長崎港から船で1時間以上。修学旅行生も乗せ
船は満員であった。
生徒たちは皆、ライフジャケットを身に着けて
いたが、我々一般客にはなし。「いざとなったら、
助けますよ」と男子生徒がいう。・???
港には造船所が大きな船を建造中。
1時間ほどで軍艦島に近づく。
なるほど、軍艦か・・・
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上陸すると、一か所にいなければ注意される。
案内所で誓約書なるものを書かされた。なにしたら
だめなどの注意事項のたぐい。ろくすっぽ読まなか
った。
戦後の日本の復興を背負っていた海底炭鉱であったが、
時代は石油へ移り、役目は終了した。
往時小さなこの島に5400人もの人が住んでいた。
今は、廃墟のコンクリート建築物が、一部を残している
が、かつて7階建て小中学校やテニスコート、我が国初
めての高層アパート群があった。
水道は海底にパイプを渡し、電気も海中に電線を引っ張
った。いかに、国も石炭産業を重視していたかをうかが
わせる。
最近になって”軍艦島観光”が脚光を浴びているという。
いいことだと思う。
原子力をはじめ、エネルギー問題を考える一端を人々に
与えるとしたら、軍艦島観光も意義深い。
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