雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

召使い...って......

2023-02-16 01:38:57 | 勇気
地上波TVでも流れていた
トルコ・シリア地震の状況を伝える
ロイターのニュース動画ですが......



胸が苦しくなる様々なニュースが伝えられていますが、
その中で、瓦礫の間に横たわって埋まってしまっている
小さな姉妹の様子が伝えられていました。

彼女たちは身動きがまったく取れなくなっていて、
瀕死の状態。
それでも、小さな姉は、
さらに小さな自分の妹を
瓦礫からかばうようにして抱きしめていて、
2人はそんな状態で救助隊に発見されました。

そして、
そんな彼女達を勇気づけようと、
意識や体の状態を確かめようと、
救助隊の一人が妹を抱いている姉に
こんな言葉をかけていました。



「何かしゃべって。
良い子だから。
何が欲しい?」



すると彼女は、
瓦礫の中でホコリまみれになっている妹の頭を
優しく撫でてあげながら、
こんな返事をしていました。



「出してください。
何でもします。
あなたの召使いになります」



彼女たちは無事に助けられたようなのですが、
この映像を見た時、
僕には何とも言えない気持ちが湧き上がって来て。
ふと、涙が溢れてしまいました。



「......なんていう、こと......」



なぜ?こんな言葉になったのか。
彼女のこの言葉の後ろには、いったい、
どんな環境や状況や社会があるのか?
幼い彼女がこれまで見てきたものはどんなものだったのか。
差し迫っている命の危機は勿論のこと、
そんなことも僕にはとても重いことに
思えてしまいました。



自分は、毎日毎日、自分のことで精一杯で。
でも、
そんな自分にも何かできることがあれば、と。
頑張れることは頑張れないかと。
祈れることは祈りたいと。
そんなことを出来る自分は、
思える自分は、
きっと幸せな状況なのだろうと。
恵まれた国に住んでいるのだろうと。
いつも良き人達に囲まれているのだろうと。
そんなことを思いつつ......



......いや。



そんな感慨や考えなどは至極あたりまえのことで。



うぬぼれすら入っていることかもしれなくて。



彼女を見て、
何よりも一番強く思わなければいけないことは、
きっと、自分も彼女と同じように
今を全力で生きようとすることなのだろうと。
それを彼女に負けないように、
強く思い直さなければいけないのだろうと。
気づかなければいけないのだろうと。
誓わなければいけないのだろうと。
それが大事なことのように思うのです。



もし、
自分がこの彼女の状況にあったら、
自分も小さな妹を全力で助けることを考え。
全力で生き抜くことを考え。
今の自分が出来る最善のことを全力で考え。

もし、
自分が彼女達を発見し、
彼女達を助ける救助隊の立場にあったら。
自分も全力で彼女達を助けられる人でなければと。
いかなる時もそんな人であれなければと。

いつも、
どんな時も、
その時の自分に出来る最善のことを
ちゃんと出来る人にならなければと。

そんな自己確認こそが、
彼女を見た自分に出来ることではないのかと。
しっかりと心に刻むべきことではないのかと。
そうも思うのです。

「生きるって、どれほど大変なんだ......」

なんて、

少し弱気になってしまったりもしますが。

時にどうしようもない寂寥感と悲しみと、

絶望感に苛まれもしましすが。

でも、

やっぱり、

負けられません。

ね。

ええ。

負けられません。

人生って素晴らしいものなんだ、と。

そう思ってこの世を去れるように。

絶対に負けられません。

自然災害の惨事の中で、

全力で頑張っている人達の為にも、です。

こんな災害や戦争で、

理不尽に命を落としてしまっている人達のことを思えば、

です。

ええ。ええ。



安西せんせーーーい!(*ノ´O`*)ノ


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殺生石

2022-03-09 00:02:23 | 勇気
「殺生石(せっしょうせき)」とは、
栃木県、那須町の那須湯本温泉近くにある大石のことで。
火山性ガスが噴き出る荒涼とした山裾の一帯に、
沢山の石が転がっている中で
一際大きく目立つようにしてある石。
wikipediaさんの写真を転載しますが......



僕個人としては、
ずっと、

「この石には行かなくていい」

と、アチラ世界から言われ続けてきた場所なのですが......
石にはしめ縄が巻かれ、
「神石」として、
平安の昔から1000年以上の長きにわたり
人々に崇められてきました。
一帯の強い火山性ガスは生き物が近づくと
命の危険にさらされるということもあり、
この名前がついているようなのですが、しかし、
この石が人々に崇められてきたのには他にも理由があって。
それが昔から語り継がれてきた
「九尾の狐(きゅうびのきつね)」
の伝説。



==============================
平安時代に玉藻前(たまものまえ)という美しい女性がいて、
時の権力者であった鳥羽上皇の厚い寵愛を受けていました。
しかし、この女性は「九尾の狐」が化けた姿であり、
権力者の力を使って世を滅ぼそうとしていたのでした。
やがて、その真の姿を陰陽師の安倍泰成に見破られ。
追い立てられ。
東国に逃れた九尾の狐は、その後、
朝廷から派遣された武人
「上総介広常」「三浦介義純」「千葉介常胤」
らに追いつめられ、退治されてしまいました。
退治された九尾の狐は大きな石に姿を変え、
毒を発し始めました。
その毒は人々や生き物の命を奪い続けたので
人々から「殺生石」と呼ばれるようになり、
このままではよくないということで、
玄翁和尚(げんのうおしょう)によって
石は粉々に打ち砕かれました。
その時、砕かれた石のかけらは、
逃げる様にして全国に飛散しました。
==============================



この石が、先日、
真っ二つに割れた......と。
そんなニュースがネットを中心に駆け巡っていました。





「不吉だ」

そういう声も多いと聞きました。
特に、一部の霊能者系の方々などが

「とんでもないことが起きる、、、」
「凶兆だ、、、」

などと、昨今のコロナ禍や
世界情勢などに関連づけて発言しているそうです。
僕のところにも、
そんな情報を目にした方々から

「不安でたまりません、、、」

というようなメールが届いていたりもします。
この無茶苦茶な世情の中で無理もないことだと思いますが、
故に、
だからこそ、
ハッキリ書いておこうかと思います。



吉兆です。



吉兆以外のなにものでもありません。



世の中は必ず良くなっていきます。



2年はかかるかもしれませんが。



2年先も見据えた吉兆です。



皆で頑張りましょう。



凶兆と思われる方。
冷静に、
よくよく考えてみてください。
殺生石は和尚さんによって、
とどめ的に粉々に砕かれたのです。
その砕かれた石の中でも比較的大きな、
九尾の力が多く残っていたものを、なんとか、
九尾の霊に憑き動かされた人々が、
いつかの復活のために石の力を維持しようと、
1000年以上もの間、
しめ縄までかけて、
神と崇めてまで守ろうとしてきたのです。
いえ、
そうと分からず守らされてきたのです。
封印のしめ縄ではないわけです。
その石が真っ二つに割れたのです。



終わりです。



九尾さん、終わりです。



守ってきた人も終わりです。



各地に飛び散ったという石の力が入っていた人も終わりです。



九尾の力を宿し、



意識的、無意識的にかかわらず、



その力を運の如く使っていた方々も終わりです。



これから聞こえるのは九尾の断末魔です。



九尾の狐は元々は海外から来たものですし。



そして、



何故2年?などというのか?



ここで、今一度、
2年前の記事をよくよく読んでいただけたら......と。
いつもの如くさらっとな感じですが、
とても大事なことを書いたつもりです。

うしおととら

———————国の一つぐらい簡単に滅ぼしてしまいそうな、
圧倒的な悪意に満ちた目。
「白面のもの」と呼ばれる、その存在の巨大さと力感。
そんな巨悪の前で凛として端座する一人の女性。
武器など何ひとつ持たず、
ただひたすらに悪意の権化と向き合う......後ろ......姿。
その姿は、
無力感に襲われるほど圧倒的に巨大なモノに対して絶望的に小さく。
しかし、なぜか?どこか?
その小さな女性の方が強いという感覚もあって————————

そうも書いています。
こんな写真も載せています。



この記事は、
ちょうどコロナ禍が始まった時に書かれたものでもあります。
決死の四国旅を決意した頃に書いたものでもあります。
今、また、コロナ禍も終息していない中、
ロシアのウクライナ侵攻という惨事が起こってしまっていますが、
そんな中で、
巨悪とも言える九尾の狐が討たれた後も、尚、残り、
なんとか自らの力と息を繋ごうと人々を動かし、
守らせ続けて来た石が割れてしまったわけです。
わずかに残ったものも壊れてしまったわけです。



断末魔です。



僕は上の記事を書いた頃、
忘れもしない2020年2月10日。
天空にはっきりと、
生まれて初めて巨大な麒麟(キリン)の姿を見ました。
写真もあります。
この時から2年間、
スマホの待ち受け画像♡にしていたりもしますし。。(●´ω`●)
実は、いかなる人間でも全く相手にならない、
圧倒的な力を持つ九尾の狐を倒せる唯一の存在が麒麟なのです。
その麒麟さんは、九尾のことを

「2年前に倒した。食べた」

と言っています。
どうも、
アチラの世界の出来事がコチラ世界に反映されるまでは、
ある程度の時間、ラグ、があるようなのです。
それが2年ほどの時間でしょうか。
ちなみに、事実としては、
殺生石はもうかなり前から割れていて。
かろうじてワイヤーでつなぎ止めていたのだそうです。
いつからか?かわかりませんが、
おそらくは、
大きな亀裂は2年ほど前から入っていたはずです。
とっくに割れていたのです。
それを、なんとか誤魔化して来ていたわけです。
地元としては観光のためもあり、
その様な判断をしていたのだと思いますが、
九尾の狐さんも必死だったわけです。
上にあるキャプチャー記事のポイントは、
その文中に出てくる人の名前にあります。
石を守ってきた役所の観光課の方も、
観光協会の担当者さんもまったく同じ名前です。

何故でしょうか。

偶然?でしょうか。

しかし、

この名前(苗字)には意味があるのです。

さらに言えば、
しめ縄やワイヤーが切れて石が割れ落ちたのは3月2日だと、
僕は感じています。

ロシアのプーチンは核兵器をチラつかせ、
恐怖をタテに世界や自国民を脅し揺動します。
支配します。
殺生石が割れたことを凶兆と言うソッチ系や
レーノー系の人がいるのだとしたら、
それも同じではないでしょうか。
そういう人は、冷静に見れば、
「常にそのやり方をしている」
はずです。
地震、火山、台風、戦争......来るぞ、来るぞ、来るぞ......
それはプーチンと同じ手法で、そして、
九尾の霊が入っているのかも?しれません。
だから強力な運的な力も持っているかと思いますし、
ある程度、様々な物事を言い当てることもできるでしょう。
そういう力があるのも事実だと思います。
しかし、正誤で言えば「誤」です。
プーチンの戦争判断が未来永劫「誤り」であるのと同じことです。

そして、
ここで大切に思えることは、
一方の情報からだけで物事を判断しないことであるかとも思います。
ロシアのウクライナ侵攻にしても、
NATO側......日本も.......からだけの情報や報道だけを見て
考えることも危険だと思いますし。
こんな世情だからこそ徹底的に俯瞰して見て、
世を捉えるべきかと。
例えば、鹿児島県や北海道が
中国の後押しで日本から独立していたら......などと考えると、
ロシアの気持ちもわからなくはないかもしれません。
ただ、何よりも最悪なのは、
そんなことを解決する為に戦争という手段を選んだことであって。
それが許し難く、前時代的な考えなのだと思います。
しかし、
一つだけ、
今回のことでよく分かったことは、
コレだけ多くの国や人々が、
もはや戦争というものを卒業していて、
国家間の問題解決手段には入れていないということです。
それが今回、世界規模でわかった、
感じられている、
ということに関しては光だとは思うのです。
ロシア国民に直接届くインターネットの力も信じたいですし、
ネット時代故の紛争解決力にも期待したい。
1日も早くウクライナの人々が
祖国を取り戻せることを願ってやみません。
僕らは、
素晴らしき、
新しい世界を創らなければいけないのだと思うのです。
たとえ世に凶兆などが出ていたとしても、
僕らは絶対に負けられないのです。


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大祓

2020-06-19 00:01:11 | 勇気
「いやー、、、今、あちこちを旅してまちて。
プラプラと。ええ。
なので、身なりはこんな感じで。ズタボロで。
ちょっとホームレス!?な雰囲気もあるんすけど、
ほんとーわ!
けっこーいいヤツなんですの。アチキ。ええ。
働き盛りで。体も強いし。ええ。ええ。
なので、一晩だけでいいのでこちらに泊めてもらえませんかね?
長旅で、かなりヘロッちゃってるんす。なう。
なんとか。一晩だけでも。
この辺ではあなた様のお家が一番大きくて、
お金持ちさんだとも聞いていますので、どーか、
なんとか、お願いしたく......」



と、その旅人は、
そのエリアで一番裕福そうな家の男に一夜の宿のお願いをしました。
————————この国の、むかーし、むかしの物語。
そして、宿のお願いをされたその家の男は......



「いや!なに言ってんのさ!
うちはビンボーなんだよ!ムリムリ!そんなの。
他をあたってくれ!」



と、嘘をつき、旅人の願いを断ります。



「こまったなぁ......嘘までつかれちゃったわぁ......あ!?
アソコの小さな家はどうかな!?
この辺で一番貧しそうな感じもするけど......
泊めてくれるかなぁ......どーかなぁ......」



と、今度は、その貧しそうな家の主人に相談してみると、



「どうぞどうぞ(^^)
うちは小さくて、汚くて、何のおもてなしも出来ませんが......
ゆっくりしていってください。
粟(あわ)しかありませんが、これでよければ食べてお休みください」

「ええ!?マジっすか!
ありがたいっすぅぅぅぅーーーーっ!
助かったっすぅぅーーっ!」



翌日。
その旅人は、心を込めて尽くしてくれた貧しい家の主人に、
お礼のシルシに、と、不思議な「珠(タマ)」を渡します。



「いやー、、、食事まで頂いちゃって。
本当にありがとうございます。
コレ、かなりイケてるタマなんすけど、
お礼として受け取ってくださいまし......
このタマを持っているとお金持ちになっちゃったりするんす。
ええ。ええ。マジっす。
心優しい人にしかその力は発揮されないんすけど。
ソコ、ポイントで。
でも、あなた様なら大丈夫。是非とも。ええ。
あ!!!
あと!
これから、この辺り一帯にとんでもねー疫病が流行るっす。
予言しちゃうっす。
なので、茅(かや)を輪にして、家の戸口に飾っとくと良いっす。
その茅の輪(ちのわ)のある家だけは疫病にかからないっす。
是非とも!そうしておくんなさいまし。
そんな感じで!
とにかく!
色々とありがとうございました!
また旅の帰りにでも寄ってみるっすーぅ♪
今度は8人の子供も連れてくるっすー(^^)」



その後、その旅人が言った通り、
その辺り一帯にはひどい疫病(えきびょう)が流行り、
多くの人が亡くなってしまいました。
しかし、旅人にもてなしをしたその男の家族や、男が事情を話し、
男の言うとおりに家の戸口に「茅の輪(ちのわ)」を
飾っていた人々だけは助かりました。
しかも、その後、その男はアレよアレよと豊かな暮らしが出来るようになり。
子々孫々まで栄えることが出来ました。

そんな、
心やさしき幸運の男の名は「蘇民将来(そみんしょうらい)」

旅人を追い返し、
不幸になってしまったという男の名は「巨旦将来(こたんしょうらい)」
実は、蘇民将来の兄。

そして、一夜の宿を頼んだ旅人とは「武塔神(むとうしん)」
別名、牛頭天王(ごすてんのう)。スサノオノミコト。須佐男。素戔嗚......
この国を最初にまとめあげた偉大なる大王。神。



毎年、6月30日に全国の神社の境内などに設置される
「茅の輪(ちのわ)」
上の写真は、京都の貴船神社さんのものですが、
その茅の輪には上記した様な民間伝承があります。
伝承の元は備後国風土記(びんごのくにふどき)のようなのですが、
日本神道では、

「大祓(おおはらえ、おおはらい)」

と呼ばれる儀式の1つとなってもいて、
天下万民の罪穢(つみけがれ)を祓う(はらう)
という意味で行われるもののようです。
エリアによっては、伝承を元に、軒先に「蘇民将来」と書いた
木札と茅(かや)飾りをつけるような所もありますが、
それも上に記した様な伝承に基づいています。
伝承は土地土地によって色々なバリエーションもあるようで、
茅の輪でなく、茅の芽だとか、菖蒲の葉だとか。
茅の輪の話でなく、珠(タマ、玉)の話であったり。その両方だったり。
旅人は再び蘇民将来の家に立ち寄った......なんて話だったり。
疫病でなく、旅人が悪い人達を皆殺しにした.......なんて話だったり。
まぁ、色々の様です。
なので、最初に記したお話は、勿論!
最大公約数的なアレンジを効かせたモノとなりますので、
イイ加減な文体も含めて、そこだけはお許しをいただき。
ポイントとしては話の「筋」や「本質」の部分でしょうか。
興味の湧いた!?方は、
様々な文献や伝承を当たってみても面白いかも?しれません(^^)

コロナウイルスに関しては各所で「アマビエ(あまびヱ)」
なる妖怪の話が持ち上がっていたりもしますが、
この国における疫病の神とは、本来、スサノオさんです。
トップです。
アマビエさんもひれ伏します!?遣われてます!?
以前、記した「観察者効果」という記事にあるように、
コロナに関しては、神々は最初、静観の様子でした。
が、その後はスサノオさんを中心に、
沢山の神々が強く動いてくれたような感じでして......
この国のウイルス被害を最小限に食い止めてくれている様に感じます。

となると。

6月30日。

大祓(おおはらい)の日というのがコロナ禍の転換点ではないかと。

この辺のフィールドにめっぽう強い、
スーパー神職の「Mさん」もそう申しておりますし。

「普通の年はともかく、今年は茅の輪くぐっといたほうがいいですよー。
ウチの神社特製の茅の輪も送っちゃいますので、待っててくださーい。
今年は家にも掛とくとよいかとー(^^)」

とか、言われちゃったり。
是非!送ってくださいませぇーーーー、と。ええ。



「21日の夏至(げし)が転換点です。
今年は部分日食も重なりますし。
夏至に日食が重なるのは372年ぶりなので......」



なんて。そんなことも一部サイバーズの間で飛び交っている?
という話も聞くのですが......
うーーーーーんんんん......
それって、毎年、普通に転換点だと思われます......が......ね。
大自然の。
本来の、太陽と地球の正しき暦(こよみ)ですし。
なので、
特殊案件のコロナ禍とは直接の関係は無いであろうとも推察され。
もし、この国の神様が動いてくれていたのだとしたら......
やはり、大祓(おおはらえ)だろうなぁ.......と。
夏越の祓(なごしのはらい)。
蘇民将来。
聖書における過越祭(すぎこしさい)。
祇園祭(ぎおんまつり)。
的な。
ええ。
夏至の日食は露払い。
なので僕さん。
6月30日には、ハードな動きをしてくれていた、
スサノオさんを筆頭とする古代神の皆様への感謝を捧げてみようかと。
近くの神社で茅の輪をシッカリとくぐっておこうかと。
個人的にはそんな感じなのです。
「茅の輪」の力もいただきつつ、6月の末までもう少し!
なんとか頑張りたく(^^)☆



八海山。
新潟のお酒なのですが、濁酒と共に、なぜか!?
スサノオさんはこのお酒がお好きの様でして。
大吟醸とか、純米吟醸とか、種類も沢山ありますが、ここぞ!守って!
......なんていう、危ないところに行く時とかは、結構、
スサノオさんを頼って持っていっちゃったりもします。はいー。(^^)


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桜のジャージ

2019-10-11 00:03:20 | 勇気
前回のラグビー・ワールドカップの時にも、この
HAKA
と言う記事を記していましたが、
あちき、けっこーラグビー好きなのです。
なんだかとても感動するのです。ラグビーって。
高校からの親友の1人に日本代表クラスの奴がいた......
というのもかなり影響してますけど。
そんなハードな奴と一緒にトレーニングを
していた時期とかもありまして。
そヤツから貰ったラグビーボールが長いこと、
いつも部屋の片隅にあったりもして。
それで僕さん、すごく思うのが......



ラグビーだけはできないっす。



ほんと。



スポーツは大好きだけど体も大事♡



っていう、とてもヤワなヤツなので。
ええ。
ラグビーだけは無理っす。
ええ。ええ。
マトモなカラダを捨てるような気持ちがないと無理っす。
プロレスや格闘技と同じ、とは言わないですけど、
命を危険にさらすような部分も濃厚にあるわけで......
だから、その親友のこともそうですけど、
ラグビーをやっている人は、それだけで超尊敬!
しちゃうのです。
オールブラックスの「HAKA(ハカ)」に感動してしまうのも、
大元には以前の記事に記した通りの気持ちがあるわけでして。
「憧れるスポーツ」ということでは、
僕にとってピカイチのモノであったりします。

TRANSIT 2」という少し前の記事にも書いていましたが、
海外にいた時、
今回のW杯での日本代表の活躍を賞賛してくる人が沢山いました。
居た場所がヨーロッパだったからだとも思いますが、
それにしてもなかなかの!?褒められ様で。
ラグビーが強い国というのは勇猛で果敢で、仲間を重んじ、
裏切ることもない、敬愛すべき国なのだと。
褒め言葉にはどこかそんな響きがあって。
日本人としてとても誇らしく思える感覚も味あわせてもらいました。

そんな感じで、最近はとても強いラグビー日本代表ですが、
ほんの数年前までは「世界最弱」と言われるくらい弱く。
長年、世界で最も低迷していたチームの一つでもあったのです。
それで一般人気もいまひとつ伸びなかった......ようで。
どれだけ弱かったか?というと、
ニュージーランドや南アフリカなどの
世界トップクラスのチームと試合をした時に100点差で負ける!
なんていうことが幾度かあって。
それで世界のメディアからそんな言われ方をしていたのでした。
僕の溺愛するサッカーにしても似た様なものでしたけど
それよりも、もっと酷いイメージ。

そんな日本代表の一般的イメージを劇的に変えたのが、
外から見ているかぎりでは、前回......
2015年W杯の初戦の南アフリカ戦......
からではないかと思えています。

ラストプレイでリスクの無い、
引き分け狙いのキックを選ぶか、
負けるリスクをとってでも格上相手に正面切ってスクラムを挑み、
逆転のトライを狙っていくか......
その時、キャプテンのリーチ・マイケルさんは、
コーチの判断とは違う、逆転トライを狙うプレイを決断。
そして、それが試合終了直前で見事に実現されます。
これまで100点差で負けていたような世界のトップチームを
劇的に破ったこの試合は、開催地の名を取って

「ブライトンの奇跡」

とも称され、世界を驚かせ、感動もさせました。
そのチームを作り上げたのがオーストラリア人のヘッドコーチ
「エディー・ジョーンズ(Eddie Jones)」さん。
今大会ではイングランド代表のコーチとして来日しています。
彼は2009年にコーチとして日本にやって来たのですが、最初、
日本のラグビーを見て不思議な違和感を感じたらしいのです。
その違和感とは、日本の選手は皆、従順で真面目。
そして、失敗を極端に恐れていて、
常に挑戦を躊躇してしまうという傾向。
それがなぜか?皆に共通してある......ということ。
そんな共通文化のようなものを持っているということ。
彼はその後、その要因を探っていったらしく。
探ったら、なんと、その要因の1つに、
アノ、ラグビードラマの名作、
「スクール☆ウォーズ」
があったのだそうです。
ドラマを見終わった後に彼が放った一言は有名で



「Just Stupid!(マジ、バカだな!)」



その後、
彼は日本ラグビー界に長く存在していた常識的なことを
片っ端から壊しにかかり、そのことを



「ジャパン・ウェイ」



と、表現していました。
アチコチから色々な本も出てますが、
僕さんが持っているのは「ハードワーク」というもので。



「DAZN(ダゾーン)」という、
ネットのスポーツ専門サブスク・チャンネルがあるのですけど。
そのチャンネルに
「ブライトンの奇跡」
というオリジナル映画があります。
正確には、映画というよりは、
地上波TVでよくある再現ドラマ的なものなのですが、
それが、エディーが日本代表コーチに就任し、
「世界最弱」と言われながら、前回のW杯で世界トップチームの
「南アフリカ」を破ってしまうまでを描いた......
という物語で。
世界中から「奇跡」と呼ばれ、
称賛もされた試合終了間際の逆転トライはこうして生まれたのだ、と。
そんな物語。
作品の中にはエディーさん本人や、
現在の代表でもキャプテンを務めるリーチ・マイケルさん、
五郎丸さん達のインタビュー映像も絡められていて。
事実を忠実に描いているドラマ。

実は、

これが結構、

胸に響くドラマで。

代表コーチに就任した当初から、その、
あまりに厳しい指導によって皆に嫌われまくっていた
エディーさんの言葉が、しかしながら、
イチイチ胸に響くのです。
最後に、それをいくつか記して、
今回の記事は仕舞いたく思いまする。
少々長くなってますが、これは個人的な備忘録でもあり、
自身への戒めでもあります。
関西電力みたいな組織問題に対する怒りでもあり、
これから先、時折、読み直すことがあるだろーな、と、
思いながら記してもいます。
おやすみなさひ。(^^)



===============================
2015年。9月19日。
W杯初戦。イギリス。ブライトン。
世界最強チームの一角、
南アフリカとの戦いを前にしたロッカールーム。
この後
「W杯史上最大の番狂わせ」
「スポーツの枠を超えた感動」
と言われる
「ブライトンの奇跡」
が起きます。



「——————145対17。
人々はいまだに君たちの事を笑う。
そんな過去を振り返っても何の役にも立たない。
彼らは君らに恥をかかせるつもりだ。
君らの家族もろともだ。
彼らは自分達が世界最強だと見せつけるつもりだ。
ココは君らには場違いなのだ、と。
今まで積み上げて来たトレーニング、プロセス、
全てのものが無に帰するかもしれない。

絶対に離されるな。

好きにさせるな。

全てを出し尽くせ。

ジャパン・ウェイだ」



さかのぼること数年前。
2011年。12月。エディが代表コーチに就任。
その直後のフランス戦で惨敗し、
リーチ・マイケル選手が
「フランスが強すぎたんだ、、」
と言った時にエディーが話した言葉。



「フランスが強すぎたのではない。
我々の力が足りないのだ。
この意味は全然違う」



いまだ関係者に語り継がれる、その試合の記者会見。
外国人記者の質問に対し、
少しハニカムような笑顔で答えようとした
当時のチームキャプテン廣瀬俊朗に対し、
その場で放った言葉。



「笑い事じゃない。
これこそが日本の問題なんだ。
勝つことに真剣になれない。ちがうか?
世界に離されたままでいいのか?
中途半端な努力で満足している人間にはウンザリだ」



ラグビー協会での側近スタッフとの会話。



「彼らは負けに慣れすぎている。
ダメなのはその精神だ。受け入れがたい。
やり方を変えなければ結果は出ない。
自分はこの協会の連中と同じ穴のムジナにはならない。
この協会のマネージメントでは勝てない。
おまえは考え方を変えろ。
良い選手は揃っている。
しかし、
負けに慣れすぎた奴らがどいうやって成長できる?」



フィジー代表に惨敗した後、日本に戻り、
協会スタッフとしていた会話。



「渋滞で、ふと周りを見ると、
皆、不機嫌そうな顔をしている。
朝起きて、渋滞と、満員電車。
なぜ皆、好きでもない仕事をする?」



新キャプテンに指名した
リーチ・マイケルを呼び出して話した言葉。



「この国はまるで巨大な学校だ。
皆、同じ考えを持たなければいけない。
同じテストを受けて、皆、行儀よくして......
責任とは誰かに与えられるものではない。
自ら負うものだ。
家族への責任。自分自身への責任。
周りを気にしすぎて、どうやって?
責任を果たすんだ?」



リーチマイケルをキャプテンに指名し、彼が
「チームを大切に考えている」
と言ったことに対して。



「君をキャプテンにしたのは、
チームを勝利に導くことができるからだ」



練習中のリーチマイケルに対して。



「お前は日本に長く居過ぎた。
自分を殺して、そこら中で頭を下げて、
ありがとねー、、とかなんとか。
お前は日本人じゃない」



ラグビー協会のマネージャーがエディーに
「あなたは皆に嫌われている、、」
とサジェスチョンに来た時に返した言葉。



「前の監督は好かれていたか?」

「とても」

「前のワールドカップで日本は何勝できた?」

「ゼロです」

「これはソーシャルメディアではない。
好き嫌いなどどうでもいい。
必要なのは結果だ。
嫌ならココまでだ。どうする?」

「おっしゃってる意味がわかりませんが、、、」

「ここで辞めていいという意味だ。どうする?」

「やめません」

「他には?何かあるか?」



映画の中のインタビューカットでエディーが話していたこと。



「ただの準備と、勝つための準備とは違う。
コントロールできることにフォーカスし、徹底的に追求し、
それ以外は気にしない。
そして、コントロールできるのは唯一、自分自身だけだ。
私のやり方が気に入らないのであれば、
私のもとにいる必要はない」



W杯の前。
エディーが突然の脳梗塞で倒れた時。
医師が止めるほどの尋常でないメニューのリハビリを
やり遂げていくエディーの姿に感服した主治医が、
「エディー、僕はあなたにとても興味がある。
どんな人に影響を受けたましたか?」
という質問を投げかけた。
その問いに対するエディの答え。



「両親だ」

「理由をきいてもいいですか?」

「私の母はカリフォルニア生まれの日系人。
真珠湾攻撃の後、
彼女はアメリカで収容所に強制的に入れられた。
だが、母の口からは一度も、
誰の悪口も聞いたことがない」

「お父様は?」

「妻がアジア人というだけで、周りから虐げられた。
ベトナム戦争にも行って、
帰ったらまた、周りから虐げられた。
父の口からも、誰の悪口も聞いたことはない」



入院しているエディーに、
オーストラリアの父から届いた手紙。



「Dear. エディー。
君の体調に関しては書かない。
十分気をつけているだろうから。
今回の入院で、別の道を選ぶことも考えたろう。
誰かがそれを勧めたかもしれないが。
しかし、専門家など、何もわかってはいない。
人は、影でどれくらいの事をやるかだ。
多くの人は諦める。
手の届くところにまで来ていたかもしれないのに。
宝を見つけるためには、
困難という泥をかき分けて進まなければいけない。
信念だ。エディー。
信念こそ、力をもたらしてくれる。
泥を洗い流し、光をもたらしてくれる。
力強く。ゆっくり。ユックリとだ。
私は何度も除隊を考えたが、そうしなかった。
そのお陰でお前のお母さんと出会えたんだ」



病気完治後の代表コーチ復帰会見で、
記者からの質問に答えるエディー。



「よくお戻りになりました。
まずは、なぜ?リーチマイケルをキャプテンに?」

「彼は自分というものをしっかり持っている。
いつも正しい決断ができる」

「日本は異国フレーバーに溢れてますね。
キャプテンまで外国人だ」

「何が言いたい?」

「外国人が多すぎないか?」

「他の国より少ない」

「それは間違いだ」

「君は口よりも目を開いてよく見ろ。
サモアやトンガにはもっと外国人がいる。
フランスは10人。
オーストラリアには9人。
キャプテンはサウジアラビア生まれだ。
君は自分の価値観でしかものを見ていない。
......皆、首を傾げているようだが、
リーチマイケルの肌は黒い。
しかし、彼が日本のキャプテンだ。
肌が紫だろうが関係ない。
君は好きに書けばいい。
君の記事など15人程度しか読まないだろうからね」



リーチ・マイケルのインタビュー。



「エディーと一緒にいると必ず口撃を受けます。何千回と。
でも、仲間には惜しみない愛情を注ぐ人です。
エディーの元にいた人は、必ずレベルが上がってます。
エディーは全てを別次元にまで引き上げてしまう。
エディーに会って、初めて、
本当のハードワークというものを味わいました」



2015年のW杯直前。
地獄と言われた150日合宿を始める時の言葉。



「ワールドカップ、南アフリカ戦まで一年を切った。
敢えて言う。
君らの人生で、歴史を作るチャンスは何回あった?
我々は南アフリカを破って、歴史を創る。

(この話をした時、部屋の外の廊下から記者の笑い声が......)

この話を人々は冗談かと思ってるだろう。
笑い声が聞こえただろ?
笑い者にされた気分はどんな感じだ?
このメンバーの中には津波で大切なものを失った人もいる。
障害を持つ子供を持っている人もいる。

それでも人は笑う。

家族を守るために必死に頑張る君らを、人は笑う。

君らのトレーニング、君らの全力はまだ足りない。
全力のつもりで、言われたことだけやって、
終わったらすぐ帰りたがる。
君らのベストはその程度か?

ロジャー・バニスター。

ランナーだ。
当時、1マイルを4分切るのは不可能だと言われていた。
しかし彼は公言した。
必ず4分をきってみせると。
場所と日にちまで指定した。
当日は雨と嵐。
しかし彼は分かっていた。
歴史を作るのに必要なのは、あと、
たった0.5%の力の向上なだけだと。
記録は3分59秒。
翌月には別の選手が4分を切った。
その翌年には3人。

そうだ。専門家など、何もわかっていない。

それは良いことだ。

皆口を揃えて日本は勝てないと言っているからな。

奴らを狩りに行く。

向こうは気づいていない。

我々は徹底的に相手のスキを突く。

小さな体こそ、我々の武器だ。

奴らには適応力がない。ワンパターンだ。

我々はどんな状況にも適応できる。

雨、風、乾燥。何の問題もない。

誰も我々が勝つと思っていない。
誰もバニスターが成功すると思っていなかった。
しかし、彼はやった。

そうだ!専門家に何がわかる。

バニスターは日にちと場所を指定した。

我々は9月19日。場所はイギリスのブライトンだ。

我々はそこで勝つ。

いくぞ!」
===============================



「ブライトンの奇跡」
日本ラグビー史が変わった日の動画。
スタジアム全体を味方につけ、
世界のラグビーファンを釘付けにした試合。
今大会も強さをみせるラグビー日本代表の歩みは、
この時から続いているのですね。(^^)


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ふーむ。。

2019-07-03 00:25:02 | 勇気
「サブスクリプション(subscription)」

略して、

「サブスク」

本来は「定期購読」とか「予約代金」といった意味のようなのですが、
かなり前から、もう完全に「定額制サービス」
という意味に転化しているような感じを受けます。
いわゆる「動画見放題サービス」とか「音楽聴き放題サービス」とか。
「いつでもレンタカーサービス」とか「服の借り放題サービス」とか。
今や、ありとあらゆる定額制サービスが
百花繚乱の様相を呈してきています。
そんな時代の最中、

「やっぱりか......」

というハガキが、ポツリ......と、
自宅のポストに舞い込んできました。



近所の大きなレンタルビデオ店の
TSUTAYA(ツタヤ)さんが閉店するのだそうです。
そのお知らせのハガキ。
既に数年前から沢山の店舗が閉店に追い込まれている
レンタルビデオ業界なのですが、イザ、自分の住む街の、
メインの大きなレンタル店が閉まってしまうという事態を迎えると......
時代の変化への実感度や体感度が段違いに強くなったりもして。
少々複雑な気持ちが湧いて来たりもしますが、やはり、
あまりに便利でお得なネットワーク上の定額制動画サービスには
太刀打ち出来ないのだろうと思います。

そんな「サブスク動画サービス」は、
レンタルビデオ屋さんどころか、近頃はCSやBS、
さらには地上波TVの視聴シェアなどもドンドンと奪っていっている状況。
今やオリジナルのドラマや映画やバラエティーも沢山作られて来ていて、
テレビリモコンに専用ボタンを設けるのだ!
なんていう争奪戦も派手に繰り広げられていたりするようです。
リモコン上の限られた土地争い!となれば、
いわばソレは銀座の一等地の競り合いの様なものでもあって。

先日は、
僕の働いている会社のアジア支社のスタッフさん達が来日してくれて、
アジアにおけるビジネス展開のプレゼン会を開いてくれたのですが、
その時に

「もはや、中国の若者は地上波TVは見ていません。
ネットしか見ません。
今、地上波TVを見ているのは高齢者だけです」

と、キッパリ!と言い切っていました。
この部分に関しては、
国土の狭さと単一文化的島国国家であった故にCSやBS(衛星放送)、
ケーブルTVなどがTVメディアの中心になれなかったこの国にそのまま
当てはめられないことではありますが、現在の動向を見れば、
そんな日本も確実にその流れにあることは間違いありません。

こうなるともう、TVにしても、
その重要要素は受像機能というよりは
「モニター」の方にシフトしていくと思われ。
ネットワークとつながれる環境さえあれば、
TVに必要なものは高精度な映像投射力と、
あらゆるデバイスやコンテンツを簡単に繋げたり、
切り替えることが出来るターミナル的な構造や機能の充実となるのでしょうか。
もしかしたら、この先は、
その端子すらも無線化が進み、全く無くなってしまうかもしれませんが.......

でもって、

2020年に待ち受けるのは、

第五世代の携帯電話通信規格。

「5G」

今の4Gですらストリーミング動画にそれほどストレスを感じないのに、
その数百倍のスピードでデータローミングが可能という通信規格となります。
通常のWiFi(ワイファイ)環境など軽く上回るスピードのデータ通信世界。
となれば、WiFi(ワイファイ)など確実に無くなってしまうとも思われ。

それこそが!?

端子の無いテレビ。

日本の進化を阻害してる主要因の一つかもしれない、

昭和然とした地上波キーTV局文化が滅びる時。

そこにどっぷりと身を委ね、

真の思考を奪われてしまっている人々が目覚めて欲しい時。

おそらくは、

僕らの過ごす世界は、

この5Gから決定的に変わってしまうと思われます。

タイムラグの無い圧倒的な通信スピードは、

HDは勿論、4Kや8K映像すらスイスイ見れて。

身近なモノモノを全てネットワークに繋ぐことも出来て。

それは「IoT」ってやつでしょうか......

どーしよ。

ワラワラ......

アタフタ......

でも、

未来は、

きっと望ましいものになるのではないかと。

そう思います。

たとえおじーさんになっても、

ミニスカートの似合う......

イヤイヤ......

乗るべき波は捕まえておこうかと。

とりあえずは、

背伸びしてでも、

笑われても、

そう思いこんでおきます。



「5G」の「G」とは「世代」という意味の
「ジェネレーション(generation)」からとっているようでして。
5世代目の携帯電話、無線通信の規格という意味でしょうか。
これまでのモノは以下の様にまとめられているようで......

1G(電話が可能になった)
2G(メールも可能になった)
3G(静止画も通信可能になった。ガラケー時代)
4G(動画も通信可能になった。スマホ時代)
5G(◯◯◯も!可能になった!これからの時代)

ふーむ。。
TSUTAYAさんもたいへんだ。こりゃ。


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マグリット 2

2018-01-21 00:11:01 | 勇気
「マグリットに音はないのよ。。」



美術館の大きな絵の前で、彼女はそんなことを言っていた。
彼女に誘われるままついて行ったマグリットという画家の絵画展は、
絵画や美術などに全く縁のなかった僕にとっては、
なんだかとても新鮮で、不思議で、楽しい1日ともなった。
そして、その日以来、彼女の存在は、
始めて見たマグリットの絵とともに、
僕の中でとても気になるものになっていった。








僕と彼女とは、
それなりの大きさの広告代理店で共に働いている同僚だ。
エース・デザイナーとして会社のクリエイティブ部門の
屋台骨を支えている彼女は、
営業職の僕からしたら憧れの存在でもあった。
自分とはちょっと違う世界にいる人なのだろうな......と、
そんなふうに思う人だった。

長い黒髪が似合うスタイルの良い彼女は、いつも凛としていて、
程良い高さのヒールで背筋をピンと伸ばし、颯爽と歩く。
社内でもとても目立っていて、でも、普段はとても無口で。
それでなのか、
ちょっと何を考えているのか分からないようなミステリアスな雰囲気もある。
人を気安く寄せ付けない感じだ。
僕の様に何の取り柄もなく、
いつもクライアントと飲み屋でひたすら無駄話をする様な人間からしたら、
そんなところも憧れだったりもする。

でも、そんな彼女が美術館でマグリットの絵に関して楽しそうに、
子供の様に饒舌に話す姿を見たら、
彼女に親しみの様な感情も湧いてきて、
やっぱりデザインの仕事がとても好きなんだろうなぁ、とも感じたけれど、
何より、その日以来、
僕は彼女の姿をよく目で追うようになってしまった。
何かあると話しかけてみたり、
仕事の悩みの相談に乗ってもらうようなことも増えた。
彼女は彼女でそんな僕を特段迷惑がらずに、
程よい距離感と好意で接してくれていた。



......と、僕は勝手に思っている。



「......あのね、告白するとね、君を見ていると、僕は、
自分にとても自信がなくなってきちゃったりするんだよね......」



その日、僕は、仕事終わりの彼女を誘って、
オフィス近くの広くて居心地のよいカフェ・レストランに入った。
頼んだ生ビールの酔いも手伝ってなのか、
気がつくと僕は彼女にヒドイ愚痴をこぼしていた。



「ふーん。。なんで、また。そんな。
おかしいね。君」

「いや、本当なんだ。
今さ、結構仕事に悩んでいてさ。
この前君と行った美術館以来、かなり深刻に考える様になっちゃって。
自分の事。
だって、君はさ、
あの時とても楽しそうにマグリットの絵を見ていたじゃない。
仕事もそんな延長上にあって、天職みたいに好きなこと出来てるじゃん?
でも俺ってさ、新卒でなんとなく入社して、
それから毎日同じようなこと繰り返しいるみたいでさ。
それでも最初は、自分には営業が合うな、、、とか思ってんだけどね。
自分でも。
でもなんか、最近それも違うように思えて来ちゃって。
ちょっと自分の事が分からなくなっているというか、何というか。
自分のしたいことってこれだったのかな?みたいな。
そんな自問自答をする事も多くなってね」

「ふーん。。」

「うん。でさ、この前も長い休み取って旅行とか行ったりなんかしてさ。
でも、なんだかね、何も変わらないと言うか。見つからないと言うか。
自分の道とかやりたい事とかが。
煮詰まってると言うか、なんと言うか......」

「で?」

「?」

「で?」

「えっ!?あ、ああ。。それ!でね、
また、近くどこか南の島にでも行ってみようかな!?ってね。
そんな事考えていてさ。また少し休みたいってのもあるけど......」

「ふん。。」

「どう思う?俺、なんか自分を見失ってる様な?
感覚もあるんだよね。今。。」

「.......そう。
それで、南の島にいったらその見失った自分てやつは見つかるわけ?」

「ん......ん、んん。。わからないな。行ってみないと。
でも、ちょっと普段の環境とは離れて考えてみたいんだ」



小洒落た広い店内の片隅にある丸い木製テーブルの対面に座っていた彼女は、
その時、僕の斜め右後ろの遠くの方を、
どこか焦点の合わない様な目で見つめながらコーヒーをひとくち口に含んだ。
そして、その後、キリッとした鋭い目になって、
その目線を遠くの何かから僕の顔の方に向けてきた。
僕はちょっとドキッとしながら彼女の鋭い目を見つめ返した。
何だか、とても大事な事を言われそうな、そんな気がしていた。



「あのさ、君ね、、、」



彼女は僕の目を覗き込みながら、
テーブルの上のティースプーンを右手で摘み上げ、
持ち柄の先の方でトントン......と、
木製テーブルの上を軽くノックしながら、
ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
どことなく、あの時の彼女.......
マグリットの絵の前で色んなことを語りだした彼女の姿とダブって見えて来た。



「君さ、よくいるのよ。そういう人って。」

「そういう人?って?」

「そういう人。どこか、遠くに。
海外とか、そういうところに自分を探しに行ってね。
それで、結局見つからない人」

「.......」

「そういう人ってね、きっと、ずーーーーーっと、自分を探してるのよ」

「......」

「もちろん、よ。もちろん。
それで何かを見つけられる人もいるかとは思うけど。
でも、多くの場合、そんな旅?とか旅行とか?って、
自分をリセットしたり、客観的に何かを見つめ直したり、とか。
色んなアイデアのインスピレーションの為に、とか。
それで十分。そういう部分が本当のとこなんじゃないの?って。
私はそう思ってるわけ」

「.......」

「自分を見つけよう!なんて時はね、だから、私の場合は、
旅でやることなんかじゃ無いんじゃないの?
なんて思ってたりもするわけ。どう?」

「........」

「失った?自分を?見つけられる人もいるかもしれない。
でも、もし、よ。君が今回も旅に出て、それでも同じ状況だったら、
ソレはもう、旅で探すようなモノではないんじゃないの?って。
そう思うけど。
もう何度もそんなことをして、それでも見つからないワケじゃない?
自分だか何だか分からないけど、探しものが、見つからない。
じゃ、その時は、よ。
その時は探して見つかるものじゃないモノを探してるってことかもしれなくない?
そもそも探す様なものではない物を探しているって可能性があるとは思わない?
その時は、だけど」

「探すものじゃないもの......」

「そうよ。
そういうものを探してる人って、よくいるのよ。私から見ると」

「でもさ、それは君が好きなコトがちゃんとハッキリしていて、
そう言う目標みたいな物がしっかりわかっているからでさ、
俺みたいな普通の、なんの取り柄もなくて、
営業しかできない様な人ってさ、そこが無いわけだよ。
だから難しいんだよ。
タマに君の様な人が羨ましくなったりもするんだ」

「あのね。君さ。ひとつ確実に間違ってるコトあるよ」

「何が?」

「私が最初からデザインの仕事が好きだったと思ってるの?
私が最初から自分の好きな事がわかっていたなんて言うわけ?」

「そうは言い切らないけど、、、
でも、子供の頃から絵とかデザインとか?
興味あったわけじゃ無いの?そう言ってたじゃん。この前。
違うの?」

「違うわよ。何言ってるの。
勝手に決めつけないでよ。
バカじゃない?あなた。
もちろんそんな人も居るとは思うけど、私は違うわよ。
子供の頃から絵を描くことは好きだったけど、
そんな話はしたかもしれないけど、
それはその辺の皆んなと同じ様なレベルよ。上手くもないし。
別にそれを仕事にしようなんてことでもなかったし。
いつも散々悩んで考えて、自分の天職ってなんだろうとか、
本当に好きな事ってなんだろう?とか。
そんな、
アナタが「普通」って言う様な人達と同じような事は考えてきたわよ。
失礼ね。
私は普通よ」

「.......ご、ごめん。。」

「あのね、私が言いたいのは、
探しても見つからないモノとか、そんな時っていうのは探しても無駄なわけ。
ある程度探して見つからないなら、見つけるの辞めたら?って。
そういう事。
でね、そういう時は決めるのよ。決めつけるの。それでイイのよ。
自分で自分を決めつけるの。一旦。
それも解決方なのよ。立派な。
私はある時、デザイナーになるって、そう強く決めたの。
ただそれだけ。
探し当てたわけじゃないの。決意しただけ。
そういう話」

「.......決める...」

「色々な解釈があると思うわよ。
覚悟っていう事かもしれないし。この場合の決めるって。
でも、そんな重いものでなくても別にいいし。
とにかく、世界だか日本だか、
アチコチ飛び回って見つからないものなら探さなくていいのよ。
その時は決めればいいだけなのよ。
わたしはこの道で行こう!って。それだけのことじゃない。
それで、その決めた道を歩いていくうちにまた......もしかしたら、
そこから初めて君の言う?その探しもの?
みたいなモノが見つかるかもしれないし。
そういうことでもいいんじゃない?
私から見ると君の状態はそんな感じがするけど。
むしろ何かを決め切れない原因のほうが気になるわよ。
それを “自分を見失ってます.......” みたいに言ってるけど。
問題はその何かを決めきれない要因とか弱さ?意思の薄さ?無さ?
流れ通りに無理せず生きよう!なんて思ってたりしてないの?
うまく、普通に生きていければいいや、的な?
気持ちとかでもあるわけ?
自分をうまいこと慰めている様な、ね、
そんなニュアンスを君から感じちゃう方が気になるのよね。
嫌な話に聴こえていたらホント、申し訳ないんだけど」

「.......」

「あら?ちょっと言い過ぎたかな?わたし?
やめようか。もう。こんな話し。
ま、私の事を決めつけて誤解している所がね、
ちょっとイラっとしちゃったの。
変なコト言っちゃったかもしれないけど。
そこはごめんなさいね。謝るわ。
迂闊なこと言う人いるものね。
本当の自分を生きなさい!みたいな。
それがわからないから悩んでるって人にまでそういうこと言っちゃって。
まるでそれが世界や宇宙の真理?みたいな言い方してたりね。
私もね、周りからはどう見られているかはわからないけど、
別に自分の好きなことととか、天職とか、
そんな分かりやすくやってきたワケではないのよ。
いつも迷って、考えて、分からないから、
決めるとこは強い気持ちでもって決めたりね。
時には自分を騙すようなことまでして。
そうやって今の仕事してきたの。
それは同じよ。君と。間違わないで。ソコ。お願い。
そもそも、私なんか営業なんて器用な仕事できないもの。
こんなこと言っちゃう人間だしね。
すごじゃない。君は。ソコ。私そう思うわ」



この時、お店の中で響いていたあらゆる音が.......
小さな音量で鳴る店内のBGM、
客同士の話し声やスマホの音、皿とフォークがあたる音。
グラスを回る氷の音......
そんな、僕に聴こえていた全ての音が消えてしまった。
そして、彼女と見たマグリットの絵が脳裏に浮かんできて......
やっぱり、マグリットに音はなかった。



オフィスでは日々、色々な話を、色々な人とします。

何かと悩んでいるスタッフさんも沢山いますし、

皮肉にも、
何かに懸命であればあるほど
悩みというものは大きくなったりもして。

自分を安全地帯に置いて、そんな人達を責める事しかしないような人もいて。

時折、世界には「音」が多過ぎるようにも思います。

時折、音を完全に消したくもなります。

そんな世界で自分や誰かを、何かを、

ジッと見つめてみたく思う時もあります。

しかしそれは、きっと、全て、何かを「決めるため」の様にも、

そんなふうに思う時もあります(^^)



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Beauty

2014-10-01 00:14:37 | 勇気
「これ良いよ。とても。。」

と友人からfacebookで回ってきた動画が確かになかなか良かったのです。
ソーシャル・ラウンドを意識したこの手のモノは、
最近色々なモノが回って来たりしますが......
コレは何というか......
そういうものとは少しだけ違う香りをまとっていたというか。
内容もそうですが、
目の付け所やアイデアそのものに感心してしまったというか。
ジェラシーすら湧いてしまったというか。
2分そこそこのシンプルぷりりん!の動画ですが
深海のような深さがありました。
「How The Blind See Beauty」
なんだか良かったのですっ!(=゜ω゜)ノ



内容は目の見えない完全盲目の4人の大人に
「たった一つの質問をする」
というだけ。
その答えを普通に収録してるだけの動画。
そのたった一つの質問というのが......



「あなたにとって “美しい” とはどういうことですか?」



良かったのですっ!(=゜ω゜)ノ



勿論、ソーシャルものですし、
既に沢山の人が知っているとは思いますが、ナントナク......
「自戒」と「備忘録」の意味でココにも残しておきたくなった次第です。



サングラスをした黒人男性の方はこんなふうに答えてました—————

—————Beauty for me is ......calm, Beauty for me is peace.

「僕にとって “美しい” とは...... 穏やかなこと。平和なこと」



白人の女性の方は—————

—————To me, Beauty is character, personality, the way people carry theirself.
Basically, its just the way the person is...... you know,
and some people could be very pretty and beautiful inside just by the way they......
they carry theirselves or help or concern about my situation and stuff.

「私にとって “美しい” とは、人柄や、個性や、みんながする、それ自体のこと。
つまり、その「人となり」のこと。
みんなの内面の美しさや、チャーミングなとこが見えた時に感じたり......
私を気遣ってくれたり、助けてくれたりしてくれた時とか」

—————I have three babies.
uh......twelve and nine, and my daughter just turned 3,
and to me they are all beautiful.
and I don’t even know what they look like.
they are beautiful inside, they are me......you know, they are me......

「私には3人の子供がいるの。12歳と9歳と3歳になったばかりの娘。
私には皆美しいの。
子供達がどんな姿をしているのか私にはわからないけど、
私にはみんなの美しい内面が見えるの。
子供達は......そう......みんな私自身なの」



黒人の女性は—————

—————Going to the beach, and sitting by the shore, to me, is “Beauty”.
And just imagining what the ocean looked like right now,
and what the sky looked like, that’s Beauty for me.
At times, it could be overwhelming because when you blind,
your life just consists of nothing but feelings ?
Every day is a feeling.

「海岸へ行って、砂浜に座っているときが私にとっての “美しい” かな。
そのとき海はどんな感じなんだろう?
空はどんな風なんだろうって?
って想像したりすることが私にとって美しいということ。
時に ”生きる” とはあなたにとっても圧倒的に見えないものであって、
“感じること” なんじゃない?
毎日は感じることなんだと思うの。

—————I don’t really believe I need my eyes to enjoy beauty,
that’s beauty for me.

「 “美しい” を楽しむのに眼が必要だなんて本当に信じてないの。
それが私にとっての “美しい” ということ」



白人の男性は—————

—————I think “Beauty” is experience.
So, an experience, oh, I mean by that is, you know......
the smell of warm baked cookies, the the warm breeze against your skin,
and the feel of grass underneath your feet when you're......you know,
walkin’ in the front yard.

「 “美しい” とは体験のことだと思う。
例えばそれは、出来立てのクッキーの匂いや、
あたたかな風が肌を撫でていく時や、
庭を歩いた時に感じる足下の芝生の感触であったり」

—————I feel that losing my sight has been a blessing,
which means I don’t care what nationality somebody is,
I don’t care how tall somebody is,
I don’t care how big or small they are.
A person is beautiful because they are true to themselves.

「僕は目が見えないことは神の贈り物だと思っているんだ。
僕はその人がどの国の人かなんて気にしないし、
どのくらい背が高いとか、体が大きいとか小さいとか気にしない。
その人が自分自身に本当に素直であるということが美しいことなんだと思う

—————But it’s also people being and doing what is right, what is good,
and caring about each other.
Beauty is an experience of living and you know......
finding joy, I feel like joy is the most beautiful thing in the world.

「人々がお互いのことを思い合ったり、親切にしたり。
“美しい” とは生きてることを実感して、喜びを見つけたりして、
僕はそういうことがこの世界で最も美しいことだと感じる」



———————なんだか、受け答えをしている人達から
「深い豊かさ」みたいなものを感じたりして。
「美しい」と「幸せ」が近い言葉の様に思えてきたりして。
僕は幸運なことに目が見えるし、
視力に訴えかけて来る圧倒的な美」というものも否定は出来ないし。
だから、なんとなく、
「美しい」とは「生きることそのもの」のことなのかもしれない......と。
それが「一生懸命」であったりすると、それはもうピカピカに美しく。
この人達の答えを聞きながらそんなことを思ったりもして。

「目の見えない子供さん達などはどんな風に答えるのかなぁ?」

とも......思ってみたり。

それと......

毎日少しだけ......

目を閉じて「穏やか」に過ごす時間をつくってみようか......と(^_^)



北陸は石川県「金沢21世紀美術館」にある「タレルの部屋」
「ジェームズ・タレル=James Turrell」による
空と天井が同一面に見える不思議な空間。

大好き(*´ー`)

穏やかに時が流れる、何も無いのにとても豊かな空間。
誰でも自由に無料で入れます。
写真にはポツンと金沢の友人も佇んでます。( ̄▽ ̄)

毎日こんな場所でゆったりと目を閉じて。
少しの時間過ごしてみいなぁ......(●´3`)と。


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新価値創造

2014-08-06 02:54:48 | 勇気
誰もが知る大手製薬メーカーの管理職だったTさんは、
数年前に僕が働くエンターテイメント会社に転職して来ました。

エンターテイメントを基軸とする僕等の会社......業種は、
言ってみれば「水商売!?」の様なもので、
それも全国民、全世界に向けた大規模な水商売。
浮きも沈みも激しくて商品やコンテンツの入れ替わりも激しい。
確固たる経営基盤も有るようで、実は無くて。
流行りも廃りもつくり出すけれど、流行り廃りの影響も受けやすい。
投資家などからしたら最も慎重になってしまうような、
何かと判断が難しい業種。業態。
もう毎日、一分一秒が生き残りをかけた戦争。戦場。
イワユル「生き馬の目を抜く」ような世界。
ちょと言い過ぎ!?か。でも、遠からず。

大手製薬会社とは真反対の概念の中にある、
そんな業種世界に転職して来たTさん。
前職でのキャリアも長く、カナリの上役でもあったハズ。
それなりの安定した収入もあって、
二人の子供もいて家庭も含めて安心出来る環境だったはず。
「それなのになんで転職なぞをぉぉ?」
と、数人の親しい仲間で集まった昨夜の食事会で聞いてみると......



「昔タップダンスをしていたことがあったんですよ。
それでそんな世界にずっと興味と憧れがあったのと、、
あと、奥さんも理解してくれて、
後押しもしてくれたから......」



と。



「確かに前の会社で働いている時は生活も安定していて、
収入にも満足していて。
このままの環境でいる方が安心だ......
というのは誰よりも奥さんがそう思っていたんだけど、
それでも俺が転職の相談をした時には
“自分の思うことを自由にすればいいよ”
と言ってくれて。
それで踏ん切りもついて思いきって転職したんですよ。
明日死んでも後悔しない様に」



そんなTさんはウチの会社に来てからはカナリの苦労をしていました。
マッタク勝手の違う世界に有る程度の年齢で来たワケですから......
それは本当に大変だったと思います。



「新設の予備的なセクションに入ったもんだから
経費もマッタク認められなくて。
入社して最初の一年間は携帯電話代も出してもらえなかったんですよ」



僕は初めて聞く自分の会社の別セクションの実態にちょっと驚きながらも、
そのまま話しを聞きました。



「......それで、、それでも早く実績を出して、
皆に認めてもらおうとも思っていたから、
入社してからは人脈作りや営業やらで食事会や飲み会も沢山あって。
それで、経費を提出しても実績が無いから、、、
という理由で認めてもらえず突き返されるし、もう半分ヤケで。
プライドなんかもあったから
前の会社の退職金を全てそんな経費に回しちゃってたんです......
そんな生活を一年して、
で気がついたら退職金も貯金もあっという間に無くなっていて。
それでも上司からは
“実績が出ていないから経費は認められない”
と言われ続けていて......前はね、自分が可否を出す方だったのに......
セクション的に接待的なことが多かったので
先方にお金を出させるわけにもいかなかったんですよ。
しかも付き合いには重役、社長クラスが多かったし。
お店の値段が半端無いの。毎度。
2年目からはアクセサリーとか家財道具とか、
お金に換えられそうなものは皆お金に換えていたんです。
自分には仕事人としてのプライドもあったし。
それでなんとかお付き合いをしていたんですよ。アチコチと......」



「......そんなセクションだったの!?
信じられん......同じ会社で。。
俺知らなかった。
それさ、家とか!?大丈夫だったの?」



「奥さんはずっと何も言わないで付合ってくれてました。
今はドン底でキツい時だから......ごめんね。。と。
俺はそう言うしかなかったのですけど、
奥さんは何も言わずに製薬会社時代とはマッタク違うキツイ生活に
何の文句も言わず付合ってくれてました」



実はつい最近も彼は会社でかなり辛いことがあって、
それはハタから見るに彼が「悪い」というような事では決して無いのですが、
彼は会社を辞める、辞めない、、としばらく深く思い悩んでいました。
それでも「辞めない」という判断をしたのは、
これまでして来た色々な思いや我慢。仕事人としての誇り。
私的な貯金をハタイテ迄して築き上げてきた人脈と大きなプロジェクトも
最近やっと順調に進みだしたからでした。
「ここで辞めるわけにはいかない......」
と。そんなことがTさんに辞職を思いとどまらせた理由でした。
「苦労をかけた家族にもやっと恩返しが出来るハズだから......」
と。Tさんはそんなふうに考えたそうです。



「最後には家で売れるようなものも無くなっちゃって。
それで、今思うとその頃がドン底だったような気はするけど、、
外食なんてもう殆ど出来なくなっていて。
家でもあまり美味しいものは家族に食べさせられていなくて。
それでも、タマには外食を......と、子供達を連れて......
その時は松屋に行ったんですよ。
でね、久々の外食で、ファミレスでもなく、
牛丼を食べさせたんです。家族に。一人400円ぐらいです」



「......うん。。」



「それでその時、小さい子供達が、
牛丼食べながら俺にこう言ったんですよ。
牛丼美味しいね!とても美味しい!って。
奥さんがそれ見て笑ってて。
俺ね、、ソレで、、初めて家族の前で泣いちゃって。。
ごめん。。って気持ちがあふれて来て。。
松屋で泣いちゃったんですよ。」



「。。。」



「その時の気持ちが今の俺を支えてるんですよね。
ソレ迄が恵まれすぎていたとは思うけど、
自分のワガママで家族に辛い思いをさせちゃって。
でも、それで色んなこと学べたしね。
感謝してるんですよ。今は。
そんな事にも。マジで。」



上を見ても下を見てもキリがなく、
世界にはこの瞬間も生きるか死ぬか
空腹や病気、戦争災害に苦しんでいる人が沢山いるのだと思います。
不自由な体で懸命に生きる人も
お金に困って途方に暮れている様な人も、
きっと沢山いると思います。
経済的には裕福でも、家族や親族、時に家系や社会的に
大きな問題を抱えながら生きている様な人も沢山いると思います。
それでも、
どんな人もソレゾレの環境の中でソレゾレの力を精一杯働かせて、
ソレゾレの器に入れられるイッパイイッパイの水を
毎日溢れんばかりに注ぎ込んで生きている

ということに関してはアマリ変らないのではないかな......と思います。
ソレゾレの環境と状況と人生を、
ソレゾレがソレゾレの持ち得ている力と懸命さでもって生きているということです。
その一点に関しては平等だと思えるということです。



明日はTさんのために、
京都のとあるクライアントさんの所へ行ってこようかと思っています。
Tさんの仕事をより大きなものとするためにも僕は明日、
自分に出来るだけのことをしっかりとやってこようと思っています。



そのクライアントさんに明日持ち込むプレゼンシート。
通常のシート資料とは別にエンタメ会社の企画書らしく一風変わった
京都らしい「絵巻物」にしてみました。
「お土産」的に。

タイトルは「新価値創造」

Tさんや自分達のチームのためにも。
大好きな京の都のためにも。
必ず、新たな価値を創造したく思います。

我々は、
あまりに「ちゃらんぽらん」ではありますが、
生き馬の目を抜く世界に生きる人間でございます。

あまりに「馬鹿者」ではありますが、
ただの馬鹿にならぬよう、
日々頑張っている次第でございます。


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21g × ???

2014-05-22 00:05:00 | 勇気
現在に至るまで、たった7人しかいないというアメリカの名誉市民の一人で、
ノーベル平和賞も受賞している修道女のマザー・テレサさん。
若き日の彼女は、カトリック教会から派遣されたインド、カルカッタの学校で、
恵まれた環境に暮らす人々に地理の教鞭を取っていました。
その一方で、毎日目にするスラム街で暮らす多くのホームレスの子供達や、
貧しく、厳しい生活を送る人々にも

「なんとか学問を、、」

と、彼女は無料の「街頭学校」を開きます。
やがて彼女の活動に賛同した人々が集まり出し、
1950年には新たに独自の修道会を設立。
これが有名な「神の愛の宣教者会」。
テレサさん自身が語った同会の理念というのは......



「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、
必要とされることのないすべての人、愛されていない人、
誰からも世話されない人のために働く」



その後、インド政府の協力も得て、
「死を待つ人々の家」と呼ばれていた古い寺院を改装した
「貧しき者達の為のホスピス」も開設していきました。
お金もなく、病に倒れ、ただただ成す術もなく道端に転がり、
まるで野に住む動物のように死に向かう人々を

「一人では死なせない」

と決意した彼女は、全ての宗教の壁も取り払い、
それぞれの人々が信じる形で看護し、
看取ることをホスピスの使命としていきました。
その活動はやがてインド国内は勿論、世界各地へと大きく広がっていきます。
名言の宝庫でもある彼女はこんな言葉も残しています。



「世界で一番恐ろしい病気は、孤独です」



——————東京。青山。
5月の晴れ渡った空の下。
明治神宮へと続く大きなケヤキが立ち並ぶ参道沿いにあるオープンテラスのカフェで、
平和色に霞んだ木漏れ日が差し込む中、
友人のH嬢と気分よく仕事の話などをしていた最中、ふと、
思い出したかのような口ぶりで彼女が言いました。



「ゆうべね、ナントナクFacebookを眺めてたの。
そしたらね、HAさん......いるじゃない。○×○×のマネジメントの。
そのHAさんが書いてた言葉が目に止まってね、、それがトテモ良くって、
ちょっと感動しちゃったの。。」



クールなキャリア系レディのH嬢にしては珍しく気持ちのこもった話し方をするので、



「らる!? 珍しいね(・ω・) 君にしちゃ。。どんな言葉?」



と、聞き返してみると、



「なんかね、HAさんも誰かに聞いた言葉らしんだけど、、
、、、思考に気をつけなさい。それは言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それは行動になるから、、みたいな!?、、感じ。。」



その彼女の答えを聞いていると......何やらちょっと記憶の隅にある様な言葉......



「あぁ、それ、、、マザーテレサだね。。有名。有名。」



記憶の糸を手繰れた僕は彼女にそう言いました。



「あ、そうなんだ。。
なんかさ、凄く良く解るなぁ、、って思ったのね」



クールな彼女の心やHAさんの心に染み入ったその
マザー・テレサさんの言葉というのは正確にはこんな感じ......



思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。



人の言葉というのはその時々の自分の状況や環境毎に響くものが変わったり、
決まったりもします。
この言葉の中に「今の」彼女やHAさんに触れる何かがあるのでしょうか。
僕としたら......
数あるテレサさんの名言の中で僕の内にある「何か」に触れてしまうモノといえば、
以下の詩になる感じでしょうか。。昔から一番好きなものでもあります。
きっとこの中には「僕に足りない何か」が含まれているのだと思います......



Give the world the best you've got anyway.
―――――あなたの中の最良のものを―――――

人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。
たとえそれが十分でなくても気にすることなく、
最良のものをこの世界に与え続けなさい。

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。



テレサさんは自ら設立した「ホスピス」で、タブン、
長きにわたりとても多くの人々の「死」に直面していたのだと思います。
本意に反し、生涯を路上で送ってきたような人々の、
人としての尊厳や希望が全て失われてしまったような、
壮絶で悲しい沢山のエピローグに直面してきたのだと思います。
そんな一つ一つの尊き命の重さがまるで雪の様に彼女の中に降り積もり、重なり、
真っ白い大雪の重みの様になって、
彼女が発した多くの言葉の上に乗っているようにも僕には思えます。



映画「21g=21グラム」。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督。
人が死亡した時、その直後の体重を測ると、
何時も決まってこれだけの重さが減っている......
そんな計測実験をしたお医者さんがアメリカにいました。



マジっすか!???!!(;゜0゜)



すると......



仮に「魂」のようなものがあるとして、



その重さは......「21グラム」



ホントっすか!? ( ̄ー ̄;



この映画はそんな「魂の重さ」をキーワードに綴られる物語。
ちょっと興味深いお話......

魂に重さなどあるのか?無いのか?は、
今もって確たる証明はされていませんが、
マザー・テレサさんは看取った多くの人々のそんな魂の重さまでも背負い、
運んだ様な人だったのでしょうか......

近年、彼女に関する様々な研究や調査の中で、
金銭の流れや医療手法に関しては幾つかの不備があったのではないか……
などの指摘がされたこともありましたが、
「仮に」そんなことが事実だとしても、
彼女が実際に行ってきたことは間違い無く、
誰もが簡単に出来る様な、
誰もに真似が出来る様なことではないと思います。
だから最後に記すこんな言葉にも、
そんな彼女の生き方が含まれている様にも思えますし、
重き真実が含まれているようにも思えます。


——————この世では、大きいことはできません。
小さなことを、大きな愛でするだけです—————————


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当落線上のアリア

2014-05-18 00:12:10 | 勇気
色々な意味で、サッカーファンにはたまらない
「ワールドカップ」日本代表のメンバー発表がありました。
当日は僕も電話の前でザッケローニからの連絡を
ジッと待っていたのですが......



鳴らなかったの!(=゜ω゜)ノ アタリマエ!



今回はサッカー王国「ブラジル」での大会。
オリンピックをも超える4年に一度の
地球最大規模のスポーツイベント。

我らが日本がやっと!初めて!
出場出来たのが1998年のフランス大会。
本大会に出場出来るまでなんと68年も!
半世紀以上も!......かかったような大会。
サッカー好き以外にはどうでもいいような話だと思われますが、
勝っても負けても、
たとえどんな結果であろうとも、
僕にとってはとても楽しみなイベントなのです。(^^)うふうふ



そんな世界中から光が当たるような場所には、
やはり「影」というものもあって。
過去何度も代表チームに名を連ね、
最終選考では「当落線上」と言われるような所にいながら
惜しくも代表から漏れてしまった選手達もいます。
そんな落選の影の中にあって、
それでも気丈に振舞いながら語られる選手達の言葉や思いには
時折とてもシビレてしまうようなこともあって、
そしてソレは、
別に日本人的な判官贔屓(ほうがんびいき)
の感傷というわけではなく。
「誇り」を持った人間がふり絞る様にして紡ぎ出す魂の言葉と、
その姿に、
自らの人生にも重ねられる「何か」を垣間見たり、
共感出来るような「何か」を感じ取ったり、
そんなふうにして心打たれてしまうような事があったりします。



思い出すのは1998年のフランス大会。
日本が初めて本大会に出場出来た時。
当時の代表チームの中心選手として
日本サッカー界を牽引し続けて来た「カズ」が、
衝撃的な最終メンバー落ちをして。
開催地フランスから帰国した早々に開かれた記者会見での言葉。



「日本代表としての誇り、
魂みたいなものは向こうに置いてきた」



思えば「カズ」さんは、
この時からサッカーを愛する人々の間で
「真のキング」となっていったようにも思えます。



今大会落選してしまったFW(フォワード)の豊田陽平選手は、
無骨で線が太い、ひたむきなプレーをする選手。
メンバー決定の感動的な瞬間を撮影しようと張り込んでいた
スポーツニュースの冷徹なる「落選直後インタビュー」で、
嫌な顔一つせずこんな事を言っていました。



「コレからも少しの喜びの為に、
沢山の我慢をしていきたいと思います」



MF(ミッドフィルダー)の中村憲剛選手は、
落選後、自身のブログで......



「―――――昨日は朝4時まで眠れませんでした。
この4年、ここに入るためにいろいろと頑張ってきたんだなって。
そこに入れない、
行けないって決まった時のあの喪失感は一生忘れられないと思います。

なので、これは怒られてしまうかもしれませんが、
本当に一瞬、
一瞬ですがどうでもよくなりました。
ACLもリーグ戦も何もかも。

ただ、どんなに最高な日でも、どんなに最悪な日でも、
必ず次の朝は来るわけで。
練習があったり、試合があったり、
奥さんと話したり、子どもたちと話したりと
日常に触れていきながら少しずつこの事実を消化していけるのかなと
今は思っています。

(中略)

そして、今日、
ACLの公式練習でボールを蹴ったら、
その瞬間は落選したことを忘れていました。
ああ、サッカーって楽しいなって。
サッカーって凄いなって。
だから、ボールがあれば、
サッカーがあれば俺は前を向いていけると思っています―――――」



......なんでしょうか、
シンパシー(共感)と、切なさと......
言葉の裏に見える、
途轍も無く深く重い努力の跡とサッカーへの愛。誇り。
それと、サッカー界のスターも自分と同じような
「一人の人間」であるのかな......と、
そんなふうにも感じられる部分への不可思議な安堵感。



サッカーワールドカップ日本代表チームは、
沢山のモノを載せてブラジルに向かうのですなぁ。。



きっとソコには勝ち負けよりもっと大事なものもあって。
多くの人の夢もあって。
そして、ブラジルにいようとも、
日本に残ろうとも、
何処にいようとも、
どんな人にも、
いつも「道」があるのでしょうね。

楽しみーーっ!!

がんばれにっぽぉーーーーーんっ!(><)/





以前、アディダス社のカタログパンフレットの
コピーライトを手がけたことがあります。
趣味度100点満点!の仕事♪( ̄+ー ̄)muhuhu...懐かしい.....
当時のアディダス契約選手でサッカー日本代表だった「平瀬智行」選手や、
メジャー移籍直前だったプロ野球選手
「石井一久」さんの撮り下し写真と共に書き下ろしました。
この時のアディダスさんと話し合って決めたテーマは
「イノベーション=変革」



==============================
「INNOVATION」

“それは” 忽然と現れるわけではない。
日々積み重ねられる努力、試行、失敗......
その果てに “それは” 初めて姿を現す。
―――イノベーション―――
挑戦を続けよう。変革を続けよう。
いつか夢をつかむために。
いつか唯一無二の存在になるために。

夢をつかもう。
欲しいものは?
足りないものは?
新しいものは?
目指す場所は?
幾度も、幾度も、問いかけよう。
夢に続く扉はいつもそこから開かれる。
―――イノベーション―――
変革はいつか掴む夢のために。
いつか唯一無二の存在になるために。
==============================



当時書いたこんなコピーは、
今日記したような選手の方々とお話をしたり、
姿を見ている中で浮かんで来た言葉。
そして記事タイトルにある「アリア =Aria」とは「詠唱」のこと。
叙情的で旋律的な独唱曲のことで、多くの曲を組み合わせて作る
壮大なオペラやカンカータなどにおける独唱部分をこう呼びます。
時に僕には、
アスリートさん達の言葉も、
そんな美しき「アリア」の様に 響いて来たりします。(^^)


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メメント・モリ

2014-05-10 00:02:01 | 勇気
このところ、世界が騒がしいです。
200人以上の少女を拉致して売りさばくと世界に発表し、
町人全員、120人以上もの人々を虐殺するような組織とは
いったい何なのでしょうか?
そんなことが起こる、
産油国で数字上は豊かなハズのナイジェリアとは
いったいどんな社会、政府、国?なのでしょうか。
中国はいったい何を?手にしたいのでしょうか。
アメリカの覇権維持とはいったい何の為のもの?
なのでしょうか。
汚職による首相失職の事態から大規模デモになっているタイ。
ウクライナの内戦は?
クリミアは?
ロシアの意図は?
ヨーロッパ諸国の意図は?
シリアは?
ベトナムは?
北朝鮮は?
韓国は?
この国は?
僕等一人一人は、今どうあるべきなのでしょうか。



そもそも国とは?
いったい、なんなのでしょうか。



戦争迄して、
同種の生き物同士で殺し合いをしてまで
手にしたいものとは一体何なのでしょうか?
他人だけでなく、
時に自らの命の行方すらも自分の意志で決めることが出来る、
畏怖すべき「自由意志」を持った人間という生き物とは、
いったいなんなのでしょうか。
その存在の意味とは何なのでしょうか。
地獄のような思いをして、
そんな中で暗闇に射す一条の光の如きものを見出し、捕まえ。
どん底の底の底で喘ぎ、
苦しみながら己の中に積み込まれたコトや、
手に入れたモノというのは、
それはトテモ大切なもので、重いもの。
自らが生きる力にも支えにも指針にもなる様なものでもあって、
それでも、
そんな途方もない苦労や思いをした果てに手に入れたものも全て......
捨て去らねばいけない様な時。
別れなければいけない様な時。
忘れなければいけない様な時。
存在するもの全てが恨めしく思えてしまう時。
たまに......
死にたくなったりします。
そんな時、
そんな悲しみや絶望にまみれ、
信じられるものも人も失い、溺れそうになった時。
ソコで出会うのが「死を思う」ということ。
それは「死」というものと正面から向き合う瞬間。
朧げながらも「死」というものに触れる瞬間。



「memento mori ————メメント・モリ」

「死を思え」



人生を懸命に生きていれば、どんな人でも、
それぞれの生きる世界の中で他の誰とも違う、
死を思う様な瞬間や時間があったりもするのではないでしょうか。
2011年。ほんの数年前。
アメリカに暮らすある男性が死を思った瞬間、
このデジタルで繋がったネットワーク世界に
「死に向かう自分」との情報交換ボード=スレッド」
を立ち上げました。
スレッドのタイトルは「51 hours left to live」......「余命51時間」
そのスレッドはこう始まります......



=============================
オレゴン州の尊厳死法のおかげで、
ようやく火曜日にガンとの闘いが終わります。
準備のひとつとして鎮痛剤を切り、
残っている限りの自尊心を取り戻そうと思っています。

自分が誰だったかというのは関係ありません。
痛みが常にあり、疲弊しきった末に、
ようやく一片の尊厳を許されました。

質問したい人は何でも聞いてください。
=============================



ネット世界で大きな波紋を広げたこのスレッドが何の役に立つのか?
何の意味があるのか?
......なんていうことは、
とても僕の様な者が計り知れることではありませんが、
少なくとも僕にとっては
「死を思う」とは「生を知る」ということでもあります。
以下、そのスレッドのホンの一部分を和訳したものを
「らばQ」さん等のサイトから転載しておきますが......
もし、この瞬間、そんな命の明滅点に佇み、関わり、
影響を与える立場にある人などがいるのであれば、
スレッド上のこんな会話を見て、
少しでも何かを思う様なことが......
あるでしょうか......



=============================
「僕らにメッセージか教訓を残したいとすれば、
それは何だろうか?」
—————我々が持っている何であれ、
人を傷つける価値はないということ。
何もかも儚いものだということ。
種族も性別も宗教も。



「わあ、、、平安があなたに訪れますように。
あなたの考えがこのスレッドで記録されていきますように」
—————正直に言うと痛みだけが問題で、
そのことは医者にも言われました。
自分が答えられる限り答えます。



「もし答えられるなら、どのタイプのガンですか」
—————リンパ腫であちこちに転移しています。



「何歳ですか。残りの日はどうやって過ごしますか」
—————最初の24時間は家族と過ごします。
新品のiPadを使って掲示板につないだり、写真を見たりね。
月曜日にはできるだけたくさんの手紙を書くつもり。



「どれくらいの間、ガンと闘いましたか」
—————6年。脳に転移して、もうこれ以上手術は出来ない。



「何か後悔は?」
—————ひとつだけ。
高校のときの彼女に婚約指輪を買って渡さなかったこと。
馬鹿な喧嘩をして軍隊に入った。その一つだけ。



「何が一番恋しく、何が一番なくてもいい?」
—————一番恋しく思うのは「人生」、
でもこの人生じゃなく窓の外にある人生。
なくてもいいのは、、
愛するものたちに闘いを味あわせてしまった不面目さ。



「指輪は送ったらどうだろうか?まだ時間がある」
—————それはよくない。
彼女を9ヶ月前に見つけて電話で話したよ。
彼女は僕が病気だということは全く知らずに会おうと言ってくれた。
月曜日には彼女には僕からの手紙が届く。
彼女に指輪のことは言わない。
僕が一緒に持っていく。



「あなたの友人や家族はなんとかあなたに頑張るよう、
説得しようとしていますか?
それともあなたの意思を尊重していますか?」
—————理解はしてもらっている。
彼らは僕のリクエストで明日の晩には去ってもらう。
虚栄心かもしれないけど、
彼らの最後の思い出が僕がコントロールの効く状態で
幸せなものであってもらいたい。
薬でもう何ヶ月もそんな状態じゃなかったから。



「一番うれしい思い出は?」
—————僕の甥がガンに打ち勝ったこと。
彼が子供のときにガンにかかり、
フィラデルフィアの小児病院で治癒してもらい、
9年経つがガンの再発はなかった。
次が夏に父親と野球を見に行ったことだ。



「オレは君を全く知らないが、
君がいなくなると寂しく感じると思う。
祈ってるよ」



「最後の食事は何かな?」
————ゼリー。2度とひどい目にあいたくないので。
取り戻せなくなった尊厳のひとつでもある。



「どうして火曜日なんだい?例えば金曜日とかじゃなく?」
—————妹の誕生日が18日なので、
病院やお葬式で誕生日を過ごさないように。



「それはすごい心遣いだ。
彼女はすてきなお兄さんを失うね。読んでいて鳥肌がたったよ。
君が誰であれ、僕に人生を考えさせてくれたよ。
ありがとう」



「死ぬことは怖くないかい?死というものが怖くないかい?」
—————恐怖でいっぱいさ。
でも家族には絶対言うつもりはないよ。
痛くないことを望む。



「どうやって説明したらいいかわからないけど、
自分は1度死にかけて死を味わったことがあるんだ。
きっと痛みを感じずにいられることを楽しめると思う。
2度とない痛み。
痛みのなかった生活がどんなものかすぐ思い出して、
自由がどんなに素晴らしいかと思うんだ。
それでも君は君だ。達者に横断してくれ。
終わりではない。新しい始まりだ。」



「さよなら……」



「いろんなコメントを見ているだけで泣けてくる」



「死後の世界を信じていますか?
どっちにしてもそれが決断に影響しましたか?」
—————両方ともNOという返事。
苦痛と恐怖がこの決断を下した。
歩く能力を失い、移動も出来ず、愛することもできず、
未来もなく、ただ痛みがあるだけだから。



「何か価値のあることをしてみたいですか?
何かずっとしてみたかったことは?」
—————You tubeのビデオを作る計画をしているくらいかな。



「質問に答えるほかに、最後の数時間は何をして過ごすんだい?
そしてがんばってくれ。
平安が訪れますように」
—————最後の数時間は「生きる」んだ。
これは僕にとっての旅行であり、
新しい人々に会うのにもっとも近い方法だ。
バカのように聞こえるかもしれないけど、
これが僕の世界ツアーなんだ。



「オーストラリアのビクトリアからだが、訪問うれしいよ」



「アイルランドにもチェックインだ」



「トロントからだよ」



「ボストンからだけど、元気かい?」



「テキサス・ヒューストンから、
“ハウディ” (テキサスなまりのハロー)」



「オランダから愛を送るわ」



「カンサスシティ、スタンバイ」



「ここはインドのデリーさ」



「スロベニアからさ」



「イギリスのオックスフォードから、こんばんは」



「シカゴからも、やぁ」



「中国の北京から、祝処平安」



「イギリス中部からだ」



「フロリダからもハーイ」



「君が世界に行けないので、
世界のほうが君に来ることにしよう。
2年前にアイスランドに行ったときの写真だよ」
(その他、世界中から沢山のメッセージが。。。)



「時間も日も困難になってくると思うけど、
どんな考えが脳裏をよぎっていますか?
僕らが想像するように、
かなりヘビーにウェイトを占めていますか?」
—————まだあまり。
月曜日が一番つらいのではないかと思う。



「何も質問したくないけれど、ハグしてあげたいよ」




「子どもとか孫とかいますか。
なにか自慢できることは?」
—————子どもも孫もいない。
自慢できることは大学を卒業できたこと。



「死ぬ前にやっておくことのリストは作ったかい?
それの進行具合はどうだい?」
—————自分の子どもを作ることは失敗した。
あとオーロラが見たいかな。



「アラスカからの写真だ!」



「ここはアイスランドなので、いつでも見られるよ。
次僕が見るときは、君のことを考えることにする」



「世の中には大勢の人が尊厳死に反対していて
“ 医師が幇助する自殺” とレッテルをつけていますが、
それに対してどうしてあなたがそれを選んだかを反論できますか」
—————もちろん。
どうして人が苦痛から逃れる権利に反対するのか。
ここまで来るのに多くの医師が必要だったし、
誰もこのオプションを無謀に決定していないはず。
僕の看病は非常に大きな重荷となっていて、
そういった現実に対して疑問を投げかけるのは
フェアではないと思う。
そして宗教は一番の疑問。
誰も知ってはいないのだから……
=============================



「死」を見つめた時、
「生」も見えて来るように僕には思えるのです。
騒がしき世界は、
命あるものが生きる為にあるのだとも思うのです。



「日本から!ハーイ!
スマホ写真だけど、いつか見た宍道湖という湖の夕日。
君も気に入ると思うな。
君がずーーっと安らかなることを祈ります」


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just make it possible

2014-01-22 01:30:24 | 勇気
「さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP」という、
視聴者の夢をTVがかなえちゃいます!
的番組を最近チロリと見たのですが、
その中で小学生の少年が、憧れの
「アンソニー・ロブレス=Anthony Robles」
というアメリカのレスラーに
レスリングを教わりたいという夢がありました。

「おお!?(*゜0゜)!!アンソニー?マジ!?」

と、一部スポーツ好きの間では
数年前にとても話題になっていた彼を強く記憶していた僕は、
そのコーナーにかなり真剣に見入ってしまいました。
少年が憧れていたこのアンソニーさんというレスラーさんは、
生まれつき右足が付け根のほうから無くて。
そんな「片足」というハンデのある体で
ハードな格闘技でもある「レスリング」の選手となった人。

しかも!

めっぽう強い!

ハンデキャップのある人々の大会ではなく、
健常者の集まる通常の公式大会で
何度もチャンピオンに輝いたというまだ若い凄いレスラーさん。
少年が憧れるのも良くわかります。
その少年が一人アメリカに渡り、
憧れのアンソニーに会い、話し、技を教わり、
一緒にレスリングをして、夢を叶えて、帰国。
夢を新たにしてまた大会に進んで行く......
という姿を追いかけた映像には、ちょっと心熱くなるものもあり......
なんだかとても良い番組でした。(^^)ヨイヨイ



この時の番組では放送されなかったアンソニーさんの生い立ち部分を
もう少し詳しく記すと、
彼の生まれ育った家というのはいわゆる「母子家庭」で、
色々な事情で彼が生まれたときには父親はもう既に家に居なかったそうです。



母親の名前はジュディさん。
彼女はそんな不在の父親分まで必死に働いて、
同時に父親の様な厳しさや強さも持ち合わせながらアンソニーを育てました。
ジュディさんは片足だったアンソニーを特別扱いする様なことは決してしなくて、
強く大きな人間に成る様に......と、
常に厳しく、色々な事を話し、聞かせ、叱り、育てたそうです。
そんな母親とアンソニーは
子供の頃から取っ組み合いのケンカをする様なことはしょっちゅうだったらしく、
そんなこともアンソニーをレスラーの道に向かわせた要因の一つともなりました。

子供の頃、
片足で走れなかったアンソニーは学校で仲間外れにされることも多く。
そんな走れない自分に嘆き、
落ち込んでいたアンソニーに、ジュディさんは

「決して諦めないように」

「アンソニーだって絶対に走ることは出来るから......」

と、そんな励ましをしてきたのだそうです。
そんな母の励ましを受けたアンソニーは、
その後松葉杖を使って走ることをマスターしました。すると、
今までバカにして仲間はずれにしていた周りの人達も
次第に彼の傍へ寄って来て、友達も出来たそうです。

アンソニーがレスリングを始めたキッカケは、
彼が高校に入学し、体育館でレスリングを見学していた時に、
たまたまソコにいあわせたコーチから声をかけられたのが
最初だったのだそうです。
松葉杖や片足であることを補う為に
自然と鍛え上げられた上半身を見抜いたコーチが

「一度試してみたらどうか。。」

と、そんな誘いだったようで。
しかし、誘われたけれど......

「自分のような体で、果たして、
レスリングなど本当に出来るのだろうか......?」

と、家に帰り母ジュディさんにそのことを相談すると、
彼女は

「やるべきだ」

と答えました。

「今までよく取っ組み合いのケンカをして来たじゃない。。
ソレと同じだから向いてるハズだよ。。」

と、そんなふうに彼女はレスリングを勧めたそうです。
そんな母親の勧めもあって、
アンソニーはレスリングを始めるコトを決意したのですが、
子供の頃から母親と「取っ組み合いのケンカ」をしてきた彼にとって、
その「取っ組み合い」ソノモノのようなレスリングというスポーツは、
どんな障害があっても決して負けない様に厳しく叱ってくれたり、
勇気づけてくれた「母の愛情」そのもののように感じられたのだそうです。

ソコからの彼は、
一心不乱にレスリングに取り組み、体を鍛え上げ、
常人には考えられないくらいのあらゆる障害を乗り越えました。
特別な技術をマスターし、
得意技も編み出し。
そして、高校3年生の時。
遂に州大会のチャンピオンにまで上り詰めました。
その実力が認められた彼はその後アリゾナ州立大学への奨学金も獲得。
たった一人、アンソニーの為に必死に働いて来た母にも
あまり負担をかけることも無く大学に行けることになり、
彼は大学進学を決意します。

入学後、アンソニーが大学二年生だったある日のこと。
そんな大切な母であるジュディさんが倒れてしまいました。
奨学金を獲得していたとはいえ、
母子家庭の生活というのはとても厳しく、貧しかったそうです。
ジュディさんは生活費を稼ぐために休みなく働き、
それでもお金が足りない時は1回35ドルの献血などをして
生活費を工面していたのだそうです。
そんなことを長年続けていた無理がたたって、
彼女は体調を崩してしまいました。
その時アンソニーはジュディさんに

「大学を辞めて働く、、、」

と言ったそうなのですが、ジュディさんは

「レスリングはどうするの?」

と聞き返して来たそうです。

「諦めずに何とかする方法を考えよう。。」

と、そうアンソニーに言ったそうです。
彼女は自らの体のことより何より、
最愛の息子の夢を絶つようなことだけは絶対にしたく無かったのです。
彼女と話し、色々と考え抜いたアンソニーは、
先ずは毎日の練習をメニューはそのままにスピードだけ上げ、
切り上げ時間を早くして、
その後自分が出来る「アルバイト」を始めました。
母の「決して諦めない」という信念と気持ちはアンソニーにも伝わり、
その精神もちゃんと彼に受け継がれていたようです。
やがてジュディさんの両親もそんな二人に色々な援助をしてくれて、
なんとかアンソニーは大好きなレスリングも大学も、
辞めずに続けることが出来ました。

そんな大学2年生の時の全国大会の成績は4位。
翌年はアルバイトとの両立に苦労したためなのか!?7位。
そして迎えた2011年、NCAA。
大学4年、最後の全国大会。
彼はついに全米アマチュアレスリングの全米チャンピオン!に輝きました。
その決勝戦の観客席では、
退院したばかりの母ジュディさんも見守っていたそうです。
その彼女の目の前で、
健常者の集まる通常の大きな大会で、
片足のアンソニーが勝利したのです。



スゲーです。。



その年彼は「シーズン36戦全勝!」なんていうことも記録して、
全米No.1のスポーツ専門ネットワークチャンネル
「ESPN」が主催するアワード「ESPY AWARD」で、
年間で最も活躍した障害者アスリートに送られる
「最優秀障害者男性アスリート賞」と、
不屈の努力を称える「ジミーV賞」という賞をダブル受賞しました。
冒頭に記した

「スポーツ好きの間でちょっと話題になった、、、」

というのは、
実はこの時に彼が行った受賞スピーチのことでもあり、
それは見るもの全てにとても感銘を与える様な、
素晴らしい言葉達でした。

イチローさんの言葉ではないですが、
「何を言ったか」とうより「誰が言ったか」というところにも
大事なポイントがある言葉だとも思いますが、
記した様な人生を歩んで来たアンソニーが語った言葉というのは
なんだかとてもピカピカと輝いて響いて来ます。

さんまさんの番組でもこの時のスピーチの様子が
「少し」だけ流れていましたが、
話している彼の姿は神々しいまでに堂々としていて、
その立ち居振る舞いにも僕は感動してしまいます。

短いし、
折角ですのでココにも全文を記しておこうと思いますが、
例によって!?You tubeなどでも探せば映像も見れると思います。
冬の夜長に珈琲でも飲みながら......どぞどぞ(^^)
スゲーです。



“Thank you. Thank you very much.
It's an honor to be here.
The reason most of us are here tonight isn't because what we've accomplished.
It’s because of the sacrifices and encouragement that
certain people have given us at critical times in our lives.
You just saw who sacrificed for me and encouraged me.
That was my mom, Judy Robles.

ありがとうございます。本当にありがとうございます。
この場に立てて光栄です。
今夜受賞した人のほとんどが何かを成し遂げたからではなく、
周りの人が犠牲を払ったり、
激励してくれたお陰でこの場にいる事ができるのです。
私の場合それは母のジュディでした。


When I was born,
my birth daddy immediately bailed --– I was born with one leg and
my mom could have walked away and given me up for adoption but she didn't.
She taught me to never let what I cannot do interfere with what I can do.
And she didn't protect me from pain and failure
because she knew it would make me stronger.

私が生まれた時、
私の父は既に居なくて————私が片脚で生まれた時、
母は逃げ出すこともできました。
しかし彼女はそうしませんでした。
彼女は教えてくれました。「決して諦めてはいけない」と。
そして彼女は私を痛みや失敗から決して守ってはくれませんでした。
何故なら彼女は知っていたからです。
それが私を強くするのだということを。


Even when my mom got sick at the beginning of my sophomore year in college,
and my step dad walked out on the family,
and we lost our home and I wanted to quit wrestling to get a job to help pay the bills,
my mom refused to let any of us give up and here I am today – national champion.

大学2年の始めの時、母は病気になり、
私たちは家を失いました。
私は仕事をしてお金を稼ぐ為にレスリングをやめようとしました。
でも母はそれを決して許しませんでした。
そうして今日、ここに、私は全米チャンピオンとして立っています。


I must also thank Arizona State University – Sun Devils –
for giving me one of the finest educations in the world, and my friend,
Chris Figgy and my high school coach, Bobby Williams,
who took me under their wrestling wings to push me every step of the way.
And now as I go forward with so much more to do.

そして世界一の指導をしてくれたアリゾナ州立大学———
サン・デビルズ———と、友人のクリス・フレイジェ。
私をレスリング世界へ導いてくれた高校時代のコーチ
「ボブ・ウィリアムズ」に感謝します。
そして、私はこれからもさらにもっと前進して行きます。



This is my message―――――

これは私のメッセージです――――――



Every soul who comes to Earth,
with a leg or two at birth,
must wrestle his opponents knowing
it's not what is,
it's what can be that measures worth.
Make it hard, just make it possible
and through pain I'll not complain.
My spirit is unconquerable.
Fearless I will face each foe,
for I know I am capable.
I don't care what's probable,
through blood, sweat, and tears,
I am unstoppable.

―――――Thank you.


この地球上に生を受けた全ての人間は、
脚が1本であれ2本であれ、
困難に立ち向かわねばならない。
どう生まれたかではなく、
どれだけ価値のある者になれるか。
たくましくあれ、可能性を高めよ。
そのために痛みが伴おうとも私は不満をこぼす事はないだろう。
私の魂は決して屈する事はない。
どんな敵に立ち向かおうとも私は恐れない。
私は自分の可能性を知っているから。
血と汗と涙があれば、
可能性がどれだけあるのかなど私は気にしない。
誰も私を止めることができない。

―――――ありがとうございました。



このたたずみかたわ......
この人は可能性を高めようとしてるなりか!?(@゜o゜)make it possible...


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1月17日

2014-01-18 03:31:55 | 勇気
19年前の今日。
僕は大阪府、豊中市の「曽根」という街に一人で住んでいて、
「阪神淡路大震災」に遭遇しました。



20代前半。
社会人になって数年がたった頃。
僕は週末の休日と月曜日迄をくつけて休み。
大好きなスキーを

「フワフワのパウダースノーで楽しもう!」

と大阪から飛行機で青森県の鯵ヶ沢(あじがさわ)
というスキー場にポンポコと出掛けていきました。
そこでヘロヘロになるまで滑りまくり、

「筋肉痛だぁ......」

などと言いながら、
当時はまだ大阪の空の玄関として機能していた伊丹空港から
自宅に戻って来た、その夜に、
僕はその地震に遭遇しました。

住んでいた街は大阪地区の中では比較的神戸寄りのところで。
宝塚や伊丹にもほど近い場所。
地殻の構造なども関係してなのか、
地震の揺れは大阪エリアの中では一番大きかったようです。
公式な記録では
「震度6前後であろう」
とのことでした。

震源地が地盤の真下にある、
いわゆる「直下型」の強烈な揺れというのは、
例えればジェットコースターのピークからドーン!
と落ちていくアノ瞬間と全く同じような感覚のもので。
それは本当に大げさな表現でもなんでも無く。

「恐怖心を瞬時にあきらめに変える」

ような、どうにもならない「縦揺れ」でした。
その揺れの感覚は19年経った今でも
僕の体と記憶に深く刻まれています。
「釧路沖地震」も札幌で経験していたソレ迄の僕の人生においても、
「東日本大震災」を経験した今この瞬間迄においても、
「大地の揺れ」ということに関しては最大の、
決して忘れることの出来ない揺れでした。

子供の頃から不思議と?
地震の前には寝ていても必ず目が覚めてしまう僕は、
その日も長旅とスキーとでボロボロに疲れていたにも関わらず、
やはり、地震の十分ぐらい前にはパチリ......
と目が冴えてしまっていました。
ただ、大抵は、それが

「なんで眠れないのか?」

ということまではマッタクもって分からず。
勿論、タダ単に体調的に眠れないという時も、
何かを考え過ぎていて眠れない......
というような時も沢山あるので、
殆どの場合は、地震が来た時になって、初めて

「ああ、これだったか......」
「体調の方じゃなかったのね......」

などと思うような始末。その程度。
そんなレベルの「カン」だとマッタクもって
何の役にも立たたないタダの野生的本能であって。
この時も当然

「なんで眠れないのか?」

ワケも分からずにいて。
翌日の仕事のことも考えて、とにかく

「早く寝なきゃ、寝なきゃ、、」

と、夜明け前ぐらいまで布団の中で格闘をしていました。



そんな時に、
その強烈無比なる揺れがやってきたのです。



その時の僕の住んでいたマンションは5階建てぐらい。
揺れている間は、
フローリングの床に「ベタ置き」して使っていた
分厚いベッドマットレス越しに床が捻れ、波打つという感触を
寝ながら背中で感じ取ることが出来ました。
そんな歪んで波打つ床だけでなく、天井、壁、窓、ドア......
住んでいた建物全体から今迄聞いたことも無いような、
まるで建物の悲鳴のような、
唸り声のような轟音が響いて来て。
さらに、その轟音に混じって、低くて深い

「ゴーー......」

という地鳴りのような音も聞こえていました。
その音は建物の下、地中深く、
大地の底の方から響いて来ていて。
何か巨大なものが下から襲いかかってくるような、
体全体でそれを聞きとっているというような、
そんな低音でした。

逃げようと起き上がろうとするも、
揺れでまったく身動きが取れず。
どうにもならず。
そんなバケモノのような揺れの中で異様に軋み、
歪む天井を見ながら僕はこう思いました。

「ああ、アノ天井が落ちて来たら俺は死ぬんだな、、
しょうがねーな......
俺、死ぬのかな......」

そんなふうに自分で自分の「諦め」と
「非力さ」とを客観的に眺めながら、
そんな冷静な自分に少し驚きながら、
僕は布団の中でただ「ジッ」として何もせず、
天井を眺めていました。
ジッとするしか出来なかった......
というのが正確なことかもしれません。
その時間は数分だったハズですが......
途方もなく長く感じたのを覚えています。

揺れが治まると、
建物が壊れなかったことに少しの幸運を感じつつ、
僕はベッドから起き出し。
メチャクチャを通り越して跡形もなくなった部屋を眺め。
歪んで開かなくなった部屋のスライドサッシを無理やり開け、
外の様子を見てみました。
窓の向かいにあった木造の一軒家は半壊していました。
住んでいた人達は無事のようで、
三世代の家族が皆、
表に出て自分たちの家を呆然と見つめていました。
その異様な光景を目にして、
急いで付けた部屋のTVやラジオからは
地震に関する詳しい状況や情報は
地震直後にはまったく流れてこなくて。
その様子からも

「尋常ではないコトが起ったのだな、、」

ということは直ぐに察っせられました。
で、馬鹿げたことに......
ここで急に強烈な眠気に襲われた僕は、
余震が続く中でウトウト......っと、
気がつくとそこから少し眠りに落ちてしまいました。
しばらくして

「ハッ!?」

と気がつき。
迂闊なウトウトから目を覚ますと、
僕は急いで服を着替え、靴を履き。
滅茶苦茶になっている部屋や廊下を横切り。
ひどく歪んでいた玄関のドアをこじ開け、
薄らと明るくなった早朝の世界に飛び出して、
近所の様子を走って見て周りました。
近所にあった木造の古い家の多くは向いの家と同様に半壊、
もしくは倒壊をしていました。
丈夫な建物にも何らかの損傷があることがハッキリと見て取れます。
道路には所々車が落ちてしまいそうな大きな窪みが出来ていて、
大きく陥没したり、
道ソノモノがネジ曲がったりもしていました。
つい数時間前迄いた「伊丹空港駅」もペシャンコに潰れていました。
それが駅だったのか?どうか?
も知らない人にはわからないような感じ。
まるでゴミの山の様になっていました。
夜が明けてからはメディアからも徐々に詳しい情報が入って来て。
部屋に戻り、TVを付けると、
震源地は神戸から淡路島の辺りのようで、
色々な場所のリアルタイム映像も写し出されています。



画面に映る慣れ親しんでいた神戸の街は
巨大な炎と黒煙に包まれていました。



僕は新入社員で、いきなり大阪赴任を言い渡され。
社会のこともロクに分からない上に、
何もかもが見知らぬ土地で仕事を始めたのですが。
そんな中で、
まるで母の様に親切に僕に色々なことを教えてくれて、
助けてもくれていた、
恩義あるデスクの先輩女性が家族と共に住んでいた
見覚えのある茶色いマンションが、突然、
TVに大きく映し出されていました。

芦屋にあるそのマンションの横には......

信じられない光景が......

太くて大きなコンクリートの柱の根元から横倒しになった
高速道路が映っているのです......

彼女のマンションは、
そんな巨大地震の象徴的光景となった高速道路と共に
TVに何度も何度も写し出されます。

戦争を知らない世代ですが、
それはまるで爆弾が落とされた後の街のように見えました。

彼女のマンションは何度も何度も映し出されるのに、
肝心の、その彼女の安否はまったく分かりません。
一切の連絡方法が機能せず、
何も出来ないまま、
僕はTVに映し出される横倒しになった高速道路と
彼女のマンションとを延々と見ていました。

見えているのに、
僕には何もすることが出来ません。

「もしかしたら彼女達がテレビ画面に映るんじゃないだろうか......」

「無事でいてくれ......」

そんな気持ちでTV画面を見続けていました。

やがて、マスコミのヘリコプターが数多く飛びだして。
そこから届けられる映像で、
神戸駅のほど近くも映し出されました。
延々と燃え広がる火災。
上空を飛んでいるヘリコプターにまで届く、
モウモウ.......と立ち昇る黒煙。

本当に火の海。

そして、

その火の海となっている場所には—————

その場所には—————

その時僕がつき合っていた大切な彼女が住んでいました。

大阪オフィスの同僚達も皆知っている僕の彼女。

その大好きな彼女が住む街が燃えています。

彼女の街が燃えています。

彼女はそこにいるハズなのです。

見えているのに、

相変わらず僕は何もすることが出来ません。

僕には何も出来ません。

連絡が......つきません。

皆、連絡がつかないのです......



——————ソレから後のことは......
ナカナカ記すことが出来ません。
いつか僕の中でしっかりと整理された言葉が生まれてくれば、
ちゃんと記すことが出来るのだと思います。



いつだったか、東日本大震災の後、
僕が統括していた部のスタッフ全員が集まった時に
「一度だけ」
この阪神大震災の話しをしたことがあります。
愛する人達の行方が分からなかった時、
その後僕がどんなことをしたのか?という話し。
幸い二人とも無事だったのですが、
それが分かるまで、大切な人達を見つけに行こうと、
僕がどんなコトをして、
どんな風景を目の当たりにして、
どんなコトを思ったのか?
思っていたのか?
......という話し。

その時は、
こんな時だからこそ阪神淡路の時の経験を、
大事なコトを、
僕の中にある知識を話そうと......したのですが、
話しているうちになんだか色々な記憶や思いが頭に浮かんで来て。
それが被災された東北の人たちの姿とも重なって。
ちゃんと纏まった話しとして話すことが出来ず。
酷いことに、最後には、
話しながら多くの部員達の前で涙が溢れて来てしまいました。
会議のような場でとても恥ずかしいことだと思います。



もし、今日の記事を見ている人の中に、
その時、その場にいたスタッフさんがいたら、
改めてお詫びをしなければいけないのかな......
すいませんでした。



本当は、
その時僕が言いたかったこと、
阪神淡路大震災の時に思ったコト、
起きた出来事、というのはとても沢山あって。
だからとても一度に話したり、
書き記すようなことは出来ないのですが。
そんな事というのは、みな極々当たり前で、
常識と言えるようなことばかりにも思えています。
......そんなもの?なのでしょうか。



命は宝物だということ。

明日死んでも後悔の無い様に生きなければ、ということ。

大切な人の安否が分かって、
初めて次の心配も行動も出来るんだ、ということ。

異常な災害時には、
人間それぞれの本質が表れてくる
ということ。

そして、改めて、

強く生きたい、

強くなりたい......ということ。

そんな当たり前のことばかり。

でも、そんな当たり前のことも成すのは難しいということ。

当たり前に生き抜くということも大変なことなのだということ。



阪神淡路大震災以来、
1月17日にはその時噛み締めた色々な思いを
ちゃんと思い起こそうと努力してみます。
あの時を目前にし、
あの時に一緒に過ごした途轍も無く辛い思いをした人達。
今もそんな思いをし続けている、
なかなか癒えない傷を負った多くの人達のことを思ってみます。
電気やガスが街に戻るまで、
僕のワンルームで窮屈な思いをさせながら数ヶ月一緒に暮らした
3人の人達のことを思ってみます。
ほんと、ダメな僕は、毎日の生活にまみれる中で、
そんな思いもついつい薄れてしまっていたりする気もして。



改めて、命に感謝して、大切に、強く生きねば、と。



当たり前の日々に感謝をしなければ、と。



1月17日にはそんなことを思い直したりします。



梅田のホテルから眺めた大阪の街。
この街には色んな想いが刻まれています。
僕にはとても大切な街です。


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女神の言葉

2013-08-02 00:31:37 | 勇気
よくあることですが、
大きな会社で、大きな組織改編などがある時、
やはり、会社は少し落ち着かない雰囲気になります。

そんな時に、
同じチームで仕事をしたことがあったり、していたり、
同じ「志」を持ってコトに当たっていた仲間みたいなスタッフが
会社を辞めていくようなコトなどもしばしばあって......
それはソレゾレ色々な事情や考えがあることだと分かっていても、
なんだか、少し......
寂しくなったりもします。

これから環境を変えていくような、そんな仲間達と、
そのあたりの話しをするような時というのは、大抵、
職場とは物理的にも精神的にも少し離れた所で、
リラックスしてお茶などを飲みながら、
食事などをしながら、
時にはドライブに出掛けたりなんかもしながら......
色々な話しをします。


あーんなことや、こーーんなこと。。


知らなかった驚きの事実や、
知っていたけど言わなかった真実。。


そして、必ず、
そんな四方山話しの最後の方には一抹の寂しさが訪れて来て、
同時にキラキラと香る希望も訪れて来て、


気がつくと......「ありがとう」......という言葉を、
お互いにかわしていたりします。


みなソレゾレの道があって、
思いがあって、
考えがあって、
楽しみがあって、
愛する人がいて。


みなウラハラな思いも、
真っ直ぐな思いも、心もあって。
少し曲がった気持ちも、心もあって。


時に自分を自在に操れて、
時に自分を持て余して。


時に不本意で、
時に思う通りで。


人をキヅつけたり、傷つけられたり。
行きあたったり、突き当たったり、すれ違ったり、食い違ったり。


夢を持てたり、持てなかったり。
信じられたり、信じられなかったり。
叶えたり、叶える途中だったり。
捨てたり、拾ったり。
見つけたり、横目で流したり。


環境を変えないで自分を変えていく人。
自分を変えないで環境を変えていく人。
変わる、
変える環境と共に自分を変えていく人。


......時刻は夜の9時頃。
駅からの帰り道。。


僕は優しいオレンジ色の街灯がともる、
大きな川に沿って続く土手沿いの道をトボトボ......と歩いて、
その土手の横に新しく造られた大きな公園に入り込み、
公園の真ん中、
土手より更にもう一段小高く造られた丘の頂上にポツリ、と出来た、
見晴らしの良い、真新しいスターバックスコーヒーに入りました。



コーヒー・フラペチーノってやつを頼みました。
床から天井迄ある綺麗に磨かれた窓のすぐ傍にあるソファー席に腰を下ろし、
テイクアウト仕様のカップに差し込まれた緑色のストローに口をつけます。
小さく砕かれた冷たい氷がシャリシャリと心地よくて、
でも、ちょっと......僕には甘くて......


「もう少し砂糖抑えたのは無いのかなぁ。。。」


なんて、ボーッと、思ったりなんかして。


大きな窓の外を覗き込んだりして。。


そして、また、


会社を辞めていく仲間の顔をフト、思い出します。


「アイツ、、あの時、、 ......な顔してたなぁ。。」


窓の外の川の上に広がる暗くて広い夜空には、
幾つかの星が雲の間でキラキラと輝いていました。


......どこからか声が聞こえて来ました。。


その声は、
いつか大切な友達からもらった大切な本にも書かれていた様な言葉。
いつか、どこかで、誰かに言われたことがあるような言葉。。


とても美しく、
厳しくも優しい、ある女神様の言葉。


「迷われたといわれし道、
そなた達の歩まねばならぬ道であった」


幾つかの星が、
夜の雲の間でキラキラと輝いています。



コーヒーのカップには女神様が描かれていました(^_^)


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Generation C

2013-07-09 00:01:47 | 勇気
昭和の高度経済成長期の
「新・三種の神器」といえば、
カラーテレビ、クーラー、車......



Color TV
Cooler
Car



英語の頭文字をとり「3C」と呼ばれていたようです。
今、その「3C」と言えば......



Culture(カルチャー)
Creative(クリエイティブ)
Community(コミュニティ)



......だそうです。
もっと言えば、
「デジタル・ネイティブ」と言われる現在の10代から20代は
「Generation C = ジェネレーション・シー = C世代」
などと言われていて、
その「C」というのは



Computer(パソコン)
Community(共同体)
Connected(接続)
Create(創造)
Content(コンテンツ)
Communication(交流)
Collaboration(協力)
Change(変化)
Contribute(貢献)
Casual(気軽)



......といった世代の志向を表す「C」なのだそうで。
僕が身を置いているミュージック・ビジネスの世界も、
僕自身は勿論、
ユーザーの音楽の聞き方や情報の取り方もマサに「C」調で......

冒頭の「新・三種の神器」時代の音楽情報収集というのは、
きっと、
専門雑誌やらレコード店やらで色々とチェックしてみたり。
時には雰囲気のある「音楽喫茶」などでアナログ盤を聞き込んでみたり。
音楽に詳しいお店のマスターやら先輩方やら......
そんなウルサ方のお話や情報から
お気に入りの音楽を探し出していたのかもしれません。

そのうち、
ラジオが音楽シーンをリードする時代がやって来て。
そのラジオもAMからFMへ。
多くの音楽ファンが
「エア・チェック」などにいそしんでいた時代も。

やがてTVも一家に2台以上という時代になってきて。
若者が家庭内で家族に気兼ねなく
好きな番組を見れる時間が増えると共に、
そのメディアとしての音楽シーンへの影響力はドンドン......
と増して来て。

やがてミュージック・クリップの時代などもやってきて。
音楽専門のBSやCSのチャンネルも
アチコチに生み出していって。

そんな中、
街にはレンタル店がアチコチに沢山出来てきて。
レコード店にも沢山の視聴機が並び出し。

それが今やもう......
「YouTube」で好きな時に好きなだけ聞き放題!
な上に見放題!
という時代。



「C」の時代。



TVも「スマートTV」の時代がすぐソコまでやって来ていて。
アップルやらGoogleやら、
ソフトもハードも無い、全てが入り交じるマーケット戦争。
4月に発売されたパナソニックのスマートTV「ビエラ」は
TV局からCMを拒否されたり......



......本当に様々な思惑と戦いが入り乱れています。



音楽CDマーケットはひたすら下降線を辿り、
だからライブを沢山やって、グッズを売って......
古(いにしえ)の芸能活動的形態に戻るようなニュアンスに。

ライブにしても、
手軽なフェスの乱立によって中規模の
「ホール・スケール・ライブ」
が大きな痛手を被っていたりもして。

そんな変化の中で、
アーティストもスタッフも、
ソフトばかりかハードメーカーも、
今や様々な場所で様々な試行錯誤を繰り返して頑張っています。

そんな戦場の只中に身を置いていると、
それでも時代が流れていく方向......
多くの人々が最大公約数的に目指している「意志」みたいな方向......
は鮮明にとても強く感じてもいて。
きっと「C」の時代はD、E、F......と、
コレからももっともっと加速して変化していくのでしょう。

そんな変化の中で、
今や企業や組織がリードして市場を形成していくというようなことは
なかなか無い様にも思えていて。
今や市場を動かし、形成していくのは紛れも無く市場に住う個人個人。
ネットワークの進化によってそんな時代がもたらされています。

この「市場のコミュニケーション」の話しにも少し触れるとすれば、
コミュニケーションの古典的基本形態を「1対1」の関係とすると、
少し前のメディアとユーザーの形態は「1対N」の関係。
この「N」というのは
「Natural Number = 自然数の集合体 = 一般マーケット」
を表しますが、
「ネットワーク時代=Cの時代」は、
それがさらに「N対N」へと変化を遂げました。



うだうだ......も、言ってられません。



待った無し。



何時の時代も同じ。
常に新しきフロンティアに人々も生活も価値観も流れる。
進むべき所に行くしかない。

固定化された概念はそっと横に置いて、
仕舞っておいて、
無きモノとして進むしかありません。



それは一度「死ぬ」ようなもの。



そうして完全に「C」な生活......
デジタルな生活に身を置いてみると、
それはまた、まんざらでも無く。
なんとも新しい刺激と風景に満ちた日々にもなります。



横に置いた価値観は、
いつの間にかまるで蛇の抜け殻のようにも見えて来て......



そして、出会う人もまた、とても新鮮で未来的。
「C調」!?でもあります。
それもまた面白く、
とても有り難い話しなのかもしれません。



♪いつもいつもアンタに迷惑かける俺がばかですぅ。。。♪



近頃は完璧に「C調」で過ごしています。(^^)
とてもバカです。はぃ。



「TINY BUBBLES = タイニー・バブルス 」
いわずもがな、
「SOUTHERN ALL STARS=サザンオールスターズ」の名盤。
「C調言葉に御用心」という名曲!中の名曲が入っとります。
タイトルもすげえすぎる......
活動再開ですか!楽しみ(´∀`)


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