雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

一枚のCD

2013-02-27 00:01:56 | 願い
バンドメンバーは若干20才!の4人。
でもって、全員かなりクール!なイケメン!
ステージは熱く、激しく、鮮烈!
そのパフォーマンスを武器に、
10代で大きなロックフェスの全てに出演し、
昨年はメジャー初のフル・アルバムをリリース!......っていう、
荒々しくも素敵な某パンク系ロックバンドのギタリストY君が、
先日、僕の家に遊びに来た時に持って行っていたCDやら本やらを
返しに来てくれました。
冒頭の写真は、そのY君が借りて行ったアイテムちゃん達のメモ。

「忘れない様に、、」

と、借りて行く時にリビングの黒板に書き残してくれていました。
僕的には

「貸すんじゃなくてやるよ!もってけどろぼぉぉーーーっ!(><)」

と、見栄をはって言い切っていたものなので、
ちょっと忘れていたことだったのですが。
Y君は一年近くたってもこの事をチャント憶えていてくれて。
メッセージも付けてシッカリと返してくれました。
音楽もパフォーマンスも過激だけど、
素顔は本当にスマートでいいヤツなのです(^.^)

そして、あらためて彼が持ち出していたモノ達を見ると......
若いのに......渋っ!?
ま、バンドマンらしいセレクトですけど。
ナウシカって......パンクなのか!?(@.@)
プライマル・スクリームまで......
オモロいやっちゃ......

彼が僕の家の黒板にこのメモを書き残して行った時は、
バンドの楽曲制作に少々煮詰まってしまっていた時で。
曲作りにおいてはメンバーの中でも多くの部分を担っている彼ゆえに、
アイデア的にもかなり苦しんでいた時でした。

「じゃあ、俺んちの棚でもアサって、
音聞きながら色々と話したりなんかしよかっ!?」

なんていうことにもなって。
ついでだから「鋭い!」アドバイスが出来そうな、
メジャーの一線で活躍する同じギタリストで作曲家の僕の友人や、
レコード大賞アレンジャーの友達なんかにも遊びに来てもらい、
男4人、皆でコーヒーを飲みながら曲作りの話しを

「アぁーでもない、コぉーでもない、、あーなんじゃねーぇ?、、」

......なんて、延々としていたのでした。
このときのY君は、確かまだ19才ぐらい。
高校も出たて?辞めたて?の頃。(;^_^A アセアセ...
僕も高校生の時にバンドをやっていたことがあったので、
そんな話しも含めて皆でトメドモ無い、
色々なことを話していました。

「そりゃ、曲の作り方なんて、
普通校の教科書になんか載ってねーよなぁーー。。」

とか、

「そんな話しをしてくれるような大人や先生なんていなかったよなぁ、
そーいえば。。」

とか、

「結局さ、俺達ってさ、色んな話しより、
たった一枚のCDから教わる事の方が多いよな、、、」

とか、

そんな話し。

——————よくよく考えると、いつもそうでした。

僕らに一番多くの事を教えてくれたのは、

いつだって大好きだった一枚のCD。

大好きだった一枚のアナログ盤。

僕らが一番多くのことを学んだのは、

いつだって大好きだった一曲の歌。

大好きだった人。

大好きだった本。

大好きなスポーツ。試合。

大好きな風景。景色。

教室で黒板と向かい合った長い時間より、

好きでもなかった授業で話された沢山の言葉より、

そんなものから学んだことの方がとても多くて、

大きかったような気がします。

勿論、勉強は大切で、

身につけるべき事も、どこ迄も際限なく広がりますが、

僕らのようなちょっと「中道」を外し気味だった人種には、そんな、

好きなものから学ぶというパターンが結構あったような......

気がします......( ̄ω ̄;)ンー

だから、

自分が好きなものを心から「大切に」して欲しいと思ったりなんかします。

そこから学ぶことは、

とても大切なモノに育っていくのだと思っていたりします。

その時、Y君とそんな話をしたことを憶えています。

そんな力のある曲を、今度は、お前らが作るんだ。

頼むぜ!

......って。

そんな話。

Y君が書いていった黒板の文字を見つめながら、

その日、そんな話しをしていたことを思い出しました。


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後は発見するだけ

2013-02-24 00:24:26 | 勇気
ガソリンの高騰が長いこと続いています。
毎日の生活の中で車というモノが大切な要素を占める
僕の様な人間にはちょっと厳しい部分もあるし、
不安もあります。

中国、インド、ブラジル......
爆発的な人口増加を伴う新興国の石油やガソリンの需要を考えると、
この流れは最早止まるものではないのでしょう。

「富」の分散化は自然の摂理としては必然の流れですし、
現在のような既存の先進国経済と新興国経済が交わる
「過渡期」においては、
バランスを取る為の様々な調整が上手く利かないのかもしれません。
「富」同様にコレからは新たなる規律や価値観.....
それは今より高度発展したものになるのだと思いますが......
といったものの新興と分散化もシッカリと成されて行かなければ、と、
切に思ったりもします。



近所のガススタンドで給油している時に脳裏に浮かぶのは、
「リオ会議の宝石」で記したウルグアイ、ムヒカ大統領の演説。。
「通貨戦争」で記した深き考察無き場合の円安誘導策の不安点。



先日、J-WAVE(首都圏のFM局)の夜の情報ワイド番組で
「オーランチオキトリウム」という「藻」を特集で紹介していました。
最近のFM夜ゾーンの情報ワイド番組というのは
先端的で有益な情報も多く取り上げたり、
扱ったりしていて面白いのですが、この「藻」の話しも、
またタイムリーで興味深く、とても面白い話しでした。



「オーランチオキトリウム」というのは、
沖縄のとあるマングローブの林から発見された
「藻」のことなのだそうです。
その成分からは、現在研究されている特定の加工プロセスを経ると
「石油そのものと何ら変らないオイル」
が生成出来るそうです。
所謂バイオ燃料の一種ですが、
有名なトウモロコシやサトウキビ等を原料とした方式と比べると、
比べ物にならないくらいの高効率と高品質のようで。
少なくとも10倍以上の量の高品質オイルが作れるのだそうです。

その品質は発電に使う原油となれるのは勿論、
プラスチック原料やガソリンなどにもちゃんと出来るということでした。
更には、既存の石油精製システムもそのまま使えるということもあり、
新たなインフラ構築なども殆ど要らないというメリットもあるそうです。

しかも、その藻は、
水と太陽光だけあればタンクのような施設で幾らでも培養が出来るので、
既存のバイオ燃料のような広大な農地が必要ということもなく。
未来のエネルギー源として、また、
日本の新たなる資源産業としても大きな可能性を含んでいるとのことでした。
初期段階で問題になっていた培養における「コストの問題」も、
最近ではかなり研究が進んで来ていて。
実用化にもかなり近づきつつあるとのこと。



「世界を変えられる藻」



研究のリーダーで、
第一人者でもある筑波大学生命環境系、
渡邊信(わたなべまこと)チーム助教授の吉田昌樹さんは、
そうおっしゃってました。

当然ですが、吉田さんのところには世界各国の企業......
時には各国の政府関係機関などから、
その藻の精製と培養の技術研究をコチラでやらないか......
という引き抜きが数多(あまた)来ているようです。

そんな状況なので、自然保護の観点もありつつ、
その藻の採取された場所や培養方法の詳細情報等に関しては
今の所極秘裏に進められていて、公開はされていないようです。
吉田さんは

「研究は日本の皆さんからの税金でやらせて頂いているので、
魅力的なお誘いは沢山ありますが、当然全ての誘いは断って、
先ずは日本に貢献出来るレベルに技術を完成させてから、
次の段階を考えたい......」

とおっしゃってました。
IPS細胞の山中教授と同じようなコメントですが、
聞いていてなんだかとても心強かったし、
誇らしい気持ちもしました。



このプロジェクトが成功する、しないに関わらず、
僕は改めて2つの事を思うのです。



一つは、
現人類文明の未来に関しても、
研究者や発明者の「倫理観」に依る部分が
とても大きく存在しているのだな、ということ。
この国で近年薄まりつつある、
もしかしたら世界でも最も高度に磨き上げられたものかもしれない......
とも思える日本的な道徳観や倫理観といったものの教育は、だから、
改てトテモ大切なものなのではないか、ということ。

もう一つは、
文明の進化、発展というものは、
常に既に自然界に在るものや法則を「発見すること」
で進んで来たのではないかな、ということ。
神様というのは常に

「自然界に在るものの中に、
困難に対応出来る道を必ず用意してくれている」

ということ。
人間「個人」という部分においても、
ソレゾレの個体や人生に困難と思える事態が生じた時、
その解決の糸口はソレゾレが既に手にしているものの中に
「必ず」用意されていて、
後は個人個人が、
各自が、

「ソレに気付けるか、気付けないか......」

......という、そんな事なのかもしれないな、と......
そんなふうに思ったりもします。

頑張れ!筑波大学!

頑張れ!じぶーーーん!(><)



沖縄、南城市、知念にあるニライカナイ橋。
遠くには琉球神話の聖地、九高島(くたかじま)が見えます。
「ニライカナイ」とは「ニライ」と「カナイ」とに分かれる言葉で、
理想郷とか神の国とか、そんな意味。
ココを走り抜ける気分は爽快ソノモノ。
しかし、オーランチオキトリウムといい、沖縄というのは......
本当に不思議な島です。
大好きです。


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心の御柱

2013-02-21 00:11:51 | 面白い...パワスポ寺社
あまり知られていないようですが、
日本の神社全ての本宗(ほんそう)である三重県、伊勢神宮、
内宮、外宮の本殿中央には、床下の地中より「心御柱=しんのみはしら」
と呼ばれる太い木の柱が突き立てられているそうです。
その柱は一本とも、三本とも......



今年の伊勢は、20年に一度、
神殿の全てを建て替えるという一大イベント「式年遷宮」が控えている特別な年ですが、
その本殿移築先の敷地においても、先ずはこの「柱」が地中から建てられて、
そして神殿が建て始められます。

この「心御柱」の件については神宮神官達の間でも口外は許されておらず、
関係祭事も秘中の秘で、
「心御柱」の神木採取の儀式である「木本祭=このもとさい」も、
遷宮の際にその採取した柱を埋める「奉建祭=ほうけんさい」も、
全て神宮内で「夜間」にヒッソリと執り行われ、
祭事の時間や場所さえも秘密、非公開にされています。

また、この建替えられる柱とは別に、古来より秘されて来た
「本当の心の御柱」も敷地の何処かに埋められているとか、いないとか。

神様の数を表す際、
その人称は一柱、二柱......と「柱=ちゅう=はしら」という言葉を使いますが、
こんな所にもその由縁の一旦が絡んでいるのかもしれません。



少々話は変わりますが、今日、家で流れていたTVで
「美味しいお好み焼き勝負!」なんてバラエティー番組をやっていて、
大阪、鶴橋を拠点とする人気お好み焼きチェーン店「風月」さんと、
現在、毎日予約で一杯という東京、銀座にある大人気のお好み焼き店
「どれ味」さんとの対決がありました。
TV的演出がなされたショーですから、
そのまんま受け止めるようなモノではないのですが、
それでも「ある部分」とても興味深く見ている自分がいました。

東京、銀座「どれ味」さんのお好み焼きというのは「小麦粉」を一切使わず、
代わりに磨り下ろした「山芋だけを生地にする」というもの。
画面で見ていても明らかにその素材の美味しそうな感じや斬新さ、
さらには鉄板前に座るお客さんを魅了するであろう派手な料理パフォーマンス、と、
どれをとっても風月さんの「スタンダードな」大阪風お好み焼きの要素に勝っている感じ。
それを見ていて湧いて来た興味というのは、

「どれ味さんのメニューは、果たしてお好み焼きと呼べるモノなのだろうか?」

ということと、

「お好み焼きという “線” を、皆はどのあたりに引いているのだろう......」

ということ。
スタジオにズラリと並ぶ多くの有名人や一般人の審査員が、
そんな「線」をどこにどう引いて勝敗をつけるのか?
そんなところがちょっと僕の好奇心をそそりました。
「お好み焼き対決」としたら、
僕は「どれ味」さんは最早違うテーブルにのっているのではないか?
と思ったので、
やたら美味しそうだけど......風月さんが勝てばいいな......と、
思いつつ見ていました......

そうしているうちに浮かんだのが、
冒頭の伊勢神宮「心の御柱=しんのみはしら」の話し......

「風月が負けたら、俺の中のお好み焼きの柱が揺らぐな、、」

「全国ネットでゴールデンの番組でそんな感じは、、なんか、、やだな、、」

なんて、くだらなすぎる!?(@.@)好奇心でもって、
思わずTVに見入ってしまった次第でございます。ハイ。
やっぱくだらないな......(^▽^;)へへへ。お許しを。



何かの判断をする際に必要なのは、何らかの「基準」ではないでしょうか。
その基準というのは人や物事、状況、環境、
文化等によってマチマチなものではありますが、
それでも評価や判断を行うということに際しては、
必ず必要な「要素」であるとも思います。
そんな基準というのは「真ん中」のことでもあって......
それは「芯」......「心」
「心」にある、そびえ立ち揺るがない「柱」のようなもの。

神を「柱」と数える時、
もしかしたらそんな柱の在り方こそが、時に神のことでもあって。
そんな「芯」があってこそ、
周りの諸々の事象、事物の位置、価値、意味も測れる、
といったことを表しているのかもしれません。

善悪という部分はさておいて、
アレは本道、ソレは邪道、アレは亜流......
そこまでいくとそれは「お好み焼き」なのか?なんていう、
そんなことの判断も「真ん中の柱=心の御柱=物差し!」
があってこそ出来るものなのだ、と、
そういうことなのかもしれません。



果たして、番組では、
「どれ味」さんは味、技術、全てにおいて大絶賛!されつつも
「お好み焼き」という線からはもしかしたら出ているかもしれない......
という判断で、風月さんの勝ち!でした。
とりあえず、僕が思った事と同じような結果になっていたので、
僕の中にある「お好み焼きの柱!」は揺らぐこともなく良かったなぁ......
などと思いつつ、こんな様々な物事、事象、
判断の中心となる「柱」のようなモノや、
そんな存在の大切さに改めて思いを巡らせていました。



真ん中に聳え立つ柱というのは、
そんな風にとても大切なものであるのかもしれないのに、
僕はというと、時折、少々天の邪鬼で、
斜め目線の眺め方をする様なことがあって。
真ん中では無いという事の方に強く心惹かれ。
真ん中を見失うことがあるのかもなぁ......と、
ホンの数分でしたが、そんなことを考え。
自らのこともなんとなく少し見つめ直したりしてしまいました。



巨人、大鵬、卵焼き?......柱?

今相撲界って、野球界って、柱ある?

音楽チャートに今柱って無いよな。。

F1全盛期、僕はアイルトン・セナが大好きだったけど、
柱はアラン・プロストだったかもしれない。

イチロー大好きだけど......
長島さんやジーターのような柱ではないかもしれない。

フェラーリやポルシェには惹かれるけど......
トヨタやメルセデスが柱なのかもしれない。

中道とは? 王道とは?

今更ながら、

自分の中にはちゃんとそういう「柱」は立っているのだろうか?

立っていても、それは揺らいでないだろうか?

伊勢神宮の「心御柱」

諏訪大社の「御柱=おんばしら」

三本の大木を一つに束ねて柱とした古代出雲大社の「心の御柱」

神様......ね......か......と.......



「古代出雲歴史博物館」にある、
発掘された古代出雲神殿の巨大な「心の御柱」と、
発掘当時大きさ比べで巫女さんと撮ったと思われる資料写真。



コレは以前、伊勢「おかげ横町」の記事を書いた時に
コメント欄でmuraさんからお勧めしてもらった、
伊勢萬「おかげさま」の生原酒(^^)



そのコメント欄で約束もしてしまったので、
今年の伊勢神宮初詣ではいそいそ......と初めて飲みに入ってみました。
お猪口一杯300円!でした。なかなかのお味。
ただ、この......鍋島「ニュームーン」の衝撃が未だ覚めやらずで。
コメントくれたmuraさんにも飲ませたい!


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あぁ、天むす

2013-02-18 00:03:17 | 美味い
先日ちろっと、名古屋に行ったのですが、
名古屋方面への新幹線移動の時に

「車内で何か食べよっかなーー......」

なんて思うと、
僕のようなB級この上ない人間の場合は、
行きは大体「崎陽軒のシュウマイ弁当」を買い込み、
帰りには「天むす」だったりします。

この「天むす」さん。
勿論、今や言わずとしれた中京地区の名物フードだと思いますが、
そもそもの発祥の地は三重県、津市で「千寿=せんじゅ」という天ぷら屋さんが
スタッフのまかない飯で食べていたものを売り出したのがキッカケなんだそうです。
千寿さんは今や「天むす一筋!」のお店になっています。

僕も初めて「天むす」というものを食べたのは、
この千寿さんのものだったのですが、大学を出て最初に就職した会社で、
月に一度、全国の支店スタッフが一同に会して開く「支店会議」というのがあり。
そこで名古屋支店のスタッフさん達がいつも、わざわざお土産に買ってきてくれて。
それで初めて食べさせてもらい。
あまりの美味しさに一人感激の涙に......( T_T)\(^-^ )
......暮れていたのを覚えています。



「な、なんだ!?
この、今迄味わったことの無い一口サイズの幸せわ!?
な、なにもの!?」



そんな出会い。
がコレ。
千寿(ちとせ)さんの天むすぅ( ´ ▽ ` )





小ぶりの、一口で頬張れそうな海苔巻きおにぎりの中に、
塩味の利いた小さい海老の天ぷらさんが入っているこのオムスビさんは
本当においしくて、



食べ出すと何個でも食べてしまいます。
なんと言うか、絶妙の大きさ。
エビの大きさとのバランスも絶妙。

それで、そんなこんなで中京地区に行くようなことがあると
「一人天むす下衆の極みツアー」
をヒッソリとやらかしていたりもしていた僕さんなのですが、
千寿さんの他に美味しいと思っているのは、
コノ地雷也(じらいや)さんでしょうか。



地雷也さんも一口サイズの小ブリのおむすび。
千寿さんよりちょっとスパイシーな感じがあって、味も濃いめ。
刺激強め味が好きな僕はこちらの方がややお好み。
写真の10個入りなんてモノわぁ......
一人で食べてしまいますわ!(* ̄Oノ ̄*)ホーッホッホ!!

この地雷也さんに比べると千寿さんの方が上品なイメージの味で。
やはり真ん中!スタンダード!という感じがします。
ドチラもとても美味しいことには変わりないので、その時々の気分でチョイス!
といった所でしょうか。

新幹線に乗り込む時に、その日の気分でどちらかの天むすさんを買って。
サントリーの黒烏龍茶も買って......
更には食後用にドトールのアイスカフェラテMサイズもお持ち帰りでーーっ!(><)/
っと、買って。新幹線に乗り込みます。



ええ。
至福の「B級!お帰り旅の時間」です。
ええ。



たまーーに、
「ド級!突然お仕事電話旅の時間」
になったりもしますが。ええ。
美味しいものもマズくなったりして。
人生そんなもんです。ええ。



B級おにぎりシリーズも次に書くとしたら、
今度は宮崎の「肉巻きおにぎり」辺りになるのでしょうな。きっと。ええ。
下北沢「ニックンロール」などでは語れないセツナイ思い出があるのですよ。
ええ!?!(◎_◎;)!?


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イチロー備忘録

2013-02-15 00:02:07 | 凄い
コレは「備忘録=忘備録」でしょうか......
先日、日本経済新聞社のインタビューに
イチローさんが登場していました。
以下は記事の全てではありませんが、
相変わらず完璧過ぎる言葉達で。
面白いです。



ヤンキースについて——————

「 “何かのために” は聞こえは良い。
でも時に思い上がっているようにも思える。
人間関係においても言えることだが、
誰かの “ために” やろうとすると厄介な問題になることがある。
しかし、誰かを “思い” 何かをすることには、
見返りを求めることもなく、
そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ないように思う。
昨年の3カ月だけだったが、
ヤンキースは “思い” を強く持たせてくれた組織だった」



努力について——————

「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。
それは自分以外の第三者が思うこと。
もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、
第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、
という状態になくてはならないのではないか」



プロフェッショナルについて——————

「子供の時の感覚で楽しくて好きでいたいのなら
プロになるべきではないだろう。
もちろん、違う種類の楽しみややりがいはたくさん生まれるが、
プロの世界では楽しい時など瞬間にすぎない。
ほとんどはストレスを抱えた時間だ。
しかしその “瞬間” のために、
ありったけのエネルギーを費やしていく。
その中で、人間構築をしていかなくてはならないと考えている」



言葉について——————

「今はまだ色紙に一言と言われても書けない。
大切にする姿勢や哲学はあるが
胸を張って一言残せるほどの自分ではない。
偉人の言葉を引用する年配の方がいるがあれはダサいと思う。
拙い表現でも将来自分の言葉で伝えられたらなと思う。
しかし結局、
言葉とは “何を言うか” ではなく “誰が言うか” に尽きる。
その “誰が” に値する生き方をしたい」



世界に出て再認識したことについて——————

「世界に出て再認識したこと。
そのひとつが日本語を大切にすることだ。
米国に行ってから、
日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、
日本語をきれいに話したいと思い始めた。
日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。
それが外国語となれば、不可能に等しい。
英語で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している」



高いモチベーションや壁について——————

「僕はずっとエネルギーを注いできたものに携わっている。
最も大変なことは自分が好きでもないことをやらされて、
それを好きになれと言われ、結果を求められることではないか。
それで壁を感じているならばすばらしい。
壁が出てきたということはそこに全力で向かっていく気持ちが存在し、
さらに労力を費やしてきた証しだと思う」



レギュラーシーズンだけでも日米通算で1万2000回以上も
バッターボックスに入った中で「思い出したくない」という打席......
2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝、
対韓国戦。延長十回2死二、三塁で
不振が続いていたイチローが立った打席について——————

「敬遠ならどんなに楽だろうと思った。
そんなふうに思ったことは初めてだ。
この打席で結果を出せなければ、
今までの僕は全て消される、と思った。
恐怖に震え上がっていた。
今後、どんな場面があろうともあの打席以上はないのでは、
と想像している。
野球をやりながら “命を削る” という意味を初めて知った瞬間だった」



......完璧に研ぎ澄まされた答えが並んでいます。
すげぇーー......
流石というか、恐ろしいというか。
グウの音もでません。(@.@)ひょーーっ......



僕にとってのイチローさんは、
浮き世とは一定の距離持って、
異界で厳しく生きる修行僧のようなイメージ。
山奥で一人、
己と大いなる自然とひたすら向き合う様な修行をしながら、
世界の真理や完隙のない答えを見つけていく......
的な......完璧さ。

凄い天狗さん?のよう。

あまりに完璧過ぎて、
取り付く島などは「微塵」も無いような感じ。

このブログのタイトルに入っている雲の完璧さとは
「また違った」完璧さ。
同じ完璧でも、個性、個体による在り方が違う。
それぞれの個体個性に沿った本質要素が達し得る領域にある完璧さ......
というコトでは同じか。

それと、きっと、「完璧」は「完全」と少し違う。

言葉も違うし。

僕にはイチローさんの完璧さと王さんの選手時代の完璧さとは
少し似ているような気もしていて。
巨人の監督時代の王さんもその延長にあったイメージ。
でもホークスの監督になった時からは、なんとなく、
その完璧な雰囲気が完全な雰囲気に変っていったように思えました。
今は王さんは僕には完全なる人のイメージ。

長島さんの現役は僕は見ていなくて分からないのですが、
監督姿から今に至る迄の長島さんは、
僕の中では「完全なる人」のイメージ。

巨人の原監督は選手の頃から完璧さは感じていなくて、
今の監督姿も含めて一貫して完全なるイメージ。

落合さんは選手の頃から監督に至る迄、
一貫してイチローさんのような完璧なイメージ。
だから落合監督のチームはとても好きだったけど、
なんとなくファンとして取り付くような部分、隙......
はあまり無かったような感じ。



いつか「イチロー監督」をみてみたいとの声について——————

「現時点でそれ(監督)を問われたら “ありえない” と答える。
ただ、王貞治氏に
“現役のときに監督をやることを想像していましたか”
と伺ったことがある。
”全く想像できなかった。自分が監督になるとは思っていなかった”
とおっしゃった。
それを聞いた時に自分の気持ちも将来、
どう動くか分からないとは思った。
ただ自分がその器でないことくらいは現時点でも分かる」



......イチローさんは、どうなんだろうか......
王さんのようなイメージで進むのかなぁ......
落合さんかなぁ。
興味、深々(´ー`)



時々、完璧!と思える時間に出会うことがあります。
うっすらと雪化粧した高台の露天温泉につかりながら眺める
甲府盆地の夜景と、
多くの星々と交代で昇り来る朝日。
そして夜の中から少しずつ姿を現して来る富士山。
上の古い携帯写真は
「ほったらかし温泉」というところのものですが......
個人的に思っている
「完璧」と「完全」の違いについての話しは......
またあらためて。(^^)


☆イチロー備忘録シリーズ☆
イチロー備忘録 2
イチロー備忘録 3


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素敵明察

2013-02-12 00:07:00 | カテゴリーの話
「おくりびと」
「陰陽師」
などを手がけて来たアカデミー賞監督、
滝田洋二郎さんの最新作「天地明察」。
その冒頭はこんなナレーションで始まりました......



———————江戸前期、鎖国の世。
コペルニクスの地動説や地球が丸いことさえ
ほとんど知られていなかった。
星空が今よりさらに神秘に満ちていたそんな時代。
天体の謎に挑んだ男がいた————————



僕は映画館では見れなかったので、
最近、DVDでユッタリと見てみたのですが、
それは思いもよらず心地良い作品で。
特段、派手なシーンやストーリーがあるわけでは無いのですが、
見ていて不思議と涙が溢れてしまうような場面が沢山あって。
僕にとっては、ですが、意外にも、
熱い何かが深く溶け込んでいるような、そんな作品でした。
そして、

「そんなふうに感じさせられた一番の要因は何だったのだろう?」

......と少し考えてみると。
それは、常に大志と愛を失わず、
情熱と思い遣りをもって人生を歩んでいる
多くの登場人物達の姿に起因しているようでした。



主人公「安井算哲(やすいさんてつ)」が幕命で参加した
「北極出地(ほっきょくしゅっち)」
という日本の測量旅プロジェクトにおいて、
プロジェクトリーダーである「建部伝内(たけべでんない)」は
幕府の御用頭取を務めていました。
建部は分からないことや、知らなかったこと、
間違った計算をしたりするようなことがあると、いつも

「悔しい、悔しい、、」

と口癖の様に言い続けていました。
純粋で子供の様な個性を持った賢者として描かれていましたが、
学問に励む一方で、捨て子すらも預かり、
立派に育て上げているような大人でもありました。
そんな建部が主人公の算哲に常に話し、託していた言葉は

「精進せよ。精進せよ」

でした。



当時の会津藩主であり、
「将軍後見」という、今でいう内閣官房長官!?
のような要職に就いていた「保科正之(ほしなまさゆき)」は、
「食」を始めとした天体現象とのズレが目立って来ていた
当時のの再編を志し。
その思いと責務とを算哲に言い渡す際にこう話していました。

「余には積年の宿願がある。
時を司るという事は即ち国が治まるということだ。
武士の世に成ってそれを果たしえた者はない。
幕府も民も未だ誤れる時に従っている。
正しき暦は即ち権威でもある。
算哲!
古き暦を捨て、この国に正しき天理をもたらしてくれ......
......御主に改暦の義を命ずる。
安井算哲よ!
天を相手に真剣勝負をみせてもらう」



算哲に学問の基礎を教え、
その場に同席もしていた偉大な教師
「山崎安西=やまざきあんざい」も、
保科正之の言葉にこう付け加えました。

「暦は宗教、政(まつりごと)、
経済にまで大きな影響を及ぼすもの。
たかが暦、されど暦でございます」



こうして主人公の算哲は、
多くの「大志を持った大人達」に囲まれ、支えられながら、
人生の全てを賭けた暦の改訂に乗り出していきます。
算哲を始めとした、
そんな賢人達が変えようとしたその時の暦は、しかし、
平安の昔から800年以上に渡り使われ続けて来たものであって。
民衆の暮らしにも深く溶け込んでいた「空気」とも言えるような暦。
その変革は固定概念や常識といったような
強固磐石なるモノへの挑戦でもあり、
そんなモノを造り上げて来た為政者や、
権力そのものへの挑戦でもありました。
当時、暦を変えるということはソレくらい大きな事であり、
天の理を地上に写すというような仕業。
それは神の代弁者として事を記すような仕事。
算哲を始め、そんな変革を進めていこうとする登場人物達の姿は、
皆、子供の心を宿したまま大きくなった大人ばかり。
そして、そんな人達の姿は僕の心をとても強く打ちました。



「子供心」というのは、
きっと「純粋」さと「遊び心」であって。
そして、そこから生まれ出る「夢」のことでもあり、
「志(こころざし)」のことでもあって。



「そんな子供みたいな事ばかり言って、、、」



「お前はいつまでたっても子供じみてるな、、、」



......などと言われる時、そこには、
おそらくそんな要素が含まれているハズで。
そして、
こんな会話から推察される「常識的な大人」というのは、
そんな子供じみた世界観の中だけで生きている人の事では無く。
現実もしっかりと受け止め、厳しい社会生活や
責任も果たしながら生き抜いている人の事であろうかと。
だから「素敵な大人」というのは、
その両方を持っている人の事ではないか?と。
いくら歳を重ねても、
いくら社会の残酷さに突き当たっても、
大切な大人の責務を果たし。
その上で常に子供の様な純粋さと遊び心に満ちていて、
大志や夢も失わない。
もし失っても、
また新たにそんな心を自身の中に生み出し、
社会を歩んでいく......
そんな大人達のことを「素敵」と言うのではないのか、と。
この映画にはそんな「素敵な大人」が沢山登場してきて、
そんな登場人物達の生きる姿が、時折、
思いもよらない場面で僕に涙を溢れさたりもさせるのです。
「面白い!」とか、
「泣ける!」とか、
「感動!」「大作!」「派手!」とか、
決してそういう感じの作品ではなく。
とにかく「素敵」という言葉が良く似合う、
その言葉のままの映画でした。



「精進せよ。精進せよ。。」



スクリーンの隅々におかれている作品のメッセージというのは
そんなことなのかな......と。
素敵な大人である為に、成る為に、しっかりと精進せよ......と。
なんだかとても「素敵な映画」でした。(^^)



最近google mapに追いやられてすっかり見なくなってしまった地球儀。
我が家の地球儀は光ったりなんかして。( ̄∇+ ̄)vキラーン
劇中にもありましたが、
日本における地球儀は安井算哲が最初に創ったと言われているようです。
天球儀や天文台などもその様で。
そんな安井さんは文化への様々な貢献が認められ、
後年は幕府より武士身分を与えられ、
名前も「渋川春海=しぶかわはるみ」と変えたそうです。
これにより、
父である「初代」安井算哲と分けて記される様にもなったようで。
東京、上野にある国立科学博物館では、
この渋川春海が作った地球儀や天球儀や暦も見れるそうで。
今度見にいってみよーーっと。(^。^)

このブログは

「何か足りないな、、」
「何か無くしちゃったかな、、」
「少しでも自分の支えとかにならないかな、、」

とか、縁あって訪れてくれた大切な人達が、
その時々に必要としている「心や気持ち」が見つけやすい様に、
カテゴリーに関しては、
自分が書き記している時に心中で感じている「感情別」に分けてあります。
そんなコトもあって、
自分の中にポジティブに仕舞えていないネガティブなことは記さずに、
一旦外し置いていたりもしています。
そして今回、
これまでに記して来た過去記事をよくよく眺め直してみると、

「素敵だな......」

という思いで書かれている記事も多くある事に新たに気付きました。
なので「素敵カテゴリー」なるものを新設してみました。
知己的にも、今日は、

「少し進歩出来た日なのかな......」

と、見事!?
「素敵」の明察もさせられちまったぜーい!
悔しーーーっ!(><)


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からあげクン祭り

2013-02-09 00:19:49 | 美味い
えーーっとぉ......
ローソンとぉ、
TV朝日「お願い!ランキング」のコラボレーション企画のぉ、
「からあげクン」がぁ......



三品全部出揃いました!! \(o ̄∇ ̄o)/ハーイ 



全部食べまちた!!



ぽんぽん!



流石B級野郎!!(><)/じぶーーん!



んでぇ、個人的にぃ......



一番美味しかったのはわぁ......



オリーブ味!!



ショコラティエ斉藤美穂さん!!
うまかったーーーっっ!!ヽ( ´ ▽ ` )ノ
オリーブ味のからあげクンなんてちょっと意外!
& B級らしからぬ上品さ。
新しい感じがして美味しかったです。



第二位わぁ......



個人的にぃぃぃ......



鶏とゴボウの炊き込み御飯味!!



川越シェフーーーぅぅ!!
コレは「意外性」という要素を抜いて
純粋な「味比べ!」としてみたらオリーブ味より美味かったかも。
とても好きぃーーー!
多分「鶏とゴボウの炊き込み御飯」自体が
個人的に大好物だからかもしれませんけど。フムフム。。



三位わ!!

親子丼味!



超普通!に、オイシイ。
味があまりに自分の味覚に馴染んでいて親子丼、、
というより醤油味、みたいな感じだったので三位でふ。
これも川越シェフ(川越達也)。



しかし、二人とも流石に一流の料理人だけあって、
どれもちゃんと!美味しかったです。
仕事の帰り、夜、街灯がポワッと照らしている人もまばらなお家への道を、
お二人の考案した「からあげクン」をボソボソ......
と歩きながら食べるのは、
地味ーーな幸福感があってなかなか雰囲気よかったです。はい。
B級的まんぞく。
また色んな味が食べたくなりました。
地味に期待してまってよーーっと(* ̄ー ̄*)



あっ!!
この記事決して手抜き!......じゃないお! ( ̄0 ̄)
本当にB級な人間なんだお!わたくし。
申し訳なし......
次回はフレンチの名店でも......書こうか、な......(@.@)


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円空

2013-02-06 00:00:15 | 凄い
正直、衝撃をうけました。
先日、ちょっと覗いた上野、東京国立博物館の「円空=えんくう」展。
この展覧会に合わせて特集記事を組んだであろう雑誌
「美術手帳」最新号の冒頭には、円空のことがこう記されています。



「江戸時代、諸国を行脚しながら仏像を彫った僧、円空。
生涯に12万体を彫り上げることを発願したとされ、
現存する数、全国に5000体以上。
見る者の顔をほころばせる表情、荒々しく残る鑿の彫跡ーーーーー。
歴史に立する規格外の仏像たちはどのように生み出されたのか?
その造形と背後にある思想をひもとき、
いま、円空の姿を真っ直ぐに見つめてみたい」



円空......
「空海」「天海」と並ぶ完全なる響きを持つ名前だなぁ......と、
僕はずっと、そんなふうに思ってました。
この国の歴史に名を残してきた人達の中では、
この三人以上の名前はないのではないか、と。
そんな風にも思ってました。



円空さんの作品は中部、飛騨地方を中心に、
広い地域にわたり存在、保存されていて。
それぞれを見て回るのは相当な時間と労力を必要とします。
それらが今回、一挙!100体も!展覧会に集まっているとのこと。
こんなに多くの「円空仏」を
まとめて見る事が出来る機会などそうそうは無いので、
僕はとても楽しみに出かけてみました。



全てを「一材」から造り出す彫刻を「丸彫り」というのだそうです。
円空の彫る仏像は殆ど全てがこの丸彫り。
通常、丸彫りで作品を作る際は、
民芸品等含めて「節」などが無い綺麗な木材を選びます。
なぜならば、彫刻刀などの道具がそういった「節」や
自然に刻まれている「目」などに当たると、
ソコが思いもよらない方向に削れたり、欠けたり、割れたり、
不必要に溝が深くなったり、浅くなったり......と、
とても造形が難しくなるからです。
だから、そういった欠点の無い「綺麗」な材料を選ぶのです。
しかしこの円空さんが凄いのは、何処にでもある、いや、
捨て置かれているような普通の木材......
それは「節」や「枝」までがあるようなモノ......を、
材質にこだわらず使い、作品を彫り上げている事。
そこら辺に捨て置かれている木を鉈や斧でパーン!!と割って、
その割れた「木っ端=こっぱ」から観音像を削り出してしまう。
だから円空さんの彫った作品は「木端仏=こっぱぶつ」とも呼ばれています。

衝撃を受けるのは、
そんな材木の節や強い木目、割れ......など、
思う様に彫れない箇所に刃が当たってもソレはソレ。
彫れない所は無理に彫らないし、彫れ過ぎてしまったところもソレはソレ。
節などのせいで割れてしまった所も、
思った線や溝や深さにならなかったような場合も、ソレはソレ。
そんなコトもひっくるめ、最終的には、
むしろソレらが「自然な線」として、
そのまま造形に活きてくるような彫り方をしていること。

そんな彫り方というのは、きっと、
木の「節」や「目」をもちゃんと感じ取りながら彫るという事。
それは木と一体となって彫り進めるという事でしょうか。
木の心に自分の心を重ねながら彫るという事でしょうか。
異国の「トーテムポール」などと似ている要素もありますが、
その辺りが決定的に違うように思えます。



それが円空作品の衝撃。



そうやって仕上げられた作品は、まるで、
その木は最初からその形だったかもしれない......
とまで感じさせられてしまうほど自然で野性的な佇まい。
同時に、不思議な生命力を宿しています。

「そんな形に彫りたいのなら、私の場合ココは彫らない様にね......」

「私ならこういう形になりたいですねぇ......」

そんな「木」が語りかけて来る言葉を聞き取りながら、
木の中に予め宿っていた造形を掘り起こして来たかのような、
そんな彫刻。
顔を形作る目や眉、口なども、モノによっては最小限の彫刻で。
それは、ちょっと木がひび割れていた?
もとからソコに溝がついていた?
とも言えるようなミニマムで無骨でシンプルな切り込み程度のもの。
それでもそこにはキチンと感情や魂のようなものが入れ込まれている。



本当に衝撃的でした。



「スラムダンク」や「バガボンド」でお馴染みの漫画家、井上雅彦さんは、
上に記した本の中で、円空ゆかりの地を取材して歩きながら、
円空仏をこう評していました。



「漫画の表現と近い。
省略して図案化しているし、彫られた線にスピード感がある。
素早く制作したんじゃないかな」



多分、円空は最初に完成のイメージは持つと思います......が......
木の節や目、材質や個性によってそのイメージ通りに彫っていく事は常に出来ない。
それで、そんな事々もそのまま受け入れて、取り込んで、最終的には、
それら「予想外のこと」が作品に生きてくるようなイメージや
線にしていって仕上げる。
それも瞬時に。即座に。
作品は当然、
最初に意図したイメージとは多少違ったものになっていくのは避けられないけれど、
それでもソレは、本人も想像出来なかった形やイメージとなり、
最終的に「最初のイメージを超えた」作品と成っていく。

それが円空の作品。

それが何よりも素晴らしい事なのだと、作品なのだと......

円空は知っている。

なんだかヒット曲の話しのようでも?ありますが.......

逆らわずも、流されない。

本質に沿って作品を、自己を、完成させる。

「悟り」とはそういうことですよ......みたいな......

僕はこの日、

そんなことを円空さんの作品達から教えてもらったような気がします。

こちらの「美術手帖」という本もなかなか面白かったです(^^)



この本の中にある、
プロの彫り師で円空の研究家でもある
「山田匠琳=やまだしょうりん」さんの言葉。

「だいたい円空の鑿跡(ノミあと)を見てご覧よ。
鑿を研ぐのが下手だったんじゃないだろうか。
鑿の入れ損ないがあってもそのまま彫ってしまっているようなところがあるんだよ。
職人の立場だけで見てしまうと、許せないと思う所がいっぱいある。
でも実際に円空の技法で仏像をつくってみると、作業環境や、
こんなに強引に彫るのはきっと血液型はB型なんじゃないだろうか、
なんていう人柄までみえてくるんだ。真似て彫ってみるたびに発見がある。
面白いよね」


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ウナギクライシス 4

2013-02-03 00:00:48 | 美味い...パワスポ寺社
風情ありありーーーっ!
おぬしもワルよのーーーっ! 
前回からのつづきーーっ!




名店「川豊」のうな重ぅーーーーっ!(><)
勢い余って「上」にしてみましたーーーーっ!
思いも余って「ご飯大盛り」でぇーーーーっ!
おふとりーーっ!
幸せですーー♪♪
ぽやややーーん。。(´-`)。。

川豊さんのうな重は値段的にも当然の養殖で。
関東らしく蒸して焼くふっくら系調理で作られてました。
僕のうな重の「真ん中の味」は
以前「2」で記したように静岡県三島市の桜家さんだったりするので、
あくまで「ソレ」と比べると......という部分では、
蒸しと焼きのバランス感は同じような感じ。
焼きも蒸しもどちらも強すぎない中間の感覚。絶妙!
タレはややアッサリめな印象で、サッパリ感もあって女性向けな感じ。
地域性を考えるとちょっと意外でしたが、
だからなのか飽きずに大らかに食べられます。
オーダーしてから出される迄は少し早かったので、
多分白焼きして蒸した後、
「仕上げ焼き」だけを残して仕込んである感じかもしれません。
お昼時で混んでたからかもしれませんが、全ての過程を一気!
......に作っていく様な時のうなぎさんの新鮮さはちょっと感じられませんでした。
店頭には巨大な一枚板!があって、
うなぎの「割き」と「串打ち」が道行く人達からもよく見れる様になっていて、
ソレがとても面白いです。
熟練した職人さんの素晴らしい手捌きを誰でもよーく見る事が出来ます。



職人さんの傍には活きたうなぎが入っている丸桶が沢山積んであって、
上から水が流し込まれています。
基本通りの「たてこみ」と言われるもので、
捌く直前迄のうなぎさんの身を水を使って引き締めたり、
活きの良さを保ったりするためのもの。
でもよく見ると、うなぎさんが暴れまくる!
......というような元気さはあまり無くて......多分、
一つの「たてこみ」オケに対して、
うなぎさんの量が多いからではないか......と。
それほどの人気店で、一日に捌く量も凄く多い......
という事だと思いますが、この辺も食べた時の

「イキの良さ!」

感にはちょっとマイナスの影響を及ぼしているのかもしれません。
とはいえ、こういった作業が外から全部見れて、
食べる事も出来るお店というのは本当に貴重で楽しい。
外国の人など連れて行ったらトテモ面白がってくれそう。
そんなうなぎ屋さんでした(^^)



食後はこーーんな、
風情ある成田山の参道を三人でプラプラとパトロール。
ソレゾレちょっとしたお土産を買いこんで。
僕さんはスタッフに熱烈!に頼まれた
「ぴーなっつ最中」という名物らしきものを一つ。



そして......やはり〆には「ゆたーり」としたい珈琲タイム。
成田山にとても詳しい、地元出身の友人から聞くところによると、
参道でお勧めのカフェといえば、
なんといっても「三芳家=みよしや」さんという所であるとのこと。
駐車場への帰りがけに寄ろうと探してみると、
さっきの川豊さんの直ぐ横!にありました。
こーんな看板だけがヒッソリと参道に出ているというような入り口で。
中に入っていくと......



竹林に囲まれた、
レコメンド通りの、
とても雰囲気の良いカフェでしたぁーヽ( ´ ▽ ` )ノまんぞくー!



頼んだのはこれ。
アイス珈琲セット。
お茶菓子つきぃ♪



ここでしばらくまったりして、僕らはそのまま駐車場へ。
色々と満足しての帰京。
......途中、とある不思議な所......
まるで呼ばれたかの様に偶然通りかかり、
立ち寄ることになったのですが......
その話しはちょっと不思議で面白いので、
また違う機会に記すこととして、
その後はそのまま帰宅。
なんだかとても楽しい一日でした。

敬愛する友 IちゃんJさんに感謝。
みんなして良い年になるといいですなぁ......ぽややーーん(´-`)
想像したりなんかして......

あっ!

Jさんのうなぎは教授就任記念で無理やり驕ったったわ!

┌( ̄0 ̄)┐ ワーッハッハッ!

高くツケといたぜ!ベイベ!


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