雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」と見つけてもらえたら、、そんな思いで書き記してます。

パルプ・フィクション

2013-05-04 00:03:01 | 勇気...映画&音楽
旧約聖書「エゼキエル書」25章 17節。
———————私は、彼らを憤りをもって懲らしめ、大いに復讐する。
私が彼らに仇を報いる時、
彼らは私が主であることを知るようになる———————



「クエンティン・タランティーノ=Quentin Tarantino」監督作品の中でも、
僕が最高!に好きな映画「パルプフィクション=Pulp Fiction」
タランティーノの監督2作目にして、
1994年のカンヌ映画祭で最高賞「パルムドール」を受賞し、
彼の名を世界に知らしめた傑作です。
時間軸をバラバラにして、4つの物語が平行して進んでいく
コラージュの様なスクリーンプレイもとても斬新でした。
誰もが知るジャック・バウアー「24」などで見られる編集手法の「ルーツ」
と言ってもいいかもしれません。

その中で、マフィアの冷徹な殺し屋である
「サミュエル・L・ジャクソン=Samuel L Jackson」演じる「ジュールス」は
ターゲットを消す時にいつもこの冒頭に記した「エゼキエル書」の言葉を引用し、
相手に唱える様に言い聞かせてから......消します。。

ジュールスが映画の中で唱える「エゼキエル書」は、
タランティーノが敬愛してやまない千葉真一さんの映画から
そのまま持ち込んでいるようで、
聖書に記されている言葉の前に少し脚色された言葉が加わり、
劇中ではこんな台詞になってます。。



「......エゼキエル書25章17節。

心正しき者の歩む道は、
心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる。

愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者は幸いなり。
なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子達を救う羊飼いなり。

よって我は、
怒りに満ちた懲罰と大いなる復讐をもって、
我が兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下すのだ。
そして、我が汝に復讐する時、汝は我が主である事を知るだろう......」



バーーーーン!!!
きゃぁぁーーーーーーっ(><)!!BAN!BAAAHHaaaaaNNNN!!



20世紀初頭から中頃にかけて、
広くアメリカで出版されていたフィクション漫画を扱った安っぽい雑誌を
「パルプ・マガジン」といって、
そのパルプ雑誌に掲載された作品を一般に「パルプ・フィクション」と呼ぶそうです。
低俗でクダラナイ、安っぽく大衆的な話し、漫画、小説......
といったようなニュアンスも持っている言葉のようです。
タランティーノ作品は常にそうですが、
この映画に出てくる登場人物達はそんな低俗で下品で
クダラナイと思われる様な人間ばかり。
それで......何故この話しなのかというと、
先日のブログ記事を記していた時———————

「それは、、多分、僕はとても汚れていて、とても弱いからだと思います。」

———————と、ココに記していた時に、実はこの映画の「ラスト・シーン」が
僕の頭の中で鮮明にフラッシュバックしていたからです。その時、

「次はそのパルプ・フィクションのことでも書こうかな、、」

などと思い、今回ちょっと記してみることにしました。
そんな敬愛するタランティーノの作品というのは、
「パルプ・フィクション」に限らずどの作品にも、個人的には、
彼ならではの凄い「マジック」がかかっているように思っていたりします。
その一つが、この低俗で下品な、
くだらないとも言われそうな登場人物達のキャラクター設定と、
その設定を何倍も大きく膨らましてしまう!神懸かり!?的なキャスティング。

「パルプ・フィクション」に関しても、サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールスは、
数あるサミュエル作品の中でその容姿、スタイル含め、
この映画のハマり方が僕には最高に思えています。

さらに凄いのは、
ジュールスの相棒のビンセントを演じる「ジョン・トラボルタ=John Travolta」。
作品を見ると、もうコレ以上は思い浮かばないストーリーとのマッチング。

途中に出て来るギャングスター「ウルフ」も
ハーヴェイ・カイテル=Harvey Keitel」以外有り得ない。ハマり過ぎ。

ギャングのボスの奥さん「ミア」も「ユマ・サーマン=Uma Thurman」。
ハマり過ぎ。

コレだけでも豪華で凄いキャストなのに、
あの「ブルース・ウィルス=Bruce Willis」もノコノコと安っぽく?出て来て、
ソレもやっぱりシガナイ、悪どくて、くだらなくて下品なボクサーという配役。
もう完璧。

冒頭に記した様なちょっと漫画がかったエキセントリックで劇的な台詞も、
こんな完璧なキャストで言われると、
それが不思議に何倍もの強さを纏ってスクリーンから放たれて来ます。
それでもってまた、全ての台詞が神懸かってしまう......

マジック

くだらなくて、どうしょうもない奴らの、
どうしょうもない毎日から紡ぎ出される人生論なので、よけいリアルに響いて来る。
そんな低俗にも思えてしまう人々を愛情たっぷりに見つめ、尊敬し、
真摯に描いてる視点を感じるから、とても許せてしまう。


これもマジック。


音楽の使い方もマジック。


もう最高。文句無し。


この映画も冒頭の音楽からしてそんなタランティーノ・マジック全開。
きっと「ブラック・アイド・ピーズ=The Black Eyed Peas」のリーダー
「ウィル・アイ・アム=will.i.am」もこの映画大好きなハズです。。アノ曲も......が......で。
タランティーノは「音楽は感情である」......ということを
深いレベルで分かってるという気がします。きっと。そんな使い方。
常に登場人物やシチュエーションの「奥にある感情」を的確に表現しているから、もう、
ソレはセンスとしか思えない。

アウトローの人間達を包むファッションも
ブラックスーツに細身のブラックタイを合わせるカジュアル・シックをビッ!と
決めた様なスタイル。
タランティーノの監督デビュー作である
「レザボア・ドッグス=Reservoir Dogs」の続編とも思えるそのスタイルは、
日本でもシーンを勢い良く駆け登っていった頃のスマップさん達、
特にキムタクさんも絶対に影響を受けていたであろうと思われます。

全てにおいて「冗談と本気の境目にある感覚」でまとめられていて、
見る人の解釈をとても戸惑わせてしまうようなマジック。
それが僕の思うタランティーノ・マジック。
ギャグなのか?マジなのか?どう捉えて、何処に置くのか?
その境目が「分からない」「無い」というマジック。



Σ(・o・;) ハッ!?



いかん!
タランティーノを語り出すと好き過ぎて本題に戻れなくなる......
いかんいかん。。
前回のブログを書きながら僕が思い出していたシーンの話しでした......
いかん、イカン......遺憾。。



僕の大好きなラストシーン。。
冷酷無比な殺し屋のジュールスとビンセントは、
ひょんな事で銃を構える「敵」と向かい合うハメになります。
しかし敵はプロの二人に少々厳しい状況に追い込まれ、
ジュールスは窮地に陥ったその敵に銃を突きつけながら
「優位な立場」でこう語りかけます。



「聖書は読むか?」

「......いや、、、あまり、、」

「暗記してる文句がある。エゼキエル書25章17節......」



と、ここで、ジュールスは何時ものごとく冒頭に記した台詞を敵に言います。
そして続けて



「......人を殺す時、おれはいつもこの文句を言って聞かせてきた。
今迄よくその意味を考えた事は無かったが、
なんだか人を殺す場にふさわしい、冷徹な文句に思えていたからだ......

......今朝、、
まぁ、色々あってな。。。俺は初めてソレを真剣に考えたんだ。

貴様が心悪しきもので、俺が正しいもの。

銃を構えてるソイツ(ビンセント)が暗黒の谷間で俺を護る羊飼いで、、
あるいは、、貴様が心正しきもので、俺が羊飼い。

いや、、もしかしたら世の中の方が悪で利己的なのかもしれない。
俺はそう思いてぇ。。

だけどな、、それは真実じゃねぇ。
真実はこうだ、、、

お前が弱きもので、
そして、俺は “心悪しき暴君” だ。

だけどな、、
俺は努力してる。
本当に懸命に努力してる。

ちゃんとした羊飼いになろうとな。。 行け!」



斬新な編集技法より何より、
このラストシーンとその台詞が、
この映画を僕にとって「特別」なものにしてくれました。
もっと言えば、この映画を初めて見た時に

「なんだか救われた......」

と思えたシーン。
そんな気持ちとシーンを先日このブログを書きながらちょっと思い出していました。
僕もこの映画の登場人物達とさして変らないくらい下世話で、くだらなくて、
軽率で、衝動的で、悪漢で、弱くて......
もしかしたらどうしようもなく酷い人間のように思える時があって......
だけど、この映画の登場人物達と同じ様に、いつも、
少しでも良い人間になろうと、自分なりに、懸命に努力して生きています。

昨日より今日。今日より明日。

そんな自分と重ね合わせて見てしまう映画が「パルプ・フィクション」なのです。



その前回の記事の後、
幾つか問い合わせが届いていたヨガの漫画「東京ヨガガールズ」さんです。
著者の方に許諾を頂いたのでお返事を兼ねてチロッと載せさせてもらいます。
ココ、Amazonで買えると思います。あふぇりえいとじゃないおっ(・_・)/
これからヨガを始めようか、どしよっかな......と考えている方には良いのでわと♪

つい最近まで昨年のアカデミー賞獲得作品の公開が続いていましたが、
タランティーノの最新作「ジャンゴ 繋がれざる者(DJANGO UNCHAINED)」も
相変わらずのタランティーノ・マジックで、彼の「定律」通りの作品でした。
しかし......ディカプリオさんはお下劣な悪役が最高!ですな!(@.@) 
よっ!レオナルドっ!
そのキャストが何にも増して素晴らし過ぎます。
彼の存在感が全てを食っちゃってました。

でも「今の所」今年の個人的ナンバーワン映画は
Cloud Atlas=クラウド・アトラス」でふ。
マニアックか!?


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ZERO & 1900

2013-04-07 00:03:13 | 勇気...映画&音楽
1900年を迎えたばかりのある日。
アメリカ大陸とヨーロッパを結ぶ大型蒸気客船「バージニアン号」一等船室の
パーティールームにあるグランドピアノの上に、
生まれたばかりの一人の赤ちゃんがレモンの木箱に入れられ捨て置かれていました。

その子を拾ったのは、
バージニアン号の機関室で石炭と油で全身を真っ黒にしながら
毎日毎日ひたすら蒸気機関を燃焼させる重労働をしている大柄な黒人乗り組員。
彼はその子を自分の子供として働きながら船の上で育てていく決心をします。

その黒人機関員の名前は「ダニー・ブードマン」
赤ちゃんが入っていた木箱に書かれていたレモンの商品名は「T.D.レモン」
そしてダニー・ブードマンが自分の分身として赤ちゃんに付けた名前は......

「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・1900」......
「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・ナインティーン・ハンドレッド」

「このくそったれな新世紀の最初の年の、最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!ナインティーン・ハンドレッドだ!」

機関室の中でダニーはそう叫んでいました。

船のピアノの上に置き去りにされた子供は
機関室でひたすら石炭をくべる仕事をするダニーとその仲間達に
船をゆりかごにして育てられていきます。
そして、
もの心がついた時から船に置いてあったピアノを唯一の友達とおもちゃにして、
やがて船上の「超凄腕」ピアニストに育っていきます。

人は皆、そんな彼の事を
「天才ピアノマン!ナインティーン・ハンドレッド!」
と、そう呼びます。



......そんな話しがジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画
「THE LEGEND OF 1900 = ザ・レジェンド・オブ・ナインティーン・ハンドレッド」
邦題は「海の上のピアニスト」
名作ばかりの彼の映画の中で「ニューシネマ・パラダイス」「マレーナ」と並ぶ
3大傑作の一つだと僕は思っています。
大好きな映画です。



この映画には一つだけ、少し気になる事があります。
それは、冒頭に記したダニーが叫んだ台詞(せりふ)。。



「1900年」というのは劇中でダニーが言うような新世紀......
20世紀の「始まり」の年ではありません。
学問的に正確に言うとその前の世紀......「19世紀 “最後” の年」になります。

ダニーの言った20世紀というのは正確には「1901年から2000年まで」の100年間のこと。

現在僕らが暮らしている21世紀は正確に記すと2001年から始まっています。

5世紀といったら401年から500年まで。
そして1世紀といえば「西暦元年である1年から100年まで」の間を指します。



......なので......



「このくそったれな新世紀の最初の年の、最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!ナインティーン・ハンドレッドだ!」

という台詞は、正しくは

「このくそったれな世紀の最後の年の、最初の月に見つけたの子なんだ。。。」

という感じになります。



名匠トルナトーレが間違える!?



ううーん......



最後まで見て行くと......それは恐らく確信犯だと思います......が、
それでも見ているとその「間違えている台詞をスッと受け入れてしまう」くらい
現在の「世紀に関する定義」には
人が数字に対した時に感じる自然な感覚との「大きなズレ=100年のズレ」
があるのではないかと思うのです。

個人的にもダニーの台詞通り
「1900年が新しい世紀の始まり!」
とする方がしっくりと来る派で、
しかも1900年代は20世紀ではなく「19世紀!」と表したい派!
なのであります。はい。

1世紀と言ったら「百ナン年」と思う感覚のほうが自然じゃないかと思えますし、
同様に5世紀と言ったら400年代ではなくて500年代!と言われる方が
素直な感覚に近いのではないかと思えます。

20世紀と言ったら本当は2000年から2099年までの100年間!
と定義する方が自然に感じられる形なのではないでしょうか。
しかし実際は1901年から2000年までのこと。。


ヤヤコシイ。。


どうしてこんな事に?


......それは、「ZERO=ゼロ」の概念が含まれていないからです。


他にも幾つかの理由があるかもしれませんが、
西洋において現在のような「世紀の定義」が出来た一番大きな理由というのは
「西暦」や「紀元」「世紀」というものを記し出した時には未だ
数学的な「0=ゼロ」という概念が無かったからです。


「ゼロ」という概念が数学や算術の中に最初に持ち込まれたのは、
実は6~7世紀頃になってインドで成されたことでした。
日本へは江戸時代にオランダよりもたらされました。

もし西欧で「紀元」や「世紀」の考え方を持った時にゼロの概念があったなら
今のキリストが生まれたとされる西暦1年は西暦0年になります。
そして「ゼロ世紀」という世紀が加わり、
0年から99年までの100年間をその「ゼロ世紀」と呼ぶ事になります。

すると1世紀は100年から199年まで。
200年からは2世紀というふうになります。
なんかスッキリ!します。個人的にわ。

冒頭紹介した映画「THE LEGEND OF 1900」のダニーが叫んだ台詞も間違いでは無くなります。
1900年は「19世紀の始まりの年!」ということになります。


ゼロという概念は、
一般には「無」や「空」に近い感覚で理解されているのではないかと思います。

面白いのは、
最新の物理学では真空で何も無いと思われていた「無」であるはずの宇宙空間が
多くの微細なる物質で満たされているという事が分かって来ました。
それは一昔前に一度否定された「エーテル」的なもの。。
今は「ダークマター」などと呼ばれているものです。


これは「無」「空」は、そのままの意味での「無」「空」ではないということです。


無から有が生まれて来る......


インドでの発明を待たずとも「ゼロ」という「概念自体」は
古代から世界中の人々の中にちゃんと存在していたハズだとも思います。

さらには、
そんな感覚もきっと太古の昔から多くの人々はちゃんと知っていたと思います。

そして「何かがソコから生まれる」からには、
ソコに何かしらの「有的な何か」もきっとあるはずだ、と、
有を生む無は完全なる無では無いはずだ、と、
そんな感覚は現代人でも何となく感じられている事だとも僕は思いますし、
今よりも強く自然や地球と結びついて暮らしていた太古の人々が
そんな感覚を知らないハズは無いとも思います。

タダ単に、
人々が昔から感じてきていたそんな感覚、事実を数学や算術という
「学問的なモノの中にコノ概念が最初に持ち込まれたということがインドで起きた」
という表現がコトの真相であるのかな......と思います。


「ゼロ」というのは
つくづく偉大な発見であり、発明であると思います。

年代の記述や世紀の話しのように、
ゼロの概念が組み込まれるだけで色々なモノゴトがスキッと整理出来てきます。

そして、
故にゼロという言葉や記号、概念があるという時点で
その「ゼロ自体の実在性」を証明していると思いますし、
故にゼロというのは「無」や「空」ソノモノのことではなく、
僕には何か......

「ゼロというのは何かを生む為の根源的な種子みたいなものを含んだ世界」......

のように感じられるのです。
だから何かを「ゼロにする」というのは、
真の意味では「新たな息吹を宿らせるための作業」だと、そう思える時があります。


何かを「ゼロ」にするというのも、きっと悪い事ではないのでしょう。
きっと時に必要な事でもあるのでしょう。


何かを、また、生み出す為に。



「THE LEGEND OF 1900」のDVD。
コノ映画も、人それぞれ色々な捉え方や感想があると思います。
最近は色々なレビューもアチコチに溢れていますし。
僕の場合......
ダニーの台詞が確信的なものではないか......という事や、
少々映画とは関係ないように思われるかもしれないこのブログの途中から
後半にかけてのお話しが、実は決して映画と無関係の話しでは無いという事も
見てもらうと分かってもらえるかもしれないな......と。
とにかくコノ映画、内容は勿論、音楽が......素晴らし過ぎます。。(T.T)


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オネアミスの翼

2012-08-28 00:11:57 | 勇気...映画&音楽
音楽監督は坂本龍一。
主人公の声は森本レオ。
変わりどころでは徳光和夫さんがそのまんまアナウンサー役の声で参加していて、
作画監督や特殊効果スタッフのクレジットには若き日の貞本義行や庵野秀明の名前も。
こんな錚々たるメンツをまとめる監督は山賀博之さん。
この作品が無かったら、恐らく「エヴァンゲリオン」や
その他アニメ界にヒット作を数多く排出している制作会社「GAINAX」(ガイナックス)
も生まれていなかったと言われる劇場用アニメ。
それが「オネアミスの翼」。
正式には「王立宇宙軍 オネアミスの翼」というタイトルになっているらしいのですが、
学生時代の僕にとても大切なことを教えてくれた映画作品の一つでもあります。



主人公「シロツグ・ラーダット」が語る映画冒頭の印象的なナレーション。
深みのある優しさを感じる森本レオさんの声で語られるのはこんな言葉。



「いいことなのか、
それとも、わるいことなのか、わからない。
でも、多くの人間がそうであるように、
俺もまた、自分の生まれた国で育った。
そして、ごく普通の中流家庭に生まれつくことができた。
だから、貴族の不幸も、貧乏人の苦労もしらない。
別に、知りたいとも思わない。
子供のころは水軍のパイロットになりたかった。
ジェットに乗るには、水軍に入るしかないからだ。
速く、高く、空を飛ぶことは、何よりもすばらしく美しい。
でも、学校を卒業する2ヶ月前、
そんなものにはなれないって事を成績表が教えてくれた。
、、、だから、、、宇宙軍に入ったんだ。。」



学生だった僕は自分自身に問いかけます。



「自分はどうなんだ?
いったい、、こんな風に学校や仕事、会社、進路を決める人がどれくらいいるのだろうか。
自分はどうなんだ?。。いったい。。」



この作品にオープニンングからずーーっと流れていく空気感。
それは何とも言えない虚無感。倦怠感、退屈感。
退廃的とも言ってよい空気。
主人公や多くのキャラクター達の目つきもうつろげに描かれています。
そしてそんなキャラクター達は皆、殆ど笑顔をみせません。
それはその後「エヴァンゲリオン」にも繋がっていく空気感。
この作品には「エヴァ」へ続いていく「流れ」の源泉のようなものが
存在していることが手にとる様に良く分かります。

そして、その退廃的とも言える空気感は、
主人公シロツグが宇宙飛行士に志願し、成長していく過程と共に、
最後には作品そのものの中で見事に壊されて、
その遥か先に突き抜けていくような解放的なエネルギーへと変えられていきます。

多くの良い作品がそうであるように、
見る者の心情を主人公や作品と同化させ、物語の中に引き込みながら魅せていく。。
というのは当然のことですが、この映画の凄いところは、
これは個人的見解ではありますが、
その見る者が重ねている登場人物達の心情や物語の流れというのがいつの間にか
「この作品を作っているクリエーター達のマインドの流れ」
としても感じられてしまうことです。
それがこの作品を特別なものにしている要因なのではないかと僕は思っています。

当時の若いアニメーター達の日常と葛藤と夢。そして、突き抜けていく衝動。
何故でしょうか......この作品に僕はそんなモノを感じてしまうのです。

特に、庵野秀明が描くロケット発射からエンディングに至るまでのラストシーンは
今見ても美しく、
普通の日常から突き抜けていく様な気持ち、衝動と、
情熱的な「何か」を宿しているように感じられます。
それはその時の庵野さんや制作チームの気持ち、衝動そのもののような気がします。

僕はこの作品を見るといつも黒澤明監督の「生きる」を思い浮かべてしまうのですが、
どこかそんなテーマも持っている作品なのではないでしょうか。
「生命とは自らを表す衝動のことだ」
というようなことを以前ココでも記しましたが、この作品にはそんな部分も感じます。



この映画を見た頃、若かった僕は誰でも通る様ないっぱしの、
そして、極普通の、普遍的なテーマを考えていたりしました。それは

「僕は、何処から来て、何処に行くのか」
「僕は、何故生きている?のか」

主人公のシロツグは、物語中盤で
この「普遍的で若輩的なテーゼ」を僕の代わりに
そのままスクリーンの中の彼の友にぶつけてくれます。



シロツグ
「、、、もしかしたら自分が正義の味方じゃなくって、
悪玉なんじゃないかと考えた時とかないか、、、」


「さあな、、
ただ、、周りのヤツら、親とかみんな含めてだ、、、
そいつらが、、俺をほんのちょっとでも必要としているからこそ、
俺はいられるんじゃないかと思ってる。
金物屋だってそうだろ。
誰かが必要としてるからこそ金物屋でいられるんだ。
この世に全く不必要なものなんか無いと思ってる。
そんなものはいられるはずが無い。
ソコにいること自体、誰かが必要と認めてる。
必要でなくなったとたん消されちまうんだ。。そう思う。。どうだ?」

シロツグ
「うん。。わかった。。。ありがとう。」




「君は、必ず、何かに、誰かに、必要とされているから存在している。」




このテーゼに僕は今まで幾度か助けられて来ました。
僕にとってはとても大切なテーゼ。
「王立宇宙軍 オネアミスの翼」
タマに思い出したように見てみたくなる作品です。


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愛そのもの

2012-07-22 01:20:59 | 勇気...映画&音楽
舞台はイタリア、地中海に浮かぶシチリア島の小さな村。
見渡す限り、畑と海以外は何も見え無いような村。
そんな村に生まれ育った主人公のトトは、
幼い頃から村で唯一の映画館の仕事を手伝いながら育ちます。
そんな手伝いを続ける中で育まれた彼の映画への憧れは、大人に成ると、
「映画を創る!」
という大きな夢に変わり、トトは都会へと旅立ちます。



言わずと知れた「ニューシネマパラダイス=Nuovo Cinema Paradiso」
というイタリア映画のワンシーン。



その旅立ちの日。
トトが乗り込む列車の駅のホーム。
小さな駅のホームに屋根は無く、シチリアの明るい陽光が降り注ぎます。
その駅のベンチに、旅立つトトを見送る為に坐っている老人がいます。

それがアルフレード。

彼は村で唯一の映画館の映写技師。
トトに映画の素晴らしさを教えた師でもあります。
そんな彼は、父親のいないトトにとって小さな頃からの父親代りの人でもあり、
良き友人でもあり続けた人。
アルフレードは老齢から足腰も弱り、
とある事故により目も見えなくなっていました。
それでも、
幼い頃から我が子の様に可愛がっていたトトのために駅まで見送りに来ます。
駅のベンチに腰掛けたままのアルフレードは、
同じく見送りに来た彼の家族に聞こえない様に、
夢に向かい旅立つ青年、トトを強く自分の顔に引寄せ、
小さく、でも強い声で......こういいます。



「帰ってくるな。
私たちを忘れろ。手紙も書くな。
ノスタルジーに惑わされるな。全てを忘れろ。
我慢出来ずに帰って来ても私の家には入れてやらない。わかったな。」



そして、最後にこう言います。



「自分のすることを愛しなさい」



僕は利根川にほど近い、
畑以外は何もないような埼玉県の片隅に生まれ育ちました。
海が無いこと以外この映画の舞台にどこか似ている片田舎です。
幼く、モノ心ついた頃から高校生ぐらいまでは、

「自分のやりたい仕事、夢を叶えるにはここにいてはダメなんだ。
出来ないんだ......」

そんな気持ちを強く募らせていました。
ソコには故郷に対する嫌気などはまったく無かったのですが、
表現しがたい焦り、絶望、
見知らぬ土地や未来への期待などが入り交じった
複雑な感情ではありました。

そして、この映画の主人公トトと同じ様に夢を抱えて18才で家を出ます。
それから何を手に入れて、何を失ったか、、はよくわかりません。

勿論、歳月を重ねる毎に自分の故郷が如何に豊かであって、
かけがえのない場所であるのかという思いは痛切に深められてきました。
そして、そんな自分と重なって見える部分も含めて、
この映画は今まで見たどの映画よりも心に残り、未だに見る度に涙が溢れてしまいます。



見るととても辛いのに、たまに見てみたくなります。



馬鹿ですね。。



名画との評価も高いこの映画は、様々な人に色々な角度で語られる作品でもありますが、
大抵はアカデミー賞を獲るほどに有名なラストシーンが話題の中心になります。
勿論、それには賛成で異論などまったくありませんが、個人的には......僕は、
冒頭に書いた駅のシーン、そして台詞が「痛いほど好き」です。
目を背けたくなるのに、大好きです。



「自分のすることを愛しなさい」



この映画の監督、脚本を手がけたジュゼッペ・トルナトーレは
後に自らこんな言葉を寄せています。



「私が表現したのは、私自身の子供時代を思い出させる一つの歴史......(省略)
......トトは映画を選ぶ事によって人生に傷をつけてしまったのだが、
私の考えでは、人生の方が映画より大切だと心から思っている。」



「自分のすることを愛する」と言う事は、
自分が心から愛せない様な事は決してしてはいけないという事かもしれません。
いや、もしかしたら、
どんなに酷い事をしたと思っても、
決して自分の事を嫌いにはならない様に......という事なのかもしれません。

どのみちその意味には受け取る人の数だけの多様性があり、
深く、広い言葉だと思います。
ただこの映画のストーリーラインの中でハッキリと確信出来るのは、
この言葉は広大無辺な「愛そのもの」なんだと僕は思っています。

もし、今自己嫌悪に陥っている人がいましたらお試しでこの映画を見てみて下さい。
そして、難しいことかも知れませんが、
どうか自分のしてきたこと、
これからしようと思っている事の全てを愛してみて下さい。


どうか、大切なものを傷つけませんように。


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