朝日・夕刊の「ナカニシ先生の万葉こども塾」は
勉強になる。何がこども塾なもんか。
露霜(つゆしも)の消(け)やすきわが身老いぬとも
また若反(おちかえ)り 君をし待たむ
滅びやすい体をどうするか。
また若返ったらいいのだ。あなたを待って。
ナカニシ先生は、命とは滅びやすい肉体に、輝きを
別の存在、と古代人は考えた、と説明する。
そして、若わかしく生きるのだと。
すごいね、古代人の頭、どうなっているの?
朝日・夕刊の「ナカニシ先生の万葉こども塾」は
勉強になる。何がこども塾なもんか。
露霜(つゆしも)の消(け)やすきわが身老いぬとも
また若反(おちかえ)り 君をし待たむ
滅びやすい体をどうするか。
また若返ったらいいのだ。あなたを待って。
ナカニシ先生は、命とは滅びやすい肉体に、輝きを
別の存在、と古代人は考えた、と説明する。
そして、若わかしく生きるのだと。
すごいね、古代人の頭、どうなっているの?
Jean Marc Luisada plays Chopin's Grande Valse brillante Op 18
ジャン=マルク・ルイサダのピアノリサイタルを聞いた。
後半にショパンのワルツ集があるから、これは行くべし。
私はカセットテープで録画したものを持っている。
「わー、華やかなワルツ」と最初驚いたものだ。ショパンはい
つも聞いているが、ルイサダのワルツは違うんだな。
いわゆる、本場の音楽って感じ。
それから、ルイサダはテレビの講師をしているのを見た。
あの、にっと笑う表情が人を惹きつける。好かれるのは、
音楽もさることながら、彼の風貌がなんともいえない、
コンサートホールの大ホールは7分の入りか。
悠々と現れたルイサダはにこやかに挨拶。
「へー、譜面が置いてある」
カセットテープでは、リサイタルの録画だが、譜面なしで全曲
弾き切っている。
第1番の華麗なる大円舞曲」から始まるワルツはこのうえなしに
心地良い。「あれ、3番が抜けた」 こっそりパンフを覗いたら、一番
最後にあった。
最も華やかな曲を最後に持ってくるとは、心にくい。
コンサートホールのホールがショパンの旋律で満ちた。
「本物を聞かせてもらった」
だが、ルイサダは全然譜面を見てなかった。係りの人だけが一枚一枚
ページを捲っていたが。
帰りの地下鉄の中でも、頭の中でルイサダの指が踊っていた。
パソコンの調子が悪いので、ついに買い換えた。
Windows7から8へ。8はすでに8.1が出ている。8
を改良したものだ。私には8でたくさん。値も落ちてい
る。7と比べて操作がかなり違う。マニュアルを片手に
キーを叩いている。画面を指タッチで進むことができる。
もちろん、マウスも使える。
ワードがすいすい使えるのが気持ち良い。使っていた
pcはワードが狂ってしまった。原因を探ってみたがつい
わからず、いらいらがつのっていた。
じいさんも、時代に遅れまいと、苦労します。
1979年に31万台売れていたピアノはいま、1万7千台に
落ち込んでいるという。朝日新聞が日曜日に別刷りで出し
ている[GLOBE] で「ピアノ特集」をしている。
それよると、70年代は1億総中流の時代。中流の象徴と
なったのがピアノ。ヤマハだけで年に20万台売れた。とこ
ろがピアノを買った家庭で置物台になったり、遊んでいる
ピアノが増えていて、テレビCMは「ピアノ売って頂戴」と
呼びかける。
使われなくなったピアノは再生されて外国に売られている
と思っていたら、3割が引き続き再生して使っているのだ
そうだ。ただし、再生すると言ってもアップライトでも60万
円と元の値段より高い場合がある。というのも、当時のピ
アノは質が良かったせいである。
最近日本人の注目を集めたのは、辻井伸行が優勝し
た「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」だが、
「ショパン」を筆頭に世界で130ものコンクールがあ
る。(へー)
今年の秋はよく雨が降る。
今日のように天気が良いと、気分よし。
家にいるのがもったいなくて、行く場所を求めて本
を開いたり、地図を広げたり。
結局、東本願寺にイチョウの木を見に行く事にした。
3時というのに、影が長い。
来年のDESK PLANNERを買う。いつもは、黒の表紙
だが、今年から茶色にした。「今年から」と書いたが、
いつまで続くやら。
いつまで生きるか、と。
がんにおかされた友人が書いてきた年賀状。
「一日一日を確かめつつ、過ごす」とあった。
気持ちがすごく分る。
そのためにも、プランナーは貴重な武器なのだ。
同じものにしてから、10冊を超えている。
資料としてPLANNERを見ると、簡単な言葉しか
記していなかったり、空白だったりしてあまり役に
立っていない。
来年から、半分日記帳にするか。
真新しいPLANNERは老人にも多少の夢を与えてくれる。
(植物園)
忙しそうだったので、名乗らずカウンター席にyさんと
私は座った。テーブルをはさんで調理場。客席はカウ
ンターに10席くらい、廊下をはさんで畳にテーブル席
が4つ。以前とまったく変わらない。以前は奥の調理場
で、おやじさんが、油ものを揚げていたが、その姿はな
かった。
生ビールを二つ注文。私は口をつけただけ。しばらく
yさんとおしゃべりしたあと、雑炊を頂く。これが滅法お
いしかった。今日は私がお祝いさせてもらう、とyさん
は私に勘定をさせない。
私は席を立つと、初めて「ykです」と言った。
それを聞くやいなや、女将は急いで私に寄って来て「や
っぱり、ykさんやった。そうやないかな、思うてました」
と手を握った。
9年ぶりの再会であった。
妻が亡くなった時、女将はマンションまで来てくれて、お
参りするやいなや、骨壷を胸に抱くと「しんどかったん?」
よしよし、と語りかけた。そして、「いっしょにご飯食べた時、
うなぎの骨がささって、お医者さんに取ってともろうた、いう
てはった」と思い出を話した。
当時は店でも、おばあちゃんが亡くなって不幸があった。
二人は仲がよかった。だから、妻が亡くなった時は、女将は
大層悲しんだ。
「娘さんはどないしたはる? 今もお一人で?」
店の玄関口で質問責めにあう。
「今度、また来るし」
「ぜひ、来てください」と見送る「くいしんぼ」の親子。
「行く所が増えましたな」とyさんぽつり。