雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

鏡の世界 2

2012-07-31 00:43:21 | 不思議...パワスポ寺社
目を閉じ、真剣に、
一心且つ神妙な気持ちで大切なお願いをした後、
閉じていた目を開け、顔を上げます。



そして、その時、
その目に映っているのは......




そうです。
自分の姿です。
鏡に映る自分の姿です。



はるばる東京の地から伊勢の地までやって来て、
真剣にお願いしていたその相手とは......
実は自分自身だったのです。
神様ではなかったのです。
自分自身に出会うためにはるばる東京から出かけて来たのです。
それは、神とはあなたの中にいるものですよ、
神とはあなた自身のことなのですよ、
ということなのかもしれません。
その願いを叶える事が出来るのは、
他でもないあなた自身なのですよ......と。
これも「鏡」ということ。
鏡ということの意味。
日本の神道の深遠さというのは本当に計り知れません。



中学生の時、
本屋さんでふと目に止まった写真がありました。
それは、子供の様に純粋そうな目をした、
白髪でボサボサ頭の爺さんが

「あっかんべーっ!!」

なんて顔をしているミョォーに気になる写真。

「何だこの爺さんは!?やたら気になるやんか、、」

と調べてみると、何やら「相対性理論」という、
ムズカシそうな理論を打ち立てた物理学界のスーパースターらしい。

「アインシュタイン!?どれどれ、、」

と、僕はそのお爺さんの理論の概略本を手に取り、
一人ヒッソリと読むことになります。
そして、その本から受けた衝撃は......その後、
僕を趣味の物理世界にドップリとのめり込ませてしまいました。
オラオラ系の友達などには

「コンナコト絶対に言えない!!」

わけでして。
なので、とても個人的な秘かなお楽しみ!という範囲で、
その後の僕はニュートン力学から始まり、
量子論、量子力学、ひも理論に標準モデル......等々、
色々な本を読みあさっていきました。
そんな物理的、論理的思考で出来上がってしまっていた僕が、
ある時、神道の深遠さに触れてしまうわけなのです。
それはそれは......

「すげぇな。。。」

と。愕然として、ぶっ飛びますのです(><)/



色即是空、空即是色。(しきそくぜくう、くうそくぜしき)



これは、多くの仏教宗派にも取り入れられ、
真言宗の開祖でもある
天下のスーパースター「空海」さんも重視した
般若心経にある最重要、且つ有名な一節。
これまでに様々な解釈がなされて来た言葉でもありますが、
個人的には、
今回書いてきたこの「鏡の世界」の内容で僕は理解しています。
仏道も神道も、物理学も数学も(数学は全く分からーん!)
きっと同じ「頂き」を目指し進んでいるのかな......とも思います。



全ては鏡の世界。



良いことも悪いことも全て反射していく世界。



ちょっと理解し難いのは、



直接的な反射も間接的な反射も沢山起こっているから。



さらに理解しがたいのは、



それが「時間差」を持って起こっているから。



してあげた事、した事が返って来るまで......
多くは忘れた頃にやってきたりなんかします。
だから二つの要因を結びつけて理解できないようなことがほとんどで。
今してあげた事は遠い未来に返るのかもしれない。
それは生きているうちに起こるのだろうか!?それとも......
今起きている事は遠い過去にした事の反射なのかもしれない。
それとも......

アーメン......ヽ(´A`)丿

僕の神社好きというのはこんな所からスタートしています。



昨日少し触れた「天孫降臨の地」候補の一つ、
九州、霧島連山、高千穂峰の山頂に突き刺さる
「天逆鉾=アメノサカホコ=アメノサカホコノツルギ」
ちょうど太陽が出て来た瞬間なのだ!(><)ぴゅーっ!


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鏡の世界

2012-07-30 00:16:55 | 不思議...パワスポ寺社
日本最古の書物の一つである「古事記」と、
それに続く「日本書紀」の二つを合わせ、
通称「記紀=きき」と呼びます。

その記紀に書かれている神話の中で、
太陽神であり、皇祖神でもあり、
日本国の神ともされている天照大御神(アマテラスオホミカミ)は、
神々の住む天上世界、高天原(タカマガハラ)において、
孫である瓊々杵尊(ニニギノミコト)に

「人々の暮らす地上を良く治める様に、、」

という命を下します。
これが有名な、
いわゆる「天孫降臨(てんそんこうりん)」の物語。
日本の地上史はここから始まるという神話。

命を受けたニニギは、
高天原から地上世界......現在の日本とされている豊かな島国......
葦原中国(アシハラナカツクニ)に降り立ちます。
この時、
先々に起こるであろう様々な困難を心配した(であろう)アマテラスは、
辛いことにも決して負けない様にと、
たった一つだけ、
天上界からのお土産をニニギに持たせます。
神話においてアマテラスが
「直接語り、手渡したモノ」は「たった一つ」です。
それは、
現在ほぼ全ての神社の拝殿で中央に置かれ祀られているもの......



それが、鏡です。



丸い、太陽のような鏡。



神話におけるこの鏡は八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれ、
今も「三種の神器」の一つとして
天皇家が受け継ぎ守っていると言われています。
また伊勢神宮内宮に置かれ、守られているとも。
社におかれる多くのものは太陽をイメージさせるデザインになっていて、
下の台座は燃える炎や雲の様な彫刻が施され、
その上に磨き込まれた円い鏡が載せられています。



この世は全て鏡。
対する相手の中に理不尽さを認めたら、
それは即、自分の中にある理不尽さと同じもの。
相手に愛を感じたら、それは自分の中にもあるもの。
誰かに親切にされたら、
きっと自分も同じ事を誰かにしている。
そういう優しさを持っている......



アマテラスはたった一つ、それだけ、
地上に降りるニニギに教えたのだと思います。
それがこの世界を生き抜く唯一のコツなのだと、
そう教えたのです。
コレが日本の神様の教えであり、
あまり表では語られない日本神道の奥義の一つです。
神道と言うのは、故に、僕の中では宗教ではありません。
それはギリギリまで研ぎすまされた
「哲学」と言って良いもののように思えています。



もう一つ。
例えば、
長い時間をかけて大好きな神社に出かけたとします。

「きゃー!えんむすびぃぃぃー!」
「神様おねがーい(><)」
「宝くじあててくだされーーっ!」
「お受験制覇ぁーーっ!」

などと、仮に東京から三重県、
伊勢の地まではるばる片道三時間かけて行ったとします。
電車を乗り継ぎ、駅に着き、
タクシーに乗って鳥居の前に降り立ちます。
「赤福」も食べたいもんだから、
ちょっとお茶屋で一休みなんかして。
そんでもって、なんだか妙に混雑している長い長い参道を、
巨大な杉の木の立ち並ぶ姿に圧倒されながらてくてく......と進み。
いよいよ神聖なる拝殿の前に到着します。
気持ちを引き締め、
出てるおなかを気持ち凹ませて、
お辞儀をし、
柏手を響かせます。
両手の掌を胸の前で合わせ、いよいよ......と、
叶えて欲しいお願いをします。
目を閉じ、真剣に、
一心、且つ、神妙な気持ちで大切なお願いをした後、
閉じていた目を開け、顔を上げます。



そして、その時、
その目に映っているのは......



あっ!?



なぜ僕が神社が好きなのか......
という些細な話のつもりが......
こ、これ、長くなりそうな感じ......
物理の話もちょっと絡めなあかんし、
サッカーオリンピック代表のモロッコ戦も始まってしまいそうだし......
うーー......
つづくぅー!(><)/



赤福ぅーっ!伊勢本店の「盆」せっとーーっ!
どやーっ!


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現れ、消えて。

2012-07-29 00:16:19 | 感謝
立ち上げから5年間プロデュースしてきた夏フェス
「TOKAI SUMMIT=東海サミット」
が今日、土曜日、暑い夏の貴重な1日に開催されていました。
6年目の今年は僕の手を離れて運営されています。

もう何ヶ月も、今日の昼まで、
名古屋に行こうか行くまいかずっと考えていて。
行かないと決めた後は、1日なにもせず、
家の側を流れる多摩川の土手に坐っていました。

上を見上げると、
青い空と、
そこに程よい量の白い雲が浮かんでいて。
しばらくそれをずっと一人で眺めていました。



——————みんなは元気だろうか。



空を眺めていると、
このブログで一番最初に書いた
ブログタイトルにもなっている出来事や風景が
鮮やかに目前に浮かんできました。
そして、その時の時間も空気も、匂いみたいな感覚も、
だんだんとリアルに感じられてきて。
少しの間それが「今」という時間と重なり、同化して......
消えていきました。



その後は様々なことが現れ、消えて。
現れ、消えて、また現れて......



——————みんなは元気だろうか。。



マクドナルドのハンバーガーが食べたくなって、家に戻り。
近所だというのにわざわざ青色のオープンカーを引っ張り出して。
屋根は閉めたまま、
右手に多摩川を見ながら土手沿いの道を一人で走り出しました。
走る車のラジオからはフジロックフェスの中継が流れています。

「そうか、今日はフジロックなのか。。」

ちょっと景色がボヤケてきて、僕は、
消えて、無くなりたくなります。

マックを出て、
今度は涼しくて広いカフェに入り、
アイスカフェラテを頼みました。
冷たいカフェラテはとても美味しく感じられて、
じーーっと、茶色い珈琲を透かしながら、
沢山の涼しそうな水滴をつけている細長い透明なグラスを眺めていました。



......何かの思いが込み上げて来ます。



......ふと、大好きなカリール・ジブランの詩が頭に浮かんできました。



暑い、本当に暑い夏の一日。
なにもしてないけど、僕はちゃんと闘っています。
毎日、ちゃんと、祈っています。



——— 子どもについて ———  カリール・ジブラン

あなた達の子は、あなた達の子ではない。
大いなる生命が自分自身に憧れる、
その憧れの息子であり、娘たちだ。

あなた達を通して生まれてくるが、
あなた達から生まれるのではない。
あなた達と共にいるが、あなた達のものではない。

子供に愛を与えることは出来ても、
考えまで与えることは出来ない。
なぜなら、かれらは自分自身の考えをもっているのだから。

子供の体を家におくことは出来ても、
魂までおいておくことは出来ない。
子供の魂は明日の家に住んでいて、
あなた達は夢の中でさえ、その家には入れない。

子供の様になりたいと願うのはいい。
しかし、子供を自分のようにしてはいけない。
命は後戻りも、昨日にとどまることも、しない。

あなた達は弓だ。
子供はその弓から、生きた矢として放たれる。
射手は、無限に続く道の先に狙いを定め、
矢を速く、遠くへ飛ばそうと、
大いなる力であなた達をたわめる。
大いなる射手の手の中でたわめられている、
そのことを喜びとしよう。
飛んで行く矢が愛されているのと同じ様に、
手元に残る弓もまた、愛されているのだから。


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いや、奇跡では、、

2012-07-28 00:07:28 | 嬉しい
サッカー男子五輪代表、スペインに勝ったやん!

やた!やるぅぅ!!きゃーっ!(><)/

と、でも
「グラスゴーの奇跡」
という報道の仕方にはちょっと違和感が......
せめて「奇跡」より「歓喜」チョイスにしておいてもらった方が
まだしっくり来るのかなぁ......どうなんだろ。
今や日本サッカーには選手、関係者、ファン共に
「マイアミの奇跡」の頃とは明らかに違うレベルの上昇感と
プライドも生まれているように思うのです。僕は。はい。
サッカーに興味のない人には全くもって退屈なカキコでしょうね、これ。
はい。すいませぬ。

そんな人にはこれ。

どぞどぞ。



明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰さんという方が書いた
「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」
どぞどぞ。
サッカーの国際試合で勝った時の誇らしい気持ちが味わえます。
どぞ。
僕さんは別段「右」というわけではありません。
巻末の北野武さんとの対談も含めてなかなか面白い本なのです。
どぞどぞ。



サッカーリテラシーが高めなあなたとはもう少し......
そもそも直前の練習試合のメキシコ戦を見た時に、
サッカーフェチーズの間では



「メキシコすげーなぁー。。
メヒコの方がスペインより強いんじゃね?。。。ん!?
ん!?ということは、
スペイン戦もかなりイケんじゃないの!?ん!?」



なんていう街角カフェトークもちらほら展開されていましたし。
昨日も、相手ボールの時でもかなり落ち着いて
回させていたようにも感じられましたし。
むしろあのゲーム展開を見るに、
フェティッシュな新聞の見出しとしては



「決定機外しすぎーーっ!なにゆえー!?」
「せめて3-0でしょーーっ!!じゃぱーん!」



なんて見出しをつけたいくらいで。
フェティッシュな僕は。はい。
ま、いっか (*´ω`)
嬉しいのに間違いは無いから。うん。
だいたい僕が小、中、高一まで......と、
サッカーやってた頃はJリーグの様なプロも無かったし。
ワールドサッカーは
「三菱ダイアモンドサッカー」
というテレビ番組でしか見れなかったですし。
ベッケンバウアーやマラドーナがキラキラしてて。
日本がワールドカップやオリンピックに出ることすら夢の世界。
オランダのACミラントリオやプラティニに憧れ。
グーリット帽をワキャワキャとかぶってた感じ。
(マニア向けトークなう)
自分のようなポンポコ野郎の極みに至っては、
サッカーをやっていた動機が



「野球みたいに坊主頭になりたくないんだもーーん( ̄。 ̄)
でも部室は使いたいんだもーーん。色々あるから。
でもガールズにひっかかる、
スポーティな感じもちょっと欲しいんだモーーン。
サッカー好きだけど練習はキライなんだもももーーん。
だからサッカーなんだもーーん......」



なんて、人として最低レベルの思考形態でやっている始末。
はい。ごめんなさい。
当然、周りを見渡すと悪そうな面々ばかり!?

きゃーっ!

たすけてーーっ!(><)/

それが世界ランキング1位の国と
公式戦で堂々と試合出来るような国になってるんだものなぁ......
すげーなぁー......

嬉しい!

ワールドカップ初出場やマイアミの奇跡の時の様な感動はない!

でも嬉しい!

そゆこと!

にゃーーっ!


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いつか、きっと

2012-07-27 01:49:37 | 願い
うう。。ちょっとよぱらた。。


男子サッカーオリンピック代表がんばれーー!
勝てるぜ!スペインにぃぃぃっぃ!


あっ!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ、、、
今日は、映像制作、配信チームのメンバーと食事会でした。
よぱらてます。。


足下に2つの分かれ道があるとします。
ひとつは現在の自分を取り巻く環境の延長線上や、
その近い範囲へと続いていく道。
もう一つは、けっこう未知の世界へと続いていく道。
未知故に先は見えず。
でも、なんだか楽しいこともあるような。
でも新たにしなければいけない努力や負荷も確実に予想出来るような......
そんな方向に向かう道。


そんな二つの道の岐路。


その分かれ道に一人佇んだ時、多くの場合、
僕は少しでも安心できる方、
負荷が軽そうな方に心が傾いてしまいます。
......いかんいかん......それはちと違うかも!?
という思いも含めて僕はツイツイそちらに傾きがちになります。


ヤワな僕。。(T . T)


今日一緒にご飯を食べた映像制作チームは、そんな岐路に立った時、
新たな努力や負荷のありそうな方を選んでくれる、
くれている、チームでした。
それがとても嬉しくて、尊敬できて、勉強になりました。
夢というものはそんな厳しそうな道の先の方に初めて見えてくるもの、
存在するもの、ではないかとも思います。
だからそちらを選べるこのチームは夢を見る
「資格」があるチームだとも思いましたし。
そちらの道を選べるという「強さ」は、
それがそのまま資格ということでもあると思います。
もし今、現在、
未来や夢のようなものは全く見えていないような状況であったとしても、
その強さがあれば、
そんなモノはいつか自然に現れて来てくれる、
作っていける......とも思います。


イチローさんがヤンキースに移籍しました。
年某も激減。
スタメン保証も無し。
打順も下位打線から......という条件のようです。
彼にとっては厳しく、
新たな努力や負荷がかかる道の方を選んだのかな......
と個人的には思いました。
それでもワールドシリーズ出場、優勝......
厳しさとの交換に値する「イチローさんの夢」みたいなものは、
その選んだ路の上にあるのかなと感じました。
そこに僕はイチローさんの強さを感じました。
だから僕はイチローさんが好きです。


「強いからこそ出来る決断」


勿論、富も名誉も手にした人の余裕もあるのでは、
という見方もあるやも知れませんが......
でもイチローさんは移籍会見で確かに泣いていたと思います。
そして涙はこぼさなかった。
あの移籍会見をもし(余りに失礼な“もし”やけど)僕がしていたら、
間違いなくホロリと涙ぐらいはこぼしたと思います。
あぁ、よわっちい俺......
だめだめぷー......ぶぇ(T . T)


あー(@. @)!


ちみも馬鹿にしてるだろぉぉ!?


にゃろぉ!



イチローさんに映像チーム。
みんなに負けないくらい、
僕も少しでも強くなりたいな、と、今夜は強く思いました。
今日より明日、
明日より明後日、
一分一秒......少しでも強くなっていきたいと。

強くなりたい。

とにかく、強くなりたい。

いつか、きっと。


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リオ会議の宝石

2012-07-26 00:02:44 | 願い
もし、このスピーチに出会っていない方がいましたら、ぜひ。
南米、ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏
「環境と開発に関する国際連合会議」
通称「リオ会議」という場で話した言葉です。

僕もつい先日知ったのですが、今年......いや、
ここ5年ぐらいで一番心に響いたスピーチです。
この豊かな日本に暮らす僕のような人間が自らの生活を振り返るにつけても、
決して胸を張って賛辞を送れるようなものではないとも思いましたが、
震災後、様々な困難と原子力発電の問題を抱えるこの国に対し、
このスピーチには大切な答え、考え方、
方向性が含まれているような気もしました。
一国の大統領が公の場でここまでの事を話せると言うのは、
ちょっとした衝撃でもありました。

このムヒカ大統領というのは
「世界で最も貧乏な大統領」と言われているそうです。
尊敬を受けているのは、その言葉だけでなく、
実際の行動にも表しているからなのだそうで。
ムヒカさんは個人資産の87%を寄付して、
家とトラクターだけで暮らしているのだそうです。
以下は「Hana.bi」というサイトに載っている
打村明さんという方のレポート記事ですが、
転載の許諾が出ていてたので転載してみました。

訳者の方も書いていましたが、悲しいのは、
この様な意義のあるスピーチが「何故か?
大きな報道となって伝わっていかないことです。
オバマ大統領の「yes we can...」ぐらい、
マスコミにも、多くの方達にも取り上げてほしい......
そんな願いを込めて。



—————ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ (訳:打村明)—————

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、
ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、
人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志を
ここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは
持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

同じ質問を別の言い方ですると、
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を
世界の70億~80億人の人ができるほどの原料が
この地球にあるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、
資本主義の子供たち、
即ち、
私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、
このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会に
したのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは
このイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。
政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、
人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では
私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、
経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、
できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、
1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、
もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。

悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、
この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、
エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、
改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から10000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。
最近では6時間働く人が増えています。
しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、
いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます。
これが人類の運命なのか?

私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。
発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。
発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。
愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、
必要最低限のものを持つこと。
幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。
環境のために戦うのであれば、
幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。


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練習場のある風景

2012-07-25 00:39:07 | 感謝
きっかけはゴルフ。



子供の頃、
よく父親が見ていたゴルフトーナメントの中継は、
サッカーと野球を愛する僕にはひどく退屈で。

「こんなものスポーツの風上にもおけへんわ!( ̄ヘ ̄)」

というくらいのものでした。

「お腹の出たオヤージ達が活躍できるスポーツなんてありえへんわ!」

ってな感じ。
それが社会人になって一年目。
大阪に赴任。
そこで自然発生的にゴルフをやることになります。
個人的には先に書いたように思っていた競技ですから、
最初は上司の誘いだろうと仕事先の誘いだろうと、
頑として断りに断り続け......
で、最後、
どうしても断れない断崖絶壁に追い詰められます。



「お前さ、
俺がやるんだからやるだろ( ̄ー ̄) by SING LIKE TALKING 佐藤竹善」

「、、や、やりまふ!(◎-◎;)」



はい......
大人になった瞬間です。
アーティストさんに誘われたら断れないし。。
で、そこからは ......
また、いつか書ければいいのですが......
狂人の如くのめり込みます。
2年間、それはもう、
暇さえあればスイングのことばかり考えるハマりよう。 
そうして、ゴルフ好きに豹変した僕は

「近所に打ちっぱなしなんてないのかしらん、、」

などと練習場を探しだします。

「そんなもの無かったよなー......
あんなおっきいトコ......」

しかし、意外だったのは、
あるわあるわ......
会社の行き帰りの道すがら、街の住宅街、
家々の屋根の波からポッコリと大空につき出したグリーンのネット達。



「ほへ!?(゜_゜)
こんなに練習場なんかあったっけ!?
あったんだ......」



ゴルフの練習場ですから、
街中にあるとそれはそれは目立ちます。
遠くにあっても目立ちます。
それが、ゴルフを始めるまで、
ゴルフに興味を持ち出すまで、
その目立つものに僕はまったく気づいていなかったのです。
毎日通っている道なのに、
その存在は僕の目には入っていなかったのです。
ここで僕は思い知ります。
こんな目立つグリーンネットも見えてなかったんだ......
僕は自分が見たいものしか見ていなかったのかもしれない......



「人は見たいものしか見ていない」



それは、
「人は物事を自分の見たい様にしか見ない」
ということかもしれません。



あれだけ嫌いだったゴルフは、
その後も沢山の事を僕に教えてくれました。
最初は
「止まっているボールなのに空振りする」
という我が運動センス。
次に
「見たいものしか見えていない」
という真実。
それと礼儀。
そして、趣味、旅、仕事、ペット......何にしても、
新たなことを始めるということは自分の視野、視界、
風景、価値観......を色々と広げてくれるということ。
今さらながらゴルフにはちょっと感謝してます。

うう......

なんだか書いててゴルフしたくなったん......

うりゃーーっ!(><)



「ちみさ、ちょっとフェース開いてね!?」

的僕さんの4番アイアンしょっとぉぉーーっ!!

友達さつえーーーいいぃっ!!

そ、そっちわ......

ラフよよよーーーーーーんっ!! (゜_゜i)タラー......


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アレッポへ。祈り。

2012-07-24 01:16:37 | 感動
「AP通信によると、
自由シリア軍の民兵は周辺地域からアレッポに進入し、
20日から市中心部を含む複数の地区で断続的に戦闘が起きた。
死傷者の有無などは不明。
戦闘地区からは住民が脱出している。
商業の中心地で、
首都ダマスカスと並ぶ政権支持者の牙城である
アレッポでの本格的な戦闘は初めて。
これで主要都市すべてに戦闘が拡大したことになる」



昨日、
こんなニュースが色々なメディアから伝わって来ました。
シリアは地中海東沿岸にある国で、
アレッポはその中心都市の一つ。
そんな遥か遠い中東の都市と僕とを繋ぐモノが......
「石鹸」です。



遥か古代のメソポタミア時代から続く
5000年以上の歴史を持つこの都市は、
オリーブの木の原産地と言われています。
その豊かなオリーブの木々から取れるオイルと、
同じく、
この地域に古来から原生するローレル(月桂樹)から取れる
オイルとをブレンドして作られる独特の天然素材石鹸。

それがアレッポの石鹸です。

古代文明の遺跡には世界最古の石鹸製造の記録もあり、
シリアは「石鹸発祥の地」とも言われているようです。
現在、世界中で愛されているアレッポの石鹸の製法自体は、
だいたい1000年ぐらい前には確立されていて、
ヨーロッパ世界は勿論、
シルクロードを通して中国や朝鮮、
日本にまで届いていたようです。
値段は少し前までは一個千円前後だったらしく。
かなり高価だったようなのですが、
ここ数年は円高などの影響もあって、
それが一個300円程度!
で手に入るほどに安くなりました。

この石鹸に出会うまでは、
僕は仕事現場のヘアメイクさんから勧められた、
「マジックソープ」
というリキッドタイプの天然素材石鹸を使っていました。
この石鹸はアメリカのDrブロナー社が造っているもので、
数年前からテレビなどで
オネエマン系オサレ人種のプッシュを受けたりもして。
それで、大きなお店でも扱う様になり。
種類も増えて。
最早、定番の感もありますが、
流石にプロの方々の推しをもらうだけあって、
すこぶる良い感じでした。

ところが、二年ぐらい前のある日。
またまた知りあいのメイクさんにそそのかされて!?
このアレッポの石鹸に出会います。
もちろん!100パーセント天然素材。
使われているオイルも高温圧搾され、
クロロフィルがたっぷりと溶け出した
深いグリーンのピュア・オリーブオイル。
使ってみたら......
それはもう衝撃的な心地よさ!
100%!体が微塵も拒絶していないような感覚。感動!
泡立ちや洗浄力も豊かで、
お肌のつるつる感も今まで感じた事の無いレベル。
オリーブオイルを主たる原料としているので、
顔は勿論、その気になれば問題なく髪まで洗えます。
赤ちゃんの肌にもやさしくて、
アトピーなどの皮膚炎にも効果があるらしく、
アマゾンなどのレビューを見ると
この石鹸を使い始めたら治ってしまった......
という人までいるようで。
今やもう、僕に関してはずーーーっと、この石鹸一筋。
もうコレ以外に変えるような気配は我が家にはありません。

中でも「アデル・ファンサ」という会社は350年以上に渡り、
そんな伝統ある石鹸を作って来た代表的メーカーさんで。
石鹸は、年一回だけ、オリーブが収穫される10月に
「釜炊き」という作業で原料が仕込まれるのだそうです。
原料は大きな釜で三昼夜もの間、
熱を加えながらじっくりと練り上げられ、
オリーブとローレルのオイルは
ゆっくりと石鹸へと変化していくそうです。
そして、最後にはなんと!
社長さん自らが炊き込まれた原料を口に入れて味見!
をして原料確認をするそうで。
そこからまたさらに2年の歳月をかけて熟成し、
室内で自然乾燥をさせて作られます。
そりゃもう、良い石鹸が出来るわけです。

この石鹸に関して、
個人的にもう一つ気に入っているところは、
乾燥させられた表面は、
最初は茶褐色の土の様な色をしているのですが、
使っていくうちに中からオリーブオイルの緑色が
出て来るというところ。
色合いが変化していくその感じも、
何やら有機的で神秘的。
とても重厚な雰囲気もあります。

......で、ですね。
なぜこんなに「妙に」詳しいのかと言うと......
商品にもよりますが、この石鹸を買うとこーんな!
情熱溢れる!
解説書が付いてくるのです。



ごくまれにローレル・アレルギーの方がいるとのことなので、
もしアレルギー反応が出たら使用は止めた方が良いと思います。
今まで幾人かの友人に勧めて来ましたが、
僕の周りにも一人だけそんな人がいました。念のため。
とにかく、その様な繋がりもあって

「アレッポが内戦!」

なんてニュースにはとても敏感に反応してしまうのです。
アレッポに暮らす多くの人々の事は勿論、石鹸工場のことも、
オリーブやローレルの木々のこともとても心配になります......
この石鹸を使っていて感じるのは、
この土地のカラッとした空気と、
ふくよかで大らかなエネルギー。
同様に、きっと、
そんな雰囲気を持っているであろう作っている人達の心。
素晴らしい人々や土地が、
愚かな行為に踏み躙られない様に祈るばかりです......

あっ!?

石鹸の出荷なんかも止まっちゃうのだろうか......

色々と気になるですなぁ......はいぃ( ´_`)


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ウナギクライシス

2012-07-23 02:08:09 | 美味い
うなぎのニュースが連日流れています。
稚魚であるシラスウナギの異様な不漁に始まる
日本うなぎの危機。



ウナギクライシス!



うなぎ好きにはかなーり心配なニュースです。
クライシスです!(><)
鰻さんは、
子供の頃はなんだかハッキリとした理由も無く嫌いで、
まったく食べれないものだったのですが。
大人になってからは、その特別な食感と味は

「日本人で良かったなぁ......」

と思える食べ物の一つとなりました。
なんとか生態も値段も普通に戻ってほしいと切に願うのです。
やっぱり「日本うなぎ」が
うなぎの中のうなぎさんなのだと思うのです。
日本人の僕としては。ええ。

そんな鰻と言えば、静岡、三島の桜家さんと、
名古屋、熱田の蓬莱軒さんが僕の中の二大お気に入り店となっていて、
もう幾度も通っています。
食べる機会を一度持てただけでも
とても有り難いことだと思うのですが、
二軒とも何度でも行きたくなってしまう美味しさなのです。

三島の桜家さんのコトもまたいつか書きたいと思いますが、
今回は「蓬莱軒=ほうらいけん」さんのお話を。
名古屋名物「ひつまぶし」の名店。
名古屋市内のデパートなどにも入っていますが、やはり、
その真の味と風情を堪能するには、
市内から少し足を伸ばして熱田まで行きたくなります。
日本有数のパワースポット!?
でもある熱田神宮に参拝し、
心身をリセットしつつ、その後

「蓬莱軒でごはんでもぉぉ......」

といったコースが定番のゴールドコース。
神宮の南参道入り口にも支店があっていつも賑わっていますが、
個人的にオススメしたいのは、
そこからもう五分程歩いた陣屋町というところにある「本店」の方。
白塗りの土塀に囲まれた、
いかにも陣屋といった、
趣のある大きな古屋敷がそのままお店になっています。
和風然とした屋敷の門をくぐり、
小さな庭を抜けて玄関に。
靴を脱ぎ、屋敷へ上がり、
板張りの廊下をギシギシと歩いて畳の座敷へと入ります。
座敷には足の低い和風のテーブルが置かれていて、
その前の座布団に座りこみます。
目前には小さな、きれいに整えられた緑の中庭があって。
美味しいお茶が出されて。
お茶と共に中庭の緑を見ていると、
イヨイヨのひつまぶしが登場。
その味と風情はこの店ならではのもの。
うなぎやひつまぶしが好きな人にはたまらないお店なのです。
鰻の異様な高騰の中、
値段は据え置きで頑張っているとのことなのです。

僕はお茶づけは最後の一杯までとっておいて。
そこ迄はミルフィーユのごとく二段に重なねられた鰻とご飯とを、
ちょっと多めのワサビでもってマゼマゼし、
薬味のノリやネギを沢山入れて食べる!
ってのがかなーーり好きなのです。

あーー食べたひよーーーーっ!(><)ハラヘッタ!!



むかーし、初めて蓬莱軒に行った時に撮った古い携帯写真。
肝心の鰻の上にシャモジを乗せた挙句、
嬉しさのあまり、
割り箸の袋を立てて撮影するという暴挙に出た俺様......
ダサい......(T_T)


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愛そのもの

2012-07-22 01:20:59 | 勇気...映画/音楽
舞台はイタリア、地中海に浮かぶシチリア島の小さな村。
見渡す限り、海と畑以外何も見えないような所。
そんな村に生まれた主人公のトトは、
幼い頃から村でただ一つの映画館の仕事を手伝いながら育ちます。
その手伝いを続ける中で育まれた彼の映画への憧れは、
大人に成ると
「映画を創る!」
という大きな夢に変わり、トトは都会へと旅立ちます。



言わずと知れた
「ニューシネマパラダイス=Nuovo Cinema Paradiso」
というイタリア映画のワンシーン。



その旅立ちの日。
青年となったトトが乗り込む列車の駅のホーム。
小さな駅のホームに屋根は無く、
シチリアの明るい陽光が降り注ぎます。
その駅のベンチには、
旅立つトトを見送るために座っている老人が一人。

それがアルフレード。

彼は村で唯一の映画館の映写技師。
トトに映画の素晴らしさを教えてきた師でもあります。
父親のいないトトにとっては小さな頃から父親代りの人であって、
良き友人でもあり続けた人。
駅のベンチに座る彼は老齢から足腰も弱り、
とある事故により目も見えなくなっていました。
それでも、幼い頃から我が子の様に可愛がっていたトトのため、
彼は駅までトトを見送りに来ます。
駅のベンチに腰掛けたままのアルフレードは、
同じく見送りに来たトトの家族に聞こえない様に、
夢に向かい旅立つトトを強く自分の顔に引寄せ、
小さく、でも強い声で......こういいます。



「帰ってくるな。
私たちを忘れろ。
手紙も書くな。
ノスタルジーに惑わされるな。全てを忘れろ。
我慢出来ずに帰って来ても私の家には入れてやらない。
わかったな」



そして、最後にこう言います。



「自分のすることを愛しなさい」



僕は利根川にほど近い、
畑以外は何もないような埼玉県の片隅に生まれ育ちました。
海が無いこと以外は、
この映画の舞台にどこか似ている片田舎です。
幼く、モノ心ついた頃から高校生ぐらいまでは、

「自分のやりたい仕事や夢を叶えるには、
ここにいてはダメなんだ。
出来ないんだ......」

そんな気持ちを強く募らせていました。
ソコには故郷に対する嫌気などはまったく無かったのですが、
表現しがたい焦り、絶望、
見知らぬ土地や未来への期待などが入り交じった
複雑な感情ではありました。

そして、この映画の主人公トトと同じ様に、
僕は夢を抱えて18才で家を出ます。
それから何を手に入れて、何を失ったか......
はよくわかりません。

勿論、歳月を重ねる毎に自分の故郷が如何に豊かであって、
かけがえのない場所であるのかという思いは
痛切に深められてきました。
そして、そんな自分と重ねて見てしまう部分も含めて、
この映画は今まで見たどの映画よりも心に残り、
いまだ、見る度に涙が溢れてしまいます。



見るととても辛いのに、たまに見てみたくなります。



馬鹿ですね。。



名画との評価も高いこの映画は様々な人に、
様々な角度から語られる作品でもありますが、
大抵はアカデミー賞を獲るほど有名になった
ラストシーンが話題の中心になります。
勿論、それには賛成で、
異論などまったくありませんが、個人的には......
僕は上に記した駅のシーンと台詞が「痛いほど好き」です。
目を背けたくなるのに、大好きです。



「自分のすることを愛しなさい」



この映画の監督、脚本を手がけたジュゼッペ・トルナトーレは
後に自らこんな言葉を寄せています。



「私が表現したのは、
私自身の子供時代を思い出させる一つの歴史......
(省略)
......トトは映画を選ぶ事によって人生に傷をつけてしまったのだが、
私の考えでは、人生の方が映画より大切だと心から思っている」



「自分のすることを愛する」という事は、
自分が心から愛せない様な事は決してしてはいけない、
という事かもしれません。
いや、もしかしたら、
どんなに酷い事をしたと思っても、
決して自分の事を嫌いにはならない様に......
という事なのかもしれません。

どのみち、
その意味には受け取る人の数だけの多様性があり、
深く、広い言葉だと思います。
ただ、この映画のストーリーラインの中で
ハッキリと確信出来るのは、
この言葉は広大無辺な「愛そのもの」なんだと僕は思っています。

もし、今、
自己嫌悪に陥っている人がいましたら、
お試しでこの映画を見てみて下さい。
そして、難しいことかも知れませんが、
どうか自分のしてきたこと、
これからしようと思っている事の全てを愛してみて下さい。

どうか、大切なものを傷つけませんように。


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愛すコーラ

2012-07-21 01:25:12 | 美味い
打ち明けますと、
僕はコーラが大好きです。
冷蔵庫の常備品。


さらーに打ち明けますと......
僕は氷がないとコーラが全く飲めません。
はい。


正確には飲めなくは無いのですが、飲む気が起きません。
寒い冬でも暑い夏でも、
スキー場でもハワイでも、
オサレなカフェ~でもピザ屋でも。
氷とコーラはセットでないとあきまへんのです。
アイス・コーラでございます。
一心一体なのでございます。
セットなのでございます。
沢山のクレームを頂こうともセットなのでございます。


ええ。
そうです。
今までどれだけの非難を浴び避難を繰り返して来たか。。


「アホ!」
「バカ!」
「もーーーめんどくさー!」
「うぜえ」
「ぐーでパンチしよか!?」


ええ。
それでも僕のコーラには氷が必要なのですっ(><)/


氷の無いコーラなんて炭酸の抜けたコーラと同じ。
脱脂粉乳で作ったカフェラテと同じ。
ワサビ抜きのお寿司と同じ。
愛の無いチャーハンと同じ。。


「めんどくさー!」
「アホ!」
「でぶ!」
「おつり返せ!」


ええ。
今日はこんな所です。


んん!?
手抜きじゃないかと!?
調子こいて何日か連続でブログ更新を続けちゃったもんだから、
ネタ切れしてんじゃないのかと!?


ええ。
鋭いじゃないですか。


しかし......ネタはあります。
5年分ぐらいはターークさんあります、が、
仕事が忙しくなって来て更新がキツくなって来た感はあります。ええ。
だから今日はコーラで頭をスキッっとさせつつ書かせてもらいました。ええ。
これから多分......
ちょっと......ブログはトビトビになる予感がしてます。ええ。


ちなみにコーラは「ノーマル」の「コカ・コーラ」
いわゆる「コーク!」以外は「コーラ類 黒水科」と僕は分類してます。
勿論!ペプシも「コーラ類 黒水科」となります。
ダイエットモノやキリンのトクホ付き!なんてヤワなものも
コーラの風上にもおけないのであります。
たとえ肥満&糖尿になっても
自分はノーマルのコカコーラを生涯愛し抜くでしょう。


でもバージンコーラにだけはちょっとココロと味覚を奪われるのであります。
ええ。
結局はヤワなのです。僕。


さらにはマックのキャンペーンでコカコーラコップがもらえる!!
と知ると、直ぐに買いにいってしまうくらいヤワなのです。僕。
ぶええぇ。(T.T)


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晴明水

2012-07-20 14:56:36 | 不思議
平安時代。
大和朝廷の政治中枢にまで腰をおろし、
その力を振るっていた神秘の呪術師集団「陰陽師=おんみょうじ」
漫画やら何やらで最近では知らない人はいない言葉だと思いますが、
中でも安倍晴明(あべのせいめい)は有名中の有名。
現在も京都にその名を冠する神社までありますし、
数多く伝わる彼の神秘的な逸話はどこまでが本当か嘘かはともかく、
とても面白いです。



その安倍晴明が浄化の儀を中心に多用したと言われる、
古(いにしえ)の陰陽師からの秘伝の浄化水。
それが「晴明水」と呼ばれる聖なる水です。



この水、少量の日本酒と塩とを
普通の水に溶かし込んで作るだけの簡単なものなのですが、
本当に凄い......と思います。。あいまいな断定 σ(´~`*)
歴史的には陰陽師よりさらに古く、
神道や古神道の神官、道士達より用いられて来たようですが、
知る人ぞ知るマジックな水です。

塩は天然の「海水から作られるもの」が最高です。
お酒は料理酒などの余分な糖類やアミノ酸類が添加されているものではなく、
純米酒ならば何でも大丈夫です。

神棚や仏壇がある家ではその掃除にはこの水が最善とされていて、
フキンやタオルを晴明水につけ、絞り、フキフキ......と使います。
その浄化力には独特の清浄感があって、
汚れも勿論取れますが、
何やら木々がピカピカと光ってきます。
塩が含まれているので金属にはサビを誘発する恐れがあるので
オススメできませんが、
木製やプラスチック、石材などにはその効果は素晴らしく。
使ってみると分かるかと思います。



......で、僕が気に入っていることは、
これを「お風呂」に応用することです。



お風呂のお湯にコップ半分~一杯ぐらいの日本酒と、
塩は「軽く」ひと握りを入れて「晴明水風呂」の出来上がりです。
下手な入浴剤より確実に体が暖まりますし、
入浴剤と一緒に入れても大丈夫です。
汗がミョーーに多く出ます。
何やらお肌もピカピカ、つるつる。気分も上々。
なんだか嬉しい浄化力を発揮します。
疲れも取れますし、
「不思議ちゃん」などが入ると「憑かれ」も!?とれるようです。
ここに陰陽師の愛用した所以があるのでしょうが、
ノーマルの人にも一味違う湯上がりのサッパリ感や体の軽々しさは

「不思議だなぁ。。」

と感じられるかと思います。
先にも書きましたが、塩が含まれるので、
サビの事を考えると金属製のパイプや湯釜などがあるお風呂には
あまりお勧め出来ません、が、一週間に一回という形であれば、
洗い流す循環も出来るでしょうし、大丈夫かもしれません。
(もし興味あるようでしたら自己判断でお願いします)
浄化力は凄いので、
金属製でないバスタブの方でも一週間に1、2回で十分だと思います。
そして、さらに嬉しいのが浴槽掃除で洗剤要らず!という洗浄力。
何故かバスタブに汚れがこびりつきません。
スゴイ!お掃除らくちん!!(><)
もし不思議ちゃん?の方がいらっしゃって、
パワーストーンやらブレスレットやら指輪やら

「お月様で浄化よーん!」

「たまには〇〇山の〇〇水でお洗濯うぅっ!」

......というようなご苦労をしているのであれば、
この清明水を自宅でちゃっちゃっと作って洗う方が
強力且つ十分のように思います。
僕の不思議ちゃん友達はお風呂と合わせて鬱症状まで軽くなり、
快方したようなこともありました。

まぁ、そんなマニアックなお話はさておいて。
科学的にも色々と調べてみると、
どうも日本酒や麹、酒粕などには浄化力があるらしく。
最近では「酒粕石けん」なんてものも沢山作られて売られています。
酒粕と同様に、
酒造りの際に沢山出来る米糠(米ぬか、こめぬか)には
ミネラルやビタミンなども多く含まれているようで。
最近、某酒造メーカーさんなどは
美肌化粧品なんかも作って売り出していたりします。
お肌への評判もすこぶる良いようです。
どうも日本酒というモノには
沢山の「良いもの」が含まれているようなのです。
そこに塩の力が加わるなんて、それ相応の効果はありそうです。

平安の昔に、
こんな事を知っていた晴明さんはやっぱり凄いと思います。(^.^)



お家のお風呂場に佇む晴明水セット。
月桂冠の「月」は安い!雰囲気よい!オススメです。
今使っている「DEAD SEA」は「死海」という、
元は「海」だった湖で採れるお塩。
円高で安いのだーっヽ(´▽`)ノ


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月明かりとお婆ちゃん

2012-07-19 01:17:16 | 勇気
少し前のテレビ番組で、
東京の下町の古い一軒家に住むお婆ちゃんが、
自宅に来た若い女性タレントさんに
何やらお話をしているシーンを見ました。

お婆ちゃんは80才近い感じで、
でも顔の血色も良くてとても元気。
身長は子供の様に小さいけれど背中は丸まっていなくて、
声にも張りがありました。
割烹着のような上着を着て、「巣鴨」で売っていそうな
モンペ風のダボッとしたパンツを履いていたような記憶が......

女性タレントさんは二十歳ぐらいの若さで、
色白な肌とロングの黒髪。
モデルと言うよりはアイドル系の親しみやすい可愛さを持った
「キャピ子♡」ちゃんな印象。
その時は黒髪を後ろでまとめ、
トレーナーと短パンという室内着だったような記憶......



タレントさん
「電気が無いって本当に不便ですね、、泣けて来ました、、」

お婆ちゃん
「私ら戦後の人間はね、そんなの当たり前だったよ」



......どうやらこの若い女性タレントさんは、
電気の無い生活に挑戦して、
何か困った事があるとお婆ちゃんの家に行って相談。
お婆ちゃんはいわゆる「賢人、老人の知恵」を授けて
そのタレントさんの窮地を助ける......
というような内容の番組でした。



タレントさん
「電気無いと夜なんて真っ暗で、
毎晩とても恐いんです、、グスン(T.T)」

お婆ちゃん
「私らはね、まともな電気なんてなかったから夜が暗いのは当たり前。
だからお星さんの明かりがとても綺麗だった。
お月さんが出てる日なんかね、明るくて明るくて、本も読める。
そりゃもう嬉しくて、有り難くてね、
だから私らは月明かりにさえ感謝してたんだよ。。」



「月明かりにさえ感謝してたんだよ」



電気の無い生活の不便さに落ち込んで、
不安になっている若い女性タレントさんを励ますために
お婆ちゃんが言ったこの言葉。
僕はこの言葉をとても印象的に覚えてます。

「月明かりさえ感謝の対象になるような生活」

そんな生活、人生を送って来たお婆ちゃん。
凄いなぁ。
かなわないなぁ。。
強いなぁ。
おばあちゃん。。
尊敬の気持ちと負けたくないという思いと、そして、
便利さとは何か?を、僕は考えました。

自然と人間の関係が理想的な街、都市、テクノロジー、
文化とはどんな形なのだろうか。
人類はまだまだ本当に未熟な存在なんだろうな......

そんなことも思いつつ、
何気なくつけていたテレビでお婆ちゃんが何気なく言ったこの言葉は、
その時から、
僕の心の中で月のような優しい輝きを放って存在しています。



自宅のそば、
多摩川にかかる橋の上に浮かぶお月様(^^)


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おちあがるように

2012-07-17 01:13:41 | 初めに、タイトルの話
いやー......びっくり!(*゜0゜)
「雲と螢」
なんだか沢山の方に読んでもらったようで。
とてもひっそりと記しだしたブログだったので、
ちょっとびっくりしました。
こりゃ調子こいて「雲と螢」の特別編的な話を、
もう一話だけ記しておこうかなぁ......
彼女とは印象的なことが沢山あったので、
今後も書けそうなことがあればまた書ければいいなと思います。
螢との作品作りは、
僕自身「作詩」という点においてはかなり影響をうけました。
特にmihimaru GTとの曲作りなどには、
とても影響が出ていたように思います。



さてさて。とある日の東京。
恵比寿駅のほど近くに建つビルの一階にある小さな会議室。
ガラス張りで明るい陽光が差し込む室内には
木製の大きな長方形のテーブル。
その上には白いマグカップに注がれたホット珈琲が三つと、
ペンとA4サイズの真っ白い紙。
おもむろに向き合って座っている少女......螢と、
ぽんぽこぷーライクな男(僕)。
そして、デザイナーのちーさん(素敵な大人の女性)。



「螢さ、メジャーで作品出したいんだけどさ、、」



とぽんぽこぷー。



「最初だから、
関係者だけに配る特別な限定盤CDを作ろうと思うんだけど、、よい?」

「よい」



と螢。



「よい!?、、そ、、、ありがと。。
でさ、、詩人だしさ、せっかくだからそこに一言
メジャーデビューに際しての螢の言葉を載せたいんだよね。。あっ!
でも詩じゃなくてもいいからさ、何でも、、、よい?」

「よい」

「おっ!? Σ(゜ロ゜ノ)ノ
、、じ、じゃぁね、、ここ。
この紙に書いてくれない?
この真ん中あたりに。
後でスキャンしてレイアウトするからさ。。。ん?
何か怒ってる!? ちみ!?」

「別に。なんで?」

「べ、別に。。」



ペンをとって、さらさら......と、
何やらおもむろに書き出す螢様......さらさら......
じっと見守る僕とちーさん(大人の女性様)。



「出来た」

「おっ!Σ( ̄□ ̄)イイね。。
なんだって!?んんーーーーと。。。」

「おちあがるように」

「!?!?!?!??
ち、ちみ、、や、やっぱ変わってるね。。」

「普通」



——— おちあがるように ———
それが彼女のメジャーデビューの時の言葉。



メジャーには、落ちる様に上がるのだと。
落ちることと上がることはさほど違いは無いらしい。
落ちる人が上がる。落ちながら昇る。
昇る人が落ちる。
昇る時は既に落ち始めている時。
だから上がる時は落ちるように登るんだと。
諸行無常。そんな感じか......



「私はあんまり売れないよ」

「分かってるよ。
だからわざわざインディーズレーベル作ったんだからさ。
でもさ、もっと広く送り出す意味はある気がするんだよね。
この言葉たちは。うん。
なんだかそんな気がするんだ」

「うん。そう思う」



もし今、少し落ち込んでる人がいたら、
少女によると「おちあがる」そうです。



写真は自宅の棚に残るその時作ったプロモーション限定盤です。
僕の宝ものです(^^)


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雲と螢 3

2012-07-16 01:26:32 | 初めに、タイトルの話
「一旦、辞めようか?」



その時彼女は15才。
高校進学を決め、
これから集中して勉強をしていこうとする彼女と、
僕はそんな話をしました。




あまい華はいつまでも咲けない。



そう。
本当は彼女は普通の女の子。
ボーカリストでもなければ作家でもない。
どんな子供でも大人になるまでに通る道があって、
その中でも最も多感と言える時期に偶然開花した才能は、
本当は誰にでもあるもの。
それはどんな人にでも必ずキラッと輝く瞬間は必ずあるということ。
彼女とはそんな話をしました。
彼女はそんなことの代弁者。証明者。普通の女の子の代表者。
どんなに一瞬でも「光りを放てれば」それだけでも十分に幸せな事。
光の色や眩しさ、大小は関係ない。価値も意味も無い。
放つ事が大事な事。
放とうとしたその意志と行動こそが価値も意味も持てる事。



「私、普通が良いの」



スパッとメジャーの舞台を辞めた彼女は海外の高校に留学しました。
一部の大人が、
その後もなんとか彼女をステージに立たせようとしていたようですが......
その辺りの事は僕は全く知りません。
僕は彼女に
「君の幸せの為には、今辞めよう」
と話した人間ですから。
いつでも祈っていたのは......そういうこと。



「雲は完璧な姿だと思うの。。私は雲の様に生きていきたい」



雲は水の一つの変容した姿でもありますが、まぁ、そこは、
「雲の形をとっている時の水」
ということでお許しを頂いて......r( ̄_ ̄;)スマンスマン

雲は地球の大気、空気に乗って、
その姿をいくらでも変えていきます。
風という無色透明で気まぐれな神様の行く手すらも邪魔しません。
そのくせ太陽の邪魔は出来ますし、
太陽を引き立てることも出来る。
存在感などなさそうなのに、
時に凛としたチカラを放ち立ち昇って来たりもします。
ドス黒く怒ったり、可愛く赤く染まってみたり。
いつも当たり前のように消えて、当たり前の様に現れる。
変幻自在で自由奔放。
それでも地球という共同体を乱すこともせず、
必要とすらされているようで。

雲のまったく無いピーカンの空も良いのですが、
無ければ無いでそれも寂しいし、
きっと飽きるような気もします。
適量の白い雲が浮かぶ晴れた空が一番綺麗。大好き。
彼女はいつもそんなことを言ってました。



「。。そうだね。。俺もそう思う。。」



僕の相槌は今も変わりません。
このブログのタイトルにはそんな物語と、
思いがあります。





(*゜0゜)ンマッ! You Tubeあるんだね...ハリガネ
14才の彼女のメジャーデビューPV。
徹夜ばかりしてたなぁ......懐かしい。


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