人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

やっと起きた「仲間を守ろう」

2018-05-25 04:48:34 | しっかりせい
スポーツにあるまじき日大のアメフット
試合での悪質タックル事件で、”加害”
の学生を守ろうと日大側学生たちが動き
始めたという。

やっとだが、それでいいと思う。

言葉だけ謝っている前監督、コーチの姿
勢に、テレビを見ている多くの人達は釈
然としなかった。もちろん、私を含めて。

一方、”加害者”で、一人テレビに現れ
た学生。実にいさぎがよい。

絶対服従の世界で、盾をつきながら「申
し訳ない」と謝った姿に、この学生も犠
牲者なのか、とみた。

そうはいっても、日大アメフットは完全
に孤立状態になった。どこも試合お断り
状態ではなす術もない。また後ろからタ
ックルされないかと、気にしなければな
らないからだ。

どうなるか、という「なりちゅう」はや
めたいが。

老人よ たまに歩けよ

2014-10-09 07:18:47 | しっかりせい
65歳以上の医療費は一人当たり71万7千円だそうだ。
65歳未満が17万7千円で、約4倍の費用が掛かっている
勘定だ。

しかし、65歳以上の人に「お金がかかるからいい加減に
生きるのをやめたらどや」とは云えんだろう。

生きていて病気になる。手当する。
年寄りだから治るのに時間がかかる。
だから、費用もかかる。
それだけだ。

気にせんでええ。
ゆっくり治しや。

だけど、健康のためになにかしたか。
ほったらかしでは、あかんで。

回りまわって人に迷惑かける。
ただ、めしだけ食ってたらあかんで。

たまに歩けよ。

80歳から何を目指すか

2014-10-08 22:07:16 | しっかりせい
金沢二水高校の5期同窓会は10月7日石川県の
辰口の温泉旅館で開かれた。

集まった80歳の同窓生は76人という多さであった。
これで最後という思いから全国から集まったのだ
った。

腰の曲がった老人はいなかった。
元気なもの。
宴は遅くまで続いた。

といっても、翌朝聞いた”戦果”だった。
私は早く寝た。

80歳は「傘寿」だが、もらったタオルには110歳で
「そろそろ道を譲ろうか」のいたるまで88、90
100など峠はいくつもある(生きたらの話だが)。

日本人の平均寿命が男性で80歳に達した。というこ
とは80歳は人生の終わりではない。

かといって、戦闘意欲がなくなった年寄りたちはなに
を目標に生きて行けばいいのだろうか。

人間は夢や目標がなくなったら、おしまいである、と
聞く。

人のことより、自分はどうするのか。

今、ロボットを作っている。
ほっとくと腕がおちるフルートは出来るだけ触ることに
いている。

それで?

あとは?




もっと歩いて体力をつけよ

2014-08-27 05:17:55 | しっかりせい
夜寝ていると、「そんなことない、そんなこと
ない」という声がした。

「お稲荷さんへ登るのは悪くないことだ」

「どうしたら、いいのだ」と尋ねると
「そんなこと、自分で考えろ」と云って声の主
は消えた。最後に「私は稲荷の下っ端の神であ
る」と告げた。

週に2日お稲荷さんの頂上を目指す老人が、股関
節に炎症を起こしてがっかりしている。

もうやめよかとも考えている。

そんなこというたら、四国霊場も行けへんし、ひ
ょっとすると歩き続けるゴルフもできんのと違う
か。

要するに、基礎体力がなってないということや。

稲荷山は登れんでも、当分本殿にお参りしてその
辺をうろちょろすることから始めたらどうや。

ああ、そういうこっちゃ。

基礎も出来てないのに、いきなりクライスラーを
吹くといってフルートの先生に笑われた。

最近、フルート復活を探っているので、初心に帰
って基礎からやり直そうと思っている。

おんなじこっちゃ。

自分では接骨院でトレーニングしているつもりで
も、身体はすぐに結果を出してくれた。

稲荷登山は無理と違う。

もっと歩いて腰から下を鍛えよう。



頭に仕事を与えるーぼけない一歩

2013-09-03 06:27:12 | しっかりせい

ぼけの恐ろしさは、自分の存在が分らなくなること。

私はがんよりこわい病気と思っている。

自分もぼろぼろになり、築き上げたそれまでの人生を

ぶち壊す。家族を含め自分以外の人たちにも大きな

影響を与え、そして去ってゆく。

特効薬ではないが、一つボケない方法がある。

男も女も一人になったら、強くなるよ。

特に男の場合、妻が亡くなったら、これまで妻がしていた

もろもろを全て自分でしなければならない。独身時代に戻

るわけだ。しごく当たり前のことだが、なれるまで大変だ。

食事を作らなければ、病気になって死ぬ。外食はなにを

食わされるか分らないし、栄養が偏ってそのうち死ぬ。

掃除、洗濯に手を抜くとごみ屋敷に乞食の居候となる。

生き抜くには、頭という武器がある。めし一つ作るにも実に

頭を使う。えさではない。料理のことをいっている。

 

頭を駆使して、一人暮らしの人生を前向きに生き抜く事だ。

「前向き」でも「楽しく」でもどっちでもいい。

                 ーと、自分に命じている。


熱中症の恐ろしさ、と云うより

2013-06-08 15:51:09 | しっかりせい
昨年の夏、熱中症にかかった。
テニスをしてから、家に帰ってから気付いた。
特に熱が出るわけではなかったが、疲れ方が尋常で
なかった。やる気がなくなって、夜もぼーとしていた。
別にぶっ倒れるわけでもないが、これも熱中症だった。

私はテニスをしていても、汗はあまりかかない。
暑さに強い方だ。と、思っていた。
ただ、私は80に近い老人であることを忘れていた。


これがいかんのだな。


それならおれでもできる賞はパス

2012-12-18 23:06:24 | しっかりせい
今年の《それならおれでも出来る》団体賞に民主党を
考えていたのだが、余りの大敗ぶりにかける声もない。
だから、今年はなし。

《それならおれもできる賞》は、例えば一度もバット
を振らずに三振するプロ野球選手とか、国会で居眠り
で時間を稼ぐ議員、前例ばかり重要視する裁判官、登
場人物が何人も殺されたあとで謎解きをする迷探偵ら
に献上するバカバカしい賞。

働く気も無く、お金をもらったらぱちんこ屋に駆け込
む生活保護受給者は、冷やかしには値しないので、対
象からはずす。なにより笑いを誘うことはないので、
資格はなし。

それにしても今度の選挙で民主党は、「おれたちが
勝ったのではない、民主党が自分でこけた」と自民の
候補も同情するほどみじめな結果に終わった。

国民もきつい。
選挙ごとに落第とばかりに、叩きのめす。容赦なし。

当分なにをしてよいか分からないほどに打ちのめされた
団体に、《それならおれでも出来る賞》は差し上げられ
ない。



雪に弱いJR、金沢に帰れない 

2012-02-03 07:56:29 | しっかりせい
金沢の友人が京都へ来て、その帰り湖西線に乗った
はいいが、途中の駅で雪のためストップ。開通する
見通しがつかないため、再び京都へ引き返した。

米原回りの北陸線も長浜あたりでストップしているという。

飛行機はもちろんだめ。高速道路は木ノ本からストップ。
あと動く交通手段は二本の足のみか。

かくして、友人は私がいないか携帯をかけてきた。
別に予感をしたわけでないが、私は京都駅近くの電気の大
型店を出たところだった。京都駅のホテルで、落ち合った。

jrの復旧は難しいらしいので、彼はもう一泊することに
した。

この便利な世の中に、豪雪地帯でもないところで停まった。
兄弟が京都へ来た時は、なんと石川県で起きた人身事故の
せいで、全列車が停まり、兄弟たちはその日帰れなかった。

整備新幹線の建設計画はどんどん進んでいるようだ。莫大な
費用を使って早い交通機関を造るより、在来線の足腰をもっ
と強くしたらどうか。








喜寿を迎えました

2012-01-31 20:58:11 | しっかりせい
昨日(1月30日)、私は77歳の誕生日。つま
り喜寿を迎えました。

お祝いに上越市の娘宅から、純白のテニスバッ
クと茶系統の素敵なウエアが届きました。

剣道に励む孫が品選びしてくれたそうだ。じい
ちゃんに似あっていたか、気になった彼は電話
をかけてきました。

もちろん、気に入ったさ、うれしいよ。と礼を
いうと、かれも満足したようだ。彼は子供のこ
ろから人のことを思いやるやさしさが、人一倍あ
る。

雪の状態を尋ねると、彼らの住んでいる直江津
よりも、彼が通う高校のある高田が1メートル
以上降っていて、大変だそうだ。かれは毎日、
お父さんに車で送ってもらっている、という。


高田は上越市の中心地で、高田公園には高田城
や野球場、私が上越に行くと通うことになる
テニスコートなど運動施設、図書館などがある。

商店街などでは、雪から歩行者を守る「雁木」
(がんぎ)が有名である。

昔から高田一帯は豪雪地帯として知られる。
この辺りから、妙高市にかけて、連日積雪と
雪下ろしで難儀する姿をテレビは伝えている。

とにかく、雪ですごいところです。

さて、喜寿を迎えた私はこれからどう年を進
めるかは、次に書きたいと思います。




人間に緊張感がなくなると

2011-11-09 23:34:31 | しっかりせい
去年のブログを見ると、いろいろ書いている。
今の私は、がんに対する恐怖心が薄らいだせ
いか、書くものに緊張感がない。

この間も、定期的な内視鏡による食道を受け
た。結果はセーフであった。

セーフといっても、全くの白ではない。これ
までのように食道の”顔色”が悪いそうだ。

だから、また半年後の予約をしてきた。また、
半年後にひやひやしながら結果を待たなけれ
ばならない。

でも、がんへの恐怖心が薄れたのは事実だ。
緊張感も薄れている。

高校時代から、試験は一夜漬けの癖はあい変
わらず。

がんはのんびりした性格に打撃を与えた。
私には、半年に一度の緊張感があることは、
必要なのかもしれない。