エゼキエル書 18章
わたしは何人(なんびと)の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなた方は翻って生きよ。(18・32)
当時のエルサレムでは「父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯が浮く」という諺(ことわざ)が流行(はや)っていました(18・2)。
人々は、今日のエルサレムの困窮は、先祖たちの罪の結果を背負わされているのだと考えていたのです。自分の罪の責任を先祖になすりつける、無責任な言葉です。
しかし主は、「とんでもない。各自は自分の罪によって滅びるのだ」と言われます。「自分がこれらすべての忌みきらうべきことをしたのだから、彼は必ず死に、その血の責任は彼自身に帰する」のです(18・13)。
だれかの責任にしたり、言い逃れようとしないで、自分自身の罪の重さと向き合いなさいと、主は言われるのです。自分の罪を認めて、悔い改めることから、新しい道は開けます。
わたしは何人(なんびと)の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなた方は翻って生きよ。(18・32)
当時のエルサレムでは「父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯が浮く」という諺(ことわざ)が流行(はや)っていました(18・2)。
人々は、今日のエルサレムの困窮は、先祖たちの罪の結果を背負わされているのだと考えていたのです。自分の罪の責任を先祖になすりつける、無責任な言葉です。
しかし主は、「とんでもない。各自は自分の罪によって滅びるのだ」と言われます。「自分がこれらすべての忌みきらうべきことをしたのだから、彼は必ず死に、その血の責任は彼自身に帰する」のです(18・13)。
だれかの責任にしたり、言い逃れようとしないで、自分自身の罪の重さと向き合いなさいと、主は言われるのです。自分の罪を認めて、悔い改めることから、新しい道は開けます。
神は、あら探しをするように私たちの罪を指摘なさっているのではありません。自分の置かれている状況を直視せよと言われるのです。罪の結果は死であることを見なさい……と。
神は、私たちの罪を責めて追い詰めようとなさっているのではありません。むしろ、そこから救い出そうとなさっています。「わたしは何人(なんびと)の死をも喜ばない」「あなた方は翻(ひるがえ)って生きよ」と言われるのです。
自分の子どもが、崖に向かって進んでいるのに。危ない!と指摘しない親があるでしょうか。死にいたる病にかかっている病人に、病状を告げずに放っておく医者がいるでしょうか。
人類がかかえている最大の病気……それは「罪」という霊的な病です。肉体の病気は、肉体のいのちを奪うだけですが、罪は、永遠のいのちを奪います。行き着く先は永遠に燃えるゲヘナの火です。
そんな危険な状況にあるのに、罪の恐ろしさを告げない牧師がいるでしょうか。ですから、昔の預言者も、現代の牧師や伝道者たちもそれを告げるのです。「悔い改めて、生きよ」と。