goo blog サービス終了のお知らせ 

ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

懐かしいお雛さまを飾る

2012-03-02 | 日記風
3月に入って、暖かくなってきた。奈良東大寺二月堂のお水取りの行事も始まった。修二会の行事が終わると、ようやく春が体に感じられるようになるというのが、子供の頃からニュースを聞いて感じていたことだった。それと比べても、春が早くなったとは思えない。気温を比べれば、きっと今の方が早く暖かくなっているはずなのだが、冬のしっかりした暖房に体が慣れているせいか、いつまでも寒く感じる。

 明日は、雛祭り。我が家のお雛様は7段飾りのそれなりに豪華なものだ。二人の娘のために、若い頃かなり無理して買った覚えがある。もっともデパートで、規格外れの安い出物があったので、なんとか買えたのだが。それも娘が二人とも自立して家を出てから、もう長いこと箱の中で眠ってしまっている。先日、引っ越しをしたときに、箱のほこりを払ったことから、お雛様のことを思い出した。引っ越した先で、なんとか段ボールの山をかたづけて、そうだ今年はお雛様を飾ろうと思い立った。しかし、7段飾りを広げる空間は、まだ十分確保できそうもない。飾ると生活空間がなくなりそうだった。思案したあげく、今年はお内裏様とおひな様二人だけにお出ましいただくこととした。二人だけなら、なんとか出窓に飾ることができ、生活空間に犠牲をしいることなく飾れる。

 というわけで、いま我が家にはお内裏様とお雛様のお二人が、居間の出窓から私たちの食事を眺めている。長い間見なかったお二人の顔は、いまさらながら美しい。もっと早くこうしてあげたらよかったと後悔している。もっとも三人官女や五人囃子、右大臣に左大臣、靴持ちたちは、今年も箱の中で眠り込んでいるばかりだ。ちょっと可哀想だが、来年は、三人官女に出窓に出ていただこう。



 かつて7段飾りを飾っていた頃、いつも雛人形に身分の差が露骨であることに、違和感を持っていた。雛人形のできた時代は、江戸のいわゆる封建時代であるから、この身分差は当然だったのだろうが、民主主義を信奉する今の時代には、やはり違和感が大きい。ときどき内裏様と靴持ちを入れ替えてみたりして、家族に怒られていたが、なんとなくこの身分による差別を飾るのは、居心地の悪さを背中に感じていたものだった。

 それでも雛人形を飾り、ぼんぼりを置き、桃の花を生けると、春の足音がすぐそこに来ていることを感じることができるような気がする。今年の春は少し遅いようだ。桜も4月にならないと見られないようだ。早く満開の桜を見たいと思うのは、毎年のことながら、とくに今年は強く思う。昨年の桜の時期に、桜を見る余裕がなかったからなのだろうか。京都の桜は、さまざまな縁を結ばせる。春はもうすぐだ。

生きて欲しい

2012-02-24 | 日記風
先週、沖縄へ行ったのは、頼まれたことがあったのが主な理由だったが、同時に昨年の秋のブログにも書いたが、知人の女性が重篤な病に陥り(美空ひばりの死因と同じ病気だとか)、最近は食も細って生命維持装置につながりかねない状態に陥っていると聞いて、お見舞いと励ましに行ったのだった。彼女はその前の週に入院し、見ているだけでも哀しくなるような状態だった。今回、彼女のお父さんにも初めて会ったが、実直そうな沖縄のおじいが、娘のことを思うと辛くて・・と、大粒の涙をぽろぽろと流す様をみると、こちらもただただ目が潤んでくるばかりだった。

 見舞いをしても、われわれには何もしてあげられることはなかったが、とにかく頑張って生きるんだよと言い残して、京都に帰ってきた。その後、彼女のお母さんから、見舞いをしてもらったあと、彼女が「生きたい・・」と言い、頑張って食事も自分から食べようとし始めたと、メールが来た。うれしいことだった。その後、検査の数値がよくなってきたという知らせも届いた。こんなうれしいことはない。私たちのお見舞いが、彼女に生きる勇気を少しでも与えられたとしたら、こんなうれしいことはない。
 
 京都もしばらく寒かったが、ようやく春の気配がしてきた。彼女が回復して京都の桜を見に来ることができれば、この世にも神も仏もいるんだと思うことができる。
 

島にんじんは甘い

2012-02-19 | 南の海
全国的に雪が多いようだ。京都も雪が5cmも積もって、人々もびっくりのようすだった。ちょっとしたイベントを企画していたので、人々の出足が心配だったが、まあまあの人出で安心した。もっとも室内でも企画なので、交通機関が大幅に混乱しない限り、大きく影響することはないのだろう。

先週は沖縄に出かけていた。沖縄も、今年は寒いという。寒緋桜の咲くのも一週間ほど遅かったという。名護市では、まだ満開の桜を見かけた。那覇市もこれからのところが多い。なぜか沖縄では桜前線は北から南へ動いていくらしい。

桜の時期とはいえ、沖縄はやはり温かい。半袖の人もいる。もっともそれは本州から来ている観光客で、沖縄の人は、厚手の防寒服を着込んで寒そうにしている。京都の寒さから逃れてきた私たちは、沖縄の暖かさにホッとした。海は青く、砂浜は白くてきれいだ。でも、離島を除くと沖縄の海岸は全国でももっともコンクリート化が激しいのだそうだ。人工ビーチの数も日本で一番多い県だ。この美しい海岸をなぜコンクリート化しようとするのだろうか。

沖縄では、いまが島ニンジンの出荷時期らしい。島ニンジンは、太く短かく、しかも色がやや黄色い色をしている。食べてみると本州で売られている西洋ニンジンとはまったく味が違う。島ニンジンは甘く美味しい。生で食べるともっともその甘さを感じることが出来る。まるで果物を食べているように甘い。そして今は島らっきょうも出荷時期だ。島らっきょうは有名で多くの人が知っているが、島ニンジンは私は初めて知った。しかも、この時期の津堅島でとれる島ニンジンが津堅ニンジンと称して、とびきり美味しいらしい。沖縄の人に津堅ニンジンをお土産にもらって帰ってきた。かえってすぐに生のニンジンを丸かじり。美味しい。今夜は島ニンジンのシリーシリー料理。いわば、ニンジンチャンプルーだ。これも柔らかくてニンジンの味が美味しい。こんなニンジン料理なら、沖縄にはニンジン嫌いの子供はいないのではないだろうか。

テレビの高度化についていけない

2012-02-08 | 日記風
引っ越しをしたら、テレビが映らなくなった。アンテナ以外にブースターというものが必要で、それをつけるのに4-5万円かかるという。今までは、大家がそれを設置していたらしいが、自前の家だと自分で買わないと行けないらしい。アンテナさえついていれば、テレビは見られると思ったのは、アナログ時代のアナクロなのらしい。まったく地デジ化などという勝手なことをして、電気製品を作る会社ばかりを儲けさせて、国民は馬鹿にされているようなものだ。と怒ってみても、せっかく買ったテレビが映らなければもったいないので、しかたなく大枚をはたいてブースターを買った。

 ようやくテレビが見え始め、BS放送も楽しめるようになった。ところが、昨日、いきなりテレビが映らなくなった。いったいどうしたことだろう。昨日の大雨のせいだろうか。でも雨ぐらいで映らなくなるようでは、困る。あんなに高いものを買わされて、また見えないのでは、怒り狂ってしまう。なんとかしてくれ。テレビってそんなにたいそうなことをしないと見えないものだったのだろうか。高度化したおかげで、お金はかかるし、複雑で自分で直せなくなってしまった。テレビももっといろんなレベルで楽しめるようにして欲しい。地デジでなくても、画面が少々粗くても、自分で調節できるような方法を残して欲しい。みんな電気屋にお金を払わないと行けないように、いったい誰がしたんだろう。松下幸之助さん、どう思いますか。

電話とインターネット

2012-02-04 | 日記風
日本海側の大雪が続いている。京都は、日本海に面しているわけではないが、それでも位置的には日本海に近いので、気候は太平洋に面している東京都は異なって、冬は曇りがちで、時雨れたり、小雪が舞ったりする日が多い。北山を超えれば、京都市内でも雪は深い。町の中では、積雪はない。積もっても一日たてば雪は消える。それでも冬空はうっとうしい。

 寒に入ってから、公私がともに忙しくなり、寒さに震えながらあちこちに出かけたり、住まいを移したりした。東京に出かけることが多いが、京都に比べるとなんだか東京は暖かい。太平洋に面しているから、晴れる日が多いせいなのかもしれないし、ヒートアイランド現象によるものかもしれない。それにしても、京都はやはり冷え込む様な気がする。

 バタバタしているので、山歩きをする時間もない。しばらくはインターネットに接続もできなかったので、ブログもしばらくのご無沙汰だった。電話もしばらくつながらなかった。電話と言えば、携帯電話を止めてからもう一年近くたつ。私としては、携帯電話がなくっても困ることはないのだが、この社会がどうも携帯電話をみんな持っていることを前提にして動いているようで、携帯をもっていないというと、困惑したような顔をされる。たしかに、携帯を持っていることが前提になっているので、どこかで集合するときも、きちんと時間と場所を決めないで、なんとなく集合するというやり方が若い人中心の集団では取られているようで、その中に携帯を持たない私のような人間が混じると、どうも全体が混乱するようだ。そういえば、私が結婚した頃は、家に電話があることが当たり前で、電話を設置していなかった私の場合は、買い物や入会や役所の手続きでも、電話がないと受け付けてもらえなかったりしたことを思い出した。今の携帯電話がそのようなことになっているらしい。逆に、固定電話をつける人がどんどん減っているらしい。自宅にやってきたNTTの作業員と話をしても、これから3-4月にかけて忙しいですねと聞いても、どうもそうではないらしい。固定電話をつける人が少ないので、仕事が減って困っているという。時代の変化は、めまぐるしい。

 消費者の世界も変化が著しいし、政治の世界もどんどん変化する。価値観がこんなに激しく変わると、何も信じられなくなる。政治不信は、政治家の質の低下だけが原因ではないのかもしれない。政治家を選ぶ人々の質も低下しているのだろう。人はその質にあった政治を選ぶのだろうから。日本が沈んでいくのは、もう止めようもないのかもしれない。山河を廃墟にした原発を、それでも再稼働させようとするんだから。

御用学者は恥を知らない

2012-01-19 | 政治
停止している大飯原発のストレステストの結果を、経産省原子力安全・保安院は、安全性が確保されていると評価し、再稼働の道を開こうとしている。この審査書が妥当かどうかを専門家の意見を聞く聴取会が、住民の傍聴を拒否して行われた。もともと公開の席で行われるもので、これまでも公開されてきた。ところが、今回は、二人の委員が住民の傍聴を認めるよう主張したのを無視して、別の部屋に移動し、反対する二人の委員が欠席のまま、聴取会を開き、保安院の言うままに妥当だと認めてしまった。許せない。

 この世話役をしたのが、東大教授の岡本孝司。ご存じ、御用学者の有名人。電力会社関係から数百万円のお金を受け取っている人間だ。福島第一原発の事故の収束もおぼつかないし、その原因究明もまったく進んでいない今、なぜ大飯原発のストレステストを容認して、安全といえるのだろうか。そこには原子力ムラといわれる構造がまったく変わっていないことを垣間見せる。他にも二人の委員が巨額の金をもらっている。このような人間が例え専門家といえども公平な判断ができるのだろうか。枝野経産相は、急遽記者会見を開き、傍聴に来た市民をけしからんと非難した。そして別室で反対する二人の委員が欠席する中で、経産相は「不快な思いをさせて申し訳なかった」と謝罪した。謝罪する相手が違うのではないか。国策で原発を推進し、10万人もの原発難民を出し、日本国土を放射能汚染させたことに経産相はいったいきちんと国民に謝ったことがあるのだろうか。御用学者に謝ることなどない。ただちに、カネをもらっている電力会社御用学者をこの審査会から外すべきだ。

 岡本教授。お金をもらっていながらよくまあ恥ずかしくもなく、ストレステストの評価などできるなあ。ちっとは恥ずかしいという感情はないのだろうか。すぐにすべての政府関係の委員を辞任すべきだ。日本の美学は、「恥」を知ることだ。

 保安院の審査書では、大飯原発のストレステストで、すべての電源が失われても40日間は安定して原子炉を冷却できると書かれているそうだ。福島原発では、すべての交流電源が喪失した半日後には、メルトダウンがおこり、一日後にはメルトスルーが起こっていたと言われている。40日間、電源なしでどうやって冷却できるのか、説明して欲しい。福島の教訓をいったいどう考えているのだろうか。そんなに原発を稼働させて、金が欲しいのか。御用学者や、経団連や、御用政治家たち。

多田瑤子 若き美人弁護士

2012-01-12 | 読書
多田瑤子反権力人権賞という賞が有ることを知っている人は少ないかもしれない。私も賞の名前は知っていたが、多田瑤子という人がどういう人なのかは、よく知らなかった。知る機会が無かったと言うほうが正確だ。

 1986年の年賀状で、「私は、私の敵と闘い続けるわ-- と言い続けて、16年がたったような気がします。その間、私の敵は、何度も、見え隠れしましたが、敵は敵。 また、のんびりと、闘い続けたいと思います。」と書いて、その年の暮れ、肺炎のため29歳の若い命を終えた弁護士が、多田瑤子さんだった。権力の暴力と横暴に力一杯戦い続けた若くて明るい女性だったということを、多田瑤子著「私の敵が見えてきた」という本を読んで知ることが出来た。

 自宅の近くの恵文社という書店で、この本を見つけて買って帰った。発行は1988年だから、ずいぶん昔に出版された本だ。恵文社には、他の書店にはないものが置いてあることが多く、ファンは多い。他府県からもこの書店に来る客が多い。

 父親が京都大学の西洋文学の有名な教授だったことや、京都市左京区に住んでいたことなど、初めて知ることが多く、この恵文社でこの本が販売されていたことが、了解された。彼女はこのすぐ近くに住んでいたのだ。彼女は中学1年生の時にベトナム反戦を訴えるビラを学校に貼りだし、同志を募って反戦運動を始める。京都大学に進学し、新左翼運動の教祖的な存在だった竹本信弘(滝田修)京大助手の処分反対運動で学生自治会の会長を務める。そんな活動の中で、学生結婚をし、卒業後は司法試験に挑戦。2度の失敗ののち、弁護士となる。成田闘争で不当逮捕された学生や、東アジア反日武装戦線「さそり」の被告の弁護を担当し、寒い刑務所をしばしば訪問し、彼らを励まし続ける。

 そのような女性が私の住んでいるそばに住んでいたというのは、びっくりだった。もちろん彼女が住んでいた頃は、私は京都にはいなかったのだが。昨年、多田瑤子反権力人権賞を根津公子さんが受賞した。東京都の教員で、日の丸・君が代を拒否し続け、毎年処分を受けてきた。まさに彼女は、多田瑤子反権力人権賞を受賞するのにふさわしい人だと思う。東京都知事だけではなく、大阪府知事もファッショを推し進めようとしている今、この権力と戦い続ける人々への温かい心がなによりもうれしい。強きをくじき、弱きを助ける心が日本人から無くなりつつある。強い権力にすり寄るだけの東京都民や大阪府民市民には、ただただ情けない。久しぶりに本から勇気をもらったような気がした。

今年初めてのハイキング

2012-01-09 | 花と自然
今年の京都のお正月は、毎日のように雨が降る。午後になるとぽろぽろと雨が落ちてくる。京しぐれと言う人もある。京都の街中でも北へ行くほど、時雨れることが多いらしい。京都は盆地だが、距離的には日本海にかなり近い。山陰・北陸の冬の気候の影響をかなり受けるのだろう。晴れの日も一日くらいで、あとは曇った日が続く。京の時雨れ、とは言葉としては粋に思うが、実態はそうでもない。

 今年最初の山歩きは、近くで駅から歩けるところにしようとガイドブックを開いたら、京都府と大阪府の中間にある生駒山系の交野山が目についた。駅から歩いて駅まで歩く。バスに乗らなくて良いので、時間をあまり気にする必要がない。バスなら、一時間に一本あるかないかという不便なバスが多いからだ。北山方面だと一日午前に1-2本しかないという路線も多い。まずは駅から歩けるところにした。交野山は、生駒山地のもっとも北の国定公園内の府民の森にあり、交野山周辺のハイキングコースとしては、地元ではよく知られたところらしい。最高地点の交野山頂上でも、標高はたったの341mと、とても登山とは言えない。完全なハイキングコースである。ただ、予定コースを歩くと4時間半。年の初めに歩くにはちょうど良い距離かもしれない。

 私市駅から歩き始め、すぐに渓流沿いの道になる。月輪の滝から山道にはいるが、上り下りはそれほど多くない。ゆっくりと歩いてもコースタイムよりは早く歩けてしまうので、今日はゆっくりゆっくり歩こうと思った。ところが、府民の森管理事務所から四通八達しているハイキングコースに迷って、違う道に行ってしまった。広いゴルフ場に突き当たり、ウロウロしていて、ようやく道が違うことに気がついた。あらためて元の道に戻る。たくさんのハイキングコースのうち、さわわたりの道というコースを選び、歩き始めたが、すぐに失敗だったことに気がつく。途中の沢の小さな広場で工事をしており、底へ重機を入れるために、ハイキング道を重機でならして拡げており、まるで風景が無惨になっている。我慢をしながら歩いていくと、やがて広い管理道に合流し、八つ橋という湿地に着く。ここには湿地帯に落羽松(らくうしょう)という落葉性の松が生えており、その気根がにょきにょきと湿原から盛り上がっているのが珍しい。まるでマングローブのオヒルギの林のようである。



 そこから交野山の神社の赤い鳥居を目指して山道を登る。すぐに頂上の巨大な岩が目にはいる。頂上は巨岩が重なり合って、その上に立つと大阪から京都の町が一望に見える。遠く比叡山がかすんでいる。南には高野山や台高山地が連なって見える。低い山だが360度の展望だ。頂上の岩には梵字が刻まれているとガイドブックには書かれていたが、それらしい字は見つからない。そのかわり、漢字を彫り込んでいるのは、観光客のいたずらのようだ。岩は登山道と反対側が切り立っていて、どうやらロッククライミングの練習場になっているのか、残置ハーケンがたくさん打ってあるのがみえる。

 頂上から北に向けて下りる。急な階段が続く。こちらから登らないでよかった。いっきに下って、そこからゴルフ場まで林道を歩き、集落にでる。バスがないので、駅までぶどう園を周囲に見ながら駅まで延々と舗装道を歩く。道を間違ったこともあって、歩行時間は4時間45分だった。今月の週末はいろいろ忙しく、山歩きが出来ないかもしれない。でも今年は去年よりもっと山歩きをしてみたい。

年の終わりに京都西山を歩く

2012-01-02 | 花と自然
毎年年末には、忙しそうな家人をおいて、ちょっとした山に登る。今年は、ここのところあまり歩いていないこともあって、近くで4時間程度歩く山を選んだ。出かけたのは、京都と大阪の境目にある釈迦岳(631m)とポンポン山(679m)。京都から南にある東向日市にあるが、どうやらこのちょっとした山の連なりは、京都西山と言うらしい。京都は松の東山、杉の北山、竹の西山と言われているように、このあたりは山の麓はほとんど竹林に覆われている。それも最近広がりを見せている手入れの悪い竹林と違って、京都西山の竹林はタケノコの産地として有名なだけあって、手入れの行き届いた美しい竹林が続いている。

 竹林の間の狭い道を定期バスは、対向車を避けながらゆっくりゆっくり終点の吉峰寺に登っていく。終点で降りて登山道を歩き始めたのは私一人だった。吉峰寺の参道入り口からまずは吉峰寺に参拝しようと登り始めるが、この参道の急なこと。まるで崖を登っているような急斜面にコンクリート敷きの道が続く。途中で気を変えて、Uターン。吉峰寺を回って、西山ハイキングコースに入る。釈迦岳までの道は、やはり人工林が多く、あまり面白くもない。誰も歩いていない道を一人、黙々と歩く。体重が増えてきたことを実感する足の運びに、もっと歩かなくちゃいけないなと反省させられる。

 標高500mを越える頃、山道がうっすらと雪に覆われるようになった。周りの樹木にも雪が積もっている。釈迦岳の頂上近くなって、周りの林が人工林から明るい落葉広葉樹林に変わった。もちろんすでに落葉は終わっている。日が射し始めた林の中は、東山の常緑林とも北山の人工林ともちがって、落葉して明るい。京都市内よりも南にあるはずなのに、なぜここは落葉広葉樹が多いのだろうか。山道も落ち葉が積もって、足に心地よい。釈迦岳の頂上には、ベンチもあったが、雪が積もっていて、すわってお茶でも飲もうと思っていたが、立ったままでお茶にした。



 ここからポンポン山の頂上までは、落葉広葉樹林帯で、晴れた冬の山歩きには最高だろうと思うが、今日はちょっと晴れ間が少ない。ときどき日が射すが、やがて雪雲が空を覆い、ポンポン山の頂上近くなった頃から、本格的に粉雪になってきた。風も強くなり、尾根を歩くときは横殴りの雪となる。ポンポン山頂上では、とても休んでいることもできないので、早々に頂上を出発した。このあたりからは、東海自然歩道と合流するので、道標もしっかりしており、道も歩きやすい。人も増えてきた。

 ポンポン山という名前の由来は、山頂に近づくと足元がポンポンと音がするということから来ているとガイドブックには書いていた。しかし、気をつけて歩いたが、そんなところはなかったようだ。北海道の屈斜路湖の横に、おなじポンポン山という名前の山があるが、ここではたしかに岩の上を歩いたり跳ねたりすると、岩の中が空洞になっているのかポンポンと音がした。そこと同じようなところがあるかと期待したのだが、ここのポンポン山ではそんな音は聞こえてこなかった。もっといろんな場所を歩けばそう言うところもあるのかもしれないが、登山道を歩いている限り、そんなところはない。

 高槻市の方へどんどん下っていくと、やはり500m付近から下は杉や檜の人工林となり、歩いていてもあまり面白くない。そのうち、広い舗装に出て、東海自然歩道は、車の走る道になってしまう。最後の1時間ほどは、舗装道路歩きで、ただ黙って先を急ぐだけだ。下りきったところでバスを待ち、高槻駅に向かった。今年最後の山歩きはかくしてあっけなく終わってしまった。ちょうど4時間の歩きだったが、疲れもなく、またたいして面白くもない山歩きだったが、もっと歩けそうだと思ったのが、ちょっとうれしい。まだまだ歩けそうだ。来年はもっと歩く機会を作りたいと思って、年の暮れを迎えた。

 正月2日目。今日は京都は雨。年の暮れから正月は、毎年体重が跳ね上がる。今年もやはり同じ事になりそうだ。それでも雑煮は私の大好物。いっぱいお餅を食べて、今年一年、がんばろう。

年の終わりに民主党の終わりを見る

2011-12-28 | 政治
野田民主党内閣がやろうとしていることは、政権交代で期待した人々の希望をまったく裏切るものばかりであることがはっきりしてきた。公約=マニフェストを完全に投げ捨てて、それまで民主党が批判してきた自公政権とまったく同じ路線に舞い戻ってしまった。野田佳彦という人間が、松下政経塾出身であることから、初めからあまり期待はしていなかったが、ここまで民主党の言ってきたことと違うことをやるとは、思わなかった。甘かったようだ。

 まず、普天間基地問題。移転先を「できれば国外、少なくとも県外」と言って、結局日米同盟を優先した鳩山内閣以来、民主党政権は菅首相も野田首相も、まったく沖縄県民の意向を無視してアメリカのご機嫌だけを伺う姿勢をあらためない。辺野古に新しい基地を作るための環境アセスメント評価書を年内に提出するというオバマ大統領との約束を、何が何でも果たそうとする野田政権は、午前4時という県民の裏をかいて、沖縄県庁に運び込んだ。まさに、アメリカのために日本を売る売国行為が防衛省の手によって行われている。自公政権とどこも違わない。

 消費税の増税は、次期総選挙を経ないで行うことはないというのが、民主党の公約だった。野田首相は、マニフェストに消費税の増税をやらないとは書いていないから、やっても問題にならないと居直った。まさに強盗の論理だ。震災の復興に必要だという増税に隠れるようにして、消費税の増税を推し進めようとしている。これは経産省官僚の手のひらに乗って動く首相の行動であることは、火を見るよりも明らかだ。政治主導という公約は、野田首相にとっては雑巾のように捨てるべきもののようだ。

 そして、八ッ場ダムの事業継続。あの自民党くずれの前原元国交相ですら、政権交代直後に八ッ場ダムの事業を中止すると言った。それが無駄な大型公共事業を見直すという民主党の公約であった。それを建設省出身の国交相を任命し、ダムを造るのがもっとも安上がりだという御用学者の言を利用して、無理矢理ダムを造ろうとしている。工事費の8割近くをすでに投資しているから、最後までやるのが効率的・経済的だと言うのである。馬鹿も休み休み言って欲しい。お金に換えられない環境を守ることこそ、ダム建設反対のもっとも大きな理由なのである。それを無視した国交省の官僚の論理。そしてそういう結論が出ることを十分予想して建設省出身の国交相を任命した野田首相は、初めから公約を投げ捨てるつもりだったとしか思えない。

 ことは八ッ場ダムに限らない。沖縄の泡瀬干潟埋め立て事業でも、貴重な自然を破壊して、コンクリートで固めたスポーツランドをつくるらしい。自公政権が始めた事業を、民主党政権は受け継いで工事再開を容認してしまった。コンクリートから人へ、というすばらしい民主党の目標は、野田内閣で完全に泥にまみれた。人からコンクリートへと、震災を良い機会に、フラッシュバックが始まった。

 そして、政権交代に期待した自民党の「郵政民営化」というアメリカ資本に日本の財産を売り渡す政策を元に戻す「郵政改革法案」も、労働者の権利を踏みにじり、失業者・貧困者を増やし続ける日本の現状を変える「派遣労働改革法案」も、すべてやる気がない。野田内閣がやる気を見せているのは、消費税増税法案。毎年3万人以上の自殺者が出ている日本の現状を変えようとはしない。増税で自殺者はさらに増大するだろう。生活保護世帯は、うなぎ登りになっている。まさに99%の貧困の上に、1%の金持ちを作る政策を野田内閣は推し進めている。

 そして、TPPへの参加表明。これこそ、野田内閣が経団連に顔を向けて政治をしている最大の証拠だ。日本の農業も漁業も林業も、一次産業はすべて破壊されるのは目に見えている。そんなものはなくなっても良いが、お金儲けはしたいという一部の経営者たちの思惑に乗って、野田内閣はTPPに参加して、アメリカの、いやアメリカ資本の窮状を救いたいらしい。日本がどうなろうと、アメリカ大事と官僚の手の内で動く首相。日本人は哀しい首相をもったものだ。第一次産業は、日本の食料を作っているだけではない。日本の自然環境を守る上でも大きな貢献をしている。TPPで外国の食料を買い付けると言うことは、日本の環境を徹底的に破壊することにつながる。国栄えて山河なし。民主党は、自民党と同じ道を歩もうとしている。

 そして、野田内閣は、原発推進でこのような大規模な被害を受けているにもかかわらず、原発を再稼働させようと、画策している。さらに原発を外国に輸出するという愚かなことを積極的にすすめている。まだ東電の福島第一原発の事故が収束する目処も立っていないのに、原発を輸出するなんて、道徳的にも許されないことだ。そして、福島第一原発事故の収束宣言。これほど国民を馬鹿にした言動はない。何十万人という人が、故郷を追われて日々の暮らしに困っているのに、世界へのリップサービスのために、収束宣言をするなんて、どこまで国民を馬鹿にしているんだろう。

 そして、武器輸出三原則を緩和することを決めたという。自公政権でもやれなかった軍事優先、経済優先の政策を、民主党政権がやろうというのである。そして、アメリカのF35戦闘機を買うことを決めた。1機が100億円もするものだ。なぜ、東日本大震災の復興でお金が櫃よなと気に、国民には増税を押しつけて、アメリカの戦闘機を買うのだろう。国民よりもアメリカ大事という姿勢がこれほど露骨な民主党政権とは思わなかった。自民党以上ではないか。

民主党から離党者が次々と出ている。八ッ場ダム継続と消費税増税に反対してすべての党役員を辞任した議員も出た。野田内閣の支持率は早くも大幅に下落している。小沢一郎は、来年夏の裁判判決で無罪を勝ち取るまで、動かないつもりのようだが、事態はもっと急を告げている。野田首相は、最後のあがきで解散をするかもしれない。そうしたときに、自民党路線と本当の意味の政権交代(政策転換)を目指すグループが、政界再編を行って対立することができるだろうか。もちろん、橋下の維新の会などというのは、自民党とまったく同じ路線でしかない。いや、もっと危険な石原慎太郎やたち日のグループといっしょに、日本をファッショの世界に連れて行くグループである。日本人はもっと目を開いて本質を見抜かなければならない。

今年の終わりに、民主党政権の断末魔を見ようとは思わなかった。大震災と同じように、今年は、日本の厄災が続く。