アメトリンの日々

ちょっとした空想話です。^^

無意識にじゃましたひとたち

2021年02月17日 20時33分08秒 | 日記
   今日はくもりでした。


    
      ところで、予防の接種のおくすりですが、できるだけ、遅くはいってくるように、無意識に調整したようですが、意識的にも、無意識的にも、日本にはいってくるよくないものを、じゃまするというところが、昔から、日本の有志のひとたちの間には、あったように思ったのでした。


    モリさんのエピソードで、昔、総理だったころだったか、なにか、交渉をしようと外国のえらいさんがきて、話をしようとしたら、一貫して、ラグビーの話しかしない。とう、感じのことがあって、あいつはばかだ。話にならない。といって、お話にならなかったと、いうのがあったかと、思ったのですが、こういう、のれんに腕押し的な、すっとぼけの術と、うっかりさんを演じるということで、危機を回避するというところも、日本のおじさんたちには、昔から、伝統的にあったようでした。

 
    
     日本が圧力をかけられているのは良く知られていること、おっちゃんたちの抵抗は、続いていたのでした。


   予防のお薬の注射は、まるで、英語のようになっていますが、日本人は英語が話せないのは、教育の仕方が本気じゃなかったということで、まるで、英語がまともに発音できないように、されているかのような、ちょっと、かわった教育になっているのは、日本語が守りたいほど大事だったことと、英語が喋れるようになると、ほかの外国のひとや、ものが入りやすくなってくること、日本語の壁というのがなくなるので、防御壁がなくなるようなものだと、いうところもあったようだったようでした。


   はいってくるものは、今の世の中をみてもわかりますが、良いものだけではないということで、国民に浸透させたくないものもはいってくる可能性もおおいにあるということで、東洋のガラパゴス的な感じを残しておきたいとするならば、障壁は大きいほうが良いということで、英語を話せなくなることで、簡単に入ってこれなく、意識的にしたようだったのでした。


     のんびり、まったり、もったりとするとか、いう実は戦術もあったりするようですが、日本人特有の、おっちゃんたちの抵抗は、意識的にも無意識的にもあったようで、日本の漫画の外国の映画で再現されたときに、これじゃない感が、とても大きくなったりするのは、外国人にはわからない、独特の情緒と理解の部分があったりするのでした。


    西洋の、映画をみて、もとの、日本の漫画とかけはなれた感じになっているのを、ちがう、そうじゃなーい。と、歌いたくなってしまうのは、こちらの情緒と気持ちを理解してない、こちらの腹の底はバレていないということで、このひとたちには、わからないんだという、安心感があったりして、政治の世界でも、その感じは、おっちゃんたちの、心の戦術として、意識的にも、無意識的にも、今日も発揮されているようだったのでした。


    日本は、ある意味ガラパゴスで良かったと、思うことがあったりするのですが、トランプさんがこれから大きく勝って、せかいや周りの情勢が良くかわるまで、政治の世界の、まともなおっちゃんたちの、無意識的な心の抵抗と邪魔は、今日も、これからも続くのだろうと、思ったのでした。