私は、家族から頑固者と言われている。
しかし、自分は、頑固者と思っていない。どころか軟弱者だとさえ感じる。
頑固を辞書でひいてみると、「自分の考えや態度を、固く守って変えないさま。強情。」と書いてあった。
ある意味、少しは当たっているところもある。
この間の選挙で、ある宗教を崇め奉っている母の姉が、自分の指示する議員が当選したのを感謝して電話をかけてきた。
母は、この宗教が大嫌いなので、母の姉も嫌っていた。
いつも、選挙前になると、電話や訪問してくる母の姉家族に、うんざりしている。
その姉と、私が同じ干支なのをいいことに、「あんたも、姉も強情だ。」と、ひとくくりされる。
そういう考えも、言い換えれば、強情なのではないか。
ひとは、いつも自分はいい子なのだ。
自分の考えを貫くのは、決して悪いことではない。
ひとの意見ばかり聞いて、自分を失うことのほうが、怖いことである。
人間は、いや、成功を志すものは、何かしら自分を持っている人であると、私は、思っている。
しかし、自分は、頑固者と思っていない。どころか軟弱者だとさえ感じる。
頑固を辞書でひいてみると、「自分の考えや態度を、固く守って変えないさま。強情。」と書いてあった。
ある意味、少しは当たっているところもある。
この間の選挙で、ある宗教を崇め奉っている母の姉が、自分の指示する議員が当選したのを感謝して電話をかけてきた。
母は、この宗教が大嫌いなので、母の姉も嫌っていた。
いつも、選挙前になると、電話や訪問してくる母の姉家族に、うんざりしている。
その姉と、私が同じ干支なのをいいことに、「あんたも、姉も強情だ。」と、ひとくくりされる。
そういう考えも、言い換えれば、強情なのではないか。
ひとは、いつも自分はいい子なのだ。
自分の考えを貫くのは、決して悪いことではない。
ひとの意見ばかり聞いて、自分を失うことのほうが、怖いことである。
人間は、いや、成功を志すものは、何かしら自分を持っている人であると、私は、思っている。