雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

5月の始まり

2019-04-30 00:59:52 | 面白い...パワスポ寺社
——————最後にもう一話だけ、平成最後の記事へと続きます。
それはこれまで幾度か記して来た大好きな5月の話でもあって、
令和の話ともなるのでしょうか。


☆「5月」関連の過去記事☆
5月の海
5月の香り

☆「織部の唐津の酒呑童子」シリーズ過去記事☆
1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8



この記事は「織部な唐津の酒呑童子」の「9」としていたのですが、
記しているうちに、これは五月の話でもあるのかな、と。
そんなふうに感じられたのでタイトルも変えてみました。
続きとなるお話の方は、ここまで記してきたように、
酒呑童子でもあった唐津の神は上杉謙信であった時も含めて、
人として生きていた時は何かと戦いの多い生を送っていたようです。
そんな神様が、僕が黒織部の沓形茶碗を手にしたときに

「西尾の抹茶がいいぞ」

と言うのです。
......少し、考えてみると......茶の道を切り開き、磨き、
作ってもきた人は利休さんをはじめ多くの茶人であろうと思われますが、
その広がりと発展に大きく関与した人となると、多くの武人達ではなかったか?
とも思うのです。一番有名なところでは、利休さんを引き立て、
生涯後ろ盾ともなっていた織田信長がそうですし、
空前絶後の規模と言われる茶会を開いていた人物も、その織田信長を継いだ豊臣秀吉で。
伊達政宗も上杉謙信も多くの武将たちもとにかく茶を愛していたと伝わっています。

なぜか?

きっと、戦さで殺気立った心身を落ち着かせるために、和らげるために、
そんなことに効果があったのが「茶の湯」だったのではないかと、そう思えるのです。
今に残る記録などを見ても、
武人たちの多くは戦場にお気に入りの茶碗を持参して行ったりもしていたようで、
時に戦(いくさ)のお守りとしてもいたようです。
そしてそんな効能は現代でも同じなのではないかとも思えます。

仕事の合間の一杯。
遊びの合間の一杯。
人とリラックスして語らう時の一杯。
そんなお茶というものが、
コーヒーや紅茶というものが、
いかに人の心を落ち着かせてくれるものなのか。
そんな部分を武人は愛したのではないか?と、僕はそう思うのです。
コーヒー好きの僕が「黒織部の沓形」の茶碗を手にしようと思ったのも、
そんなことに対する好奇心もありました。
そして、イザ、見よう見まねで抹茶を立ててみると、
その味はやはり心落ち着くものであって。
どことなく静かな心持ちにもなれて。
癒されもしたりして。

気がついたのは、

それは僕の好きな五月の感触に似ているということ。

春先の荒れた空模様も散り去った桜の花々と一緒に一段落がついていて。

暑くも寒くもなく。

湿気も少ない空気に満ちていて。

そこ此処に夏に向かう希望とキラキラさとが満ちていて。

海も山も川も、どことなくホッとした穏やかな表情をたたえていて。

それがあまりに優しい感じなので、心の「隙」も安心して見せられて。

聞いて欲しいあんなことやこんなことも......誰かに打ち明けることもしやすくなって。

そんな五月には、

今年は、

新しい「令和」の時代が始まります。

カラツの神の胸の刻印から以降、激しくなったとり急ぎの神用も、

なんとなく一つのポイントにまで来れたのか......と。

故あって急いていた神々へのお手伝いも、なんとか、ここまではやりきれたのか、と。

その、一旦のお疲れさまのシルシとして「黒織部の沓形」なのであろうか?と。

そんな茶碗で飲む「西尾の抹茶」は、

僕にはどこか五月の香りと味がするのです。

それは過去記事でも書いていた通りの味で。

純粋で透明な味と香り。

僕の大好きな、色の無い、五月の味と香り。



そんな五月の直前。桜が満開に咲き誇っている頃。
新しい茶碗で飲む抹茶と満開の桜にあいそうな
「練り切り(ねりきり)」なる生和菓子をつい買ってしまったのですが......
......それはツカヘイさんが強引に勧めて来たもので。
その「練りきり」を、
コニャ(奥さん)と一緒に家の側を流れる多摩川の土手に茶立て道具と一緒に持っていき......
僕にとっては妙に心地よい時間ともなって......





こんな「黒織部の沓形茶碗」を最初に目にした東京、根津美術館では、
今度は「酒呑童子展!」が開かれることとなったようで......
そのタイミングにはまたまた驚かされつつ、
唐津の神からの招待も受けていたということもあり、
ねーさんと一緒にパトロールに......



そんなこんなの諸々の出来事の後、もう一つ、
神様からの強烈なのガイドを受けて導かれてしまった場所というのがあって......
それがここ、東京、九段下にある築土神社(つくどじんじゃ)。
あの首塚や神田明神とともに平将門さんを祀っている重々しくも由緒のある神社。
戦火で消失するまで将門さんの首桶が安置されていたのは、実のところコチラの神社さんで。
桜が満開の週にナント!3度も!通うこととなってしまったのです......







将門さんの好きな久保田の「萬寿」を持っていって。
「あれば嬉しい」
と言っていたおつまみも添えて。
境内で少しだけ、一緒に酌み交わし......



そのすぐ横には「世継稲荷」なんていう社(やしろ)が......
そうか......世継ぎ......か......



陛下が元気なうちに皇位を譲位されるというのは、
崩御とは違い皆が暗くなる様なこともなく、どこか明るく、希望に満ちた雰囲気があって。

「陛下は本当に英断をされたのだなぁ......」

と、深い敬意を抱いたり。
そして萬寿という歴史ある名酒には、箱を開けると小さなシートが封入されていて。
そこにはこんなことが書かれています......



世の中は平成から「令和」へと継がれていくようです。

僕の感じる令和の響はどことなくクールでエレガント。

エレガントとは?僕の中では「理知と良識を基とした美」という感じでもあって。

そんな美意識が大きくなっていく世となっていくのでしょうか。

そして、令和の「令」は、

僕にはどこか「霊」という文字にも見えてしまい。

霊の如く目に見えない領域での「和」とは、

それは嘘のない心からの和ということになるはずなのですが......

全ての人の霊性が磨かれ、発露もされ。

ようやく現実と見えない世界とが完全一致をしていき。

それは霊現一致のリセットであるのでしょうか。

「令」にはリセットという意味での「零=れい=ゼロ」という言葉も含まれているのでしょうか。

すると、そっち系?で大きな利得を得ていた様な人は?かなりの罪を問われそうでもあり。

その罪は、実はどんな犯罪よりも重いものであったのだということも......

思い知らされもするようで......

数ある宗教にしても......そういうものかも?しれません......

そんな時代を前にして、

とても強く、上位の神でもあるハズの「カラツの神」は、しかし、

こんなことを言っていました。



「今日も頑張ります」



もうすぐ、

僕の大好きな五月が始まります。


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織部な唐津の酒呑童子 8

2019-04-26 00:01:42 | 面白い...パワスポ寺社
思えばこの時から、これまで以上に、
神々の用事でアチコチを飛び回るということが激増しました。
——————続きます。




胸にカラツの神の刻印が入った後からは、日本は勿論、海外まで、
降ろされる神用の数は明らかに増えてしまいました。
それは日々懸命に働いている身としてはかなりハードな毎日であり、数年間でもあって、
ねーさんやポンチキーズの面々にとっても同じくのことで。
特にアノ、東日本大震災の後からは、神々はどうも時間を気にかけている感じが強くあり、
このブログを書き始めることになったのも、実のところその辺が関係してもいて。
それはきっと、今回年号の変わる2019年の5月前ぐらいまでには、なんとか、
主要なことは皆でやり遂げて欲しい、と。
それには大切な意味があるのだ、と。
お前にはそれは分からなくてもいい。
でも、とにかくやってくれ。急ぐのだ、と。
神々からのそんな急かしみたいなものも僕はずっと感じてはいて。
なのでとにかく余計なことは考えずに、ただ無心に、
縁あって頂く神々の言葉に対してはしばらくは真摯に対応し続けてみようと、
僕はそんな決意でこの数年の月日を過ごしていました。

——————人の世のことは、人でなければ出来ないことがあるのだ。
——————我々には支えることしか出来ないこともあるのだ。

途中、こんなところではとても記せないような神々の切羽詰まった理由に気づくこともあり、
それは背筋が凍るようなことだったりもして。
その重々しい理由は、
今まで個人的に避けていた場所に行かなければならなくなる様な事ともなって。
ココでも記していたような部分......それはごく一部の話ではあるのですが......で言えば、
例えば北海道のシャクシャインさんの居城や、
佐藤愛子さんの別荘があることで知られる地や襟裳岬。
網走や稚内、利尻島。湖の点在する北海道の東エリア。
長野の諏訪周辺。
熱海を中心として、伊豆半島や半島に連なる島々。
将門さんの首塚や古代「邪馬台国」の中心地。仙台や東北のあちらこちら。
安土桃山や剣神社。秀吉廟。大徳寺や堺。京都や奈良、琵琶湖のあちこち。
大阪や神戸の周辺。
金沢や能登半島を中心とした石川のあちこちや、東尋坊や福井のあちこち。
知多半島や渥美半島、浜名湖の周辺。
房総半島や三浦半島のあちこち。筑波山や富士山
三鷹を中心とした関東のあちらこちら。
四国や中国地区、山口の出雲のあちこちも。
九州のあちらこちらや、世界遺産登録が発表される前の五島列島や天草の教会......などなど、
とても多くて書ききれませんが......
様々なイワクもあって、時に血に染まってもいたような場所に足を踏み入れる時に、
僕がいつも明瞭に感じられていたことは、
カラツの神からもらった胸のタマが邪なる力から強烈に心身を護ってくれていたということ。
人々から鬼と呼ばれ、恐れられもした神の、
その鬼たる所以の力を僕は時々で強く思い知らされてもいたのです。
僕の体は使いパシリ用に?知らず知らずのうちに霊的に強化もされていたのでした。
以前も記したように、
強固な「牛の呪」を一発で祓ってくれた時のカラツの神の力などは本当に驚くべきもので。
そしてそんなカラツさんの胸の痕跡は、

「鬼などというモノはこの世にいないのだ」

という教えでもありました。
酒呑童子は捨てられた子供達をまとめあげ、皆が生きていける様に頑張っていた子供でした。
シャクシャインはアイヌ民族を権力者の搾取から守る為に立ち上がった勇者でした。
平将門もそんな戦いをしていました。
古(いにしえ)の亡国の地では

「神のため、、」
「皆のため、、」

といわれ、生きたまま埋められたり、
生贄や人柱にされたりしていた巫女さん達や人々も沢山いました。
神たるものが存在するとして、そんなことを望むはずはないのです。
奈良や京都、諏訪や出雲、東北でも、政治的理由や、
異端や異能を怖がられ、疎まれ、封じられてしまった人達が沢山います。
このブログに登場するねーさんはそんな魂の生まれ変わりでもあります。
桃太郎の鬼退治伝説のある岡山、吉備の地にしても、
古(いにしえ)の王の地であったはずで。
縄文時代最も栄えていた村の痕跡が残る東北の地というのは、
本当に未開の地だったのでしょうか?
蝦夷(エミシ)は政府の敵でも、ましてや鬼などではないハズです。
彼らにも正義や守るべき家族はありました。
熊襲(クマソ)も隼人(ハヤト)も。土蜘蛛(ツチグモ)も山窩(サンカ)も。
網走の地では、罪を犯した人間とはいえ不当な扱いを受けていた人が沢山いたかもしれません。
もしかしたら、そんな人の中には無実の人もいたかもしれないのです。

「故郷に帰りたい、、」

と、そんな悲痛な叫びは、一体、僕はどこに届ければよいのか?
戦争に散った人々や、災害で失われた人々の叫びは?どうしたらいいのか?
富士の地でも、長い間封じられ、史実から消されもしてきたモノモノや、
鬼とされている神々がいるのではないのか?国があるのではないのか?
富士山はなぜ記紀神話に一言も記されていないのか?
日本各地のあの地にもこの地にも。
アメリカやカナダのインディアンだって。
エスキモーの皆さんだって。
オーストラリアのアボリジニだって。
ハワイ島カウアイ島の彼の地にだって。
バリ島にだって。ギリシャの島々にだって。
まだ記していないアソコもココも、全て、

鬼などいない!

という、そんな話ばかりです。

いるとしたら、それは、

生きている人間なのだ!

と、そんなことばかりです。

——————最後にもう一話だけ、平成最後の記事へと続きます。
それはこれまで幾度か記して来た大好きな5月の話でもあって、
令和の話ともなるのでしょうか。








佐賀県、唐津市の唐津神社。
カラツの神がよくいらっしゃるところです。





プラリと行ったら、宮司さんがヒマ!?だったらしく、
するっと拝殿にあげてくれて(^^)
普段の感謝の気持ちをお酒と絵馬とともに置いてきました。





これが頼光さんの兜の上に載っているカラツの神(^^)



唐津神社が所轄する巨大な曳山(ひきやま=だし)なのですが、
唐津の神はよくこの曳山に降りると言っていました。
でも酒呑童子は鬼では無いのですね。ええ。本当は。
いつも頼光さんを全力で守っていたようなのです。(^^)ええ。
不思議と、ヤッパリ!?上杉謙信の曳山もありました。



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織部な唐津の酒呑童子 7

2019-04-22 00:01:43 | 面白い...パワスポ寺社
そして、このお話の中で、僕にとって本当に不思議で印象深いことというのは、
実のところ東京に戻ってから起きた出来事なのです。
それは、数年経った今もこの体に明瞭に刻まれていることでもあるのです。
——————もう少しだけ、続きます。




自宅に戻った僕は、その夜、ゆっくりお風呂につかろうとバスルームに入り、
大きな鏡の前でお服を脱ぎ脱ぎ♡あそばせました。
と、その時、鏡に映った自分の裸の上半身を見てみると、フト、気がつくことが......
あるのです......
ちょうど胸の真ん中、よく見ると中央よりほんの少し左に寄ったところ、に、何か?
直径5ミリぐらいの黒い点があります。
バスルームでは毎日、何十年と見続けてきた自分の体です。
いつもと違うことに気付かないはずはありません。
しかもとても目立つ胸の真ん中。毎日、顔とともに必ず目が行くところ。
そこに黒ずんだシミができているのです。最初は



「ゴミか虫でも付いているのかな?」



と思ったのですが、手で触ってみても全く変わらず。
なんだかホクロのような感じ。それでも



「......何かの拍子に出来てしまったアザか何かかな?」
数日もしたら消えてなくなるだろ。別に痛くもなんとも無いし、、」



と、そう僕は思いました。
そしてその日から毎日、お風呂やシャワーの度に気になるその黒いシミを見ていたのですが、
それがいっこうに消えてくれません。
むしろ、時間が経つにつれしっかりと黒くなっていって、
ますますクッキリと黒い点になっていくのです。



「むむむむむむ、、、、、シミかな?そーだな。シミだな。
オヤジになると良くできるぅ♡なんていうしな。きっとそーだ。
でも、この位置はなんだか目立つな。ウルトラマンじゃないんだから。
ピコピコ♪とか鳴っちゃうんじゃね!?このホクロ。全く。
もう消えないのかなぁ.......ビミョーなお年頃だのぉぉぉ、、(●´ω`●)むーん。。」



などと、僕はそのシミの様なホクロの様なものがかなり気になっていたのです、が......



「あああああああああああああああああああああああああああああ!・:*+.(( °ω° )).:+



も、もしやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!



コリわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!((((;゚Д゚)))))))」



首塚から戻ってちょうど1週間ほど。
僕はどこかその胸のシミと首塚の関係を疑ってはいたのですが、
しかし一方で、そんなバカなことはあるわけはない、とも思っていて。
しばらくはアザの様なものだと思い様子を見ていたのです。
しかし、時間が経ち、明らかに消えない黒いシミとなってしまったことを理解した瞬間、
改めて首塚での一件を思い出したのでした。



「そーいえば!喉から飛び込んできた!あの強烈なタマ!わ!

確か胸の方に降りていったな!最後。そーだ!

きっとそーーーだぁぁぁぁーーーっ!

ねーーーーーーーーーさぁぁーーーーーーーーーんんんん!

てーへんだぁーーーーーっ!

僕さんのお胸にぃぃーーーーーっ!

黒いホクロができちゃったよぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーっ!

女子にきらわれちゃうよぉぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!(T o T)

コリわいったい!?

なんなんだべかぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!?

責任とっておしえてくんろぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーっ!?

からつさぁぁぁぁぁーーーーーーーーん!

ぷりーーーーずぅぅぅぅぅぅ!」



そうして僕は事の真相を確かめようとプリリンねーさんや、
いつものポンチキーズのメンバーに胸の写真を添付したラインを送ったのです。
ハズカチィ......(*/∇\*)キャ



「この、胸の真ん中、
わずかに左に寄った所に出来たホクロのような黒ずみは一体なんなんだべ?
場所的には完全に心臓の真上なんす。だから気になっちゃうんす。
やっぱ首塚の呪い!?死んじゃうんだろーか!?おいら。
どーなんすの?でしょうかね。
多分、唐津さんのタマのハズだとは思うんすけど......乳首わ見ないでね♡」



すると、皆からは揃ってこんな答えが......



「このホクロ、なんか鬼の顔に見えるよぉぉーーーー。
でも恐くなーい(^O^)フシギー」



唐津の神は、僕が認識している限りのことで言えば、
神界でもトップクラスにいる神様です。
なぜ「唐津の神」かというと、
主に北九州の唐津というところを守護してきた神だからであって、
この地は近代に至るまで、長きにわたり日本国防衛の要(かなめ)の地でもありました。
元々、鬼!とも呼ばれた神だけあって神々の中でも力もエナジーも大きく、
それでそんな役回りであったとも思うのですが、
それがいろいろなところで疎まれてしまう様なことも多くあったり。
神とは言え決して順風満帆な神様ライフを送っていたわけではなかった様なのです。
特に神になったばかりの頃は色々なことであちこち飛び回ってもいて。
海外で地震があった時なども援護に駆けつけていたり、
奈良公園のあまりにマトマラナイ鹿の世話や守護をしていた時期も長くあったりもした様です。
それは神とは思えないくらい地味できつい役割でもあったようですが、
それでも唐津の神は、最後、
海外の神々からも鹿さん達からも一目置かれるくらいになるまで勤め上げました。
さらには、住吉三神の一柱が消えてしまった時に、
その穴を埋めるべく兼務をしたりもしていて。
その兼務は今も続いてはいるのですが、
カラツの神というのはそんな色々なことを経てトップに駆け上がっていった神様なのです。
いわば、庶民の代表としての神といいましょうか。
空海さんとは全く違うタイプの神様なのですが、
共通点は異例のスピードでトップに座った神であるということでしょうか。
そして、そんな唐津の神様曰く......



==========================================
私はuzmetが好きです。
キンピラ(ライスバーガー)もいつも食べてくれますね。



変わらない愛の人なのでねーさんさんもuzmetと話している時は楽しそうです。
世界広しと言えど、なかなかないことですよ。
今日はuzmetさんと一緒に(元伊勢に)行ってくださいね。

uzmetは、私のことがわかってくれました。「回る気」です。
uzmetには、私のタマを渡しました。 疲れ(=憑かれ)が取れると思います。

uzmetはうわついていないです。
ねーさんさんを助けてくれるからです。
私はねーさんさんが大好きですから、uzmetも大好きです。

変わらない愛のタマを渡しました。
永久保存だと言ってください。

タマはuzmetの心臓に入っています。
疲れ(=憑かれ)が取れると思いますよ。
ツカレはケガレからきています。人はケガレを持っていますからね。
食べたら出すもケガレですから。
本人というより、回りの人のケガレ(=気枯れ=穢れ=汚れ)ですね。
浄化していきます。

uzmetは手を振っていましたね。
パワーのある人が、ツカのことをわかってくれると、神達は喜ぶと思います。

フセの神とイラサトの神も待っていると伝えてください。
唐津神社で待っています。

uzmet は、私がいる唐津神社に来てくれました。
私は、唐津神社の酒呑童子の兜にずっといたのです。
私は、死が別つまで二人(ねーさんと僕さん)を守りますよ。

霊能は、使い方を間違えると、悪い気を呼びます。
悪い気は、増殖して病気になりますよ。
自分の考えが入ってしまうと、人は金に繋げようとします。
金に繋げると、欲にかられるので、霊能は、どんどんなくなります。
それが、神には許せないので、代々に影響するのです。
霊能は、ひとつの能力で、金に代わるものではありません。
==========================================



思えばこの時から、これまで以上に、
神々の用事でアチコチを飛び回るということが激増しました。
——————続きます。


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織部な唐津の酒呑童子 6

2019-04-18 00:04:53 | 面白い...パワスポ寺社
そんな辺り一帯には、現実感の消失した嘘のように静かな時が漂っていました。
——————続きます。




しばらくすると、
静かに両手を合わせて佇んでいた僕の周りに突然の突風が吹いてきました。
それはいわゆる「つむじ風」の様な風で、辺りをグルグルと激しく吹き囲み、
渦を巻いた気流はそのまま塚から真上の空の方へと立ち昇っていきました。
塚に鬱蒼と茂る木々もワサワサと大きく揺れて、
僕はかなり驚きながら、自然と



「わぁー、わぁーーー、、、あわわわわぁぁーーーーっ!?なんだこれーぇぇーーっ!?」



などと大声を上げていました。
このことは、この時リアルタイムで電話を繋いでいたねーさんから、
笑われながらかなりの突っ込みをされていたので、
相当情けない叫び声だったということだけは確かだと思われます。ハイ。
しかし、それくらい!
大声を出してしまうくらい!
この時の突風はすごくて。
しかもそれが鬱蒼とした森の中で塚の上にだけ吹いて来るのです。
普通はマズ信じてもらえない話だと思いますが、であるならば、
きっと僕はそんな白昼夢を見ていたのかもしれません。

そして、そんな回る突風の中で更に驚くことが起きたのですが、それは、
僕が風の真ん中で奇跡を感じ慄いて(おののいて)いる最中に、今度は!
自分の喉元に何か?
強力な力の玉みたいなものが?
外側からグン!と食い込んできて、
僕は一瞬息を詰まらせ、しかし、咳をすることも出来ず。
そのままその喉に入り込んできたナニモノか!?を必死にこらえ、
とにかくやり過ごそうとしていました。
しかしその力強いエネルギーの玉のようなものはそのまま僕の喉ぼとけ?甲状腺?
の辺りに入り込ん来て、気持ちの悪いことに!?
喉奥でグングンと広がっていきます。
すると、今度は口の中が何かとてもゴワゴワ......としてきて、
そうして僕は初めて少し咳込みました。
咳込むと、そのゴワゴワは口からまた喉元の方に戻って行って、
そこから更に体の中へと降りていき......
その感触はフワッと......胸のあたりで消えていきました。

それらのことは全て強烈なつむじ風が吹きすさぶ最中に起きていて、
つむじ風が木立の間から天に向かい抜けて行ったのと同時に、
喉から突然入って来たモノの違和感も消えていきました。
そして、そんな一連の出来事が収まると、僕はなにがなんだか?さっぱりわからない、
まさに狐につままれたかの様なキョトンとした状態になっていて。
気がつけば呆然として塚の前に佇んでいました。
やがて、フト、我に返った僕は柵の手前に置いていたスマホを手に取り、
この様子を電話越しに終始聞いていたであろうねーさんに今一度話しかけました......



「あ、も、もしもし!?き、きこえてた!?
ちょ、ちょっと、、、かなりヤバイんですけど、、、
つーか、なにがなんだか、、、
カラツさんの言っていたとおり、確かに回ってたよ。風が。ぐるぐると。。

「聞こえたよー。なんか叫んでたねー(^^)キャハハハハハーーー」

「風がすごかったからさ、聞こえたでしょ?風の音も。。
でさ、あのさ、なんか喉から入って来たんだよ。よくわかんないけど。
何か飛び込んできた。口に、じゃなくてさ!喉に直接!なんだよ。
なんだろか?よー分からん!!」

「えーーー!?ほんとー!?すごいねー。キャハハハハーーーッ」



この日、僕は東京に戻らなければいけなくて、
この後は電話から聞こて来るねーさんの高笑いに送られながらそそくさと首塚を出て、
一気に京都駅まで行き、そこから新幹線で帰りました。
そして、このお話の中で、僕にとって本当に不思議で印象深かったことというのは、
実のところ東京に戻ってから起きた出来事なのです。
それは、数年経った今もこの体に明瞭に刻まれていることでもあるのです。
——————もう少しだけ、続きます。



カラツの神はなぜか?モスバーガーが好きなのです。
鬼だったのに、ね。(^^)


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コメント (2)

織部な唐津の酒呑童子 5

2019-04-14 00:30:30 | 面白い...パワスポ寺社
今に伝わる酒呑童子のお話は、こんなことがベースとなって形成されて来ていると。
カラツの神はそんなことを話してくれていたのです。
——————続きます。




そんなカラツの神の話を思い起こしながら、
僕は老ノ坂にある「首塚大明神」へと向かいました。
首塚へと向かう道は鬱蒼とした森の中にあって、途中、ゴミの不法投棄も散見されました。
投棄もされるような場所なので、昼間でも人っ子一人見当たらず、薄気味悪さも満点。

「やはり、来ない方がよかったかな......」

と、昔、頼光さん達に連れられて来た検め人(あらためにん)の気持ちも
よくわかる瞬間もありましたが、イザ着いてみると、
首塚のところだけは少し開けた空間となっていて、
キラキラとした木漏れ日も差し込み、意外にも明るい雰囲気でした。



塚の辺りには、そこだけ、
脅しの効いた、異様に大きい木々が門番のように立っていました。







「なるほど。確かにすごい地の力だ......悪い気は、しない、な......」

僕はそう呟きながら、深い森の中に突然現れた小高い塚の前に佇む鳥居をくぐり、
塚の上を螺旋を描くようにして作られている参道を歩き出しました。
参道を歩くとすぐに気がついたのですが、
途中までの無法地帯的な森の様相とは違い、この塚だけは明らかに誰かが?
地元の方々が?大事に掃除も管理もしている様で。
塚の周囲には金網も張り巡らされ、清廉に守られていました。
僕は意外にも心地よいそんな参道から、ねーさんに到着のメールを送りました。
実はここに来る前、カラツの神からは、

「この塚へはねーさんと一緒に来て欲しい」

とも言われていたのです。
勿論、この時のねーさんは横浜の方のいたので、ソレは「気持ち」の話ではありますが、
メールをするとすぐに電話がかかって来て、
僕は彼女と電話で話しながら塚の参道を登って行きました。
そしてこの時、にわかに信じられないことが起こったのですが、それは、
参道脇の背の高い草々がグルグルと、まるで狂ったかのように!?
激しく円を描くようにして回り出したのです。
それも、僕が歩いていくのに合わせて!?
塚の下から上へと順々に回る草々も移動して来るのです。
この様子は電話で話していたねーさんにも実況中継をしていたのですが、
実はスマホの動画も残っていたりもしまして......ただ、今見てもあまりに衝撃的な!?
映像なのでちょっと公には出来ない感じでもあり......( ̄ー ̄;)ウーン...
でも、その様子を表現してみれば上記した通りではあるのです。
カラツの神の言っていた「回る力」というか、上昇気流というか、なんというか......
そんな草花がグルグルと回りまくる、
不思議な気力に満ちた参道を通って僕は塚の頂上に着きました。
頂上にある社(やしろ)の前に立つと、ねーさんとの電話は繋げたまま本殿の前に置き。
静かに礼をして、手を合わせ、挨拶も交わし、もう一度電話をピックアップして、
ねーさんからはそのままカラツの神のガイドをもらいつつ、
僕は犬の首が埋まっている塚があるという社(やしろ)の裏の方へと回り込んでみました。



果たして、社の裏には本当にこんもりと小さく盛り上がった塚がありました。
塚の上には石礫(いしつぶて)や割れた鬼瓦?などが無造作に積み上げてあります。
ここで一つ明記しておきたいのは、この時、この地には、
首塚恐怖症!?であった僕は初めて足を踏み入れたのであって、
塚の細かい様子に関しては全くもって何も知らず。
ビジュアル的な予備知識なども殆ど無いまま来ていたのです。
ソレは電話の先にいたねーさんにしてもそうであって。
ましてや、本殿の裏にこんな塚があるなんていうことは知る由もなく。
そもそもその社(やしろ)裏の塚は社の前に立ってもまったく見えていない状態で。
イソイソと社の横を通り、わざわざ後ろに回り込み、
そうして初めて裏にそんな小さな塚があることがわかるのです。
さらにこの時、ねーさんは

「塚の上に岩がある」

と、この場所に来る前から明確に言っていて。じっとその塚を見てみると、
こんもりと盛り上がった土の上に積まれてる沢山の石や瓦のカケラの奥下の方に、
埋もれる様にして、なんと!確かに岩もあったのです。
ソレは決して大きなものではありませんでしたが、
沢山の石礫(イシツブテ)の中に混じる様にしてあったのです。



「さて、岩もあるね......奥に。
どうすればいい?祝詞とか?いるのかな?」

「ちょっと待ってね、、聞いてみる、、、
うーーんと、ただその塚の前で静かに立ってればいいって。そう言ってる。

「そう。じゃぁ、手を合わせて静かにしてみるよ。
電話は繋いでおくわ。唐津さんが言うように」



そうして僕は、大きな塚の頂上にポツンと置かれた社(やしろ)の、
そのまた後ろにある小さな盛土の前で背筋を伸ばし、静かに佇み、
心を研ぎ澄まして手を合わせてみたのです。
塚の側に置いたスマートフォンは先ほどと同様、
そのまま横浜にいるねーさんと繋がっています。
そしてこの時、気がつくと、あれだけビビっていた!?
自分の首塚に対する恐れは嘘のように綺麗に消え去っていました。
目の前には、森の深さを際立たせるような幾筋もの細い木漏れ日がキラキラと、
まるで白糸の滝の様に小さな石の塚の上に差し込んでいて。
両手を胸の前で合わせながら光源である真上の方を見上げてみれば、
そこには彼方の世界に繋がる錯覚が起きてしまう様な、
真っ青な、穴のような空がありました。
そんな辺り一帯には、現実感の消失した嘘のように静かな時が漂っていました。
——————続きます。


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織部な唐津の酒呑童子 4

2019-04-10 00:27:40 | 面白い...パワスポ寺社
「......アノ話の真偽?真相?とかも、行けば全て分かるだろ。この体で。
体感と経験が全てだ。俺にとってはソレが一番大事なことだ。ま、行ったるわ!」



僕はそんなコトを思いながら首塚へと車をドライブしていきました。
—————続きます(^ν^)




老ノ坂の「首塚大明神」に向かうことになるより前、
カラツの神が話していた酒呑童子(しゅてんどうじ)の物語とは、
大筋においては伝承通りの話ではありましたが、
その内実はこれまで全く聞いたことのないものでした。しかしそれは、

「本当のところは、この通りなのだろうな、、、」

と、素直に感じられてしまうような物語でもあって、
個人的には強く感銘も受け、少々ホロリともしてしまう話でもありました。
以下には、カラツの神が語ったソノ物語を、
冷静なるプリリンねーさんが降ろした言葉で記し残しておきます。
少しだけ事前に補足をしておきたいことは、
カラツの神曰く、酒呑童子とはカラツの神自身のことであって。
カラツの神がこの世界に生まれ降りていた幾つかの生の内の一つであったのだと。
そして、カラツの神が酒呑童子として過ごしていた時代......平安時代というのは、
舞台や映画や小説、漫画などで描かれている様な煌びやかで華やかな貴族社会があった反面、
その実態は教科書などでもあまり書かれることの無い、
ひどく搾取的で悲惨な社会でもあった様なのです。
天候の不順さや自然災害も多く。それらを因とした作物の実りもとても不安定で。
それでも権力者達の搾取は厳しく。
農業を中心とする市井に暮らす多くの人々は普通に食べていくことすらも難しく、
常に飢えや病気や貧困などに向かい合いながら
必死に生きていかなければならない時代だったのだと。
人々は自分の子供すらも食べさせていくことが出来ずに、
まさに「食いぶちを減らす」ための子捨てなどが
当たり前の様に行われていた時代でもあった、と。
そして、そんな中、自分達が住んでいた場所は丹波の大江山の方だった......と、
カラツの神は、先ずはそんなことから話を始めてくれたのでした。



=======================================
私は生まれた時は悪い子供でした。
白毫寺(びゃくごうじ、奈良県)の住職の子供だったのです。
白毫寺は山の上でしたね。
閻魔大王は、私が悪い子だったので、変わってほしいと住職が奉ったのです。

変わらなかったのは、庶民の生活です。
子供は生まれると捨てられていました。
私は、ついに我慢が出来なくて、子供達だけの集団を作ったのです。
子供と言っても死なない程度にしていたので、いつも飢えていました。
貴族は優雅に暮らしていたので、盗めるものは盗んで生活していました。
貴族の子供は拐った(さらった)わけではないですよ。
楽しそうだから、パワーがもらえるからと集まって来たのです。
中には援助してくれる貴族もいました。
それがだんだん大きくなって、大人達は困ってしまったのです。
それで、大江山には鬼がいるとか、子供が拐われたとか言うようになりました。
私は集団の頭だったので、一番の悪者と言われていましたが、
やっと生きていたのです。

問題が大きくなったので帝(みかど)の命令で、
酒呑童子の討伐隊が組まれました。
それが、源頼光(みなもとのらいこう)が率いる
頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)だったのです。

らいこう様は、私達の成敗に来ましたが、私達の話を聞きに来てくれたのです。
らいこう様に言われて私は集団を無くすことにしましたが、
私の首がないと帝(みかど)も納得しないので、犬の首を持って行きました。
犬の首は都の近くで動かなくなったといって首塚も作っていました。
私は、らいこう様が好きになり、仏門に入って修行をしました。

らいこう様はいい人でした。
私達を守ってくれたので、私はらいこう様のような大人になりたいと思いました。
「つな(渡辺綱)」も好きですよ。
「きんとき(坂田金時)」も、みんないい人でした。



フジワラの話です。
私は、大江山にいた酒呑童子でした。
その頃の都はフジワラの天下でした。
帝(みかど)は名ばかりで、いるだけでした。
せーーーーいーーーーかーーーつーーーーの為に、人々は苦しんでいました。
子供は、捨てられていました。
私は白毫寺(びゃくごうじ)を追い出されたので、大江山に暮らしていました。
私は、体が大きかったので、沢山食べたからです。

大江山には、子供達が集まってきました。
貴族の子供達もいましたよ。
それほど、人々は困っていたのです。
だから、変わらないということです。

食糧の確保の話ですよ。
ウガヤフキアエズの王朝も、それで滅びました。
茨城にも行くのですか?
ミカボシの神も同じでしたよ。
星のカガセオです。
未来がくるのは、固めないといけないのです。
待っているので、行ってくださいね。



ツカは魂を助けるところです。ツカがあれば助かるのです。
ツカとは、「海の下」とか「海の家」と書くのです。
スサノオノミコトの下という意味です。
悪いことが起きないように立てた物です。



今まで、酒呑童子の話を正確に聞いてくれた人はいなかったのです。
首塚にあるのは、犬の首だということも、わかった人はいなかったです。
uzmetもわかってくれたから、大好きですよ。
変わらないでいてくださいね。



老ノ坂のは、私のツカなのです。
ツカは人が来ると乱れるので、人が来ないようにしています。



信玄(武田信玄)と戦った謙信(上杉謙信)は私でした。
私はいつも、日本の歴史の中にいました。
=======================================





カラツの神によると、
老ノ坂の首塚には頼光さん達が切った犬の首が埋まっているらしいのですが、
その犬はかなり大型のものを選んでいたとのことで。

「京の都に不浄なものを入れるな!
と峠の道祖神が言ったきり首がその場から動かなくなった」

という頼光さんの報告を聞いた帝(みかど)は、
その首の確認を側近の者に言いつけたのだそうです。
頼光さん達はその者を連れて首塚に向かったのだそうですが、
その道中、頼光さん達は

「如何に鬼が恐ろしかったか、、」
「首塚は恐ろしいところで、本当はあなたを連れて行きたくは無いのだ、、」

などと、怖い話をその同行者に散々聞かせ。
しかも、塚を作った場所は薄暗い峠の、かなり不気味な場所でもあったので、
検め人(あらためにん)は相当ビビりまくった状態で塚に辿り着いたのだそうです。
塚に着くと頼光さん達は

「まともに見ると祟られますから......」
「また牙を向いて襲いかかってくるかもしれませんし......」
「とにかく気をつけてくださいね......」

とかなんとかダメ押し的に言いながら塚の土を掘り起こし、
その掘り起こしたところは、
ちょうど犬のただれた口と牙がむき出しになって見えるトコロにしたらしく、
土から現れたその異様な牙やそこに絡みつく長い体毛を見た検め人は、その瞬間!
飛び上がる様にして驚き、おののき、腰を抜かした?らしく。そのまま

「もう十分です!わかりました!」

と、都に戻り。帝には

「確かに鬼でした!」
「恐ろしい牙でした!」

と、首がどれほど恐ろしいモノだったかを力説して伝えたのだそうです。
今に伝わる酒呑童子のお話は、こんなことがベースとなって形成されて来ていると。
カラツの神はそんなことを話してくれていたのです。
—————続きます。


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織部な唐津の酒呑童子 3

2019-04-06 00:14:57 | 面白い...パワスポ寺社
勿論、時と場合と人にもよるとは思いますが、
その「悪い気はしない」ということの理由こそが、
この場所に僕が踏み込むことになってしまった理由でもあり、
唐津の神(カラツの神)から聞いた真の!?新の!?
酒呑童子の物語だったのです。
それは、これまで一度も語られたことのない、
聞いたこともない酒呑童子の物語でした。
続きます(^^)






もう数年前の話となりますが、トアル用事で、
僕は京都、福知山市大江町にある「豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)」と、
「皇大神社(こうたいじんじゃ)」「天岩戸神社(ああめのいわとじんじゃ)」
を訪れていました。これらの神社は、
現在の伊勢神宮の元宮であるとの伝承から元伊勢とも元伊勢三社とも、
元伊勢皇大神宮とも、元伊勢内宮皇大神宮とも、
元伊勢外宮や元伊勢外宮皇大神宮などとも言われているような場所です。









この地のことは、またいつか記したいと思いますが......









この神社のある大江町は、前回記した通り、
酒呑童子伝説の鬼達が棲んでいたと伝わる地の一つ「大江山」のある地であって、
そんな場所を車でグルグルとしていた帰り道、
もう少し走れば京都の街へ入ろうかという、そんなところで、例によって!?例のごとく?
突然、僕の頭に天からの言葉が舞い降りて来たのでした.......
そのヒラメキ的な言葉が浮かんだ場所というのが......そう、なのです......アノ、
酒呑童子の首を埋めた場所と伝わる「老ノ坂峠」に差し掛かかろうかという辺りで。



「首塚へ寄ってみてくれ、、」



と。そんな感じの言葉が頭に響いて来たのです。
しかし、しかし!そんな!京都府民からも恐れられる心霊現象多発の場所になんて!



「ぜーーーーーーーーったいにイヤだ!
こりわなにかの間違いに違いない!
ぜーーーーたい!こんなのわ気のせいだぁぁあーーーーーっ!」



と、無言で叫びまくりながらも、しかし、もし本当に!?
自分が行くべき何事かがソコにあるのだとしたら、
それを無視するとなるとそれもまた神様を裏切ってしまうことにもなるだろうし......
などとしばし悩みつつ、



「そーか。こういう時はねーさんに聞いてみよか。そだそだ。そーしよ。」



と、僕は



「ソコは別に行かなくてもいいって言ってるよー(^ν^)キャハハハハー♪」



などと言われることを大前提!とした質問をメールでしてみることにしました。
すると!
そんなことを思った瞬間!
またまた驚くことに!
そのおねーさまの方から突然の電話がかかって来て......
実はこの日、彼女には僕が京都の山奥をグルグルしているということは話していて、
道中も何度か連絡をとりあったりしていたのです。が、しかし、
首塚峠越えのマサカのタイミングでの電話というのは、
まぁ、いつものことではありますが、やはり驚くという以外はなく。
僕はそんな驚きと若干の不安を!?抱えながら電話を取りました......



「あ、ねーさん?どーもー。。
まったく、このタイミングで電話とかもらうとかなりビビっちゃうんですけども。ええ。
ホントに。できればタイミングは考えてもらいたく。ええ。ええ。
チビッたパンツの替えとか持って無いんすよ。いつも。
モスバーガーちうですし。ええ。
で?なんですの?またどっか行った方がいいところなぞがあるんですの?
このタイミングだと、まさかの!?すぐ近くにある酒呑童子の首塚とか!?」



と、そんな感じの会話で。
そして、ねーさんから返って来た言葉というのが......



「うーん、、、今、カラツの神が言ってきてるのよぉ、、
とにかくそのまま伝えるね......
——————カラツの神です。
犬の首を埋めた首塚は近くにあります。
私は岩の上にいると言ってください。待っています————————
だって」



「だって!?だって!?とかポップに言っちゃってんの!?マジ!?
ソレはアノ!?首塚のことなの?峠の?恐ろしいという噂の?心霊スポット的な?とこ?」



と、僕は心でそんなことを呟きながら、ふーーん、、、などと言いつつ電話を切って。
その直後にもう一度、ビビりながらこんなメールをしたのです。
フォルダに残っているその時のやり取りをそのまま載せると......



「老ノ坂の首塚大明神て、京都有数の心霊スポットって書いてあるんだけど、、、
行くと呪われる!とかって.....マジダイジョーブなの?
カラツさん!?
こわひよー(; ̄ェ ̄)ダイジョーブ?」



「私は岩の上にいると言ってください。待っています。
岩には私がいて、疲れたUzmetに力を与えるからと言ってください。
自然の力ですよ。つまり “回る気” です。

——————Uzmetさんは、行っても大丈夫か心配しています。

大丈夫ですよ。
あまり、人が来ないようにしているのです。
人がが来ると、”回る気” が出来ないのです。

——————だって」



「だって!?だって!?とかピースフルに言っちゃってんの!?また!マジか!?」



.......と、このメールを受けた僕はまたもやそんなことをココロの中で叫びつつ、
ここはひとつ、いつも正確なねーさんの預かる言葉と、以前、
僕を強烈な「牛の呪(しゅ)」から救ってくれた
トンデモナイ力を持つ唐津の神様のことを信じて、

心霊スポットとして名高い、
老の坂峠(おいのさかとうげ)にある恐怖の「首塚大明神」を目指すことにしたのでした。
しかし、以前も記していた通り、
僕は「首塚」と名がつく場所ではあまり良い思い出が無く。
とにかくそのことが一番気になっていて、かなーりビビってもいたのです。
ただ、初めて聞いた「回る力」なる言葉への興味や期待の様なものも
ジワジワと膨らんできてもいて。そのせいか?
首塚までの道のりは思ったよりも軽やかな心で進むことが出来ました。
そんな道中で思い出していたのは、
以前よりカラツの神から聞かされていた酒呑童子の「真の」物語。
「犬の首」なる言葉もそのカラツの神の語ってくれた話に出てくるものであって......



「......アノ話の真偽?真相?とかも、行けば全て分かるだろ。この体で。
体感と経験が全てだ。俺にとってはソレが一番大事なことだ。ま、行ったるわ!」



僕はそんなコトを思いながら首塚へと車をドライブしていきました。
—————続きます(^ν^)


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織部な唐津の酒呑童子 2

2019-04-02 00:02:21 | 面白い...パワスポ寺社
しかし、カラツの神様が話してくれたそんな酒呑童子の物語というのは、

「本当は、こういう話だったのですよ......」

という、なんとも摩訶不思議で興味深いものだったのです。

......つづきます(^^)




「令和(れいわ)」なる新元号も無事発表されまして。
新時代の胎動を全身で感じつつ、
お話の方はマイペースに前回からの続きとなりまする♪(^^)
先ずは、定番モノとはいえお馴染みでない方もいらっしゃるとは思いますので、
数秒でわかる「酒呑童子(しゅてんどうじ)」のあらすじを少々......



—————————平安の昔。話題の元号!?で言えば、
「正暦(しょうりゃく)」か「長徳(ちょうとく)」の頃。
京都の町の外れにある大枝山(おおえやま)の老ノ坂(おいのさか)という峠に、
恐ろしい鬼の集団が棲んでいました。
この鬼達は峠の一帯は勿論、京の都にまで降りてきて窃盗や恐喝、人さらいや人殺し、
果ては人をバラバラにして食べてしまう!という悪事を繰り返していました。
特に、この鬼集団を率いる大ボスの鬼は凶暴で、しかもお酒が大好き。
そんなところから下部(しもべ)の鬼達や人々からは
「酒呑童子」と呼ばれ恐れられていました。

そこで、時の帝(みかど)である一条天皇はこの鬼達を退治することを決意。
時は995年。帝は当時最高の武人、
源頼光(みなもとのらいこう、よりみつ)を中心とする最強部隊を編成し、
鬼征伐へと向わせました。
部隊のメンバーは人々から「頼光四天王」と呼ばれていた4人の屈強な勇者達。
四天王の筆頭となる渡辺綱(わたなべのつな)をはじめ、
金太郎伝説で有名な坂田金時や碓井貞光、
卜部季武(うらべのすえたけ)という豪華メンバー。

そんな勇猛で知略にもたけた頼光さん達一行は、
峠にある鬼の居城を山伏を装って訪ね、一夜の宿をとらせてほしいと頼み込みます。
そこで頼光さん達は酒宴を開き、鬼達の酒に毒を混ぜ、飲ませ、
鬼達がグデングデンになって寝込んでしまったところを一斉に!成敗してしまいます。
しかし、ひときわ強かった酒呑童子だけは、
首を切られた後もその首だけで頼光に襲いかかり、
頼光のかぶっていた兜(かぶと)に噛みつき、そのまま離れない!という非常事態に。
それでも頼光はなんとかその窮地も脱し、無事に鬼達を退治。
その後、退治した証拠として、酒呑童子の首を帝に見せるため都に持ち帰ります。
首は帝が無事に検分した後、
宇治の平等院の宝蔵に納められることとなりました—————————————



と、簡単に記すとこんな感じでしょうか。
ポイントとしては、長い年月の間に物語は沢山の筋に分かれて伝わっていて、
鬼達の居城は都の外れの大枝山でなく、丹後半島近くの丹波の大江山だったとか。
いやいや、伊吹山の方だ!とか。
元々はお寺にいた童子が鬼になってしまったのだ、とか。
その寺は比叡山だったとか、奈良の白毫寺(びゃくごうじ)だったとか。
イヤ、新潟の山寺で生まれた鬼だった!とか。
寺から追い払ったのはアノ、最澄!だったとか、空海だったとか。
物語の中で、頼光たちが鬼達の情報を聞き出したという酒呑童子に仕えていた女は、
洗濯係のおばちゃんだったとか、いや、若くて綺麗な、さらわれた女の子だった、とか。
討ち取った首は京へ持ち帰ろうとしたけれど、途中、老ノ坂の峠で道端のお地蔵さんに

「不浄なものを京に持ち込むな」

と忠告され、それきり首がその場から動かなくなって、
仕方なく四天王達はそのまま峠に首を埋葬したとか。

しかし、そんな「峠に埋葬した」という話にも別説があり、
四天王に退治される間際の酒呑童子は今までの罪を深く悔い、詫びて、
死後は首から上に病気を持つ人々を助けるということを望んだので、
頼光たちはその場に童子を「明神」として埋め、祀った......なんていう話も。

そしてその場所こそが!
恐ろしい心霊現象の体験報告が後を絶たないという!
地元、京都府民も恐れおののく!
老ノ坂峠に今もある最恐の心霊スポット!
首塚大明神!
であると。今に至るまで脈々と伝わっているわけなのです。



......こちらがその、京都が誇る最恐心霊スポット!?の一つ。
老坂峠にある首塚大明神。



えええええええーーーーーーーーーっ!?

そんなトコの写真のせちゃっていいのぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーっ!?

見てる俺らにトバッチリとかあるんじゃねぇぇぇぇーーーーっ!?

責任とれんのかぁぁぁぁーーーっ!こらぁああ!

つーか!?

そんなとこいっちゃったわけぇぇぇぇ!?

まじーーーーーーーーっ!?

バカじゃねぇぇぇーーーーーっ!?



と。ええ。おっしゃることはよくわかります。
わちきだって好き好んでそんなところに行くわけはありませぬ。
頼光さんではあるまいし。ええ。ええ。



と。



しかし。



よく見ていただけると?
お分かりになる人は!?分かるのかもしれませんが。
この首塚。
この写真に関しては!?
感じミテみるに......
僕は、特に......悪い気は......しません。
勿論、時と場合と人にもよるとは思いますが、
その「悪い気はしない」ということの理由こそが、
この場所に僕が踏み込むことになってしまった理由でもあり、
唐津の神(カラツの神)から聞いた真の!?新の!?
酒呑童子の物語だったのです。
それは、これまで一度も語られたことのない、
聞いたこともない酒呑童子の物語でした。
続きます(^^)


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