朝マナ

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ヨハネの黙示録 6章

2023年04月21日 | ヨハネ黙示録
ヨハネの黙示録 6章
地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに身をかくした。御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか。
(6・15~17)


いよいよ小羊によって巻物の7つの封印が解かれます。7年の患難期の始まりです。ダニエルが預言した70週のうちの最後の1週が動き始めるのです。

ひとつの封印が1年に相当するのではありません。封印は年数をあらわしていません。7つの封印で語られる預言は、この患難期全体の大まかな内容を示しています。その詳しい内容は、その後に続く「ラッパの預言」「鉢の預言」で明らかにされると解釈するのがよいと思っています。

7つの封印を順々に解いて行き、7番目の封印を解くと、7つのラッパの預言が出てきます。これも順々に吹き鳴らされて各々の預言が語られます。

7番目のラッパが吹き鳴らされると、7つの鉢の預言が出てくる……といった構図になっています。ロシア人形のマトリューシカに似たところがあります。では、順に封印を解いてみましょう。

第一の封印……白い馬(支配者登場)

彼こそ反キリストです。サタンが人となったような人物です。テサロニケの手紙では「不法の人」とも呼ばれています。

彼は弓を手に持っており、また冠が与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出かけた(6・2)と預言されているように、反キリストは卓越した手腕で世界的なリーダーとして台頭し、様々な戦いを足がかりにして権力を手中におさめるでしょう。

ダニエルの預言によれば、この反キリストはイスラエルと契約を結ぶことになっています(ダニ9・27)

その画期的な契約によって、世界の火薬庫と呼ばれる中東問題を解決するのではないかと思われます。その功績が評価され、反キリストは世界的なリーダーとして台頭するようになり、人々の目には世界を統治するにふさわしい〝救い主〟のように見えるでしょう。そのため人々は彼の世界統治を承認するのです。 ※混乱した時代になればなるほど強力な統治を必要とする。戦争や紛争、世界規模の感染症等々に協議や多数決では時間がかかりすぎて、人々は疲弊し、民主主義より強力な独裁者を切望する気運となるだろう。それが正しい独裁者なら良いが……それはあり得ない。混乱した世界情勢は獣と呼ばれる反キリストの登場につながるだろう。

第二の封印……赤い馬戦争

「それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きな剣を与えられた」とあるように(6・4)、戦争によって世界の平和は瓦解します。

第三の封印……黒い馬飢饉

すると「小麦1枡が1デナリ、大麦3枡も1デナリ」という状況が記されています(6・6)。当時の物価で小麦8枡が1デナリでしたから、その水準からすれば異常な物価上昇です。庶民の穀物である大麦でさえも3枡が1デナリというのは激しい高騰ぶりです。戦争よって食糧難が発生するのでしょう。

第四の封印……青白い馬

その者の名は「死」です(6・8)。地上の4分の1の人々を死に追いやることになります。戦争や飢餓によって多くの人が死滅するようです。このような多くの死は、疫病によってもあり得ることです。

かつて14世紀に欧州で流行したペストによって欧州人口の3分の1が死亡、1918年のスペイン風邪※によって6億人が感染し4~5千万人が死亡しました。このような記録は黙示録の預言を想起させます。

  ※20世紀初頭に流行ったスペイン風邪は鳥インフルエンザに由来するものであった。日本では人口5500万人のうち39万人が死亡。人の往来いちじるしい現代であれば被害は爆発的なものになるだろう。また、原発とその使用済み核燃料の事故も原因になるかも知れない。
 ※21世紀に入って「新型コロナウィルス」が全世界に猛威を振るっている。人類は昔からウィルスと共存してきた。多数の死者を出しながら免疫を獲得しつつ現代まで来ているが、未知のウィルスは無数である。人類は未開の地に足を踏み入れ、深海にまで手を伸ばしてる。どんなウィルスと遭遇するか未知数である。その度に多くの死者を出すだろう。

第五の封印……殉教

神の言のゆえに、また、その証しを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを見た(6・9)と記されているのは、患難期に入ってからイエスを信じ、それゆえに殉教した人々です。

この人々とは、教会が天に引き上げられた後、つまり携挙の後にイエスを信じた人々です。この中には、かつては信仰が曖昧だったがこの期に及んで明確に信じて殉教に至った人もいるでしょう。以前は、福音を聞いたが侮ったり、信じ切れずにいたのですが、携挙という出来事を目の当たりにして、改めて聖書を読み、信仰に目覚める人もいます。

また、第7章で取り上げることになりますが、イスラエル(ユダヤ人)の14万4000人の伝道者によって世界宣教がなされるでしょう。すると、これによって、長い間、心をかたくなにしてきたユダヤ人がイエスを信じるようになるはずです。また、その世界宣教よってユダヤ人以外の多くの人々も信じるようになるでしょう。

こうして、神の刈り取りの時代……つまり、大収穫の時代を迎えるのです。この時代ほど、主イエスの御言が現実味をおびて感じられる時代はないだろうと思います。

主イエスは、「肉体を殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」と言われました。それは、反キリストが実権を握る時代にイエスを信じることは殉教を意味するからです。

患難期に殉教した人々の霊魂が祭壇の下で叫んでいます(6・9)。旧約のレビ記によるなら、犠牲の血は祭壇の下に注ぎました。まさに殉教者の血もそのように祭壇の下で叫んでいます(レビ4・7)

聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、私たちの血の報復をなさらないのですか(黙6・10)。しかし、最終的な神のさばきはもう少し後のことになります。でも、確実にさばきはなされます。

黙示録の預言は、さばきによって滅び行く悲惨な出来事に注目しがちですが、一方でこの10節のように、正しいさばきを切望しながら非業の死を遂げた人々の叫びを忘れてはなりません。最終的には、神はご自身の義を基準に公平におさばきになるのです。

第六の封印……天変地異

神はなぜこのような恐ろしいことをゆるされるのですか。黙示録だけを見てそう感じてしまうのも仕方がありません。しかし、旧約から今日に至る罪の歴史を知ると、いかにおぞましく、かつ多くの血が流されてきたことでしょう。患難期の出来事は、そのような罪に対する神の御怒りです。サタンとそれに追従した者たちへのさばきなのです。

それと同時に、神は人類に悔い改めを迫っておられるのです。

出エジプトの直前になされたエジプトへの神のさばきを思い出してください。エジプトの王パロは、悔い改めるチャンスがあったにもかかわらず、何度も心をかたくなにしました。

患難期における人々の反応はふたつに分かれます。悔い改めて神に立ち返る者と、心をかたくなにして神をのろう者とのふたつです。

黙示録の預言では、多くの人々は神の御怒りから逃れようと、ほら穴や岩かげに身を隠します(6・15)。そして言うのです。我々をおおって御座にいます方の御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日がすでに来たのだ。だれが、その前に立つことができようか。(6・16~17)

そうです。だれも神の御怒りから逃れることはできません。しかし、唯一の隠れ場所があります。それは主イエスの十字架です。この十字架だけが、神の御怒りからかくまってくれます。

前述の出エジプトの際にも、神のさばきとして10の災いが臨みましたが、神を信じていたイスラエルの民は守られました。

これは終末の患難期の予表でもあります。エジプトでは最後の10番目の災いの時、小羊の血を玄関に塗ったイスラエルの家だけが死をまぬがれました。神の小羊であるイエスの血、十字架の血は私たちを御怒りから救うのです。主イエスこそ我が隠れ場です。詩篇の作者も次のように告白しました。あなたは我が隠れ場、我が盾です(詩119・114)


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