
お城検索は→こちら
前回のエントリー→こちら
2014年12月18日付けの地元紙にて、安土城に関する発見の現地一般公開を行う旨の記事が掲載されました。

記事によれば、天守台の東側にある「本丸取り付け台」にあった建物の規模が判明したとのことで、戦国史で有名な小和田哲男先生は「礎石が天主のものと同じ大きさで、重要な建物だったと考えられる」とのコメントを寄せています。また、天守台東側石垣の崩落が「破城」だった可能性が高まってきたことや、焼失したはずの天主など建物の燃えかすが残っていないことから、後片付けが行われた可能性があることが指摘されています。
2024年12月22日午前10時から午後3時に一般公開するとのことでしたが、12月10日には「周山城の石垣発掘現場」を訪ねたばかりで、さすがに2週続けての外出は許されず、悔し涙で枕を濡らしました


なので、2025年新春第一弾のお城巡りは
「坂本城石垣発見現場」と「安土城天守台周辺発掘現場」を訪ねて、に決定!!

2025年1月18日 安土城登城

今回は天守台周辺の発掘現場を中心に見学したので、大手道周辺の遺構や帰路の摠見寺跡三重塔・仁王門などは割愛致します。
安土城平面図

黒鉄門跡(南西出入り口)
ここから先が安土城の中枢部で、枡形虎口の門を過ぎると通路を何度も屈折させ、両脇の石垣上から殺気を感じながら進みます。


黒鉄門跡の先には「織田信雄公四代供養塔」があります。

そこは二の丸西側石垣の下に当たり、二の丸・本丸・三の丸がある山頂部をぐるりと石垣が周囲を取り巻いています。



天主西側の「二の丸」

頂上部には「信長廟」があります。

天主より俯瞰

天主南側の「本丸、本丸御殿」
二の丸から本丸に入る通路は、両側に積んだ石垣で狭められ、門のような構造物があったのかもしれません。

本丸は三方を、天守台・本丸帯曲輪・三の丸の石垣で囲まれ、南方向にのみ展望が開けています。
本丸跡では発掘調査の結果多くの礎石が発見され、天皇が住む内裏清涼殿と非常によく似た御殿が建っていたと考えられています。

本丸東側にある「三の丸」
本丸から見た三の丸西面石垣

本丸取り付け台から見た三の丸

三の丸石碑

三の丸西面石垣

三の丸南西隅

三の丸南面石垣

三の丸虎口階段跡

三の丸虎口石垣

本丸には四つの出入り口があります。一つは南西出入り口(黒金門)
二つ目は三の丸南側にある
「南東出入り口」

三つ目は三の丸北側にあって、本丸取り付け台石垣と三の丸北石垣によって枡形を構成する
「北東出入り口」
左三の丸、右本丸取り付け台

北東枡形虎口

三の丸北側に突き出した虎口石垣

四つ目は本丸取り付け台の北端に築かれた
「北出入口」
石垣を積んだクランク構造

少し引いた構図
現在発掘調査中の本丸取り付け台最北端に位置します。八角平(伝菅屋邸跡)虎口を経て「搦手道」に至ります。

「幻の安土城」復元プロジェクト 令和6年度安土城跡調査整備事業に伴う天守台周辺地区発掘調査
R6.8.1~R7.1.31
滋賀県文化スポーツ部文化財保護課
天守台東面、北東面、本丸取り付け台中央部
本丸から本丸取り付け台、石段

本丸取り付け台発掘調査現場は、天守台石段横の切岸・石垣部と削平部です。

削平部はL字型の曲輪で、発掘調査によって建物礎石の全貌が確認され、建物の規模や内部の空間利用も今後明らかになることでしょう。

天守台石垣崩落状況
何らかの改変を受けている可能性が指摘されています。


本丸取り付け台東斜面
右下には「台所跡」
奥には「北虎口」、その先は八角平(伝菅屋邸跡)が続く

天主跡

天主碑 虎口

虎口

北西方向

南西方向

天主からの眺望
北方向 琵琶湖と比良山系

北東方向 伊吹山

南西方向 安土城下(JR安土駅)

安土城跡は過去何回も発掘調査が行われていますが、安土山全体が城域と言っていいほど広く、完成から焼失までの期間が短いことから資料も少なく幻の城と呼ばれいる所以です。
今回の調査は令和4年から20年計画で、環境整備事業を行うための資料を得るためのものです。
滋賀県では「幻の安土城復元プロジェクト」と銘打っているので、私のようなミーハーじいさんは、豪華絢爛・八角の天主が再建されるのかと期待してしまいますよ
でも、私の生きているうちに拝むことはムリでしょうね
ともあれ、二の丸・三の丸・本丸御殿・本丸取り付け台御殿など、誰が住んでいたのか?何のためにあったのか?など素朴な疑問がすこしでも明らかになることを期待しておりますよ~
活動データ
移動距離;2.4Km
活動時間;1時間53分

ヤマップ3D

御城印

武将印

【安土城】
《近世城郭の先駆となった信長の幻の城》
名称(別名);
所在地;滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
城地種類;山城
築城年代;天正4年(1576)
築城者;織田信長
主な城主;織田氏
文化財区分;国指定特別史跡
近年の主な復元等;平成元年~20年「特別史跡安土城跡調査整備事業」が滋賀県主体により実施
天守の現状、形態;天守台の遺構が現存
地図;
前回のエントリー→こちら
2014年12月18日付けの地元紙にて、安土城に関する発見の現地一般公開を行う旨の記事が掲載されました。

記事によれば、天守台の東側にある「本丸取り付け台」にあった建物の規模が判明したとのことで、戦国史で有名な小和田哲男先生は「礎石が天主のものと同じ大きさで、重要な建物だったと考えられる」とのコメントを寄せています。また、天守台東側石垣の崩落が「破城」だった可能性が高まってきたことや、焼失したはずの天主など建物の燃えかすが残っていないことから、後片付けが行われた可能性があることが指摘されています。
2024年12月22日午前10時から午後3時に一般公開するとのことでしたが、12月10日には「周山城の石垣発掘現場」を訪ねたばかりで、さすがに2週続けての外出は許されず、悔し涙で枕を濡らしました



なので、2025年新春第一弾のお城巡りは
「坂本城石垣発見現場」と「安土城天守台周辺発掘現場」を訪ねて、に決定!!


2025年1月18日 安土城登城

今回は天守台周辺の発掘現場を中心に見学したので、大手道周辺の遺構や帰路の摠見寺跡三重塔・仁王門などは割愛致します。
安土城平面図

黒鉄門跡(南西出入り口)
ここから先が安土城の中枢部で、枡形虎口の門を過ぎると通路を何度も屈折させ、両脇の石垣上から殺気を感じながら進みます。


黒鉄門跡の先には「織田信雄公四代供養塔」があります。

そこは二の丸西側石垣の下に当たり、二の丸・本丸・三の丸がある山頂部をぐるりと石垣が周囲を取り巻いています。



天主西側の「二の丸」

頂上部には「信長廟」があります。

天主より俯瞰

天主南側の「本丸、本丸御殿」
二の丸から本丸に入る通路は、両側に積んだ石垣で狭められ、門のような構造物があったのかもしれません。

本丸は三方を、天守台・本丸帯曲輪・三の丸の石垣で囲まれ、南方向にのみ展望が開けています。
本丸跡では発掘調査の結果多くの礎石が発見され、天皇が住む内裏清涼殿と非常によく似た御殿が建っていたと考えられています。

本丸東側にある「三の丸」
本丸から見た三の丸西面石垣

本丸取り付け台から見た三の丸

三の丸石碑

三の丸西面石垣

三の丸南西隅

三の丸南面石垣

三の丸虎口階段跡

三の丸虎口石垣

本丸には四つの出入り口があります。一つは南西出入り口(黒金門)
二つ目は三の丸南側にある
「南東出入り口」

三つ目は三の丸北側にあって、本丸取り付け台石垣と三の丸北石垣によって枡形を構成する
「北東出入り口」
左三の丸、右本丸取り付け台

北東枡形虎口

三の丸北側に突き出した虎口石垣

四つ目は本丸取り付け台の北端に築かれた
「北出入口」
石垣を積んだクランク構造

少し引いた構図
現在発掘調査中の本丸取り付け台最北端に位置します。八角平(伝菅屋邸跡)虎口を経て「搦手道」に至ります。

「幻の安土城」復元プロジェクト 令和6年度安土城跡調査整備事業に伴う天守台周辺地区発掘調査
R6.8.1~R7.1.31
滋賀県文化スポーツ部文化財保護課
天守台東面、北東面、本丸取り付け台中央部
本丸から本丸取り付け台、石段

本丸取り付け台発掘調査現場は、天守台石段横の切岸・石垣部と削平部です。

削平部はL字型の曲輪で、発掘調査によって建物礎石の全貌が確認され、建物の規模や内部の空間利用も今後明らかになることでしょう。

天守台石垣崩落状況
何らかの改変を受けている可能性が指摘されています。


本丸取り付け台東斜面
右下には「台所跡」
奥には「北虎口」、その先は八角平(伝菅屋邸跡)が続く

天主跡

天主碑 虎口

虎口

北西方向

南西方向

天主からの眺望
北方向 琵琶湖と比良山系

北東方向 伊吹山

南西方向 安土城下(JR安土駅)

安土城跡は過去何回も発掘調査が行われていますが、安土山全体が城域と言っていいほど広く、完成から焼失までの期間が短いことから資料も少なく幻の城と呼ばれいる所以です。
今回の調査は令和4年から20年計画で、環境整備事業を行うための資料を得るためのものです。
滋賀県では「幻の安土城復元プロジェクト」と銘打っているので、私のようなミーハーじいさんは、豪華絢爛・八角の天主が再建されるのかと期待してしまいますよ

でも、私の生きているうちに拝むことはムリでしょうね

ともあれ、二の丸・三の丸・本丸御殿・本丸取り付け台御殿など、誰が住んでいたのか?何のためにあったのか?など素朴な疑問がすこしでも明らかになることを期待しておりますよ~

活動データ
移動距離;2.4Km
活動時間;1時間53分

ヤマップ3D

御城印

武将印

【安土城】
《近世城郭の先駆となった信長の幻の城》
名称(別名);
所在地;滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
城地種類;山城
築城年代;天正4年(1576)
築城者;織田信長
主な城主;織田氏
文化財区分;国指定特別史跡
近年の主な復元等;平成元年~20年「特別史跡安土城跡調査整備事業」が滋賀県主体により実施
天守の現状、形態;天守台の遺構が現存
地図;