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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

南の海は平和だ ジュゴンに再会

2014-02-28 | 南の海
ジュゴンをまた見たいと、フィリピンのミンダナオ島を再び訪れた。再びと言っても、もう10回以上は来ている。今回は昨年の2月末以来、ちょうど1年目。昨年と順番を違えて、まずは、東ダバオ州の州都Mati市に行く。ここのプハダ湾でもう一度ジュゴンを見たいと言うのが、今年の願いの一つだった。一日ボートを借り切って、プハダ湾口にある島の周りを重点的に見て回った。湾口には二つの島がある。大きい島と小さい島だ。小さい島に最初行った。島の周りをゆっくりと回り、海草が生えているところ、ジュゴンの食べ跡があるところを探して進む。しかし、どうやらあまり良い場所はなさそうだ。

 今度は大きい島の周りを進む。島の西側から南へ回る。西側には海草の藻場が広がっているが、ジュゴンの食べ跡はあまりない。島の南側に、砂だけでできている島がある。「象牙の島」Ivory islandと呼ばれている。流れによって砂が寄せられて陸地を造ったのだろう。砂が堆積したり流失したりしながら存在している島なのだろう。椰子の木の一本も生えていない。観光客がたまに船を寄せるくらいらしい。2-3人の人影が見えた。大きく回り込んで東側にやってきたとき、目の前にジュゴンが現れた。ジュゴンは何度も見ているが、こんな近くでジュゴンを見たのは初めてだ。続けて2頭、合計3頭が水面に体の前半を現わした。一緒に船に乗っていた地元の保護管も、きゃーわーと大騒ぎ。聞くと、彼女もジュゴンを見たことは初めてだという。地元の人も漁師以外はほとんどジュゴンを見たこともないし、知らない人さえいる。はるばる遠くまで見に来たかいがあったというものだ。

 もっとも写真を撮る暇などはありはしない。ジュゴンは現れたら、すぐに潜ってしまう。しばらく待っていたが、ついにその後は現れなかった。この島の周辺では、4年前にも7頭のジュゴンが群れて次々に湾内に入ってくるところを見たことがある。そのときとほぼ同じところで見たことになる。ここはジュゴンの通り道のようだ。食事をするところでは無いらしい。なぜなら食べ跡のある海草の藻場がこのあたりには見つからないからだ。

 それから湾口の東海岸に寄り、少し北へ行ったところで、ジュゴンの食べ跡をたくさん発見した。プハダ湾でのジュゴンを見る試みは今回もうまくいった。一緒に行ってもジュゴンを見ないままの人もいるけど、私はいつもジュゴンをちゃんと見ることができる。ジュゴンが寄ってくると言われている。そんな気もしないでも無いほど、私は運が良い。


長~いジュゴンの食べ跡を見つけた

比叡山で雪道歩きを思い出す

2014-02-20 | 花と自然
近頃和服で過ごすことが多くなった。仕事も辞め、家で和服でくつろぎ、テレビを見ていると、ついつい体を動かすことを忘れてしまう。これではいけないと、久しぶりに雪の中を歩こうと、真っ白に雪をまとった比叡山に登った。気温は低いが天気は良い。青空が気持ちよい。登り口は、京都側の玄関口である元三大師道だ。比叡山に上る僧が利用する古来からの道だ。「登山口」という名前のバス停から急な階段が続く。比叡山の回峰行者の登り道でもある。

バスから降りたのは二人。もう一人は杖にすがって歩くご老人。ところが登り始めてみると、驚くような健脚だ。すぐに追いつくだろうと後ろからついて行ったが、まったく追いつけない。杖を頼りに歩いているようだが、その健脚さはびっくりだ。休みを取ることもなく、どんどん登っていく。毎日のように登っているのだろうか。むしろ間は広がっていった。運動不足がたたって、自分の方が遅れ気味だ。

ちょうど1時間で、青龍寺に到着。雪が深くなった。先のご老人は、ここで引き返した。どうやら頻繁にここにお参りしているようだ。ここは法然が籠もって修行をつんだところだ。法然の座像が本堂の前に座っている。お寺がきれいに雪を払った階段がまっすぐに続く。 雪も20cmくらいある。夏なら参拝客や観光客が歩いている道なのだろうが、ロープウエイもバスも動いていない今は、歩いて登ってきた人以外は歩いていない。

やがて西塔の釈迦堂に着く。参拝し、法華堂を周り、浄土院を超えて再び元三大師道を途中までたどり、八瀬に降りた。比叡山は、雪があるときもないときも、生き物のおもしろさはほとんどないが、歴史を思わせる古刹や神社などは至る所にある。京都周辺の山に登る楽しみは、そこに見いだすしかない。

久しぶりに雪の中を一人歩いた。北海道の雪道を思い出す。東京や関西の人間はこの程度でも大雪と喜んだり苦労したりするが、雪国の人たちは、これが当たり前の生活なのだということを、あらためて思った。

戦後の平和は誰が守ってきたか

2014-02-11 | 政治
都知事選挙でタモガミが60万票を超える得票を得た。ネトウヨやヘイトスピーチをする輩が一定以上いることが明らかになった選挙だった。おそらく、細川の脱原発や桝添の原発ごまかしなどのことよりも、このネオナチの進出こそ歴史的な出来事なのではないか。怖ろしい時代がやってきた。タモガミが泡沫候補にならなかったもっとも大きい要因は、時の首相の主張とこのタモガミ泡沫の主張がほとんど同じであることに見られるように、都民、とくに若者が政府の言うことに何の疑問も感じない人たちになってしまったことだ。

20代では、タモガミに投票した人が24%にもなるという。4人に一人が、ネオナチを支持したということになる。「戦争こそ希望」と閉塞感に閉じこもった若い哲学者が譬喩したけれど、若者には、「戦争こそ希望」がそのまま信じられてしまったのかもしれない。それほど若者の知識は貧困で、人格は低劣で、レベルの低下は目を覆うほどだ。戦後の若者は、これまで体を張って戦争への道を阻んできた。全共闘運動や新左翼の運動を誹謗する奴は多いが、彼らの献身的な(まさに自らの立身出世を拒否した)運動によってこれまで日本国憲法が守られてきたし、戦争への準備も遅らせてきた。戦後70年近く、一人の人間も戦争で殺さず、殺されもしなかったのは、これら戦後の平和を守る若者の戦いがあったからではないか。それを平和な時代に生まれ、自分たちの祖父・曾祖父の世代が虐げ、殺してきたアジアの人々を蔑視し、敵視する今の若者たちは、自分が戦争に行って死ぬ覚悟があるのだろうか。その覚悟がなくて、戦争準備を進める安部晋三らの政策に大事な一票を捧げるな。

戦争に反対しよう。平和に生きる権利を訴えよう。戦争を起こしたがる勢力から日本を取り戻そう。占拠に行こう。選挙に行こう。

大文字山から京都を望む

2014-01-27 | 花と自然
風邪を引いて、何年ぶりかの寝正月を過ごした。今年からは、着物を着ることを増やしたので、ついつい出不精になり、しかも運動不足になってしまった。体重も高値安定だ。久しぶりに大文字山に登る。といっても、出だしの登山口までの上り坂で早くも息が上がる。体がなまってしまっている。30分くらいの登りで大文字の火床にたどりつく散歩程度の山登りなんだが、久しぶりだとこの寒空に汗がにじむ。途中、160段の階段がまっすぐに続く。



そこを過ぎると、さらに80段の階段があり、ようやく火床にたどり着く。京都市内が一望に見える。本当は、大文字山の頂上までは、さらに20分ほど登らねばならないが、今日は、ここまでにしておく。いずれ、からだができてくれば、これくらいは毎日の散歩にしよう。

アメリカ国民の辺野古基地建設の意見

2014-01-14 | 政治
辺野古に米軍基地を作ることを最大の争点として、名護市長選挙が行われている。稲嶺ススム候補が勝てば、安倍内閣の辺野古基地建設に歯止めをかけることができる。沖縄県民の誇りを金で売った仲井真知事の埋め立て承認を、認めない結果を市長選挙で期待したい。

ところで、アメリカ国民は辺野古の基地建設をどうみているか。日本のテレビや新聞で見られるアメリカの反応といえば、ペンタゴンやホワイトハウスとその周辺で日本を操作しようとしている人間の声ばかりが紹介されるが、アメリカ国民は本当のところどう見ているのか。

映画監督のオリバー・ストーンやマイケル・ムーア、言語者ノーム・チョムスキーらアメリカの文化人29人が、アメリカ軍の普天間飛行場を名護市辺野古に移設する計画について反対する声明を発表した。声明では、そもそも沖縄県に米軍が駐留していること自体を、「返還に条件がつくことは本来的に許されない」と批判。「埋め立て承認は沖縄県民の民意を反映したものではありません」「今回の合意は長年の沖縄の人々の苦しみを恒久化させることにもつながります」などとし、「普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです」と結んでいる。
以下、長くなるがその声明を全文引用する。
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世界の識者と文化人による、沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明
私たちは沖縄県内の新基地建設に反対し、平和と尊厳、人権と環境保護のためにたたかう沖縄の人々を支持します。
 私たち署名者一同は、2013年末に安倍晋三首相と仲井真弘多沖縄県知事の間でかわされた、人間と環境を犠牲にして沖縄の軍事植民地状態を深化し拡大させるための取り決めに反対します。安倍首相は経済振興をエサに、軍港をともなう大型の海兵隊航空基地を作るために沖縄北東部の辺野古沿岸を埋め立てる承認を仲井真知事から引き出しました。
 辺野古に基地を作る計画は1960年代からありました。それが1996年に掘り起こされ、前年に起こった少女暴行事件もあり当時沖縄で最高潮に達していた反米軍基地感情を鎮めるために、日米政府は、宜野湾市の真ん中にある普天間基地を閉鎖して、辺野古の新基地にその機能を移転させようと計画しました。辺野古は稀に見る生物多様性を抱え、絶滅の危機にある海洋哺乳動物、ジュゴンが棲息する地域です。
 仲井真知事の埋め立て承認は沖縄県民の民意を反映したものではありません。知事は2010年の知事選直前に、それまでの新基地容認姿勢を変更し、「普天間基地移設は県外に求める」と言って、新基地反対で一貫していた候補を破って当選しました。近年の世論調査では県民の辺野古新基地への反対は7割から9割に上っていました。今回の仲井真知事埋め立て承認直後の世論調査では、沖縄県民の72.4%が知事の決定を「公約違反」と言っています。埋め立て承認は沖縄県民に対する裏切りだったのです。
 在日米軍専用基地面積の73.8%は日本国全体の面積の0.6%しかない沖縄県に置かれ、沖縄本島の18.3%は米軍に占拠されています。普天間基地はそもそも1945年の沖縄戦のさ中、米軍が本土決戦に備え、住民の土地を奪って作りました。終戦後返還されるべきであったのに、戦後70年近く経っても米軍は保持したままです。したがって、返還に条件がつくことは本来的に許されないことなのです。
 今回の合意は長年の沖縄の人々の苦しみを恒久化させることにもつながります。沖縄は、日本による17世紀初の侵略に始まり、19世紀末の日本国への強制併合を経て、1944年には、米軍の襲撃を控え、天皇制を守るための時間稼ぎの要塞とされました。沖縄戦では10万人以上、住民の4分の1にあたる人々が殺されました。戦後、米軍政下において基地はさらに増えました。沖縄は1972年に日本に「返還」されたものの、基地がなくなるとの沖縄住民の希望は打ち砕かれました。そして今日も、沖縄県民は基地の存在によってひき起こされる犯罪、事件、デシベル数の高い航空機の騒音や、環境汚染による被害を受け続けています。戦後ずっと、沖縄の人々は米国独立宣言が糾弾する「権力の濫用や強奪」に苦しめられ続けています。その例として同宣言が指摘する「われわれの議会による同意なしの常備軍の駐留」もあてはまります。
 沖縄の人々は、米国の20世紀における公民権運動に見られたように、軍事植民地状態を終わらせるために非暴力のたたかいを続けてきました。生活を脅かす実弾砲撃訓練に対し演習場に突入して阻止したり、米軍基地のまわりに人間の鎖を作って抵抗を表現したりしました。大規模なデモが時折持たれ、約10万人-人口の10分の1にもあたる人々が参加してきています。80代の人たちが辺野古基地建設を阻止するために立ち上がり、座り込みは何年も続いています。県議会は辺野古基地反対の決議を通し、2013年1月には全41市町村首長が、オスプレイ配備撤回と県内移設基地の建設を断念するよう政府に求める建白書に署名しました。
 私たちは、沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持します。辺野古の海兵隊基地建設は中止すべきであり、普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです。
2014年1月
ノーマン・バーンボーム ジョージタウン大学名誉教授
ハーバート・ビクス ニューヨーク州立大ビンガムトン校歴史学・社会学名誉教授
ライナー・ブラウン 国際平和ビューロー(IPB)共同代表、国際反核兵器法律家協会(IALANA)事務局長
ノーム・チョムスキー マサチューセッツ工科大学言語学名誉教授
ジョン・W・ダワー マサチューセッツ工科大学歴史学名誉教授
アレクシス・ダデン コネチカット大学歴史学教授
ダニエル・エルズバーグ 核時代平和財団(Nuclear Age Peace Foundation)上級研究員、元国防総省・国務省職員
ジョン・フェファー 政策研究所(IPS)「フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス」(fpif.org) 共同代表
ブルース・ギャグノン 「宇宙への兵器と核エネルギーの配備に反対する地球ネット コーディネーター
ジョセフ・ガーソン 「アメリカン・フレンズ・サービス委員会」平和と経済の安全保障プログラム部長、政治学・国際安全保障学博士
リチャード・フォーク プリンストン大学国際法名誉教授
ノーマ・フィールド シカゴ大学東アジア言語文明学部名誉教授
ケイト・ハドソン 核軍縮キャンペーン事務局長キャサリン・ルッツ ブラウン大学人類学・国際問題学教授
ナオミ・クライン 著述家、ジャーナリスト
ジョイ・コガワ 作家、『オバサン』(和訳『失われた祖国』)著者
ピーター・カズニック アメリカン大学歴史学教授
マイレッド・マグワイア ノーベル平和賞受賞者
ケビン・マーティン 「ピース・アクション」事務局長
ガバン・マコーマック オーストラリア国立大学名誉教授
キョー・マクレア 作家、児童文学者
スティーブ・ラブソン ブラウン大学名誉教授・米陸軍退役軍人(沖縄・辺野古にて1967-68年駐留)
マーク・セルダン コーネル大学東アジアプログラム上級研究員
オリバー・ストーン 映画監督
デイビッド・バイン アメリカン大学人類学部准教授
ロイス・ウィルソン 世界教会協議会前総会議長
ローレンス・ウィットナー ニューヨーク州立大学アルバニー校歴史学名誉教授
アン・ライト 元米陸軍大佐、元米国外交官
(苗字のアルファベット順、2014年1月7日現在)


昨年の読書

2014-01-04 | 読書
諸外国から孤立し、第二次世界大戦に入る前のような雰囲気が漂い始めている。今年になって、日本がどのような方向へ動いていくのか、ただ怖ろしい。

昨年一年間に読んだ本は、合計61冊だった。一度読んだ本をまた気がつかないままに二度読むということもあった。年間100冊の本を読みたいと思ったのは、もう10年前になるが、未だに100冊読めたことはない。もっとも、雑誌のたぐいは勘定に入れていない。これ以外に、硬派週刊誌を1冊、月刊誌を3冊、季刊誌を1冊購読しているので、かなりの読書時間をつかっているのは、間違いないのだが、乱読に近い。それでも最近は、ある程度系統だった読み方も少し取り入れ始めている。昨年の読書で目立ったのは、詩集をかなり読んだことだった。詩人の友達ができたことが、理由としては大きい。

昨年読んだ本は以下のようなものだ。
1. 笠原一男「親鸞」
2. 政野淳子「水資源開発促進法 立法と公共事業」
3. ヴィクトール・セガレン「記憶無き人々」
4. ジェームズ・クック「太平洋探検(上)」
5. ジェームズ・クック「太平洋航海記」(下)
6. 堀内光一「アイヌモシリ奪回」
7. 若松丈太郎「福島核災棄民ー町がメルトダウンしてしまった-」
8. 岩見ヒサ「我が住み処 ここより外になし」
9. くにさだきみ「詩集 死の雲、水の国籍」
10. 和崎信哉「阿闍梨誕生」
11. 福島菊次郎写真集「証言と遺言」
12. 二階堂晃子詩集「悲しみの向こうに -故郷・双葉町を奪われて-」
13. 永瀬十悟句集「橋朧 -ふくしま記」
14. 佐々木高明「南からの日本文化(上)」
15. 佐々木高明「南からの日本文化(下)」
16. 上野都「詩集 地を巡るもの」
17. 上野都「詩集 地を巡るもの」
18. 五木寛之「人生の目的」
19. 宮元健次「仏像は語る 何のために作られたのか」
20. J.ボズロー著、鈴木圭子訳「ホーキングの宇宙」
21. 松田解子「おりん口伝」
22. 宮本常一・川添登(編)「日本の海洋民」
23. 金関丈夫「日本民族の起源」
24. 寺尾五郎「悪人親鸞 人間解放の思想と一向一揆」
25. 五味川純平「ノモンハン」
26. 片山一道「ポリネシア 海と空のはざまにて」
27. 梅原猛「塔」
28. 池内紀「ニッポンの山里」
29. 片山一道「ポリネシア 海と空のはざまで」
30. 鳩山由紀夫・孫崎享・植草一秀「『対米従属』という宿痾」
31. 村井康彦「出雲と大和ー古代国家の原像をたずねて」
32. 米澤鐵志「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」
33. 谷川健一「埋もれた日本地図」
34. うおずみ千尋「詩集 白詰草序奏―金沢から故郷・福島へ」
35. 田島廣子「詩集 くらしと命」
36. 白崎昭一郎「東アジアの中の邪馬臺国」
37. 司由衣「詩集 魂の奏でる音色」
38. 上村英明他「アジアの先住民族」
39. 新妻昭夫「種の起源を求めて ウオーレスの「マレー諸島」探検」
40. 手塚治虫「ファウスト」「百物語」
41. 藤沢周平「三屋清左衛門残日録」
42. 吉本隆明「今に生きる親鸞」
43. 五木寛之「蓮如―われ深き淵より-」
44. 巣山靖司「ラテンアメリカ変革の歴史」
45. スティーブン・J.グールド著、渡辺政隆訳「ダ・ヴィンチの二枚貝」(上)(下)
46. 中沢新一「森のバロック」
47. 鶴見和子「南方熊楠」
48. アラン・ドレングソン著、井上有一監訳「ディープ・エコロジー 生き方から考える環境の思想」
49. 松下竜一「小さな手の哀しみ」
50. 梅原猛「梅原猛著作集 仏像・羅漢」
51. 水口憲哉「これからどうなる海と大地 海の放射能に立ち向かう」
52. 日高敏隆「動物たちはぼくの先生」
53. 宮坂宥勝訳注「密教経典 大日経、理趣経、大日経疏、理趣釈」
54. 吉本隆明「今に生きる親鸞」
55. 田和正孝「変わりゆくパプアニューギニア」
56. J.D.ロブ著青木悦子訳「幼子は悲しみの波間に」
57. 谷川健一「神は細部に宿り給う」
58. 伊東桂子「花いちもんめ」
59. 梅原猛「隠された十字架ー法隆寺論ー」
60. 松下竜一「5000匹のホタル」
61. 桜田勝徳「漁撈の伝統」


国会はただちに解散せよ

2013-12-04 | 政治
違憲状態の国会が、憲法違反の「特定秘密保護法案」を強行採決しようとしている。公明党は、下駄の雪のごとく自民党にくっついて離れない。平和を党是としていたはずの公明党はどこへ行ったのだろう。歴史に公明党の不名誉が永久に残るだろう。


そもそも特定秘密保護法とは、官僚が自分に都合が悪いことを秘密にすることができる。そして、何が秘密にしたかを秘密にすることができるという、まるでナチスが全権を委任されたような法律だ。これが成立すれば、官僚はいっさいの権限を握ることができる。それも警察官僚がもっとも大きな権限を持つ。日本は警察国家になり、いつだれが警察に逮捕されても、だれも異議を唱えられない日本になる。

石破自民党幹事長がいみじくも言ったように、反対デモもテロと同じだと思ったら、弾圧することができる。何がテロかは秘密にすることができるからだ。

大きな問題は、秘密を知ろうとしたものも厳罰の対象になることだ。そして、逮捕されるまでそれが秘密かどうかさえも分からない。その結果は、司法が事実上、警察の下に置かれることだ。なぜなら、この法律に違反したと言って逮捕された場合、その事件は裁判にかけられても裁判所は実質的な裁判をすることができないからだ。というのは、その被疑者がどのような秘密を知ろうとしたり洩らそうとしたか、裁判官さえも知ることができないのだ。なので、裁判も検察の言う通りに判決する以外ありえない。こんな法律は、日本国憲法のあらゆる条項に違反している。

国会の「特定秘密保護法案」の強行採決に強く抗議する。日本の最大の転換点にいま差し掛かっている。阿部首相は、どうしてもこの法案を成立させたいなら、国会を解散して、民意を問うべきだ。憲法違反の国会は、どのような法案も通すことは許されない。ただちに解散せよ。


秘密保護法は戦争への道

2013-11-21 | 政治
憲法違反状態の選挙で選ばれた安倍内閣の与党の自民党と公明党が提案した、特定秘密保護法案にみんなの党が小さな枝葉末節の修正で、賛成するという。「みんなの党」が本当のみんなの党では無かったことが、はっきりした。あれは渡辺ヨシミの党でしかなかった。彼は官僚出身だから、官僚が勝手に秘密にできることが嬉しいのだろう。みんなの党の川田龍平議員だけが、まともな議員だった。いまでも川田龍平議員がなぜ「みんなの党」に入ったのか、わからない。戦争への道づくりを担う特定秘密保護法案に、川田議員は反対して、いまこそ「みんなの党」から離党すべきだ。川田議員は決断を。

そして、今度は日本維新の会も微小な修正で賛成することになった。橋下党首が反対だといくら言っても、維新の会の国会議員はみんな自民党崩ればかりだから、戦争をする国家を作りたい奴らばかりだ。石原慎太郎などというやくざまがいの議員を党首にいただく政党だから、やはりと思うばかりだ。

でも、国会と国民の意識が今ほどずれているときは無い。戦争をしたがっているのは、自民党の一部と経済界の一部、それに軍事オタクの自衛隊幹部くらいだろう。国民は戦争をしない外交と安全保障の路を望んでいる。ここまで自民党政権でさえも、戦争をしない外交を追求してきた。しかし、自民党が選挙に負けて下野して以来、自民党は極右政党に様変わりした。戦争を目指す勢力が自民党の大勢を占めるようになってしまった。もっとも罪深いのは公明党だろう。

特定秘密保護法案は、これまでの審議でも垣間見えたように、「アメリカ軍保護法案」でしかない。アメリカへは日本の安全保障上の軍事機密はそのまま提供するのに、国民がそれを知ろうとすると、重罰で答える。アメリカの軍事機密や日本政府がアメリカに追随する外交文書を国民に知らさないことこそ、この法案のもっとも大きな目的だ。まさに日本の植民地化を追い求める、究極の売国奴政府が作られようとしている。

歴史学者、刑法学者、図書研究者、弁護士会、ペンクラブをはじめとして、メディアも含めてほとんどが、特定秘密保護法案に反対を表明している。いまこそ、この法案を廃案に追い込み、安倍売国奴内閣を打倒しよう。そうでなければ、日本は「北朝鮮」や中国、イスラエルに負けない警察国家になるだろう。いまこそ、行動が必要だ。

東電を生き延びさせるな

2013-10-30 | 政治
東京電力が国による福島の除染費用の支払いを渋っているというニュースを聞いたばかりだというのに、国は東電の除染費の支払いを免除する措置をとろうとしているというニュースが流れてきた。4800億円の除染費用を免除するという。冗談じゃ無い。じゃあ、誰がそれを支払うのか。国が支払うと言うことは、われわれが出した税金から支払うという事じゃないか。まったく冗談じゃないよ。怒りに震える。

東電は原発建設を推進して、このような大惨事を招いた。もちろん国も原発を推進する政策を採ってきたので、国に責任がないわけじゃない。しかし、あくまでこれは東電の原発が爆発して多量の放射性物質を山や海にばらまいたのだ。出てきた放射性物質は「無主物」だなどと東電はしゃあしゃあとぬかしたが、東電が漏洩させない義務を持っていたことは明らかで、どうみても東電がすべての責任を負うのは、当たり前だ。

しかし、東電は国策会社なので、赤字になりそうなら電気料金を値上げすることで、倒産するような心配はこれまで一切なかった。しかし、原発が爆発したら、東電の資産では、とても賠償さえままならない。2年半以上が過ぎた今でも15万人以上の人たちが原発難民となって国内をさまよっているのに、東電は企業として生き残りをしようとしている。国は原発推進の罪を負っている。しかし、東電の生き残りに手を貸すようなことをしたら、国の責任はますます重くなるばかりだ。この際、東電を法的整理し、責任者の責任を追及し、法的措置をとるべきだ。それをしないまま、曖昧にことを済ませていこうとしたら、東電はこれまでの反省は無いままに、生き延びてしまう。

だいたい事故当時およびそれまでの東電の幹部は、誰一人責任を問われていない。福島県民が検察に刑事告訴したけれども、検察は強制捜査さえもしないまま、不起訴にしてしまった。しかもこれだけの事故を起こしながら、東電の幹部は誰一人責任をとって辞めたものもいない。定期的な人事異動で、同時の幹部達はみんな辞めていったが、彼らは億単位の退職金を受け取り、ほとんどすべての幹部が家族をともなって海外に移住しているという。日本にいると危険だからだという。責任を問われるのが怖いのかもしれない。許せない。彼らと彼らの家族こそ、福島の原発の周辺に住むべきだ。それができないなら、彼らは監獄に入るべきだ。


国鉄民営化の結果がでた

2013-10-10 | 政治
JR北海道で事故が多発している。それも原因は、ほとんどが構造的なものである。恐ろしくて、北海道では鉄道に乗れない。テレビ朝日のニュースステーションで、この問題が取り上げられて、報道されていたが、その内容たるや、驚くべき意識の薄さ、偏見に満ちたものだった。安全をないがしろにしたJR北海道の体質を問題にしないで、労組が内紛ばかりしているからこんな事になったと言わんばかりの報道だ。まったく本質を隠蔽し、JR北海道の経営陣をかばうような報道姿勢には、本当に驚く。

 JR北海道の労組が4つあって、それらが互いに反目し合っていることは、事実かも知れないが、それとJR北海道の安全軽視、安全後回しの経営体質とは何の関係もない。なぜJR北海道はこんな安全を軽視するような経営体質になったのかを、報道は分析するべきである。その理由は、国鉄の分割民営化にある。中曽根が「労組つぶし」のために強引な手法で行った民営化だった。労働組合員を虫けらのように扱い、不当労働行為であることをあらゆるレベルの労働委員会から勧告を受けながら、知らぬ顔で違法行為を繰り返し、民営化した。しかも分割したため、東日本、西日本、東海の3社以外は、当初から赤字が見こまれていた。そのために、JR北海道は労働者を半分に減らし、7-8000人を解雇した。必要な人員を半分に減らすと言うことは、残った労働者が倍の労働を同じ賃金で働くか、さもなくば安全をできる限り切り詰めることしか無い。

 JR北海道が獲った道は、後者だった。もっとも、それは北海道に限らない。JR九州もJR四国もJR貨物も、同じである。いや黒字が見こまれたJR東日本やJR西日本、JR東海でさえも、安全を切り詰めて、必要な人材と資材を減らして、ただただお客様にへつらう労働者を優遇してきた。いまや、JR北海道で、それらの安全切り詰め経営がようやく事故などによって表に出てきたのである。JR西日本の福知山線の大事故もまさにその労働者イジメと経営の切り詰めによって起こった事故なのだ。それにもかかわらず、国鉄の民営化の結果であると誰も認めたがらない。それを言うのは、現場で事実をよく知っている労働者・労組だけだが、労組がそれを主張すると、政治もマスコミもそれを無視・黙殺する。もっともっと事故による犠牲者が出ないと、彼らは気がつこうとしない。

 効率化、合理化、民営化によって犠牲になるのはいつも庶民である。殺されるのも庶民である。原発事故を見よ。あれだけの事故を起こし、しかも何十年も終息できない事故を起こしておいて、それでも誰も刑事上も民事上も罪に問われない。引責辞職したものもいない。マスコミの前で頭を下げてみせるパーフォーマンスだけですべて許されているのが、日本の現実だ。それを許していては、日本はいずれ沈んでしまう。JR北海道の「責任者を出せ!」民営化の責任者を引きずり出せ。市中引き回しの上、磔にせよ。