雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」と見つけてもらえたら、、そんな思いで書き記してます。

マグリット 2

2018-01-21 00:11:01 | 勇気
「マグリットに音はないのよ。。」



美術館の大きな絵の前で、彼女はそんなことを言っていた。
彼女に誘われるままついて行ったマグリットという画家の絵画展は、
絵画や美術などに全く縁のなかった僕にとっては、なんだかとても新鮮で、
不思議で、楽しい1日ともなった。

そして、その日以来、彼女の存在は、
始めて見たマグリットの絵とともに、僕の中でとても気になるものになっていった。







僕と彼女とは、それなりの大きさの広告代理店で共に働いている同僚だ。
エース・デザイナーとして、会社のクリエイティブ部門の屋台骨を支えている彼女は、
営業職の僕からしたら憧れの存在でもあった。
自分とはちょっと違う世界にいる人なのだろうな......と、そんなふうに思う人だった。

長い黒髪が似合うスタイルの良い彼女は、いつも凛としていて、
程良い高さのヒールで背筋をピンと伸ばし、颯爽と歩く。
社内でもとても目立っていて、でも、普段はとても無口で。それでなのか、
ちょっと何を考えているのか分からないようなミステリアスな雰囲気もある。
人を気安く寄せ付けない感じだ。
僕の様に何の取り柄もなく、
いつもクライアントと飲み屋でひたすら無駄話をする様な人間からしたら、
そんなところも憧れだったりもする。

でも、そんな彼女が美術館でマグリットの絵に関して楽しそうに、
子供の様に饒舌に話す姿を見たら、彼女に親しみの様な感情も湧いてきて、
やっぱりデザインの仕事がとても好きなんだろうなぁ、とも感じたけれど、
何より、その日以来、僕は彼女の姿をよく目で追うようになってしまった。
何かあると話しかけてみたり、仕事の悩みの相談に乗ってもらうようなことも増えた。
彼女は彼女でそんな僕を特段迷惑がらずに、程よい距離感と好意で接してくれていた。



......と、僕は勝手に思っている。



「......あのね、告白するとね、君を見ていると、僕は、
自分にとても自信がなくなってきちゃったりするんだよね......」



その日、僕は、仕事終わりの彼女を誘って、
オフィス近くの広くて居心地のよいカフェ・レストランに入った。
頼んだ生ビールの酔いも手伝ってなのか、
気がつくと僕は彼女にヒドイ愚痴をこぼしていた。



「ふーん。。なんで、また。そんな。おかしいね。君」

「いや、本当なんだ。今さ、結構仕事に悩んでいてさ。
この前君と行った美術館以来、かなり深刻に考える様になっちゃって。自分の事。
だって、君はさ、あの時とても楽しそうにマグリットの絵を見ていたじゃない。
仕事もそんな延長上にあって、天職みたいに好きなこと出来てるじゃん?
でも俺ってさ、新卒でなんとなく入社して、
それから毎日同じようなこと繰り返しいるみたいでさ。
それでも最初は、自分には営業が合うな、、、とか思ってんだけどね。自分でも。
でもなんか、最近それも違うように思えて来ちゃって。
ちょっと自分の事が分からなくなっているというか、何というか。
自分のしたいことってこれだったのかな?みたいな。
そんな自問自答をする事も多くなってね」

「ふーん。。」

「うん。でさ、この前も長い休み取って旅行とか行ったりなんかしてさ。
でも、なんだかね、何も変わらないと言うか。見つからないと言うか。
自分の道とかやりたい事とかが。煮詰まってると言うか、なんと言うか......」

「で?」

「?」

「で?」

「えっ!?あ、ああ。。それ!でね、
また、近くどこか南の島にでも行ってみようかな!?ってね。
そんな事考えていてさ。また少し休みたいってのもあるけど......」

「ふん。。」

「どう思う?俺、なんか自分を見失ってる様な?感覚もあるんだよね。今。。」

「.......そう。それで、南の島にいったらその見失った自分てやつは見つかるわけ?」

「ん......ん、んん。。わからないな。行ってみないと。
でも、ちょっと普段の環境とは離れて考えてみたいんだ」



小洒落た広い店内の片隅にある丸い木製テーブルの対面に座っていた彼女は、その時、
僕の斜め右後ろの遠くの方を、
どこか焦点の合わない様な目で見つめながらコーヒーをひとくち口に含んだ。
そして、その後、キリッとした鋭い目になって、
その目線を遠くの何かから僕の顔の方に向けてきた。
僕はちょっとドキッとしながら彼女の鋭い目を見つめ返した。
何だか、とても大事な事を言われそうな、そんな気がしていた。



「あのさ、君ね、、、」



彼女は僕の目を覗き込みながら、テーブルの上のティースプーンを右手で摘み上げ、
持ち柄の先の方でトントン......と、木製テーブルの上を軽くノックしながら、
ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。どことなく、あの時の彼女.......
マグリットの絵の前で色んなことを語りだした彼女の姿とダブって見えて来た。



「君さ、よくいるのよ。そういう人って。」

「そういう人?って?」

「そういう人。どこか、遠くに。海外とか、そういうところに自分を探しに行ってね。
それで、結局見つからない人」

「.......」

「そういう人ってね、きっと、ずーーーーーーーーっと、自分を探してるのよ」

「......」

「もちろん、よ。もちろん。それで何かを見つけられる人もいるかとは思うけど。
でも、多くの場合、そんな旅?とか旅行とか?って、
自分をリセットしたり、客観的に何かを見つめ直したり、とか。
色んなアイデアのインスピレーションの為に、とか。
それで十分。そういう部分が本当のとこなんじゃないの?って。私はそう思ってるわけ」

「.......」

「自分を見つけよう!なんて時はね、だから、私の場合は、
旅でやることなんかじゃ無いんじゃないの?なんて思ってたりもするわけ。どう?」

「........」

「失った?自分を?見つけられる人もいるかもしれない。
でも、もし、よ。君が今回も旅に出て、それでも同じ状況だったら、
ソレはもう、旅で探すようなモノではないんじゃないの?って。そう思うけど。
もう何度もそんなことをして、それでも見つからないワケじゃない?
自分だか何だか分からないけど、探しものが、見つからない。
じゃ、その時は、よ。
その時は、探して見つかるものじゃないモノを探してるってことかもしれなくない?
そもそも探す様なものではない物を探しているって可能性があるとは思わない?
その時は、だけど」

「探すものじゃないもの......」

「そうよ。そういうものを探してる人って、よくいるのよ。私から見ると」

「でもさ、それは君が好きなコトがちゃんとハッキリしていて、
そう言う目標みたいな物がしっかりわかっているからでさ、
俺みたいな普通の、なんの取り柄もなくて、営業しかできない様な人ってさ、
そこが無いわけだよ。だから難しいんだよ。
タマに君の様な人が羨ましくなったりもするんだ」

「あのね。君さ。ひとつ確実に間違ってるコトあるよ」

「何が?」

「私が最初からデザインの仕事が好きだったと思ってるの?
私が最初から自分の好きな事がわかっていたなんて言うわけ?」

「そうは言い切らないけど、、、でも、子供の頃から絵とかデザインとか?
興味あったわけじゃ無いの?そう言ってたじゃん。この前。違うの?」

「違うわよ。何言ってるの。勝手に決めつけないでよ。バカじゃない?あなた。
もちろんそんな人も居るとは思うけど、私は違うわよ。
子供の頃から絵を描くことは好きだったけど、そんな話はしたかもしれないけど、
それはその辺の皆んなと同じ様なレベルよ。上手くもないし。
別にそれを仕事にしようなんてことでもなかったし。
いつも散々悩んで考えて、自分の天職ってなんだろうとか、
本当に好きな事ってなんだろう?とか。
そんな、アナタが「普通」って言う様な人達と同じような事は考えてきたわよ。失礼ね。
私は普通よ」

「.......ご、ごめん。。」

「あのね、私が言いたいのは、
探しても見つからないモノとか、そんな時っていうのは、探しても無駄なわけ。
ある程度探して見つからないなら、見つけるの辞めたら?って。そういう事。
でね、そういう時は、決めるのよ。決めつけるの。それでイイのよ。
自分で自分を決めつけるの。一旦。それも解決方なのよ。立派な。
私はある時、デザイナーになるって、そう強く決めたの。ただそれだけ。
探し当てたわけじゃないの。決意しただけ。そういう話」

「.......決める...」

「色々な解釈があると思うわよ。覚悟っていう事かもしれないし。この場合の決めるって。
でも、そんな重いものでなくても別にいいし。
とにかく、世界だか日本だか、
アチコチ飛び回って見つからないものなら探さなくていいのよ。
その時は決めればいいだけなのよ。
わたしはこの道で行こう!って。それだけのことじゃない。
それで、その決めた道を歩いていくうちにまた......もしかしたら、
そこから初めて君の言う?その探しもの?みたいなモノが見つかるかもしれないし。
そういうことでもいいんじゃない?私から見ると君の状態はそんな感じがするけど。
むしろ何かを決め切れない原因のほうが気になるわよ。
それを “自分を見失ってます.......” みたいに言ってるけど。
問題はその何かを決めきれない要因とか、弱さ?意思の薄さ?無さ?
流れ通りに無理せず生きよう!なんて思ってたりしてないの?
うまく、普通に生きていければいいや、的な?気持ちとかでもあるわけ?
自分をうまいこと慰めている様な、ね、
そんなニュアンスを君から感じちゃう方が気になるのよね。
嫌な話に聴こえていたらホント、申し訳ないんだけど」

「.......」

「あら?ちょっと言い過ぎたかな?わたし?
やめようか。もう。こんな話し。
ま、私の事を決めつけて誤解している所がね、ちょっとイラっとしちゃったの。
変なコト言っちゃったかもしれないけど。そこはごめんなさいね。謝るわ。
迂闊なこと言う人いるものね。本当の自分を生きなさい!みたいな。
それがわからないから悩んでる、って人にまでそういうこと言っちゃって。
まるでそれが世界や宇宙の真理?みたいな言い方してたりね。
私もね、周りからはどう見られているかはわからないけど、
別に自分の好きなことととか、天職とか、
そんな分かりやすくやってきたワケではないのよ。
いつも迷って、考えて、分からないから、決めるとこは強い気持ちでもって決めたりね。
時には自分を騙すようなことまでして。そうやって今の仕事してきたの。
それは同じよ。君と。間違わないで。ソコ。お願い。
そもそも、私なんか営業なんて器用な仕事できないもの。
こんなこと言っちゃう人間だしね。
すごじゃない。君は。ソコ。私そう思うわ」



この時、お店の中で響いていたあらゆる音が.......小さな音量で鳴る店内のBGM、
客同士の話し声やスマホの音、皿とフォークがあたる音。グラスを回る氷の音......
そんな、僕に聴こえていた全ての音が消えてしまった。
そして、彼女と見たマグリットの絵が脳裏に浮かんできて......やっぱり、
マグリットに音はなかった。



オフィスでは、日々、色々な話を、色々な人とします。

何かと悩んでいるスタッフさんも沢山いますし、

皮肉にも、何かに懸命であればあるほど、悩みというものは大きくなったりもして。

自分を安全地帯に置いて、そんな人達を責める事しかしないような人もいて。

時折、世界には「音」が多過ぎるようにも思います。

時折、音を完全に消したくもなります。

そんな世界で自分や誰かを、何かを、ジッと見つめてみたく思う時もあります。

しかしそれは、きっと、全て、何かを「決めるため」の様にも、

そんなふうに思う時もあります(^^)



—————過去記事「マグリット」


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Beauty

2014-10-01 00:14:37 | 勇気
「これ良いよ。とても。。」

と友人からfacebookで回ってきた動画が確かになかなか良かったのです。
ソーシャル・ラウンドを意識したこの手のモノは、
最近本当に色々なものが回って来たりしますが......コレは何というか......
そういうものとは少しだけ違う香りをまとっていたというか。
内容もそうですが、目の付け所やアイデアそのものに感心してしまったというか。
ジェラシーすら湧いてしまったというか。
2分そこそこのシンプルぷりりん!の動画ですが、
深海のような深さがありました。
「How The Blind See Beauty」なんだか良かったのですっ!(=゜ω゜)ノ



内容は、目の見えない完全盲目の4人の大人に「たった一つの質問」をするだけ。
その答えを普通に収録してるだけの動画。
そのたった一つの質問というのが......



「あなたにとって “美しい” とはどういうことですか?」



良かったのですっ!(=゜ω゜)ノ



勿論、ソーシャルモノですし、
既に沢山の人が知っているとは思いますが、ナントナク......
「自戒」と「備忘録」の意味でココにも残しておきたくなった次第です。



サングラスをした黒人男性の方はこんなふうに答えてました―――――

―――――Beauty for me is ......calm, Beauty for me is peace.

「僕にとって “美しい” とは...... 穏やかなこと。平和なこと」



白人の女性の方は―――――

―――――To me, Beauty is character, personality, the way people carry theirself.
Basically, its just the way the person is...... you know,
and some people could be very pretty and beautiful inside just by the way they......
they carry theirselves or help or concern about my situation and stuff.

「私にとって “美しい” とは、人柄や、個性や、みんながする、それ自体のこと。
つまり、その「人となり」のこと。
みんなの内面の美しさや、チャーミングなとこが見えた時に感じたり......
私を気遣ってくれたり、助けてくれたりしてくれた時とか」

―――――I have three babies.
uh......twelve and nine, and my daughter just turned 3, and to me they are all beautiful.
and I don’t even know what they look like.
they are beautiful inside, they are me......you know, they are me......

「私には3人の子供がいるの。12歳と9歳と3歳になったばかりの娘。私には皆美しいの。
子供達がどんな姿をしているのか私にはわからないけど、
私にはみんなの美しい内面が見えるの。
子供達は......そう......みんな私自身なの」



黒人の女性は―――――

―――――Going to the beach, and sitting by the shore, to me, is “Beauty”.
And just imagining what the ocean looked like right now,
and what the sky looked like, that’s Beauty for me.
At times, it could be overwhelming because when you blind,
your life just consists of nothing but feelings ?
Every day is a feeling.

「海岸へ行って、砂浜に座っているときが私にとっての “美しい” かな。
そのとき海はどんな感じなんだろう?
空はどんな風なんだろうって?って想像したりすることが私にとって美しいということ。
時に ”生きる” とはあなたにとっても圧倒的に見えないものであって、
“感じること” なんじゃない?
毎日は感じることなんだと思うの。

―――――I don’t really believe I need my eyes to enjoy beauty,
that’s beauty for me.

「 “美しい” を楽しむのに眼が必要だなんて本当に信じてないの。
それが私にとっての “美しい” ということ」



白人の男性は―――――

―――――I think “Beauty” is experience.
So, an experience, oh, I mean by that is, you know......
the smell of warm baked cookies, the the warm breeze against your skin,
and the feel of grass underneath your feet when you're......you know,
walkin’ in the front yard.

「 “美しい” とは体験のことだと思う。
例えばそれは、出来立てのクッキーの匂いや、あたたかな風が肌を撫でていく時や、
庭を歩いた時に感じる足下の芝生の感触であったり」

―――――I feel that losing my sight has been a blessing,
which means I don’t care what nationality somebody is,
I don’t care how tall somebody is,
I don’t care how big or small they are.
A person is beautiful because they are true to themselves.

「僕は目が見えないことは神の贈り物だと思っているんだ。
僕はその人がどの国の人かなんて気にしないし、
どのくらい背が高いとか、体が大きいとか小さいとか気にしない。
その人が自分自身に本当に素直であるということが美しいことなんだと思う

―――――But it’s also people being and doing what is right, what is good,
and caring about each other.
Beauty is an experience of living and you know......
finding joy, I feel like joy is the most beautiful thing in the world.

「人々がお互いのことを思い合ったり、親切にしたり。
“美しい” とは生きてることを実感して、喜びを見つけたりして、
僕はそういうことがこの世界で最も美しいことだと感じる」



――――――なんだか、
受け答えをしている人達から「深い豊かさ」みたいなものを感じたりして。
「美しい」と「幸せ」が近い言葉の様に思えてきたりして。
僕は幸運なことに目が見えるし、
視力に訴えかけて来る圧倒的な美」というものも否定は出来ないし。
だから、なんとなく、
「美しい」とは「生きることそのもの」のことなのかもしれない......と。
それが「一生懸命」であったりすると、それはもう、ピカピカに美しく。。
この人達の答えを聞きながらそんなことを思ったりもして。

「目の見えない子供さん達などはどんな風に答えるのかなぁ?」

とも......思ってみたり。

......それと......

毎日少しだけ......

目を閉じて「穏やか」に過ごす時間をつくってみようか......と。(^_^)



北陸、「金沢21世紀美術館」にある「タレルの部屋」

「ジェームズ・タレル=James Turrell」による空と天井が同一面に見える不思議な空間。

大好き(*´ー`)

穏やかに時が流れる、何も無いのにとても豊かな空間。

誰でも自由に無料で入れます。

写真にはポツンと金沢の友人も佇んでます。( ̄▽ ̄)

毎日こんな場所で、ゆったりと、目を閉じて、少しの時間、過ごしてみいなぁ......(●´3`)と。


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新価値創造

2014-08-06 02:54:48 | 勇気
誰もが知る大手製薬メーカーの管理職だったTさんは、
数年前に僕が働くエンターテイメント会社に転職して来ました。

エンターテイメントを基軸とする僕等の会社......業種は、
言ってみれば「水商売!?」の様なもので、
それも全国民、全世界に向けた大規模な水商売。
浮きも沈みも激しくて商品やコンテンツの入れ替わりも激しい。
確固たる経営基盤も有るようで、実は無くて。
流行りも廃りもつくり出すけれど、流行り廃りの影響も受けやすい。
投資家などからしたら最も慎重になってしまうような、
何かと判断が難しい業種。業態。
もう毎日、一分一秒が生き残りをかけた戦争。戦場。
イワユル「生き馬の目を抜く!?」ような世界。
ちょと言い過ぎ!?か。でも、遠からず。

大手製薬会社とは真反対の概念の中にある、
そんな業種世界に転職して来たTさん。
前職でのキャリアも長く、カナリの上役でもあったハズ。
それなりの安定した収入もあったはず。
二人の子供もいて家庭も含めて安心出来る環境だったはず。
「それなのになんで転職なぞをぉぉ?」
と、数人の親しい仲間で集まった昨夜の食事会で聞いてみると......



「昔タップダンスをしていたことがあったんですよ。
それでそんな世界にずっと興味と憧れがあったのと、、
あと、奥さんも理解してくれて、
後押しもしてくれたから......」



と。



「確かに前の会社で働いている時は生活も安定していて収入にも満足していて、
このままの環境でいる方が安心だ......
というのは誰よりも奥さんがそう思っていたんだけど、
それでも俺が転職の相談をした時には
“自分の思うことを自由にすればいいよ”
と言ってくれて。それで踏ん切りもついて思いきって転職したんですよ。
明日死んでも後悔しない様に」



そんなTさんはウチの会社に来てからはカナリの苦労をしていました。
マッタク勝手の違う世界に有る程度の年齢で来たワケですから......
それは本当に大変だったと思います。



「新設の予備的なセクションに入ったもんだから経費もマッタク認められなくて。
入社して最初の一年間は携帯電話代も出してもらえなかったんですよ」



僕は初めて聞く自分の会社の別セクションの実態にちょっと驚きながらも、
そのまま話しを聞きました。



「......それで、、それでも早く実績を出して、
皆に認めてもらおうとも思っていたから、
入社してからは人脈作りや営業やらで食事会や飲み会も沢山あって。
それで、経費を提出しても実績が無いから、、、
という理由で認めてもらえず突き返されるし、もう半分ヤケで。
プライドなんかもあったから
前の会社の退職金を全てそんな経費に回しちゃってたんです......
そんな生活を一年して、
で気がついたら退職金も貯金もあっという間に無くなっていて。
それでも上司からは
“実績が出ていないから経費は認められない”
と言われ続けていて......前はね、自分が可否を出す方だったのに......
セクション的に接待的なことが多かったので
先方にお金を出させるわけにもいかなかったんですよ。
しかも付き合いには重役、社長クラスが多かったし。
お店の値段が半端無いの。毎度。
2年目からはアクセサリーとか家財道具とか、
お金に換えられそうなものは皆お金に換えていたんです。
自分には仕事人としてのプライドもあったし。
それでなんとかお付き合いをしていたんですよ。アチコチと。。」



「......そんなセクションだったの!?、、信じられん。。同じ会社で。。
俺知らなかった。
それさ、家とか!?大丈夫だったの?」



「奥さんはずっと何も言わないで付合ってくれてました。
今はドン底でキツい時だから。。ごめんね。。と。
俺はそう言うしかなかったのですけど、
奥さんは何も言わずに製薬会社時代とはマッタク違うキツイ生活に
何の文句も言わず付合ってくれてました」



実はつい最近も彼は会社でかなり辛いことがあって、
それはハタから見るに彼が「悪い」というような事では決して無いのですが、
彼は会社を辞める、辞めない、、としばらく深く思い悩んでいました。
それでも「辞めない」という判断をしたのは、
これまでして来た色々な思いや我慢。仕事人としての誇り。
私的な貯金をハタイテ迄して築き上げてきた人脈と大きなプロジェクトも
最近やっと順調に進みだしたからでした。
「ここで辞めるわけにはいかない......」
と。そんなことがTさんに辞職を思いとどまらせた理由でした。
「苦労をかけた家族にもやっと恩返しが出来るハズだから......」
と。Tさんはそんなふうに考えたそうです。



「最後には家で売れるようなものも無くなっちゃって。
それで、今思うとその頃がドン底だったような気はするけど、、
外食なんてもう殆ど出来なくなっていて。
家でもあまり美味しいものは家族に食べさせられていなくて。
それでも、タマには外食を......と、子供達を連れて......
その時は松屋に行ったんですよ。
でね、久々の外食で、ファミレスでもなく、
牛丼を食べさせたんです。家族に。一人400円ぐらいです」



「......うん。。」



「それでその時、小さい子供達が、牛丼食べながら俺にこう言ったんですよ。
牛丼美味しいね!とても美味しい!って。
奥さんがそれ見て笑ってて。
俺ね、、ソレで、、初めて家族の前で泣いちゃって。。
ごめん。。って気持ちがあふれて来て。。
松屋で泣いちゃったんですよ。」



「。。。」



「その時の気持ちが今の俺を支えてるんですよね。
ソレ迄が恵まれすぎていたとは思うけど、
自分のワガママで家族に辛い思いをさせちゃって。
でも、それで色んなこと学べたしね。感謝してるんですよ。今は。
そんな事にも。マジで。」



上を見ても下を見てもキリがなく、
世界にはこの瞬間も生きるか死ぬか
空腹や病気、戦争災害に苦しんでいる人が沢山いるのだと思います。
不自由な体で懸命に生きる人も
お金に困って途方に暮れている様な人も、
きっと沢山いると思います。
経済的には裕福でも、家族や親族、時に家系や社会的に
大きな問題を抱えながら生きている様な人も沢山いると思います。
それでも、どんな人もソレゾレの環境の中でソレゾレの力を精一杯働かせて、
ソレゾレの器に入れられるイッパイイッパイの水を毎日溢れんばかりに注ぎ込んで生きている
ということに関してはアマリ変らないのではないかな......と思います。
ソレゾレの環境と状況と人生を、
ソレゾレがソレゾレの持ち得ている力と懸命さでもって生きているということです。
その一点に関しては平等だと思えるということです。



明日はTさんのために京都のとあるクライアントさんの所へ行ってこようかと思っています。
Tさんの仕事をより大きなものとするためにも僕は明日、
自分に出来るだけのことをしっかりとやってこようと思っています。



そのクライアントさんに明日持ち込むプレゼンシート。
通常のシート資料とは別にエンタメ会社の企画書らしく一風変わった
京都らしい「絵巻物」にしてみました。「お土産」的に。

タイトルは「新価値創造」

Tさんや自分達のチームのためにも。大好きな京の都のためにも。
必ず、新たな価値を創造したく思います。

我々は、
あまりに「ちゃらんぽらん」ではありますが、
生き馬の目を抜く世界に生きる人間でございます。

あまりに「馬鹿者」ではありますが、
ただの馬鹿にならぬよう、日々頑張っている次第でございます。


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21g × ???

2014-05-22 00:05:00 | 勇気
現在に至るまで、たった7人しかいないというアメリカの名誉市民の一人で、
ノーベル平和賞も受賞している修道女のマザー・テレサさん。
若き日の彼女は、カトリック教会から派遣されたインド、カルカッタの学校で、
恵まれた環境に暮らす人々に地理の教鞭を取っていました。
その一方で、毎日目にするスラム街で暮らす多くのホームレスの子供達や、
貧しく、厳しい生活を送る人々にも

「なんとか学問を、、」

と、彼女は無料の「街頭学校」を開きます。
やがて彼女の活動に賛同した人々が集まり出し、
1950年には新たに独自の修道会を設立。
これが有名な「神の愛の宣教者会」。
テレサさん自身が語った同会の理念というのは......



「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、
必要とされることのないすべての人、愛されていない人、
誰からも世話されない人のために働く」



その後、インド政府の協力も得て、
「死を待つ人々の家」と呼ばれていた古い寺院を改装した
「貧しき者達の為のホスピス」も開設していきました。
お金もなく、病に倒れ、ただただ成す術もなく道端に転がり、
まるで野に住む動物のように死に向かう人々を

「一人では死なせない」

と決意した彼女は、全ての宗教の壁も取り払い、
それぞれの人々が信じる形で看護し、看取ることをホスピスの使命としていきました。
その活動はやがてインド国内は勿論、世界各地へと大きく広がっていきます。
名言の宝庫でもある彼女はこんな言葉も残しています。



「世界で一番恐ろしい病気は、孤独です」



——————東京。青山。
5月の晴れ渡った空の下。
明治神宮へと続く大きなケヤキが立ち並ぶ参道沿いにあるオープンテラスのカフェで、
平和色に霞んだ木漏れ日が差し込む中、
友人のH嬢と気分よく仕事の話などをしていた最中、ふと、
思い出したかのような口ぶりで彼女が言いました。



「ゆうべね、ナントナクFacebookを眺めてたの。
そしたらね、HAさん......いるじゃない。○×○×のマネジメントの。
そのHAさんが書いてた言葉が目に止まってね、、それがトテモ良くって、
ちょっと感動しちゃったの。。」



クールなキャリア系レディのH嬢にしては珍しく気持ちのこもった話し方をするので、



「らる!? 珍しいね(・ω・) 君にしちゃ。。どんな言葉?」



と、聞き返してみると、



「なんかね、HAさんも誰かに聞いた言葉らしんだけど、、
、、、思考に気をつけなさい。それは言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それは行動になるから、、みたいな!?、、感じ。。」



その彼女の答えを聞いていると......何やらちょっと記憶の隅にある様な言葉......



「あぁ、それ、、、マザーテレサだね。。有名。有名。」



記憶の糸を手繰れた僕は彼女にそう言いました。



「あ、そうなんだ。。。なんかさ、凄く良く解るなぁ、、って思ったのね。。」



クールな彼女の心やHAさんの心に染み入ったその
マザー・テレサさんの言葉というのは正確にはこんな感じ......



思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。



人の言葉というのはその時々の自分の状況や環境毎に響くものが変わったり、
決まったりもします。
この言葉の中に「今の」彼女やHAさんに触れる何かがあるのでしょうか。
僕としたら......
数あるテレサさんの名言の中で僕の内にある「何か」に触れてしまうモノといえば、
以下の詩になる感じでしょうか。。昔から一番好きなものでもあります。
きっとこの中には「僕に足りない何か」が含まれているのだと思います......



Give the world the best you've got anyway.
―――――あなたの中の最良のものを―――――

人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。
たとえそれが十分でなくても気にすることなく、
最良のものをこの世界に与え続けなさい。

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。



テレサさんは自ら設立した「ホスピス」で、タブン、
長きにわたりとても多くの人々の「死」に直面していたのだと思います。
本意に反し、生涯を路上で送ってきたような人々の、
人としての尊厳や希望が全て失われてしまったような、
壮絶で悲しい沢山のエピローグに直面してきたのだと思います。
そんな一つ一つの尊き命の重さがまるで雪の様に彼女の中に降り積もり、重なり、
真っ白い大雪の重みの様になって、
彼女が発した多くの言葉の上に乗っているようにも僕には思えます。



映画「21g=21グラム」。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督。
人が死亡した時、その直後の体重を測ると、
何時も決まってこれだけの重さが減っている......
そんな計測実験をしたお医者さんがアメリカにいました。


マジっすか!???!!(;゜0゜)


すると......


仮に「魂」のようなものがあるとして、その重さは......「21グラム」


ホントっすか!? ( ̄ー ̄;


この映画はそんな「魂の重さ」をキーワードに綴られる物語。
ちょっと興味深いお話......

魂に重さなどあるのか?無いのか?は、
今もって確たる証明はされていませんが、
マザー・テレサさんは看取った多くの人々のそんな魂の重さまでも背負い、
運んだ様な人だったのでしょうか......

近年、彼女に関する様々な研究や調査の中で、
金銭の流れや医療手法に関しては幾つかの不備があったのではないか……
などの指摘がされたこともありましたが、
「仮に」そんなことが事実だとしても、
彼女が実際に行ってきたことは間違い無く、誰もが簡単に出来る様な、
誰もに真似が出来る様なことではないと思います。
だから最後に記すこんな言葉にも、
そんな彼女の生き方が含まれている様にも思えますし、
重き真実が含まれているようにも思えます。


——————この世では、大きいことはできません。
小さなことを、大きな愛でするだけです—————————


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当落線上のアリア

2014-05-18 00:12:10 | 勇気
色々な意味で、サッカーファンにはたまらない
「ワールドカップ」日本代表のメンバー発表がありました。
当日は僕も電話の前でザッケローニからの連絡をジッと待っていたのですが......



鳴らなかったの!(=゜ω゜)ノ アタリマエ!



今回はサッカー王国「ブラジル」での大会。
オリンピックをも超える4年に一度の地球最大規模のスポーツイベント。
我らが日本がやっと、初めて!出場出来たのが1998年のフランス大会。
本大会に出場出来るまでなんと68年も!半世紀以上も!......かかったような大会。
サッカー好き以外にはどうでもいい様な話だと思われますが、
勝っても負けても、たとえどんな結果であろうとも、
僕にとってはとても楽しみなイベントなのです(^^)うふうふ



そんな世界中から光が当たるような場所にはやはり「影」というものもあって、
過去何度も代表チームに名を連ね、
最終選考では「当落線上」と言われるような所にいながら
惜しくも代表から漏れてしまった選手達もいます。
そんな落選の「影の中」にあって、それでも気丈に振舞いながら語られる
選手達の言葉や思いには時折とてもシビレてしまうようなこともあって、
そしてソレは、
別に日本人的な判官贔屓(ほうがんびいき)の感傷というわけではなく、
「誇り」を持った人間が振り絞る様にして紡ぎ出す魂の言葉とその姿に
自らの人生にも重ねられる「何か」を垣間見たり、
共感出来るような「何か」を感じ取ったりした時に
心打たれてしまうような事であったりします。

思い出すのは1998年のフランス大会。
日本が初めて本大会に出場出来た時。
当時の代表チームの中心選手として日本サッカー界を牽引し続けて来た「カズ」が
衝撃的な最終メンバー落ちをして、
開催地フランスから帰国した早々に開かれた記者会見での言葉。



「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」



思えば、「カズ」さんはこの時から
サッカーを愛する人々の間で「真のキング」となっていったようにも思えます。



今大会落選してしまったFW(フォワード)の豊田陽平選手は
無骨で線が太い、ひたむきなプレーをする選手。
メンバー決定の感動的な瞬間を撮影しようと張り込んでいたスポーツニュースの
冷徹なる「落選直後インタビュー」で嫌な顔一つせずこんな事を言っていました。



「コレからも少しの喜びの為に、沢山の我慢をしていきたいと思います。」



MF(ミッドフィルダー)の中村憲剛選手は落選後、自身のブログで......



「―――――昨日は朝4時まで眠れませんでした。
この4年、ここに入るためにいろいろと頑張ってきたんだなって。
そこに入れない、
行けないって決まった時のあの喪失感は一生忘れられないと思います。

なので、これは怒られてしまうかもしれませんが、
本当に一瞬、
一瞬ですがどうでもよくなりました。ACLもリーグ戦も何もかも。

ただ、どんなに最高な日でも、どんなに最悪な日でも、必ず次の朝は来るわけで。
練習があったり、試合があったり、奥さんと話したり、子どもたちと話したりと
日常に触れていきながら少しずつこの事実を消化していけるのかなと
今は思っています。

(中略)

そして、今日、
ACLの公式練習でボールを蹴ったら、その瞬間は落選したことを忘れていました。
ああ、サッカーって楽しいなって。サッカーって凄いなって。
だから、ボールがあれば、
サッカーがあれば俺は前を向いていけると思っています―――――」



......なんでしょうか、
シンパシー(共感)と、切なさと......
言葉の裏に見える途轍も無く深く重い努力の跡とサッカーへの愛。誇り。
それと、サッカー界のスターも自分と同じような「一人の人間」であるのかな....,
とも感じられる様な部分への不可思議な安堵感。



サッカーワールドカップ日本代表チームは、
沢山のモノを載せてブラジルに向かうのですなぁ。。



きっとソコには勝ち負けよりもっと大事なものもあって、多くの人の夢もあって。
そして、ブラジルにいようとも、日本に残ろうとも、何処にいようとも、
どんな人にも、いつも、「道」があるのでしょうね。

楽しみーーっ!!

がんばれにっぽぉーーーーーんっ!(><)/





以前、アディダス社のカタログパンフレットのコピーライトを手がけたことがあります。
趣味度100点満点!の仕事♪( ̄+ー ̄)muhuhu...懐かしい.....
当時のアディダス契約選手でサッカー日本代表だった「平瀬智行」選手や、
メジャー移籍直前だったプロ野球選手
「石井一久」さんの撮り下し写真と共に書き下ろしました。
この時のアディダスさんと話し合って決めたテーマは「イノベーション=変革」



=====================================
「INNOVATION」

“それは” 忽然と現れるわけではない。
日々積み重ねられる努力、試行、失敗......その果てに “それは” 初めて姿を現す。
―――イノベーション―――
挑戦を続けよう。変革を続けよう。
いつか夢をつかむために。
いつか唯一無二の存在になるために。

夢をつかもう。
欲しいものは? 足りないものは? 新しいものは? 目指す場所は?
幾度も、幾度も、問いかけよう。
夢に続く扉はいつもそこから開かれる。
―――イノベーション―――
変革はいつか掴む夢のために。
いつか唯一無二の存在になるために。
====================================



当時書いたこんなコピーは、
今日記したような選手の方々とお話をしたり、姿を見ている中で浮かんで来た言葉。
そして記事タイトルにある「アリア =Aria」とは「詠唱」のこと。
叙情的で旋律的な独唱曲のことで、多くの曲を組み合わせて作る
壮大なオペラやカンカータなどにおける独唱部分をこう呼びます。
時に僕には、
アスリートさん達の言葉もそんな美しき「アリア」の様に響いて来たりします(^^)


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メメント・モリ

2014-05-10 00:02:01 | 勇気
このところ、世界が騒がしいです。

200人以上の少女を拉致して売りさばくと世界に発表し、
町人全員、120人以上もの人々を虐殺するような組織とはいったい何なのでしょうか?
産油国で数字上は豊かなハズのナイジェリアとはいったいどんな社会、政府、国?
なのでしょうか。

中国はいったい何を?手にしたいのでしょうか。
アメリカの覇権維持とはいったい何の為のもの?なのでしょうか。
汚職による首相失職の事態から大規模デモになっているタイ。
ウクライナの内戦は?クリミアは?ロシアの意図は?ヨーロッパ諸国の意図は?
シリアは?ベトナムは?北朝鮮は?韓国は?
この国は?僕等一人一人は、今どうあるべきなのでしょうか。



そもそも「国」とは?
いったい、なんなのでしょうか。



戦争迄して、
同種の生き物同士で殺し合いをしてまで手にしたいものとは一体何なのでしょうか?
他人だけでなく「時に」自らの命の行方すらも自分の意志で操作することが出来る
畏怖すべき「自由意志」を持った人間という生き物とは、
一体なんなのでしょうか。
その存在の意味とは何なのでしょうか。



地獄のような思いをして、
そんな中で暗闇に射す一条の光の如きものを見出し、捕まえ、
どん底の底の底で喘ぎ、苦しみながら己の中に積み込まれたコトや、
手に入れたモノというのは、
それはトテモ大切なもので、重いもの。
自らが生きる力にも支えにも指針にもなる様なものでもあって、
それでも、
そんな途方もない苦労や思いをした果てに手に入れたものも......「全て」
捨て去らねばいけない様な時、
別れなければいけない様な時、
忘れなければいけない様な時、
存在するもの全てが恨めしく思えてしまう時、
たまに......
死にたくなったりします。

そんな時、
そんな悲しみや絶望にまみれ、信じられるものも人も失い溺れそうになった時、
ソコで出会うのが「死を思う」ということ。
それは「死」というものと正面から向き合う瞬間。
朧げながらも「死」というものに触れる瞬間。



「memento mori  ―――メメント・モリ」


「死を思え」



自分なりに人生を懸命に生きていれば、
どんな人でも、そのそれぞれの世界の中で「他の誰とも違う」死を思う様な瞬間、
時間があったりもするのではないでしょうか。



2011年。ほんの数年前。
アメリカに暮らすある男性が「死を思った」瞬間、
このデジタルで繋がったネットワーク世界に
「死に向かう自分」との情報交換ボード=「スレッド」を立ち上げました。
スレッドのタイトルは「51 hours left to live」 ......「余命51時間」
そのスレッドはこう始まります。。。



――――――――――
オレゴン州の尊厳死法のおかげで、ようやく火曜日にガンとの闘いが終わります。
準備のひとつとして鎮痛剤を切り、
残っている限りの自尊心を取り戻そうと思っています。

自分が誰だったかというのは関係ありません。
痛みが常にあり、疲弊しきった末に、ようやく一片の尊厳を許されました。

質問したい人は何でも聞いてください。
――――――――――



ネット世界で大きな波紋を広げたこのスレッドが何の役に立つのか?
何の意味があるのか?
......なんてことはとても僕の様な者が計り知れることではありませんが、
少なくとも僕にとっては「死を思う」とは「生を知る」ということでもあります。

以下、そのスレッドのホンの一部分を和訳したものを
「らばQ」さん等のサイトから転載しておきますが......
もし、この瞬間、そんな命の明滅点に佇み、関わり、
影響を与える立場にある人などがいるのであれば、
スレッド上のこんな会話を見て少しでも「何かを思う」様なことが......
あるでしょうか......



――――――――――
「僕らにメッセージか教訓を残したいとすれば、それは何だろうか?」
.........我々が持っている何であれ、人を傷つける価値はないということ。
何もかも儚いものだということ。種族も性別も宗教も。


「わあ、、、平安があなたに訪れますように。
あなたの考えがこのスレッドで記録されていきますように。」
.........正直に言うと痛みだけが問題で、そのことは医者にも言われました。
自分が答えられる限り答えます。


「もし答えられるなら、どのタイプのガンですか」
.........リンパ腫であちこちに転移しています。


「何歳ですか。残りの日はどうやって過ごしますか。」
........最初の24時間は家族と過ごします。
新品のiPadを使って掲示板につないだり、写真を見たりね。
月曜日にはできるだけたくさんの手紙を書くつもり。


「どれくらいの間、ガンと闘いましたか。」
.........6年。脳に転移して、もうこれ以上手術は出来ない。


「何か後悔は?」
.........ひとつだけ。高校のときの彼女に婚約指輪を買って渡さなかったこと。
馬鹿な喧嘩をして軍隊に入った。その一つだけ。


「何が一番恋しく、何が一番なくてもいい?」
.........一番恋しく思うのは「人生」、でもこの人生じゃなく窓の外にある人生。
なくてもいいのは、、愛するものたちに闘いを味あわせてしまった不面目さ。


「指輪は送ったらどうだろうか?まだ時間がある。」
.........それはよくない。彼女を9ヶ月前に見つけて電話で話したよ。
彼女は僕が病気だということは全く知らずに会おうと言ってくれた。
月曜日には彼女には僕からの手紙が届く。
彼女に指輪のことは言わない。僕が一緒に持っていく。


「あなたの友人や家族はなんとかあなたに頑張るよう、説得しようとしていますか?
それともあなたの意思を尊重していますか?」
.........理解はしてもらっている。彼らは僕のリクエストで明日の晩には去ってもらう。
虚栄心かもしれないけど、
彼らの最後の思い出が僕がコントロールの効く状態で幸せなものであってもらいたい。
薬でもう何ヶ月もそんな状態じゃなかったから。


「一番うれしい思い出は?」
.........僕の甥がガンに打ち勝ったこと。
彼が子供のときにガンにかかり、フィラデルフィアの小児病院で治癒してもらい、
9年経つがガンの再発はなかった。次が夏に父親と野球を見に行ったことだ。


「オレは君を全く知らないが、君がいなくなると寂しく感じると思う。祈ってるよ。」


「最後の食事は何かな?」
.........ゼリー。2度とひどい目にあいたくないので。
取り戻せなくなった尊厳のひとつでもある。


「どうして火曜日なんだい? 例えば金曜日とかじゃなく?」
.........妹の誕生日が18日なので、病院やお葬式で誕生日を過ごさないように。


「それはすごい心遣いだ。彼女はすてきなお兄さんを失うね。読んでいて鳥肌がたったよ。
君が誰であれ、僕に人生を考えさせてくれたよ。ありがとう。」


「死ぬことは怖くないかい?死というものが怖くないかい?」
.........恐怖でいっぱいさ。でも家族には絶対言うつもりはないよ。痛くないことを望む。


「どうやって説明したらいいかわからないけど、
自分は1度死にかけて死を味わったことがあるんだ。
きっと痛みを感じずにいられることを楽しめると思う。2度とない痛み。
痛みのなかった生活がどんなものかすぐ思い出して、自由がどんなに素晴らしいかと思うんだ。
それでも君は君だ。達者に横断してくれ。終わりではない。新しい始まりだ。」


「さよなら……。」


「いろんなコメントを見ているだけで泣けてくる。」


「死後の世界を信じていますか?どっちにしてもそれが決断に影響しましたか?」
.........両方ともNOという返事。苦痛と恐怖がこの決断を下した。
歩く能力を失い、移動も出来ず、愛することもできず、
未来もなく、ただ痛みがあるだけだから。


「何か価値のあることをしてみたいですか?何かずっとしてみたかったことは?」
.........You tubeのビデオを作る計画をしているくらいかな。


「質問に答えるほかに、最後の数時間は何をして過ごすんだい?
そしてがんばってくれ。平安が訪れますように。」
.........最後の数時間は「生きる」んだ。
これは僕にとっての旅行であり、新しい人々に会うのにもっとも近い方法だ。
バカのように聞こえるかもしれないけど、これが僕の世界ツアーなんだ。


「オーストラリアのビクトリアからだが、訪問うれしいよ。」


「アイルランドにもチェックインだ。」


「トロントからだよ。」


「ボストンからだけど、元気かい?」


「テキサス・ヒューストンから、“ハウディ” (テキサスなまりのハロー)」


「オランダから愛を送るわ。」


「カンサスシティ、スタンバイ。」


「ここはインドのデリーさ。」


「スロベニアからさ。」


「イギリスのオックスフォードから、こんばんは。」


「シカゴからも、やぁ。」


「中国の北京から、祝処平安。」


「イギリス中部からだ。」


「フロリダからもハーイ。」


「君が世界に行けないので、世界のほうが君に来ることにしよう。
2年前にアイスランドに行ったときの写真だよ。」


(その他、世界中から沢山のメッセージが。。。)


「時間も日も困難になってくると思うけど、どんな考えが脳裏をよぎっていますか?
僕らが想像するように、かなりヘビーにウェイトを占めていますか?」
.........まだあまり。月曜日が一番つらいのではないかと思う。


「何も質問したくないけれど、ハグしてあげたいよ。」


「子どもとか孫とかいますか。なにか自慢できることは?」
.........子どもも孫もいない。自慢できることは大学を卒業できたこと。


「死ぬ前にやっておくことのリストは作ったかい?それの進行具合はどうだい?」
.........自分の子どもを作ることは失敗した。あとオーロラが見たいかな。


「アラスカからの写真だ!」


「ここはアイスランドなので、いつでも見られるよ。
次僕が見るときは、君のことを考えることにする。」


「世の中には大勢の人が尊厳死に反対していて“ 医師が幇助する自殺” と
レッテルをつけていますが、
それに対してどうしてあなたがそれを選んだかを反論できますか。」
.........もちろん。
どうして人が苦痛から逃れる権利に反対するのか。
ここまで来るのに多くの医師が必要だったし、誰もこのオプションを無謀に決定していないはず。
僕の看病は非常に大きな重荷となっていて、
そういった現実に対して疑問を投げかけるのはフェアではないと思う。
そして宗教は一番の疑問。
誰も知ってはいないのだから……。
――――――――――



「死」を見つめた時、「生」も見えて来るように僕には思えるのです。


騒がしき世界は、命あるものが生きる為にあるのだとも思うのです。



「日本から!ハーイ!スマホ写真だけど、いつか見た宍道湖という湖の夕日、
君も気に入ると思うな。君がずーーっと安らかなることを祈ります。」


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just make it possible

2014-01-22 01:30:24 | 勇気
「さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP」という
「視聴者の夢をTVがかなえちゃいます!」的番組を最近チロリと見たのですが、
その中で小学生の少年が憧れの「アンソニー・ロブレス=Anthony Robles」という
アメリカのレスラーにレスリングを教わりたいという夢がありました。

「おお!?(*゜0゜)! アンソニー?マジ!?」

と、一部スポーツ好きの間では数年前にとても話題になった彼を強く記憶していた僕は
そのコーナーにかなり真剣に見入ってしまいました。

少年が憧れていたこのアンソニーさんというレスラーさんは、
右足が生まれつき付け根のほうから無くて、
そんな「片足」というハンデのある体で
ハードな格闘技でもある「レスリング」の選手となった人。

しかも!めっぽう強い!

ハンデキャップのある人々の大会ではなく、健常者の集まる通常の公式大会で
何度もチャンピオンに輝いたというまだ若い凄いレスラーさん。
少年が憧れるのも良くわかります。
その少年が一人アメリカに渡り、憧れのアンソニーに会い、話し、技を教わり、
一緒にレスリングをして、夢を叶えて、帰国。
夢を新たにしてまた大会に進んで行くという姿を追いかけた映像には
ちょっと心熱くなるものもあり......なんだかとても良い番組でした(^^)ヨイヨイ



この時の番組では放送されなかったアンソニーさんの生い立ち部分を
もう少し詳しく記すと、
彼の生まれ育った家というのはいわゆる「母子家庭」で、
色々な事情で彼が生まれたときには父親はもう既に家に居なかったそうです。



母親の名前はジュディさん。
彼女はそんな不在の父親分まで必死に働いて、
同時に父親の様な厳しさや強さも持ち合わせながらアンソニーを育てました。
ジュディさんは片足だったアンソニーを特別扱いする様なことは決してしなくて、
強く大きな人間に成る様に......と、
常に厳しく、色々な事を話し、聞かせ、叱り、育てたそうです。
そんな母親とアンソニーは
子供の頃から取っ組み合いのケンカをする様なことはしょっちゅうの事だったらしく、
そんなこともアンソニーをレスラーの道に向かわせた要因の一つともなりました。

子供の頃、
片足で走れなかったアンソニーは学校で仲間外れにされることもしょっちゅうで、
そんな走れない自分に嘆き、落ち込んでいたアンソニーにジュディさんは

「決して諦めない様に」

「アンソニーだって絶対走ることは出来るから。。。」

と、そんな励ましもしてきたそうです。
そんな母の励ましを受けたアンソニーは
その後松葉杖を使って走ることをマスターしました。すると、
今までバカにして仲間はずれにしていた周りの人達も次第に彼の傍へ寄って来て、
友達も出来たそうです。

アンソニーがレスリングを始めたキッカケは、
彼が高校に入学し、体育館でレスリングを見学していた時に
たまたまソコにいあわせたコーチから声をかけられたのが最初だったのだそうです。
松葉杖や片足であることを補う為に自然と鍛え上げられた上半身を見抜いたコーチが

「一度試してみたらどうか。。」

と、そんな誘いだったようで。誘われたけれど......

「自分の様な体で果たしてレスリングなど本当に出来るのだろうか?......」

と、家に帰り母ジュディさんにそのことを相談すると、彼女は

「やるべきだ」

と答えました。

「今までよく取っ組み合いのケンカをして来たじゃない。。
ソレと同じだから向いてるハズだよ。。」

と、そんなふうに彼女はレスリングを勧めたそうです。
そんな母親の勧めもあってアンソニーはレスリングを始めるコトを決意したのですが、
子供の頃から母親と「取っ組み合いのケンカ」をしてきた彼にとって、
その「取っ組み合い」ソノモノの様なレスリングというスポーツは、
どんな障害があっても決して負けない様に厳しく叱ってくれたり勇気づけてくれた
「母の愛情」そのもののように感じられたそうです。

ソコからの彼は一心不乱にレスリングに取り組み、体を鍛え上げ、
常人には考えられないくらいのあらゆる障害を乗り越え、特別な技術をマスターし、
得意技も編み出し、
そして高校3年生の時、遂に州大会のチャンピオンにまで上り詰めました。
その実力が認められた彼はその後アリゾナ州立大学への奨学金も獲得。
たった一人、アンソニーの為に必死に働いて来た母にも
あまり負担をかけることも無く大学に行けることになり、彼は大学進学を決意します。

アンソニーが大学二年生のある日のこと。
そんな大切な母ジュディさんが倒れてしまいました。
奨学金を獲得していたとはいえ母子家庭の生活というのは
とても厳しく、貧しかったそうです。
ジュディさんは生活費を稼ぐために休みなく働き、
それでもお金が足りない時は
1回35ドルの献血などをして生活費を工面していたそうです。
そんなことを長年続けていた無理がたたって彼女は体調を崩してしまいました。
その時アンソニーはジュディさんに

「大学を辞めて働く、、、」

と言ったそうなのですが、ジュディさんは

「レスリングはどうするの?」

と聞き返して来たそうです。

「諦めずに何とかする方法を考えよう。。」

と、そうアンソニーに言ったそうです。
彼女は自らの体のことより何より、
最愛の息子の夢を絶つようなことだけは絶対にしたく無かったのです。
彼女と話し、色々と考え抜いたアンソニーは、
先ずは毎日の練習をメニューはそのままにスピードだけ上げ、
切り上げ時間を早くして、その後自分が出来る「アルバイト」を始めました。
母の「決して諦めない」という信念と気持ちはアンソニーにも伝わり、
その精神もちゃんと彼に受け継がれていたようです。
やがてジュディさんの両親もそんな二人に色々な援助をしてくれて、
なんとかアンソニーは大好きなレスリングも大学も辞めずに続けることが出来ました。

そんな大学2年生の時の全国大会の成績は4位。
翌年はアルバイトとの両立に苦労したためなのか!?。。7位。
そして迎えた2011年、NCAA。
大学4年、最後の全国大会。
彼はついに全米アマチュアレスリングの全米チャンピオン!に輝きました。
その決勝戦の観客席では退院したばかりの母ジュディさんも見守っていたそうです。
その彼女の目の前で、健常者の集まる通常の大きな大会で、
片足のアンソニーが勝利したのです。



スゲーです。。



その年彼は「シーズン36戦全勝!」なんていうことも記録して、
全米No.1のスポーツ専門ネットワークチャンネル「ESPN」が主催するアワード
『ESPY AWARD』で、
年間で最も活躍した障害者アスリートに送られる「最優秀障害者男性アスリート賞」と
不屈の努力を称える「ジミーV賞」という賞をダブル受賞しました。
冒頭に記した

「スポーツ好きの間でちょっと話題になった、、、」

というのは、実はこの時に彼が行った受賞スピーチのことでもあり、
それは見るもの全てにとても感銘を与える様な素晴らしい言葉達でした。

イチローさんの言葉ではないですが、
「何を言ったか」とうより「誰が言ったか」というところにも
大事なポイントがある言葉だとも思いますが、
記した様な人生を歩んで来たアンソニーが語った言葉というのは
なんだかとてもピカピカと輝いて響いて来ます。

さんまさんの番組でもこの時のスピーチの様子が「少し」だけ流れていましたが、
話している彼の姿は神々しいまでに堂々としていて、
なんだかその立ち居振る舞いにも僕は感動してしまいます。

短いし、折角ですのでココにも全文を記しておこうと思いますが、
例によって!?You tubeなどでも探せば映像も見れると思います。
冬の夜長に、珈琲でも飲みながら......どぞどぞ(^^)
スゲーです。



“Thank you. Thank you very much.
It's an honor to be here.
The reason most of us are here tonight isn't because what we've accomplished.
It’s because of the sacrifices and encouragement that
certain people have given us at critical times in our lives.
You just saw who sacrificed for me and encouraged me.
That was my mom, Judy Robles.

ありがとうございます。本当にありがとうございます。
この場に立てて光栄です。
今夜受賞した人のほとんどが何かを成し遂げたからではなく、
周りの人が犠牲を払ったり激励してくれたお陰でこの場にいる事ができるのです。
私の場合それは、母のジュディでした。


When I was born,
my birth daddy immediately bailed --– I was born with one leg and
my mom could have walked away and given me up for adoption but she didn't.
She taught me to never let what I cannot do interfere with what I can do.
And she didn't protect me from pain and failure
because she knew it would make me stronger.

私が生まれた時、
私の父は既に居なくて --- 私が片脚で生まれた時、
母は逃げ出すこともできました。しかし彼女はそうしませんでした。
彼女は教えてくれました。「決して諦めてはいけない」と。
そして彼女は私を痛みや失敗から決して守ってはくれませんでした。
何故なら彼女は知っていたからです。それが私を強くするのだということを。


Even when my mom got sick at the beginning of my sophomore year in college,
and my step dad walked out on the family,
and we lost our home and I wanted to quit wrestling to get a job to help pay the bills,
my mom refused to let any of us give up and here I am today – national champion.

大学2年の始めの時、母は病気になり、
私たちは家を失いました。
私は仕事をしてお金を稼ぐ為にレスリングをやめようとしました。
でも母はそれを決して許しませんでした。
そうして今日、ここに、私は全米チャンピオンとして立っています。


I must also thank Arizona State University – Sun Devils –
for giving me one of the finest educations in the world, and my friend,
Chris Figgy and my high school coach, Bobby Williams,
who took me under their wrestling wings to push me every step of the way.
And now as I go forward with so much more to do.

そして世界一の指導をしてくれたアリゾナ州立大学---サン・デビルズ---と、
友人のクリス・フレイジェ、私をレスリング世界へ導いてくれた高校時代のコーチ
ボブ・ウィリアムズに感謝します。
そして、私はこれからもさらにもっと前進して行きます。



This is my message―――――

これは私のメッセージです――――――



Every soul who comes to Earth,
with a leg or two at birth,
must wrestle his opponents knowing
it's not what is,
it's what can be that measures worth.
Make it hard, just make it possible
and through pain I'll not complain.
My spirit is unconquerable.
Fearless I will face each foe,
for I know I am capable.
I don't care what's probable,
through blood, sweat, and tears,
I am unstoppable.

―――――Thank you.


この地球上に生を受けた全ての人間は、
脚が1本であれ2本であれ、
困難に立ち向かわねばならない。
どう生まれたかではなく、
どれだけ価値のある者になれるか。
たくましくあれ、可能性を高めよ。
そのために痛みが伴おうとも、私は不満をこぼす事はないだろう。
私の魂は決して屈する事はない。
どんな敵に立ち向かおうとも私は恐れない。
私は自分の可能性を知っているから。
血と汗と涙があれば、可能性がどれだけあるのかなど私は気にしない。
誰も私を止めることができない。

―――――ありがとうございました。



このたたずみかたわ......
この人は可能性を高めようとしてるなりか!?。。。(@゜o゜)make it possible...


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1月17日

2014-01-18 03:31:55 | 勇気
19年前の今日。
僕は大阪、豊中市の「曽根」という街に一人で住んでいて、
「阪神・淡路大震災」に遭遇しました。



20代前半。社会人になって数年がたった頃。
僕は週末の休日と月曜日迄をくっつけて休み、大好きなスキーを
「フワフワのパウダースノーで楽しもう!」
と大阪から飛行機で青森県の鯵ヶ沢(あじがさわ)というスキー場に
ポンポコと出掛けていきました。
そこでヘロヘロになるまで滑りまくり、
「筋肉痛だぁ。。。」
なんて言いながら、
当時はまだ大阪の空のメイン玄関として機能していた伊丹空港から
自宅に戻って来たその夜に、僕はこの地震に遭遇しました。

住んでいた街は宝塚や伊丹にもほど近い、
大阪地区の中では比較的神戸寄りの場所で、
地殻の構造なども関係してなのか、
その「揺れ」は大阪エリアの中では一番大きかったようです。
公式な記録では震度6前後で「あろう」と言うことでした。
震源地が地盤の真下にある、いわゆる「直下型」の強烈な揺れというのは、
例えればジェットコースターのピークからドーン!
と落ちていくアノ瞬間と全く同じ様なもので、
それは本当に大げさな表現でも何でも無く、
「恐怖心を瞬時にあきらめに変える」ような、
どうにもならない「縦揺れ」でした。
その揺れの感覚は19年経った今でも僕の体と記憶に深く刻まれています。

「釧路沖地震」も札幌で経験していたソレ迄の僕の人生においても、
「東日本大震災」を経験した今この瞬間迄においても、
「大地の揺れ」ということに関しては最大の、
決して忘れることの出来ない揺れでした。

子供の頃から不思議と?地震の前には寝ていても必ず目が覚めてしまう僕は、
その日も長旅とスキーでボロボロに疲れていたのに関わらず
やはり地震の十分ぐらい前にはパチリ......と目が冴えてしまっていました。
ただ、大抵はそれが
「何で眠れないのか?」
まではマッタクもって分からず、勿論タダ単に体調的に眠れないという時も、
何かを考え過ぎていて眠れない......というような時も沢山あるので、
殆どの場合はイザ地震が来た時になって初めて
「ああ、、これだったか。。。」
「体調の方じゃなかったのね。。」
などと思うような始末。その程度。
そんなレベルの「カン」だとマッタクもって何の役にも立たない
タダの野生的本能であって、この時も当然
「何で眠れないのか?」
ワケも分からず、夜明け前まで、翌日の仕事のことを考えて、とにかく
「早く寝なきゃ、寝なきゃ、、」
と布団の中で格闘をしていました。



そんな時に、その強烈無比なる揺れがやってきました。



その時僕の住んでいたマンションは5階建てぐらい。
揺れている間、フローリングの床に「ベタ置き」して使っていた
分厚いベッド・マットレス越しには、床が捻れ、
波打つという感触を寝ながら「背中」で感じ取ることが出来ました。
そんな歪んで波打つ床だけでなく、天井、壁、窓、ドア......
住んでいた建物全体から今迄聞いたことも無い様な、
まるで建物の悲鳴の様な、唸り声の様な、そんな轟音が響いて来て、
その轟音に混じって、低くて深い
「ゴーー......」
という地鳴りの様な音も聞こえていました。
その音は建物の下、地中深く、大地の底の方から響いて来ていて、
何か巨大なものが下から襲いかかってくる様な、
体全体でそれを聞きとっているという様な、そんな低音でした。



逃げようと起き上がろうとするも、
揺れでまったく身動きが取れず、どうにもならず、
そんなバケモノの様な揺れの中で異様に軋み、
歪む天井を見ながら僕はこう思いました。

「ああ、アノ天井が落ちて来たら俺は死ぬんだな、、
しょうがねーな。。俺、死ぬのかな。。」

そんなふうに自分で自分の「諦め」と「非力さ」を客観的に眺めながら、
そんな冷静な自分に少し驚きながら、
僕は布団の中でただ「ジッ」として何もせず、天井を眺めていました。
ジッとするしか出来なかったというのが正確なことかもしれません。
その時間は......数分だったハズですが、途方も無く長く感じたのを覚えています。



揺れが治まると、
建物が壊れなかったことに少しの幸運を感じながらベッドから起き出し、
メチャクチャを通り越して跡形もなくなった部屋を眺め、
歪んで開かなくなった部屋のスライドサッシを無理やり開けて、
外の様子を見てみました。

窓の向かいにあった木造の一軒家が半壊していました。
住んでいた人達は無事の様で、
三世代の家族が皆表に出て呆然と自分たちの家を見つめていました。

その異様な光景を目にして、急いで付けた部屋のTVやラジオからも
地震に関する詳しい状況や情報は地震直後は未だまったく流れてこなくて。
その様子からも
「尋常ではないコトが起ったのだな、、」
ということは直ぐに察っせられて、
で......馬鹿げたことに......
ここで急に強烈な眠気が襲って来た僕は、余震が続く中でウトウト......っと、
気がつくとそこから少し眠りに落ちてしまいました。

しばらくして
「ハッ!?」
と気がつき、迂闊なウトウトから目を覚ますと、
僕は急いで服を着替え、靴を履き、滅茶苦茶になっている部屋や廊下を横切り、
ひどく歪んでいた玄関のドアをこじ開け、
薄らと明るくなった早朝の世界に飛び出して、
近所の様子を走って見て周りました。

近所にあった木造の古い家の多くは向いの家の様に半壊、
もしくは倒壊をしていました。
丈夫な建物にも何らかの損傷があることがハッキリと見て取れます。
道路には所々車が落ちてしまいそうな大きな窪みが出来ていて、
大きく陥没したり、道ソノモノがネジ曲がったりもしていました。
つい数時間前迄いた「伊丹空港駅」も「ペシャンコ」に潰れていました。
それが駅だったのか?どうか?も知らない人にはわからないような感じ。
まるでゴミの山の様になっていました。

夜が明けてからはメディアからも徐々に詳しい情報が入って来て、
部屋に戻りTVを付けると、震源地は神戸~淡路島の辺りの様で、
色々な所のリアルタイム映像も写し出されています。



画面に映る慣れ親しんでいた神戸の街は巨大な炎と黒煙に包まれていました。



僕は新入社員で、いきなり大阪府任を言い渡され、
社会のこともロクに分からない上に、
何もかもが見知らぬ土地で仕事を始めたのですが、
そんな中でまるで母の様に親切に僕に色々なことを教えてくれて、
助けてくれた恩義あるデスクの先輩女性が家族と共に住んでいる、
見覚えのある芦屋の茶色いマンションが突然TVに大きく映し出されています。

そのマンションの横には......信じられない光景が......

太く大きなコンクリートの柱の根元から横倒しになった高速道路が映っています。

戦争を知らない世代ですが、まるで爆弾が落とされた後の街の様に見えました。

彼女のマンションはそんな巨大地震の象徴的光景となった高速道路と共に
TVに何度も何度も写し出されます。
何度も何度も映し出されるのに、肝心の、その彼女の安否はまったく分かりません。
一切の連絡方法が機能せず、
何も出来ないままTVに映し出される横倒しになった高速道路と
マンションとを延々と見ていました。

見えているのに、僕には何もすることが出来ません。

「もしかしたら彼女達がテレビ画面に映るんじゃないだろうか。。」

「無事でいてくれ。。」

そんな気持ちでTV画面を見続けていました。

やがてマスコミのヘリコプターが数多く飛びだして、
そこから届けられる映像で神戸駅のほど近くも映し出されます。
延々と燃え広がる火災。
上空を飛んでいるヘリコプターに迄届くモウモウ...と立ち昇る黒煙。

本当に、火の海。

そして、その火の海となっている場所には―――――

その場所には―――――

その時僕がつき合っていた大切な彼女が住んでいました。

大阪オフィスの同僚達も皆知っている僕の彼女。

その大好きな彼女が住む街が燃えています。

彼女の街が燃えています。

彼女はそこにいるハズなのです。

見えているのに、

相変わらず僕は何もすることが出来ません。

僕には何も出来ません。

連絡が......つきません。。

皆、連絡がつかないのです......



――――――ソレから後のことは......ナカナカ記すことが出来ません。
いつか僕の中でしっかりと整理された言葉が生まれてくれば、
ちゃんと記すことが出来るのだと思います。



いつだったか、東日本大震災の後、
僕が統括していた部のスタッフ全員が集まった時に「一度だけ」
この阪神大震災の話しをしたことがあります。
愛する人達の行方が分からなかった時、
その後僕がどんなことをしたのか?という話し。
幸い二人とも無事だったのですが、
それが分かるまで大切な人達を見つけに行こうと僕がどんなコトをして、
どんな風景を目の当たりにして、
どんなコトを思ったのか?
思っていたのか?
......という話し。

その時は、こんな時だからこそ阪神淡路の時の経験を、
大事なコトを、
僕の中にある知識を、話そうと......したのですが、
話しているうちになんだか色々な記憶や思いが頭に浮かんで来て、
それが被災された東北の人たちの姿とも重なって、
ちゃんと纏まった話しとして話すことが出来ず。
酷いことに、
最後には話しながら多くの部員達の前で涙が溢れて来てしまいました。

会議のような場でとても恥ずかしいことだと思います。

「もし」今日の記事を見ている人の中にその時、
その場にいたスタッフさんがいたら改めてお詫びをしなければいけないのかな......
すいませんでした。



本当は、
その時僕が言いたかったこと、
阪神淡路大震災の時に思ったコト、
起きた出来事、というのはとても沢山あって。
だからとても一遍に話したり書き記すようなことは出来ないのですが、
そんな事というのはみな極々当たり前で
常識とも言えるようなことばかりにも思えています。
......そんなもの?なのでしょうか。



命は宝物だということ。

明日死んでも後悔の無い様に生きなければ、ということ。

大切な人の安否が分かって初めて次の心配も行動も出来るんだ、ということ。

異常な災害時には人間それぞれの本質が表れてくる、ということ。

そして、改めて、

強く生きたい、強くなりたい......ということ。

そんな当たり前のことばかり。

でも、そんな当たり前のことも成すのは難しいということ。

当たり前に生き抜くということも大変なことなのだということ。



阪神淡路大震災以来、
1月17日にはその時噛み締めた色々な思いをちゃんと思い起こそうと努力してみます。
あの時を目前にし、
あの時に一緒に過ごした途轍も無く辛い思いをした人達。
今もそんな思いをし続けている、
なかなか癒えない傷を負った多くの人達のことを思ってみます。
電気やガスが街に戻るまで、
僕のワンルームで窮屈な思いをさせながら数ヶ月一緒に暮らした
3人の人達のことを思ってみます。
ほんと、ダメな僕は、毎日の生活にまみれる中でそんな思いも
ついつい薄れてしまっていたりする様な気もして。。



改めて、命に感謝して、大切に、強く生きねば。と。



当たり前の日々に、感謝をしなければ。。と。



1月17日にはそんなことを思い直したりします。



梅田のホテルから眺めた大阪の街。
この街には色んな想いが刻まれています。僕にはとても大切な街です。


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女神の言葉

2013-08-02 00:31:37 | 勇気
よくあることですが、
大きな会社で、大きな組織改編などがある時、
やはり、会社は少し落ち着かない雰囲気になります。

そんな時に、
同じチームで仕事をしたことがあったり、していたり、
同じ「志」を持ってコトに当たっていた仲間みたいなスタッフが
会社を辞めていくようなコトなどもしばしばあって......
それは、ソレゾレ色々な事情、考えがあることだと分かっていても、
なんだか、少し......
寂しくなったりもします。

これから環境を変えていくようなそんな仲間達と、
その辺りの話しをするような時というのは大抵、
職場とは物理的にも精神的にも少し「離れた」所で、
リラックスしてお茶などを飲みながら、
食事などをしながら、
時にはドライブに出掛けたりなんかもしながら......
色々な話しをします。


あーんなことや、こーーんなこと。。


知らなかった驚きの事実や、
知っていたけど言わなかった真実。。


そして、必ず、
そんな四方山話しの最後の方には一抹の寂しさが訪れて来て、
同時にキラキラと香る希望も訪れて来て、


気がつくと......「ありがとう」......という言葉を、
お互いにかわしていたりします。


みなソレゾレの道があって、
思いがあって、
考えがあって、
楽しみがあって、
愛する人がいて。


みなウラハラな思いも、
真っ直ぐな思いも、心もあって。
少し曲がった気持ちも、心もあって。


時に自分を自在に操れて、
時に自分を持て余して。


時に不本意で、
時に思う通りで。


人をキヅつけたり、傷つけられたり。
行きあたったり、突き当たったり、すれ違ったり、食い違ったり。


夢を持てたり、持てなかったり。
信じられたり、信じられなかったり。
叶えたり、叶える途中だったり。
捨てたり、拾ったり。
見つけたり、横目で流したり。


環境を変えないで自分を変えていく人。
自分を変えないで環境を変えていく人。
変わる、
変える環境と共に自分を変えていく人。


......時刻は夜の9時頃。
駅からの帰り道。。


僕は優しいオレンジ色の街灯がともる、
大きな川に沿って続く土手沿いの道をトボトボ......と歩いて、
その土手の横に新しく造られた大きな公園に入り込み、
公園の真ん中、
土手より更にもう一段小高く造られた丘の頂上にポツリ、と出来た、
見晴らしの良い、真新しいスターバックスコーヒーに入りました。



コーヒー・フラペチーノってやつを頼みました。
床から天井迄ある綺麗に磨かれた窓のすぐ傍にあるソファー席に腰を下ろし、
テイクアウト仕様のカップに差し込まれた緑色のストローに口をつけます。
小さく砕かれた冷たい氷がシャリシャリと心地よくて、
でも、ちょっと......僕には甘くて......


「もう少し砂糖抑えたのは無いのかなぁ。。。」


なんて、ボーッと、思ったりなんかして。


大きな窓の外を覗き込んだりして。。


そして、また、


会社を辞めていく仲間の顔をフト、思い出します。


「アイツ、、あの時、、 ......な顔してたなぁ。。」


窓の外の川の上に広がる暗くて広い夜空には、
幾つかの星が雲の間でキラキラと輝いていました。


......どこからか声が聞こえて来ました。。


その声は、
いつか大切な友達からもらった大切な本にも書かれていた様な言葉。
いつか、どこかで、誰かに言われたことがあるような言葉。。


とても美しく、
厳しくも優しい、ある女神様の言葉。


「迷われたといわれし道、そなた達の歩まねばならぬ道であった」


幾つかの星が、
夜の雲の間でキラキラと輝いています。



コーヒーのカップには女神様が描かれていました(^_^)


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Generation C

2013-07-09 00:01:47 | 勇気
昭和の高度経済成長期、
「新・三種の神器」といえばカラーテレビ、クーラー、車......



Color TV
Cooler
Car



英語の頭文字をとり「3C」と呼ばれていました。
今その「3C」と言えば......



Culture(カルチャー)
Creative(クリエイティブ)
Community(コミュニティ)



......だそうです。
もっと言えば、
「デジタル・ネイティブ」と言われる現在の10代から20代は
「Generation C = ジェネレーション・シー = C世代」
などと言われていて、その「C」というのは



Computer(パソコン)
Community(共同体)
Connected(接続)
Create(創造)
Content(コンテンツ)
Communication(交流)
Collaboration(協力)
Change(変化)
Contribute(貢献)
Casual(気軽)



......といった世代の志向を表す「C」なのだそうで。
僕が身を置いているミュージック・ビジネスの世界も、
僕自身は勿論、ユーザーの音楽の聞き方、情報の取り方もマサに「C」調で......

冒頭の「新・三種の神器」時代の音楽情報収集というのは、
きっと、専門雑誌やらレコード店やらで色々チェックしてみたり、教えてもらったり、
時には雰囲気のある「音楽喫茶」などでアナログ盤を聞き込んでみたり、
音楽に詳しいお店のマスターやら先輩方やら......
そんなウルサ方のお話や情報からお気に入りの音楽を探し出していたのかもしれません。

その内ラジオが音楽シーンをリードする時代がやって来て、
そのラジオもAMからFMへ。
多くの音楽ファンが「エア・チェック」などにいそしんでいた時代も。

TVも、一家に2台以上という時代になってきて、
若者が家族に気兼ねなく好きな番組を見れる時間が家庭内で増えるとともに、
そのメディアとしての音楽シーンへの影響力はドンドン......と増して来て。。
やがてミュージック・クリップの時代などもやってきて、
音楽専門チャンネルもアチコチに生み出していって。。

そんな中レンタル店も街のアチコチに沢山出来てきて、
レコード店にも沢山の視聴機が並び、
それが今やもう......
「You Tube」で好きな時に好きなだけ聞き放題!な上に、見放題という時代。



「C」の時代。



音楽CDマーケットはひたすら下降線を辿り、
だからライブを沢山やってグッズを売って......
古(いにしえ)の芸能活動的形態に戻る様なニュアンス。

ライブも手軽なフェスの乱立によって、
中規模の「ホール・スケール」ライブが大きな痛手を被っていたりもして。

そんな中でアーティストもスタッフも、ソフトばかりかハードメーカーも、
今や様々な場所で様々な試行錯誤を繰り返し頑張っています。

TVも「スマートTV」の時代がすぐソコまでやって来ていて、
アップルやらGoogleやら、ソフトもハードも無い、全てが入り交じるマーケット戦争。
4月に発売されたパナソニックのスマートTV「ビエラ」は
TV局からCMを拒否されたり......



......本当に様々な思惑と戦いが入り乱れています。



そんな戦場の只中に身を置いていると、
それでも時代が流れていく方向、
多くの人々が「最大公約数的に」目指している「意志」みたいな方向は鮮明に、
とても強く感じてもいて、
きっと「C」の時代はD、E、F......と、
コレからももっともっと加速し変化していくのでしょう。
その変化の中で、今や企業や組織がリードして市場を形成していく、
という様なことはなかなか無い様にも思えていて、
今や市場を動かし、形成していくのは紛れも無く市場に住う個人個人。
ネットワークの進化によってそんな時代がもたらされています。

この「市場のコミュニケーション」の話しにも少し触れれば、
コミュニケーションの古典的基本形態を「1対1」の関係とすると、
少し前のメディアとユーザーの形態は「1対N」の関係。
この「N」というのは
「Natural Number = 自然数の集合体 = 一般マーケット」を表しますが、
ネットワーク時代は=「Cの時代」は、
それがさらに「N対N」へと変化を遂げました。



うだうだ......も、言ってられません。



待った無し。



何時の時代も同じ。
常に新しきフロンティアに人々も生活も価値観も流れる。
進むべき所に行くしかない。

固定化された概念はそっと横に置いて、仕舞っておいて、
無きモノとして進むしかありません。


それは一度「死ぬ」ようなもの。


そうして完全に「C」な生活......デジタルな生活に身を置いてみると、
それはまた、まんざらでも無く、
なんとも新しい刺激と風景に満ちた日々にもなります。

横に置いた価値観はいつの間にかまるで蛇の抜け殻のようにも見えて来て......

そして、出会う人もまた、とても新鮮で未来的。
「C調」!?でもあります。
それもまた面白く、とても有り難い話しなのかもしれません。



♪いつもいつもアンタに迷惑かける俺がばかですぅ。。。♪



近頃は完璧に「C調」で過ごしています(^^)
とてもバカです。はぃ。



「TINY BUBBLES = タイニー・バブルス 」
いわずもがな、「SOUTHERN ALL STARS=サザンオールスターズ」の名盤。
「C調言葉に御用心」という名曲!中の名曲が入っとります。
タイトルもすげえすぎる......
活動再開ですか! 楽しみ(´∀`)


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名刀

2013-05-16 00:01:27 | 勇気
むかーし、むかち。。
あるところに刀職人のおじーさんが住んでいまちた。

時代は戦乱の世。
武士が民衆を治め、
彼等にとって一番の武器である「刀」の質が己の命の重みと等しく思えるような時代。
そんな時代、そのおじーさんの創る刀は美麗なる姿も切れ味も天下一品。
刀を創らせたら「天下一の名工!」と謳われる程の人でちた。

そんなおじーさんが真摯に創りだす刀は一本仕上げるのにも沢山の時間がかかり、
注文されてもなかなか多く創ることが出来ません。
それでもおじーさんには引っ切り無しに多くの武人達からの注文が入って来ます。



ある日。
そんなおじーさんのところに天下にその武勇と名声を轟かせる武将さんが訪ねて来ました。



その武将さんは
「是非に......」
と、自分の新しい刀をおじーさんに作って欲しいと直々に頼み込みます。
おじーさんは
「順番通りに待っていただけるのであれば、、」
と、答えたのですが、
その武人さんは待たされるのはあまり好きでは無いようで、
少し考えを巡らす様子も見せましたが、
それでも渋々とおじーさんに刀作りをお願いしました。

それからしばらくして。。
武将さんが待ちに待っていたおじーさんの刀が届きます。
おじーさんはその勇猛高名な武将さんに自ら創った刀を渡す時にこう言いました。

「コレは、、武勇に名高い貴方様に捧げるカタナ。。
ひときわ精魂込めて創り上げました。
そして、、過去、私が創ってきたものの中でも最高のカタナと成りました......
出来上がってみると、自分の手元にずっと置いておきたくも思う程のモノに成りました。
それくらいの気持ちを、、いや、、魂を込めて、全身全霊で鍛え上げました......
どうかお受け取りを。
私の最高傑作でございます......」

武将さんは待たされた時間やそのおじーさんの言葉も含めてとても感激をして
その刀を受け取りました。



それからまたしばらくの時間が流れ、
その武将さんが突然!
血相を変えておじーさんのところに怒鳴り込んできました。
話を聞くに、どーも、おじーさんの刀が「刃こぼれ」をおこしてしまったらしく......

「傑作の名刀!などと言っていたのに何故刃がこぼれるのだ!
アレだけ待たせられたモノなのに!」

と怒っています。
はてさて、人を斬ったのか、他にも色々なものを切ったのか、
使った後の手入れが悪くてサビが出てしまっていたのか......
刃コボレの原因は色々と考えられるのですが
おじーさんは職人さんらしく黙ってその武将さんの怒りを受け止めていました。
おじーさんの中ではその武将さんに渡した刀は未だ紛れもなく最高傑作の逸品であって、
人手に渡ったとはいえ我が子の様に愛おしい刀であることは今も間違いの無いことです。

すると武将さんは、
その激しい気性と怒りに任せておじーさんの創った刀でおじーさんを斬りつけてしまいました。



おじーさんはその場で命を落としてしまいました。



自ら創った刀、
それも最高傑作の刀で斬られたおじーさんは
それでも誰を恨むこともなくこの世界を去っていきました。。



ただ、その時、



おじーさんは自ら生み出した愛しい刀に自分の魂を重ねて去ることを決心しました。



......そして、
その刀にはおじーさんの魂が宿りました。
その刀はその時から魂の籠った名刀と成った......のです―――――――――



―――――僕の実家は鉄工所なのですが、
祖父のおじーさんの時代までは代々続いてきた「鍛冶屋=かじや」さんでした。

刀を作る時はその刀身を火にくべて真っ赤に熱し、柔らかくして叩き、
ソレをまた水に付けて冷やし、整え、
また火に入れて熱し、また叩いて、冷やし......
そんな膨大な繰り返しの作業でもって作られていきます。

刀鍛冶という職業、仕事の言葉で言えば「鍛えられて=きたえられて」いきます。

幾度も幾度も強く、シッカリと、しかし繊細に鍛えられた刀ほどその切れ味は鋭く、
眩しい輝きと姿を現すように成ります。



火と水によって鍛えられた、
「火水=かみ」によって鍛えられた刀剣には「神」が宿るのでしょうか。



今、毎日の生活の中でまるで火に焼かれているかのように苦しんでいる人や、
何だかんだと理不尽にも叩かれまくっている人、
冷たい水の中で溺れそうになって踏ん張っている人などもいるかもしれません。
でもそんなコトが鋭い切れ味を持つ刀を創り上げるのでしょうか。
眩く輝く美しい名刀、傑作を創り上げるのでしょうか。



現代ではそんな刀を目にするようなことは普段ナカナカありませんが、
身近な所ではキッチンにある包丁も同じです。

最近は機械で作ることの方が多いと思いますが、
そんな機械の性能も含めて職人さんの精魂込めた技術と心で創られるようなものは
昔から変わらずに有ると思います。

よく切れる刃物は自らも傷つけやすいものですが、
その切り口は美しく、料理なども格段に美味しくなるそうです。

良い料理人は良い包丁を見極めます。

最近、外国人観光客に大人気のお土産というのは実は「包丁」なのだそうです。
日本の包丁というのは職人さんの技術の高さとともに
世界のどの国のモノと比べても精緻で美しく、
よく切れるので自分で使っても人にあげても大変喜ばれるのだそうです。
特に「ダマスカス縞」と呼ばれる鍛造時の縞模様が浮き上がったようなものは
高価なのに飛ぶ様に売れているようです。

それは、僕にはなんだかちょっと嬉しく、誇らしい事のようにも思えます(^^)



もう長いこと愛用している自宅キッチンのエース包丁「GLOBAL=グローバル」さん。
新潟県の吉田金属工業(YOSHIKIN)さんが世界に先駆けて創出した
「ステンレス一体構造」という
刀身から柄まで全て一枚のステンレスで出来ている包丁さんです。

バランスの良い持ちやすさと使い心地、
オールラウンドに発揮される切れ味がトテモ良くて溺愛しちゃってます(* ̄▽ ̄*)

特に中央の「GS-3」という小さいタイプの手のひらへの馴染み方とサイズ感はもう最高!
研ぎすまされた姿、デザインもトテモ好きです。
強引にもスキー板で例えれば!?ゲレンデは勿論パークからモーグル、深雪迄イケちゃう
僕の愛器「ツインチップのフリースタイルモデル!」的なタイプといった感じでしょうか!?
生意気にも!調理師免許を持っているコニャ(奥さん)や
たまにお家に遊びに来る料理の先生さん達も気に入っている「逸品」でございまふ。

僕には......未だ「豚に真珠」「ニャンコに小判」でふ。。(T.T)


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2種類の音楽

2013-05-10 00:04:40 | 勇気
「uzmetよ。。あのさ、
“もし” だけどな、
もしこの世界にさ、
音楽の種類......ジャンルみたいなものが2種類しかなかったとしたらさ、
その2種類とは何だと思う?」


以前働いていたレコード会社で、ある日、
社長のNさんに呼ばれ、
社長室でジッ......と、ツブラナ睨み(◎_◎;)!をきかされながら!?聞かれた質問。
その時は独自のインディーズ・レーベルを我儘にも作らせてもらっていて、
まだそのレーベル初の作品を世に送り出すための色々な準備に追われているような時でした。
Nさんは僕のデスクに突然、フラリと現れて、

「よう、忙しいか!? ちょっと話さないか、、、」

と言いながら、直々に僕さんを拉致!?していきました。
僕はそのままNさんについていって、イソイソと社長室に入ると、
Nさんは何時ものごとく!?全くもって超高級な
「Martin=マーチン」のアコースティックギターを小脇にポチッと抱えだし、
ふっかふかのソファーにドッシリコと座られまふ。
そしてポロンポロン......♪と心地よいコードを爪弾きだしながら、
とても社長とは思えないラフさでもって、先ずは礼節!?
としての「定番のコード進行」のお話しや
「そこからハミ出すこと」に関してのお話を一通り受けることになります......はいー。。



アわわッ!?( ̄◇ ̄;) 



ここっ!!



多分......



笑うところっす σ(^_^;)ハイーー......ビビりのビビり。。
Nさん見てたらどしよよよ!??アセアセ。。
んなわけないよな......汗汗......
念の為何時でも逃げれるように車のエンジンかけとこっと......ブィィーン。。。



で、ですね、
ソレ迄にもディレクターになった時からもう何度かこんなことはあったので、
その時もそんなコード話などが落ち着いた後は、
二人して「音楽」についてあーだ、こーだ......と
ちょっとヤンチャでマニアックなトークをして、そして
「ワッハッハーーーっ!」
と、何となく場が温まったような......時に......
突然、冒頭の質問が僕に投げかけられてきたのです。。



「ふぇ? (・・?) 」

「二種類だ。二種類しかないとしたらどう分ける?」



相手は社長であり大プロデューサー。
元アーティストでもあり、
日本音楽界にさん然と輝く軌跡を残してきた御方。
迂闊な答えは命取り......血だらけの大惨事にもなりかねない。
折角お許しを頂いた新レーベル構想も
「やっぱっりだめだぴょーーーん!」
なんて言われたりするかもしれない......
むぅぅぅぅ......
なんか......質問を投げかけてきた時に、
目の奥に「キラーーン☆」と光るようなモノも感じたしな......むぅぅぅ......
わ、罠か!?
もしや何かの罠なのか!?
に、二種類か、
うーむむむぅぅぅぅ。。。。。。



「どうだ!?ン?(^.^)」



な、なんか、ニコニコしてるとこがみょ~に怖いな......むむぅ......
つーか、俺......全く答えのこと考えてへんな......にょにょにょ......



「あのさ、」

「ハイ (・_・; 」

「あくまで俺たちは音楽ビジネスの世界にいるからさ、
音楽でなくて、音楽ビジネスの話になるんだけどさ、
そうするとな、そこから考えると音楽は二種類しかないと思うんだよ。uzmet。」

「。。。」

「その二種類ってのはさ、こうだ。
売れたものと、売れなかったもの。
この世界、これしか無いんだ。
そう思わないか?」

「。。。」

「ビートルズもストーンズも、クラシックだってさ、
バッハだろうとモーツァルトだろうと、ベートーベンだってさ、
今のマーケット構造とは当然全然違うとは思うけどさ、
当時の社会という中で、あるレベルまで人々に認められ、話題になって、
ヒットみたいな形になっていたからこそ、きっと、
今に至るまで大勢の人に届くものとして残って来てるんじゃないかと思うんだよ。
だからさ、先ずはヒットしてさ、それで大勢の人に知ってもらってから初めて、
そこから人々が時間や歴史を超えてソレをどう伝えていくか、、
残していくかってことを始めていくんじゃないかと思うんだよな。
どうだ?」

「。。。(。・・。) 」

「先ずはさ、音楽ビジネスだからさ、ヒットさせて、そのスタート台に乗らないとな。
そうでないと意味がないよな。この仕事やっているさ。
大事に思える作品であればあるほど、アーティストであればあるほど、
そうしてあげたいと思うんだよな。
どうだ?」

「......すげーそう思います。。はい」

「みんなさ、アーティスティックだ、カッコイイだ言われるものがあったとしてもさ、
何年も何年も経ってそれでも残ってる音楽っていうのは、実はみんな最初に
そんなヒットという壁を乗り越えたものがそこに辿り着けるんじゃないかと思うんだよな。
きっとさ、
音楽って言うのは人類が始まった頃からあってさ、
モーツァルトなんかの時代にしても彼よりももっとカッコ良くて、
スゲーっ!て言われてた音楽ってのも絶対にあったと思うんだよ。
そういうの創ってる人っていたと思うんだよ。
いつの時代でもさ、そういうものって必ずあったと思うんだよな。
でもさ、ヒットという壁を乗り越えないとそんなモノもみんな忘れ去られちゃうんだ。きっと。
後の時代に伝えられなくなっちゃうんだ。
そういう意味でだけど、、消えちゃうんだ。
今そんなクラシックの時代、その当時カッコ良かった音楽なんてお前知らないだろ?

......そんなふうにさ、無いものになっちゃうんだよ。

だからさ、イイモノ、カッコイイものというのであれば尚更、
先ずはな、ヒットさせてあげないとな。
プロデューサーってのはさ、そう出来ないとな」



ーーーーーそんなN社長との会話。
もう、10年以上前の話。
それでも、とても鮮明に覚えています。

なんか、色んな音楽......いや、
自分の「仕事」というものに対する「甘え」や「幻想」みたいなものを
完全に吹っ飛ばされた記憶として僕の中に刻まれているということなのでしょうか。

なんだか、
今でも新しいプロジェクトなどに取り掛かったりする度に
この時のNさんの話とマーチンのギターの音が聞こえてきます。
この話は、あくまで「ビジネス」というフィールドに立った上での話しですし、
決して「正誤」を問う様な話とかでも無く「ただ単に」「そんな話」
それ以上、以下でもなくて、
どう受け止めるかも、理解するのかも全て自由な話。
その時のNさんもそう言ってました。
そして、僕がとても良く解かっていたことは
「その時の僕にはとても必要だった話し」
なのだということ。



「厳しい世界へようこそ(^^)」



Nさんがことあるごとに、冗談ぽい雰囲気で、
ちょっと優しく微笑みながら口にしていた言葉。
こんな言葉や出来事さん達というのは、
今の僕の中ではちょうど「お守り」の様にして仕舞われています。



新卒の入社試験の時に頂いたN社長の会社のCD付きパンフレット・ブック。
僕にとっては永久保存的なものです。
書類審査を通過した一次試験の参加者全員に......それは日本青年館一杯!の二千人!(@.@)
の人達に先輩社員や役員の方達から「手渡し」で配られていたもの。
このパンフレットと青年館のステージ!?ライブ?会社説明会?
や先輩方の立ち振る舞いを見て、

「絶対この会社に入りたいべよ!」

と当時の僕は思った次第でございまふ......
幸運な事に、社会人として最初に働けた会社、触れた人々がこの会社の方々であったことを、
僕は今でも本当に感謝していて、とても幸せなことだったと心底思っています。
仕事における基本的な事、大切なことや人々と出会わせてくれたかけがえのない会社。
僕にとっては最初から最後に至るまで「家」の様に思えていた場所。


このパンフレットの最初のページに書かれている偉大な先輩、
プロデューサーK女史の言葉。


「どんなに時代が変わっても、人間の基本的な感情は変わらないと思う。
人を愛したり、大切に思う気持ちとか、喜びや悲しみ。
そんな、人の深い部分に触れていく仕事ですよね。音楽を作るっていうことは。」


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Imagine

2013-04-01 00:22:27 | 勇気
小学生の頃、通っていた学校の図書館に「推薦図書」なんていう肩書きで
「ファーブル昆虫記」という本がシリーズでズラっと書棚に並んでました。
推薦?なんてことだったので、
好奇心の強い僕は一応そのシリーズ全てを試しに借りて読んでみました。
昆虫にソレホド興味があったわけでもなかったので、内容は......


ほとんど覚えてましぇーん (・ω・)ノ ハローー!


......ただ、
「一つだけ」強烈に覚えている一文があります。
それは、


「極小は極大を含む」


という言葉。一文。


よく両親が
「大は小を兼ねるから。。」
なんて言っていたので、ソレに反するようなこの言葉がなんだか不思議で、
ことさらに僕の記憶に刻み込まれました。

その言葉は、
生涯をかけて昆虫という小さな小さな生き物と、
それを取り巻く小さな世界を観察、研究していたファーブルが、
自らの不屈の研鑽の中で手に入れた一つの「揺るがない」真理、哲学のようでした。


「極小は極大を含む。。」


彼は小さな虫たちの世界、振る舞い、摂理の中に、
果てしなく大きな宇宙の姿を重ね見たようでした。


誰かが誰かを励ましたりなんかする時や、
「ちょっと悟った感じで世界を語ったりなんかしてみるぅ!?、、」
なんていう時に、時折耳にするのは


「......この広い宇宙や世界に比べればさ、
人間なんて、自分なんて、、ホンのチッポケな存在なんだよ。。」


なーーんて台詞。


今、その広大無辺とも思える宇宙の謎を解き明かす為に、
物理学世界で行われている最先端の研究というのは、
「量子=りょうし」という宇宙最小の物質、粒子の謎を解明することで進んでいます。

通常、人々が暮らしている世界の常識では
不可思議過ぎてオバケ話のような量子世界の法則や振る舞いは、
これまでの物理学=古典物理学の考え方ではとても理解がし難く、
時に研究者達迄をもノイローゼに追い込んでしまうような世界。
しかし実は、
ソチラの方が宇宙の根本原則なのだということも近年わかってきました。

人も万物もそんな不可思議な法則で造られているということがわかってきました。

極大的な宇宙の謎を解くヒントは、
極小物質である量子の性質、在り様、力学の中にあるようなのです。

極小の物質である量子のフルマイは、
この宇宙の誕生の秘密まで解き明かそうとしているのです。
コレは紛れもない最先端科学であり、この世界の実相です。



ファーブルの本が世に出てから130年以上。
やはり、彼の言葉通り、
「極小は極大を含む」
ようです。



面白いのは、
その宇宙の謎を解き明かす量子というモノの目線でこの世界を見たとしたら......
ということを考えた時です。

この宇宙、
ひいては僕らの体や万物全てを創り出している「材料」からこの世界を見たら......
ということを考えてみた時です。



たった一グラムのアルミニウムである一円玉でさえ
「2.6×10の23乗」個の「原子」で出来ています。
それはもうコノ一行では書き記せないくらいの途方も無い数です。。
そして量子とは、その原子を形作る「更に小さい」粒子、波動、モノです。

想像してみてください。
一グラムどころか、何十キロ!?もある僕らの体は、
少なくとも「60兆個以上!」の細胞から出来ていて、
その細胞はいったい幾つの? 分子から出来ているのでしょうか。

その分子はもっと小さい???個もの原子から出来ていて、
その原子はさらに小さい???個、∞? 無限大? もの量子から出来ていて。。。

想像してみてください。
綺麗な夜空に広がる数えきれないほどの星達。。

その星達の数、
宇宙の彼方まで果てしなく広がる星達の数と
僕らの体にある原子の数があまり変わらないかもしれない......という可能性を
想像してみてください。


僕らの体の中には、宇宙があるのかもしれません。
僕らの体はこの大宇宙の写し、縮図なのかもしれません。


想像してみて下さい。


その想像から一つ気付くこと。
それは、
量子という万物全てを創り上げている物質から比べれば、
細菌や虫たちの世界から見てみれば、
僕らの体は「トテツモナク大きい」という事実。



きっと、僕らは途轍も無く大きいのです。



「......まぁ、さ、、俺達なんてさ、ホンのチッポケな存在だからさ、、、」



もし、そんなコトを言われ、
それでも元気が出ないようなことがあったら、
そんなふうにも考えてみてください。



僕達は、、いや、貴方は、
とても大きな存在なのです。



それは、宇宙をそのまま映し込んだような、
大きな大きな......途方も無く大きな、そんな存在なのです。



あなたはとても大きな存在なのです。



あなたは宇宙そのものなのかもしれません。



小さい頃読んだジャン・アンリ・ファーブルの本。
やっと、今頃、
その凄さを感じる僕なのです(^_^)



近所のとあるブロック塀の上に咲いていたとても小さな花。
ブロックの継ぎ目にあるホンの僅かな隙間に咲いていました。
なんていう花なのでしょうか......?
雑草のような感じで、手の指ぐらいの背丈で
とても小さくて可愛いらしかったので思わず撮ってしまいました(^^)
自分の「大きさ」を感じる瞬間でもあります。


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いってきます

2013-03-26 00:00:22 | 勇気
行って来ます。

行って、
来ます。

行って、
そして、ちゃんと帰って来ますね......

そう約束します。

それで、行って来ます。



とてもいい言葉だと思います。



受け取る方にも、送る方にも、
とても大切な言葉だと思えます。



そして、
よく使っている言葉でありながら、
よく使っている言葉だから、
意外にその意味を知らないでいたり、
考えたこともなかったり。

それは、
既に知っているのに、知らなかった......ということ。
知っているのに理解をしていなかった......ということ。
気付かなかった、ということ。



この言葉は、
その意味に気付いた瞬間、
以前とは違う響きを纏いはじめます。



何処かに出かける時にこの言葉を誰かに言えるということは、
とても幸せなことだと。
誰かがこの言葉を言ってくれるということは、有難いことなのだと。
そんな調べを奏ではじめます。

幸せというのはこの言葉のように、
きっとどこにでもあって。
きっと誰でも知っていて。

この言葉のように、
知らず知らずのうちに日常的に触れていて。
然りげ無く、誰でも手が届く範囲に存在していて。
人によっては、既に手にしていて。
人によっては、後は気づくだけだったりもしていて。



いってきます。



今日も誰かに言われれば、
今日も誰かに言うことが出来れば、
きっと幸せです。

家でも、学校でも、職場でも、旅先でも、
冗談でも、素っ気なくても、消え入るような、呟くような言葉でも、
ソレが言えれば、
ソレが聞ければ、
少なくともその瞬間は幸せなのだと思います。

もし、言える様な人がいなくても、
自分自身や、神様に。
ペットでも、道端の花や草木にでも言えたなら、
そこに大きな違いは無いと思います。

この言葉を言える限り、
この言葉を言われる限り、
言えたり、言われたりする自分自身に価値があり、
言葉を投げる対象が何であるのかには関わらず、
自分は今、「幸せと共にある」ということなのだ、と。



僕は時折、そう思って外に出かけていきます。



履き古したモスグリーンのお気に入りのドクター・マーチンのブーツ。
その靴ヒモをキュッと締め上げて。
ドアを開け、外に出る。

空を見て。
足下を見つめ。
その先へと続く道を見つめ。
目を閉じて。
深く深呼吸をして。
もう一度、目を開けて。

行ってきます。



昔から、もう何足も履き続けているドクター・マーチンの8ホールブーツ。
全くもって壊れないヤツなので、ボロッボロ......ですが......( ̄ω ̄;)
いつも玄関にポテッと居座ってます。
ダメージ系のジーンズにも合うし、
仕事も遊びも、街でも海でも山なんかでも
一通りこなせちゃうのでついついコイツばかり履いてしまいます。
履き込むほどに風合いと愛着が深まっていって、
まったく代わりの利かない、
僕にはとっては沢山の時間を一緒に過ごす大切な友達のような靴です(^^)


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ポプラさんと桜さん

2013-03-11 00:03:25 | 勇気
毎年、大体このくらいの時期に
玄関の脇にあるポプラの木の枝を落とす作業をします。
枝々を切ることを決める毎年の基準というのは、僕自身が

「もう完璧に春やなぁー。。むむーーん。。」

と感じた時。
ポプラというのはトテモ大きくなる木で、
大きな公園や街路樹に植えられていることも多いのですが、
生命力があって、成長スピードも異様に早く、寒さにも強い。
中国の砂漠化に対する緑化施策で植えられる木もこのポプラさんが多いそうです。
そんな木ですからほっておくと夏を超える頃にはとんでもなく枝葉が生い茂るので、
この時期に余計な枝を全て落としておくと、秋頃迄スルッと、
ノビノビ勝手に伸び放題!......にしてあげられるのでいつもそうしてます(^^)

今年の冬はとても寒かったからなのでしょうか、
切っていた枝々からは例年になくとても「硬く」て「強い」感じを受けました。
寒さから身を守る為に木々達も少し表皮を厚く......厚着?
をする様になるのでしょうか?
専門家ではないので良く解りませんが、
なんとなく切っていて受けた印象はそんな感じでした。
もし詳しい方がいましたら是非教えて下さひ (o゜-゜o)ノ

そして面白い事に、
若枝にチョコチョコと並んでいる若葉の「芽」も、
いつもの年よりなんだか少し多いような気がしました。
こんな感じ。。。



もうじき桜の季節。
家の直ぐ側に流れる多摩川の土手に生い茂る桜の木々も
玄関横のポプラさんと同じような雰囲気を漂わせています。
枝々に付いている「芽」がイツもの年より多いような感じ。。。



そして今日は東日本大震災から2年が経つ日。



あの年の春、
黄色い菜の花に覆われた土手に咲いた満開の桜の花は、
何だか「励まし」をくれていたようで......
僕はその桜の木の根元にしばし座り込んで、
色々な思いで目前を流れる川を眺めていたことを覚えています。
桜の綺麗さがいつもの年よりも深く深く、目に、心に、
染み入っていたことも覚えています。



思うに、
桜はその越す冬が寒ければ寒いほど、
厳しければ厳しいほど、
美しく綺麗に咲くのでしょうか。



厳しい冬が桜を綺麗に咲かせるのでしょうか。

厳しい冬が人に桜を美しく見せるのでしょうか。

僕の、僕らの歩む道も、そうであればいいな、と。

きっと、そうなのかもしれないな、と。



今日はそんなコトを思いながらポプラの木を切っていました。
春の、そんな一日。



上にも記した、震災の年、川沿いの土手に咲いた桜さん。
菜の花さんも。。
今年もきっと美しく咲いてくれると思われるのでございます(^^)サケサケ......

and......
WBC、侍ジャパン決勝ラウンド進出おめでとー!(●´▽`●)/ カンパーイ♪酒酒......


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