人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

80をどう生きる?

2015-01-27 00:04:28 | 80はミステリーゾーン
男の人生はいま80年。
私も1月30日で80歳になる。がんの恐怖に襲われながら、
よくぞ平均寿命まで生きたものだ。


面白かったのは60代だった。
いや、70代はもっと自由に過ごした。

4、50代は生活費を稼ぐために働いていたようなもので、
楽しさとは一歩離れる。でも、それが後々の基礎となって、
働いてくれた。

さて、これからどうするか。

予想もつかない、私にとってはミステリーゾーンだ。

終息に向かうのは確実だが、どのように抵抗するかが、考え
どころだ。







FSTの会長はくび

2015-01-22 21:08:30 | ソフトテニス
FST会長を今年の3月に開く大会で辞任しようと思っている。
結成以来21年も務めた。
旗揚げ呼び掛け人として、機関車の役を果たしたつもりである。

もういいだろう。もうすぐ80になるし、あんたはもういいと
いう声がささやかれていることだろう。

本当は数年前から、やめるつもりであったが、昨年大臣賞を受
け取ってしまった。
賞をもらってすぐやめるのもどうかしら。

しかし、もういいだろう。

といったところだ。

後のことについては、全くいうことなし。
続けていくのなら、それでいいし、「生涯スポーツ」という看板
を外して普通のクラブで続けてもいいし、みんなで決めればいい
だろう。

「生涯スポーツ」とはなんだろう。ずっと追いかけてきたテーマだが、
分かりかけてきたのは、随分後になってで、ほかの人には分かりづら
い運動だろう。

私なりの解釈を会報でお知らせするつもりだ。

 

ロビー君、誕生なるか

2015-01-20 23:36:37 | 我慢の 結果
ロボットの「ロビー君」が我が家で生まれつつある。
生まれつつあるといっても、まだ部品がばらばらの
状態で、今日も《つたや》から「ご注文の本が来ており
ます」と電話があった。

追いかけられている。
全70部中、現在46号。

ロビー君は完成すれば、問いかけにおしゃべりし、2
足歩行する。片脚で踊ることもできる。
出来上がれば、かなり優秀なロボットである。、
一人暮らしの年寄りにはうってつけの相棒になるはず。

それだけに、ドライバ一本で出来上がるようになって
いるというものの、そうすんなりと先に進むことがで
きない。苦戦している。



食卓の上は「ロビー君」がばらばら状態。

えらいことを始めた。
「それみたことか」
いうな。イイかも。

晴れ着姿もりりしく新成人の通し矢

2015-01-18 17:25:05 | 京都の名所
京都の行事は三十三間堂の通し矢に始まる。去年まで女子駅伝
も同じ日にあったが、駅伝はすでに終わった。


三十三間堂の射場は晴れ着姿の新成人で埋め尽くされていた。
毎年、同じ光景に圧倒されるのだが、今年はとくに参加者が
多いみたい。

人の波で射場へ行くのをあきらめた。


三十三間堂の向かいに京都国立博物館がある。
新しいギャラリー場の「平成知新館」に初めて入った。
何時も、植物園を無料で入っているが、博物館もただとは
(年寄りへのサービス)。

一階の密教仏像に圧倒される。
そのほか、墨跡、染色の紋様は2月15日まで展示されている。
落ち着いた館内を歩いているとき、つくづく京都に住んでいて
よかったと、実感した。

今年も私の京歩きがスタートした。

女子選手に熱い声援

2015-01-11 16:08:06 | スポーツ
京都の新春を飾る女子駅伝に行って来た。
全都道府県の女子選手が都大路を駆けるおなじみのスポーツ
行事だが、京都市民に人気がある。
スタートを確認して地下鉄に急ぐ。丸太町の御所南側の道路
には隙間のない応援の列。


市民たちはゼッケンを見て「愛知がんばれ!」「大阪、大阪」
など声をかける。

行きはあっという間に過ぎ去るが、それでも、差はかなりついている。

最後のランナーには、ひとしきり声をかけて励ます。
これが、京都市民からの贈り物だ。
家に帰りテレビを観ると、トップ争いは地元京都と大阪だっ
た。ゴールの競技場まで競ったが、大阪が京都を抜いて優勝
した。

正月から、若いエネルギーをもらった。


突然、先を急いでしまったNさん

2015-01-05 21:42:35 | 謹んで哀悼の意を表します
一か月前、金沢での法事で会った時、Nさんは元気だった。
ところが、正月早々埼玉の妹から電話があり「Nさんが
亡くなった」

「?? Nさんてこの間会ったNさん?」

Nさんは、従妹のH子ちゃんの旦那さんだ。

金石のお寺で妻のH子ちゃんの母の一周忌があった。

私を一番上に4人兄弟は、法事を中心に、それぞれの夫婦が
温泉で集まるようになっている。ただし、私だけは妻は
いないが。そこへNさん夫婦も参加している。
兄弟たちも、Nさんたちの仲間入りは大歓迎であった。
さながら兄弟の一員の様だった。

Nさんはお酒が好きだった。兄弟のおしゃべりを聞きな
がら静かに飲むのが常であった。

H子ちゃんの母が、つまり叔母が長患いだったとき、静
かに付き添っていたと聞いている。

無口だが、頼りになる夫であり、お父さんだった。

H子ちゃんが外へ出ている間に一人倒れ、Nさんは帰ら
ぬ人となった。

まだ66歳だった。

明日、お通夜が両国で営まれる。





お稲荷さんの本殿に近づけず

2015-01-02 18:16:17 | 行ってみて
元日の京都は16センチの積雪量に見舞われた。
これでも、大雪と報じていた。

お稲荷さんへのお参り客はぱたっと足が止ま
った。その反動か2日はどっと人々はお稲荷さ
んへ押し掛けた。

早速、コンパクトカメラを手にお稲荷さんへ
出かけた。

jr稲荷駅から出てくる人、人。天気が良くな
ったせいか、表情も緩んでいる。


広くもない参道に人でいっぱい。

ところどころに雪が残る。


本殿が近づくと、人の波が怖くなる。
ここから逃げることにした。

食べ物はよく売れていた。

縁起物は売れ残っていた。

帰りは、抜け道を通って、5361歩の散歩だった。