ヨハネの黙示録 5章
あなた(小羊イエス)こそは、その巻物を受け取り、封印を解くにふさわしい方であります。(5・9)
黙示録に記された患難期の預言は、恐怖心をあおるのが目的ではありません。むしろその逆です。患難期は神の御国の実現に向けて経なければならない「きよめの期間」です。つまり、きよめられた先に希望があるわけです。だから、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」のです(マタイ24・13)。主を信頼して耐え忍ぶようにと教えています。
さて、天上では「封印された巻物」が登場します(黙5・1)。この巻物には世の終わりの、しかも最終段階について記されています。それは、神が御国を完成なさる最終段階のことであり、その直前には患難の期間があるのだと記されています。
世の終わりと御国の完成を預言したダニエル書は、「この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます」と記録しています(ダニ12・9)。つまり、最終段階のことは封印されています。その封印は解かれないまま患難期まで持ち越されたと考えられます。
冒頭の聖句が示すように、神の小羊であるイエス・キリストこそ封印を解くにふさわしいお方です。つまり、封印された預言を成就するのはイエス・キリストだという意味です。その封印が解かれる毎に、患難期がひとつずつ実現するわけですが、同時に御国の完成へとひとつずつ近づくことになります。
神の国の完成のために、神はどのようなご計画をお持ちなのでしょうか。再びダニエル書をひもとくことにします。
「あなたの民と、あなたの聖なる町については、70週が定められています。これは咎を終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。」(ダニ9・24)
預言によれば、神の御国が完成するために「70週」が定められています。この場合の1週は7年を意味します。さらに預言は続きます。
「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤ(油注がれた者)なるひとりの君が来るまで、7週と62週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」(ダニ9・25)
※一般的にこの70週のことを〝ダニエルの70週〟とよぶ。その内、9章25節では「7週と62週」が経過、つまり70週のうち69週が経過する。この聖句は口語訳を要参照。
「エルサレムを建て直せ」とは、紀元前445年ペルシャのアルタシャスタ王の勅令のことです。聖書の記録によれば、ネヘミヤがエルサレム再建のために派遣された時のことです(ネヘ2・1~8)。その時から7週と62週……合計69週を経て「エルサレムは広場と街路とをもって建て直され」ました。
こうして69週(7年×69=483年)を経てキリストが登場すると預言されています。しかし、キリストは「断たれる」のです。
「その62週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。」(ダニ9・26)
預言通りキリストはエルサレム再建命令(ネヘ2・1)から483年を経て来られましたが、十字架で殺されました。つまり〝メシヤは断たれた〟のです。
その後、エルサレムの都と神殿は、来るべき君の民―反キリストの軍隊のこと―によって破壊され、その荒廃は終わりまで続きます(ダニ9・26)。ここまでが70週の内の69週までの預言です。
残っているのは1週……つまり7年です。この最後の1週についてこう預言されています。
「彼は1週の間、多くの者と堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです。」(ダニ9・27)
この「彼」とは、文脈上はエルサレムを破壊した軍隊の「君」であり、ダニエルの預言した「第四の獣」のことです。この人物こそが反キリストです。預言では、残りの1週に彼がイスラエルと契約を結ぶことになっていますが、これはまだ実現していません。
つまり、69週までは実現していますが、残りの1週はこれからです。69週と1週との間に〝挿入された期間〟が生じています。
これが異邦人の救いの完成する期間、あるいは教会時代とも呼ばれる期間のことです。この「異邦人の救いの期間」とか「教会時代」が終わると、教会は天に引き上げられます。つまり携挙が起こるわけです。この時を契機に最後の1週(7年)が始動することになるはずです。
黙示録を読み進めて行くと分かることですが、患難期は7年続きます。この患難期の半ば、つまり3年半の時点で反キリスト(獣)は契約を破棄し、自分こそ神であると宣言して本性を現します。 ※この1週の後半……最後の3年半が最も厳しい時代になるので、〝大〟をつけて「大患難期」とよぶこともある。
こうして見ると、ダニエル書に預言された70週の最後の1週が、黙示録の患難期に相当することが分かります。患難期は大変な時代ではありますが、それは失望ではありません。神の御国の完成を目前にしているのです。このことは、どんなに厳しい時代を迎えても、そこには希望があることを教えています。
この巻物の封印がひとつひとつ解かれることによって、地上では神のさばきが始まります。神の御国を完成するために、サタンとその悪しき業をさばいてきよめるのです。
この時、サタンの側について罪にとどまり続ける人々は、サタンと一緒に神の御怒りのもとに滅ぼされます。しかし、イエスを信じた者はこのさばきを受けません。なぜなら、主がすでに十字架で代わりにさばきを受けてくださったからです。今後この世界がどのようになって行こうとも、この約束にしっかりとどまっていてください。
前置きが長くなりました。本題に戻ります。封印された巻物を手にしているのは、天の御座についておられるお方です(5・1)。このお方は4章2節でも記されていますが、姿や形は描写されていません。天の父なる神であると思われます。
この父なる神から〝小羊〟が巻物を受け取り、封印を解いて行かれるわけです。この小羊とはイエス・キリストです。神の御子です。小羊なる御子イエスが巻物を手にして、いよいよ最後の預言が成就して行きます。さばきであると共に完成の時です。ですから、天では賛美の大合唱がささげられます。
四つの生き物と24人の長老たちの賛美(5・8~10)。数え切れない程の天使たちの賛美(11~12)。そして、被造物たちによる大合唱です(13~14)。天での荘厳な礼拝です。圧巻の風景です。
その賛美の言葉に共通しているのは「小羊こそ〝ふさわしい〟」という表現です。小羊であるイエスこそ、巻物の封印を解くのにふさわしいお方です(9)。神の御国の完成に向かってさばきをなさるのは、イエス・キリストが一番ふさわしいです。適任です。他のどんな人物も神の国を完成することはできません。
また、小羊なるイエス・キリストこそ「力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」お方です(12)。さらに「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」です(13)。
逆に言えば、神以外のいかなる者も相応しくないのです。天使が、力や富・知恵・勢い・ほまれ・栄光・賛美を受けるのは相応しくありません。しかし、受けようとして堕落した天使がいます。サタンとその仲間たちです。
人間も同じです。どんなに優秀な人間でも、賛美と誉れと栄光と権力を受けるのは相応しくありません。それを自分が受けようとして、人は堕落し破滅してしまいます。われらの神、イエス・キリストにこそ栄光がありますように。
◆◆◆◆◆◆
封印された巻物といえば、もうひとつ興味深い記録があります。それは旧約の預言者エレミヤが甥の土地を買い戻した時、土地の所有権を記した巻物に封印をした出来事です(エレミヤ32章)。
時はすでにバビロン軍に包囲されており、侵略と破壊が間近に迫っていました。そんな状況で、土地の所有権など何の意味があるでしょう。
それなのに、神はその土地を買い戻すように命じられ、エレミヤは命令に従って土地を買い戻し、土地の買い戻しの権利書を「封印」して壺に入れ、その土地に埋めました。
これは何を意味するのでしょうか。たとえこれから混乱した時代になっても、神はご自分の所有としたものを必ず買い戻すことの意思表明です。
全地は創造主である神の所有です。神の栄光のために造られたこの世界は神のものです。しかし、アダムとエバがサタンにだまされて以来、サタンが支配するところとなっています(Ⅰヨハネ5・19)。
そこで神は、それを買い戻すために御子イエスの血を流されました。あの十字架の血は、人類を贖うためでありましたが、同時に全世界を贖うための支払いでもありました。
このように、神は、人類を買い戻すだけでなく、万物をも神の所有として買い戻すおつもりです。あの十字架の支払いによって、神は「買い戻しの権利証書」を手にしておられます。あとは、その権利証書にもとづいて実行に移すだけです。
それをなさる権威と力のある方はイエス・キリストです。いよいよ小羊なるキリストが封印を解いて、この地を神の国として買い戻す計画が実行に移されようとしているのです。
御国が来ますように祈りましょう。国と力と栄光はイエス・キリストのものなのですから…。
あなた(小羊イエス)こそは、その巻物を受け取り、封印を解くにふさわしい方であります。(5・9)
黙示録に記された患難期の預言は、恐怖心をあおるのが目的ではありません。むしろその逆です。患難期は神の御国の実現に向けて経なければならない「きよめの期間」です。つまり、きよめられた先に希望があるわけです。だから、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」のです(マタイ24・13)。主を信頼して耐え忍ぶようにと教えています。
さて、天上では「封印された巻物」が登場します(黙5・1)。この巻物には世の終わりの、しかも最終段階について記されています。それは、神が御国を完成なさる最終段階のことであり、その直前には患難の期間があるのだと記されています。
世の終わりと御国の完成を預言したダニエル書は、「この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます」と記録しています(ダニ12・9)。つまり、最終段階のことは封印されています。その封印は解かれないまま患難期まで持ち越されたと考えられます。
冒頭の聖句が示すように、神の小羊であるイエス・キリストこそ封印を解くにふさわしいお方です。つまり、封印された預言を成就するのはイエス・キリストだという意味です。その封印が解かれる毎に、患難期がひとつずつ実現するわけですが、同時に御国の完成へとひとつずつ近づくことになります。
神の国の完成のために、神はどのようなご計画をお持ちなのでしょうか。再びダニエル書をひもとくことにします。
「あなたの民と、あなたの聖なる町については、70週が定められています。これは咎を終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。」(ダニ9・24)
預言によれば、神の御国が完成するために「70週」が定められています。この場合の1週は7年を意味します。さらに預言は続きます。
「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤ(油注がれた者)なるひとりの君が来るまで、7週と62週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」(ダニ9・25)
※一般的にこの70週のことを〝ダニエルの70週〟とよぶ。その内、9章25節では「7週と62週」が経過、つまり70週のうち69週が経過する。この聖句は口語訳を要参照。
「エルサレムを建て直せ」とは、紀元前445年ペルシャのアルタシャスタ王の勅令のことです。聖書の記録によれば、ネヘミヤがエルサレム再建のために派遣された時のことです(ネヘ2・1~8)。その時から7週と62週……合計69週を経て「エルサレムは広場と街路とをもって建て直され」ました。
こうして69週(7年×69=483年)を経てキリストが登場すると預言されています。しかし、キリストは「断たれる」のです。
「その62週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。」(ダニ9・26)
預言通りキリストはエルサレム再建命令(ネヘ2・1)から483年を経て来られましたが、十字架で殺されました。つまり〝メシヤは断たれた〟のです。
その後、エルサレムの都と神殿は、来るべき君の民―反キリストの軍隊のこと―によって破壊され、その荒廃は終わりまで続きます(ダニ9・26)。ここまでが70週の内の69週までの預言です。
残っているのは1週……つまり7年です。この最後の1週についてこう預言されています。
「彼は1週の間、多くの者と堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです。」(ダニ9・27)
この「彼」とは、文脈上はエルサレムを破壊した軍隊の「君」であり、ダニエルの預言した「第四の獣」のことです。この人物こそが反キリストです。預言では、残りの1週に彼がイスラエルと契約を結ぶことになっていますが、これはまだ実現していません。
つまり、69週までは実現していますが、残りの1週はこれからです。69週と1週との間に〝挿入された期間〟が生じています。
これが異邦人の救いの完成する期間、あるいは教会時代とも呼ばれる期間のことです。この「異邦人の救いの期間」とか「教会時代」が終わると、教会は天に引き上げられます。つまり携挙が起こるわけです。この時を契機に最後の1週(7年)が始動することになるはずです。
黙示録を読み進めて行くと分かることですが、患難期は7年続きます。この患難期の半ば、つまり3年半の時点で反キリスト(獣)は契約を破棄し、自分こそ神であると宣言して本性を現します。 ※この1週の後半……最後の3年半が最も厳しい時代になるので、〝大〟をつけて「大患難期」とよぶこともある。
こうして見ると、ダニエル書に預言された70週の最後の1週が、黙示録の患難期に相当することが分かります。患難期は大変な時代ではありますが、それは失望ではありません。神の御国の完成を目前にしているのです。このことは、どんなに厳しい時代を迎えても、そこには希望があることを教えています。
この巻物の封印がひとつひとつ解かれることによって、地上では神のさばきが始まります。神の御国を完成するために、サタンとその悪しき業をさばいてきよめるのです。
この時、サタンの側について罪にとどまり続ける人々は、サタンと一緒に神の御怒りのもとに滅ぼされます。しかし、イエスを信じた者はこのさばきを受けません。なぜなら、主がすでに十字架で代わりにさばきを受けてくださったからです。今後この世界がどのようになって行こうとも、この約束にしっかりとどまっていてください。
前置きが長くなりました。本題に戻ります。封印された巻物を手にしているのは、天の御座についておられるお方です(5・1)。このお方は4章2節でも記されていますが、姿や形は描写されていません。天の父なる神であると思われます。
この父なる神から〝小羊〟が巻物を受け取り、封印を解いて行かれるわけです。この小羊とはイエス・キリストです。神の御子です。小羊なる御子イエスが巻物を手にして、いよいよ最後の預言が成就して行きます。さばきであると共に完成の時です。ですから、天では賛美の大合唱がささげられます。
四つの生き物と24人の長老たちの賛美(5・8~10)。数え切れない程の天使たちの賛美(11~12)。そして、被造物たちによる大合唱です(13~14)。天での荘厳な礼拝です。圧巻の風景です。
その賛美の言葉に共通しているのは「小羊こそ〝ふさわしい〟」という表現です。小羊であるイエスこそ、巻物の封印を解くのにふさわしいお方です(9)。神の御国の完成に向かってさばきをなさるのは、イエス・キリストが一番ふさわしいです。適任です。他のどんな人物も神の国を完成することはできません。
また、小羊なるイエス・キリストこそ「力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」お方です(12)。さらに「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」です(13)。
逆に言えば、神以外のいかなる者も相応しくないのです。天使が、力や富・知恵・勢い・ほまれ・栄光・賛美を受けるのは相応しくありません。しかし、受けようとして堕落した天使がいます。サタンとその仲間たちです。
人間も同じです。どんなに優秀な人間でも、賛美と誉れと栄光と権力を受けるのは相応しくありません。それを自分が受けようとして、人は堕落し破滅してしまいます。われらの神、イエス・キリストにこそ栄光がありますように。
◆◆◆◆◆◆
封印された巻物といえば、もうひとつ興味深い記録があります。それは旧約の預言者エレミヤが甥の土地を買い戻した時、土地の所有権を記した巻物に封印をした出来事です(エレミヤ32章)。
時はすでにバビロン軍に包囲されており、侵略と破壊が間近に迫っていました。そんな状況で、土地の所有権など何の意味があるでしょう。
それなのに、神はその土地を買い戻すように命じられ、エレミヤは命令に従って土地を買い戻し、土地の買い戻しの権利書を「封印」して壺に入れ、その土地に埋めました。
これは何を意味するのでしょうか。たとえこれから混乱した時代になっても、神はご自分の所有としたものを必ず買い戻すことの意思表明です。
全地は創造主である神の所有です。神の栄光のために造られたこの世界は神のものです。しかし、アダムとエバがサタンにだまされて以来、サタンが支配するところとなっています(Ⅰヨハネ5・19)。
そこで神は、それを買い戻すために御子イエスの血を流されました。あの十字架の血は、人類を贖うためでありましたが、同時に全世界を贖うための支払いでもありました。
このように、神は、人類を買い戻すだけでなく、万物をも神の所有として買い戻すおつもりです。あの十字架の支払いによって、神は「買い戻しの権利証書」を手にしておられます。あとは、その権利証書にもとづいて実行に移すだけです。
それをなさる権威と力のある方はイエス・キリストです。いよいよ小羊なるキリストが封印を解いて、この地を神の国として買い戻す計画が実行に移されようとしているのです。
御国が来ますように祈りましょう。国と力と栄光はイエス・キリストのものなのですから…。
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