「毎日毎日、歩きながら、すごく色々考えました......」
先々週ぐらい。
アメリカのロサンゼルス・オフィスに勤めていたスタッフのKGさん(♂)
が東京に戻ってきて、僕にそんな話をしてくれました。
「uzmetさんも来てくれていた、あの、オフィスに向かう道で、
もう、本当に色んなことを考えました。
でも、面白いですね。
日本にいる時よりとても深く、スッキリと考えられるんですよ。
LAのそういう空気というか、気候というか、、、
にはとても助けられました。
日本だったらノイローゼになっちゃったかもしれません。
アメリカっていいですね。本当に。
心からそう思いました......」
彼は会社を辞める決意をしたようです。
そのことを、一人、ずっとLAで考え抜いていて。
それで出した結論を僕に話そうと、
わざわざ時間を取って話してくれました。
僕はLAオフィスの仕事をかなり手伝っていたりもしたので、
そんなこともあってのことだとは思いますが、
この話をしてくれている時の彼の顔はなんだかとても晴れやかで。
スキッ!とした、頼もしいものでした。
「......それで、人を教える仕事をしたいな、と、思いまして。
日本に戻ります。
ここからまた新しく頑張ってみようかと(^_^)」
彼とはLAは勿論、NYでも幾度か会っていて。
時折、色々なことを話しても来ましたが。
今まで話していなかったことを少しだけ、
僕は彼に話すことにしました。
「......実は、俺ね、君のその感じ凄く良くわかるんだよね。
LAの空気というか、アメリカの空気というか。
日本と全く正反対のところがあるじゃん?
それが凄く色々なことをクリアに考えさせてくれるってこと。
俺、ちょうど君ぐらいの年の時にLAに3ヶ月ぐらい住んでたの。
この会社に移って来る前に。
その内の2ヶ月ぐらいは大学のサマースクールに通ってたのね(^ω^)」
「ええ!?いや、初めて聞きました。
そーだったんですか。
それでLA詳しかったんですね」
「そーなの。知らなかったでしょ。
話したことないもんね。そんなこと。
でさ、学校に行っている時に住んでいたのが、
実はウェストウッドにあるUCLAのドミトリーで。
そこから大学の教室に毎日通ってたの」
「あ、わかります。あのグラウンドの上の丘のあたりっすよね」
「そーそー(^ω^)
アメフト・グラウンドのすぐ脇に立ってる一番大きな寮にいたのよ。
そこそこ。」
「よく分かります(^_^)」
「その寮に住んでいた時にさ、毎日考えていたことが、実は、
未だに俺の将来の道しるべになっているんだよね。本当に。
ジジイになって、死ぬ前にはこういうことを成してみたいな、、って。
それってもう少し先!?の話でもあるし、
まだ全然実現もしてないけど、
その時のLAで考えついたことなんだよ。
ま、その細かい内容は未だに誰にも話していないんだけどね。
君にも。奥さんにも。
でもさ、それに向かって今もこうして働いてるし、
動いてるワケではあるんだよね。
その時のLAで過ごした時間ってさ、とても短かったけど、
未だに自分の中で光り輝いている時間だったりもするんだよ。
不思議と。
思い出すだけでいつもとても嬉しくなったり、元気になったり。
きっと生涯忘れないと思うんだよなぁ。。
あの3ヶ月より楽しかった時間とか、マジ、
俺には無いかもしれないぐらい。
凄い意味のある時間だったんじゃないかって。
今でも心からそう思うもの。
きっとさ、
君のアメリカでの時間もこれからそうなっていくのではないかなぁ......って。
とても大事な時間を過ごせたんじゃないかって。
そう思うけど。俺は。
良かったんじゃん!?
会社を辞めるって話がいい話か?どうか?はわからないけど、
でも、この世界に良い悪いなんてないし。
とにかく、
とても意義と意味が深い時間になっているんじゃないのか、と。
うん。(^ω^)
「はい!いや、ホント、そうなんです。はい(^_^)」
「こっちで落ち着いてきたら、
またゆっくりご飯でも食べながらはなそーぜー(^ω^)」
「ハイ!(^_^)」
時折、人は新鮮な環境に身を置くことが必要なのではないかと。
そう思います。
旅もその1つでしょうし、仕事や赴任、
引っ越しとかもそうかもしれません。
親元を離れて暮らしてみるとか。
1人で暮らしてみるとか。
2人とか、数人で暮らしてみるとか。
例え体が動かない様になっても、
目が見えなくなっても、
耳が聞こえなくなっても、
それに準じる様な「何か」は必要なのではないか、
とも思えます。
普段しないことをしてみる、とか。
考えてみる、とか。
本や、未知の映像やゲームの世界に没頭してみる、とか。
話したことのない人と話してみる、とか。
その時の自分にできる精一杯の変化をつけてみること。
そうしようとする意思。
そんな中で見つけることは、きっと、
希望に近いことなのだとも思うからです。
自分が慣れ親しんだ世界とは違う世界が与えてくれるのは、
いつも新鮮さと、元々自分の中にあったのに気づいていなかった
「何か」だったりするのだと思います。
それは、時に自分の人生を変えることすらある様な気もします。
人生とまでは言わないまでも、
凝り固まっていた価値観を変えてくれることなどがあるように
僕には思えるのです。
幸せに導いてくれるようなことも?あるように思えるのです。
KGさんのこれからのさらなる活躍と幸せを心より祈っています。
このブログのサブタイトルに嘘はありません。(^^)
サンタモニカビーチとビバリーヒルズの
ちょうど真ん中あたりにあるウェストウッド(Westwood)。
有名な「UCLA」がある街です。
学生さんが多いので物価も安く、治安も雰囲気もとてもスマート。
ちょっとのんびりもしていて、気取ってもいなくて。
海と山のちょうど中間にあって、どっちに出るのも便利。
そんなところがたまらなく好きな街です。
上の写真の真ん中に映っているロケットの様な細い塔型の建物は映画館。
街のランドマークでもあって、
僕がよく通っていた思い出の場所の1つ。
今も健在みたいです。(^^)
そして、言わずと知れた
「 UCLA=University of California, Los Angeles
=カリフォルニア大学ロサンゼルス校」
下の写真の、
グラウンドの向こうの丘に建つ建物が、
KGさんも言っていた、僕が数ヶ月住んでいた
「スプロール・ホール」と言う名前のドミトリー。
正面入口はこんな感じ。
一帯に沢山あるドミトリーの中の一つ。
毎朝いた、
寮の前にある「カフェ1919」とサンセットヴィレッジ。
宿題とかやっていました。
部屋の窓からの眺めはこんな感じ。
グラウンドの向う側にある茶色い古い建築様式の建物は図書館。
よく1人で居座ってました。
毎朝、このグラウンドで合宿を張っていた
チアガールさん達の黄色い朝練の声で起きていて......
「♪てきらうぇい!でぃーーふぇーーんす!
♪キャーッ!ポンポン!」
「むにゅむにゅ......もしや!?
天国で起きちゃったの!?」
なんて、
ベッドでボケボケしながら思っちゃったりなんかして......
この道を毎日通っていたのですけど、僕さんは、
わざわざ遠回りになるグラウンドの中を突っ切って
教室に行ったりもしていて。
なぜならばばば!
練習中のチアのおねーさん達の前を通ると!
お約束事で!
一斉に美脚を上げて!
両手に持ったポンポンで大声で応援してくれるから!(*´ー`*)♡
「ファイッ!ファイッ!とぅー ういん!
キャーッ!ポンポン♡」
みたいな。ええ。
練習とわかっていても勘違いしそーになるのです。
ええ。
アブナイっす。
すぐお隣のプロの大会も開かれるテニスコートも使いたいホーダイ。
他にもトレーニングジムとかプールなどは屋内、
屋外ともに3つぐらい揃ってます。
とにかく何をするにも不足の無い贅沢な設備。
そして、こんな感じのこのエリアは、
LAに行くといつもツイツイ訪れてしまう場所ともなっていて。
性懲りも無く、と言うか。
意味もなく、と言うか。
感傷的と言うか。
回顧的と言うか。
情けないというか、なんと言うか。
一つ言えるのは、
きっと僕はココが大好きなんだと思います。
僕のいた「スプロールホール(Sproul Hall)」という寮は、
日本の2倍以上はある長い夏休みを取っている生徒さんの部屋を、
夏の間だけ一般に解放するようなのです。
生徒さんは空けた分年間賃料が安くなるし、
寮側としたら一般貸しの方が賃料も上げられて儲かる。
とても合理的な考え方。
最初「スプロール」と言う名前の意味が全く分からず。
その意味を館のスタッフさんに聞いてみると、
このホールを建てた人の名前が「SPROUL」さんであると。
UCLAの卒業生で、
母校への寄付としてその人から贈られた建物なのだそうで。
全米屈指の大学の広大なキャンパスには、そんなふうに、
卒業生から寄付された建物やら施設やら、
様々なアイテムやらが沢山あります。
卒業後、社会的にも金銭的にも成功した人は母校へのお礼と、
自分の名誉と、
後輩たちへの紳士的手本ともなるべく、
この様な寄付をする人が多いのだそうです。
母校に名を残すことはアメリカでは一つの大きなステータスともなる様で。
それが卒業生達の一つの「カタ」ともなっていて。
生徒は生徒で、
そんな寄付された様々なものものの恩恵を受けれるわけであり。
そんな充実した施設を体感して行くうちに、
僕自身、凄く自然に思ったのは、
「この大学、スゲーな。最高だな。
子供とか出来たら!?ここに通わせたいな......」
みたいなこと。
先に記したチアガールさん達も、
夏合宿という形で憧れのUCLAのチアリーダーさんに教わりつつ、
「体験入学」も兼ねているわけです。
それも、全世界から集まって。
現役のUCLAのチアリーダーさんにとっては
とてもいい夏休みバイトともなっているようですし、
そんなふうに世界中から集まっている若い学生さん達も、
この素晴らしい環境で毎日を過ごすうちに、
「いつか自分もこの大学に入って、名前を刻むんだ、、、」
「社会に出たら寄付が出来るような人になれるよう頑張ろう、、」
と、そんな思いが芽生えて来る様でもあるのです。
そんな連鎖が世代や国を超え、伝統ともなっていて。
大学としては費用が軽減されながら施設はどんどん充実していって。
そんな充実した施設が、
また世界中から多くの学生達を惹きつけるチカラともなって。
人気も上がり、競争力も上がり。
優秀な人を集めも、育てもして。
世界中から来て、世界中に出て行く人達は、
そんな大学のことをまた世界中で誇らしく話したりもするわけで。
そんなこともブランドが世界的に構築されて行く要因となっていって。
そんなサイクル。
ハードウェアの完璧な回し方。
完璧なブランディング。
大学をビジネスと捉えてみた時も、
この合理的なサイクルには感嘆してしまいます。
日本の大学でこんなサイクルを完璧に形成させている所などあるのだろうか?
と。経済的な合理性も含め、
民主的に、自然と創られていくブランド。
イイ歳こいて海を渡ると、
ワカゾーの時とはまた違った視野でモノを見れる様なことがあったりも?
するようではあります。(^^)
先々週ぐらい。
アメリカのロサンゼルス・オフィスに勤めていたスタッフのKGさん(♂)
が東京に戻ってきて、僕にそんな話をしてくれました。
「uzmetさんも来てくれていた、あの、オフィスに向かう道で、
もう、本当に色んなことを考えました。
でも、面白いですね。
日本にいる時よりとても深く、スッキリと考えられるんですよ。
LAのそういう空気というか、気候というか、、、
にはとても助けられました。
日本だったらノイローゼになっちゃったかもしれません。
アメリカっていいですね。本当に。
心からそう思いました......」
彼は会社を辞める決意をしたようです。
そのことを、一人、ずっとLAで考え抜いていて。
それで出した結論を僕に話そうと、
わざわざ時間を取って話してくれました。
僕はLAオフィスの仕事をかなり手伝っていたりもしたので、
そんなこともあってのことだとは思いますが、
この話をしてくれている時の彼の顔はなんだかとても晴れやかで。
スキッ!とした、頼もしいものでした。
「......それで、人を教える仕事をしたいな、と、思いまして。
日本に戻ります。
ここからまた新しく頑張ってみようかと(^_^)」
彼とはLAは勿論、NYでも幾度か会っていて。
時折、色々なことを話しても来ましたが。
今まで話していなかったことを少しだけ、
僕は彼に話すことにしました。
「......実は、俺ね、君のその感じ凄く良くわかるんだよね。
LAの空気というか、アメリカの空気というか。
日本と全く正反対のところがあるじゃん?
それが凄く色々なことをクリアに考えさせてくれるってこと。
俺、ちょうど君ぐらいの年の時にLAに3ヶ月ぐらい住んでたの。
この会社に移って来る前に。
その内の2ヶ月ぐらいは大学のサマースクールに通ってたのね(^ω^)」
「ええ!?いや、初めて聞きました。
そーだったんですか。
それでLA詳しかったんですね」
「そーなの。知らなかったでしょ。
話したことないもんね。そんなこと。
でさ、学校に行っている時に住んでいたのが、
実はウェストウッドにあるUCLAのドミトリーで。
そこから大学の教室に毎日通ってたの」
「あ、わかります。あのグラウンドの上の丘のあたりっすよね」
「そーそー(^ω^)
アメフト・グラウンドのすぐ脇に立ってる一番大きな寮にいたのよ。
そこそこ。」
「よく分かります(^_^)」
「その寮に住んでいた時にさ、毎日考えていたことが、実は、
未だに俺の将来の道しるべになっているんだよね。本当に。
ジジイになって、死ぬ前にはこういうことを成してみたいな、、って。
それってもう少し先!?の話でもあるし、
まだ全然実現もしてないけど、
その時のLAで考えついたことなんだよ。
ま、その細かい内容は未だに誰にも話していないんだけどね。
君にも。奥さんにも。
でもさ、それに向かって今もこうして働いてるし、
動いてるワケではあるんだよね。
その時のLAで過ごした時間ってさ、とても短かったけど、
未だに自分の中で光り輝いている時間だったりもするんだよ。
不思議と。
思い出すだけでいつもとても嬉しくなったり、元気になったり。
きっと生涯忘れないと思うんだよなぁ。。
あの3ヶ月より楽しかった時間とか、マジ、
俺には無いかもしれないぐらい。
凄い意味のある時間だったんじゃないかって。
今でも心からそう思うもの。
きっとさ、
君のアメリカでの時間もこれからそうなっていくのではないかなぁ......って。
とても大事な時間を過ごせたんじゃないかって。
そう思うけど。俺は。
良かったんじゃん!?
会社を辞めるって話がいい話か?どうか?はわからないけど、
でも、この世界に良い悪いなんてないし。
とにかく、
とても意義と意味が深い時間になっているんじゃないのか、と。
うん。(^ω^)
「はい!いや、ホント、そうなんです。はい(^_^)」
「こっちで落ち着いてきたら、
またゆっくりご飯でも食べながらはなそーぜー(^ω^)」
「ハイ!(^_^)」
時折、人は新鮮な環境に身を置くことが必要なのではないかと。
そう思います。
旅もその1つでしょうし、仕事や赴任、
引っ越しとかもそうかもしれません。
親元を離れて暮らしてみるとか。
1人で暮らしてみるとか。
2人とか、数人で暮らしてみるとか。
例え体が動かない様になっても、
目が見えなくなっても、
耳が聞こえなくなっても、
それに準じる様な「何か」は必要なのではないか、
とも思えます。
普段しないことをしてみる、とか。
考えてみる、とか。
本や、未知の映像やゲームの世界に没頭してみる、とか。
話したことのない人と話してみる、とか。
その時の自分にできる精一杯の変化をつけてみること。
そうしようとする意思。
そんな中で見つけることは、きっと、
希望に近いことなのだとも思うからです。
自分が慣れ親しんだ世界とは違う世界が与えてくれるのは、
いつも新鮮さと、元々自分の中にあったのに気づいていなかった
「何か」だったりするのだと思います。
それは、時に自分の人生を変えることすらある様な気もします。
人生とまでは言わないまでも、
凝り固まっていた価値観を変えてくれることなどがあるように
僕には思えるのです。
幸せに導いてくれるようなことも?あるように思えるのです。
KGさんのこれからのさらなる活躍と幸せを心より祈っています。
このブログのサブタイトルに嘘はありません。(^^)
サンタモニカビーチとビバリーヒルズの
ちょうど真ん中あたりにあるウェストウッド(Westwood)。
有名な「UCLA」がある街です。
学生さんが多いので物価も安く、治安も雰囲気もとてもスマート。
ちょっとのんびりもしていて、気取ってもいなくて。
海と山のちょうど中間にあって、どっちに出るのも便利。
そんなところがたまらなく好きな街です。
上の写真の真ん中に映っているロケットの様な細い塔型の建物は映画館。
街のランドマークでもあって、
僕がよく通っていた思い出の場所の1つ。
今も健在みたいです。(^^)
そして、言わずと知れた
「 UCLA=University of California, Los Angeles
=カリフォルニア大学ロサンゼルス校」
下の写真の、
グラウンドの向こうの丘に建つ建物が、
KGさんも言っていた、僕が数ヶ月住んでいた
「スプロール・ホール」と言う名前のドミトリー。
正面入口はこんな感じ。
一帯に沢山あるドミトリーの中の一つ。
毎朝いた、
寮の前にある「カフェ1919」とサンセットヴィレッジ。
宿題とかやっていました。
部屋の窓からの眺めはこんな感じ。
グラウンドの向う側にある茶色い古い建築様式の建物は図書館。
よく1人で居座ってました。
毎朝、このグラウンドで合宿を張っていた
チアガールさん達の黄色い朝練の声で起きていて......
「♪てきらうぇい!でぃーーふぇーーんす!
♪キャーッ!ポンポン!」
「むにゅむにゅ......もしや!?
天国で起きちゃったの!?」
なんて、
ベッドでボケボケしながら思っちゃったりなんかして......
この道を毎日通っていたのですけど、僕さんは、
わざわざ遠回りになるグラウンドの中を突っ切って
教室に行ったりもしていて。
なぜならばばば!
練習中のチアのおねーさん達の前を通ると!
お約束事で!
一斉に美脚を上げて!
両手に持ったポンポンで大声で応援してくれるから!(*´ー`*)♡
「ファイッ!ファイッ!とぅー ういん!
キャーッ!ポンポン♡」
みたいな。ええ。
練習とわかっていても勘違いしそーになるのです。
ええ。
アブナイっす。
すぐお隣のプロの大会も開かれるテニスコートも使いたいホーダイ。
他にもトレーニングジムとかプールなどは屋内、
屋外ともに3つぐらい揃ってます。
とにかく何をするにも不足の無い贅沢な設備。
そして、こんな感じのこのエリアは、
LAに行くといつもツイツイ訪れてしまう場所ともなっていて。
性懲りも無く、と言うか。
意味もなく、と言うか。
感傷的と言うか。
回顧的と言うか。
情けないというか、なんと言うか。
一つ言えるのは、
きっと僕はココが大好きなんだと思います。
僕のいた「スプロールホール(Sproul Hall)」という寮は、
日本の2倍以上はある長い夏休みを取っている生徒さんの部屋を、
夏の間だけ一般に解放するようなのです。
生徒さんは空けた分年間賃料が安くなるし、
寮側としたら一般貸しの方が賃料も上げられて儲かる。
とても合理的な考え方。
最初「スプロール」と言う名前の意味が全く分からず。
その意味を館のスタッフさんに聞いてみると、
このホールを建てた人の名前が「SPROUL」さんであると。
UCLAの卒業生で、
母校への寄付としてその人から贈られた建物なのだそうで。
全米屈指の大学の広大なキャンパスには、そんなふうに、
卒業生から寄付された建物やら施設やら、
様々なアイテムやらが沢山あります。
卒業後、社会的にも金銭的にも成功した人は母校へのお礼と、
自分の名誉と、
後輩たちへの紳士的手本ともなるべく、
この様な寄付をする人が多いのだそうです。
母校に名を残すことはアメリカでは一つの大きなステータスともなる様で。
それが卒業生達の一つの「カタ」ともなっていて。
生徒は生徒で、
そんな寄付された様々なものものの恩恵を受けれるわけであり。
そんな充実した施設を体感して行くうちに、
僕自身、凄く自然に思ったのは、
「この大学、スゲーな。最高だな。
子供とか出来たら!?ここに通わせたいな......」
みたいなこと。
先に記したチアガールさん達も、
夏合宿という形で憧れのUCLAのチアリーダーさんに教わりつつ、
「体験入学」も兼ねているわけです。
それも、全世界から集まって。
現役のUCLAのチアリーダーさんにとっては
とてもいい夏休みバイトともなっているようですし、
そんなふうに世界中から集まっている若い学生さん達も、
この素晴らしい環境で毎日を過ごすうちに、
「いつか自分もこの大学に入って、名前を刻むんだ、、、」
「社会に出たら寄付が出来るような人になれるよう頑張ろう、、」
と、そんな思いが芽生えて来る様でもあるのです。
そんな連鎖が世代や国を超え、伝統ともなっていて。
大学としては費用が軽減されながら施設はどんどん充実していって。
そんな充実した施設が、
また世界中から多くの学生達を惹きつけるチカラともなって。
人気も上がり、競争力も上がり。
優秀な人を集めも、育てもして。
世界中から来て、世界中に出て行く人達は、
そんな大学のことをまた世界中で誇らしく話したりもするわけで。
そんなこともブランドが世界的に構築されて行く要因となっていって。
そんなサイクル。
ハードウェアの完璧な回し方。
完璧なブランディング。
大学をビジネスと捉えてみた時も、
この合理的なサイクルには感嘆してしまいます。
日本の大学でこんなサイクルを完璧に形成させている所などあるのだろうか?
と。経済的な合理性も含め、
民主的に、自然と創られていくブランド。
イイ歳こいて海を渡ると、
ワカゾーの時とはまた違った視野でモノを見れる様なことがあったりも?
するようではあります。(^^)