雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

TRANSIT 4

2019-10-07 00:58:02 | サブ・タイトルの話
生誕と受難。喜びと悲しみ。天国と地獄。
そんな両極を行ったり来たりする旅の「受難」を中心とするお話は、
もう一度だけ続かせていただきまちゅ......
書ききれない......




そもそも今回の旅はコニャ(奥さん)の仕事に付き合うということで、
日程や準備は全て彼女に任せていたのです。
勿論、ラテンの血が流れるコニャですから、そのいい加減さは極まりなし。
深い考えなど一切無し。
泊まるホテルや旅程なども旅の二日前にラインで知らされたくらい。
旅行保険なんてかけているハズもなく。
中でもイビサ島に荷物を忘れた「ブエリング」というエアラインはLCCというやつで。
「Low Cost Carrier=ロー・コスト・キャリア」
格安だけど、いろいろなコスト圧縮をしていて。その分、何かとリスクは高く。
それでもって、タダでさえケセラセラなラテンの血がさわぐ地元スペインのLCC。
何か問題が起こっても日本支社は勿論、日本語スタッフや窓口などもなく。
スペイン語か英語のみ。
英語は第二言語なので、自分たちのレベルとどっこいどっこい。みたいな。



仕事などでは普通は避けます。



コニャは押さえます。(´・ω・`)



トラブル後に各所に連絡してこの航空会社の評判を聞いてみても、
皆一様に「最悪」と。

「午前中に届ける?と言ったんだよね?
じゃぁ、間違いなく夜か次の日だと思うよ。
ソレが普通だけどね。その国では。エアラインにしても」

案の定、その後ブエリングから届く状況伝達のショートメールは、
何度も丁寧に伝えたスーツケースの色やモデル名も早速、
ちゃんと間違っていて。それを見ても、
このままでは明日の午前中にホテルに荷物が届く可能性は低く。
夕方出発の帰国便にはまず乗れないだろうと。
そんなショートメールは返信ができない一方的な情報伝達のみの形。
ただ、どーも、メールからすると、
荷物は深夜にイビサからバルセロナ空港へは運び込まれたようで、
空港でスタンバイとなっています。

「どーすべぇ......」

僕が恐れたのは、明日の朝。
空港が動き出して荷物の配送を始めた時、スーツケースの配送は、
きっと航空会社から別の運送会社に委託され。
その運送会社が間違わないなどという保証はどこにもなく。
むしろ間違う可能性の方が高く!?
しかも、運送会社が間違えた時には、
間違いなく航空会社は運送会社のせいにするであろうと。
そうなると僕らの予定している帰国は完全にアウト。

「冷静に考えると、ホテルへの配送はマズイな......」

とにかく荷物が約束の時間通りにこのホテルに届くのか?どうか?
僕としてはもう一度、その状況を確かめたく。
それも、ロストバゲッジ・カウンターの時のような片言英語同士の会話では、
またミス・コミュニケーションが発生するかもしれない。
とはいえ、動かないことにはなんともならず。
時刻は深夜一時近く。
僕は先ずブエリング航空のトラブル番号に電話。
日本支社もないLCC。スペイン語か英語のみ。
電話はAIキャラクターとのリモート会話形式。
幾つかのポイントをくぐり抜け、やっと最後のセクションにたどり着くと......

「只今営業時間外です。プツ......」

「なんだったんだ!?(@_@)この時間は......」

続いて、ブエリングの株主でもあり、
代理受付カウンターともなっていたイベリア航空の日本支社に電話。
スペインオフィスは閉まってるけど、日本なら空いている時間。

「運用などに関しては一切かかわっていませんので、
ブエリングの方と話してください。プツ......」

こうなったら、
スペイン語ができる人に明日の朝一番に状況確認をたのもうか、と。
コニャがホテルを頼んだ旅行代理店のマドリード支店の緊急番号に電話。

「荷物トラブルはサービス外になるので......
ソチラで粘り強くやるしかないのでは......」

続いて僕さん。
持っているカード会社の緊急番号に電話。

「それはサービス外となりますので......」

今度は、無理は承知でスペイン大使館の緊急電話に。

「それは、ご自身で対応してください。ピシッ!」

冷たい。そりゃそーか。
やばい。手が尽きた。ん?そーか。
今回はツカヘイさんの「神ゴト」で来てもいるわけで、
これだけ不可思議なことが連続するということは、もしかして、
何か神様的な理由があるのかも?しれない。
そーすると、ねーさんに相談したら何か突破口が開けるかな?と。
オフィスで絶賛働き中のねーさんにSOSラインを送信。

「知り合いの知り合いにスペイン語の通訳さんがいるから助けてもらうね」

「さっき、もらった航空会社のHPにスペイン語でクレームメール入れたよ。
飲まないといけない薬が入っているとか、そういうことも入れて。
裁判になった時にも証拠になるから」

と、感謝感激のありがたいラインが。
ねーさんやお友達、その先のお友達さんには厚い御礼を伝えなければ!と。
しかし、やはり、ここまで来て一番大事なことは、
明日の午前中までになんとしても荷物を受け取ることで。
そうでなければ予定通り日本に帰れない。
飛行機もホテルも帰国後の仕事スケジュールも全て再調整しなければいけない。
何より、スーツケースの中にあるパソコン!
そこには大事なお仕事データが沢山。

「ねーさんに話しても事態が今以上に進まないということは......
神ゴトではなく、やはり現実力か。。
もう一枚カードを切るか......会社の旅行課に相談じゃ......」

僕は休暇中なのに会社のデスクのFukiちゃん(♀)に連絡。
彼女が社内のトラベルセクションの海外担当に話してくれて。
しかし、あいにく、その人がお出かけ中のようで。
戻る時間はわからない、とのこと。
でも、とにかく、そのエアラインは業務での使用は避けてます、とのことで。
さらには、イギリス・キャリアのあるマネージャーのOKさん(♂)にも相談。
スペイン語を話せる友達がいるので動けるか聞いてみる、との返事が。
しかし、今すぐ繋がるかはわからない、とのことで。

「こーなったら最終手段か......プロだからお願いしたくなかったけど。
もう、アノ先輩にスガルしかないな、、」

僕さんの旅におけるファイナルカード。
御大「JTB」のコーディネーターK先輩にライン。
この場合、内容はたった一言。



「助けてください」



早々に、トラブルの全容がわかるショートメールを全て転送してくれ、
との返事が。
僕さんはブエリングの状況報告ショートメールと緊急連絡先を全て転送。
そして、僅か5分後。



「全て話したから。ホテル配送はやめてもらって、空港にとどめてもらってる。
絶対空港で受け取る方がいい。
uzmetの言うように配送会社のトラブルが避けれるから。
明日の朝、航空会社のロスト&ファウンドカウンターに行って
報告書を出してください。
アイフォンの番号確認もするから忘れずに。
そこで本人確認して渡すそうです」



それから三時間後。翌朝7時。結局、
いろいろな心配で僕もコニャも一睡もできず。朝食も取らず。ホテルには
「もし荷物が届いたら引き返すので教えてほしい」
と伝え、そのままタクシーで再び空港へ。
空港に行く途中、もう一度Kさんとラインでコンタクト。
行ってみたら荷物は配送された後だった、、、が怖い、という状況確認。



「以前、アメリカで、取りに行ったら違う空港に送られていたことあったね。
わかるよ。なのでさっき、
オペレーターのお姉さんにつながって確認もしてもらいました。
一時間以内に取りに行くと伝わってますが、お姉さんがどう動くか、なので、
彼女のレスポンスが良ければいいのですが。
目で見るまでは安心できませんが、記録上ではまだ空港にあるそうです」



Kさん......



神。



経験が違う。



すげー......感激。



空港のカウンターにつくと、
荷物を受け取るために空港内を二か所ほど動かされ、それで、やっと、
イビサ島で荷物を預けて以来、約24時間ぶりに、自分の荷物と御対面。



「これで、なんとか、予定通り、今日の夕方に日本に出発できる、な、、」



かなり理不尽なことだけど......感激。意味のわからない感激。
ホッ、と一息と、ため息。
その後、僕らはチェックアウトのためもう一度空港からホテルへ戻ることに。
タクシーを捕まえ、取り戻した二つのスーツケースをトランクに乗せ、乗り込むと、
運転手さんは片言の英語がイケちゃうカナリ御陽気な人で......



「ヘイ!バルセロナは初めてかい?」



苦虫を噛み潰したような表情で顔を見合わせる僕さんとコニャ。
どう返答すればよいのか......???



「イエス!いい街でちゅね!(T . T)ぶぇ」



そこからホテルに着くまで、
既に僕らが回った名所のガイドを丁寧にしてくれた運転手さん。
泣き笑う様な複雑な気持ちで話を聞く僕さん達。
ホテルで降りた時には、

「ヘイ!このホテルからサグラダファミリア迄は、この道をこう行ってだな、、」

「あ、ありがちゅーーー、、、ヾ(;´▽`A``」

ホテルに戻るとスタッフさんに一通りの憐れみを受け。
チェックアウトの時間も好きに伸ばしていいよ、と。
それでも部屋の荷物は早々にまとめ、
スーツケースが無くて出来なかった下着や服の着替えもして、チェックアウト。
夕方までホテルに荷物を預け、もう5時間ほど、
僕らはバルセロナの街の散策に出かけることにしました。

数日前、僕の日本出発の便が飛ばなかった時、
予約していたサグラダファミリアの入場チケット時間には間にあわないだろう、
と考えたコニャが、予備でもう1日、
日本へ戻る、この日の入場券を押さえていました。
であれば、せっかくなのでソレもキャンセルせずに使うことにして。
ホテルを出た僕らはもう一度、
そこから歩いてすぐのサグラダファミリアに向かいました。
中に入ると、僕らは今回の旅で二度目となる祭壇の最前列に座り、
心労の果てに、故に、自然と無心となった祈りを前回より長い時間捧げ......
ホッとしたような、気が抜けたような、無心状態......
そんな祈りを終え、
あまりの受難さ加減に「受難のファサード」を正面に見る方の公園にも寄って、
今回の旅におけるサグラダファミリアの最後の写真を一枚。スマホでパシャリ。



ねーさんが教えてくれた、
カタルーニャの神とガウディさんに捧げるお酒とライムもお持ちして。



実は、これは最初にここに来た時に、
「生誕のファサード」側の公園で捧げていたものでもあるのです、が......
結局、両方のファサードに捧げることになったという......FUSIGI......



つくづく思うのは、

時にトラブルは人が巻き起こしますが、

結局、人しかトラブルを解決してくれない。

大切なのは人であり。

人との関係。絆。

あたりまえだけど、身に沁みて、そんなこと。

サグラダファミリアを後にした僕らは、
また、バルセロナの街をプラプラと......
それは、またもや天国のような時間ではあって......









何があろうと、この街には、
思いつめた顔の人は見当たらないのです。









でも、バルセロナといったら!
FCバルセロナ!でしょ!
メッシでしょ!
カンプ・ノウ(Camp Nou)でしょ!と。



当初、先にバルセロナに入っていたコニャに試合チケットを頼んでいたのですけど......
チケットは取れるけど日程がうまく合わなかったとのことで。
カンプノウを前にして、ココでも涙がちょちょぎれた僕さん......

つくづくダメダメぷーなコニャ......

アーメン......

Kさんと、ねーさんと、ねーさんの友人であるmihoさんと通訳のasaiさん。
デスクのFukiちゃんと、マネージャーのOKさん
今回のおバカ旅のサポートに、深い感謝を込めて。
心から、ありがとうございました。

いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」
と、見つけてもらえたら。
サブタイトルにあるように、
このブログはいつもそんな思いで書き記しています。




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自分ならざるもの 2

2019-09-17 00:00:30 | サブ・タイトルの話
その当人は、真っ白な、美しく創られた桐の箱を用意し、
ピカピカに磨かれた、直径一センチの、
とても美しい天然水晶の小さな玉を、その箱の中に納めました。
その玉は結構長い間、
身近に置いてとても大切にしてきた玉でもあって。
しかし、その箱の蓋は二度と開けられることはない......のでしょうか。
場合によっては、大地の中に埋めてしまうかもしれない......と。
そんなことも、その当人は考えている様でした。



自分ならざるもの




====================================
上にテキストリンクをしていますが、今回は、少し前の記事の続編となります。
その記事には、メール等で色々なお話や質問を沢山頂いていたのですが、
今回の記事がその答えになれば......と。
大切な人へ、そんな気持ちで置いておきます。
====================================



言葉を伝えられた当人は、その言葉通り、
小さな水晶玉を入れた桐の箱を、
部屋の片隅にある先祖代々の位牌の下に置いておきました。
箱は位牌の下に敷くようにして置くのではなく。
位牌が乗っている真っ白な木の板の下に、
高さ10センチぐらいの箱の入る空間を作って、
その空間の奥、位牌の真下に相当する辺りに、そっと、
目立たぬようにして置いておきました。
それはまるで、墓碑の下の地中に埋められている骨壷のように、
そんなふうにして置かれていました。



しばらく、



「その時」が自然と来るまで、



タマの入った箱は静かに、そこに置かれていました。



——————そして、また、しばらくの時が経ち——————



尊い存在から言葉を降ろす不可思議な御人は、
玉を鎮めた当人に、新たな言葉を届けました。



「石は土に埋めるのではありません」



相変わらずの不思議な空気感を身にまといながら、
御人そんなことを言いました。



「母なる海に還すのだそうです」



言われている当人は、そのまま黙し、
その御人の降ろす言葉を聞いています。



「海はどこでもかまいません。
世界中、どこでも繋がっています。

......固執しすぎているせいか、手を離すと、
その分、力を失うのではないか、と。
それゆえに、魂の声に身を任せられずに今に至ります。
反対に言えば、今だからこそ手離すチャンスです。
石は、母なる海でコロコロと洗われながら、
月と地球の輪を成します。

天地結ばれれば、固くむすび。
天久の智をもって、我を助ける。

では、行ってらっしゃいませ」



新たな言葉を受けた当人は、
先祖代々の位牌の下にしばらく置いていた水晶のタマを、
容れ物の桐の箱ごと部屋から持ち出しました。



行き先は、



綺麗な海を遥かに見渡せる浜辺。



時は、



美しくも妖艶な満月の夜。



たどり着いた浜辺には、端の方に、
海にせり出した観光用の綺麗な桟橋がありました。
バッグパックの中に箱を携えた当人は、
その桟橋の先端まで、一人、歩いて行きました。
実は、当人は、この夜の浜辺に来るまで、日中、
いくつかの「しかるべき」神社を一本の酒を携え、回ってきていました。
その巡りの最終地がこの浜辺であり、
バッグの中には日中に巡った神社で捧げてきた酒の残りも入っています。



「酒も、繋いできました」



浜辺に突き出た桟橋の突端にしゃがみ込んだ当人は、
手にしていたバッグから酒瓶と、焼き物の猪口(ちょこ)を取り出し。
神々を繋いで来たお酒を、なみなみと猪口に注ぎました。
次に、タマの入った桐の箱も......取り出し、
酒の注がれた猪口と酒瓶の脇にそっと置きました。
そして、その前に立ち、しばしの静寂を感じ、目を閉じ、両手を合わせ、
祝詞もあげて。
胸に去来する様々なことを、ポツポツと、
誰に届けるでもない口調で語り出します。



「全てを、、手放します。
生まれ、、、変わります。
とにかく、頑張ります。
何が正しくて、何が間違いか、
実は、本当のところ、今でもよくわかってはいません。
でも、こうすることが、
こうすることで、
また、新しく進んでいけそうな、
そんな気もするのです。
とにかく、今までの自分とはさようならです。

これまでの自分も決して嫌いではなかったけれど。
好きだったと思うけど、でも、いつも、何かが足りない気がしていて。
このままではダメだという気持ちも、いつも強く持っていて。
そんな自分ではこれ以上進めない所にまで来てしまったのではないか、と、、
必ず、素晴らしい人間になってみせます。
強く、大きな人間になってみせます。

サヨウナラ。

好きだったけど、
嫌いだった、
憎んでもいたかもしれない、
どうしようもなかった、、、、、、、自分、、、」



満月の輝く夜の海は、
その光を淡い夢のように反射させ、波打っていました。
月の光はどこかへ続いていく道の様に、細長く、幻の如く海の上に漂っていて。
そんな月の光の道が海から桟橋へとつながり来る場所に立った当人は、
酒の横に置いてあった桐の箱からピカピカと光る水晶の玉を取り出し。
そして、その玉に一礼をして。感謝の気持ちも込めて。
目前の夜の海に、程よい力で、
少しばかり遠くへと投げ込みました。



.......ポシャ、、、っと、



かすかに、



遠くから玉が海に落ちる音が聞こえてきました。



続いて、石の入っていた木の箱も、
蓋と本体部分とに分けて海に投げ入れました。
言葉を下ろす御人からは、ねぎらいの言葉が届いてきました。



「今日は、観月会という日でした。
日本中の神社でも催事が多く行われていたと思います。
今日は120点です。満点以上です。
これから2、3日は、不具合があるかと思います。
4日後から歯車は噛み合ってきます。
お疲れ様でした。ごゆっくり。
本当にお疲れ様でした」



どうやら、自分の、
自分の手による葬式は終わったようです。



すべきことを終え、
そのまましばらく満月の輝く夜の浜辺に佇んでいた当人は、
何処からか声が響いてくるのを聞いていました。

「海原を治めさい」

「夜を治めなさい」

「よるのおすくにをしらせ————夜の食国を知らせ」

神話にそんなことを記されていた特別な2柱の神。
青き炎を宿す、大王なる神と、月を司る宵闇の神。
本当のところ、この二神は表裏一体の関係。
力の現れが違うだけであり、根本は繋がっていて。
どちらがどちらともいえない関係。
このことを知る人は、感じられていた人は、
この世界に、果たしてどれくらいいたのか。いないのか。
そんな二神が一体となり、本来の形に戻り。
しかし、戻ったとしても、繰り返したとしても、
この世の理(ことわり)の通り、
以前と全く同じ形になるというわけではなく。

それは、

新たな神の誕生ということであり。

これまでにない神の登場ということであり。

2神の力を併せ持つ強大な神となるということであって。

この後には、他の沢山の神々も同様の結合と進化が控えていて。
全て、これまでと同じでは、これ以上は進めないのだ、と。
人も「自分ならざるもの」に導かれている状態では、
もう、行き止まりなのだ、と。

海に沈んだ水晶のタマは、ゆらり、ゆられ。
コロコロと流れゆき。
自身と地球と月と太陽と宇宙の果てとを繋ぐ、
そんな石となりえるのだろうか。
満月の光と空と。大きな海と。
心地よく寄せ返す波の音。
それらの輪郭は、これまでにない明瞭さを現して来て、
海辺に佇む当人の胸に迫ってきていました。



———————ちはやぶる  神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは—————————————


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自分ならざるもの

2019-09-09 00:06:29 | サブ・タイトルの話
「どんなものでもよいので、石を一つ用意してください。
それは、今、持っていなくても、いつか、きっと、
これだ!と思えるものが見つかります。
そのが自然と見つかった時でいいですので......」



と、その、何の変哲もない、普通の身なりをした御人は言います。



「その石を、これも何でもいいので、気に入った箱に入れて、
蓋をして、先祖代々の位牌の下に置いてください。
そして、二度と、それを開けないでください。
それが必要だと、そう言っています。
意味は......わかりませんが.......」



ごく普通の服装とは裏腹に、どこか特別な空気を纏った御人を通して、
そんなことを話してくれている存在とは、それは、
表現をするなら「尊い存在」であって。
当然、そんなコトの意味もあるわけで。
わからないといっている御人も、本当は、勿論、わかっているわけで。



そして、



そんな言葉を受けた当人も、



その意味はよく分かっていました。



それは、お葬式です。



自分を、自分の手で、鎮めるのです。



そして、それは、



二度と開けてはいけない、



パンドラの箱ともなるのです。



そのことを決意させられ、



そして、



試されもするわけです。



その当人は、真っ白な、美しく創られた桐の箱を用意し、
ピカピカに磨かれた、直径一センチの、
とても美しい天然水晶の小さな玉を、その箱の中に納めました。
その玉は結構長い間、
身近に置いてとても大切にしてきた玉でもあって。
しかし、その箱の蓋は二度と開けられることはない......のでしょうか。
場合によっては、大地の中に埋めてしまうかもしれない......と。
そんなことも、その当人は考えている様でした。



「自分ならざるもの」



人が苦しんでいるとき、大抵は、この、
「自分ならざるもの」によって、ということが多い様な気がします。
それはコントロールの利かなくなった馬の様に手ごわくて。
背中に乗っている人は、もう、どうすることもできなくて。
荒ぶる馬に必死にしがみつき、なだめよう、なだめよう、と乱舞乱闘。
最近も、そんな人としばらく接していたことがありました。



人がなぜ、自由であるのか。
それは、きっと、
自らの思考を選択することができるからです。
意思ではなく、思考です。
そんな思考の選択が出来なくなったとき、
思考は魔物へと変化します。
荒ぶる馬へと変化します。



思考とは、
自分が乗っている馬であり、
自分を助けてくれるものであり。
自分そのものではないわけで。

浮かび来るものであり、
下りてくるものであり、
降ってくるものであり、
意図すらしないものであり。
走らせて、回すものであり。

今気になっている、
直面している、
様々なコトゴトであり。

それは時に仕事のことだったり、
家族のことだったり、
友達のことだったり、
お金のことだったり、
将来のことだったり、
考えまい、考えまい、としていても、
纏わりついて、浮かんできて、消えないものであって。
それこそが、
選択できない思考というものです。
荒ぶる馬というものです。



自由とは、なんなのか。



それは、ある部分、



思考を選択できるということです。



選択を、取り戻す。



そうして、自由を取り戻す。



そうするためには、時に、
思考より先に行動がなければ取り戻せない時があるように思います。
なだめられない思考であれば、
捨てる事が必要な時があるようにも思えます。
なだめられる、選択もできる思考を取り戻すための、
思考に先行する思考ゼロの行動。打算ゼロの行動。
行動するそのコト以外には、何の意図も意味も無いという行動。
そんなことが、
時に思考の選択と自由を取り戻すキッカケとなることがある様に思えます。

執着も、執着ということを考えた時点で蟻地獄。
それこそが執着そのもの。
だからこそ、意味も考えない行動を先にしてしまう。
それが良薬と成りえることもあって。



それは、しがみついてでも乗りたい馬なのか?



将来が不安であれば、
考えないことです。
全てに行動を先行させることです。
先行をさせなくとも、
思考は行動とともにすればいいのかもしれません。

将来が見えないのであれば、
夢を持つことです。
志(こころざし)をたてることです。
適当な、いい加減な、バカみたいな、
そんな夢や志を創っておけばいいのです。
自分をだましたって......それでいいのです。
他人を傷つけたり、困らせるようなことになるのなら、
その方が何百倍も素晴らしく、正しくもあることです。
夢や志や意思は、思考とは違うものなのですから。



自分ならざる者は、



自分で殺すしかないのです。



自分ならざる者に引きずられて、



自分を失ってしまうくらいならば、



自分で封印するしかないのです。



そんなものに引きずられる生なんて、



いりません。



それは神に与えられた「自由」を失ってしまった魂です。



箱に入れて、



お葬式です。



......



......



なんの話?



助けたい、大切な人がいるからです。



いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」
と、見つけてもらえたら。
サブタイトルにあるように、
このブログはいつもそんな思いで書き記してます。




時に、自分など捨ててしまえ!って。



誰も悲しみやせんけんのー!って。



そんな話っす(^^)



よく行くカフェ。東京、自由が丘の「TODAY'S SPECIAL Kitchen」
ここのお店のチーズケーキレモネードのコンビネーションは抜群なんす。
ま、ま、いっぱい。お気楽に。お茶でも。
これだけで幸せなんす。ええ。ええ。(*´∇`*)


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キャー!ポンポン♡

2019-01-28 00:02:00 | サブ・タイトルの話
「毎日毎日、歩きながら、すごく色々考えました......」



先々週ぐらい。
アメリカのロサンゼルス・オフィスに勤めていたスタッフのKGさん(♂)
が東京に戻ってきて、僕にそんな話をしてくれました。



「uzmetさんも来てくれていた、あのオフィスに向かう道で、
もう、本当に色んなことを考えました。
でも、面白いですね。日本にいる時よりとても深く、スッキリと考えられるんですよ。
LAのそういう空気というか、気候というか、、、にはとても助けられました。
日本だったらノイローゼになっちゃったかもしれません。
アメリカっていいですね。本当に、心からそう思いました......」



彼は会社を辞める決意をしたようです。
そのことを、一人、ずっとLAで考え抜いていて。
それで出した結論を僕に話そうと、わざわざ時間を取って話してくれました。
僕はLAオフィスの仕事をかなり手伝っていたりもしたので、
そんなこともあってのことだとは思いますが、
この話をしてくれている時の彼の顔はなんだかとても晴れやかで。
スキッ!とした、頼もしいものでした。



「......それで、人を教える仕事をしたいな、と、思いまして。
日本に戻ります。
ここからまた新しく頑張ってみようかと(^_^)」



彼とはLAは勿論、NYでも幾度か会っていて、時折、色々なことを話しても来ましたが、
今まで話していなかったことを少しだけ、僕は彼に話すことにしました。



「......実は、俺ね、君のその感じ凄く良くわかるんだよね。
LAの空気というか、アメリカの空気というか。
日本と全く正反対のところがあるじゃん?
それが凄く色々なことをクリアに考えさせてくれるってこと。
俺、ちょうど君ぐらいの年の時にLAに3ヶ月ぐらい住んでたの。この会社に移って来る前に。
その内の2ヶ月ぐらいは大学のサマースクールに通ってたのね。(^ω^)」

「ええ!?いや、初めて聞きました。そーだったんですか。それでLA詳しかったんですね」

「そーなの。知らなかったでしょ。話したことないもんね。そんなこと。
でさ、学校に行っている時に住んでいたのが、
実はウェストウッドにあるUCLAのドミトリーで。
そこから大学の教室に毎日通ってたの」

「あ、わかります。あのグラウンドの上の丘のあたりっすよね」

「そーそー(^ω^)アメフト・グラウンドのすぐ脇に立ってる一番大きな寮にいたのよ。
そこそこ。」

「よく分かります(^_^)」

「その寮に住んでいた時にさ、毎日考えていたことが、実は、
未だに俺の将来の道しるべになっているんだよね。本当に。
ジジイになって、死ぬ前にはこういうことを成してみたいな、、、って。
それってもう少し先!?の話でもあるし、まだ全然実現もしてないけど、
その時のLAで考えついたことなんだよ。
ま、その細かい内容は未だに誰にも話していないんだけどね。君にも。奥さんにも。
でもさ、それに向かって今もこうして働いてるし、動いてるワケではあるんだよね。
その時のLAで過ごした時間ってさ、とても短かったけど、
未だに自分の中で光り輝いている時間だったりもするんだよね。不思議と。
思い出すだけでいつもとても嬉しくなったり、元気になったり。
きっと生涯忘れないと思うんだよなぁ。。
あの3ヶ月より楽しかった時間とか、マジ俺には無いかもしれないぐらい。
実は凄い意味のある時間だったんじゃないかと、今でも心からそう思うもの。
きっとさ、君のアメリカでの時間もこれからそうなっていくのではないのかなぁ......って。
とても大事な時間を過ごせたんじゃないかって。そう思うけど。俺は。
良かったんじゃん!?
会社を辞めるって話がいい話か?どうか?はわからないけど、でも、
この世界に良い悪いなんてないし。
とにかく、とても意義と意味が深い時間になっているんじゃないのか、と。うん。(^ω^)

「はい!いや、ホント、そうなんです。はい(^_^)」

「こっちで落ち着いてきたら、またゆっくりご飯でも食べながらはなそーぜー(^ω^)」

「ハイ!(^_^)」



時折、人は新鮮な環境に身を置くことが必要なのではないかと、そう思います。
旅もその1つでしょうし、仕事や赴任、引っ越しとかもそうかもしれません。
親元を離れて暮らしてみるとか。
1人で暮らしてみるとか。2人とか、数人で暮らしてみるとか。
例え体が動かない様になっても、目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても、
それに準じる様な「何か」は必要なのではないか、とも思えます。
普段しないことをしてみる、とか。考えてみる、とか。
本や、未知の映像やゲームの世界に没頭してみる、とか。
話したことのない人と話してみる、とか。
その時の自分にできる精一杯の変化をつけてみること。そうしようとする意思。
そんな中で見つけることは、きっと、希望に近いことなのだとも思うからです。
自分が慣れ親しんだ世界とは違う世界が与えてくれるのは、いつも、新鮮さと、
元々自分の中にあったのに、気づいていなかった「何か」だったりもするのだと思います。
それは、時に、自分の人生を変えることすらある様な気もします。
人生とまでは言わないまでも、
凝り固まっていた価値観を変えてくれることなどもある様に、僕には思えるのです。

幸せに導いてくれるようなことも?あるように思えるのです。

KGさんの、これからのさらなる活躍と幸せを心より祈っています。

このブログのサブタイトルに嘘はありません。(^^)





サンタモニカビーチとビバリーヒルズのちょうど真ん中あたりにある
ウェストウッド(Westwood)。有名な「UCLA」がある街です。
学生さんが多いので物価も安く、治安も雰囲気もとてもスマートで。
ちょっとのんびりもしていて、気取ってもいなくて。
海と山のちょうど中間にあって、どっちに出るのも便利。
そんなところがたまらなく好きな街です。



上の写真の真ん中に映っているロケットの様な細い塔型の建物は映画館。
街のランドマークでもあって、僕がよく通っていた思い出の場所の1つ。
今も健在みたいです。(^^)そして、言わずと知れた
「 UCLA=University of California, Los Angeles = カリフォルニア大学ロサンゼルス校」







下の写真の、グラウンドの向こうの丘に建つ建物が、KGさんも言っていた、
僕が数ヶ月住んでいた「スプロール・ホール」と言う名前のドミトリー。



正面入口はこんな感じ。一帯に沢山あるドミトリーの中の一つ。



寮の前にある、毎朝いた「カフェ1919」とサンセットヴィレッジ。
宿題とかやっていました。





部屋の窓からの眺めはこんな感じ。
グラウンドの向う側にある茶色い古い建築様式の建物は図書館。
よく1人で居座ってました。



毎朝、このグラウンドで合宿を張っていた
チアガールさん達の黄色い朝練の声で起きていて......

「♪てきらうぇい!でぃーーふぇーーんす!♪キャーッ!ポンポン!」

「むにゅむにゅ......もしや!?天国で起きちゃったの!?」

なんて、ベッドでボケボケしながら思っちゃったりなんかして......



この道を毎日通っていたのですけど、
僕さんは、わざわざ遠回りになるグラウンドの中を突っ切って教室に行ったりもしていて。
なぜならばばば!練習中のチアのおねーさん達の前を通ると、お約束事で、
一斉に美脚を上げて、両手に持ったポンポンで大声で応援してくれるから!(*´ー`*)♡

「ファイッ!ファイッ!とぅー ういん!キャーッ!ポンポン♡」

みたいな。ええ。練習とわかっていても勘違いしそーになるのです。ええ。アブナイっす。
すぐお隣のプロの大会も開かれるテニスコートも使いたいホーダイ。



他にもトレーニングジムとか、プールなどは屋内、屋外ともに3つぐらい揃ってます。
とにかく、何をするにも不足の無い贅沢な設備。
そして、こんな感じのこのエリアは、
LAに行くといつもツイツイ訪れてしまう場所ともなっていて。
性懲りも無く、と言うか。意味もなく、と言うか。
感傷的と言うか、回顧的と言うか。情けないというか、なんと言うか。
一つ言えるのは、きっと僕はココが大好きなんだと思います。



僕のいた「スプロールホール(Sproul Hall)」という寮は、
日本の2倍以上はある長い夏休みを取っている生徒さんの部屋を、
夏の間だけ一般に解放するようなのです。生徒さんは空けた分年間賃料が安くなるし、
寮側としたら一般貸しの方が賃料も上げられて儲かる。とても合理的な考え方。
最初「スプロール」と言う名前の意味が全く分からず、
その意味を館のスタッフさんに聞いてみると、
このホールを建てた人の名前が「SPROUL」さんであると。
UCLAの卒業生で、母校への寄付としてその人から贈られた建物なのだそうです。

そして、全米屈指の大学の広大なキャンパスには、
そんなふうに卒業生から寄付された建物やら施設やら様々なアイテムやらが沢山あります。

卒業後、社会的にも金銭的にも成功した人は、母校へのお礼と、自分の名誉と、
後輩たちへの紳士的手本ともなるべく、この様な寄付をする人が多いのだそうです。
母校に名を残すことはアメリカでは一つの大きなステータスともなる様で。
それが卒業生達の一つの「カタ」ともなっていて。
生徒は生徒で、そんな寄付された様々なものものの恩恵を受けれるわけであって、
そんな充実した施設を体感して行くうちに、僕自身、凄く自然に思ったのは、

「この大学、スゲーな。最高だな。子供とか出来たら!?ここに通わせたいな......」

みたいなこと。先に記したチアガールさん達も、
夏合宿という形で憧れのUCLAのチアリーダーさんに教わりつつ、
「体験入学」も兼ねているわけです。それも、全世界から集まって。
現役のUCLAのチアリーダーさんにとっては
とてもいい夏休みバイトともなっているようですし、
そんなふうに世界中から集まっている在学中の現役生徒さん達も、
この素晴らしい環境で毎日を過ごすうちに、

「いつか自分もこの母校に名前を刻むんだ、、、」

「社会に出たら寄付が出来るような人になれるよう頑張ろう、、」

と、そんな思いが芽生えて来る様でもあるのです。
そんな連鎖が世代や国を超え、伝統ともなっていて。
大学としては費用が軽減されながら施設はどんどん充実していって。
そんな充実した施設がまた世界中から多くの学生達を惹きつけるチカラともなって。
人気となって競争力も上がり、優秀な人を集めも育てもして。
世界中から来て、世界中に出て行く人達は、
そんな大学のことをまた世界中で誇らしく話したりするわけで。
ソレもブランドが世界的に構築されて行く要因ともなっていって。

そんなサイクル。

ハードウェアの完璧な回し方。

完璧なブランディング。

大学をビジネスと捉えてみた時も、この合理的なサイクルには感嘆してしまいます。
日本の大学でこんなサイクルを完璧に形成させているころなどあるのだろうか?と。
経済的な合理性も含めて、民主的に、自然と創られていくブランド。
イイ歳こいて海を渡ると、
ワカゾーの時とはまた違った視野でモノを見れる様なことがあったりも?
するようです(^^)


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SUNNY

2018-09-02 00:13:22 | サブ・タイトルの話
「心地の良い人というのは、こんな人のことなのだろうなぁ......」

と、僕に心底思わせてくれるその人は、
初夏の逗子の海を広く見渡せる気持ちの良いカフェで、
休日の冷たいコーヒーを飲みながらゆったりと僕を待っていてくれました。
お名前は「サニー武石」さん。左の黒い服の方です。



右の長い黒髪の女性は敏腕タレント・マネージャーのKIKOさん。
以前、この「恐山徒然」という記事にも登場してくれています。
この日の貴重なアポイントの調整をしてくれました。流石の行動力。感謝(^^)
サニーさんと言えば「ビッグ・アイランド」ハワイ島を愛している人達の間では

「知らない人はいないのでは?」

というくらい有名な方。一般に知られている部分としては、僕も幾度かお世話になっている
「太公望(たいこうぼう)」という有名なツアーガイド会社を経営されています。
今やメジャーなアトラクションともなっているマウナケア山頂における
サンセットやサンライズなどの公的なツアーも、
このサニーさんが最初に創出してきました。
地球上で最も綺麗な星空とも言われるマウナケアの山頂で、
本格的な「スターガイド」を始めた方もこの方。とてもリスペクトでレジェンダリーな方。
最近はデザイナーさんとの共著で講談社さんから本を出されたようで、
この日はそのプロモーションイベントの予定が少々の変更となり、
その空いた時間を急遽、ポンチキな僕さんに割いてくれたのでした。とてもありがたし(^^)
ちなみに、そんなサニーさんの本というのは......こちらさんで......



「ハワイ島 宙の音 星空ガイド物語」
「宙の音」は「そらのおと」と読むようです。
サニーさんの人柄同様、とても心地のよい本。中に収められている写真は、
どれもサニーさんがハワイ島で暮らす中で撮ってきた神々しいものばかり。
とても貴重な本。サインも頂いていたりして。ええ。ええ。ご満悦で(^^)お宝。お宝。



ちょっとしたワケがあって、シルバーのペンでサインを入れて頂いたこのページには、
サニーさんがこの本で一番言いたかった事が載っているとのこと。
改めて見てみると、星で満ち満ちたハワイ島の夜空を写した写真の上に、
こんなことが記されていました————————



これからも
この美しい地球と人間が、
いつまでも仲良く
暮らせていけますように。



————————待ち合わせの店を決めようとした時、
最初は地元のサニーさんにおまかせしようとしていたのですが、
もう、日本を離れて何十年となるサニーさんは、
最近の逗子のお店事情は全くわからないとのことで。
それで、こちらに任せてもらいつつ、
僕の方で指定したのが今回のカフェだったのですが、実は、
ソレにはちょっとしたワケもあり。それが、

「サニーと会うならココが良いぞ......」

と、神様に言われていたからなのでした。
でもこのカフェはとてもメジャーな場所と店でもあるので、
休日はいつも満席のイメージがあり、

「もし満席だったら他の店に変えます」

と。そんな連絡を取り合いながら僕はKIKOさんと店に向かいました。
そしてイザその店に着いてみると、不思議と混んでいなくて。
しかも僕が一番好きな席に!見事に!サニーさんが座っていたのです。
最初に神様からこのお店を言われた時に、僕は、

「らしくないな......なんで?こんな混みまくりの店を言ってくるのだ?」

と、理由がよくわからないままサニーさんに伝えていたのですが、
サニーさんにお会いして、彼の最初の言葉を聞いた時にその謎も解けました。

「驚いた。僕が子供の頃、最初に遊んだ海が、まさに、
このテーブルの真ん前の所なんですよ......ほんとに。こんな店あったんだね。
僕が子供の頃は、この辺は鬱蒼とした森でね、こんな店になってるなんて知らなかった。
本当に驚いた。とても懐かしい.......」



神様には何か?意図でも?あったのでしょうか(^^)
ともかく、この日のサニーさんには必要な場所だったようにも思えました。
そして、もう一つ不思議なことがあって。ソレがこの日、プリリンねーさんからも届いた
マウナケアの崇高なる女神「ポリアフ」さんからのメッセージ......

「サニーと会ったら、皆でりんごを食べてほしい。。」

「は!?は、はぁ、、、(・・;)」

それで僕は、僕のポンチキさにもすっかり小慣れた!?
KIKOさんと一緒にスーパーでそのリンゴを買い、スルッとカフェに持ち込んで......



「ポリアフさんにとどきますよーにーーーー。。」

と、皆で店員さんの目を盗みながら!?カプッと頂きました。
こんなポンチキな話もバカにせず、疑わず、楽しんでやってくれるところが、
もう最高の2人。人柄。
そんなワイワイとした僕らの席からは遠く、江ノ島も見えていて。
時折、富士山も、かすかに顔出したり。さいこー。
僕さんは稀に見る!?ご機嫌モードのイチ日。



そして翌日。サニーさんがハワイ島へ帰る日の朝。
僕は早朝、5時前ぐらいにポリアフさんに叩き起こされ......ベランダに出てみると......



鮮烈な朝焼け。



サニーさんが飛行機に乗った頃には、やっぱり......の、強烈な日輪!も。
どーも、ポリアフさんと一緒に帰られたようで。
好かれてますなぁ......ポリアフさんに......タイシタモノ!なのでございまつ(^^)



そしてそして、さらにその翌日。
おそらくはサニーさんがハワイ島に着いたであろう、その日。
僕はまたまたアル神様に逗子の神社さんまでお呼ばれしてしまったのです。
実は、サニーさん達とお会いしていた当日も、
その神社さんに皆で行きたくてウズウズしていたのですが、
この日はプリリンねーさんからびっくりの!指示!?
までが入ってしまったというコトもあり、僕は仕事を早めに切り上げ、
連日の逗子へと向かいました。
その神社の名前は森戸神社。
森戸海岸というコジンマリとした美しいビーチの横に鎮座している神社さんです。





「昨日はサニーさん達と楽しい時間を過ごさせていただきありがとうございますですぅぅ。
サニーさんやKIKOさんが益々活躍されますようーにぃーー。なにとぞぉぉぉ。。。」

と。そんな感じで。実はこの神社さんは裏手が素晴らしく。
個人的にはとても落ち着いてしまう超お気に入りの場所だったりもしまして......







お酒も持ってきたっすぅぅーー(*´ω`*)



この地を愛していた石原裕次郎さんの記念碑もあるのですね。
石原慎太郎さんの寄贈となってます。



隣の森戸海岸もステキなのです。
このビーチ傍の堤防の突端で飲むビールが最高で。(^^)ええ。ええ。





最後に、今回サニーさんに預かった神々の言葉をここに記し残しておこうかと。
勿論、お馴染みのねーさんの正確な言葉と監修も頂いて(^^)ええ。ええ。



========================================
ポリアフです。(マウナケアの女神様)
私が食べたいのは、リンゴが入ったスープが食べたいです。

—————リンゴのスープは、難しいと思いますよ——————

リンゴが食べたいので、UZMETさんにお願いします。
UZMETさんは、ハワイ島に来た時に、リンゴの山に登りましたね。
リンゴの山に登ってくれたので、話はずっと続いているのです。
ルースの神が、雲になっていたでしょう。
リンゴの山と言っただけなのに、わかってくれる人がいるのだと、とても驚いたのです。
伝えられる人がねーさんさんで、それを信じて探してくれたのは、
私達ハワイの神達にとっては、奇跡なのですよ。
私は、マウナケアの女神だと知られていますね。
キラウェアのペレも知られています。
息子のルースの神は、知られていません。
ルースの神は、マウナロアの神です。
土地の気がまるで違うのですよ。
コナとヒロは。
土が違うのですね。
ヒロには沢山雨が降ります。
コナは降りません。
私達がいるのは、マウナケアとマウナロアのてっぺんです。
ルースの神は、知られていないので、後から来た人はほとんど知りません。
遠く離れた日本のねーさんさんに、伝わったのは嬉しいです。
繋がりは大事にしてくださいね。(後略)



ルースの神です。(マウナロアの男神さん)
お久しぶりです。
ポリアフが日本に行っていますね。
サニーが行っているからですよ。
私はペレが心配なので動けません。

(中略)

…………………………誰か邪魔していますね。
またにしましょう。



ペレです。(キラウェアの女神様)
望みはいつも邪魔されるので、暴れていたら、爆発してしまいました。
溜めていたからかもしれません。
怒りは溜めてはいけませんね。



ポリアフです。(マウナケアの女神様)
昨日、UZMETさんが言っていた通り、朝にハワイに帰りました。
ねーさんさんが伝えてくれたので、サニーはリンゴ食べていましたね。
話はきちんと聞いていましたよ。
うわついていないと思ったと思います。
男の神がいるのを、サニーはわかっていたようで、私は嬉しかったです。
サニーとUZMETさんが繋がってよかったです。
綯わしていってほしいからですね。
森戸海岸にいたので、鳥居のことを話していましたよ。
たまには行ってくださいね。
森戸神社は、知る人ぞ知るマルな神社です。
========================================



そして、森戸神社で僕が感じた言葉。
おそらくは大山祇(おおやまづみ)の神様(^^)



========================================
天は過去。
地は未来。
間(あいだ)は今。
間に生きる汝らは、今を生きる。
今しかないのだ。
========================================



今回、この記事の許諾をくれたサニーさんとKIKOさんに心より感謝を。
このブログのサブタイトルに嘘はありません。(^^)


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竹島 & 江ノ島徒然

2018-02-06 00:10:46 | サブ・タイトルの話
そして、その日から3ヶ月ほどたったある日。
僕はとても不思議な夢を見ます。
その夢には美しく麗しい、でもってチョイセクシーでチョータイプ!?
な弁天さんが出演されて、ニコヤカな顔で、一言、僕にこう言うのです......



「ごえんだまを......」

「へ!?」

「ニコニコ(^^)by benten-san ♡」



とても小市民でチビィ個人としては、これまで、
全国でもホンの数人の方達だけしかお付き合いをしていなかった不思議ちゃん友達。
それが大きく広がることとなったポンチキーズさん達とのとの出会いのお話は、次回、
神奈川県、湘南、江ノ島へと舞台を移していく事になるのでございます......(`・ω・´)






「五円玉を......」

と、優しく微笑む美しい弁財天さんの夢を見ていたその日は、実は、

「一緒に江ノ島に行きませんか?」

というお誘いを、このブログでいう、イワユル!?
プリリンねーさん」から頂いていた日なのです。
覚えやすい日なのでよく覚えているのですが、
今からちょうど3年前の2月1日のことです。

僕が彼女のことを最初に知ったのは、北陸のトアル街にあるトアル神社と、
その背後の山を護る存在の正体が特別な龍神さんである......
ということを見事に言い当てていたブログ記事をネットで偶然目にした時からで。
今はどうかわかりませんが、少なくとも3年前のその時点では、
このことを明瞭に言い切り、語っていたような人物は、
グーグルなる文明の利器を駆使してネット世界を徘徊してみても、たった一人。
その街に住み、清廉なる霊力を持って日々多くの人を助けている、アル方だけでした。
その龍神さんは、この国の他の地域にいる龍神さん達とは少々違う強烈な個性があり。
僕的には特別な龍さんでもあり。
そして、僕が辛い思いをしていた時に励ましてくれた恩人!?恩龍!?
さんでもあったので、その存在を僕ら二人以外にも知っている人がいるという事が、
僕にはちょっとした衝撃だったのです。
それで興味を持った僕は、彼女のブログを最初からチェックしてみると......

「これ言っちゃっていいの!?」

的な、ホンの僅かな人達しか知らないであろう、
長く秘されて来たこの国の神々のことや、
世界の神々の隠し事が、まぁ、出るわ。書くわ。
それも、本人はマッタク意味がわかっておらず。
だからこそ書けるのか?
だからこそ純粋な霊脈であるのか?
そんな事もよく分かって。
勿論、彼女はその力で生活をしているというワケでもなく。
何より彼女が降ろす言葉の裏には、
神々の意図が強くあるコトを僕はクッキリと感じられたのです。
特に、国之常立大神さんが女性だとは......もしかしたら歴史的にも?
大本教さんでも、誰も書いていなかった重大なことだと思います。
この事は、コトの大きさ故に、僕も以前「玉置徒然」という記事でとても慎重に、
然り気なく、超!気遣いを持って書いていたくらいで......
ソレ以外では初めて目にしました。
恐らく、彼女のあまりに混じり気の無い能力には、
一般的な職業霊能者さん?達では

「バカじゃねーの?コイツ。
わけわかんねー。
ムチャクチャやん。笑っちゃうな( ̄▽ ̄)」

なんていうふうになっていることも想像できました。
それで試しに、
一度だけ北陸の街の龍神さんのことを記していたソノ記事に

「よく分かりまちたねぇぇーーー(*゚▽゚*)」

的なジャブ・コメントを入れてみたのですが、
その後すぐに彼女から反応があり。
そこからメールベースでほんの数回だけ会話をしていたのです。
その会話の中で、上記した

「2月1日に江ノ島にいきませんか?私達は女性三人で行くのですけど、
他にも沢山人が来るらしいのでご一緒にいかがでしょう?」

というお誘いを彼女から受けていたというわけなのです。
彼女曰く、

「神様がUZMETさんに会えって、そう言うのですね......」

と。しかししかし。トコロガ僕さん。
そのあたり生まれついての問題児!さんでして。
特に集団とか団体行動などが滅法苦手のダメ人間日本代表候補さん。
シャイにんぐすたー。
学生時代から今に至るまで、常にこの手の苦労も苦悩もしてきたおバカ野郎。
なので、

「他にも沢山人が来る!?霊能系の?
なんて、そんな会に行くのはちょっと......な、、、」

と、折角の有り難いお誘いの明確な返事を、
なんと当日の朝になるまで!
見合わせていたのです。

「気が向いたら行きます。それでいいですか?」

と。そんな失礼な感じの返事をしていました。
そして当日の朝までは、

「キビチイので行けないのだなぁぁ......」

という方向で決めていたのです、が、そこに......
弁財天さんが登場する鮮明で不可思議な夢を見てしまった......
というわけなのです......



「ごえんだまを......」



弁天さんの静かな、そんな言葉を受けて、
僕は夢の中でその言葉の意味を考えていました。

「ごえんだま?ですよね?五円玉?」

僕は弁天さんに聞いてみましたが、
弁天さんは静かに微笑むばかり。

「はて......五円玉とは、、なんだべ、、、」

以前もココで記していたと思いますが、
僕は時折りコンナ意味深なユメを見るので、この時点で

「コレは何かの警示だな......」

と理解はしていました。
それは寝ていながらも半分は覚醒した状態で、
寝ている自分もちゃんと自覚しながら、
弁天さんに言われた言葉の意味を考えていました。



「————————あっ!?」



その時僕は、一瞬のヒラメキと共に完全に目を覚ましました。
ひらめいた五円玉の意味とは、
三ヶ月前に竹島の八百富神社でもらった五円玉だろう、と。
そして、その数は4っつ。
一つは自分のお財布に入れているので、残りは3つ。
かれこれ3ヶ月も自宅のキッチンカウンターに放り置かれています。
そして、江ノ島に誘ってくれている人達の数も3人。
しかも、全員女性。

「弁財天さん。市杵島姫(イチキシマヒメ)さん。
宗像三女神の末娘......
江ノ島も弁天さんや宗像三女神の島......竹島も弁天さん......」

そんなことが僕の頭を巡ります。

「......これは......行けっ!て、か、、ご縁玉を3つ持って、、、」

そうして僕は、急遽、江ノ島に向かうことにしたのです。
曖昧な返答をしていた輩が、当日の朝になって突然、

「今から行きます。よろしくです。。」

なんて言ってくるのですから、
受ける方としたらたまったもんじゃないでしょうし、
本当に失礼でおかしな話です。
しかしながら彼女達三人はそれも気持ちよく受けてくれて。
江ノ島の桟橋を渡りきった、
富士山が綺麗に見える所でお会いする事となりました。



彼女達3人「プリリンねーさん」「mikoちゃん」「ikuちゃん」は、
僕が最初から匂わせていた
「団体様が御苦手なんだよーん意識」
も、大人な対応で汲み取ってくれて。
大勢の連れの方達とは完全に別れて、
コジンマリと4人で江ノ島を巡るようにしてくれました。
途中、3人の仲良しさんだという富士山の主「KU♂」さんも
富士の麓からワザワザ駆けつけてくれて。
今思えば、その後、
富士山に何度も一緒に登ることになった彼と最初に出会ったのもこの日だったのか、と。
勿論この時は、この日のメンバー全員で、
一緒に富士山まで登ることになるなんてことは、まさか、思いもしませんでしたが......
こんな感じで、この日は

「江ノ島を未だ細かく回ったことは無い」

という皆さんを、
ココでもまだ記していない「江ノ島ポンチキ秘密ガイド」をしながら、
僕さんがワイワイと連れ回してしまっていたということも記憶しています。









この日の江ノ島には、
これまで感じた事のなかった強い力がバンバンと降りていた事を明瞭に感じていました。
しかも、龍神さんや神々の集まり方も半端なく。
驚いたのは、その事をメンバー全員が同じ様に分かっていたということで。
ソレが僕がポンチキーズを信頼したことの一つでもあって。
弁天さんが

「行け!」

と言ってくれた出会いの特別さも強く感じていた次第なのです。





さて、その弁天さんの言う竹島の五円玉は?というと。
僕はポンチキ三女の皆さんに会うなり、

コレ、竹島というところのおみやげで。ええ。ええ。
取り敢えず何も考えず受け取ってもらえればと。変な話しだけど。
今日はコレを皆さんに渡すように弁天さんに言われて来たもので。
後で江島神社の賽銭箱にでも入れてもらえれば、
それで竹島と江ノ島が繋がって、皆んなにも良いことがある?と思うので。
ええ。ええ。
何卒、よろしくなのです......」

と、初対面なのにとてもグルーヴィーな話をしつつ、
彼女達に竹島の福種銭(ふくたねせん)を手渡し。
その後、皆は、その通り、
市杵島姫(イチキシマヒメ)さんの宮である辺津宮(へつみや)の、
巾着のような賽銭箱に福種銭を入れて、お参りをしてくれたのでした。

この日から数日後。
プリリンねーさんが降ろしてくれた言葉があるのですが、それによると、
どーも弁天さんを遣わした張本人は空海さんだったようであり。
それがまた竹島に行った事も無いであろうねーさんが言うので、
僕は痛く敬服してしまったのです。
そもそも竹島のある地というのは、空海さんの逸話で溢れている場所で。
台座を含めると30メートルにもなる
地域全てを見渡す巨大な空海像まであるような所。
僕が、普段ならハッキリと断る団体散策のお誘いを、
そうせずにギリギリまで考えていたのも、
この空海さんの力を感じていたからというわけでして。
やはり彼女のポンチキ能力はカナリのものだなぁ......と、
改めて思い知らされもしました。
いつかの記事でも記しましたが、
たまに自分が苦手と思えるモノノ中に突っ込んで行ってみるのも

面白い事が起こるモノだなぁ、と、そうも思うのです。(^^)
以下には少しだけ、その時の弁天さんと空海さんと、
縁ある神様とねーさんとの会話を置いておきます。



==========================================
——————弁財天です。
昨日は私はつらつらと一日いましたよ。
うわついた人達ではなかったので、神が沢山来ていましたね。

「どこにいたのですか?」

——————私は龍宮(わだつみや)の後の祠にいました。
崖のところに行ったのは猫ですが、私の使いの龍神です。
セツアの龍神と言いますが、奥の宮を守ってくれています。



——————◯◯◯◯◯神だ。
UZMETと会ったことは、空海が仕組んだことだ。礼を言ったらいい。



——————空海だ。

「UZMETさんに会わせていただき、ありがとうございました」

——————私は、UZMETに会うように言っただけだ。
江ノ島は、ミラクルの連続だったのだぞ。UZMETは最後まで迷っていたからな。
弁財天にまで、頼んだのだ。
「変わらない愛」は、信じるところに来るからな。
プリリンねーさんは私の変わらない愛の話を聞いてくれたから、お礼だよ。
==========================================



僕が竹島に訪れた時に必ず訪れるのが、
竹島を見渡せる「蒲郡クラッシックホテル」のカフェ(●´3`)サイコーっす☆







それと、この「やをよし」さんの「竹島うどん」
デッカイ急須で出てきます(^^)美味しいっす。







空海さんと弁財天さんに導かれて行った竹島と江ノ島。
そこに出かけて言った理由が、実は僕にはもう一つだけあって。
ソレは、この時出会った3人やKUさん、
みゆきちゃん列島の重大な断層を護るSZさん、
日々穢れを祓ってくれるMT先生さん達には、
未だにちゃんと話していないことなのです......
が、今回記した出会いの日からちょうど3年の月日も経ちましたし。
今でも神ゴトを一緒に支えてくれている皆さんに心からの感謝の気持ちも込めて。
記事の最後に、その「もう一つの理由」を打ち明けておきます。
ソレは前回の記事の中で記した八百富神社(やおとみじんじゃ)のおみくじのお話し。
デザインの美しさに思わず手にとってしまい、
そのまま、生涯2度目に買ってしまった御神籤(おみくじ)のこと。





大吉。翔。
「荷は重いが......」
とありますが、
今も大切に心に留めています(*^-^*)
このブログのサブ・タイトルに嘘はありません。
いつもそんな気持ちで書き記しています。


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子、いわく 2

2016-11-07 00:05:26 | サブ・タイトルの話
「よぉ。( ̄ー ̄) uzmet。ちー。
今、部屋出たらさ、下に明かりがついてたから誰かと思ってさ。
お前ら、こんな日に、、まーだいたのか」


「あ!!!?
しゃちょー!!Σ(゜ロ゜ノ)ノ 
M子さんまで!
ドーーーしたんすか?こんな時間まで。
今日、ビル最後の日っすよ!?なんかあったんすか!?」


「おー。
そーだよな。もう最後の日だな。
最後だからさ、俺も色々片付けごとがあってさ。
その日ももうこんな時間だしな。
このビルのこんな時間まで仕事やってるっつーのはさ、やっぱりよ、
お前らなんだよな。そーだよな。
お前らいつも遅くまでやってるもんな。そーだ。そーだ。
嬉しいよな。ほんと。サイコーだ。
こんな最後の最後に、ココでお前ら二人に会えるなんてさ。サイコーだよ。
なぁ!?M子」


「そーですね(^^)」


突然現れたN社長と秘書のM子さんは、
ガランとしたオフィスで侃々諤々(かんかんガクガク)とやりとりをしていた
僕と女性デザイナーのちーさんにそんな言葉をかけてくれました。
勿論、N社長特有の持ち上げトークであるとも思いましたが、
率直で正直な物言いのN社長にそんなふうに言われると、
僕らはなんだかとても嬉しくもありました。


「M子さ。上の冷蔵庫にさ、お客さん用のビールあったろ?
何本か。あれさ、全部持ってこいよ。もう今日が最後だしよ。
ココで飲もうぜ。4人で。な!乾杯しよう。
サイコーだ。そーしよう。な。サイコーだ(^^)」


「いいですね。わかりました。すぐ取ってきます。。」


そう言って、秘書のM子さんは缶ビールを取りに行ってくれて、その後、
僕ら二人が打ち合わせをしていたガランとしたオフィスフロアの真ん中のテーブルで、
4人で缶ビールを開けました。


「よし。じゃあ、乾杯だ。
そーだな。これからの会社に、未来に乾杯だ(^^)いいか?」


「はい!」


僕ら三人はN社長の言葉に少し、感激しながら、同意しました。


「おー(^^)。じゃ、乾杯!」


「カンパーーーーーーーーイ!」


それからのひと時は......多分、深夜12時ぐらいまでの40分ぐらい、だったでしょうか。
社長と僕ら3人は、結構色んな話をしていたと思います。
N社長はやたらとサイコーだ、という言葉を使っていました。
全てを覚えているわけではありませんが、
僕は、なんだか、寂しくもなって、こんなことをN社長に言いました。
この部分は明瞭に覚えています。


「いや、シャチョー。。
俺、なんだかとても寂しいっす。このビル離れるの。
ツーか、このビルで働くのが好きなんすよ。
ココが好きだったっす。なんか、寂しいっす。ここ離れるの。。」


ちーさんとM子さんは僕の話にウンウン......と頷いてくれていました。
ビールは......本当は美味しいはずですが、なんだか、
その時の僕には味がわからなく、水のような感じがしていました。


「俺、このビルが出来た時はマダ大阪支店だったんす。
だから、この本社ビルには最初は会議の時ぐらいしか来れなくて。
来ても、みんな暖かく迎えてくれるけど、でも、自分のデスクとか、椅子とか、
この綺麗なビルには無かったんすよ。
同じ会社なのに、本社のみんながうらやましかったんす。
支店て、沢山の他社レーベルとか店舗営業のみなさんとかと
一緒のフロアに入ってるじゃないっすか。他社さんに間借りしてるわけで。
だからこんなスゲービルの、クリエイティブな雰囲気とかはマッタクないんですよ。
椅子にしてもデスクにしても営業所全体に合わせないといけないし。
そうするとなんか自然と古びちゃったりもして。
それで、東京で、このビルで、こんな風に働けた時って、俺、とても嬉しかったんす。
それはエリアから来たヤツしかわからない話かもしれないっすけど。
だから余計にこのビルには愛着があるんすよね。
ここで働けることにとても誇りも喜びもあったんす。。」


「おー、おー。そーか(^^)
まぁ、な。そーだよな。俺も寂しいよ。寂しい。もちろんな」


N社長が寂しくないわけがありません。
全てを自分で背負って造ったビルです。
この世界の誰よりも辛くて、悲しい思いも、借金とか金策とか、人間関係とか、
このビルだけでなく、
会社が外資系企業に買収されるまでの間だってとんでもなく大変なことが沢山あったはずです。
そんな事々もこの時は、未だ何もカタがついているハズなどなくて。
それでもこうやって、僕らのような現場のスタッフに気さくに、
いつも声をかけてくれて、一緒に物作りを考えてくれる人です。
ビルを失う、そんな日に、これからの未来へ乾杯!......なんて言ってくれる人です。


「なんか、マダこのビル出たくないっす。俺。。」


4人は、少し黙り込みました。
この時が一番、ビルの天井の高さと、空間の広さをズシンと、感じました。


「こんな広かったっけ、このビル......」


僕はほんの少し出来た4人の空白の中で、そんなことを思っていました。
そこに、N社長がこんなことを言いました。


「uzmetよ。あのさ。俺もこのビルは好きだ。愛着もある。
だけどよ。それは愛着だ。執着じゃない。
似てるけどな。愛着と執着は違うんだよ。
俺はよ、このビルに愛着はあっても執着はない。
だから、めでたいんだよ。俺たちには未来がある。
また渋谷のビルに行ってもやってやろうぜ。な。(^^)」


「......」


それから、僕ら4人は、
もうしばらくそのガランとしたオフィスフロアのど真ん中のデスクで飲んで、
そして、深夜12時ぐらいに、そろそろ帰ろうか......と、缶ビールを片付け、
長年親しんだ我が家のように思えるビルを出て行きました。
デザイナーのちーさんと僕との仕事は未だ途中ではありましたが、
その日、その時は、もう再び仕事をしようとする気持ちは起きず、
社長と一緒にこのビルを出ていくことが一番なんだと、二人してそう思いました。
この4人でこのビル最後の時間を過ごせて本当に良かった、と。僕はそう思いました。

社長についてフロアの出口に向かって、M子さんとちーさんも出て行き、
僕はダーーーーレもいなくなったフロアの方を振り返って、
一度、フロアの全てを見渡して、ちょっと涙が溢れそうになって.....
それをこらえながら、出口のそばにあった照明のスイッチを消しました。

フロアは、なんだか、
永遠の眠りについたような暗さに包まれました。

僕らはそのまま社長について行って、ビルの通用口から外に出て、
その通用口付近の明かりの電気も、最後に、僕は消しました。



「いつか、この明かりを、俺がもう一度つけてやる」



その時僕は、そう強く思いました。
それは、自分の力があまりにも不足していて、結局全く叶わなかったことでしたが、
その時の想いだけは今もしっかりと思い出せます。

今でも僕は、
N社長や敬愛する先輩方が造った美しいビルの中に入るイメージを、
働いているイメージを、
有り有りと思い浮かべるコトが出来ます。

僕らがあの素晴らしいビルで働くことはもう二度とありませんし、
同じメンバーで思いや目的を共有できるようなことも無いかもしれません。
あのビルは、最高のレコード会社が最高の仕事をする為に作ったビルです。
家族の様なスタッフが、苦楽を共にする為に作った空間です。
僕ら以外には、絶対に使いこなせません。
〇〇部、〇〇課.......そんなふうにフロアを壁やパーティションで仕切っただけで、
階と階とに違う目的や夢を持った組織や会社が入っただけで、
あのビルのは損なわれるのです。
ビルの構造を見て、そんなことがわからない人達がいくら頑張って使ったところで、
あのビルは目を覚ますはずもありません。
現在のビルの前を通りかかっても、僕の目には、ビルは眠っている様にしか見えません。
僕は、犬の遠吠えの様ですが、今も、これからも、そんなコトを思っています。
でも、僕は一つ、4人で過ごしたこのビルの最後の夜のひと時から
とても大きなものを受け取って、そして、
それを継承していこうという挑戦と努力を毎日しています。


その大きなものとは、ism。


イズム、


です。


皆が愛したビルやスタジオや会社がなくなろうとも、
愛着のあった暖炉や椅子やテーブルがなくなろうとも、
この世界から音楽産業というものがなくなろうとも、その形態が変わろうとも、
色々な人々が去っていこうとも、
世界が滅びようとも、
僕がN社長から頂いたものは、決して滅びないものです。

それは「ism」です。
それ以外のナニモノでもありません。

それだけは今も、働いている時には御守りのようにして僕の心奥にあります。
そんなモノを一人でも多くの
今の僕のスタッフさん達に感じ取ってもらえればいいなぁ、と。
受け取ってもらえればいいなぁ、と。
そんなことも毎日頑張っていたりします。
明かりは、また必ず灯せると思っています。


「師、曰く。またやってやろうぜ。」


です。孔子も真っ青!?なのです(^^)



昔、この自社ビルは「小田ビル」なんて呼ばれてもいましたが......
決して「ラブ・ストーリーは突然に」だけで建ったビルではないのです。けど。。ね。
写真はその曲が入った小田和正さんのミリオンヒットアルバム「Oh! Yeah!」
小田さんの活動は、今も、N社長のビルで苦楽を共にした仲間が支えています。

N社長は勿論、この会社の皆さんとお会いする時は、今でも僕は、いつでも、
どこまでいっても、「永遠にクソ生意気な若手社員」となります。
本当は、僕らの世代や立場でしか話せない、見えない様な事や、
故郷のみんなに話したいお土産話しの様なものも沢山あったりはするのですが、
ソコは、やはり皆の期待は裏切れないので、
昔ながらの大人気ない傍若無人なキャラクターをしっかりと演じきって!?おります。
それもまたよし、かと。(^^)ええ。ええ。とても幸せなことです。

このブログのサブ・タイトルに嘘はありません。

いつの日か、愛する誰かが
アイツはこんな事考えて生きていたのか。。
と見つけてもらえたら。僕は、いつも、そんな思いで書き記しています。


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子、いわく

2016-11-03 17:07:01 | サブ・タイトルの話
孔子の「論語」なる本に、以下のような有名な一節があります。

「子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者」

書き下すと......

「子いわく、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

さらに、現代語風に書き下せば、

「孔子は言いました。
コレを知る人も、コレを好む人には勝てない。
コレを好む人も、コレを楽しむ人には勝てない。」



以前、そんな論語の一節を理念として、
そのまま会社組織にした様な
理想郷的な音楽レーベルカンパニーがありました。
今はもう無いその会社は、大学生だった僕が憧れ、大好きだった会社。
チョイと荒くれていた!?僕のようなチッポケな男が、
世間に出て、最初に働かせてもらった故郷のような会社。場所。
このブログではこれまでも時折、
ちょぼちょぼと......記していたとも思いますが、
つい先日、そんな伝説の会社の!?
何十年ぶり!かの大同窓会があったので、
今日はそのパーティ会場で思い出していたことを、一つ、
書き記しておこうかと思います。



今回ちょっと記したくなったのは、
上に書いたような理念を持つ会社が建てた「自社ビル」のこと。
その自社ビルは経営が厳しくなって来た時に、
渋谷や札幌に持っていた大きなレコーディングスタジオと共に
どうしても売り払わざるをえなくなってしまったビルでしたが、
その後もいくつかの会社やオーナーの手の中を転々としながら、
今も変わらず、建てられた時と同じ場所に、同じ様な姿で佇んでいます。



仕事は楽しくなければいけない。
楽しければ、無理も無理とは感じない。
厳しいことも厳しいとは思わないし、乗り越えられる。
この会社ではそんな仕事をしよう。
寝食を忘れて没頭出来るようなことを頑張ろう。
頑張って結果を出している人にはとことん居やすく、
そうでない人にはトコトンいずらい、そんな会社にしよう。
だからこそ苦労を共にしている社員のみんなは、
もう一つの家族の様であって欲しい。
そんな家族の集まる会社は、
もう一つの家の様なものであって欲しい。



N社長の、そんな理念を柱とする会社が建てた自社ビルは、
それをそのまま形にしたような建物でした。
地上3階、地下3階に等しい2階!建て。
居心地を考えて天井を高くしよう。
空調が最も大事だ。
働く仲間の顔が見えるようにフロアはなるべく仕切らないようにしよう。
違う階で働く人の顔も少しでも見えるように、
ガラス張りの吹き抜けの空間を広く取ろう。
最高の機材を揃えた録音スタジオも、ライブも出来る大きなホールも。
バーカウンターをしつらえた広いレセプションロビーも作ろう。
泊まり込みになってしまう人の為に仮眠室も作ろう。

レコード会社が、レコード会社の仕事のために本気で作ったビル。

ビルの外観は上質な漆喰の様な素材で覆われていて、
然りげ無い、ベージュがかった茶白色に輝いていました。
そんな外壁の所々には天然木材も美しく組み合わされていて、
洋風モダンでありながらドコカ「和」の風合いを併せ持ち、
メイン・エントランスに至ってはそんな和風レトロモダンの大きな格子扉!
になっていました。
車二台が並んで入れそうな広くて大きな間口の格子扉全体にも、
設計者のきめ細やかなセンスを感じさせる上品なカーブがついていたりして。
そんな淡い「R」を描くエントランスの格子の向こう側に目をやると、
地下階から空までビルのフロアを突き抜ける円形の中庭があって。
京都の祇園を思わせる、
竹やらなんやらの植木がワサワサと空に向かって茂っていました。
ビルの受付に辿り着くには、
そんな吹き抜けの中庭を玄関からぐるりと回り込むことになりますが、
受付にたどり着いた暁には、
真っ先に目に飛び込んでくるのはカワユイ受付のオネーさん......でわなく!?
エントランスロビーのド真ん中にドン!と構える、
ナニカの映画で見たような?天然木材を燃料にしたドデカイ暖炉さん!( ̄。 ̄;)
フロアのアチコチに置かれているソファーやチェアやテーブルは
全てアルフレックス。



どっから見ても.......



オ、オフィスビルに見えない......(・・;)



つーか、思えない。。



ほ、ホテル!?



りょ、料亭!?



に、2名様ですが。。



空いてます!?席.....( ̄▽ ̄;)



みたいな。



あちこちで、人によっては
「クレイジーでバブリーなビルだな......」
なんてコトを山ほど言われたり、色々な非難を浴びたりもしましたが、
中にいる僕ら社員は、冒頭に記した社長Nさんの思いと理念、
会社創立以来の夢も心底理解していたので、皆は、みんなの家の様なビル......
まるで我が家が建ったかの様に......誇らしく思えていたと思います。
そうで無いとしても、少なくとも僕は、そう思っていました。



「サイコーにバカやんけ」



「やってくれたな。オヤジ」



「もっと頑張らなあかんな」



都心に今もあるそのビルの前を通りかかると、
今でも僕は危うくその中に入りたくなってしまいます。
昔、学生の頃に住んでいたアパートメントを久々に見た時の感慨の様なものが
胸に湧き上がってきたりもするのです。
普通、自分の働いている、いた、
会社なんてものは見るのも嫌なものですが......
とてもおかしな話です。



そのビルと会社には沢山の思いと愛着が僕にはあって、
そのビルの向こう見ずなおバカさ加減をいつも圧倒的に上回ってしまいます。



冒頭記したその会社の大同窓会には、日本全国や、
人によっては海外から、100何十人もの元社員が集まっていました。
都合が合わず来れなかった方々からも
ちゃんとメッセージなどが寄せられていて。
確か、当時の社員は200人ぐらいだったはずで......
無くなってから20年以上経つ会社の大同窓会にこれほどの人が集まるなんて、
こんな会社、他にどれくらいあるのだろうか?と。



とてもおかしな話です。



さて、そんな会社を象徴するビルが無くなってしまう日。
次のオーナーに建物を引き渡さなければいけない、その最後の最後の日。
実は、僕は、
そのビルのオフィスに灯る最後の明かりを消させてもらいました。

誰もいなくなって、
しつらえのオフィスデスクやチェアなどの他には何もなくなった、
ガランとしたフロアに、最後までいた人の一人となりました。
それは仕事の都合上、偶然にも、そうなってしまった訳でもあるのですが、
その時のことは今も鮮明に覚えています。



もはや、次のビルへの引っ越しも全て完了していて、
ダーーーーーーーレもいなくなったそのビルのメインのワークフロアで、
僕はアルバムのジャケットを仕上げるべく、
エース女性デザイナーのちーさんと二人で

「あーでもねーこーでもねー......」

と、入稿締め切りとの戦いの作業をしていました。
レコーディング終わり後の作業。
時間は夜の11時を少し回ったぐらいだったでしょうか。
そこに、もうビルにはいないかと思っていたN社長と秘書のM子さんが、
プラリと、突然現れたのです。



「よぉ。( ̄ー ̄) uzmet。ちー。
今、部屋出たらさ、下に明かりがついてたから誰かと思ってさ。
お前ら、こんな日に、、まーだいたのか」



......つづく



僕が「このビルで全ての作業を完結させた」作品は、
これが最後だったと思います。
レーベルを移籍する直前だった斉藤和義さんのアルバム「Collection “B”」

「このアルバムだけは絶対に、
このビルとこのビルのスタッフだけで完成させてやる......」

その時、僕はそう思ってました。
なので、ブックレットクレジットの一番最後には、想像できるN社長や、
今も敬愛してやまない先輩方の思いも込めて、こんなふうに記しました。

—————We will keep Supporting you, Kazuyoshi!



今も僕の心に残る一枚です。


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大丈夫

2016-08-07 00:00:30 | サブ・タイトルの話
「辛いことがあるとね、
僕はレンガを積むんだ。

裏切られたり、イジメられたり、酷く傷つけられたり、
この世界に絶望して、生きるのも嫌になっちゃう時に、
僕はレンガを積むんだ。

それはね、弱い自分をこのヒドイ世界から守るためなんだ。
そんなひどい世界に立ち向かうために、
僕は僕の周りにレンガの壁を作るんだ。

しっかりと、固く。
そんなひどい奴らに簡単に壊されない様に、
一つずつ、一生懸命、硬いレンガの壁を積み上げるんだ。

積み上げるのはね、それはそれで大変なんだよ。
だって、自分の周り全部に積むんだ。
一部の隙も無い様に。びっしりと積み上げるんだ。
右も左も、前にも後ろにも。丸く、穴も無い様に、
どこからどんなひどいことをされても大丈夫な様に、
僕は僕の周りを高く、厚く、強いレンガで覆うんだ。
これはこれで大変な作業なんだよ。

でもね、上だけは、空だけは開けておくんだ。
だって、息ができなくなっちゃうからね。
太陽も見れなくなるから。
せめて空ぐらいは見えないと、なんだか壁の中で落ち込んでしまいそうだから。
だから、空は開けておくんだ。

そして、その積み上げた壁の中から見える空が僕の全てなんだよ。
僕の世界そのものなんだ。
誰にも邪魔されない、汚されない、綺麗な世界なんだ。

時々、僕の作ったその壁を、誰かが叩くんだ。
ドンドンと。
壊そうとしてるのか?
わからない。
でも、僕は思ったんだ。
もっと固くしてやる。壊されるもんか!ってね。
この美しい世界を守るんだ。絶対に守るんだ。
だから、また、僕の壁は強くなったよ。
叩かれれば叩かれるほど、強くなったよ。

僕は強いんだ。
誰にも負けない。
強くなったんだ。
これで、ひどい世界とも戦えるんだ。。」



「オイ!
あのレンガの壁はなんだ!
往来の邪魔になるじゃないか!目障りだ!
人!?何を言ってるんだ、アレは壁じゃないか。
なに?人がいるのか?
あの壁の中に人がいるのか?
そうなのか?
見えないじゃないか。

本当にいるのか?あの中に?
だとしたらあの壁は、その人みたいなものなのか?
その人は壁なのか?そうじゃないはずだ。
でも、出てこなければ、壁にしか見えないぞ。
そいつはあのレンガの壁の中でいったい何をしているんだ?
声は届くのか?
オイ!
お前はそこで何をしてるんだ!?」



「なんだよ!
見ればわかるじゃないか!
僕は戦ってるんだ!
僕は、このひどい世界と戦ってるんだ!
なぜそれがわからないんだ!」



「わからないな。
だって、壁しか見えないからな」



「壁?」



「そう。壁。
俺には今、レンガの壁しか見えない。
やけに分厚くて、ひどく硬い壁だ」



「そうか。。
僕は、壁に見えてるのか。。」



「壁の中に人がいるなんて、俺にはわからなかったけどな」



「そうか、僕は、
いつの間にか、壁になってたんだ。。」



「そうだな。君は壁だ。
そのぶ厚いレンガの壁は、いったい、誰が作ったんだ?
ひどいじゃないか。そんな壁。まるで牢獄だ。
君の姿も見えない。君には世界も見えないだろう。
そんなんじゃ君は何処へも行けないじゃないか。
ひどいな。ひどすぎる。
俺が出してあげよう。
待っててくれ。今、壁を壊す道具を持ってくるから」



「待って!
わかったよ!
僕、今わかった。
僕は、いつの間にか壁になっていたんだ。
そうか。そうなのか。

この壁は僕が作ったんだ。
自分で、自分のために作ったんだ。
だから、壊し方は僕が一番よく知ってる。
だから心配いらないよ。
僕が自分で壊すよ。大丈夫だよ。ありがとう。
あなたは声は大きいけど......優しんだね。
この世界にあなたのような人がいるなんて思わなかったんだ」



「そうか。。
じゃ、何もしないが。。
いいかい。壁の中の君。
ここから見たら君は、君が自分で言っている通りのレンガの壁だ。
高くて厚い、硬い壁にしか見えない。
こうして君と話していても、俺は壁と話しているみたいに思える。
だから、どうか、たのむよ。
その壁を壊してくれ。
そうでないと、俺は君のことが人間とは思えないんだ。
人と話している気がしないんだ。
だから、たのむよ。
そんな壁はいらない。
もし君がこの壁をこれから取り払おうとするのなら、
今度はもう壁など作らないで欲しい」



「わかったよ。。
そうするよ」



「君はもう一度本当の自分を世界に表すべきだ。
レンガの壁なんていらない。
もしまたそんな壁が必要なことがあったら、今度は、
それは自分の中に強さとして積んでいけばいい。
しっかりと、強い自分を内側に作り上げるんだ。
戦い方を間違えないで欲しいんだ。
外に壁を作るというのは、自分の弱さに負けることと同じだ。
だから、負けないで欲しいんだ。
弱い自分自身のままでいいんだ。
弱い自分のまま進めるような強さを自分の中に作り上げるんだ。

わかるかい?

君は、いったいどれくらいその壁の中にいたんだ?
その時間は、きっと、
君の時間ではないんだよ。
自分で作りあげた偽りの自分で過ごした時間だ。
それは偽りの自分を生きていたってことかもしれない。
俺は君に本当の自分を生きて欲しいと思うんだ。
自ら作り出した自分の姿を、本当の自分の姿と思わないで欲しいんだ。
君は、そんな壁なんかじゃないはずだ。
俺はそう思うよ」



「うん。壁は壊すよ。
もう一度自分を取り戻してみる。
わかったよ。
どうやら僕は僕でなくなっていたみたいだ。
もう一度本当の自分を生きてみるよ。
もう一度本当の自分で厳しい世界と向き合ってみるよ。
今自分で感じられる、そのままの弱い自分で、もう一回頑張ってみるよ。
でも......もう長いことこんな感じだったから......
ちょっと不安もあるんだ。。」



「そうか。
でも大丈夫だ。
ゆっくりと時間をかければいいんだ。
どんな人でも時間はかかるものだ。
強くなるためだ。必要な時間はある。
必要な時間を必要なだけかければいい。
大丈夫。
君は本当はちゃんと強いんだ。弱いという強さを持ってるんだ。
弱さも強さなんだ。
自分の弱さを認め、ちゃんとそれと向き合える力こそが強さなんだ。
落胆や恐怖や力と弱さを結びつけちゃダメだ。
それらは本来結びつかない別のものだ。それをちゃんと理解するんだ。
そうすれば壁の中にいた時間もきっと無駄でなくなる。役に立つ。

君は悲しみの受け止め方をチョット間違っていただけだ。
強い壁を作る受け止め方のほうが少し楽だったから、それを続けていただけなんだ。
そんなこと誰にでもある。人は、誰でも、楽な方を選ぶものだからな。
楽っていうのは、常に自分が正しいと思うことだ。
その時々の自分を変えないで世界に対応していこうとすることだ。
自分を変えないというのはとても楽なことだからな。
だから周りの方を変えたりするんだ。
でも、その周りを変えることしかしない自分というのは、それこそが壁のような、
自分で作り上げた偽物の自分なんだよ。
化け物のような自分なんだよ。

だから大丈夫だ。

その化け物のような壁がなくなれば、君はまた本来の自分に戻れる。
また自由に、何処にでもいける。
広い、大きなこの世界の何処へでも行ける。
そしてきっと、君にしか見つけられない場所があるんだ。
壁さえなければ、君はきっとそこを見つけられるんだ。
その場所は、その場所の方が君を待ってるんだ。そんなもんだ。
だから大丈夫。君は大丈夫だ」



辛いトラブルが続いていたあるスタッフさんと、先日、カフェでちょっと話をしました。
そのスタッフさんは女性で、困難が続く中で会社や組織、
時に社会にまで不信と不満を募らせていて、それは僕から見ていても、確かに、
得体の知れない化け物からキツイ仕打ちを受けているようなところもありました。

「こんなの、、真綿で首を絞められているようなものじゃないですか、、」

そう、真っ赤な目で言っていた彼女。

僕も、そう思います。

でも、だから、

負けられないと思うのです。

世界は、厳しいと思います。

だから、負けられないのです。

本当に辛い時というのは、好きな人やモノすらも遠ざけてしまったりします。
時折、音楽が励ましてくれた......と言う様な話など聞くこともありますが、
どん底の底まで落ちた時は、
そんな好きな音楽を聞く気力すらも失せてしまう様にも思えます。
音楽など、物音など、聞こえているうちは落ち込んでるうちに入らないのかもしれません。
歌を忘れ、言葉を忘れ、我を忘れ......
だから、そんなスタッフさんの元気が少しだけ戻ったら、
かすかな物音から人の声、音楽まで聞こえて来るようになったら......
その時に「もし」このブログを見つけてくれたら......ここに一曲置いておこうと思います。
サブ・タイトルに嘘はありません。



「レイチェル・プラッテン」さんのアルバム「WILDFIRE=ワイルドファイア」
「ファイト・ソング」という僕の好きな曲が入ってます。
彼女は幼少時代から音楽を始め、プロを目指し、
そこから鳴かず飛ばずの不遇の時代を長く過ごし、インディーズのまま30代に突入。
全ての夢を諦めかけ、悩み、そんな時に、自分で自分を励ますために作った曲。
作り始めてから完成まで二年の月日がかかったとも聞いています。
彼女はこの曲で、見事、世界に出て行きました。


「Fight Song/Rachel Platten」

Like a small boat on the ocean
Sending big waves into motion
Like how a single word
Can make a heart open
I might only have one match
but I can make an explosion

海に浮かぶ小さな小船が 動きながら大きな波を送り出す様に
たった一つの言葉が 人の心を開くことが出来る様に
私にはたった一本のマッチしか残っていないけど
でも、それで爆発を起こすことだってできる

And all those things I didn't say
Wrecking balls inside my brain
I will scream them loud tonight
Can you hear my voice this time

口に出せなかったことの全てが 鉄球になって私の頭の中を打ちつける
でも今夜、私はそれを大きな声で叫ぶの
今度は、私の声が聞こえるかしら

This is my fight song
Take back my life song
Prove I'm alright song
My power's turned on
Starting right now I'll be strong
I'll play my fight song
And I don't really care if nobody else believes
Cause I've still got a lot of fight left in me

これは私の闘いの歌
私の人生を取り戻すための歌
私は大丈夫なんだって、証明するための歌
私の力はみなぎってる
今すぐ始めるの 私は強くなるの
私のファイトソングを響かせるの
誰も信じてくれなくても私は気にしない
だって、私にはまだ頑張れる力が残っているから


Losing friends and I'm chasing sleep
Everybody's worried about me
In too deep, Say I'm in too deep,
And it's been two years
I miss my home
But there's a fire burning in my bones
And I still believe
Yeah I still believe

友達を失って 眠れない夜を過ごして
みんなが私を心配する
私はどん底まで落ちて とても深く落ちこんで
それから2年
寂しく故郷を想うこともあるけど
でも私の骨の奥にはまだ燃え上がる炎があるの
私はまだ信じているの
そう、私はまだ信じているの

And all those things I didn't say
Wrecking balls inside my brain
I will scream them loud tonight
Can you hear my voice this time

口に出せなかったことの全てが 鉄球になって私の頭の中を打ちつける
でも今夜、私はそれを大きな声で叫ぶの
今度は、私の声が聞こえるかしら

This is my fight song
Take back my life song
Prove I'm alright song
My power's turned on
Starting right now I'll be strong
I'll play my fight song
And I don't really care if nobody else believes
Cause I've still got a lot of fight left in me

これは私の闘いの歌
私の人生を取り戻すための歌
私は大丈夫なんだって、証明するための歌
私の力はみなぎってる
今すぐ始めるの 私は強くなるの
私のファイトソングを響かせるの
誰も信じてくれなくても私は気にしない
だって、私にはまだ頑張れる力が残っているから


A lot of fight left in me

まだ戦える力があるの


Like a small boat on the ocean
Sending big waves into motion
Like how a single word
Can make a heart open
I might only have one match
but I can make an explosion

海に浮かぶ小さな小船が 動きながら大きな波を送り出す様に
たった一つの言葉が 人の心を開くことが出来る様に
私にはたった一本のマッチしか残っていないけど
でも、それで爆発を起こすことだってできる

This is my fight song
Take back my life song
Prove I'm alright song
My power's turned on
Starting right now I'll be strong
I'll play my fight song
And I don't really care if nobody else believes
Cause I've still got a lot of fight left in me

これは私の闘いの歌
私の人生を取り戻すための歌
私は大丈夫なんだって、証明するための歌
私の力はみなぎってる
今すぐ始めるの 私は強くなるの
私のファイトソングを響かせるの
誰も信じてくれなくても私は気にしない
だって、私にはまだ頑張れる力が残っているから


Now I've still got a lot of fight left in me

私にはまだ戦える力があるの


Rachel Platten - Fight Song (Japanese Subtitles)



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意図満載

2015-06-14 22:14:51 | サブ・タイトルの話
まだ若い彼女は「あるモノ」の制作を主な仕事としていましたが、
なかなか個性的で、好きなものと嫌いなものとをハッキリと分けるタイプ。

で、それが外にも伝わる。

ハッキリと顔や雰囲気に出てしまう。

本人は気付いていないのだけれど......いや、正確には

「気づいてはいるのだけれど、それを変える事は自分否定に思える状態になっている」

という感じ。
そんな形の業務言動を長年続けていたところ、ソレは自然と体に染み渡ってしまい、
自分の仕事領域だけでなく彼女が時々に思っていることの多くも不思議と

「そのまま外に感じとらせてしまう」

そんな個性となって現れていた様に僕には見えていました。
特に否定的な感情や拒絶的な気持ちなどは強く人に伝わったりもするもので......
多くの仕事相手や仲間を信じるコトも少々難しくなっていたようで......
もちろんソレは、友人を信じる様なコトとは違う「信」で良いのですが......
そんな個性は体面する人々に「彼女の真実」とは異なる「誤解」を生んでしまい、
その誤解はやがて周囲の「事実」となり、
その事実と彼女の中にある真実とのギャップ
時に彼女に辛い思いをさせていたりもしている様でした。
そんな自分の状況も彼女は冷静に把握できていないような感じもあって......
ケレドモ、そんなことはもしかしたら「素直」といっても良いことでしょうし、
そうすると、悪いことなど......あるのでしょうか!?

世知辛い実社会という範囲に限って言えば、どーも......

あるようなのです。

実際、彼女は常にトラブル続きでした。

「好き嫌い」や時に「主張」となる様なモノなどは
一歩引いてみると個人の趣味的な領域にあって、
決して「対象の否定」という気持ちなどとは一緒にしてはいけないように思います。
しかしながら、ソレはともするととても一緒にしやすいものなので、
僕達にとっては多分絵に描いたように陥りやすい「罠」なのだとも思います。
相手の食べ物の好き嫌いを知ったところでその人自体を嫌いになる......
なんてことは普段そうそうは無いように、ソレとコレとは全くの別物。
そんなコトは皆わかっています。
チャンと別々に分けて考えることができるもの。
彼女はそんな事々をとかく一緒にしてしまっていたようにも見えていました。

それは、

きっと、

仕事が好きだから......

なのだと思います。

僕の目にはそんな風に見えていた彼女が、少し前、

会社を辞める決意をしました。

業務領域に自分の趣味領域が重なってくるような仕事では、
取り組む際の「意識」の持ち方に少々の注意が必要である様に思えます。
二つの領域を混ぜて捉え「過ぎて」しまうと、
ソレは時に素人的な仕事になってしまったり、感じられてしまったりもします。
「自分の趣味領域」というのは「個性」とも言えて、
「分けて考える領域」というのは、
クライアントやマーケットの趣味性や嗜好性、思考、要望、希望......その他制限事項とも言えます。
社会というメンドーな!?世界における「最大公約数的事項」や「社会規範」といったようなもの。
ソレらはどうしたって混じっては来ますが、ちゃんと分けて表現することもできて。
そんな分けた中にも自分の趣味性や個性を嫌味なく自然に入れられるのがまたプロというもので。
そんなプロの現場で、時折素人的に感じられてしまう様な出来事が彼女に関しては多々ありました。

プロのスキルがあるのに、プロの意識を持ち切れていない。

そんな階段の踊り場で悪戦苦闘して、苦悩して、頑張っている......という感じ。

プロとはなんだろう?

僕らは時折そんなことも考えます。

個性を突出させ、
爆発させていくのもプロ!


という人もいるとは思います、が......

そういう人は「アーティスト」なんだと思います。

じゃぁ、アーティストとは一言で何だろうか?

芸術家?

それをもっと具体的に言語化すれば「自己表現者」とも言えて、
自己表現を極めんとする人」なんだと思います。
そういう意味では、人は皆、なんらかの形で外に向かって自分を表現しているわけで、
「一億総自己表現者」であり、
そうすると生きとし生けるもの全てが芸術家である様にも僕には思えてきます。

一億総クリエーターです。

だからこそプロフェッショナルとは、そことは違うと僕は思うのです。

極論、夢も何も無いことを言えば、

プロかそうで無いかを分けるものは実はたった一つで......

「お金をもらえるか?もらえないか?」

なのだとも思います。

もし、人様から貴重なるお金を1円でも貰えれば、それが自己表現であろうが何であろうが、
アートであろうが落書きであろうが、
その瞬間、それはプロの仕事となりますし、なれると思います。
初めてのお使いのお駄賃だろうが、
アルバイトだろうが、
路上で芸を見せようが、
10歳児だろうが90歳であろうが、
お金を稼げたらその時点でその行為はプロの「仕事」と呼ぶことができるのだと思います。
その仕事の先に、プロ中のプロとか「エキスパート」とか、
「スペシャリスト」などもあるのではないかと思います。

だからプロの話しをする時には常に夢だけの話にとどまりません。

でも、だから「プロ」という言葉は職種に関わらず、
あらゆる職業人に充てる事の出来る言葉であるとも思うのです。
だから、お金を生んでしまったアートが、
時にプロの領域に入ってくるようなことも起きてくるのだとも思うのです。

サラリーマンと呼ばれる人々だって、
会社がその人に給与を払う価値を認めている限りは
「会社員という職業のプロ」なのだと思います。
中でも、会社に利益をもたらす事ができる仕事を組織内で中心的に創造できる様な人は
「プロ中のプロ」と言えるのかもしれませんし、
そんな人を「ビジネスマン」と言うのだとも思います。
経営者やウチの父の様な自営業者、個人事業主といった様な職も、
リスクや覚悟の度合い違いなどがありますが、根本的には

「自分はどう生きるか?働くか?稼ぐか?」

「やりたいことをどのような形でやるのか?やれるのか?」

という個人個人のライフテーマや価値観における道選択の違いがあるだけで、
多くのコトがそんなプロ話しと同じ線上にある話の様に思えます。

お金を稼ぐこと。

でも、そのお金に振り回され無い事。

それは、エゴを消すこと。

しかし、自分の本質までは消さない事。

意図を消すこと。

でも、

意図を消しているのに、周囲には「意図満載」に見せる事も、伝える事も出来る事。

「プロ」って、

そーいう事なんだと僕は思っています。

彼女の仲間が開いてくれた送別会で、僕は広い海の様な、少々茫洋としたイメージで、
皆の前でヒドク輪郭のボヤけたこんな話しをしました......

「——————自分を信じること。本当に自分を信じ抜くこと。
自分はいつもその真の意味を考えていて、自分に問い詰めて、努力している感じ。
他人や多くのものを信じれるか?どうか?は、
何時もそこにかかっているように思えてるんだよね———————」

とてもモヤっとした「霧」のような話しでしたが、
そこには沢山の意味を込めたつもりでもあります。
「霧」の中に置いた幾つかの本意の内の一つは、
今迄決して言葉にすることはありませんでしたが、実のところ、
こういうコトでもありました。



「いつの日か、プロになってほしい」



そんなことを僕は意図を消しながら、意図満載!で話したつもりです。



「そんな君にいつか会ってみたいんだ......」



と、そんなことを思いながらポヤポヤポヤーーーッ(= ̄ ρ ̄=) ......と話してみました。
そんな、僕にとっては実はチャレンジング!?な送別会の後、
意外にもスマホには彼女からお礼のメールが届いていて、
ソレはなんとなく、彼女の性格を考えるに、
そんなメール一つ打つのもとてもエネルギーが必要だったのではないのか?
とも感じられるのです。
僕が返信したのはホンノ一行......このブログの過去記事アドレスだけでしたが......
いつだって、人との出会いや別れに際して
僕は返信したこの「女神の言葉」の記事のような気持ちでいたりします。

いつの日か、愛する誰かが、
「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」
と見つけてもらえたら、そんな思いで今日もココに書き記しておきます。



送別会の翌日に訪れた京都の街で、
裏千家の素敵なお姉さんに心静かにお茶をたてていただきました。
限られた時間の中で作法のエッセンスを凝縮させた御手前を魅せていただき、
プロ!的な心を感じさせられました(^_^)

いつも、人に話す言葉は、実は自分に向けられているものであって。

愛すべきこの街の風景は、そんなことも教えてくれます。


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2015-03-10 00:19:51 | サブ・タイトルの話
サインもらいまちた!(^_^)☆
このブログに時たま登場する仲の良いH嬢さんの旦那さんは
気鋭の作家さんなのですね。
新刊「あなたの明かりが消えること/柴崎竜人」をリリースした時に
本と共にいただいちゃいまちた。
とてーも嬉しいでやんす(^ω^)



全ての職業の中で「創造の領域」で勝負している人達というのは僕はとても好きなのです。
「職業の中で」です。
「職業」ではありません。
この意味の違いは大きいのです。
僕の個人的世界観では「創造の仕事」というのは職業の種類にはよらず、
全ての仕事、生活、所作、思考......「人」の中に存在していて、
それを多く使っている人、
アマリ使わないでいる人に分かれているように感じられていたりします。



自らの内にある創造の力を使わなすぎるとどうなるか?
作れないので、
産めないので、
奪いに走ります。



創造の力を使って生きている、働いている人というのは、
だから人から何かを奪ったり、
何かの芽を摘んだりするようなことはありません。
自ら生み出せるのですからそんな必要はないわけです。
むしろ、産めない人たちから奪われ続けます。
それでも、作り続けられるのか?
そういう勝負をしています。

僕はそういう人を敬愛します。

お金?地位?名誉?

とてーーーーーーも大事です。

くれるならおくれっ!(=゜ω゜)ノもらっちゃうよっ!

でも、創造的な仕事をしている人々はそんなモノ以上に尊敬するに値します。

僕はいつもそう思っています。

作家、ミュージシャンエンジニア映画監督、建築家、デザイナー、調理師さん......
そんな肩書きを持つ人の中でも、
真に創造力のある人というのはいったいどれくらいいるのでしょうか。
営業、会計、管理職、事務、デスク、主婦にドライバーにカフェの店員さん......
そんな仕事をしている人達の中でも常に想像力を働かせ、
素晴らしい創造的御技を現している人達がどれくらいいるのでしょうか。

子供に作る毎日のお弁当だって、
お掃除の工夫だって、
エクセルシートの工夫だって、
延々と繰り返される同じ作業や毎日に少しの変化を作り出すことだって、
ちょっとした挨拶だって、
人を心地よくする会話一つをとってみても素晴らしき創造です。

僕はクリエイティブの世界に身を置き生活をして来た人間です。
白地で黒がよく見えるように、
そんな世界であればあるほど、
創造という名の下に他人から何かを奪うことで生きている黒いクリエーターや、
周辺で様々な立場をとり、動く、黒い人々もとても綺麗に見えていたりもします。



創造者は決して奪いません。



ただ生み出すのみです。



ただ創り出すのみです。



創造というテーブルにおいては、



成果、結果、評価はまた違う所に置かれるのだと思います。



ニュースの向こうでは戦争が沢山。
ナントカ国とナントカ国がナントカな理由で争ってます。
ナントカな理由で沢山の命が軽々と消えていきます。
本当は誰のものでもない、
地球という美しき星が創造した資源を奪い合っています。
そんな現実を眺めている国は、政治家は、人々は、
自分が平和であれば、
何かが損なわれなければ、
それらには関わりたくないと知恵を絞っています。

そんなふうにして建っている一見平和な国でも、
国民の家々では醜い争いが沢山。
血を分けた者同士で命を奪い合うようなことまでしています。
友達だって平気で殺せたりなんかします。
誰かが作ったものを平気で奪います。
誰かが生み出したものを平気で奪います。



それも、これも、みーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。



みーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。



自らの内にある創造の力を見失っているからです。



使わなくなっているから......イヤ、



「使わなくしている」からです。



それは、自らの才能に対する冒涜です。



天から与えられしモノに対する盲目的行為です。



天からのサインは常に出ているのだと思います。



見て見ぬフリとはどういうことでしょうか。



何を見ていないのでしょうか。



自らの内にある何かを?見て見ぬフリをしているのでしょうか。



どんな人にでも、その人なりの創造力があるはずなのです。
どんな物事にも、それなりの創造の領域があるはずなのです。
それは知恵や知能といったものだけでなく、
体や力、性格、個性の内にもあるものだと思うのです。
ソレゾレが生み出せるものはソレゾレのもので、
それで十分価値あるものだと思うのです。
価値の大小や上下など付けなくて良いモノだと思うのです。
しかし、それもこれも仕方ないのかもしれません。
創造より狡猾に、体良く、ズル賢く「見えないように奪う」人を高く評価し、
高い地位にもつけてしまう社会構造が未だ息づいているからでしょう。
残っているからでしょう。



しかし、創造者は、それでも生むのです。



だから、奪わずに生き抜くことができれば、



それだけで「創造者」なのです。



そんな創造力の核力となるものの一つはもしかしたら「家族」なのかもしれません。
家族という社会的コミュニティーの最小単位。
それが多くの創造の「因」となりえているものなのかもしれません。
有り難き創造者のサイン入りでいただいた本の内容からは、
僕はそんなことを思うのです。

良き家庭、家族の多い国は幸せな国で創造力のあふれる国。

逆もまた成り立つのか。

良い本でした(^ω^)
親愛なるH嬢夫妻。ありがとうでやんす。
宝物にするでやんす。
ココにしっかりと記しておきます。

サブ・タイトルにある通り、いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」
と見つけてもらえたら、そんな思いで書き記しておきます。



因みに、とてーも不思議な出会いから頂いてしまった、アノノノッ!
丹波哲郎さんの本とサインなんかも!
何故か?持ってたりして......
だーーーれも......
羨ましがってくれないの!(=゜ω゜)ノ 007にデテルノニッ!


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何度でも

2014-09-27 00:56:27 | サブ・タイトルの話
時折、
大変な目にあっている人に会います。
壮絶な思いで毎日を過ごしている人に出会います。



誰かが言います。



「アイツはおかしい」

「アイツは終わってる」

「アイツは壊れる」



時折、
自分もそんな目に遭うこともあります。
大変な思いをしている只中ではこんなことを思うことだってあります。



「死んだほうがマシだ」



馬鹿げていると思っていても、そう考えてしまうのです。



「よく生きてるな。。」

「よく死なないな。死ねないな。。」



そんな風に、
自分を他人の様に眺めるようなこともあります。
そんな思いをしている人を対岸の地から見て、
こんなふうに言う人がいるのです。



「あいつさ、よく居れるよな」

「あいつ消えるから。もう少しで」



罪は......無いかもしれません。
が、そこには「愛」も「真実」もありません。

最悪なことは、
そんな言葉をその人を追い込んでいる当事者から聞く様なことがあった時。

そんな人は大抵、
自分が間違っているという自覚など微塵もありません。
自分が大きく関わっていると言う自覚すらありません。

そこには、
人の「エゴ」と呼ばれるものだけが頑然と、重たく、暗く、
薄汚れた姿で聳え立っています。

汚れは汚れを自覚しないのです。

僕はそんな「暗さと汚れの固まり」の様なモノをジッ......と見据える時があります。

自分の中にも同じモノがある......

そんな目を背けたくなる様な事実と向き合うような事だってあります。



平然と嘘をつく人。

平然と人の悪口を言う人。

平然と人を裏切る人。

平然と人を陥れる人。

平然と噂を作る人。

平然とメディアで論調を作る人。

平気で人を壊す人。



思い、悩み、苦しみの底でのたうち回っている人は、
自分が壊れていく恐怖や、
壊れそうな自分の弱さと必死の思いで戦っています。
戦っていることがわからないほど戦っています。



壊れない様に。
壊れませんように。

なんとか希望を見出せる様に。
見出せますように。

壊れても、壊してもいいから、自分が生まれ変われる様に。
生まれ変われますように。



途轍も無く尊い戦いをしています。



「あいつはもう終わりだよ」



そんなこと、
誰が?
言えるのでしょうか。
言う資格などあるのでしょうか。



馬鹿げた言葉です。



負けないで下さい。
勝たなくても良いでのす。

自分に負けないで下さい。
引き分けでもいいのです。



この世界は、
勝ち負けだけで語れる様なそんな陳腐な世界ではありません。

星が丸いのは、
上下左右などないと示したいからです。

この広大無辺な宇宙では、
どんな人間でも、上下左右の無い星のカケラに過ぎないのです。
そして、全ての星屑が存在の意味と意義のある、
世界や宇宙に必要なものだから「在る」のです。



馬鹿げた言葉に負けないで下さい。
エゴに覆われた偽の自分などに負けないでください。



世界からポツンと取り残され、切り離され、
孤独の海で打ち震え、
地獄より暗く深い泥沼から這い上がって来た人は皆こう言うのです。



「生きていて良かった」



何度でも言います。



「生きていて良かった」

「生きていて良かった」

「生きていて良かった」

「生きていて良かった」

「生きていて良かった」



そんな日は来るのです。
そんな時間はちゃんと用意されているのです。



そのための苦しみです。
夜明けのための夜です。



死んだ方がマシだ。。



そうです。
その通りです。



「生きていて良かった。」



だから、
それも、
その通りなのです。



心なき人に傷ついている全ての人に。
理不尽なる出来事に追い込まれている全ての人に。

全てを乗り越えましょう。

僕だってそんなふうに生きてみせます。

僕の愛する全ての人に。
僕が出会った全ての人に。
心なき人や言葉や出来事に突き落とされている全ての人に。

僕だって、頑張ってみせます。



雲は完璧な姿だと思います。


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一緒にな

2013-11-15 01:56:52 | サブ・タイトルの話
あるロックバンドの凄腕ドラマーだったJ君からLINEにメッセージが来ました。



「今朝、◯◯◯が自宅のマンションで自殺したそうです。
uzmetさんには伝えておきたくて連絡しました。
長年彼とは会っていないので詳しいことはわかりません。」



◯◯◯君はまだ30代半ばを過ぎたぐらい。
J君と組んでいた4人組のロックバンドでは作詞作曲とボーカル、
ギターまでも担っていた才人。
溢れる才能と繊細な感性は、それ故に彼自身持て余すようなところもあって、
バンドの仲間にも外の人間に対しても、時折激しく接することも多かったような感じで、
ビジネス部分も担うプロデューサーという立場であった僕とも
色々なことでよく衝突していたりもしていました。
そんな彼の激しさと、メンバーそれぞれの人生の歩みや考え方は、
長年活動を共にしていたバンドを分解していきました。
......もう......
かれこれ10年以上も前のことです。。



「、、、そうか、、
わざわざ教えてくれてありがとう。
精一杯の冥福を祈るしかないのかな。。残念すぎる」



そんな返信をJ君にした直後に、
また別の友人から電話がかかってきました。
彼はこんな説明を僕にしてくれました。



「......ちゃんと警察も入って、鑑識もシッカリ調べて、
それでね、明らかに自殺ではないって。
常用していた睡眠薬を少し飲み過ぎてしまっていて、
横になった状態も悪くて、喉に詰まって呼吸困難になってしまったらしい。。」



僕はまたJ君にLINEで連絡をしました。



「......で、、ね、、自殺ではないようだね」

「朝倒れていたと聞いて、、、まだ実感できません」

「......が、、で......ね、、窒息してしまったらしい」

「そうでしたか...
彼には恨みもありますが、全てを許し、あの頃をたくさん思い出そうと思います。
死ぬまでには和解したいと思っていました」



ドラマーの彼と◯◯◯君との間で、
僕などにはとても想像できないような深い葛藤があり、
もう長いこと会っていないということはなんとなく「知って」はいました。
僕はまたJ君に返事を入れました。
今日ここに記していることは、ほぼ一字一句、この時の言葉そのままです。



「。。。もう五年ぐらい前のことかな。。
◯◯◯から会いたいと連絡をもらってね。
ご飯を食べたんだよ。

その後の彼の歩みの中で色々と自らについて考えることが沢山あったようでね、
俺には、、
“あの頃の俺は間違ってました。今、やっとuzmetさんの気持ちがわかります。。”
と、、そんな話をしてくれていてね。

その後俺は△△さんにもそのことを伝えてね。
◯◯◯も大人になって、成長していて、
何より、とても頑張っていたよ。。と。

だから、ね。。

だから、、、ね。

みんなとの間でどれほどのことがあったかは想像もつかないけど、、
きっと、
◯◯◯はJにも色々と詫びる気持ちも、後悔の気持ちも、、
君とまったく同じように仲直りしたいと思うような気持ちも、、
きっと持っていたと思うな。

アチラの世界に行くとね、
人の気持ちが手に取るようにわかるんだ。
Jの、、純粋なる気持ちはちゃんと伝わってるよ。

大丈夫。

もう、和解してるよ。大丈夫」



暫くして、J君から返事が来ました。



「すみません。
言葉が何も出てきません。

ありがとうございます。

uzmetさんの言葉がなければ消化出来なかったかもしれません。
忙しいと思いますが、いつか思い出話に付き合って下さい。
俺達は戦友のようなものですから」



「みんなそう思ってるよ。
◯◯◯も同じだ。

これから先、
君が見るもの、手にするもの、失うもの、無くすもの、、
全て◯◯◯も一緒に味わってる。
戦友とはそういうものです。

君が成長すれば◯◯◯もそうなる。
君が幸せであれば◯◯◯も幸せ。

あの世とこの世はそう出来てる。

大丈夫。

◯◯◯が好きだったものを、思い出しながら食べてあげな。
きっとあいつもJを通して味わってるから。
そういうもんだ。

これからも粛々と一緒に生きよう。

俺は幸せだぜ。
Jもそうのハズだ。

一緒に生きよう」



「その通りですね......
uzmetさん、本当にありがとうございます。
いま、うまく言葉が出てこなくて、うまく感謝を伝えられません。

俺も幸せです。

今度、一緒に奴に乾杯しましょう。
久しぶりにuzmetさんにも会いたいし」



「改めてスケジュール出して、皆も呼んでご飯食べようね。
落ち着いたら仕切るよ」



「すみません。
ありがとうございます。」



「こちらこそ!
君らには昔も今も、これからも、感謝してる。
ありがとう。」



「俺もです。
最後に家に来てくれて泣いてくれたこと。忘れません。
そして、
会った時に直接謝りたいことと、感謝を伝えたいことがあります。
今日、混乱してたんですが、
uzmetさんのおかげで少し素直になれました(^_^; 」



――――――今日の通夜には、
J君も、他のメンバーも、メイン・エンジニアだった仲間も、
当時懸命に流通営業をやってくれていたスタッフの方も久しぶりに皆集まりました。
沢山の溢れる思いが集まりました。
葬儀壇の遺影は、昔みんなであーだこーだ言いながらデザインした
メジャーデビュー盤のジャケット写真でした。

今日の記事は、
不快に思われる方も、
色々な捉えられ方をされるかもしれません。

ただ、
このブログは、
書き出す時に幾つかの決意を自らの内に明確に刻み、
そうして記し出したブログです。
これ迄も幾度か記して来ましたが、
タイトルやサブタイトルの言葉に偽りはありません。



僕の大切な、愛する人へ。



今日の記事も、
強い意思と意味、
明確な覚悟を持って記しておこうと思います。



天国の◯◯◯に。乾杯。
な。好きだろ!?バーボンだぜ。ブッカーズだぜ。
一緒に飲もうな。
これからも、一緒に。
一緒に生きような。


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嫌いなものの中

2013-09-25 04:40:07 | サブ・タイトルの話
HS君は僕の信頼する音楽作家で敏腕のアレンジャーさん。
年齢は30代。男性。毎日音楽業界の一線で活躍している才人。
クラブのDJでもあります。
先日、某メジャーアーティストのライブ後の食事会で、
そんなHS君も加わって大勢でワサワサとヨパラーーーイの与太話を
楽しくウルサクしていたのですが、
その時に彼がみんなの前で僕にこんな話しをしてくれました......



「......uzmetさん!
あのですね、、uzmetさんは多分忘れていると思いますけど、、、
僕は強力に覚えているuzmetさんと話した話しがあってですね、
もうカナリ前の話しですけどね。。。」


「(゜ω゜)!?。。むふむふ。。なに?それ?」


「俺って生意気じゃないっすか!?
今も!?ん!?
なんで?
何でみんなうなずくんだ!?ん!?
まぁいーーや。。まぁ、、、
つーことわ!ですよっ!
昔はもっと生意気であったわけで!、、、間違いなく、、、」


「......(゜゜)ウンウン......一同賛同ナウ...」


「でね!俺の好きな音楽ってマニアックだし、ヒップホップだし。
ジョンレノンも好きだし。
イワユルアーティスティックなものばかり好きだったじゃないっすか!
当時若ゾーだったし。
インディーズで好き勝手やってたし。。」


「......まぁ、確かにね。。(*-ω-)ゥィゥィ......」


「その時にね、
uzmetさんがウチのスタジオに来て俺も色々とメジャーの仕事しだしたじゃないっすか。
メジャーの。。
でね!
ある時uzmetさん俺にこう言ったんスよ!
俺ソレ完璧に覚えてるんっすよ!
言われたときの状況、風景、全てを完璧に覚えてるんスよ!
ソレぐらい、そのこと忘れないんスよ。。。今でも。
そんときの俺にはソレぐらいのインパクトがあったんスよっ!!!」


「な、なにか、、お失礼なことでも言いましたでしょうか、、( ̄。 ̄;)わちき、、」


「ええ!言いました!
衝撃的でしたよ!
それってですね、、
お前は◯◯◯◯◯の音とか聞かないからダメなんだよ。。。って言ったんスよ!
俺の大っ嫌いな音楽を出して、
お前はそういうのを聞かないからダメなんだっ!......て、言ったんスよぉ!」


「......あぁ!....い、言ったね、、うん、、、言った。ね。。( ̄∇ ̄;)」


「それね、、衝撃だったんスよ。俺。
そんなこと言われたこと無かったし。
しかも嫌いなことよく知ってて言ったじゃないっすか!」


「はぃ。。すいませぬ。。。( ̄ー ̄;)ゞ」


「それからっすよ。色々分かったの。俺が色々変ったの」


「ええ、ええ。。変りましたな。。ちみ。確かに、その辺りから、、( ̄。 ̄;A、ええ」


「そうなんすよ。
売れているものには売れている理由があるから、ソレをちゃんと見つけろ!って、
そう言ってたんすよ。
プロなら嫌いなものをただ嫌いって言うだけじゃなくて、
ソコを見つけられなければいけないって、
そういうことだったんスよ」


「は、はぃ、、そ、そうでございまふ。。間違いわありませぬ。。( ̄ー ̄;」


「で、変ったんスよ!よ!俺。
実わさ!
そんな事があったんスよ!
みんな!聞いてんの!?
俺!?
よっぱらってねーーぞぉ! コラァァァーーーッ! o(`ω´*)o ウラウラ!!!!」



......と、
酔っぱらって皆の中でそんなこと言ってました。
僕としてはなんだか今更ながらジワリ......と、嬉しい話しではありましたが、
なんだかとてーも怒られていた感じでもあって......こ、こわひ(T.T)ぶぇ。
このブログは、サブタイトルにある通り――――――

いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」
と見つけてもらえたら......そんな思いで書き記してます。。


―――――――というブログなので、
そんな大好きなHS君にも、その当時の僕の真意をチロッとだけ残しておこうかと。
それはとても個人的な考えで、
対するモノゴトによっても異なってしまう様な考え方でもあるのですが、
その時に僕が思っていたことというのは......実はこんなことなのです。



たまに、
自分に足りないものが、
自分が嫌いなものの中にある様なことがあると思うのです。
自分は、そんな事を思い知らされたことが幾度となくあったもので、
それが、その時、僕がHS君に伝えたかったこと。
それが僕の真意。



そして、実はそれは......
以前この「2種類の音楽」という記事で記した、
生意気だった僕が大好きな恩師から丁寧に教えてもらったことでもあって、
ずっと大切にしている「クリエイティブ定理」の一つでもあるのです。
恩師と話しをしていたこの時の状況や風景の全ては、僕も今でも完璧に覚えています。
だから、その時こことを記事に記すことも出来るのですが。



やんちゃなHS君は、そんな話をしていた時から数年後。
「日本レコード大賞 編曲賞」を受賞するほどの成功を手にしました。



......そーだね、



タマには驕ってもらお~うっと ( ̄ー+ ̄)ニヤリ



そんなHS君とメンバーの二人と僕と、
四つ巴のケンカばかりしながら作った「その時」のアルバム。
「mihimalife/mihimaru GT」=「ミヒマライフ/ミヒマルGT」
僕からすると、ケンカ感も満載!で、
そんなHS君の四苦八苦も沢山詰まっている作品です。
HS君やプロジェクト、そしてメンバーが、
熱い摩擦の中で「足りなかった何か」を見つけることが出来たアルバムです(^^)


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ありがとう以上

2013-03-17 00:03:25 | サブ・タイトルの話
東京の南の端を流れる多摩川の空は、
今日はとても良く晴れ渡っていました。
川の上に広がる青い空には、

「気持ち、花でも添えましょうか!?」

......なんて思っているかのような小さな白い雲がポツリポツリとある程度。
川の向こうには、遠く、富士山も良く見えています。
風もなく、暖かで穏やかな春の日差しは、
川沿いの桜の木の芽を少しでも大きくしようと降り注いでいました。



午後、二時を少し回った頃。
そんな多摩川のほとりに、小さくて可愛らしいその女性スタッフは、
自宅から地下鉄で30分もかけてワザワザ来てくれました。

彼女は何やら僕に話したいことがあると言います。

エンターテイメント世界の真ん中で毎日、
日本中を忙しく飛び回っている彼女は、
土曜日の今日も夜7時ぐらいから仕事があるようでした。
そんなスケジュールの中で、
ワザワザ東京の端にある僕の自宅迄来てお話しがしたい......
ということは、
どれだけ大切で、重みのある話しなのか......は、
大体想像がつきます。



そもそも、彼女が「今」抱えているプロジェクトは、
元々は僕が始めて、創って来たもの。
それを一年半前に「やむをえない理由」で、
全てを彼女に委ねる事になったわけで。
彼女を取り巻く問題の大体の事は、うぬぼれでなく......
離れていても常に誰よりもよく分かります。
頑張りやで責任感の強い彼女は、
その小さな背中に僕の抱えていた分のバッグも一人で背負いながら、
この一年半を頑張ってきたのだと思います。



きっとその大きなバッグの話し......



僕が彼女に委ねていた仕事の話し......



駅で彼女を迎えると、カフェでひとしきりクダラナイ話して。
その後、二人で多摩川の広い河川敷の方にてくてく......
と土手を下って降りていきました。
川の流れの直ぐ傍に延々と敷かれた石堤に腰を掛け。
そうして、やっと、彼女はポツポツ......と、
小さな声で話しを始めました。

話しを聞いていると、それはやっぱり、
彼女にとってとても辛く、厳しい話しで。
彼女の小さな胸の中に、
人目には決して触れない様に仕舞い込んでいた多くの思いの話し。
それは段々、少しずつ溢れて来て、
いつしか堰を切った様に激しく......大きく流れ出て来ました。

......気がつくと、
彼女は話しながら、ぐしゃぐしゃに泣いていました。
涙は止めようとも止めようとも、とめども無く溢れ出て来ます。
その辛さが伝わるので、
傍で聞いていた僕も思わず涙ぐみ、泣きそうになってしまいます。



「本当にすいませんでした......
uzmetさんが離れてから私何も出来ませんでした......」
すいませんでした......すいませんでした......
本当にすいませんでした......」



彼女が謝る必要などいったいどこにあるのでしょうか。。
彼女を荷物の多い大変な環境に追い込んでしまったのは、
むしろ僕の責任なのです。
彼女が謝る事など微塵も無いのです。



「謝る事なんてひとつもないから、、
俺の方が謝らないといけないんだから、、
本当に、本当にごめんね。。
一年半も、、、俺の分まで頑張ってくれて、、本当にありがとう。
君には本当に感謝しか無いんだ。
本当に。
ありがとう。
君にはそれしか無いんだ。
ありがとう......ありがとう......」



僕は、、その時、それしか言えませんでした。



「ありがとう......ありがとう......」



ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう......
ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう......



「ありがとう」という言葉では全く足りない気持ち。

そんな気持ちは一体何と言ったらいいのでしょうか?

そんな気持ちは一体何だというのでしょうか?

「ありがとう......ありがとう......ありがとう......」

泣きじゃくる彼女に、
僕はそれしか言えませんでした。

気がつくと僕は泣き続ける彼女を抱き寄せて、
頭をクシャクシャに撫でていました。



「ありがとう......ありがとう......」



それでも彼女はひとしきり泣いていて、
それから......少し笑って......



時刻はいつの間にか夕暮れになっていて、
川の向こうに見える富士山の傍に沈んで行こうとしている太陽は、
少し大きくなって、オレンジの色が強くなっていて......
川面にもキラキラと反射しているその日差しの中でまた、
僕らは色々なことを話して.......
そして、河原を後にしました。



今日一つ、確信した事があります。
「ありがとう」という言葉でも、
とても伝えきれないような大きな大きな、
とても大きな感謝の気持ちというのは、
それも「愛」なのではないのかな、ということ。

コノ理解がもし間違っていたとしても、
少なくとも今日だけは僕はそんなふうに思えたということ。

泣いて泣いて泣いて泣いて......
こんなになるまで小さな体で懸命に頑張ってくれていた彼女を、
僕は愛しています。



ありがとう。



その言葉では伝えきれないほどの「ありがとう」ですが、



ありがとう。



このブログのタイトルに嘘、偽りはありません。



いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」
と見つけてもらえたら......
そんな思いで書き記してます。



愛してます。



駅まで仕事に向かう彼女を送っていって、
その後、また一人、
川沿いの土手を歩きながら家に帰りました。

帰り道。
彼女の前ではこらえていた想いと、涙が、
止めども無くあふれてきました。
そして、フト、
泣きはらした情けない目で道の横に目をやると、
そこにはいつもの桜の木が佇んでいました。
桜の枝には花の莟が沢山ついていて、
いまや大きく大きく膨らんでいました。
彼女に

「今日はワザワザありがとう、、、」

というお礼のメールを打ちました。
そのメールの最後にはこう書きました。

「......桜は、これから咲くのです」



今日彼女と歩いた土手沿の道は、もう少したつとこんな感じになります(^^)

あっ!?

今日の記事......

コニャ(奥さん)用の言い訳を考えとかなアカンかな?......

失敗か!?(゜_゜i)タラー......


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