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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

マダニの感染症におびえたこと

2013-10-08 | 環境
8月上旬ころ、山口県に行ったときに、山の藪をわずかの時間歩いたことがあった。その後、すぐに東京へ出かけて、京都に帰ったのは2日後だった。家に帰って1日ほどしてから、どうも左の足指あたりに黒いものが付着していることに気がついた。気になるので、体を折り曲げて、じっくりと観察してみた。ゴミのようにも見えるが、簡単にこすっても落ちない。ピンセットでつまんで見ると、簡単にとれる。紙の上に置いてみると、じっくりと観察すると、なんと!もぞもぞとそいつが動いているではないか。うわあ!これはまさしくマダニに違いない。そう思って考えると、左の鼠径部に最近イボができたようなものがあるのを思い出した。ひょっとしたら、あいつもそうかもしれない。そう思って、やはりピンセットで引っ張ると、ぽろんと抜けてきた。やはりそいつもマダニが皮膚に食いついていたのだ。

 どこで食いつかれたか、イロイロ考えても、山口県の藪山を5分ほど歩いたあのわずかな時しか、ダニに食いつかれる時は、他に思いつかない。そうすると、この2匹のマダニは、3日前から俺の体に食いついていたのだ。ああ、おぞましい。北海道では何度かマダニに食い付かれたことがある。北海道では、春になるとマダニが活発に動き始める。その頃、野外を歩き回ると、マダニに食い付かれることがよくある。しかし、われわれもそんなことはよく知っているので、春頃に野外から帰ってきたら、体をよく点検することを怠りなかった。夜のお風呂では、体中をよく点検する。マダニは大きいので、体の表面をさすっただけで、マダニがいることはすぐ分かるのだ。その前に、マダニが体の柔らかいところへ移動しているときなら、すぐ見つけることもできる。1日以上経ってから、気がついた場合は、マダニがしっかりと皮膚に食い込んでいて、頭が皮膚の組織と同化してしまっているので、引っ張ったぐらいではマダニを排除できない。食い付く前に見つけて、マダニを追い払うのが一番良い。

 ところが、山口県の低い裏山で、マダニに食い付かれるとはまったく予想していなかった。この裏山には、これまでも何度か出かけている。これまでマダニを見たことも無かった。油断してしまった。3日も4日も経ってしまっているので、マダニの頭は皮膚と同化してしまっており、ピンセットで引っ張ってマダニの体を排除してみたが、頭は残っていて、上から触るとちくちくと痛い。最近、山口県などの西日本でマダニに咬まれて、感染症で死亡した人がぼつぼつ出ているというニュースがあった。これまでマダニに食い付かれても、気持ち悪いだけで害は無いというのが、一般的な判断だった。ところが、最近はどうもそうでは無くなったらしい。それも山口県で、最近亡くなった人が出たばかりだ。

 医者に行って切開してもらおうかと思いつつ、忙しさにかまけてついついそのままになっていた。一ヶ月ほどしてから、どうもいつまでもちくちくと痛むので、切開手術を決意した。医者に行くのも業腹だから、自分で切開することにした。姿勢が取りにくいのだが、なんとかメスで切り開き、ピンセットでそれらしいものを取り除いた。少々の出血は覚悟の上だった。思い切って切らないと、上手くいかないのだ。躊躇い傷が一番良くない。切開手術をしたあと、痛みは無くなった。

 そして、あれから2ヶ月たった。マダニによるウイルス感染症の潜伏期間は2週間~1ヶ月ということなので、今のところ、症状が出ていないことは、もう大丈夫だろう。少し心配していた。確率は低いものの、最近、山口県で何人かが亡くなっている事を聞くと、ひょっとして、私も?と思わないことは無かったからだ。これからは、西日本でもマダニに心配しながら山歩きをしなければならなくなった。これも地球の温暖化のせいのようだ。

名月に平和な世界を祈る

2013-09-19 | 日記風
暑さ寒さも彼岸までという言い回しがあるか、まだまだ暑さが残っている。朝晩はかなり涼しくなったものの、日中はまだ30℃を超えている。彼岸が来るのを首を長くして待っている。今日は中秋の名月。昨夜もすばらしい快晴の空に浮かぶ月を眺めて過ごした。涼しくなったので、夜も蚊があまりうるさくなくなったので、お月見には最適だった。今夜も月見をして、夜を過ごそう。

 彼岸に合わせたように彼岸の入りに咲き始める曼珠沙華が今年は少し早めに咲き始めた。気候の変動がおかしくなってしまったので、曼珠沙華(ヒガンバナ)も少し咲き始めが狂ったのかもしれない。台風も、竜巻も、これまで経験しなかったような経験をした。気象庁も来年からは「これまで経験したことの無いような」という形容詞は使いにくくなる。もっとも毎年のように記録に無い雨量や風速が記録されているから、経験したことの無いという形容詞はまたまた毎年繰り返されるのかもしれない。そして、ついに人間がいきられなくなる限界が近づいているのかもしれない。放射能汚染しかり。
 
 東京オリンピックが7年後に決まったとか。そして、リニア新幹線が14年後に完成するとか。喜んでいられるのだろうか。リニア新幹線は、現在の新幹線の40倍もの電気を必要とするという。これを作るというのは、原発で電気を作ることを前提としているとしか思えない。リニア新幹線で東京と名古屋が40~70分で結ばれることで、フクシマの惨事がまた他で繰り返されるなら、これはもう日本人は絶滅するしか無い。存続する価値の無い国かもしれない。

 電気を消して、中秋の名月を心ゆくまで楽しもう。心豊かな生活にリニアなどいらない。原発もいらない。朝鮮半島や中国との軋轢など作り出さずに、なかよくいっしょに生活を楽しもう。世界中の人々と、仲良くしよう。仲良くするためにはまず手をさしのべて握手を求めよう。そのためには、武器を捨てよう。軍事基地を無くそう。丸腰になれば、諍いはおこらない。平和憲法をきちんと守り、中国にも朝鮮にも求めよう。アメリカは世界の警察官をそろそろ辞めよう。もう誰も警察官になってもらおうと思わない。警察は泥棒の始まりだ。

オリンピックなどお断りしよう

2013-09-11 | 政治
9月11日は、2001年にTWCへの攻撃があった日だが、それから28年前のこの日に、何があったかを覚えている人は少ないだろう。南米チリで、民主的な選挙で政権を獲得し、社会主義への道を歩み始めたチリのアジェンデ大統領が、ピノチェトの指揮する軍部のクーデターで、命を落とした日なのである。武力革命によるキューバとは違った社会主義への道を切り開きつつあったチリのアジェンデ人民連合政府を葬ったのは、ピノチェトの背後にいたアメリカ帝国主義の策謀であったのは、もう歴史の常識である。

 9月11日のアメリカへのテロ攻撃が、もし本当にアメリカの陰謀でないとすれば、その攻撃は、中東のイスラム教徒だけではなく、ラテンアメリカの人々の怨嗟をも乗せていたに違いない。その半年後の3月11日は、日本に壊滅的な打撃を与えた大地震と大津波そしてそれに続く福島第一原発の全電源喪失事故があった日だ。これは金儲けのために原子力の平和利用という詐欺を日本に押しつけたアメリカの帝国主義的資本主義が、日本人民を襲ったテロ攻撃なのかもしれない。奇しくも11日には、そのような歴史を刻む出来事が多い。

 2020年のオリンピックが日本に決まったと言って、マスコミは大騒ぎをしている。そしてそれに踊らされる人々が、喜んでいる。しかし、福島の原発の爆発事故は、いまだに終息していない。溶融した燃料は、どうやって存在しているのかも誰も知らない。それを廃炉にするためにも、40年以上の年月が必要になる。チェルノブイリの原子炉も、メルトダウンした原子炉を上からコンクリートの石棺で覆っただけである。いつでも劣化した原子炉から大量の放射性物質が漏れ出す可能性はいまだに消えていない。フクシマは始まったばかりである。さらに汚染水の問題は、まったく解決の見通しも無い。

 安倍首相は、汚染水は完全に遮断されており、問題ないし、政府が全面的に対策を取ると断言して大見得を切った。その姿勢が東京にオリンピックを呼び寄せたとマスコミははやし立てるが、これこそ世界を相手の詐欺、騙りだった。安倍首相は、大嘘を言って世界を騙した。オリンピックなどは私は何の関心もないので、どこでやろうとどうでもいいが、フクシマの事態を安倍がそんなに軽く考えているというのは、日本に住む人間として、戦慄を覚える。

 汚染水をどうやって止めるのか、なにも対策がないときに、首相が汚染水は影響をもたらさないとどうして言えるのだろう。これから高濃度の汚染水は、海洋へ流れ出す。そして、数年かけて世界中に広がっていく。福島では、もう40人以上の児童に甲状腺ガンが見つかっている。100万人に1人という確率で見つかる児童の甲状腺ガンなのに、正常時の数百倍の確率でガンになっている。しかし、東電や御用学者らは、原発事故からまだ2年半しか経っていないので、原発事故とは関係ないガンだと言う。どこまで日本は情けない国なんだろう。原発事故と関係ないというなら、この非常な高確率の甲状腺ガンの発生の理由をきちんと説明しなければいけない。説明できないで、原発事故と関係ないというのは、科学者の風上にも置けない卑劣な人間だ。

 さらに、原発を再稼働させるために、原子力規制委員会は、多少のアリバイを残しながら、多くの原発の再稼働へと審査を進めている。もともと再稼働ありきの規制委員会であり審査なのだ。そして、さらに原発輸出を推し進める安倍内閣。アベシンゾーは、やはり人間としての心がないのではないか。あの小泉純一郎でさえ、原発ゼロにと言い出している。彼には人間の心が少しはあったのだ。

 これだけの人々を故郷から追い払い、難民としての困難な生活を強い、移動にともなう困難で多くの人が死んでいき、さらにガンを始め多くの病気を引き起こし、健康被害をこれから何十年、何百年、何千年と強要する原発事故を起こした東電の役員は誰一人処罰されていない。検察ははじめから立件するつもりもなく、住民の怒りの告発を1年のおざなりな捜査とも言えない捜査で、不起訴と決めた。事故当時の東電役員はほとんどすべてが、巨額の退職金を懐に、家族と共に放射能汚染の心配のないアメリカなどに引っ越して、優雅な暮らしを送っている。誰一人、責任を感じて辞任した奴はいない。福島で有機農法や自然農法を行ってきた農民が何人も、「原発事故さえなかったら」という書き置きを残して首を吊った。彼らの血の苦しみを東電の役員・社員は、少しでも考えたことがあるのか。ここでも人間の皮を被った鬼どもが見える。

 なんとしても、東電の役員たちを法廷に引き吊りだし、原子力ムラの官僚、政治家、学者ともども、断罪しなければならない。そうしなければ世界中が日本をさげすむだろう。オリンピックをお断りして、東電を断罪し、政府が原発推進を心から反省し、すべての原発を廃炉にする決意を持てば、日本は世界から心から尊敬される国になるだろう。 

サンナシ小屋とヒグマ

2013-09-04 | 花と自然
酷暑の京都から逃れて、道東にやってきて10日、こちらは西日本の暑さとは無縁の世界だ。夜も毛布一枚では寒く、夜中に冬布団を出して寝た。さらに8月末からは、確実に秋になった。京都も涼しくなったようだが、こちらはストーブを入れている人もいる。30分だけでも暖房を入れて、部屋を暖めないと寒いという人がいる。私は、それほど寒いとは思えないが、温かいシャワーを浴びるときに、体が冷えていることを感じる。

 春以来、数ヶ月ぶりにサンナシ小屋を訪れた。春にはヒグマが出たので、用心して熊鈴を購入、おそるおそる出かけた。最近、シカや馬の活躍が減っているのか、草丈が伸び、腰より高い草むらをかき分けかき分け進む。途中、一カ所で強い野獣の臭いを感じた。見ると近くのフキがまとまって折り取られている。どうやらついさっきまでここで熊がいたようだ。まだまだ熊の心配はしなければならない。小屋の使用が減ったことや近くの牧場の馬の放牧が少なくなったことが、熊が近くまでやってくるようになった原因のように思われる。ここでもやはり人間の後退が熊の進出と関係しているのだろう。熊にしてみれば、昔の環境が少しずつ返ってきたということなのだろう。それはそれで良いことなのかもしれない。サンナシ小屋の使用は、これからどうなるだろうか。

 でも、無事に小屋へ到着。しばし、小屋での静寂を楽しんだ。今度はいつサンナシ小屋での生活を楽しめるだろうか。

汗を流しながら かき氷を食べたい

2013-08-21 | 日記風
暑い!とにかく暑い!埼玉県から京都に引っ越してきたのは、何の助けにもならなかったようだ。京都は暑い!

熱中症にならないように、水をがぶ飲みするのだが、その端から汗となって流れていく。こんなときは、かき氷を食べたい! かき氷を食べたくなって、探すんだが、どうもおかしい。かき氷の旗が立っているところを探し当てて、小躍りしていくと、その店(喫茶店)は、室内をガンガンにクーラーを効かせており、しばらくいると寒くなる。そんな寒いところではかき氷など、食べたいとは思わない。入った直後に、すぐにかき氷を注文すると、かき氷がやってくる頃には、とても寒くて食べたくない。それでも食べていると、体が冷え切ってしまう。

どうしてかき氷を売っている店が、あんなに寒くしているのだろう。かき氷は、やはり「」よしず」の立てかけてある店の前の縁台で、汗を流しながら食べるのが、もっともおいしいかき氷の食べ方だろう。なぜそれをしないで、寒くした店の中でかき氷を売るのだろうか。不思議だ。

汗をかきかき、かき氷を食べたい! でも、いまはどこもそんな店がなくなってしまった。寒い店内で、フラッペとかいう高価で寒いだけのものを食べたくない。

にんげんをかえせ

2013-08-13 | 日記風
   ちちをかえせ ははをかえせ
   としよりをかえせ
   こどもをかえせ
 
   わたしをかえせ わたしにつながる
   にんげんをかえせ
 
   にんげんの にんげんのよのあるかぎり
   くずれぬへいわを へいわをかえせ
                峠三吉「原爆詩集」より

68年目の原爆記念日も、猛暑の中に終わった。戦争をしたがっているアベシンゾー首相もメッセージで空疎な言葉を羅列して見せた。私は、その数日前、実に何十年ぶりに映画「ひろしま」を鑑賞した。この映画は、戦後すぐに広島原爆の悲惨さを再現して、ふたたび戦争を繰り返させないという強い思いで作られた。私も子供の頃、この映画を学校の授業の一環として見た覚えがある。とにかく原爆の恐ろしさ、被害の非人間的なむごさなどが、幼い心を強烈に打った事だけを覚えていた。ところが、アメリカの占領政策によってこの映画は、その後日の目を見ないまま、どこかの倉庫で眠り続けていた。アメリカは原爆の悲惨な実態を世界の人に知らせることを拒否した。

あれから何十年も経ってようやく再び日の目を見た「ひろしま」。懐かしさもあったが、最後のシーンに目が釘付けになった。子供の目では何のことか分からなかったのだろう。ほとんど記憶に無いが、ラストシーンは、広島の町からあふれ出る人々の群れが平和公園に向けて集まってくる。彼ら彼女らは、戦争を再び起こそうとする人たちの策動に反対し、二度と戦争をさせないための平和集会に集まろうとしている姿なのだ。広島市で原爆に殺された20万人の人々の魂魄とそしてその後を生きる何十万人という人々の静かな意志が、この映画には描かれていたのだ。再びこの映画「ひろしま」を見て良かったと思う。そして、アメリカと日本政府がこの映画を見せたくなかったことが、よく分かる。軍隊を持ち、アメリカのために戦争をしようという安倍政権の今こそ、この映画が見られるべき時代的な必然性がある。

猛暑に負けずに読書

2013-08-12 | 読書

体温よりも高い気温が毎日のように記録される。以前住んでいた埼玉県も熊谷市が高温で有名だったが、京都はそれ以上かもしれない。幸いにと言って良いのかどうか、まだ40度には達していない。それでも病気の時の体温に匹敵する38度、39度という気温が毎日続くと、もう正常な意識ではいられない。それでもエアコンを使わないで扇風機に頼っている。パソコンも、熱中症と思われる症状がときどき現れる。これ以上酷使すると、すべてがパーになってしまいはせぬかと心配だ。

毎年恒例の下鴨神社で行われる納涼古書市に出かけた。下鴨神社の糺の森は、普段でも巨木の下は涼しいところなのだが、さすがに今年はうだるような暑さだった。それでもたくさんの読書愛好家が遠くからも駆けつけ、熱心に展示された古書に見入っている。手作り市や古道具市、ベジタリアンフェスなどいろいろな店舗が建ち並ぶイベントへ行ってみるが、古書市はこんなに人が大勢いるにもかかわらず、実に静かだ。深閑とした糺の森の古書市は、静かに静かに人々の熱気を吸い込んでいる。

一年に2~3回行われる古書市には、かならず出かけるようにしている。その度に、両手いっぱいの本を抱えて帰る。毎回、1万円から1万5千円くらいの買い物をする。そして、それから次の古書市まで、毎日のように読書が楽しみとなる。ところが、古書市以外にもいろいろ本をいただいたり、本屋で本を求めたりしているし、毎週読む週刊誌、月刊誌をそれぞれほぼ隅から隅まで読んでいるので、古書市で買った本が、次回の古書市まで読み切れなくなってきた。今回も、まだ前回買った本のうち、数冊が読み切れていない。そのためか、今回も多くの本を買ったが、合計は1万円を割り込んだ。1冊500円~1000円の本が多かったようだ。

古書市には、約4-50軒の古書店が出品している。本ばかりでは無く、古文書や浮世絵、昔の絵はがきなどもあり、一つ一つ見ていくととても一日では見きれない。お寺が多い京都の古書市には、経文の類いも多く出品されている。今回も、暑さのためもあって、およそ半数の店しか見ることができなかった。また、秋の古書市を楽しみに、これから本を読む時間をもっと増やせそうだと喜んでいる。

再び福島第一原発が危ない

2013-07-29 | 環境
福島第一原発で、高濃度汚染水が海にダダ漏れしていることを東電が認めた。しかし、事実を認識してから、選挙が終わるまで公表しなかった。自民党の勝利に不都合があることはできるだけ避けようとしたことは明らかだ。東電は、人々の命や健康よりも、再稼働に前のめりな自民党の勝利が大事だった。それとも安倍政権が公表を遅らせた? ありうることだ。

 そして、いま福島第一原発が不穏当な事態が起こっているらしい。3号機で、水蒸気と炎が上がった。どうやら原子炉容器の圧力と熱が極度に上昇しているらしい。上部の蓋の付近が損傷しているため、そこから水蒸気や水素・注入し続けている窒素などが漏れ出ているらしい。周辺の放射線は数百ミリシーベルトと人間が立ち入れない状態だ。そして、北茨城市で空間線量が7マイクロシーベルトという恐ろしい放射能汚染が見つかった。原因は福島第一原発ではないと政府は言うのだが、いったい誰がそれを信じるのか。

 さらに2号機では、数日前から温度・圧力が急上昇している。再び爆発が起こる可能性も見えてきた。避難準備も必要かもしれない。首都圏も。

 そして、6号炉では、2日前に冷却水を送るポンプが電源喪失で2時間も、ストップした。まさにフクイチは綱渡り状態だ。

 そんな中で、北電も、東電も、中電も、関電も、九電も、原発の再稼働を原子力規制庁に申請した。原子力規制委員会もそれを審査するという。そんなことをしてる暇があるのか。規制委員会は、陣頭に立って事実上国有化している東電を指揮して、フクイチの完全終息化に向けて、国を挙げて取り組むべき時だ。このまま不安定な冷温停止を続けていては、いつかまたフクイチは世界を不安と恐怖に陥れることになるだろう。そうなったら、安倍が取り戻した日本は、両方の手から崩壊していくだろう。

無銭飲食 アベシンゾー

2013-07-26 | 政治
ある地方新聞によると、安倍首相一行は無銭飲食の常習犯らしい。コーヒーが美味しいと評判のAさんの店に、ある日、安倍首相をはじめとした一行が訪れ、大人数でコーヒーを飲んでいった。しかし、誰一人として代金を支払う人はいなかった。あとから払いに来るだろうと思っていたAさんだったが、いつまで経っても支払いがない。思い切って安倍首相の秘書に電話をかけて代金を要求したところ、秘書は迷惑そうに「じゃあ、支払いますので取りに来て下さい」と言った。あきれかえったが「そちらが払いに来るのが当たり前ではないですか」と、Aさんは断固として言い、ようやく払わせたという。黙っていたら永久に支払われなかっただろう。

 これはAさんの店だけではないのではないか。安倍首相は、おまえのものは俺のもの、俺のものは俺のもの、と思っているのだろう。庶民が俺様にコーヒーくらいサービスするのは当たり前と思っているのだろう。そんな首相に、国民の生活などまったく見えていない。ボンボン育ちの世間知らずには、オトモダチしか目に入らない。アメリカが東日本大震災の時に「オトモダチ作戦」と名付けたのは、まさに当たりだった。アベシンゾーのオトモダチなのだ、米軍は。

 そのアベシンゾーの自民党が参議院で単独過半数を得た。自民党は全有権者の17%の得票率で、衆参を通じて半分以上の議席を奪った。実に「(国民から)日本を取り戻した」のだ。相変わらずマスコミは国会のねじれ解消などとはしゃいでいる。ねじれ解消を選挙の争点にした自民党の口車に乗った。いや、自民党を露骨に支持した。そして、国民と国会に深刻なねじれをもたらした。国民は憲法9条を改正して国防軍を作りたいとは思っていない。国民は原発をゼロにしたい。それでも、真実が見えないアホな国民は、景気回復を願って自民党に投票した。こんなアホな国民とは付き合っていられない。

 衆参の過半数を獲得した安倍内閣が、選挙の次の日に決めたことは、武器輸出三原則の規制を緩めることだった。原発を輸出して、死の灰を日本に集め、核燃サイクルでプルトニウムを日本に集積することを狙った死の商人「アベシンゾー」の面目躍如といったところだ。日本を平和国家から死の商人におとしめ、憲法の精神を蹂躙するものだ。アメリカが開発しているF35戦闘爆撃機の40%が日本からの部品で成り立っている。さらにその戦闘機をイスラエルなどの紛争国に輸出しても良いことにしようというのである。菅官房長官は、イスラエルに日本の部品を使った武器が輸出されても、日本の平和国家としての位置は変わらないと言い放った。対米従属の安倍内閣の憲法認識なのだろう。中東の人、世界中の人たちはそんな自分本位な解釈は受け容れない。橋下大阪市長の発言以上に、世界における日本の尊敬度は、一気に落ち込むだろう。

 これからますます自民党の戦争政策は進む。憲法はもう息絶え絶えだ。息の根を止めるのは、アベシンゾーか、それともマスコミか、もしくはアホな日本人たちか。恐ろしい時代が始まる。

選挙にはボールペンを持って

2013-07-18 | 政治
参議院議員の選挙のときには、旅行中なので、事前に投票へ行ってきた。国防軍を作り、軍事法廷も設置し、戦場へ行けと言って言うことを聞かない隊員には、死刑で対応することまでを計画している自民党の憲法改正案を、なんとしても阻止したいから、選挙には行った。しかし、マスメディアは自民党圧勝というばかりで、自民党改憲案の恐ろしさを書こうとしない。また選挙のあとには、むなしさが残るばかりだ。しかし、それでも選挙に行かなければもっと自責と後悔の念が大きくなるだろう。

 投票所には思ったより多くの人が投票に訪れていた。もっと閑散としているかと思ったのだが。聞くところによると、今回の事前投票には前回よりもかなり多くの人が投票しているらしい。この投票者らが、アベノミクスという訳の分からない期待感で投票していないことを望む。アホノミクスとか言われるバブルに踊らされ、国土強靱化という「人からコンクリートへ」の政策転換を見ると、政権交代を果たした民主党のスローガンも、政策マニュフェストも、なかなかのものだったのではないか。鳩山政権のときに、民主党が一丸となってマニュフェストを実現するよう努力したのだったら、日本はもっと良くなったのでは内だろうか。鳩山由紀夫首相の考えていたことは、今考えれば、本当にまともなことだったと思う。官僚の徹底的な反抗と、米国の反発で、鳩山首相の構想は、どれも中途半端になり、実現できなかったことも多い。そして鳩山首相辞任のあとの、菅首相、野田首相は、民主党政権とは思えない、官僚やアメリカべったりの政策になってしまった。

 民主党は、おそらくもう回復することはできないだろう。あの理想に燃えて政権交代を果たしたときの人たちがほとんど離党してしまったからだ。残っているのは、機会あれば自民党に里帰りしたがっているものばかりなのだから。自民党との政策の違いを出すことさえできない。憲法も改正しよう、靖国神社にも参拝しようというような、隠れ自民党ばかりになってしまった。二大政党制を目指すなら、自民党と共産党しか残れる政党はない。それよりは、もっと中小政党が生き残れるような選挙制度に至急替えるべきでないか。一人一票の原則も早く確立しないと違憲状態で選ばれた議員ばかりでは、まともな審議などできっこない。ましてや憲法改正など違憲状態で選ばれた議員があれこれいうことなど許されない。選挙制度の改正がまず急がれる。

 ところで投票所に行くと、台の上に置いてあるのは鉛筆だけだ。そうだ、ボールペンを持ってくるのを忘れた。鉛筆ではなく、投票用紙にはボールペンで書けというメールが回っていたのを思い出した。でも、忘れてしまっていた。なぜボールペンか。鉛筆で書いた投票用紙は、自動読み取り器によって読み取られるらしい。そのときに、自動読み取り器によって開票作業に不正が行われている可能性があるという投稿が、facebookを通して流れていた。それによると、近年の技術の発展はすさまじく、投票用紙に書かれた名前を読み取るだけではなく、用紙の上のカーボンを一度吸い取ってしまうこともできるのだとか。つまり、当選させたくない候補の名前が書かれている投票用紙から、鉛筆のカーボン粒子を吸い取れば、その投票は白票となる。自動読み取り器にそういう機能を組み込むことは簡単にできるし、実際そうされている可能性もあるというのだ。昨年末の衆議院選挙では、ある地域の白票率が飛び抜けて高くなったところがあるという。どうも怪しい。現代の技術は、どんなことでもできる。白票にしたあとに、別の候補の名前を機械で書くこともできなくはない。日本ではそんな不正選挙はあり得ないと単純に考えている人は、もっと注意した方がいい。日本の選挙は、不正が行われている可能性はあるのだ。