しばらくぶりに死者がでるほどの大きい地震が起こった。岩手・宮城の被災者にはお見舞いを言いたい。M7.2という内陸部では珍しいほどの大地震だった。阪神の震災とマグニチュードは同じくらいだと言うことになる。被害の大きさの違いはひとえに人工の凋密さの違いなのだろう。被害にあった一人一人にとっては同じ大きさなのだけど、離れたところで見ている人にとっては、被害者の多さとか壊れた家の数などが問題になるのだ。
今日の地震では、緊急地震速報というのが発信された。昨年あたりに導入されたシステムで、これまでも数回発令されている。しかし、これってなんか意味あるのだろうか?もちろん全くないとは思わないけど・・。今回も緊急地震警報が発令されたのは地震の中心だった付近の人には地震が起こったあとに届いている。起こったあとに発令されても、あとの祭り。東京などの遠くであまり被害がないところには、地震が起こる前に発令されていることになる。地震の波が遠くへ広がる前に発令されたことになる。東京などでは意味があったと言うことなのだろうか。
しかし、私は前からこの緊急地震警報というのは本当に必要なものなのだろうかと疑問を持ってきた。わずか2-3秒前に警報を聞いて、なにか対策が立てられるだろうか?しかも、これまで発令された何回かはほとんど地震が起こってから発令されている。最初の波を見つけてから次の波が来るまでに警報を出すというシステムだけど、ほんのわずかの時間に過ぎない。もちろんわずかの時間でまったく何もできないというわけでもないだろうが、コストを考えるとこんなシステムを作る必要はないように思うが、皆さんはどう思いますか?少しでも助かる可能性があったら、それが何百分の一秒でもコストがどれだけかかってもやった方が良いのでしょうか?
科学の進歩が人類のリスクを減らすことは、たしかに良いことだったかもしれない。しかし、それが際限なくなる。リスクを減らすことが本当に人間によいこととは限らないことが多いように思う。必ず死ぬ運命にある人間なのだから、リスクをなくすと言うこと自体が、人間の限りない欲望のように思えてならないのだ。
九州は暑かった。梅雨の晴れ間だった。今日は横浜に滞在。こちらも暑い。
今日の地震では、緊急地震速報というのが発信された。昨年あたりに導入されたシステムで、これまでも数回発令されている。しかし、これってなんか意味あるのだろうか?もちろん全くないとは思わないけど・・。今回も緊急地震警報が発令されたのは地震の中心だった付近の人には地震が起こったあとに届いている。起こったあとに発令されても、あとの祭り。東京などの遠くであまり被害がないところには、地震が起こる前に発令されていることになる。地震の波が遠くへ広がる前に発令されたことになる。東京などでは意味があったと言うことなのだろうか。
しかし、私は前からこの緊急地震警報というのは本当に必要なものなのだろうかと疑問を持ってきた。わずか2-3秒前に警報を聞いて、なにか対策が立てられるだろうか?しかも、これまで発令された何回かはほとんど地震が起こってから発令されている。最初の波を見つけてから次の波が来るまでに警報を出すというシステムだけど、ほんのわずかの時間に過ぎない。もちろんわずかの時間でまったく何もできないというわけでもないだろうが、コストを考えるとこんなシステムを作る必要はないように思うが、皆さんはどう思いますか?少しでも助かる可能性があったら、それが何百分の一秒でもコストがどれだけかかってもやった方が良いのでしょうか?
科学の進歩が人類のリスクを減らすことは、たしかに良いことだったかもしれない。しかし、それが際限なくなる。リスクを減らすことが本当に人間によいこととは限らないことが多いように思う。必ず死ぬ運命にある人間なのだから、リスクをなくすと言うこと自体が、人間の限りない欲望のように思えてならないのだ。
九州は暑かった。梅雨の晴れ間だった。今日は横浜に滞在。こちらも暑い。
