エゼキエル書 3章
人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。(3・17 新改訳)
(1)御言による腹ごしらえ
神はエゼキエルにひとつの巻物をお見せになりました。それには神の御言が記録されていました。そして、それを食べよと命じられたのです。
「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」(3・3)
神の御言を食べて霊的な腹ごしらえをして出かけよと言われるのです。私たちが毎朝、聖書を読み続けるのは、今日一日の腹ごしらえなのです。「腹が減ってはいくさはできぬ」というわけですね。
(2)同胞に遣わされる
こうして腹ごしらえをしたエゼキエルを、神は派遣されます。どこに派遣なさいますか。「むずかしい外国語を話す民に遣わすのではなく、イスラエルの家に遣わす」のです(3・5)。
もちろん、むずかしい外国語を学んで他国に派遣されるように召された人もいます。海外への宣教師たちです。私の知る宣教師は、高校生の時に中国宣教のビジョンを受け外語大学の中国語を専攻。今では中国人と区別がつかないほどです。
しかし、多くの場合、クリスチャンは同胞に遣わされています。あなたの身近な場所、生活の場が、神が遣わされた大切な場所です。宣教地です。
自分は母国にいて、宣教師だけが派遣されていると誤解していませんか。私たちの母国は天国です。そこから、この地に宣教師として派遣されています。
変な言い方ですが、私やあなたの「日本語」が用いられるのです。得意とする日本語が、福音を伝えるために神に用いられるのです。どうか、神の御言を伝えるために、日本語が研ぎすまされますように……。
(3)見張り人とした
神は、エゼキエルを「イスラエルの家の見張り人」として任命なさいました。
「見張り人」とは敵の進撃をいち早く発見し、それを知らせるのが任務です。ですから、目を覚ましていなければなりません。重要な任務です。
神のさばきが近い。神はエルサレムを滅ぼそうとされている。そんな危機的な状況下で、人々は惰眠をむさぼっていました。エゼキエルの任務は、そのような人々に警鐘を鳴らし、終わりの時に備えるようにと、人々の目を覚ますことでした。
今の時代、この見張り人の役割はイエスを信じるクリスチャンたちに託されています。主イエスの再臨の日が近いことを知って、人々に警鐘を鳴らさなければなりません。
そのような警鐘は、昔も今も、惰眠をむさぼる人々は聞きたくありません。うるさい! 静かに寝かせておいてくれ!!と、怒鳴られます。そんなわけですから、起こしてあげるにも工夫が必要です。
まずは、私たちは「見張り人」として目を覚ましていることが肝心です。今日も目を覚ましていよう。