今日は晴れでした。
ところで、歌を歌うひとたちで、才能や技巧ではなくて、魂で歌っている人たちがいるのですが、天性のものなので、こりゃー、かないませんわ。と、思ったひとたちが、いたりしたのでした。
外国のアーティストのひとに多い象ですが、日本よりも、自由な環境だと、いったことがあったのか、技巧など、修正されていない感じがしたのでした。
履歴で、謳っているので、本人がまるで貴重な楽器のような、状態になっているのですが、歌詞が英語でわからなくても、映画を見るように、情景が浮かんだりするのでした。
言葉というのは、限られた、やっかいなもので、エネルギーで読むようになると、感性だけが、伝わってくるようになるのでした。
津軽三味線の、名人が奏でる曲は、楽器がまるで生き物みたいで、他のひとがまねできない域まで、達していたのですが、次元が少し上にあるような、響きになっていたのでした。
子供のころから、とても練習したのだと、いっておられたのですが、ふっと、階段を上がるように、上からのせかいの、響きをだせるようになったのかなとか、思ったのでした。
日本画でよく思うのですが、音楽でも歌でも神さまや、一段階上にある、良い存在がおりてきた状態のような、絵や音楽があったりするのでした。
良い存在は、神さまでも、天使でも、普通におりてきてくれるものですが、そのエネルギーがのりうつったひとたちは、謳っている間や、絵を書いている間は、神がかった状態になって、この世のものとは思えない、素晴らしい作品を、みせてくれたり、するのでした。
上のせかいからの、エネルギーがはいっているとか、いう作品はとても多くあって、やっぱり、ほかの作品とちがう、光ったような、輝きをもって、まったく、別物であると、ほかの作品を圧倒していたり、したのでした。