アメトリンの日々

ちょっとした空想話です。^^

上空にいるのが感じられたひとたち

2021年07月31日 00時08分03秒 | 日記
    今日は晴れでした。

   ところで、この間用事でひさしぶりに炎天下のお外に出たのですが、空には大きな入道雲がでていました。遠くに見えている山より大きいので、立派な、きれいな雲だなあと思って、見ていたのでした。

   
    雲が、きれいで中に入ったら、心地よさそうだったので、龍神さまが、好きそうな、喜びそうな雲だなと連想して、久しぶりになじみのある、白い龍神さまに、心の中で呼びかけてみたのでした。

  そしたら、龍神さまのエネルギーは、大きな入道雲の中ではなくて、真上で、あったのでした。

    上空の、頭の上のほうにいらっしゃったようで、上を見てみると、小さい雲が少しあるだけで、あとは、夏の青空だったのでした。


      上か。と、思ったのですが、龍神さまのような、存在はエネルギー体なので、目には見えないのですが、夏の青空でも、快適に浮かんでおられるようでした。


       いつも、守ってくれているという、感じで、真上にエネルギーを感じたのですが、このように、上空から、そのひとを見守っている、エネルギーの良い存在も、たくさんあるのではないのかなと、思ったのでした。


     沖縄にいったときに、大きな商業施設の入り口に、見上げるような大きさの龍神さまの、対の置物が、入り口にあったのでした。

    とても、機嫌よくしているようなお顔のもので、思わず、太い胴体に抱きつきたくなったのでした。

    
     ホワイトドラゴンとの、前世との関係で、今回も龍神さまにご縁があるのか、どうも、龍神さまのの彫刻などにも惹かれるものがあるのですが、前世での、ホワイトドラゴンには、よく、ドラゴンの太ももに抱きついていました。


     ドラゴンの体は大きいので、足や、太ももまでしか、届かないというのが、あったのですが、ドラゴンの爪は、クルミのような、質感でした。

       この記憶があったのか、子供の頃は、妙に恐竜が好きで、部屋にポスターなどを貼ってみたり、粘土で友達と一緒に、恐竜を作ったりして遊んでいたのでした。


     ドラゴンと、恐竜はにているのですが、ドラゴンは架空の生き物だと、思っていたのでした。

     それは、地球の常識での話で、アトランティスなどの、ちがう世界では、また、ちがった法則や、当たり前があったりしたのでした。


     さいきんの暑さで、日差しのきつさから、近所のアスファルトの道や、歩道が夏の前よりも、浄化された状態になっているのが、わかったのですが、太陽光というのは、バツグンの浄化力があったということで、道や建物なども、眩しい光と熱で、全体的に浄化されているのかなと、思ったのでした。

とっさになにができるか思ったひとたち

2021年07月22日 17時31分08秒 | 日記
    今日は晴れています。

    ところで、体調がわるくなったり、気分がわるくなったりすると、私はティトリーで調整するのですが、意味不明の気分のわるさなどは、だいたいこれで、調子が元に戻ります。


     たとえば、外出して、妙につかれてだるいとか、ひとの中にいくとよくあるのですが、ティトリーと、ユーカリオイルを混ぜたものを吸引します。

    ほとんどこれで、気分がかわってスカッとするのですが、ひとの念やエネルギーや、よくないエネルギーのものを、浄化して、払える感じがしたのでした。

      これがないと、ムダに気分がよくないのが長引くというのか、思いも、なんでもないことを、ループするように思い出したりして、それが、止まらなくなることも、皆さんも、多いかと思いましたが、これも、切り替えができるというか、断ち切れるのでした。


      想像以上に、他人や知り合いや、家族のエネルギーの影響を受けているものだというのは、よくある感想で、よくないエネルギーのひと同士だと、それは、あまりエネルギーの大差がないので、感じないことかと、思いましたが、あったりするのでした。


      よく、旅行にいく時に考えるのは、なにかあったら、起こったらとっさになにができるかと、思ったりするのですが、たとえば、自分が気分が突然わるくなるとか、一緒にいっているひとが、体調がわるくなった場合に、使えるものとして、なにか、アイテムを持っていこうかなと、考えたりするのでした。


      病院に行くのとは、別の症状の、急に、身体が妙にだるくなったり、感情の起伏がはげしく、起こりぽくなったりイライラしたりというのは、自分のこともそうですが、これも、簡単に静める方法があるのだと、個人的には、思っていたりするのでした。


        白檀や、ホワイトセージやパロサントは、邪気払いとしてよく効きますが、火をつけないといけないというのは、旅行中では、難しいかと思われるのですが、白檀は、粉にしたものが売っています。


      これは、これで効き目があるとおもいましたが、やはり、煙にしたほうが、効き目は抜群にあるのでした。


      ティトリーや、ジュニパーベリーは精油ですが、飛行機には、持ち込めないようでした。


      飛行機にのらない旅行には、ティトリーを、持って行っているのですが、たとえば、沖縄などでは、現地で調達できるオイルなので、買ったほうがよいと、前回、旅行に行ったときに思ったのでした。


    これしきの、気分のわるさは、ティトリーで、すぐに回復できるのにと、よく、思ったからでした。

    一緒にいったひとも、その時はなにも、おこらなかったのですが、不安定な気分になった時に、これは、てきめんに効く、使えるオイルだと、思っているのでした。


       ティトリーを嗅ぐと、高い確率でくしゃみがでることがありますが、邪気というのは、くしゃみででていくことが多いそうでした。


       前回、沖縄に行ったときは、ホテルの部屋の中で、妙なエネルギーを、空間にくすみを感じたり、よどんだ感じを感じたりしたのですが、持っていっていた、神社でいただいた、破魔矢についていた鈴を、キーホルダーに3つほど、つけているのですが、それを、ふって鳴らしたりして、浄化と邪気払いをしていたのでした。

     鈴は、けっこう効き目があって、持っててよかったと、思ったのでした。


      大天使ミカエルに、白い光で包んで浄化してもらうというのも効き目はあって、これと、セットで鈴も、使っていたのでした。


      フラッシュのような、白い光を大天使ミカエルに、気分がわるくなったひとや、機嫌がわるくなったひとに浴びせてもらうというもの、効果がはっきりと、個人的にはあったものなのでした。


     ティトリーを、嗅いで出ると、外出中のバリアになるというか、気分がすぐれなくなるのを防ぐ、効果があったりしますが、便利なことだと、思ったりするのでした。


      知り合いで、ずっと、気分がすぐれなくて、実家にかえってきていると、いうひとがいるのを聞いたりするのですが、ウツの症状と、いうことだったりするのですが、西洋医学とは、また、ちがったアプローチで、治るものも、あるのだろうなと、思ったりよく、したのでした。


       まえにテレビで、お笑いのタレントさんが、急に泣き出したのをみたお寺の和尚さんが、タレントさんの背中に喝をいれて、邪気を払ってくれていました。

       和尚さんにしてみたら、情緒不安定は、邪気のついた結果で、それを払うは、あたりまえの、日常のことのようでした。

      
      こんな、感覚で私も、ティトリーやら、白檀やらをつかったり、書いてみたりしているのですが、ジャンルがちがうと、症状にたいする受け止め方もちがって、結果、アプローチの方法もちがってくると、いうことのようでしたが、こっちの方法や知恵も、活用してみるのは、良いことなのではないのかなと、よく、いつも思ったのでした。

見物にきているひとたち

2021年07月11日 14時48分08秒 | 日記
     今日は晴れています。

   もう、セミが鳴いていますが、毎年、セミが鳴き始めると、うれしくなってテンションが上がるのでした。


     ところで、地球には、世界には見物にきているひとたちがいますが、まるで、タイムトラベラーのように、現実の世界にどっぷりとはまらないで、第三者的な、観光客のような、感じのひとたちがいたりしました。

   このひとたちの瞳は、いつもどこか遠くをみていて、現実の世界に関心がないというか、もうひとつの客観的な視点から、ほかの世界との焦点を合わせながら、自分の知っている世界とのちがいを、楽しんでいるように見えました。


 音楽の、アーティストのひとなどにも多いですが、西洋のひとにも、多く見られました。

  このひとたちは、旅行できているので、感覚的には現実に引っぱられないで、いくつかの、旅先のできごととして、今を生きているわけですが、経験と、転生の回数が多いので、年齢よりは、達観したようにみえることがありました。

   物語の、ひとつのエピソードを経験していると、自覚があるようで、それが、潜在意識のズレがない状態といいますが、現実の世界を生きていても、振り回されることが、ないように思えます。

   前の世界とは、ほかの世界とは、ずいぶんとちがっておもしろいな。と、あちこち、きょろきょろと見ながら、現実の世界の、ほかの登場人物のひとたちと、混じっていたりしたのでした。


    正面を向きながら、すこしちがう方向を見ているというか、周りが混乱していても、そのひとのまわりだけ、そよかぜが吹いているような、景色から浮いて見えるような時もあります。

    このひとたちは、アーティストとして、多くのひとの目にふれることもあるのですが、その姿は、ほかの、同じような旅人の感覚で着ている人たちには、自分と同じ、ほかのひととちがうと、わかるものであったりしたのでした。

     アセンデッドマスターのような、覚醒したひとが、地球に転生してくる時には、名もない靴の修理屋さんになってたりすることもあって、本人も、前回の自分の正体を忘れている時があるということを、エピソードとして、シルバーバーチの中に書いてありましたが、庶民の中に、覚醒したひとが、魂の年齢の古いひとたちが、混じっているというのも、当たりまえの、よくあることだったり、したのでした。


      瞳が、ほかのひととちがうのが特徴としてありましが、身のこなしや空気感なども、地球のひとたちとは、ちがうところがあったりしたのでした。


       アトランティスの関連のひとたちも、見た目や空気感に特徴がありましたが、あなたは、そこに、いたんですね。という、安心感というか、なつかしい感じが、すぐにわかってみてとれたのでした。

シフトしたひとたち

2021年07月09日 12時32分38秒 | 日記
   今日はあめです。

    ところで、8という数字が好きなのですが、陽のエネルギーで、明るいので好きなのです。

    久しぶりに、ブログを更新しようかなと、思っていたのですが、佳境にはいったら、教えて。というような、中だるみの長い映画を見ているような感覚で、しばらく、書くような内容のこともないなー。と、思っていたのでした。

   気がのらないというのは、なんでもあるものですが、明日は、8という数字で、書こうかなと、思っていたのでした。

     前日に、気持ちよくかけるように、ウォーミングアップとして、ユーチューブを見て、音楽とPVもみて、おでこのチャクラを活性化しておいたのでした。


      このひとつまえの、ブログをあげた瞬間に、その時の天気はくもり空だったのですが、暗いくもり空から、明るいくもり空に、急にかわったのが、わかったのでした。


     なんだ。急に明るくなったなと、思ったのですが、蛍光灯か、LEDをつけたみたいに、曇り空がパッと明るくなって、なんだろうな。と、思ったのですが、シフトした時に、起こった現象だと、気がついたのでした。


     ビートたけしさんがまえに、どこかのインタビューで、大学に通っていたときに、芸人に進む道に決めた時に、天気がかわったといっていましたが、天気というか、天候というか、街の景色や、空の景色が風景が、一変したというか、同じ風景の、街並みの、少しちがった、写しのせかいに移動したというような、ことを書いてありましたが、これは、次元上昇中では、私もこれまで、たびたび経験してきたことだったのでした。


      たけしさんのころは、次元上昇ははじまってなかったと、思いましたが、そのひとが、進む道を決めた時に、意識が違う世界にシフトしたと、いうことだったのかなと、思ったのですが、並行世界や。世界線とよく、さいきんではいわれているようですが、これが、次元上昇中では、けっこう頻繁に、現象として、起こってきたのでした。


    真空状態にいるような、ワープ中の宇宙船の中にいるように、なった時がよくあったのですが、その先のせかいは、シフトするまえよりは、雑味がとれた、とても、静かな、せかいで、よく、街の中の人口が急に減ったのではないのかというくらいの、ギャップのあるような、静けさを感じたのでした。


        こうやって、だんだん、静かなせかいに移行していくわけですが、アセンションでおこるであろうということは、本やチャネリングなどで、予告されていて、こういう、ことだったのかと、よく、思ったりしたのでした。


     このせかいに、少し進んださきは、ニュースもまえのせかいから、変わっているはずで、ワクチンでは、イギリスでは、変異株には対応できないと思った感じで、投げた感じで、もう、それが、情報として、ニュースとして、上がってきたのでした。


     これで、日本では、ワクチン一本頼みという、ことはできなくなったというのが、決定的になってきたのですが、これから、世界とのギャップをどうやってごまかすのかなと、思ったのですが、それも、できなくなってきたので、ワクチンって、意味ないじゃーん。と、いう、元の最初からの、設定に戻ったうえで、予防薬を開発、許可、認可しましょうかと、くらくらしながら、思い始めるのかなと、思ったのでした。


     なぜ、それでいけると思ったのかはわからないですが、これまで、ワクチン頼みだったので、それが、崩れてしまったわけですから、ダメージも大きいのか、ショックをかくせないように、なってきているのが、わかってきたのですが、クラクラしてないで、元の路線で、新しい道をいったほうが、王道だろうなと、思ったのでした。


     陰湿な、対応というのは、次元上昇の地球には合わないもので、即効で良いエネルギーがウォッシャブルにはいるような、感じでしたが、雨がふると、水たまりができますが、へこみのある部分には、水がたまりやすくなります。


    これと、同じで陰のエネルギーというのも、環境の条件のよくないところにたまる傾向があって、ここは、ラッキーや、運に見放されるのでした。

    蜂は、黒いものを攻撃する習性があるようですが、これにも、似ていて、ネガティブなエネルギーに波長が同調している状態だと、陰の気がつよい状態ですが、ネガティブなエネルギーが寄ってきて、結果、自滅するというような、感じになっているのでした。


    お風呂にはいって、キレイにしないと、ハエがよってきますが、ネガティブなエネルギーも、同じもので、陰の気が強いままだと、アンラッキーばっかり、引き寄せてしまうという結果になってきて、運動の、競技のことも、こんな感じだったですねと、思ったのでした。

チーターだったひとたち

2021年07月08日 12時01分39秒 | 日記
   今日はくもっています。

  ところで、吉報と、いえば、ついさいきん、日本のコロナの飲む予防薬で、世界でも効果が認められている、お薬の発見者で開発者の方が、日本の製薬会社の社長さんにお願いして、国内でコロナの治療薬として販売してほしいと、承認できるように、頼まれたそうでした。

 イベル。というお薬ですが、並行せかいや、並行して今が展開してるみたいになっていますが、この、情報にいきつくひとと、いきつかないひとたちが、ネットを使えるひとでも、わかれているようでした。


    いくつもの、ちがうバージョンに派生した地球に時間の経過とともに、進む道ができてきたようですが、ワクチンしか、信じないひとたちは、リサーチもしないままに、いってしまうようでした。

   このところの、印象的だったのは、デルタ株には、ワクチンは効き目がすくないと、発表されているのに、型遅れのワクチンを、勧めている、センモンカの、方々で、そのことにふれられると、目が泳ぎ出すのが、印象的でした。

   型の古い、バージョンになってきた、今あるワクチンは、デルタ株には、対応できないようですが、これを売る会社の社長さんも、正直なひとなのか、おっかなびっくりしていて、目が、定まっていなかったのでした。

    こうなるであろうと、いうことは、専門のひとほど、くわしく予想できたはずですが、でもワクチンうちたいの。という、流れと雰囲気で、同調の圧力で、というところかなと、思ったのですが、男気のある、すばらしいひとたちが、だから、変異にもたいおうできないワクチンではなくて、対応できる、飲む予防薬が、国内で使えるようにしたら、いいじゃんと、別の路線で走り始めたのかなと、思ったのでした。


       
     ところで、トランプさんは、お元気でなによりですが、やっぱり、オーラがすばらしいというか、王者の風格というものは、アメリカの大統領として、ふさわしいひとだと、思ったのでした。

    このエネルギーは、アメリカのひとびとや、国を愛していないひとには、出てこないもので、トランプさんには、温かな、熱いエネルギーを感じたのでした。


    ちなみに、田舎の親類で、ワクチンをうったひとが、お年寄りでいるのですが、臆病な、ことをいっていないで、打ってしまえばいいというような、男の肝試しのような、感じで誇っていましたが、お好きに、なさったらよいのでは、ないのかなと、思ったのでした。


     いろんなことは、今はまだワクチンの治験中ということで、データは時間差ででてくるところですが、それもまた、よいのではないのかなと、思ったのでした。

   
   まえに、テレビで見た、内容で、チーターの保護をして、野生の環境に返す活動をされている方がいました。

     その時の、チーターは二匹の兄弟で、兄は闊達で、弟は慎重で臆病だと、いうことでした。


      サバンナの、保護地域にはなされたチーターは、無事に、人間の手をはなれて、野生のせかいにとけこめるか、保護活動をされたひとは、心配していました。


   発信器をつけられたチーターは、様子を撮影されていましたが、兄のほうは、怖いもの知らずで、ライオンにつっかかっていったり、ハイエナの群れに、ひとりで飛び込んでいったりしていたようでした。

    
      生き残ったのは、弟のチーターのほうで、保護されていたひとの危惧されていたとおり、経験の浅い、考えの浅い、兄のほうは、いなくなっていたのでした。

    無謀すぎると、いう行動を繰り返していた、兄のチーターのほうは、生き残れなかったようだったのでした。

     慎重な、弟のほうは、保護してくれていた、ひとが呼ぶと、姿を現して、安心したように、すぐに隣で、ピタッと猫のようにくっついて、寝転んでいたのでした。


    どちらのチーターも、保護して育てたひとには、子供のような、存在で、弟のチータが無事な姿を現して、横に寝そべった時は、そのひとは、大きな、安堵のため息をもらしていたのでした。


     いっても、きかないひとたちというのは、いますが、この、言葉の通じないチーターの時のように、あとは、本人の性格と判断にまかせるしかないと、思う時があったのでした。


       痛い目に合う前に、それを予想して、思いとどまるひとと、痛い目にあってから、気づくひとと、痛い目にあってからも、わかっていないひとがいたりしますが、兄のチーターのようなひとたちは、けっこういて、あの時のテレビの、チーターのことを、よく、思い浮かべたのでした。