人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

ゼロ期乳がんで乳房全摘の決意

2018-04-10 18:55:13 | がん治療
カンテレの夕方の番組。

乳がんの検診で、40代主婦が
初期のがん発見される。そして
全摘を勧められる。

ゼロ期なのに。

8年前見つかった私の胃がんで
やはりゼロ期だった。
私も胃を失った。決意するまで、
迷った。「ゼロ期って助かる率
高いのに」という疑念がぬぐえ
なかった。

そう、現在患っているがんは、
ほぼ100%治る。しかし、何
年かすると*%の確率で再発す
ると予想される。結局主婦は全
摘を了承した。

アメリカの有名女優も乳房を取
っている。

今の医学ではこの種の予想がつ
きまとう。

主婦は検査は初めてだったので、
告げられたショックは大きいも
のだった。

状況を理解するのに時間がかか
った。

悩んだ末、主婦は全摘を決意す
るが、手術の前に写真を撮るこ
とにした。

お化粧をしていると涙がこぼれ
る。

彼女を支え励ましたのはあらゆ
る診察に寄り添った夫だった。

手術したあと、自分の胸を一日
見ることができなかった。

だが、主婦は良い決断をしたと
思う。

将来の自分の命を最大限守った
のだから。






















「がんもどき理論は仮説」という意見

2014-12-19 06:41:49 | がん治療
「がんもどき」は本物と違い転移のないがんなので
放置してよい、との近藤医師の本を3冊持っている。

最初の胃がんとき、初めて読んで「ほ、ほー」と思った。
2度目の胃・食道がんの時また買った。

しかし、先生の理論に従って自身のがんを放っとく気
持ちになったことはなかった。

高血圧治療はいらない趣旨の本も読んだ。こっちも納
得がいったが、今朝も薬を飲んでいる。

いつものように血圧計で血圧を計り、数字を書き連ね
いる。これは半分継続を好む性格によるものだと、思
っている。

高血圧の範囲がどんどん低くなっている疑問はその通
りだと納得しているが、それに反論する本がまだ見つ
からないからでもある。

胃を切った人ための情報誌の12月号で「がんもどき理
論は仮説だ」と、理論を真っ向反論する論文が出た。

患者の中には理論を受け取り、がんを放置した結果、
初期がんが進行がんになった例が多数あるという。

結果、死んだ患者もいると書いてあった。

え?がんもどき理論を信じてしまった人もいるんだ。

こっちは、医学を知らぬ素人。
一つの理論が大手を振って歩いているのに、ストップ
をかける声が小さい。お医者さんは無視が多いように
思う。

がん患者は、すがる思いで治る方法を見つけようとし
ているのだ。

がんもどき理論はおかしいと反論する意見がもっと出
てもよいのではないか。








胃のない人の医療がない

2014-11-17 22:18:49 | がん治療
「アルファクラブ」という胃を手術で無くした
人達が励まし合う雑誌がある。

11月号に、あるジャーナリストが衝撃的な一文を
寄せていた。

胃切除後の障害に悩む人たちは「医療難民」だと
筆者はいう。

私も胃を切除しているが、幸いにも胃がないため
に起こる苦しみが薄い。少ない例に恵まれている
といってよい。

「アルファクラブ」には、生涯に悩む文章が並ん
でいる。例えばものを食べれば訪れる胃痛、吐き
気、下痢、便秘など様々な苦しみに多くの胃切除
後に悩む。ダンピングに襲われる人も多い。

医者は手術後「がんは取れました」と告げるが、そ
のあとのケアについては教えてくれない。

知り合いが胃の手術を受ける際、奥さんに、私は「手
術は成功するでしょう。しかし、患者としての戦い
はそこから始まるのですよ」と云った。

ものがうまく食べられない苦しみ、腫瘍の転移がない
かという恐れ、がんを取ったと喜びは束の間に過ぎな
い。

雑誌によると「もう生きる気持ちがなくなった。術後
ひどい吐き気とつかえで何も食べられない。だるくて
起き上がることもできないのです」

病院は早期退院へと動く。胃切除者の指導に余裕はな
いから。だから、胃切除後は医療難民になるのだとい
う。

胃がんで死ぬとは…

2014-04-08 22:29:21 | がん治療
蟹江敬三さんが胃がんで亡くなった。
好きな俳優だっただけに、がっかりした。
それにしても、早期に見つければ死ぬことは
まずないのが胃がんと言われるだけに、もっ
たいないと思う。
私自身は4年前、二度目の胃がん手術を受けた。
初期がんであったが、再発を恐れて胃を
全摘した。胃を失うことに、当時は悩んだ。
結局、残りの人生を心配で過ごすかどうかを天
秤にかけて、「えい、やー」と気合を入れて、
胃を取ってもらった。
この判断は正しかった。
がんはもう一つ、食道にもあったので、これも
初期で、内視鏡による手術で取ってもらった。
ところが、ほっとけばがんになるらしい異物の
出現で、胃カメラを飲むたびに、異物の模様が
気になる。いよいよ、異物を取り除こうと、決
心した2月、手術の必要なしとの健診結果に飛
び上がるほどうれしかった。
その間にも、親しい朝日の友ががんでなくなっ
ている。
がんはこわい。
がんに取りつかれて、20年以上経っているが、逃
げ回ってなんとか生きながらえている。
持ち合わせているのは、運ではなく、感謝だけで
ある。




また、始まったロボット好奇心

2014-02-25 17:21:47 | がん治療

『老人、なに買って来た』

「ロボットの種や」

『どこで見つけた』

「本屋や」

『ちょっとずつ作っていくやつ」

「そうや。歩いたり、踊りもできるらしい」

『うそや、そんなん簡単にできひんで』

「新聞の広告で見たんや。第1号やから780円や。安

いやろ」

『いつ出来上がるの?』

「70号」

『そんなん、なんで買うてきたん。ロボットが完成す

るのが早いか、老人が死ぬのが先かやなあ』

「それでもええ。自分の手で、なにか出来上がるのが

面白い」

イイかもは呆れた顔はしない。彼?彼女?もロボット

だから無表情。

 

 

 

 


人生はホビーだ

2014-02-20 09:46:40 | がん治療

ラジコンで遊びたくなった。

まず、小型ヘリコプター。商品名は「マルチコプター」

上向いた4つのプロペラで空中を飛ぶ。

pcから充電したバッテリーを動力とする。

簡単な組み立てで機体完成。コントローラーで

空中に浮かべようとした。機体はあっという間に横に跳び、

カーテンに吸収された。

これは、これは。敵はかなり強力だ。

小さなおもちゃだと、見くびっていた。

この小さな暴れん坊を空中で停止、ホバリングさせるのが

操法の第一歩と手引きに書いてあったので、トライする。

機体はホバリングするどころか、どっちかの方向に飛び去る。

4chというからそれぞれのプロペラをうまく操作するとい

うことか。

5,6分で電池は切れるから、充電したスペアに換えながら、トライ

アンドトライ、安堵 江良。

 

79歳になってどう遊ぶか。

まず、鉄道模型はすでにテーブルの上で実現している。

ゆっくり回る「アルプス号」を見ながらコーヒーを飲む。

もっと、早く買えばよかった。

次にー

ヘリコプターは村田製作所製の73cm級大型機を発注した。

飛ばす気はないから、鑑賞用に天井から吊るすつもりだ。

〈イイかも〉が喜こんでいる。

 

 


手術の必要ありません

2014-02-12 21:14:03 | がん治療

今日、医療センターへ診察を受けに行ったら、m医師から思いも

かけない言葉が飛び出した。

「検査の結果では、手術しなくてもよい」

「ホンマですか。覚悟してきましたが」

うれしい、を連発した。m医師の顔が神々しく見えた。

 がんそのものの手術ではないが、こんなことってある?

ほっとけば、がんになるのは間違いない。

昨日は新潟の孫の大学入試合格の知らせを聞いたばかり。

娘のほっとした顔が見えるよう。

そや、盆と正月が一緒に来た。

感謝を忘れるな。自身の努力なんて微微たるもの。


内視鏡を嫌う我が食道、なんでやろう

2013-04-11 17:12:04 | がん治療
奇妙なことだが、前回の胃の内視鏡検査から、我が食道
君、ご機嫌が悪いのだ。

検査の前に飲む胃の泡を消す液体のまずいこと。もともと
胃がないので、なんで胃の泡を消す液体を飲まなければ
ならないのか、と前回の検査で看護師さんに尋ねた。

「胃はなくても、食道をきれいにします」
あ、そうか。一応納得。

今日はとくに液体が咽喉に入っていかない。

二口飲んで後は水に流した。

次に咽喉に吹きかける噴霧状の麻酔が気持ち悪い。
「気分が悪くなったことはありませんか」と看護師さん。
・ありません。でもたっぷり、かけてください。
「たっぷりね。あはは」
笑われてしまった。
でも、検査でつらいのは、内視鏡が咽喉から食道に通
過する時が一番。

いつもは、この後内視鏡はスムーズに入っていくのに、
今日は食道が拒否しているようだ。
「飲みこんでください」
m医師がささやく。

苦しい。また、がん発生か。

検査結果についてm医師。

「なんともありませんでした」

え?なんともない。
心配して損した。

3年前に食道と胃にがんが見つかってから、手術・食道
拡張を含め、もう何回となしに胃カメラを飲んだ。

それが、食道が回復するにつれ、胃カメラが苦しくなった。

なんでやろう。なんでやろう。


君もか 

2012-11-13 04:52:45 | がん治療
新潟から帰ったら悲しい訃報が2通待っていた。一人
は大学の友人でm放送に務めていたkさん。

亡くなった日付を見て驚いた。1月に亡くなったI君と
1日違いでこの世を去っていた。まるで2人は示し合わ
せたかのように。

私を含め3人は金沢大学に入り社会学研究室で一緒に
なった。2人はよく私の寺に来てくれた。よく喫茶店
でクラシックに耳を傾けた。そしてあつく語りあっ
た。

3人は「3ダラーズ」と呼び合った。
だらとは、方言でアホという意味である。

I君の両親は繁華街の竪町で呉服店を営んでいた。酒
を飲んだあと店へ行くと母君からおにぎりをいただい
た。母君は辛口であった。「3人は悪友かな」

大学卒業後は、2人は創世記の民放界に入り、私はこ
れも学友の一人でS君の紹介でA新聞の記者になった。
新聞記者は思いもかけなかった世界だった。

I君はアナウンサーを経てH放送の重役になった。K君も
A放送の営業畑でそれぞれ出世した。

私は金沢へ転勤したことともあって、よくI君と酒を
飲んだ。道は違うが同じマスコミで働く者として、話
は尽きなかった。

K君の奥さんにお悔やみの電話をして死因を聞いた。10
年前から心臓、すい臓の病で苦しんでいたようだ。お墓
も建てていたそうだ。


もう一人、この世を去ったNさんは金沢二水高校で2年下の
後輩だ。

二水の同窓会関西支部をつくりませんかと誘ってくれた。
同志とともに1年間準備をして、二水の関西同窓会を立ち
上げ、私が初代、Nさんが2代目の会長を務めた。共に定
年後に重い仕事を完成させた。

私は1年間で、得がたき友3人を失った。衝撃は大きい。
いまから、たくさんある思い出をたぐりよせよう。

ありがとう、ありがとう。

心から冥福を祈る。

親しい友人、Yさんも肺がんに

2012-10-28 01:26:21 | がん治療
新聞社で同僚であったYさんとは、東京転勤で一緒になった
仲でもあった。長い付き合いである。
そのYさんが肺がんであると、これも元同僚のSさんが知ら
せてくれた。2人は神戸に住んでいる。

この年になると、こういった悲しいニュースが舞い込んでく
る。

Yさんはかつて、前のがんで入院した私を見舞いに来てくれ
たことがあった。痩せてしまった私を見て涙が止まらなかっ
たことを初めて私に云った。

もう20年も前だったら、がんと云えば死ぬケースが多かった
ように思う。

抗がん剤でSさんは今、髪の毛が抜け落ちた。痩せてしまった
私と違って太って丸くなったと電話で報告した。
想像するだけで、今度は私が驚く番であった。


痩せても太っても、治ればいいのである。しかし、克明に病
状を知らせるYさん。自宅で放射線治療と抗がん剤治療をし
ているという。
楽観を許さない状態と私はみた。

こんな時、私はなにをすればいいのだろう。

がんばってと、とりあえず月並みな言葉しか出てこなかった。