横浜の政界で小此木ブランドは絶対であった。
八郎氏の祖父も国会議員。父親の彦三郎氏は、通産大臣、建設大臣も歴任した大物政治家だった。
家業が政治家とも言える一家で、その地盤を引き継いだ八郎氏は、国会議員の椅子を約束されたような状態で政治活動を行っていた。
その八郎氏があっさり敗れるというのは、やはり意外だった。
思うに横浜市民は八郎氏を否定したのではなく、その背後に見える菅総理を嫌ったのだと思う。
横浜市民の多くは、菅総理のカジノ法案に対しナーバスになっていた。特に総理の四の五の言わせない推進の仕方には、横浜市民の反発も大きかった。
菅総理は彦三郎氏の秘書を経て政治家となったので、息子の八郎氏にとっては身内の叔父さんのような存在だったろう。そんな菅総理の支持を得ての立候補では釈然としない歯切れの悪いカジノ法案反対であった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます