人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

免許更新の通知が来た

2016-08-30 22:41:53 | 80はミステリーゾーン
82歳の誕生日を前に免許更新の通知が来た。
もちろん、車は乗り続ける。

更新手続きの前に、高齢者講習を受けなければならない。
今年もいつもの自動車学校へ電話すると、12月中旬しか
空きがないという。後期高齢者が増えたのか、と思った
が、そうではなかった、

12月受け入れもあれば、9月早々OKという学校もある。

地域によるし、交通に不便な場所は空いていた。
12月は先の話になってしまいそうなので、9月の学校に申
しんだ。

80近くなると、免許返上が多くなる。
運転に自信を無くすからだ、

基本を忠実に守る。
市中をカーレースするわけではないので、指定された速度
を守り、信号を見落とさない。特に右折の折は対向車に注
意しなければならないが、歩行者、自転車の有無は十分に
確認が必要だ。

ただし、私は夜間と雨、5差路もあるややこしい交差点は運
転を避ける。


初心に戻り、安全運転すれば、事故は起きない。起こさな
い。

運転に自信を失った人は、当然運転をやめるべきだ。事故を
起こしてからでは遅いのはいうまでもない。





ごみでせっかくの公園が

2016-08-29 06:24:28 | 80はミステリーゾーン
「くいなばし」駅上の公園で笛を吹いていたら
私より若いとみられるシニアが寄ってきた。

「ええ趣味もってはるなあ」
「家で吹くと、近所に迷惑がかかるから」

「それ、フルートでっしゃろ、高そうやね」
「まあね」

「私、尺八を吹きたいのですけど、肺活量が小さ
くて息が続きません。フルートは肺によろしやろ
な」
「吹矢やらはったらいいのとちがいますか。吹矢
は肺によろしいで」

「あれ、挑戦したけど的に届きませんでした」


「この公園掃除してまへんな。いつも散歩の途中
歩きます。ごみなんとかしないと、公園が泣きま
す」

あなたが、ごみ拾いしたら、健康にもいいのに。
これは言えませんでした。




食べものを捨てられない年代

2016-08-28 09:30:51 | 80はミステリーゾーン
80代は食べ物を大事にする。
というより捨てられない。
戦争、戦後食料不足の時代に育ってきた年代だから。

食料以外でも、紙、衣類、記録などなんでも捨てらる
ことができない。

自分のことをいっているのです。

捨てられないのだから、きちんと整理しておけばいい
ものを、片付けが下手くそ。

けれど、私の場合冷蔵庫の中はすっきりしている。
これは食品を粗末にするともったいない、からだ。



京都市が「食品ロス」について、家庭から出された
生ごみ調べたところ、約40%がまだ食べられる状
態であったという。

野菜を筆頭に肉、魚、パン、ごはん。手つかずのま
ま捨てられている。

しかも、美味しく食べられる賞味期限前に3割あった。


なに、考えてんねん。


この社会に貧乏家族が多くいることとの矛盾に驚きます。

真夏の行事もおしまい

2016-08-27 08:25:56 | 80はミステリーゾーン
私が住む町の夏祭りがあり、写真を撮りに行った。

地元中学校の吹奏楽部が演奏していた。

大勢いる。舞台からはみ出している。


最近の中学校の吹奏楽のレベルは高い。

トラペットのソロを吹いたあと、にっこり笑った生徒。自信
にあふれていた。


近くには吹奏楽では日本一の水準を誇る竜谷大があるから、
あこがれている生徒もいるんだろうな。

まつりの舞台になっている公園には各町が店を出す焼きそば、
フランクフルト、金魚売りなど人気を集める。

盆踊りもあって、夏の宴は賑わっていた。


やっぱり、じじいは蚊帳の外にいるみたい。

「くいな」の代わりに笛を吹く

2016-08-27 07:00:52 | 80はミステリーゾーン
「くいなばし」駅。

私のマンションは地下鉄のほかに、京阪電車、
JRが比較的近くにあり、
便利さで気にいっている。

なかでも地下鉄の「くいなばし」駅の駅名に素敵
だな、といつも感じる。

京都駅から乗ると「九条」「十条」ときて、「く
いなばし」の順となる。

「くいな」とは「水鶏」と書き、泉鏡花の作品
に出てきたのを覚えている。

なぜ、「ばし」がくっついているのか分からない。
「くいな」だけでもよかったのに。

京阪は「四条」を「祇園四条」に変えているが、
観光客向けにはいいが、市民には「どっちでも
いい」

「烏丸」を「からすまる」と呼ばずに「からすま」
と呼ぶのも市民は慣れていてなんとも思わないが、
初めて地図を見た人は「からすまる」と呼びそう。

「清水焼」を「しみずやき」とわざと読んで、京都
の女性にふられた話は、常識を超えた非常識という
ところで、面白い。

かつて「くいな」が住んでいたところらしいが、私
は笛を吹いている。

一人で面白がっている。


入道雲を待っていた

2016-08-26 21:25:08 | 80はミステリーゾーン
京都は暑い。

今日も地下鉄「くいなばし」駅の上から大きく伸びる
公園へ行って来た。フルートの練習をするためだ。



地下鉄はこの駅から地上に出て「竹田」駅へ向かう。

通り過ぎる度にごーと音を出す。

この公園は広くて夏草が生い茂り、京都市が草刈り
をする。いつもは一組か2組の親子連れが来ている
が、猛暑を避けるのか、今日はだれもいない。

遠慮することなく、音階を吹く。
次に発声練習をする。近くに人家がないので、遠慮
なく音を出す。

ふと、上を見たら入道雲が湧いていた。





あなたが出るのを待っていました。
これで、夏の舞台装置完了。

ただ、暑いばかりでは秋が来ないのです。


人間の本性は善か惡か

2016-08-26 11:38:23 | 80はミステリーゾーン
タレントの性犯罪に、母親の女優がお詫びの記者会見を
していた。
母親として精いっぱいの謝りをしながらも、言葉の選
び方はさすが舞台女優であった。

取材する主にテレビ関係の記者たちもぎりぎりのところ
まで踏み込んでいが、追及すべきは息子の方であって、
母ではない。
だから、結局はなんだ、という会見で終わった。


ところで、人間は本来、善か惡なのか。

仏教的観点という興福寺の管首が極めて興味ある
意見を述べておられた。

性善説の性悪説も理屈の言い合いです。
どちらかに軍配があがるものでない。

「無記」(むき)というニュートラルの性質が人間
にある。

人間そのものは、そもそも無記だそうです。

その善でも悪でもない人間が、時に善いことをし、時
に悪いことをする。

だから、絶えず自身を注意深く見守り、かつ検証する
姿勢が必要である。


私なりに解釈したら、人は善も惡も行う性格の持ち主
だから、人の行った悪いことばかりを追求する資格は
ないよ。

ということですか。







あんた、いくつ?

2016-08-25 22:01:10 | 80はミステリーゾーン
接骨院のトレーニングルームへいったら、知らない
シニアの客がいて、いきなり人の年を聞いてきた。

「89引く8かな」

ちょっと、むっとして真っ直ぐには答えなかった。

「ふーん、私より10は若い」

そのうち、追いつくからね、といっておく。


「知ってる人がどんどん死んで行く」

「そうですね」

「内臓が悪いと、早く死ぬ」

「そんなもんですか」

「いつ死ぬかは、寿命の問題やし、こればかりは
分からへんし」

「そうやね」

先輩の会話はどんどん広がりそうやし、私はひきあげること
にした。

「こけんと、がんばりや」

激励された。

「へーおおきに。先輩もお元気で」


介護保険の世話にならない幸せ

2016-08-23 07:49:37 | 80はミステリーゾーン
毎月毎月、大きな額を支払う介護保険。
保険は個人では負担しきれない介護費をみんなで
負担し合う。

分かっていても、「払うばかりやないか」と不満が
時にはもれる。

妻がなくなって、独り身が長い。

棺桶に入るとき以外は人の世話になるまい、とい
つも思っている。

5年前、二つのがん手術をしたときも、術後の生活
をこなせるかが問題であった。手術の心配よりも、
それから始まる療養生活が気がかりであった。

普通、がんに限らず、手術が成功したどうかが患者
にとって大問題なのだが、成功するかそうでなかっ
たは医師の問題であって、成功した後治るかどうか
は患者の術後の養生にかかる。

それで、入院前包括センターへ行って介護を受け
られるか聞いた。

入院直後、センターの人が病院へやって来て、私の様
子を観察した。

「あなたは一人でやって行けます」と結果を云われた。

つまり、介護の必要なし。


手術への不安もあるが、その後の人生に期待を込める。
手術は5年前のこと、やってきたことは忘れてゆく。

こんな時に介護保険が使えたらなあ、とは思わなかっ
た。
人間、手足が動けばなんとかなるものだ。

結局、保険の世話にならず、生きて行ける「運」を喜
ぶ。


五輪は個人の競技という憲章

2016-08-23 07:10:47 | 80はミステリーゾーン
41個のメダルを取ったと大騒ぎのマスコミ。
一方で、五輪憲章は国別のランキング作成は禁
止しているとの厳しい目がある。

五輪の主体は国ではなく、選手とチームである
ことは、日本国憲法で「個人の尊重」を保証す
る、に通じていいる、とある大学教授が指摘し
ている。

先の大戦でナチスドイツなど権力者が国民感情
をスポーツで操ろうとした例。日本でも、文学、
美術音楽により、スポーツを国威発揚に利用さ
れた苦い経験。

五輪憲章や日本国憲法はこうしたことを繰り返
さないという反省の上にたつ。

時として、野放しになろうとする五輪人気に冷
や水ではないが、「ほんまはこうやで」と脱線
しそうになる国民感情にくぎを刺す人が必要な
のかもしれない。


80過ぎの老人には、なんでも勢いに流されては
あかんよと聞こえた。


そはいうても、表彰台で輝く日の丸に、気持ち
が高ぶるのも確かやし。