「縄文時代です。日本。
今から4000年以上も前の時代—————」
北陸のとある街に住む、渋~い大人の男性のYさんは、
ソレが今、目前にあるリアルな現実のように僕に話をし始めました......
「—————現在の北陸、能登半島の片隅にある日本海に面したその地は、
4000年以上前も今と変わらず、
なだらかで小高い丘に囲まれた小さな入江でした。
入江の海から緩やかに昇り続く丘の上に立つと、
遠浅で濁りのない、蒼く輝く海を遠くまでよく見渡すことが出来ました。
丘と海とが接する入江には、
少しグレーがかった茶色い砂と岩場とが入り交じるような浜が広がっていて、
穏やかで美しい波が寄せて、また海に......静かに帰って行きます。
浜辺の近くには木製の小さな船が幾つか置かれていて。
小さな集落が浜に沿って転々と散らばっています。
そこには海の恵みをいただく漁師さん達が住んでいるようでした。
そんな入江を見渡せる小高い丘の上にも幾つかの集落があって、
その集落の後ろの方には、延々と濃い緑色をした多種多様な木々......
原生の林に覆われた山々......
が泰然と丘の奥へと連なり、続いていました。
そちらの集落の方には森の豊かな恵みを得る山の民と、
奥の山々から丘にかけて湧き上がり、
流れ出る豊かな水がもたらす作物で暮らす人々が住んでいました。
......とても豊かな地のようです。
海があり、山があり、丘もあって水がある。
全ての “幸=さち” が揃う豊かな入江。
その中に少しばかり不思議に映る光景があって。
ソレは、
その入江の集落と丘上の集落との “間” に広がる広大な広場です。
そこは......
その豊かな入江の周りに暮らす人々が何かと集う公園的な場所のようです。
広大な広場は一面芝生の様な緑の草に覆われていて。
その中心......目前の海も背後の山も見渡せる丘の中央には、
大きな木の柱が何本も、
直径10メートル近い巨大な “円の形” で建てられています。
その大きな “木柱” はそれぞれバラバラの高さなのですが、
その殆どが7メートル前後。
広々とした緑の広場から大きく、高く、空に向かって聳え立っています。
柱自体はいわゆる普通の “円柱” ではなく、
大きな木を真っ二つに割った様な “かまぼこの様な形” で、
円くラウンドした面を円の内側に、
平たい方は円の外側に向けて建てられています。
何故?そうなのか?......は、よくわかりません。。
その全体像はちょうど、
イギリスの “ストーンヘンジ” の石を巨大な木の柱に置き換えたような、
まさにそんな感じです。
そこは少し不思議な存在感を持った空間で、
特に木柱に囲まれた “中の空間” はとても強力なエネルギーを放っています。
天と地を繋ぐ場所......
そんな空間。
......どうやら......ココは......
大きな木柱が円状に立ち並ぶ丘上のサークルというのは、
この豊かな集落の中心地で。
大いなる神々を祀る “祭祀の場” のようです。
数百年、数千年......と、長い間、
この地で暮らす人々の心の拠り所となって来た “聖地” のようです。
美しい巫女の姿が見えます。
縄文の姫です。
時刻はちょうどお昼ぐらい。
太陽が大空に高く昇っています。
少し長めの髪に美しい宝石を散りばめた髪飾りを付けて、
帯で真ん中を留められた、白い麻の着物を着ていて。
首飾りもしていて......そして、
その大きな木のサークルの内側の真ん中に佇み、
建ち並ぶ木の柱の間から丘の下先に広がる海を見ています......
凛とした美しい立ち居姿。
彼女のいる木柱サークルの外側......周り、には、
大きな体をした村の男達が十人ぐらいいて、
彼女の姿をサークルの外からジッ......と見守っています。
皆、太古の麻の着物を着ています。
彼女はサークルの中で何か祈りの言葉を唱え、
天に向かって手を広げ、
何かの所作、舞い、儀式......を終えました。
そして、その大きな木柱サークルの中から静かに歩みだし、
彼女は......丘を降りて、入江......海へと向かっていきます。
.....片方の手には.....何か、
“小さな太鼓” の様なモノを抱えています。
ちょうど歌舞伎などに使う “鼓=つづみ” のような......そんなもの。
それを小脇に抱えて歩き出しました。
サークルの外で巫女姫(みこひめ)の動きを見ていた村の大男達は、
海に向かって歩き出した彼女の後について一緒に歩いて行きます。
彼女は緑の丘を一直線に降りて、浜辺につくと、
そのまま、服を着たまま、
躊躇もせず遠浅の海の中に入って行きました。
男達も彼女のあとに続いて海に入って行きます。
そして、
ちょうど海面が腰の下ぐらいの高さになったところで
彼女は歩みを止めました。
男達は彼女から距離をとって、
彼女の横の方に拡がり、そのまま黙って海の中に佇んでいます。
やがて彼女は小脇に抱えていた鼓(つづみ)のような太鼓を
そっと前に出しました。
よくよく見ると、ソレは、ちょっと驚くことに............」
つづくのだっ!(*・ω・)ノ
北陸、石川県、能登半島の北方。
半島の先端にもほど近い能登町にある
「真脇遺跡=まわきいせき」
その遺跡の中にある
「環状木柱列=かんじょうもくちゅうれつ」
こちらの遺跡は縄文遺跡では全国有数の規模を誇るとても大きなもので。
「列柱」はここで発見された遺構や遺物から一部、
忠実に復元されたものとなります。
土器などは「真脇式土器」と呼ばれ、実際目にしてみると
「ああ、コレか、、」
と、教科書などで見たことがあるような、
貴重で有名なものが沢山見つかっています。
かなりマイナーな場所ですがスゴイ遺跡のようなのです。
数年前のある日。
北陸の街に暮らす知人のYさんに
「久々に能登半島をドライブしようと思うのですが、
地元の人ならではのお勧めのトコってないっすかね!?」
と聞いたら、
「uzmetさんだったら、、
もう、絶対、間違いなくココですよ。。」
と、この「真脇遺跡」を教えてくれました。
「遺跡!?(@.@)とな!?
また、これ、マニアックですな。Yさん......」
「いやいや、本当に素晴らしい所です。
uzmetさんはきっと気に入ると思います。
確かに何も無いし、普通に?
観光的に薦められるような所ではないですけど、
本当に良い所なんですよ。
温泉もありますし、不思議な力もある場所です」
「むむーーん。。そうれすかぁ。。。
Yさん的にはどのへんが良かったですの?」
と、さらに突っ込んで聞いてみると、そこで—————
—————今回ココで記し出したお話をボソボソ......
と話し出してくれました。
Yさんは普通に!?立派に!?
市井に暮らしているイチ社会人さんなのですが、
ちょっと特殊な感性と力も持っている気功師さんでもあって。
僕の中でも不思議ちゃん前頭筆頭!?的な存在。
そんなYさんの感性で見えていた能登の太古の風景を、
その時、彼は僕に丁寧に話してくれました
「......僕の中では本当に衝撃的で、
今でも忘れられない風景なんですよ」
「ふーーん(@゜o゜)、、なんだか面白いでふなぁ、、」
その時、話を聞いていてとても面白かったのは、
今回ココで記している話し=「ビジョン」をYさんが最初に見たときは、
その時点では未だそんな土地があることも、
ましてや遺跡なんてものが能登にあるということも、
縄文の史実なんていうものも、
まったく知らない!
という中で「ソレ」が見えていたということでして。
なので、自分の脳裏に浮かんで来たそんな場所が本当にあるのか?
どうか!?
それを実際に確かめてみようと「カン一つ」で能登半島のドライブに出かけ、
本能の赴くまま山奥をグルグル回るうちに、偶然!
そのビジョンとまったく同じ場所に出会ってしまった......
という奇跡。衝撃。
Yさんが見たビジョンそのままの遺跡や遺物までもがソコに、
そのマンマあったというオチ。
その「オチ」の場所というのが、
僕に勧めてくれた真脇遺跡らしいのです。
Yさんのそんな話しを聞いていた僕も、その時、
なんだかYさんが話すことと同じ風景がチラチラと......
頭に浮かんで来ていて......
その自分の中にある景色が本当に本物!?かどうか、
「俺もYさんと同じ様に、この目で確かめに行ってみよっ!」
ってなことで、その後、
勢いだけで飛び出して行ってしまいまちた......
というわけなのです。(´з`)ナノダヨ
そんなワケで写真の「環状列柱」を実際に目にした時は、
僕もYさんと同様に本当に感激しました。
しばらくその場に無言でボーーッと佇んでしまいました。
Yさんお勧めの縄文真脇温泉にも入ったりましたし......( ̄‥ ̄)=3
入り口はこーんな斬新スギル!?感じでしたし。
記し出したお話は、正確には、
そんな僕のビジョンとYさんのビジョンを重ね合わせた「物語」になります。
ちょと不思議なフワフワした話し!?となりますが、
夏の終わりの「ファンタジー!?」として、なんとなくユルリ......
と受け止めて貰えればこれ幸いかと。。( ̄。 ̄;Aアセアセ
今から4000年以上も前の時代—————」
北陸のとある街に住む、渋~い大人の男性のYさんは、
ソレが今、目前にあるリアルな現実のように僕に話をし始めました......
「—————現在の北陸、能登半島の片隅にある日本海に面したその地は、
4000年以上前も今と変わらず、
なだらかで小高い丘に囲まれた小さな入江でした。
入江の海から緩やかに昇り続く丘の上に立つと、
遠浅で濁りのない、蒼く輝く海を遠くまでよく見渡すことが出来ました。
丘と海とが接する入江には、
少しグレーがかった茶色い砂と岩場とが入り交じるような浜が広がっていて、
穏やかで美しい波が寄せて、また海に......静かに帰って行きます。
浜辺の近くには木製の小さな船が幾つか置かれていて。
小さな集落が浜に沿って転々と散らばっています。
そこには海の恵みをいただく漁師さん達が住んでいるようでした。
そんな入江を見渡せる小高い丘の上にも幾つかの集落があって、
その集落の後ろの方には、延々と濃い緑色をした多種多様な木々......
原生の林に覆われた山々......
が泰然と丘の奥へと連なり、続いていました。
そちらの集落の方には森の豊かな恵みを得る山の民と、
奥の山々から丘にかけて湧き上がり、
流れ出る豊かな水がもたらす作物で暮らす人々が住んでいました。
......とても豊かな地のようです。
海があり、山があり、丘もあって水がある。
全ての “幸=さち” が揃う豊かな入江。
その中に少しばかり不思議に映る光景があって。
ソレは、
その入江の集落と丘上の集落との “間” に広がる広大な広場です。
そこは......
その豊かな入江の周りに暮らす人々が何かと集う公園的な場所のようです。
広大な広場は一面芝生の様な緑の草に覆われていて。
その中心......目前の海も背後の山も見渡せる丘の中央には、
大きな木の柱が何本も、
直径10メートル近い巨大な “円の形” で建てられています。
その大きな “木柱” はそれぞれバラバラの高さなのですが、
その殆どが7メートル前後。
広々とした緑の広場から大きく、高く、空に向かって聳え立っています。
柱自体はいわゆる普通の “円柱” ではなく、
大きな木を真っ二つに割った様な “かまぼこの様な形” で、
円くラウンドした面を円の内側に、
平たい方は円の外側に向けて建てられています。
何故?そうなのか?......は、よくわかりません。。
その全体像はちょうど、
イギリスの “ストーンヘンジ” の石を巨大な木の柱に置き換えたような、
まさにそんな感じです。
そこは少し不思議な存在感を持った空間で、
特に木柱に囲まれた “中の空間” はとても強力なエネルギーを放っています。
天と地を繋ぐ場所......
そんな空間。
......どうやら......ココは......
大きな木柱が円状に立ち並ぶ丘上のサークルというのは、
この豊かな集落の中心地で。
大いなる神々を祀る “祭祀の場” のようです。
数百年、数千年......と、長い間、
この地で暮らす人々の心の拠り所となって来た “聖地” のようです。
美しい巫女の姿が見えます。
縄文の姫です。
時刻はちょうどお昼ぐらい。
太陽が大空に高く昇っています。
少し長めの髪に美しい宝石を散りばめた髪飾りを付けて、
帯で真ん中を留められた、白い麻の着物を着ていて。
首飾りもしていて......そして、
その大きな木のサークルの内側の真ん中に佇み、
建ち並ぶ木の柱の間から丘の下先に広がる海を見ています......
凛とした美しい立ち居姿。
彼女のいる木柱サークルの外側......周り、には、
大きな体をした村の男達が十人ぐらいいて、
彼女の姿をサークルの外からジッ......と見守っています。
皆、太古の麻の着物を着ています。
彼女はサークルの中で何か祈りの言葉を唱え、
天に向かって手を広げ、
何かの所作、舞い、儀式......を終えました。
そして、その大きな木柱サークルの中から静かに歩みだし、
彼女は......丘を降りて、入江......海へと向かっていきます。
.....片方の手には.....何か、
“小さな太鼓” の様なモノを抱えています。
ちょうど歌舞伎などに使う “鼓=つづみ” のような......そんなもの。
それを小脇に抱えて歩き出しました。
サークルの外で巫女姫(みこひめ)の動きを見ていた村の大男達は、
海に向かって歩き出した彼女の後について一緒に歩いて行きます。
彼女は緑の丘を一直線に降りて、浜辺につくと、
そのまま、服を着たまま、
躊躇もせず遠浅の海の中に入って行きました。
男達も彼女のあとに続いて海に入って行きます。
そして、
ちょうど海面が腰の下ぐらいの高さになったところで
彼女は歩みを止めました。
男達は彼女から距離をとって、
彼女の横の方に拡がり、そのまま黙って海の中に佇んでいます。
やがて彼女は小脇に抱えていた鼓(つづみ)のような太鼓を
そっと前に出しました。
よくよく見ると、ソレは、ちょっと驚くことに............」
つづくのだっ!(*・ω・)ノ
北陸、石川県、能登半島の北方。
半島の先端にもほど近い能登町にある
「真脇遺跡=まわきいせき」
その遺跡の中にある
「環状木柱列=かんじょうもくちゅうれつ」
こちらの遺跡は縄文遺跡では全国有数の規模を誇るとても大きなもので。
「列柱」はここで発見された遺構や遺物から一部、
忠実に復元されたものとなります。
土器などは「真脇式土器」と呼ばれ、実際目にしてみると
「ああ、コレか、、」
と、教科書などで見たことがあるような、
貴重で有名なものが沢山見つかっています。
かなりマイナーな場所ですがスゴイ遺跡のようなのです。
数年前のある日。
北陸の街に暮らす知人のYさんに
「久々に能登半島をドライブしようと思うのですが、
地元の人ならではのお勧めのトコってないっすかね!?」
と聞いたら、
「uzmetさんだったら、、
もう、絶対、間違いなくココですよ。。」
と、この「真脇遺跡」を教えてくれました。
「遺跡!?(@.@)とな!?
また、これ、マニアックですな。Yさん......」
「いやいや、本当に素晴らしい所です。
uzmetさんはきっと気に入ると思います。
確かに何も無いし、普通に?
観光的に薦められるような所ではないですけど、
本当に良い所なんですよ。
温泉もありますし、不思議な力もある場所です」
「むむーーん。。そうれすかぁ。。。
Yさん的にはどのへんが良かったですの?」
と、さらに突っ込んで聞いてみると、そこで—————
—————今回ココで記し出したお話をボソボソ......
と話し出してくれました。
Yさんは普通に!?立派に!?
市井に暮らしているイチ社会人さんなのですが、
ちょっと特殊な感性と力も持っている気功師さんでもあって。
僕の中でも不思議ちゃん前頭筆頭!?的な存在。
そんなYさんの感性で見えていた能登の太古の風景を、
その時、彼は僕に丁寧に話してくれました
「......僕の中では本当に衝撃的で、
今でも忘れられない風景なんですよ」
「ふーーん(@゜o゜)、、なんだか面白いでふなぁ、、」
その時、話を聞いていてとても面白かったのは、
今回ココで記している話し=「ビジョン」をYさんが最初に見たときは、
その時点では未だそんな土地があることも、
ましてや遺跡なんてものが能登にあるということも、
縄文の史実なんていうものも、
まったく知らない!
という中で「ソレ」が見えていたということでして。
なので、自分の脳裏に浮かんで来たそんな場所が本当にあるのか?
どうか!?
それを実際に確かめてみようと「カン一つ」で能登半島のドライブに出かけ、
本能の赴くまま山奥をグルグル回るうちに、偶然!
そのビジョンとまったく同じ場所に出会ってしまった......
という奇跡。衝撃。
Yさんが見たビジョンそのままの遺跡や遺物までもがソコに、
そのマンマあったというオチ。
その「オチ」の場所というのが、
僕に勧めてくれた真脇遺跡らしいのです。
Yさんのそんな話しを聞いていた僕も、その時、
なんだかYさんが話すことと同じ風景がチラチラと......
頭に浮かんで来ていて......
その自分の中にある景色が本当に本物!?かどうか、
「俺もYさんと同じ様に、この目で確かめに行ってみよっ!」
ってなことで、その後、
勢いだけで飛び出して行ってしまいまちた......
というわけなのです。(´з`)ナノダヨ
そんなワケで写真の「環状列柱」を実際に目にした時は、
僕もYさんと同様に本当に感激しました。
しばらくその場に無言でボーーッと佇んでしまいました。
Yさんお勧めの縄文真脇温泉にも入ったりましたし......( ̄‥ ̄)=3
入り口はこーんな斬新スギル!?感じでしたし。
記し出したお話は、正確には、
そんな僕のビジョンとYさんのビジョンを重ね合わせた「物語」になります。
ちょと不思議なフワフワした話し!?となりますが、
夏の終わりの「ファンタジー!?」として、なんとなくユルリ......
と受け止めて貰えればこれ幸いかと。。( ̄。 ̄;Aアセアセ