しい対応が目に見えるようだ。鳩山首相の秘書のやったことは、鳩山個人のお金や母親から貰ったお金をほかの個人から貰ったように小分けして書いていたと言うだけのこと。企業から便宜を図った見返りに政治献金を受けたとか言う自民党政治で飽きるほど見てきた違反とは全然違う。普通なら蓑がしても良いくらいの微罪だ。

 マスコミは、鳩山首相の秘書の起訴を鬼を取ったように書きまくっているが、検察のやり方がよかったかどうかを検証したマスコミはない。彼らはいまだに精神的に自民党政権との癒着が続いているのだろう。鳩山政権への支持率が下がったとうれしそうに書き立てている。アソウ元首相といっしょになって。でも民主党の支持率はけっして下がっていない。自民党の支持率もまったく上がっていない。国民は民主党の改革(コイズミ改革とはまったく逆方向の)を支持し続けているし、自民党は瓦解し始めている。二度と国民いじめのネオリベ改革へは後戻りさせてはならないからだ。

海兵隊はアメリカへ帰ってほしい

2009-12-10 | 政治
沖縄の普天間基地返還に伴う代替施設の問題では、鳩山首相はぶれにぶれ、悩みに悩んだ末に、社民党の連立解消という脅しで、ようやくマニフェストに掲げた県外・国外移設を目指す姿勢を取り始めたようだ。鳩山首相の胸中の意図は、グアム移転らしいという。アメリカという相手があるだけに、難しいこともあるだろうが、だいたいアメリカ海兵隊がなぜ日本の基地にいないといけないかという根本的な疑問をぶつけていけば、アメリカもいつまでもつれない態度はとれないだろう。これまで自民党政権では、アメリカの世界戦略への日本の協力は当たり前、自明の理とされてきた。しかし、アメリカ軍が日本に駐留することをもっと限定的にとらえる見方を民主党政権がしているというメッセージをアメリカに届ければ、アメリカもあらためて民主党政権と日米関係の再構築に取りかかろうとするだろう。それをやらないで今までの路線をいつのまにか引き継いでいけば、アメリカは民主党政権といえどもアメリカに従う日本という路線を支持していると思い込んでしまう。いまがもっとも肝心なときだろう。

 北沢防衛相は、グアム基地を視察して、海兵隊のすべてをグアムに移転させることは無理だと述べた。これは出来レース。防衛省は普天間を辺野古に移す現在の日米合意ではやく決着をつけさせたい。彼らはアメリカの世界戦略に日本がただ黙って付き従うという今までの自民党政権のやり方でしか物事を考えたことがないのだ。北沢防衛相はその防衛官僚と制服組の意見に取り込まれてしまっている。もっとも彼はもともと自民党の人だから、そう言う考え方から抜けることができなかったのかもしれない。

 しかもブッシュ政権にいたネオコンたちが、アメリカ政府は怒っているとか、日米合意を反故にするなとか、いろいろ言っており、それを日本のマスコミがいかにもアメリカ政府が鳩山政権に対して怒りくるっているような報道をしている。しかし、オバマ政権はけっして鳩山政権に反発しているわけではない。同じ政権交代を果たしたオバマ大統領は鳩山政権と日米関係の再構築について話し合いたいと思っている。鳩山首相は正直に日本の要求を出す方がよい。オバマ政権は日米は同じレベルの関係だと言っているのだから。

 沖縄の海兵隊はアメリカに帰ってもらおう。海兵隊はけっして日本の防衛のためにいるわけではないのだから。それはアメリカの多くの識者が言明していることだ。アメリカは何のかんのと言って、日本の財政援助を続けさせたいだけなのだ。辺野古に基地を作りたいのは日本政府の金で新たに基地を作ることができるからだけに過ぎない。戦後すぐに銃を持って米軍に土地を奪われて基地ができたが、それ以降、新しい米軍基地ができた試しはない。新たに米軍基地を作ることが沖縄県民の怒りをどれだけ買うか、アメリカはよく知っている。辺野古が今のところもっとも新しい基地を作りやすいし、日本政府が金を出して作ってくれる唯一の候補でもある。日本は彼らの利権の生殺与奪の権利を持っているのだ。日本で辺野古基地を作りたがっているのは、それによって濡れ手に粟の利権を持っている奴ら(政治家と土建屋)なのだ。私たちはもうアメリカの勝手にさせたくない。戦争はいやだ。戦争するものもいらない。海兵隊はアメリカに帰って欲しい。

怒! 小さく産んで大きく育てる 

2009-10-03 | 政治
全国40あまりのダムで、当初のダム建設費用から大幅に費用が増えていることが新聞の報道で明らかになった。増えた額は合計で20兆円を超えるという。八ッ場ダムに限らず、ダムは作り始めると費用がどんどん膨らんできて、最初の予算よりも何杯にも膨れあがることが、普通のことになっている。

 ダム建設関係の人に言わせると、ダム工事は「小さく産んで大きく育てる」のがコツなんだそうだ。ダム建設には地元の反対がつきもの。だから最初は金額をできるだけ押さえて、費用対効果が大きいように見せかける。建設が決まれば、まず中止という選択はこれまでありえなかったから、あとはどんどん費用を膨らませ、国や関係の自治体から好きなだけお金を出させることができるというわけだ。

 ダム建設を中止させるのは、この話を聞くだけで有意義だと思う。まずは、公共事業を途中で中止させることができるという前例を作るべきである。八ッ場ダムを中止すれば、補償などでかえってお金がかかるから、中止すべきではないというような論理を許してはいけない。まずは中止させると言うことが大事なのだ。最初はかえってお金がかかっても、中止させること。そうすれば今後の多くの公共事業がもっと慎重に計画されることになるだろう。その効果は一つのダムの建設を中止して補償金で赤字になったとしても、十分に元が取れる話なのだ。

 ダムだけではない。道路建設も橋の建設も、埋め立て工事も、すべて見直すべき時が来ている。鞆の浦の埋め立て・橋の建設を裁判所が差し止めを命じた意味は、一つの場所の景観論争を超えて、きわめて大きい。広島県も福山市も、この意味をもっと真剣に考えるべきだ。日本が素晴らしい方向に変わろうとしているのだから。

高速道路の無料化は止めるべき

2009-09-30 | 政治
2020年までに1990年比で25%のCO2を削減すると、国連総会で鳩山首相が演説したことは、これまで温暖化対策にまったく後ろ向きだった日本が、世界の先頭を切って温暖化防止に取り組む姿勢を見せたことを意味し、世界から賞賛を浴びている。日本が国連でこんなに世界から賞賛を浴びたことは国連加盟して以来50年近くなる今日まで、ほとんど無かったことなのではないか。

 唯一の被爆国であることを強調しながら、アメリカの核の傘にしがみつき、密約まで交わしてアメリカを支えてきたことを世界はよく知っている。だからいくら自民党政府が核廃絶を口だけ国連総会で語っても、どの国も信用しようとはしなかった。本当の姿勢を見抜かれていたのだ。

 25%削減は、かなりの覚悟を持って日本の経済体制を大きく転換しない限り達成できないことも確かである。京都議定書で日本はイニシアティブを取りながら、その目標(1990年比で7%削減)にもまったく届かず、むしろ8%近く逆にCO2排出を増やしてきた。自公政権がCO2削減にまったくやる気を見せなかったことは明らかだ。鳩山内閣が同じ轍を踏まないようにするためには、根本的な経済構造の変換を意識的に計らない限り、それは難しい。京都議定書と同じように世界の信用を再び失うことにならないように願いたい。

 そのために、民主党のマニュフェストに書いている高速道路の無料化という公約を見直してみる必要がある。高速道路は本来建設費用が収入で補填されれば無料にするという約束があった。ところが道路公団はそのお金を別の新しい高速道路を造る方に回して、全体で収入が黒字になるまで無料化を先延ばしにするという誤魔化しで、ほとんどの高速道路の無料化をしないできた。そして必要性がどれほどあるか分からない道路を次々に計画し作り続けてきた。これは一種の詐欺行為だ。そう言う意味では、民主党の高速道路無料化の主張は正しい。

 しかし、地球温暖化の対策が求められ、25%CO2削減を目標にせざるを得ない現在、高速道路の無料化が逆に自分自身の首を絞めかねない。一律に高速道路の無料化を行うことは、絶対にやるべきではない。やるべきことは、車社会からの脱却を目指すことだ。そのためには、高速道路を野放図に使うことを止め、一般のレジャー車の使用を禁じる必要がある。もしくはむしろ高速料の値上げをこそすべきである。そして、高速バスなど公共交通には完全無料化をすべきではないか。産業振興のために、トラックも無料化してもいい。一般車の無料化は絶対止めるべきだ。そして、少しずつトヨタなどの自動車産業を減らし、自然エネルギーの産業を振興することで、産業のグリーン化を計っていく必要がある。

 今からでも遅くない。民主党は高速道路の一律無料化とガソリン税の廃止をやめ、一般自動車以外の無料化、環境税の新設で、車社会からの脱却をいまこそ進めるべきだ。安心して外で遊び、安心して生活できる気候に戻すために。