昨日、国会の承認も得ないで、原子力規制委員会と規制庁が発足した。国会が終わるのを待って、この人事を強行した野田内閣の違法性は、明らかだろう。規制委員会の田中俊一氏は、かつて原子力安全委員会の副委員長をしていたれっきとした原子力ムラの住人だ。他の委員もムラの住民だった人が二人ほど含まれているようだ。事務局を勤める規制庁の8割くらいの職員が、原子力ムラの一員とされてきた原子力安全・保安院の職員がそのまま流れ込んでいる。これが原子力ムラの延長でないという保証は、誰もできない。
昨日の規制庁発足での田中俊一委員長の話をテレビで聞いていて、びっくりした。規制庁と規制委員会の最大の責務は、原子力行政への信頼を取り戻すことだと言っている。田中俊一氏は、原子力ムラの人間だったが、3.11の原発事件(事故ではないと主張している人に賛同して)のあと、これまでの原発安全神話を作り上げてきた15人の人々と共に、反省の声明を出したことで知られている。野田内閣が新しい規制委員会の委員長に田中氏を選んだのには、反省の声明を出したことが評価され、いわゆる原子力ムラの人間とはもはや考えないというのが、人事案の理由になっていた。しかし、昨日のこの言葉を聞いた時、私はやはり彼は原子力ムラの人間であることを確信した。
これまでの原子力安全委員会や原子力安全・保安院などと違うはずの原子力規制委員会の委員長が、「原子力の(平和)利用」を前提とした原子力行政の信頼を取り戻すことを目的とすると述べたことは、はからずも彼のムラ体質を見せてしまった。規制委員会のやることは、原子力行政の信頼を回復することではなく、原子力の脅威から国民を守ることでなければならない。そのためには、原子力行政の信頼などない方が良いのだ。彼はそれがわかっていない。いや、おそらく規制庁の職員もまったくわかっていない。未だに原子力の「平和」利用(原発)を実行することを前提と考えている。
その彼らの考えを認めたのが、野田内閣の、原発ゼロを可能にするという戦略であり、しかもそれさえも閣議決定から外すという欺瞞に満ちた政策である。民主党の野田政権は、ウソにウソを重ねた政権だったが、しかし、だからといって自民党は総裁に立候補している全員が原発推進だ。これまでの自民党政権がやってきた原発推進政策が福島の事件を招いてしまったことの反省などどこにもない輩ばかりだ。民主党がダメだからといって、自民党に票がいくと、それまでの原発推進政策がまたぞろ戻ってきてしまう。自民党政権が復活したら、再び国民の命は切り捨てられるだろう。
昨日の規制庁発足での田中俊一委員長の話をテレビで聞いていて、びっくりした。規制庁と規制委員会の最大の責務は、原子力行政への信頼を取り戻すことだと言っている。田中俊一氏は、原子力ムラの人間だったが、3.11の原発事件(事故ではないと主張している人に賛同して)のあと、これまでの原発安全神話を作り上げてきた15人の人々と共に、反省の声明を出したことで知られている。野田内閣が新しい規制委員会の委員長に田中氏を選んだのには、反省の声明を出したことが評価され、いわゆる原子力ムラの人間とはもはや考えないというのが、人事案の理由になっていた。しかし、昨日のこの言葉を聞いた時、私はやはり彼は原子力ムラの人間であることを確信した。
これまでの原子力安全委員会や原子力安全・保安院などと違うはずの原子力規制委員会の委員長が、「原子力の(平和)利用」を前提とした原子力行政の信頼を取り戻すことを目的とすると述べたことは、はからずも彼のムラ体質を見せてしまった。規制委員会のやることは、原子力行政の信頼を回復することではなく、原子力の脅威から国民を守ることでなければならない。そのためには、原子力行政の信頼などない方が良いのだ。彼はそれがわかっていない。いや、おそらく規制庁の職員もまったくわかっていない。未だに原子力の「平和」利用(原発)を実行することを前提と考えている。
その彼らの考えを認めたのが、野田内閣の、原発ゼロを可能にするという戦略であり、しかもそれさえも閣議決定から外すという欺瞞に満ちた政策である。民主党の野田政権は、ウソにウソを重ねた政権だったが、しかし、だからといって自民党は総裁に立候補している全員が原発推進だ。これまでの自民党政権がやってきた原発推進政策が福島の事件を招いてしまったことの反省などどこにもない輩ばかりだ。民主党がダメだからといって、自民党に票がいくと、それまでの原発推進政策がまたぞろ戻ってきてしまう。自民党政権が復活したら、再び国民の命は切り捨てられるだろう。