雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

修行中のようです。。2

2012-11-30 00:01:48 | 不思議...パワスポ寺社
この本を面白いと思わせる要因は、僕にはけっこう......
沢山あるのですが......




先ずこの浅野さんの奥さんを通して語っている???
「小桜姫」さんのキャラクターというのがとてもフレンドリーで、優しい。
そして上品。
語られる言葉はどこを切り取っても理路整然としていて、
それでいておおらかな人柄がにじみ出るような語り口。
まさにお姫様(^^)
そして、どことなくポップ!感もある、
お姫様口調で語られる「アチラ世界」の描写は何故か
「え」も言われぬリアリティーを感じられて、とても面白く。
SF映画の世界を思わせるようなファンタジー的な世界像。

「不思議ちゃんですぅ!」

......と分類されるような方々にとっても、
日本のスピリチャル系文化?
にとってもまさに金字塔的な作品だと思います。

この小桜姫さん。
「小桜姫物語」の中で自らが語るところによれば、
アチラの世界ではまだまだ修行中の身のようで、
コーチ的な役割を持つ神様についてもらい色々な指導も受けつつ、ある日、
その心根の成長によって現実界に一つの神社......
「社=やしろ」を持ち受けることになったそうです。
その受け持つことになった社というのは、
自分が生前に住んでいた愛着のある土地にこじんまりと建つ神社の本殿横に、
さらに小さく、ヒッソリ......と、
地元の人達が小桜姫のために建ててくれた社でした。

それが若宮神社。

通称「小桜姫神社」です。

実際に、

在るのです。

神奈川県、三浦半島。
江ノ島、鎌倉、葉山。その先にある油壺(あぶらつぼ)。
さらにその先にある諸磯(もろいそ)という小さな入り江に佇む
こじんまりとした神社が諸磯神明社。
それが小桜姫が生前暮らしていた場所にあるという神社です。
こんな感じです......



諸磯神明社の直ぐ横にはとても小さな港があって、
そこからは大きな海へと世界が広がっています。
左端に見える山は富士山です(^_^)綺麗なところなのです。
釣りなんぞしてますなぁ......



鳥居をくぐって境内に入るといくつかの小さな社がヒッソリと建っていて、
その中の、本殿向かって左側にある中くらいの、
ちょうど人の背丈ほどの社が若宮神社。
それが地元の方々から「小桜姫神社」と呼ばれている社なのです。

三浦半島というのは、
平安時代の昔から「三浦氏」という武家が治めていた半島でした。
だから三浦半島という名前なわけです。

小桜姫は戦国時代にその三浦氏の家に嫁いだ地元の重鎮武家の美しいお嬢様。
名は小桜。
二十歳の時に三浦家に嫁ぎ、そして「三浦半島の姫」となった方。
三浦家は小桜姫が嫁いだその後、歴史書にも書かれているように、
全国支配を目論む「北条氏」によって領地を占領され、
一族ごと滅ぼされてしまいます。
小桜姫が32才ぐらいの時だったようです。
その時に、
自分の住んでいた城が攻め落とされてしまったその時に......

むむーーん......( ̄. ̄;)

まだニャンさんやタイトルの話しまで辿り着けませんなぁ......

もぅ一回!

あっ、
前回の記事で「戦国時代」と書くべき所を間違って
「鎌倉時代」と記していました (・・。)ゞ テヘ
直しておきました。スイマセヌ。。


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修行中のようです。。

2012-11-28 00:19:33 | 不思議...パワスポ寺社
「脱力」シリーズの写真で愛嬌をふりまいてくれている「脱力猫」さん。

僕は小桜猫さんと呼んでます、、」

などと記していたとも思いますが。
今回はその流れで、
あくまで「余談」として、
その「小桜猫さん」についてのエトセトラを少しばかり。
ちょっとだけ、浮世離れした不思議話になる部分もあるやもしれません!?
ので......そこは予めお許しくださいませ。 (;^_^A
ニャンコさんにも免じてもらいつつ......



さて。
イギリスという国は何やらその道では知られたオバケ大国!?
いや、「心霊先進国」らしく。
幽霊や心霊文化というものもアル部分成熟していて。
かなり昔から
「SAGB(the Spiritualist Association of Great Britain)
=英国スピリチュアリスト協会」
なるものまで設立されているようです。
あの小説「シャーロック・ホームズ」の作者である
コナン・ドイル氏も会長を務めたりして来てもいて。
今に至るまで一定の権威を持ってシッカリと運営され、
存在もしているようなのです。

日本では、今では誰もが知っている江原啓之さんが
「名誉理事」となり運営している
「日本スピリチュアル協会」
なるモノがある様なのですが。
江原さんが日本で作りたいと思っている組織や文化、
活動といったものも、実は、このイギリスの
「スピリチュアリスト協会」
が発想の元となっています。
その趣旨や概要は平たく言えばオバケ......幽霊や霊......
の様な見えないものや力というものを頭から完全否定するのではなく。
正面からちゃんと捉え、理解に務め、
しっかりと研究してみよう!......というようなもので。
実際はかなり学術的な部分もあって、
そんな部分でも江原さんはかなり影響を受けているようなのです。



そんな江原さんの師匠の、そのまた師匠。
「日本スピリチュアル協会」の基礎となった「心霊科学協会」
というものを築いた方が浅野和三郎さんと言います。



この浅野さん。
大正から昭和初期にかけて
「日本心霊科学の父」
として活躍したカルト・スター。
日本はもとよりイギリスやアメリカでも有名な方で、
当然、先述の江原さんなども

「とても尊敬している......」

と話しているような方です。
どうして浅野さんがそんな心霊科学世界の方々に敬愛されているのか?
というと。
先ずは「心霊科学」なんていう不可思議過ぎて誤解や無理解を招きまくり!?
のヘンテコフィールドにある学問の創始者であり。
そして、そんな不思議分野の人なのに、
元々は東大卒の海軍機関学校の教官であり、文筆家でもあり、
とても論理的で理知的なフィールドに立っていた方であったから
ではないかと思われます。
そのような人が立ち上げた「心霊科学」なればこその信頼感というものが
あったようにも考えられますし、
当時、イギリスで定期的に開かれていた
「国際スピリチュアリスト会議」
という会議に日本人として初めて招かれ、
スピーチをした人でもあります。



そんな理知的な浅野さんが何故?
「心霊科学協会」なるものを立ち上げたのか?というと。
そのきっかけは、
私生活において自分の子供や妻に普通では説明のつかない
不可思議なことが沢山起きていたからなのだそうです。
それらを教官らしく、逆に真正面からとらえ。
論理的に理解しようとする試みをしたところから全ては始まったとのこと。

で、この浅野さんに強い影響を与えた奥さんというのが、
何やらもの凄くスピリチュアルな憑依体質の方だったようで。
そんな奥さんの守護霊でもあり、
いつも奥さんに降りて来て、
浅野さんの相談に答えていた霊というのが「小桜姫」という、
戦国時代を生きたお姫様だったようなのです。
そして、その奥さんを通して語られる小桜姫の不思議な言葉を
浅野和三郎さんが一冊の本にまとめあげて出版したものが、
後に、先出の江原さんをはじめとする多くのスピリチュアリストの方々に
絶大な影響を与えることになった名作
「小桜姫物語」
となります。
まさに「知る人ぞ知る」名著。



最初に断っておきますが、これ......

読んでみると、実は......

全然恐くないのです。

いや、むしろ......やたら面白い。

でもって、わかりやすい。

冒険小説のような面白さ。

映画にもできんじゃね!?みたいな。

カルトにしておくにはもったいない!みたいな。



本には「霊界通信」なんてオドロっちいサブタイトルもついていて、
ちょっと取っ付きにくい部分もあるのですが、
そんなコピーなどはむしろ取ってしまって欲しいくらいのものでございます。
この本を面白いと思わせる要因は、僕にはけっこう......
沢山あるのですが......

うーーん......( ̄. ̄;)

ニャンコはおろかタイトルの話しまで全然辿り着けませんなぁ......
つづいちゃう!


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脱力 3

2012-11-26 00:02:12 | 不思議
uzmetさん。不思議な事があったんですよ。
この前、イチロー選手に会う事があってですね、
部屋に入ってくる時とか、会うときとか、やっぱり、、
もの凄いオーラなんですよ。
ほんと、凄い気配というか、なんというか。
存在感でしょうか。すぐ分かるんです。来た!って。
でもですね、ほんとうにビックリしたのはですね......」



∑(〃゜ o ゜〃) ハッ!!
......もう一回やな。これ。。つづくぅ!




「あるとき、その気配が消えるんですよ。まったく。
あぁ、どこか違う所にいったのかなぁ、いないなぁ......
なんて思っているとですね、
僕の直ぐ脇のベンチに腰掛けて、
何かに集中しているんですよ。
目を閉じて、一心に。

僕その時驚いたんです。

気配がまったく無いんですよ。消えてるんです。

人を寄せ付けない方向の集中じゃ無くて、
自分を消してしまうんですよ。

このレベルまで来るとオーラがスゴいとかなんとかというより、
集中したい時や、一人になりたい時には、
自分の気配を消す事が出来るんだ、って。
そこにほんとうに驚いたんです。
それがまた意識的に出来るんです。
イチローさんだけじゃなくて、
それは他の競技の "超" のつく一流選手には実は共通の事なんですよ。
本当なんですよ!!マジっす!」



...... Iちゃんの話してくれたこの話しを思い出しながら、
僕には「意図的な完全脱力」の秘密と、
この「気配を完全に消す」というコツや秘訣というのが、
どうも同じスイッチに思えてなりませんでした。
完全に同じではないかもしれませんが、
かなり近い所にある事だと思えてなりません。
本当に集中したい時や、
緊張する場面などで力を出したり、
出せるようなことの秘訣のような気もするのです。
そんな場面では、実は、
「集中しながらも完全脱力もしている」
のではないか、と。
そんなイメージが渾渾と僕の中に湧き出て来たのです。



何かを疑っていたり、
信用をしていない神経や心、思考では多分、
絶対に抜けない力がある。
押せない脱力スイッチがある、という事実。
それが押せない自分への衝撃と......涙 。(TωT) ビェェン



自分は出来てる。
自分は出来ているつもり。
......という人には、
今回の「脱力」シリーズの記事は何の意味も無いものかもしれません。
自分は出来てない。
自分はどうなんだろ?
......という人は、
よければぜひ一度自分をテストしてみて下さい。
一人ではなかなか難しいかもしれませんが、
真の脱力とはどんな状態なのか?
全てを、体を、もしかしたら心も、
何かに「完全に委ねる」という状態はどんな状態なのか?
ということをテストしてみて下さい。
もしかしたら何か面白い発見!?があるかもしれません。



最初の記事に記した様に、
長年にわたり有名無名、平凡非凡、様々な仕事......の、
とても多くの人の体を診て来たIちゃんが口癖の様に言う言葉があります。



「心と体は一致します。
心の状態は必ず体に表れます。
だから、その逆もしかり、だと思います。
体が変われば心もちゃんと変わります。
頑張って下さい」← ココは何時も“人ごと風”に言います。コヤツは( ̄-  ̄ )オイオイ



この「真の脱力」を意図的に出来る様になったら、
ソコにはまた新しい自分が生まれるような気がしているのです。
そう僕には確信出来ているのです。
自分の弱点の一つが克服出来る気がしているのです。
どこか、人や物事を完全に信用していなかったり、
斜めからばかり見ていたり、
心の奥に不必要なエゴがこびりついていたり、
そんなものを無くす必要など無いとしても、
そういうものをちゃんとコントロール出来ない限り、
この「完全なる脱力」は僕には出来ない気がしているのです。
Iちゃんに足を掴まれ

「ホレホレ......」

などと遊ばれている時に、
僕はそんなコトを思い、確信していました。
なので、この時から僕は「完全脱力研究会」なるものを発足させ、
その研究にいそしんでいるのです。( ̄ヘ ̄)マジ。
別段......何かメリットがあるような話しでは無いのですが......



みてろよー!Iのアホアホポンチめぇっ!



あ!
なんとなくですが......
ココ数日、ちょっと出来て来たような......
気もしないでも......ないような。。( ̄‥ ̄) ちーん



遠く琵琶湖も望める関西一の霊峰「伊吹山」から立ち昇る雲さん。
よくよく考えてみると、雲こそ完全なる......いや、
完璧なる脱力の形なのかもしれません。


☆シリーズ記事はコチラ☆
脱力
脱力 2


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脱力 2

2012-11-24 00:01:51 | 不思議
「ほら。力抜いてください。完全に」



ゔ、ゔゔゔゔゔぅぅぅーーーーーーーーー、で、で、で、、、



出来なーーーいっ!!!Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ~ん!



続いたりなんかして......




この時、
Iちゃんにもて遊ばれながら自分が自覚していた事はというと......
「完全な脱力が出来ない」というのは、
僅かだけど何処かに「力み」が残ってしまうというのは、
多分、自分が「何か?」を警戒しているという心理状態が
「無意識下で」働いていて。
それが何らかの、
体の何処かの、
神経的なスイッチを押し続けるという事になってしまっていて。
脱力が出来ない部分がホンノ僅かだけど残ってしまうということの様でした。
それは体の一部を触られているという事への反射的反応
というのもあるのかもしれませんが、そんな事も含めて、
そのスイッチをちゃんと切ることが出来れば
「完全脱力」が出来るとは思うのです。



しかし、どーしてもそれが出来ません。。



どこかにこの「スイッチ」があるはずなのです。。



あれこれ頑張ってみていると、
そのスイッチが腰の奥の方......丹田?
と呼ばれる当りにあるような気もしたし。
さらに続けて悪戦苦闘していると、足なのに、
ナントナク顔面の筋肉の緊張にもかなり繋がっている感覚もハッキリあったり。
髪の毛の下......頭皮や筋肉にも繋がっているような感じもするし。
はたまた......んんん......やっぱり脳の働き......
「心」的などこかにも?
精神的な?んん?
それは警戒心の......神経の......心の......何処か......
でもそれも......どこにあるのか?
何なのか?
よくわからないのです。(〃´o`)=3 フゥ
そして、そんなことを考えだすと、探り出すと、
また何処か?少し前とは違うスイッチが入ってしまい。
また違う筋肉に「僅かな力」が入ってしまうということも起きてくるのです。



「ど、どうしたらええんや、、、じぶーーん!?」



衝撃です。
今まで脱力と思っていた状態が、
厳密には「完全なる脱力」では無かったという事実。
完全なる脱力を100%とすれば、
今まで自分で完全リラックスだ!
などと思っていた状態というのは
95%~99%の間ぐらいのリラックスだった......ということを知った衝撃。



Iちゃんはこういいます。



「はいー。僕に完全に足を預けてください」



どうして自分は完全に「預ける」ことが出来ないのでしょうか。。



それは、
僕が人を完全に信用していないからなのかもしれません。
警戒のスイッチを切らないという癖が長年に渡り体に、神経に、
心に、
どこかに、
染み付いてしまっていて。
そのスイッチの在処を、切り方を、忘れてしまっている。
本当の休み方もいつの間にか忘れてしまっている。
休んでいるようで、
実は完全なる休息ということを知らないままで過ごしていた日々......



「一流のスポーツ選手はみんなこれ出来ますよー。はいー......」



今までプロデューサーとして多くのステージも創って来ました。
タマにダンサーのオーディションなどもやったりするのですが、
素晴らしいダンサーというのは「力み」がありません。
正確に言うと、力はみなぎっていますが、
力の抜きどころがしっかりしていてダンスにメリハリがある。
一流は必ずそうです。
スキルが同じレベルであってもその「抜き」の差で伝わり方、
見え方に差が出て来ます。
で、Iちゃんが言っている完全脱力というのは多分「超」一流のことです。
確かに超一流ともなると、
その力の抜き差しは完全である......100%であるのかもしれません。
そういう次元での脱力のこと.......



「意図的な」完全なる脱力。



Iちゃんは以前、僕が体を整えに通い出した頃、
印象的な話しを僕にしてくれた事があります。
本人は覚えていないかもしれませんが、
僕には強く記憶に残っている話しです。



「uzmetさん。不思議な事があったんですよ。
この前、イチロー選手に会う事があってですね、
部屋に入ってくる時とか、会うときとか、やっぱり、、
もの凄いオーラなんですよ。
ほんと、凄い気配というか、なんというか。
存在感でしょうか。すぐ分かるんです。来た!って。
でもですね、ほんとうにビックリしたのはですね......」



∑(〃゜ o ゜〃) ハッ!!
......もう一回やな。これ。。つづくぅ!



前回に続き、脱力猫さん。(^^)
僕は「小桜猫さん」と呼んでます。神様みたいなヤツです。


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脱力

2012-11-22 00:25:49 | 不思議
二年前ですが、
ちょっと肝臓を悪くしていたことがあり......といっても、
その時は自分ではまったく自覚が無く、



「なんか最近寝ても寝ても、
休んでも休んでも疲れが取れないんだよねぇ、、」



なんて友人にポソッと話したところ、



「一度相談して診てもらったら?凄くいい人がいるから。。」



と、その友人に紹介してもらい知り合ったのが凄腕トレーナーのIちゃん
それ以前、働いている会社の定期健診では二年連続



「肝臓の再検査を要する」



という結果が出ていたのですが、その時は



「どーせ、二日酔いでそのまま検査に行ってるからだろ、、」



ぐらいにしか思っていなくて。
そのまま頭の隅にも残さないくらいホっておいていました。
で、Iちゃんに会った時に、実はそれが全くの本当!
だったことが判明し......アホです。僕(´・_・`)
そんな訳でIちゃんに初めて会った時のコトはよく覚えているのですが、
会うなり......
人の顔を見るなり......



「あ、uzmetさん。ギリギリですよ。肝臓。
僕に会うのがあと何日か遅れていたら黄疸が出て入院しているレベルです。
酷いです」



なーんて言われ......



「へ!?(゜〇゜;) 」

「治しましょ。ダルいでしょ。
肝臓は悪くても症状がなかなかハッキリ出ない臓器ですから、
ちょっと自覚しずらいかもしれませんが」

「は、はい。。そうかもしれませぬ。。( ̄ω ̄;) 」



......なーんてことになり。
それからはもう、ずっと、二年間ぐらい、
定期的に体のケアや相談に乗ってもらっている
とても貴重な友となってもらってます。
とてもお宝な奴です。
最初は



「なんでコヤツは一目見ただけでこんな事がわかるのだ!?
うさんくさくね!?(  ̄_ ̄)まだちゃんと話しもしてないのに。
でも、、そーいえば、確かに健康診断で肝臓悪いぜ!君!
なんてずーっと出てたな......」



なんて人知れずブツブツと心でつぶやいていたのですが、
そのうち彼が本当に人気者であることを知ります。
都内某所にある治療室には看板なんてものも出ていなくて、
すべて紹介のみで人を診ているという感じ。
なんだか稼いでやがります。生意気な( ̄  ̄)
そんな彼に診てもらっている人達を挙げ出すと、
オリンピックの金メダリストレベルの一流スポーツ選手はもちろん、
あーんな人やこーんな人......芸能からファッション、音楽に至るまで、
あらゆる世界から有名非凡な人達も集まって来ていて
とてもこんなところで迂闊に話すことは出来ませんが、まぁ、
凄腕だと思います。はい。

優しい友に恵まれ、
偶然、運良くそんな凄腕の彼と知り合うことができた僕は、
その後、二年連続で再検査診断が出ていた問題の肝臓を、
僅か三ヶ月ほどで完璧に治すことが出来ました。
最初に診てもらった時から半年後の検診では、
再検査だらけだった診断書が全て「A」!に変わりました。。(◎_◎;)
ホント!驚き。
それから変な?「欲」が出て来て調子に乗ってしまった僕は、
彼のアドバイスのもと、
体の根本的な部分での改革になんか取り組んだりなんかして。
二年間ゆっくりと、
かなり地味に新しい体創りをしてきた次第なのでございます。なう。



で、昨日でございます......
衝撃の事実が分かったのは......



「いやーー、Iちょわわーーん!
だーいぶ新しい体できてきたんだよねー。
ホレホレ。うらうら( ̄▽ ̄)
なんか全然違うの自分で分かるんだーーよね。最近わっ!わっ!
ふふふーーーん♪」

「そーっすか。良かったです。じゃ、次行きますか」

「ん!?」

「左右の筋肉バランスも取れてきたし、
筋繊維の感覚も冴えてきているみたいなので、、、」

「???( ̄ー ̄)?」



その時、マッサージの施術用ベッドに
アザラシ君の様に仰向けにボテボテと横たわっていた僕に、
そんな謎めいた言葉を投げかけたIちゃんは、
おもむろに僕の左足を空中に持ち上げて......



「はいーーー。力抜いてください。」

「ん!?んんん......抜いてるけど。
リラーーックス。。ほれほれ。。 」

「いやいや、抜けてないっすよ。
わかりません? ほら。少しだけ力入ってるの」

「.....む、、むむ、、あっ!( ̄◇ ̄;)、、そうだ。。確かに。。
すごーーーーくチョットやんけ。そんな気がする。
あ、あれれ、、!?」

「完全に力抜いて、僕に足を完全に預けてください」

「う、、ゔ、ゔ、やってるけど、、むぅぅ、、
まだダメ?力入ってる?これでも?」

「入ってますよ。ほら、わかりません?」



そういって、
僕の左足をコバカにするようにブラブラ揺らしだしたIちゃん。
顔はニヤニヤしてます。にやにや......



「ら!?らる?、、本当だ、、はいってるな、、
太ももの内側、裏に近いトコの筋やな、
その辺りに、そこの力がぬ、抜けない。。」

「でしょ。はい、しっかり抜いて下さい」

「むうう。。あれ!?
また違うところに少し力みが入った気がする。。」

「デスね。まだダメです。完全に脱力していません」

「にゃーっ!。。。まだ?。。こ、これでも?」

「ダメですね。ほら」



といって、また人の足を楽しそうに、
おもちゃの様に今度はグルグル回す鬼のIちゃん。
ニヤニヤしてやがります。にゃろぉ(*`へ´*)



「ほら。力抜いてください。完全に」



ゔ、ゔゔゔゔゔぅぅぅーーーーーーーーー、で、で、で、、、



出来なーーーいっ!!!Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ~ん!



続いたりなんかして......



知る人ぞ知る、三浦半島、諸磯神明社と
その境内にある小桜神社を守る様にして住み着いている名物の御太り猫さん。
行くといつもノソノソと寄って来てゴロゴロし出します。
君は、、出来てるな、、、


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日曜日のコーヒー 2

2012-11-20 01:00:52 | 素敵...映画/音楽/珈琲
本の冒頭には、
この堀内隆志さんの序文が
「僕の好きなもの」
というタイトルで、こう書かれています......

......つづくのだっ (゜0゜)/




==============================
この店を始めてから早10ヶ月が過ぎました。
アッという間という気もするし、
もう2、3年やっているような気もします。
そういえば、
何度も「店の名前は何と読むのか」と聞かれましたが、
いい機会なので説明します。
vivement dimancheはヴィヴモン・ディモンシュと読みます。
フランソワ・トリュフォーの「日曜日が待ち遠しい!」という
映画の原題(フランス語)から取りました。
(中略)
何曜日に行っても、
ここでは好きな事だけを考えて日曜日のようにのんびりしよう。
dimancheが皆様にとってそんな場所になればいいな、
と思います......(後略)
==============================



「......好きな事だけを考えて日曜日の様にのんびりしよう......」



成熟したカフェ文化を持つ国の言葉で名前をつけられた
このお店のコンセプトには、カフェで過ごす時間に関しての
「大切なコト」が含まれている様に思います。



好きな事だけを考える......



この序文の後、
この本にはこのお店に集まるカフェを愛する多くの人達の
「トメドモナイ」カフェトークがエッセイ的に記されています。
会社員から店舗経営者、予備校講師、地方公務員にアルバイト。
そしてグラフィックデザイナー、イラストレーター、
ライター、TVディレクター、スタイリスト等のカルチャー組。
ゴンチチの二人やカヒミ・カリィ、ボニー・ピンク、
コモエスタ八重樫、ピチカートファイブの小西康陽、
クレモンティーヌ......
など音楽関係者の名前も目立ちます。
有名無名など関係なく全て一つのステージに並べられて、
自分の好きなことが自由自在に語られています。
どれをとってみてもとても個性的で素敵なエッセイ達で
今読み返してみても、
どれもそれまでの喫茶店文化から一歩踏み出した
日本の新たなカフェ文化の成長と定着、
先に記した黎明期から進展期に入った流れを感じさせる雰囲気を纏っています。
そして実のところ、この本を

「素敵だな......」

と、僕に思わせてくれたのは、特に最後の部分になります。
様々な素敵なエッセイの後に、最後に三つだけ、
「喫茶魂」とタイトルされた、
さらに素敵なインタビュー形式のエッセイが載っているのです。



一つは、
創業50年を超える京都
「六曜社 地下店」
のマスター奥野修さんのインタビューエッセイ。

一つは、
これまた京都の老舗、
日本のコーヒー史を語る上で避けて通れない名店
「イノダコーヒー」
のマスター猪田彰郎さんのインタビュー。

もう一つは、
今はもう無いお店なのですが、以前北海道、札幌市にあった
「和田珈琲店」
というお店のマスター、和田博巳さんのインタビュー。



和田さんに関して言えば、
「ムーンライダース」というバンドの前身であった伝説のバンド
「はちみつぱい」のべーシストだった方。
かつての喫茶店と音楽との関係を感じさせてくれるエッセイとなっています。
音楽がまだ「アナログレコード」というパッケージ形態を取っていて、
少し高価で、誰もが気軽に買えない時代。
喫茶店はそれが珈琲一杯の値段で聞く事が出来る、
好きな音楽を仲間と一緒に聞けて、
存分に語り合うことも出来る大切な場所でもあった......
という事がエッセイから感じとれます。

この巻末にある三つの堀内さんのインタビュー記事の並びは、
カフェ文化以前にあった喫茶店文化へのリスペクトを欠かさないという
堀内さんの敬愛すべき姿勢も感じられます。

また、他の記事同様、堀内さんもあくまで自分の好きなことだけを考え、
好きな人にだけ逢いに行き、それを記しているということが
この本の雰囲気をとても「カフェ的」で、
素敵なものへと導いているように思えます。



最後に、
1997年9月に「ディモンシュ」に寄せられた
カヒミ・カリィさん(アーティスト)の懐かしのエッセイを少しだけ......



==============================
パリに引っ越して約一年にちょうどなろうとしているのですが、
特にすごく趣味が変わったとか、考え方が変わったという事はなくて、
やっぱりどこで暮らしても基本的な部分は変わらないんだなぁと分かったのが、
海外に住んで一番実感したところかもしれません。
(中略)
......パリのカフェというのは東京で言うと、
コンビニエンスストアとファミリーレストランが一緒になって
もうちょっと風情があるような所というか、
なので、東京にあるフレンチ・カフェとは全然位置が違うのです。
(中略)
......パリのカフェは特に何かなくても何となく入りたくなるコンビニとか、
一杯のコーヒーで長くずっといられる、
それから物思いにふけっていたりもできるようなそんな場所なのです。
それで長い一日の太陽の下、
こんなふうに何かを書いたりしている訳です......(後略)
==============================



さて、
黎明期を終えた日本のカフェ文化の方は、
コレからどんな風に育って行くのでしょうか。
個人的には宿題をやるような場所に育っていってほしくは無いのですが......
でも、まぁ、
とても楽しみにしたりなんかしているのです (゜ー゜)



京都「イノダ珈琲」の歴史を感じる素敵な珈琲カップと
可愛くて思わず買って来てしまったミルクピッチャー。
古いピンぼけの携帯写真でふ(T.T)



お店は少し前に一度火災にあってしまい、
建替えた後は少しモダンな雰囲気の店になってしまってますが、
僕が最初に行った時は、
まだ京都の「町屋作りそのままの建物」の時で、
中庭などもあって独特の雰囲気を纏ったお店でした。
今も昔も憧れの珈琲店の一つです。


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日曜日のコーヒー

2012-11-18 00:33:03 | 素敵...映画/音楽/珈琲
最近、色々な雑誌やムックなどでカフェやコーヒーの煎れ方、
流行などを追ったような特集をよく見かけます。
もはや紙媒体の中ではある程度のマーケット予測が出来る
「定番のテーマ」となっているのでしょうか。

僕の思う、日本におけるカフェ文化というのは、
ヨーロッパなどに比べるとまだ比較的新しく。
まだまだコレから!
っと言える文化フィールドに立っているように思います。

先ずは黎明期として、
戦後から昭和中期にかけての日本独特の「喫茶店」文化があり。
その後「カフェ・コロラド」に端を発する
1980年の「ドトール」開店から全国への店舗拡大。
そこに1996年、銀座に「スターバックス」の一号店が出来て、
そここらは、
その2店舗を主軸に様々なチェーン店や個人経営店などが入り交じりつつ、
みるみる大きく育っていた文化の様に見えています。
今では多くの本が刊行されるくらい、
お気に入りの様々なカフェを巡ったり、
愛していたりする人もとても多いのでしょう。

僕が個人的に特に強烈に記憶しているカフェの「進化」というのは、
TBSの宣伝を担当していた時に入った開店したての
「スターバックス赤坂店」
その店舗スタイル、デザイン、
シナモンパウダーを少しフリかけたカプチーノの味......
今ではもう完璧に忘れがちな気持ちではありますが......
それは当時本当に新鮮で衝撃的でした。
そして、雑誌などがまだ「カフェ特集」
なんてものを組む様な機会が少なかった頃、僕にカフェの素敵さを
色々な角度から教えてくれた特別で大切な本がコレ......



「dimanche ディモンシュ 日曜のコーヒー的なシアワセ」
という本。
2000年の2月にアスペクト社から刊行されたもので、
カフェを愛する様々な人達からの素敵なエッセイを集めた、
僕の大好きな単行本です。
おしゃれな装丁デザインのカバーには、
この本の由縁がこう記されています。



==============================
1994年の春、鎌倉の小町通りをちょっと脇に入った、
横須賀線の踏切近くに、黄色い壁が印象的なカフェが出来ました。
開店したての頃はヒマでヒマでヒマでヒマで。
ヒマをもてあました店主と、ヒマをもてあました常連客が、
ヒマな時に読むもので何か作ってみようかという話しになって、
不定期に細々と「ディモンシュ」という
フリーペーパーを発行し始めたのが95年2月でした。
気がついたらもう5年。
この本はそのフリーペーパーを集めたものです。
==============================



そんな本です。
素敵なのです。(^^)

このカフェの名前はタイトルと同じ「ディモンシュ」。
今も鎌倉に健在です。
そしてこのカフェの店主で、
この本の編者でもある方は堀内隆志さんといいます。

本の冒頭には、
この堀内隆志さんの序文が
「僕の好きなもの」
というタイトルで、こう書かれています......

......つづくのだっ (゜0゜)/


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丘の上の馬鹿者

2012-11-16 00:07:49 | 願い...映画/音楽/珈琲
名物マネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなった後、
ビートルズのメンバーが
セルフマネジメント形態で作った最初の作品が
イギリスBBCで放送されたテレビ映画
「マジカル・ミステリー・ツアー」
その映画のサントラとして制作された曲に、
発表済みのシングル曲5曲を合わせてリリースされたアルバムが
映画と同じタイトルの
「MAGICAL MISTERY TOUR」
というアルバム。
コレです。



僕はリアルタイムジェネレーションではないのですが、
噂によると当時、映画の方は評価も散々だったようで、
「ビートルズ初の失敗作!」
なんて言われていたらしいです。
しかし、この、
サントラを兼ねたシングル・コンピレーション的アルバムの方は、
当時から評価も高く、
僕にとっても大好きなアルバムの一つとなっています。



この中に、
僕がこのアルバムを好きな理由の一つとなっている
お気に入りの一曲が在ります。



「The Fool On The Hill」......フール・オン・ザ・ヒル



「THE BEATLES」......ビートルズの曲というのは、
もぅ、誰に言わせても最高に素晴らしいですし、
どの曲をとっても、
最早レジェンドの領域に聳え立っているものではありますが。
その中でもこの曲は、
個人的に一際好きな一曲になっています。
ポール・マッカートニーによる「らしい」
転調とアレンジが独特の美しさを創り出していて、
そして、なんといっても歌詞が!
また際立っているようにも思います。



======================
来る日も来る日も ひとり丘の上で
男は馬鹿な薄ら笑いをして
完璧に じっと身動きひとつしない
しかし だれもその男に興味を示さない
男がただの馬鹿であるのは見て取れる
何を言っても答えないからだ

しかし 丘の上の馬鹿者は
太陽が沈んでいくのを見ながらも
頭の中の目には
世界がぐるぐる回っているのが映っている


道すがら 頭を雲の中に隠して
その男は千の声を持って話している
これ以上出せない大きな声で
しかし だれもその声が聞こえない
いや その音は男が出しているように見えるが
本人も気付いているように思えない

しかし 丘の上の馬鹿者は
太陽が沈んでいくのを見ながらも
頭の中の目には
世界がぐるぐる回っているのが映っている


誰一人 あの男に好意をもっていないようだ
人はあの男が何をしたいのかわかるが
男はまったく感情を示さない


しかし 丘の上の馬鹿者は
太陽が沈んでいくのを見ながらも
頭の中の目には
世界がぐるぐる回っているのが映っている


男は人の言うことに耳を貸さない
彼らこそ馬鹿だということを知っているから
自分が好かれていないことを知っているから


しかし 丘の上の馬鹿者は
太陽が沈んでいくのを見ながらも
頭の中の目には
世界がぐるぐる回っているのが映っている
======================



......中世末期のヨーロッパ。
「天動説で回っていた世界=ローマ教会」に向かって、
今では常識となっているコペルニクスの
「地動説」
の支持を表明し。
大声で唱え。
世界を支配していたローマ教会から異端児扱いをされ。
無期刑に処された天才物理学者ガリレオ・ガリレイ。
彼は
「天動説が正しい!」
とした権威裁判の際に、
法廷で有名な一言を残しています。



「それでも地球は動いている」



この「フール・オン・ザ・ヒル」という曲は、
このガリレオのことを歌ったものでもあります。



今日、以前にも記した知的で面白いH嬢と、
そのスタッフさん達とで、
新プロジェクトの相談をチロチロとスタジオで受けていました。
その話しが一通り終わった後、リラックスした感じで

「最近はどうなの?」

とH嬢に聞かれたのですが。
その際に突然、
僕の頭の中でこの曲が鳴り出したのでした......
その時は

「何もしてないよー。遊んでるよー(^^)」

なんて、超テキトーに答えてましたが、
どうも、最近......僕はこの「丘の上の馬鹿者」に
似た気持ちで日々を過ごしているという事に気付きました。
最近、ポチポチと全く新しい事をいくつか立ち上げ始めて、

「きっと皆には馬鹿者と言われたり、
思われたりしているだろうなぁ......」

などと思いながら過ごしていたりもして。
でもそんな自分を取り巻く環境や風景がどこか遠く、
まるで人ごとの様に映ってもいて。
現実なのにスクリーンに映る映画の様に、
どこか嘘っぽく流れていく。
そして、そんなふうに周りの風景を眺めながらも、
一心に様々な「種」を様々な場所や畑に蒔いている......



いつか、芽が出るのだろうか......



どの芽が......



出てくれるのだろうか.......



それでも馬鹿者は、
丘の上で世界を眺めながら、
くるくると動いていたりします。



最近、
「このブログを見た」
「面白かった」
......と声をかけられる事がとても多くあります。
うなぎのぼりなのかっ!?( ゜o゜)
大切な人や意外な人にそんなことを言われたりすると、
ブログのサブタイトルの通り、
なんだかとても嬉しくも思います。
馬鹿者でいるのも良いものだなぁ、と、思ったりもします。
とても感謝なのです (*゜ー゜*)ポッ


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臆病者だから

2012-11-14 00:11:24 | 勇気
「練習しても上手くならないんじゃないか......」

ゴルフツアーで2年ぶりの優勝を飾った石川遼君が
試合後のインタビューで涙ながらに話していた言葉。
今日のYahoo!のトップニュースには

「石川遼が初めて見せた “弱さ”」

なんてヘッドラインで載っていました。
ゴルフは僕もかなりハマっていた時期があって、
相当にやり込んだりもしたのですが......そんな

「ゴルフがとても好きなもので!」

とか、

「遼君が久々に優勝した!」

なんてこととか、
そういったことよりも、何故か?
僕は冒頭に記した遼君が話した言葉がとても印象的に響きました。
そして、とても心を動かされ、記憶もされました。



「何故、自分はこの言葉に強く惹かれているのだろう?」



そんなことをちょっと自分自身に問いかけて、
客観的に考えてもみると、
幾つかの理由も見えて来ました。



一つは、この言葉が、
普通では、
素人などでは、
とても想像がつかない様な「量」の練習を、2年間、
遼君が苦しみながらもひたすらに重ねて来たのだろうな......
ということを僕に「リアルに」感じさせたということ。



もう一つは、
仕事や世界やステージは違えど、
自分自身の中にもこの言葉に
「共感」出来るような似た経験があるということ。



さらには、
堂々巡りをしているようでも、最終的に、
練習というのはやっぱり裏切るということはないのだ......
という希望に向いた意味が
この言葉には逆説的に含まれているということ。



———————話しは少し変わりますが、つい先日、
どこかのテレビ局で矢沢永吉さんのデビュー40周年を
記念した特別番組が放送されていました。
その番組の中で

「長年にわたり売れ続けている秘訣は何ですか?」

という質問に対して、
矢沢さんはこう答えていました。

「臆病者だからかもしれない」

先に記した遼君のインタビューの答弁と同様に、
この矢沢さんの言葉は僕にはとても強く響きました。
矢沢さんは誰もが知るバリバリのロックンロールスター。
良き不良!?の手本!!みたいな人。
だから余計にこの言葉に重みが加わります。

「若い頃なら絶対言えなかったことだけど、
今は素直に言える気がする」

その後、付け加えるようにそんなふうな言葉も言っていました。
確かに矢沢さんの言う通り、
誰でも調子がいい時や、若い時、体が元気な時、
沢山のモノやお金、仲間......才能や地位や名誉、権力、能力......
などを手にしているような時は、
そんな自分の弱点を晒すような言葉が生まれたり、
自らの口をついて出る......なんていう状況は
想像も出来ないようなコトだったのではないかと思います。
幾年か前迄は「ツアー賞金王」で敵無しだった遼君も、
数年後、公の場で、
泣きながらこんな答弁をするなんて
想像もしていなかったのではないでしょうか......



———————話しは戻って、
遼君がインタビューで答えたその言葉から感じた事は
もう一つあります。
それは、

「これから彼はもっと強く、上手くなるんだろうな、、、」

ということ。
例え遼君の状況がYahoo!ニュースの見出し通りだとしても、
人前で自然に弱さ「も」見せられたというのは、
実はとても強いということでもあると思います。
矢沢さんが言う通り、
臆病者で弱いからこそ生き残れる、強くなれる......
そんなこともあるのでしょう。

「恐いことを知っている」

ということも強くなるにはとても大事なことなのでしょう。
「強い」ことと「恐いものがある」ということとは決して矛盾しない、
と、そういうことなのでしょう。
まぁ、一度くらい

「練習しても上手くならないんじゃないか......」

なんて疑問を抱けるくらいのとんでもない練習や、
突き詰められる様な何か......を見つけたり、
やってみたりすることの方が凡人の僕には
先のことのような気もしますけど......ポリポリ f  ̄. ̄*)



世界に僅かしかいないナイキの専属契約クラブデザイナーさんに
作ってもらった特注クラブ!
「宝の持ち腐れ」とはこのことだーー!(><)/
ゆるせーーっ!


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星の道 2

2012-11-12 00:13:49 | 勇気
最後に、
この本の中に書かれているとても印象的な言葉を記しておこうと思います。




—————————ある夜、
友人とこんな話をしたことがある。
私達はアラスカの氷河の上で野営をしていて、
空は降るような星空だった。
オーロラを待っていたのだったが、その気配はなく、
雪の上に座って満天の星を眺めていた。
月も消え、暗黒の世界に信じられぬ数の星がきらめいていた。
時おり、その中を流れ星が長い線を引きながら落ちていった。

「これだけの星が毎晩東京で見られたらすごいだろうなあ......
夜遅く、仕事に疲れた帰り、ふと見上げると、
手が届きそうなところに宇宙がある。
一日の終わりに、どんな奴だって、何かを考えるだろうな」

「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。
たとえば、
こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。
もし愛する人がいたら、
その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」

「写真を撮るか、
もし絵がうまかったらキャンバスに描いてみせるか、
いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」

「その人はこう言ったんだ。
自分が変わってゆくことだって......
その夕日を見て、感動して、自分が変わってゆく事だと思うって」

人の一生の中で、それぞれの時代に、
自然は様々なメッセージを送っている。
この世へやって来たばかりの子どもへも、
去ってゆこうとする老人にも、
同じ自然がそれぞれの物語を語りかけてくる——————————



大好きな星野道夫さんのことは、
またどこかで......記したいと思います。



星野さんの写真は、いつも、
命を紡いでいけるギリギリの自然環境や
極限の厳しさの中だからこそよく見える、
浮かび上がってもくる「命の煌めき」や「美しさ」、
「強さ」や「儚さ」のようなものを写しているように
僕には思えるのです。


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星の道

2012-11-10 06:01:03 | 勇気
自宅の書棚を整理していたら、
こんな古い雑誌が出てきました。



「SWITCH」1998年1月号。
「星を継ぐ者たち」
星野道夫特集。



おおおぉぉーー~!!
こ、これは......残す!(・o・)ノ
ハーイ!当然!



この号は僕の大好きな星野道夫=ホシノミチオさんの特集号。
表紙のデザインは光沢のある「特色」シルバーで印刷されています。
色もデザインも本当に美しい仕上げ。
通常のものより、きっと高い制作コストになっていると思われ。
そこには「SWITCH」編集部の星野さんに対する
深い敬愛の気持ちを感じます。
当然の一目惚れ!と、僕は即買い。



そして、もちろーーん!ヽ( ´ ▽ ` )ノ......の永久保存!



星野道夫さんというのは
日本を代表するカメラマンの一人でエッセイストでもあります。
かなり前に43才という若さで亡くなられてしまったのですが、
アラスカの地に住みながら
数多くの素晴らしい写真集やエッセイを残しています。
「その道」ではとても有名な方。
世界で最も有名で権威もあるアメリカの自然科学情報誌
「ナショナル・ジオグラフィック」
にも写真が掲載されたりしていました。
これ迄に、
この雑誌に写真が掲載された日本人写真家はたった3人しかいません。
岩合光昭さん。
原田純夫さん。
そして、星野道夫さん。
どなたもとても有名な方です。
星野さんに関しては表紙写真までも飾っています。
それはカメラマンにとっては、言わば
「アカデミー賞 自然写真部門グランプリ!」
みたいなものなのです。
とてもスゴい事なのです。



星野さんが子供の頃......それは13才ぐらいの頃。
東京の近郊に生まれ育ち、
北海道の大自然に強く魅かれていた彼は、
都心を走る満員の通学電車に揺られている時などに
いつもこんな事を考えていたのだそうです。



「自分が日々、
町の中で暮らしている同じ瞬間に北海道で熊が生きている。
そいつは、今、どこかの山を登りながら、
大きな倒木を乗り越えようとしているかもしれない......
そんな事を考え始めると、不思議で不思議でならないのである。
そしてその不思議さは、
自分の存在が消えてしまうとさらに不思議なのだ。
つまり、クマと出会うのではなく、
その風景を天空から見ている自分を考えることで、
人間のいない世界に流れる自然の気配を想像する不思議さである。
その頃は言葉にできなかったが、
それは全てのものに平等に同じ時が流れている不思議さだった」



......それは全てのものに平等に同じ時が流れている不思議さだった......



星野さんのそんな北海道への憧れは、
やがて極北の大地、アラスカへの憧れへと変わっていきました。
そして大学生の時に親友を亡くしたことがキッカケとなり、
人の一生の短さを強く感じ、限られた時間の中で

「自分は本当に好きなことをやっていこう」

と決心。
26才の時に日本を飛び出し、
憧れていた北の大地「アラスカ」に移り住みました。
そして、そこから写真家への道も歩み出すことになります。
彼はその後、極北の厳しく、しかし、
どこまでも深い優しさを湛える大自然と生命達とをひたすら写真に収め。
素晴らしい言葉と共に多くの本や作品に残してくれました。
特にオーロラやゴマちゃん(アザラシさんです)の写真などは
色々な所で広く使われていたりもしていて、
皆どこかしらで目にしているような事があるかと思います。
ネット等で探してみたりすると、

「ああ!?、、コレ!?この人の写真なんだ。。。へぇーー。。」

......なんてことになるかもしれません。

そして、最初に記した様に、
星野さんが北の大地に深い興味を持つキッカケとなったことというのは、
実は「熊」でした。
彼は北極圏に生息するシロクマも含めて、
実に多くの熊達の貴重な生態を沢山撮影してきました。が、
そんな彼の最期というのは、実は......
その大好きだった「クマ」に襲われて命を落とすのです。



......なんという、



.......運命とでもいうのでしょうか。



......不思議な感覚を覚えます。。



星野さんが残してくれた多くの本の中でも個人的に大好きな本は、
音楽でいえば「ベスト盤」的なモノとも言える、コレ、



「Michio's Northern Dreams」というタイトルの写真&エッセイ集。
全五巻にまとめられているシリーズで、超お得!な感じです。
この本は今迄、僕自身仕事で煮詰まったり、
アイデアが出なくなったりした時に、
幾度となく助けて来てくれた、
とても大切な友達のような素敵な本です。
沢山のアーティストや作家さん達にも
折りに触れプレゼントをしたりもしてきました。



最後に、
この本の中に書かれているとても印象的な言葉を記しておこうと思います。



にょっ!?
......夜が明けてきまちた。。
眠いので、ココでつづいたりなんかして。。( ̄‥ ̄) = =3


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線引き

2012-11-08 04:42:39 | 願い
いやーー......今日は......
大きなアーティストプロジェクトで
一つ重大なトラブルが起きたりなんかしまして......
正確にいうと、
トラブルになる前に何とか解決したというか、防げたというか......
まぁ、本当に

「ギリギリセーフ!」

なんて状態でした......ε-(´・`) フー
一件落着。。
この件の担当スタッフさんが今日、
僕の所に相談に来た時にはこう言ってました。

「......一週間前から気になっていたのですが、、
明日までに解決しないと大変だと思います、、、、」

いま、もう、その「明日」なのですが......
まぁ、事の詳細をしっかりと聞いてみると、
この相談に来たスタッフさんに何か業務的な失敗や
落ち度などがあるわけでは決して無くて。
むしろ、被害者的な要素の方が多くあるような感じでもあって。
自分のプロジェクトにどことなく

「心配な雰囲気がある」

ということを以前から感じつつも、実際、
コトが起きる寸前迄その心配事は流し置いていて。

「ギリギリ迄様子を見ていました、、」

なんていうことでした。
ここで僕の中に浮かび上がってきたもう一つの問題は、

「問題の予測が出来ていたのにも関わらず、
ギリギリの所に来る迄そのままにしていた真の原因は何なのか?」

ということでした。
その原因を突き詰めていくと実は、

「仕事相手と自分との間で、
業務範囲や責任範囲に関しての線引きをとても強くしていたこと」

という部分にあるということに今回は突き当たりました。
そんな業務や責任に関しての「強い線引き意識」が、
実は今回の問題の原因の一つにあるのではないか......と。
問題発生直前まで解決にあたる動きをしなかったことの根本原因には
そんなことがあるのではないのか......と。
問題解決後に、そんな話しをそのスタッフさんとしました。



線引きをしっかり設ける。



それは一見何の問題も無く、
むしろ必要で大事な考え方と思えるようなことかもしれません。
それも否定はしません。
間違いではないと思います。
ただ、自分以外にも多くの人が関わるプロジェクトともなれば、
そこで「あるレベルを超えた」大きな問題が起きたりすると、
最終的にそれは

「誰が間違えた」
「アイツが悪かった」
「私に間違いは無かった」

......なんてことだけでは済まされない状況となるのは明白なことですし。
そんな状況においては、きっと、
それに関わる全ての人達に何らかの形で、何らかの影響が及び。
それぞれに何らかの問題が降りかかっていくものだとも思います。
そんな予測が出来る問題を解決していくには、防ぐには、

「線引きをしっかり守る」

という考え方だけでは限界がある、
問題を解決出来ないことがある......ということも、
経験上、また事実であると僕は思っています。
そんな状況においては、

「ココまではあなたの責務」
「ここからが自分の責務」
「ここまでやってもらわないと、そこは自分の責任ではないだろ」

そんな線引き意識を時に飛び越えることが大事になると思います。
そんな線引き意識を必要以上に持ち続けることによって
起きる問題もある様に思います。

「地球に国境なんて無い」

......なんて、
色んな人がテレビや本などでたまに話されたり見かけたりします。
勿論

「そのとおり!」

と思うようなことではありますが、もしかしたら、
そんなことを伝えるには漠然と大きな視点から話すのではなくて、
むしろ、それぞれの普段の生活の中における諸々の出来事において、
そう言った

「線引きをし過ぎない」

ということの重要さを説いた方が理解しやすいと思いますし。
そんな実践を多くの人が行っていった先に初めて、

「地球に線など引かれてはいない」

ということの実現や実感があったり、

「国境は無い」

なんて言葉の意味に
真に目覚めていくようなことに繋がっていけるのかもしれないな......
とも思います。

生命の生まれる根幹理由の一つに
「自己を表そうとする衝動」
というモノがあるのだとすれば、
「個体間の違い」というのは必然的に生じるものであって。
「何かが違う」という個体同士が同じ世界で心地よく生きていくためには、
「区切り」というものはとても大切で必要なことだとも思います。
自身も含め、それぞれ多様な存在を尊重していくこと。
それでも、その区切りの外側には
多様な個体や生命などと繋がって存在している大地や空や水や空気があって。
そんな共有されているモノ達が侵されそうな時や、
問題が発生しそうな時には、
時に「区切り」という概念を無きモノとして、
引かれた線も踏み超えていくような行動も必要になるのではないかと思います。
時に自他を分ける区切りを無くして、
相手の領域に立って考え、
動かなければいけないようなこともある様に思います。



そんな事をしている時には、
自ずと「区切りの線」は消えているのだと思います。



そんな事を考えさせられた一日でした。



勿論!



出来事の詳細は話せませんが。。( ̄ー ̄; アセアセ......



空から見る景色。
いつも心の何処かに置いておきたいものでございます。
ぶひぶひ。。


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999.9 NP-51

2012-11-06 01:56:08 | 感動
999.9(フォーナインズ)という日本の眼鏡フレームメーカーさんがあります。
日本人の顔や骨格を意識して日本人のデザイナー、
日本人の職人さん達によって作られているフレームで、
そのメイド・イン・ジャパン!にしか出来ない様な繊細なつくり、素材、
品質にはいつも感激してしまう眼鏡さんなのです。
そのブランドの2008年の限定モデルが写真の「NP-51」です。
「オリーブ」というカラーのモデルになります。
ちょっと目の悪い僕が最も気に入っていて、
長年愛用している「愛おしい」眼鏡でパートナーさんです(*'ー'*)



昔、原宿に「ロイド」という
「その道」では有名な眼鏡屋さんがあって、(今もあるのかな?)
そのロイドに置いてある色々な眼鏡の中でも
「999.9」はピカ一の存在感を放っていたメーカーでした。
フォーナインズというそのメーカーは三瓶哲男(みかめてつお)さんという
眼鏡デザイナーさんを中心に数人で立ち上げた会社で、
有名店だったセレクトショップ「ロイド」に、
最初は何度も何度も必死に頼み込んでやっと商品を置いてもらった......
という所から始まるブランドです。

そんなフォーナインズの数あるモデルの中でも、
2008年に出たこの「NP-51」のデザインは、
今でも並ぶものがあるとは思えないほど素晴らしいものだと、
僕は「勝手にですが」思っています。
一目惚れで買ってしまいました。

目が悪い人用の「度入り」のレンズというのは
歪んでしまっては使い物にならないので、
普通はフラットなフレームデザインの眼鏡にマウントされます。
オーバルにラウンドしたフレームにはとてもじゃないですが入れられません。
スポーツ系やおしゃれ系のグラスなどにはマズ入れられません。
そんな中で、この「NP-51」は、
スポーティーにラウンドしたフレームに度入りのレンズをマウントするために、
なんと!
フレームの内側にフレームから浮かせる様にしてレンズを取り付けています。
こーーんな感じです......



レンズはそのまま曲げる事無くラウンドデザインのフレームから浮かせ、
サイドのフレームラウンドがキツくなる部分では、なんと!
フレームにクロスさせて!
取り付けられています。
モノ好きの僕には感激のデザインなのでございます。

見た目の印象はサングラス的なスポーティーさがあるのに、
度入りのレンズが歪む事無く取り付けられている。
しかも、トータルデザインも唯一無二の完成度......感激でございます。

しかも、このプラスチックフレームは、
フォーナインズがコダワリにこだわって仕上げた
「ネオ・プラスチックフレーム」と言われるもので。
とにかく軽く、しかし、
プラスチック特有の「しなり」が極力抑えられている素材になっています。
センターにある「フローティングタイプ」の鼻アテにしても、
プラスチックフレームに付けられたものは
フォーナインズが登場する以前はほとんどありませんでした。
フローティングタイプの鼻アテというのは、
実は金属製のフレームに特有のものだったからです。



つい最近。
コイツを何処かに置き忘れてしまい、
無くしかけた事があったのですが、
翌日、奇跡的に僕の元に返って来てくれました。
よかったよぉぉーーーっ!!(>▽<;; アセアセ
もし、無くしてしまうと、もう今では買えないのです。
オークションなどでも出る事はあまりなく......
出ても白とか黒とか、フレームのデザインにミスマッチな色だったり、
やたら値段が高かったり......



以前も記した、コイツやこいつ......など、
「心から気に入ったもの」
と一緒に暮らすというのは、
何だかとても素晴らしいことに思えるのです。
なんだか幸せに思うような時もありますし、
勇気をもらうような事もあります。

「え!? 頭おかしいんじゃないの? きみ!?」

なんて思われるかもしれませんが、
僕の場合本当にそんな感じなのです。
選びに選んで、
自分なりにコダワリにこだわって。
その結果出会えて。
手にする事が出来て。
だからとても長く付き合える。
そして......
そんなモノモノの後ろには、決まって素晴らしい人......
思いや、情熱を込めている凄い作り手さん達がいる。
「NP-51」もそんなモノの一つだと思うのです。
まだまだ君を超える眼鏡はあまり無い様に思うので、
しばらくのお付き合いお願いします(*゜ー゜*)/



あっ!



最近!



「ic! berlin」(アイシー!ベルリン)という、
ドイツの若き工業デザイナーさんが手掛けるブランドがかなり気になっています......
「ネジが一本も使われていないフレーム」
という眼鏡で、デザインもヤバくて。
試しに掛けにいってみたら......
すこぶる良かったです......
ちょっと浮気な気分も......( ̄- ̄)むふー。。

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広げた手のひら

2012-11-04 00:16:03 | 素敵
どうもKさんはフラレタようです。



その時僕はハタチぐらい。
Kさんは二つ年上の男性の先輩だから......
22才ぐらいだったでしょうか。
身長は180センチ以上で肩幅もあってガタイも良い。
足も標準的な日本人より長め。
10代を数年間アメリカで過ごしていたせいか、
価値観もファッションも完全にアメリカン!なスタイル。
それも、芯から。
映画「タクシードライバー」のデニーロに似てる感じ!?で。
無精な口髭と顎髭をはやし、
肩ぐらいまで伸ばしている黒い長髪は、
いつも少し前髪を垂らしつつ、
後ろは後頭部の辺りでヘアバンドでまとめられていて。
野生的というか、
野武士的というか。
いつもKAWASAKIの400ccのバイクに乗っていて。
ティアドロップ形のレイバンのサングラスをかけていて。
そのグラスを取った顔も......濃いめ!(@。@)
そんなKさんと一緒にアルバイトとして働いていたカフェバーで、
2人してビールを飲んでいた時の話しです。
名物の長いカウンターの隅っこに2人並んで坐っていました......



Kさんはその店のキッチンのコックさんで、
僕はフロアーでカウンターを預かるメインのバーテンダー。
いつもコンビのように働いていて。
実家を離れて暮らしている僕達二人にとっては、
そのお店はまるで家のような場所、存在でもありました。
仕事が無い休日に街を遊び歩いた後にも、
そんな家の様なお店の様子を覗いてみようと、
家族の様なスタッフの顔を見てみようと、
ノコノコとビールを飲みに来ていました。

その頃のKさんには一人、
Kさんよりもう二つぐらい年上の「憧れの女性」がいました。
彼女は美大で画家を目指している凛とした美しさを持ったとても神秘的な人。
色々な家庭の事情もあって、
若い時から自分で稼いだお金で学費も生活費も全て賄って、
ひたすら大好きな「絵」の勉強に打ち込んでいたような人。
Kさんはそんな彼女を、ずーーーーっと、数年間、
片思いちっくに想い続けていました。

Kさんから聞く彼女の生活というのは見方によっては壮絶で。
二十歳そこそこの美しい女性が古い安アパートに一人で住んで、
キャベツ一個で一週間を過ごすようなこともあったようです。
ある時、彼女が部屋の冷蔵庫を開けると、
白いハズの冷蔵庫の中が真っ黒になっていたようなこともあったそうで、
それは、
電気代も払えないのでコンセントを抜いて食料入れの様に使っていたら、
古くてゴムパッキンもヨレヨレになっていたドアから沢山の蟻が入り込み、
内側の壁一面にビッチリと張り付いていたから......だったそうです。
それでも彼女は稼いだお金の多くを
大好きな絵を書くための道具に注ぎ込んでいたようでした。
そんな女性です。



僕達はカウンターのハジっこに座り、
Kさんはすこーし酔っぱらいながら、
そんな彼女に言われたことをブツブツと僕に話し出しました。
ある時、彼女はKさんに、
目の前の空間いっぱいに手のひらを広げながら、
こんな話しをしたそうです。



「......あのね、Kちゃん。
私が好きな男性っていうのはね、、こう、
手をイッパイに広げるでしょ......
ジャンケンのパーみたいに。
男の人って、大体こんなかんじ。たぶん、みんな。
手のひらから出ている指の様にトゲトゲ、
ギザギザしているような所があってね、
それでね、ほとんどの男の人っていうのはね、
社会に出て、大人になっていくに連れて、
その広げた手の指一本一本を、こう、、削って、削って、、
削っていって、折っていって、
ジャンケンのグーみたいになっていって、、
そうして、丸くなっていくの。

それでね、私の好きな人っていうのはね、
その最初に広げた手の指を絶対に折らないの。
削らないの。

でもね、世の中は大変だから、
やっぱりちゃんと丸くなっていかなくちゃいけなくて。
どう丸くなるかっていうと、
その広げた指の間に色々なものを付け足していって、
指の間を厚く埋めていって、
そうやって丸くなっていくの。
私はそうやってマルくなっていった人が好き。
私はそういう人が好きなの。

そうやって丸くなった人の丸さってね、
何も削ってないから、ね、とても大きな丸なの。
グーよりも全然大きい。包めるくらい。
野球のグローブみたいな丸。
私はそういう人が好き。
私の彼氏ってね、、、そういう人なの......」



......Kさんはどうやらフラレタようです( ̄+ー ̄)



Kさんにそんな話しをした暫く後、
Kさんの憧れの彼女は素晴らしい「個展」を
全国各地で開けるまでに成功しました。
画家としたらそうそう出来るような事ではないのだそうです。
それをKさんも嬉しそうに、誇らしげに話していました。

最初の個展を開く時は当然スポンサーなどいなくて、
資金なども相当額必要だったと思いますが、
なんでも、彼女の彼氏というのが鳶職の方だったようで。
仕事が入っている時とそうでない時の収入の差がとても激しく、
その中で多くのお金が入って来た時には

「絵のために使ってくれ......」

と、まだ結婚もしていなかった彼女に
いつも渡していってくれたのだそうです。
彼女は数年間、
そのお金だけは一円も使わずに全てを貯金していて。
記念すべき一番最初の個展というのは、
その貯金していたお金で「彼と二人で」開いたのだそうです。
Kさんはその時、
それを我がことのように嬉しそうに話していました。

その個展はKさんもしっかり見に行ったようで。
一人、400ccのKAWASAKIのバイクに乗って、
東京から遠く、九州の地まで。

そんな話の最後にKさんは、自虐的に、
カウンターに置かれたハイネケンの生をジッ......と見つめながら、
こう言いました。



「そんな彼氏じゃさ、、、
今の俺じゃかなうわけないよな。。」



Kさんはフラレタ?ようです。。( T_T)\(^-^ )



今でも時々ご飯を食べたり、
何かと会う戦友のような大切な先輩Kさんは、
今では二児のパパでもあり、
素敵な家庭を素敵な奥さんと築いています。
奥さんは僕もよく知っている僕らに共通の先輩。
当時からKさんを何かといつも優しく支えていた姿を覚えています。
僕からすると、その画家になった彼女と全く同じ印象の、
素敵に大人びた、モデルの様にスタイルの良い美しい女性でした。
そしてKさんは、
今会うと「大きなグローブ」のような人です。



この頃暇さえあれば行っていた湘南、江ノ島(江の島)。
また近くビールでも持ってでかけようかな。(^^)


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天使の取り分 2

2012-11-02 00:12:31 | 願い
その決まって失われていくお酒のことを、
世界中の多くの酒職人さん達は昔からこう呼んできました......



「天使の取り分」



つづくことにした!(。・ω・。)




ANGEL’S SHARE......天使の取り分。
天使の分け前。
誰が言い出したのかわかりませぬが、
こーーんなことを言い出したヤツにはですね、
是非会ってみてですね、
こう言ってやりたいのです!



「おめーのそのセンス!
......俺にも分けて!(T.T)お願いしましゅ。。」



H君も訪れたサントリー白州蒸留所というのは、
とても広い敷地の中に建っていて、それはもう、
本当にめちゃくちゃ広いのです。
散歩なんかしていると敷地なのか普通の山の中なのかわからなくなります。
ただ......最近、その敷地の周辺地域では、
なにやら地下水位が低下するという現象が多く見受けられてもいるようで。
近隣にある家の井戸などでは水位の低下だけでなく、
透明だった水が濁るというような現象も起きているようです。



水がお酒の味に及ぼす影響というのはとても大きく、
当然ながら良いお酒に良いお水というのは必需品であり、
故に、良い酒蔵というのは決まって良い水があるか、
湧くような場所に作られます。
広大なサントリーの白州蒸溜所も当然そんな理由から選ばれ、
建てられたハズですが......

しかし、ココには......
個人的には少し残念に思う事などがあったりします。

それは、その美味しいウイスキーを生み出す美味しい水を、
いわゆるミネラルウォーターとして商品化、
ボトリングする工場までもが併設されているという事です。
その商品とは、多くの人もよく知っているであろう

「南アルプスの天然水」

という商品。
白州蒸溜所一帯における地下水の環境変化というのは、どうも、
このミネラルウォーター用の水の採取量や
生産量が年々増え続けていて、
その過程で起きて来た環境問題のような気がするのです......
確証はありませんが......
同じサントリーでも「山崎蒸溜所」のように、
ウイスキー生産に必要な分だけの水の採取というのであれば、
周囲にここ迄の環境変化を起こさせないような気もするのですが......

ミネラルウォーター......

しかも、何処ででも見かけることが出来るような
ヒット商品の大量生産となると......
それは本当に莫大な摂取量になっているかもしれません。
そもそも、同じ敷地内においてくみ上げる水が濁ったりしたら、
本来の目的であったウイスキー自体も造れなくなる、
美味しくなくなる......
という事態にもなってしまいます。



「天使の取り分」



もし、
熟成を重ねる酒樽から自然に失われていくお酒の量が莫大な量や、
必要以上の量だとしたら、
酒職人さん達は果たして「天使」という言葉を選んだでしょうか。



キリスト教においては、
神の世界から堕落し、
地に墜ちた天使を「堕天使」と呼び、
その長はルシファーと呼ばれ、
「悪魔」と同一の存在ともされています。
天使と悪魔は表裏一体と理解され、記されています。



きっと、全てのことにおいて、
分配されるべき「必要で」「適切な量」
というものがあるように思えます。
それは

「自然の摂理に許される量」

という言い方も出来るようなことかもしれませんが、
もし、その量を大きく上回るような摂取をすれば......
それは

「悪魔の取り分」

となるのかもしれません。
この白州蒸溜所周辺で起きていることは、きっと、今、
もしかしたら色々なところで起きていることなのかもしれません。

「必要量を大きく上回る様な量を取っていく存在」

それは水の話しだけではなくて、
生活必需品、富、財......
と言ったモノに置き換えて言う事も出来るのでしょうか。
天から白州に降り注いだ「水」は、
そこから海へと向かう旅に出ます。
その旅路では途中出会う全ての「命」に
「必要な取り分」を与えながら流れていくのでしょう。
その「取り分」を受け取る生命達が「天使」であるとすれば、
きっと「水」の旅は心地良いものになって、
そしてまた「必要な分が」海へと辿り着くのでしょう。



どうか、

この国に暮らす、

この星に暮らす多くの人々が......

天使であリますように。



毎日、自らの内に潜む悪魔との格闘をしている僕は、
なかなか偉大な自然と調和出来るような人や天使になれませんが......
いちおー、頑張ってみてはいます。



ワイルドターキーの12年モノ。
僕は前回記したようにブッカーズ好き!ですが、
コイツの12年はナカナカ。。
学生の頃は憧れのバーボンでした(^_^)


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