雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

正々堂々

2023-03-24 00:04:35 | 感動
「野球=ベースボール」という競技は、
世界的に見たときの普及率の低さや、
競技人口の少なさ、
男女差の大きい競技者状況などから、
オリンピックにおいては
2012年のロンドン大会より正式競技から外れました。
コロナ禍の最中に開かれた東京オリンピックでは
「開催国特権での追加種目」
ということで辛うじて認められましたが、故に、
次の2024年のパリ大会からは再び正式競技から除外されます。



今、この国で過熱している
WBC=ワールド ベースボール クラシック
という「世界一の野球国を決める」大会というのは、
そんな野球競技の未来を憂いたアメリカの野球関連組織が
競技人口や国の拡大化を狙って、
2005年に発表し、立ち上げたものでもあります。



「世界一の国を決める」という、
同様のコンセプトをもったスポーツ大会で
真っ先に思い浮かぶのはサッカーのワールドカップですが、
こちらの参加国数(チーム)は前回のカタール大会で209。
完全に地球規模。
対して、今回のWBCの参加国数は28。
オリンピック競技の再選を目指すにしてもまだまだ少ない数字。

野球が世界各国に普及しない理由に関しては
様々なことがあると思いますが、
ことWBCに関してはアメリカという国を中心に考えられる
諸々の度合いがどこまで薄まっていけるのか、
利益構造を含めた競技国間の平等性をどこまで持ち得るのか......
なんていうことにかかっている部分も大きいかと思います。

実際、この日本国に関しても、
当初はアメリカからの不平等な組織提案や利益構造により
出場辞退の返答をする......というところから始まっています。
しかし、その後、
ボスキャラのアメリカ様から「脅し」とも取れる
様々なモノ言いにより不参加を撤回。
今に続いて来ているというわけです。

アメリカ偏重の構造のままでは、
これ以上の世界拡大は望めないのではないか......
という部分も多分に孕んでいる大会である、ということです。
この点はWBCという大会を理解する上では
とても大事なこととなります。



そんな、
自分が一番でないと気がすまないアメリカさんを、
日本は決勝の大舞台で破りました。



サッカーで言えば、
日本が決勝でブラジルを破るようなものです。



マスコミがあまり伝えない上記した歴史や構造から見ても
素晴らしい偉業ではないかと思います。
凄い。
ヤバイ。
何よりも、カッコイイ!
です。
ええ。ええ。(^^)



裏側にある組織的で政治的な部分はともかくとして、
フィジカル コンタクトの少ない野球は、
サッカーなどに比べると、
個人的には「ズルさ」を持ち込める度合いが
少ない競技のように思えます。
勿論、審判さんやそのシステムさえしっかりしていれば、ですが、
個々や組織の実力をそのままぶつけ合える、
競い合える、
貴重な競技だと思えています。

「スポーツマンシップとは何か?」

と聞かれれば、僕は、

「ズルをしない精神」

と答えます。
とかく、世にはズルイ人も多く。
実力差を狡猾で卑猥なあの手この手でねじ曲げて。
様々な不公平を飲み込まされながら働いている人や、
組織や社会や国も多いかと思います。
ねじ曲げないと利得が生まれないから、
実力通りだと面白くないから、
力通りに並ぶと夢がないから......
なんてこともあるでしょうけど。
そんな中で、
野球というのはなんて純粋で力強い競技なのか、
スポーツなのか、
とも思います。

知略は場面場面で常に沢山用いられ、
含まれもしますが、
狡さ(ズルサ)は持ち込みにくい競技。

正々堂々と戦うことを誓えるスポーツ。

そんな部分も、
数ある野球の魅力の中の一つではないかとも思います。
スポーツの魅力なのではないかと思います。





今大会の中で僕が最高に好きなシーン。写真。
日米を代表する選手である大谷翔平さんと
マイク・トラウト(Mike Trout)さんの決勝戦前の姿。
WBCでは敵となる2人は
「ロスアンジェルス・エンゼルス(Los Angeles Angels)」
という同じメジャーリーグ球団の選手でもあるわけです。



トラウトさんは野球ファンには言わずと知れた
現メジャーリーグにおける最高の選手。
今回のアメリカ代表のキャプテンであり、
メンバー集めに奔走もした
「3 TIMES MVP PLAYER(MVPを3度も獲得した選手)」
大谷さんもトラウトさんも今回のWBCのために、
自分の国のために、
多くの尽力をしていたように思います。
そんな二人が先頭で、揃って国旗を持って入場し、
アイコンタクトをしていたシーンには
胸を打つものがありました。





メジャーリーグにおいては、
同じチームである限り二人の対戦は不可能!
と考えられていた中で、
今大会で実現したのはそんな二人の奇跡の対決。
たった1点差で迎えた決勝戦の最後の最後。
投手大谷があと1つのアウトを取れば日本の勝ち!
ホームランを打たれたら同点!
なんていう場面で迎えたバッターがトラウト!
という、まるで映画やドラマのような状況。
まさかまさかの野球ファンが夢見ていた形。
この時ばかりは、

「野球の神様って本当にいるんだ......」

などと僕は思ってしまいましたが、
野球ファンにとってはそれほどの出来事で。
結果は周知の通り大谷さんが投げ勝ち、
日本が見事!優勝!を果たしましたが、
トラウトさんと大谷さんは試合後にこんなコメントを残しています。



================================
【マイク・トラウト】
おそらく、今回はこれまでに経験したことのない、
最も楽しい10日間だった。

大会を通して素晴らしいチャレンジだった。
代表チームに参加した誰もが味わったことのない、
鳥肌が立つような経験をしたと思う。
また戻ってくるよ。

(大谷との対決は)全ての野球ファンが観たかったものだと思う。
この1か月半、そのことについての質問にずっと答えてきたんだ。
他の形で終わると思ってたかい?

彼は本当に厄介なものを持っていて、
最後のはいい球だったね。
まあラウンド1は彼の勝ちってことだね。



【大谷翔平】
トラウト選手がプロ野球選手としても、人間としても、
どんなに素晴らしいかをチームメイトとして誰よりも理解していたので、
ベストを超えるような球を投げないと抑えられないと思って投げました。
================================



正々堂々の素晴らしさ。
スポーツマンシップ。
そこから生まれる感動。
そんな感動や世界を味合わせてもらえたということこそが、
僕がWBCという大会にとても感謝をしていることなのです。

以下には、
上記コメントさんに負けず劣らず、
今大会で印象的だったコメントさん達を。
備忘録として。
純粋で美麗な感動をありがとうございました☆(^^)



=================================
【エンゼルス公式ツイッター(最後にチームの同僚対決となった時)】
we are not well(ちょうし悪いです)



【フィル・ネビン エンゼルス監督(決勝戦後の言葉)】
この試合は世界で一番いい試合だ。
このゲームが世界最高のものであること。
このようなドラマを一緒にできるスポーツは他にない。
そして、野球はその点では完璧だと思う。



【大谷翔平(アメリカとの決勝戦前、チーム円陣での言葉)】
僕からは1個だけ。
憧れるのをやめましょう。
ファーストにゴールドシュッミトがいたりとか、
センターを見たらマイク・トラウトがいるし、
外野にムーキー・ベッツがいたりとか。
野球をやっていれば、
誰しもが聞いたことのあるような選手たちがいると思うんですけど、
今日一日だけは憧れてしまったら越えられないんで。
僕らは今日、越えるために、
トップになるために来たので。
今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、
勝つことだけを考えていきましょう。
さぁ、いこう!



【ポール・ゴールドシュミット(決勝戦、惜敗後の言葉)】
日本の野球は全てが素晴らしい。
素晴らしい選手たちがいるし、野球の仕方を知っている。
基本に忠実な野球をするし、
とても努力するし、
日本では野球は大人気だ。
僕たちは彼らをとても尊敬している。



【甲斐拓也(3月11日のチェコ代表戦前、チーム円陣での言葉)】
東日本大震災から12年たった今日、
沢山の方が僕たちの野球を見てくれています。
当時、嶋基宏さんがこのようなことを言っていました。
誰かのために頑張る人間は強いと。
今日、全力でプレーする中で失敗も起こるかもしれませんが、
全員でカバーしあって、助け合って戦い抜きましょう。
今日も勝ちましょう!



【パベル・ハジム チェコ代表監督】
準々決勝に行ければ素晴らしかったが、
それでも私は本当にこの選手たちを誇りに思います。
中国を破り、
韓国、オーストラリアと死闘を繰り広げたのだから。

オオタニが素晴らしい笑顔とともに活躍していることを
世界に伝えたい。
ウクライナとロシアの戦争が続いているが、
こんなに素晴らしい世界もあることを伝えたい。

オオタニだけでなく、
素晴らしい選手が日本にはたくさんいる。
ロウキ・ササキ(佐々木朗希)
エスカリに死球を与えたお詫びにお菓子を持ってきてくれた。
本当に野球は世界を結ぶと思った。

私はロウキ・ササキのファンになりましたし、
ショウヘイ・オオタニは新しいベーブ・ルースだと思います。



【キム・ハソン(韓国代表選手)】
ダルビッシュのインスタグラムをチェックしたら、
(日本代表の選手たちが)
みんなで飲み会をしているものがあったんだ。
実を言うと、韓国代表チームにはそういうところがなかった。
私自身は3年数か月ぶりの代表活動で、
外に出かけるのさえ負担だと考えていて……。
国際大会ではそういう雰囲気作りが大事で、
結果に繋がるのだということ。
日本もオーストラリアもチームとして本当にまとまりがあったと思う。



【ダルビッシュ有(準決勝のメキシコ戦前、チーム円陣での言葉)】
お疲れさまです!
宮崎から始まって約1カ月、
ファンの方々、監督、コーチ、スタッフ、
この選手たちで作り上げてきた侍ジャパン。
控えめに言って、
チームワークも実力も今大会ナンバーワンだと思います。
このチームで出来るのはあと少しで、
今日が最後になるのはもったいないので、
みんなで全力プレーをして、
メキシコ代表を倒して明日につなげましょう。
さぁ、いこう!



【ベンジー・ギル メキシコ代表監督(劇的なサヨナラ敗戦後の言葉)】
Japan advances,
but, the world of baseball won tonight.
(日本が前に進んだ。
しかし、今夜の勝者は世界の野球そのものだ)



【岡本和真(決勝戦のホームランに関してと大会終了後の言葉)】
昨日は(スタンドに)入らなかったので、
今日はたくさんウエートして、
たくさんご飯を食べて挑みました。
ホームランになってくれてよかったです。

野球って、こんなに楽しかったんだなと思いました。
めっちゃうれしかったです。



【栗山英樹 日本代表監督(サヨナラ勝ちとなった準決勝戦後の言葉)】
野球って、すげーな、と。感動しました。
=================================



WBC日本代表様。
世界一!
おめでとうございます!(^^)


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竹富島徒然

2022-02-05 01:46:57 | 感動
タモリさんが日本中をぶらぶら歩くTV番組
「ブラタモリ」
僕さん的にはとても好きな番組なのですが、
最近はお散歩番組というより地質学番組!?
となっているような感じすらもありまして......
ま、そこがまたとても面白いのですが。
その番組で、
先日は八重山諸島の「竹富島」が特集されていました。





僕さんに関しては、
この島に最初に足を踏み入れた時のことは
とてもよく覚えていまして。
その時は、自然と、
心奥からなんとも言えない温かい気持ちが湧き生まれてきて。
自分の中のどこか大切な部分に触れる島であることがわかり。
とても感動して。
心に刻まれ、残る島となって。
大切に思える島ともなりました。
なので、TV画面を通して見ているだけでも、
とても優しい、叙情的な感情が湧き上がって来て、
なんだかウルウルっとしてしまい。
いつも自然体なタモリさんの人柄もあいまって、
番組に見入ってしまいました。











シーサーさんが護る琉球瓦の赤い屋根。
珊瑚砂の白い道。
珊瑚石を積み上げた黒い石垣。
赤と白と黒。。









観光名所としては「なごみの塔」とか、



大人気の「西桟橋」とか、





コンドイ浜(コンドイビーチ)などでしょうか。





島で暮らす皆さんにとっての大切な場所となると、
井戸、でしょうか。
命にも等しい水。
こちらは島の中心部にある大きな井戸。
「仲筋井戸(ナージカー)」
犬が見つけた井戸!との伝承が......



同じく大切な場所。御嶽(うたき)。
神に祈りを捧げる場所。
島の中央にあるのは「世持御獄(ユームチオン)」
ブラタモリでも言っていましたが、
この島では御嶽(うたき)は「オン」と呼ばれるようです。



幾多の島の御嶽(オン)を代表していただき、
お酒と泡盛とお水と......持ちして。



以前も記していましたが、
島の人々の祈りの場である御嶽(うたき)には、
基本、僕のようなポンチキ人はまず、入れません。
入れるところは上のユームチオンのような、
比較的開かれた感じの御嶽のみでして。
よく「パワースポット」的な言葉で語られていたりもしますが。
長き年月にわたって積み重なった祈りの深さと重さとは、
その「地」そのもののチカラとも相合わさって、
途轍もないものがあります。
軽々しく、
迂闊に踏み入るような場所ではないと思われます。



とても印象的だった島の北端。
美崎(みしゃし)。
すぐ横には、
やはり僕さんでは決して入ることなどできない空気の
「美崎御嶽(ミシャシオン)」があります。





竹富島へ入ってくる「外的なエネルギー」の入り口.....
とでも言いましょうか......
とても大切な場所だと思います。





案内板には、
日本の南端の地で「アイヌ」の文字も......





あくまで個人的に、ですが。
竹富島で最も感動した場所は、こちら......



ニーラン神石。
上に記したコンドイ浜のすぐ近く。
こんな美しい道を通り抜けた先にあります。





「ニーラン」とは「神の国」という意味なのだそうで、
竹富島に五穀豊穣をもたらすために、
船に乗ってやって来た神々が、
船の縄を結び付けて停泊した石、場所と伝わっているそうです。
沖縄県地方における「ニライカナイ=神の国」という言葉との
共通性も感じられますが......

次回は、
このニーラン石での忘れえぬ出来事を少しだけ。
続きます。(^^)


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圧倒的な幸せ

2020-03-07 00:17:48 | 感動
「クリコ」さんという方がいらっしゃいまして。
先日、某イベントの現場でご一緒させていただきました。
聞けば、本名は保森千枝(やすもりちえ)さんとのことで、
料理研究家であり、「介護食アドバイザー」
という仕事を主軸に活躍されているのだそうです。
僕にとっては耳慣れない「介護食アドバイザー」なる言葉の意味は、
イベントでの彼女のトークパートで知ることが出来ました。
 
 
 
クリコさんの考案している「介護食」というのは、
咀嚼がうまくできない人のために考えられたものなのだそうで、
流動食しか食べられないような人に
食べやすくしてあるのは勿論のこと、その上で、
見た目や味や食感も、出来る限り普通の食事と
変わらなく感じられる工夫がなされているものなのだそうです。
健康な方が日頃食べる食事と同じように食欲がそそられ、
食べることが楽しくなるような、
食べることに喜びを感じられるような、
そんなモノを提供することに全力を注いだメニュー、レシピ......
というものらしいのです。
 
 
 
イベントではクリコさんがそんな料理を作り始めた
キッカケの物語をスピーチされていました。
そのキッカケというのは、互いに働き盛りで、
とても楽しい毎日を一緒に仲良く送っていた最愛の夫が、
ある日、口腔底ガンにかかってしまったことによる様でした。
そこから、壮絶な、
夫婦の癌との闘いの毎日が始まったのだそうです。
 
夫の「アキオ」さんは優秀な新聞記者さんだったそうで。
常に活動的で明るく、勤勉で前向きな人だったそうです。
それは癌になった後でもまったく変わらず。
どんな時も希望を捨てず。
明るく、楽しく。
奥さんのクリコさんに辛い思いをさせないように心を使い、
気を張りながら生きていたのだそうです。
 
 
 
クリコさんは、そんな夫に、
自分の方が何度も何度も励まされてきた、と、言っていました。
 
 
 
ここまでの文章が過去形となっているのは、
そんなアキオさんも病気の発症から一年ほどたった
2012年の11月に、この世を去ったのだそうです。
アキオさんはガンの発症後もしっかりと記者業を続け、
周囲の心配をものともせず。
死の直前まで「自分の天職」
とも語っていた仕事を全うしていたそうです。
 
アキオさんは食べることがとても好きな方だったようなのですが、
手術で舌の一部を含む口の中の大部分を切除され、
残ったのは奥歯一本。
病院に入院していた時に出されていた食事はドロドロとした流動食で、
食欲も沸きにくく。
気がつくと体重も7キロほど落ちてしまっていたそうです。
沢山食べて、一日でも早く回復してほしいと願っていたクリコさんは、
そんな夫の姿を見て、たまりかねてこんなことを言ったのだそうです。
 
「どうして食べられないの?」
 
クリコさんは自分でもその流動食を味見してみたらしいのですが、
それは、見た目は勿論、味も想像以上においしいものではなく。
しかも、下あごに麻痺も残っていた夫は、
そんな食べ物でも、スプーンをひとくち、口に運ぶ毎に、
体の中に流し込めていのるか?どうか?を、
いちいち確認しなくてはいけないような状態だったのだそうです。
1食を終えるのに、いつも1時間半ほどかかっていたようで、
その時、クリコさんはこう思ったそうです......

「退院したら、私が3食、おいしいものを食べさせないと」
 
その通り、クリコさんは夫が退院した後、
とにかく彼に美味しいものを食べさせてあげようと、その一心で、
噛む力が無くても美味しく食べられる食事の開発に
猛烈な努力と研鑽を重ねたようでした。
そして、見た目も味も通常的な食事と変わらないような
奇跡的なメニューを幾つも作り出していきました。
 
アキオさんが自宅療養に入った最初のころ。
クリコさんが懸命に作ったおかゆを食べれない、と、
残してしまったこともあったそうです。
その時は、介護疲れのピークと、
常に様々な不安にさいなまれていた心とが重なり、
クリコさんは夫にこんなことを言ってしまったのだそうです......
 
「なぜそんなわがままを!」
 
アキオさんはこう答えたそうです......
 
「手術した口の中の状況が傷の回復とともに毎日変わるようで、
昨日食べられたものが今日食べられないんだ......」
 
口の中の状況が変わる......
クリコさんは想像もしていなかった夫のこの言葉に衝撃を受け、
同時に、夫が健人には想像も出来ないほどの苦しい状況の中で
生きていることを強く感じたのだそうです。
 
「余裕を失っていたとはいえ、
苛立ってしまった自分にとても後悔をしました、、、」
 
クリコさんは、そう語っていました。
 
そんな状況や思いの中で作ってきたクリコさんの介護食の数々や、
メニュー開発の物語は、既に本としても世に沢山出ているとのことで。
今や、多くの方々に喜びや力を与えてもいるようでした。
その日、僕が拝聴させていただいた講演のような仕事に関しても、
アチコチから引っ張りだこの様子で、
毎日忙しく過ごされているようでもありました。
 
 
 
クリコさんのこんなお話の中で、
この日、僕がとても印象に残った言葉が一つありました。
それは、余命いくばくとなってしまった夫のアキオさんが、
死の直前に、
毎日、毎日、一生懸命、
世話や看病をしてくれていたクリコさんに言った感謝の言葉。
 
 
 
「僕の人生は圧倒的に幸せだった」
 
 
 
クリコさんは、この言葉に涙した、、、と、言っていました。
その言葉は大切な宝物として、
クリコさんの胸に今も仕舞われている様でした。
 

 
死を考える時、
命とは強く、儚いものなのだ、と。
あらためて、痛切に思うのです。
 
 
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ワケのわからないワケ

2016-09-24 00:03:24 | 感動
———————偶然の一致に意味を見出すか、
それとも一笑に付すか、
それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった————————



少し前にも記した、
僕の敬愛するカメラマン「星野道夫」さんが
厳しいアラスカの大地で綴った言葉。




時折、
僕は「ワケもなく流れ落ちる涙」というものに遭遇することがあって。
このブログでは

「(T . T)ぶぇ」

なんて記されているものがそんな時だったりもするのですが。
その「戸惑いにも似たワケの分からなさ」を少し考えてみると、
星野さんの言葉と同じ「たましい」というものに突き当たるのです。

タマシイというものは、
例えば卵の黄身の様に、
例えば地球のコアと呼ばれる部分の様に、
人の心の一番奥の中心にあって。
故に、決して心と同じものでは無いのだろうと僕は理解しています。

そんなところにある「魂」に自らの意識を重ねようとすると、
多くの場合、
卵で言えば柔らかな白身や硬い殻が
手強い壁のような障害になってしまったり、
地球で言えば、
対流するマントルや硬い地殻部分が厚く覆い隠してしまったりと、
自分自身の内にあるのに、
なかなかアクセスも自覚もしづらくなっているように思えます。
タマシイとは、あるとして、
ちょっと掴みようのないものになっているようにも思います。

自分なのに、自分でない部分。

自分なのに、掴めない部分。

「たましい」とは、多くの人にとってそんなものなのかもしれません。

だから、

そんな魂に自分の心が奇跡的に触れることが出来た時の喜び。驚き。

壁となっていた余計な思考や自我が消失し、心が魂に出会えた時の嬉しさ。

その懐かしさや温かさというのは表現しがたいもので。

やっと会えたね。

久しぶりだね。

君のことは忘れていなかったよ。

やっと帰れたよ。

ここが僕の本来の居場所なんだ......

自分の存在の根幹に触れている満足感。
そんなものが自分の奥底から......タマシイから......
コンコンと心に湧き上がってくる感触への戸惑いと感動。
心の側から見れば、そんな感じの喜びの涙。
魂の側から見れば、やっと気付いてもらえた、
重なることが出来たという喜びの涙。

「ワケもわからず溢れ出る涙」

というのは、そんな分離していたタマシイと心とが会合を果たし、
双方が一体となって喜んでいる状態なのかもしれません。
僕にはそんなふうに感じている時があります。
そして少し前にも、そんな

「自分自身戸惑いながらも、でも心地よく、温かく、自然に溢れ出る涙」

に出逢ったことがありました。
それが新海誠監督の最新作「君の名は」というアニメーション映画。
もはやアッチコッチで話を聞く様にもなっていて......
大ヒット作となっている様です。



前作「言の葉の庭」でほぼ完成されていた細やかな絵のタッチと美しい光の表現。
そこに加わったスタジオジブリ周りの一流の作画スタッフ。
ベースに「秒速5センチメートルの恋」があると思われるストーリーも
情感が格段に増していて、スケールも大きくなっていて。

「ちょっとズルいんじゃね!?」

とまで思わされる、
劇中で強力なインパクトとエモーションを与えてくるテーマ曲や音楽は
「RADWIMPS=ラッドウィンプス」
これまでの新海作品でも「秦基博」さんや「山崎まさよし」さんなど、
とても印象深かったのですが、
今回の楽曲インパクトはそれらを大きく超えている様に感じます。
彼らの久々のアルバムも、
この映画のサウンドトラック盤なんてことになっていましたし......



全てが秀逸なる作品。

シン・ゴジラ」に続き今年2発目!?
となる日本映画史に残る傑作になりえる作品でしょうか。

今年の映画界は豊作なの!?( ゚д゚)

ってくらい、2016年は良い映画が多い様にも思います。



「前前前世/RADWIMPS」
作詞・作曲/野田洋二郎

やっと眼を覚ましたかい
それなのになぜ眼を合わせやしないんだい?
「遅いよ」と怒る君
これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ

心が身体を追い越してきたんだよ

君の髪や瞳だけで胸が痛いよ
同じ時を吸い込んで離したくないよ
遥か昔から知るその声に
生まれてはじめて何を言えばいい?

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方をめがけてやってきたんだよ

君が全全全部なくなって 
チリジリになったって
もう迷わない
また1から探しはじめるさ
むしろ0からまた宇宙をはじめてみようか



どっから話すかな
君が眠っていた間のストーリー
何億、何光年分の物語を語りに来たんだよ
けどいざその姿この眼に映すと

君も知らぬ君とジャレて戯れたいよ
君の消えぬ痛みまで愛してみたいよ
銀河何個分かの果てに出会えた
その手を壊さずにどう握ったならいい?

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ
その騒がしい声と涙をめがけやってきたんだよ

そんな革命前夜の僕らを誰が止めるというんだろう
もう迷わない
君のハートに旗を立てるよ
君が僕から諦め方を奪い取ったの



前前前世から僕は君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方をめがけてやってきたんだよ

君が全全全部なくなって
チリジリになったって
もう迷わない
また1から探しはじめるさ
何光年でもこの歌を口ずさみながら





この曲は物語の恋愛を歌っているようでいて、
この星と人間との関係や、心と魂との関係に対しても歌われているようでもあって。

「やっと眼を覚ましたかい......」

と、星々や魂に言われているようでもあって。

「遅いよ」

と、地球に怒られているようでもあって。
そして、この映画に出てくる彗星から割れ落ちる隕石のシーンは、
僕にとっては魂がこの星に生まれ落ちてくる時の描写の様に......
感じられて仕方がありません。

こんなふうにして僕らは空からやってきたんだ。

僕らはきっと星のカケラなんだ。

宇宙が僕らの、魂の故郷なんだ。

(T . T)ぶぇ

希望に満ちた恋物語も素晴らしい作品ですが、
もはや愛だの恋だのダケではトーテートキメクことができない
寂しいオヤジーな僕にとっては、
彗星が虹とともに落ちてくるこの映画の風景描写が......なんとも......

泣けてくるのです。

世知辛い日々で、

大切なコトを思い出させてくれる風景のように。

魂と会わせてくれてありがとう。

眩しい希望を分けてくれてありがとう。

好きな人を、

好きだった人を思い出させてくれてありがとう。

この映画は僕にとって、

そんなことも感じさせてくれる傑作です(^^)



「RADWIMPS 4 〜おかずのごはん〜」
個人的に、ラッドウィンプスにおける一つの頂点だと思っているアルバム。
問答無用の名曲「有心論」もこれに入ってます。



「君の名は」でラッドウィンプスを知ったという人がどれくらいいるのか?
わかりませんが、このアルバムの頃は確実に「心」を歌っていた彼ら。
今回のアルバムでは「魂」を表現しているようにも思えます(^^)


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十和田湖徒然

2016-09-16 02:32:47 | 感動
以前、「芝公園徒然」という記事でこんなことを記してましたが......


=======================
「ホント、えげつねーことしてたんだな。。。」
と、嘆きにも、悲しみにも似た感慨を持ったのが、
古墳を見下ろすように背後に立っているハイタワーホテル。。

「ザ・プリンス・パークタワー東京」

西武グループ。。

またかいな。。
=======================


プリンスホテルというのは、西武グループの堤康次郎さんが
臣籍降下した皇族が所有していた領地や邸宅を買いまくり、
そこに息子の堤義明さんがリゾートホテルを建てていったのが始まり。
それで「プリンス」ホテルという名前になっていたりします。
そんなわけでプリンスホテルというのはこの国の中でもかなり良好な土地や、
パワーや意味がある土地などに建っていることが妙に!?
多くなっていたりします。
本来......古来、
一般人がそうそう立ち入ることが出来なかったような地に建っていたりもしていて。
まったく......
西武の裏で手を引いていた人の顔も......なんとなく浮かびますのです......な......

アチキの場合、冬の全てをスキーに費やしていたワカゾーバリバリの時期に、
そんなプリンスホテルをほぼ全て泊り歩いたりしてみたのですが、
ただ一箇所。
東北、青森と秋田の2県にまたがる神秘の湖「十和田湖」の湖畔にある
プリンスホテルにだけは泊まったことがなかったのです。

「十和田プリンス」というのは、
東北の最も山深いエリアにあるということもあって、
冬の間は閉まってしまうのです。
なので基本「スキー軸」でプリンスを回っていた僕さんは、
これまでナカナカ行くことが出来ずにいました。
傍にスキー場も無いプリンスさんですし。
その頃の夏は全てが冬のためのアルバイト尽くしの日々でしたし。

それで、今年の夏はその憧れの!十和田プリンスホテルさんに泊まるべく
プラプラリンコと車を走らせていたのでございまつ。ええ。
途中、青森県警に捕まりまちたが。高速で。ええ。ええ。



ムッキィィィィィィーーーッ!( *`ω´)/



ってね。ええ。ええ。



で、その十和田プリンス。
行ってみるとヤッパリ、スゲーパワー感で。
相変わらずとんでもない土地を選ぶもんだな......と。
神秘的で癒し系の力が煌めくこぢんまりとしたホテルさんでした。





あまりに素晴らしい力が溢れていたので、
唯一WIFIがつながるホテルのカフェでチロチロと土地の秘密を調べてみると、
本来は蝦夷の地ということもあって、
どーもここは皇族所有の土地ではなかった様で。
が、きっと、堤さんは何も考えないで買うわけはないだろう......と......
さらに深く掘っていってみると、やぱーーーり......この地には昔、
この辺りのキリスト教徒さん達が集まる地域の中心的礼拝堂があったのだそうです。
礼拝堂はプリンスを建てる時に近くの丘の上に移築され、
今もあるらしいのですが......マッタク。本当に。ねぇ。
よくばーりで。ねぇ。。
そんなパワーのある地におきまりの、
火水(カミ)の力の結晶でもある温泉さんも湧き出ていて。



十和田湖西湖畔温泉。
無色透明系でお肌プルプル系。希少で魅惑的な泉質。
十和田湖畔では唯一となる源泉100%の湯だそうです。
マッタク。ねぇ。よくばりーで。
「金のねぶた」ドリンクなんぞも飲んじゃったりして。
よくばーりで。ええ。ええ。



近くの桟橋で朝日も独り占めしちゃったり。









全てがあまりに素晴らしかったので、
僕はこの桟橋の突端で一人あぐらをかいて座り込み。背筋を伸ばし。
しばらくの間、湖の上にボッチ君で佇んでおりました。
この時過ごした時間は......ちょっと忘れることは出来ない時間となりました。
何でしょう......時間というものが完全に無くなってしまっているひと時。
自分の存在も無くなっていて、自然と涙が溢れてきて、
感謝の気持ちが全てを包んでいきます。

(T 。T)ぶぇぇ

十和田湖の語源は実は正確にはわかっておらず。
現在一番の有力説となっているのは、
アイヌ語の「ト(湖)」「ワタラ(崖)」に由来している......という説だそうです。
他にも南部氏が付けた「一戸(いちのへ)」から
「九戸(くのへ)」という地名があって、「十戸」は無い。
なのでその「十戸」に当たる地だから......という可能性もあるそうで。
ただ、僕がちょっと気になるのはその充ててある漢字のチョイス。
「十」という字と、
「和」は足し算を意味する和。
そうすると別の表現では「プラス=+」。
「田」は「十」を囲った文字。
全て「十」の字に関連付けられる文字が並んでいるような......

十字架!?

ま、誰が選んで充てた字?なのでしょうか......ね(^ν^)

近くには
「キリストのお墓です!」
なんて世に打ち出されている墓陵のある噂の!?戸来村(へらいむら)もありますし。
「ヘライ村」も「ヘブライ」を連想させる「いかにも」な名前ですが......
虚々実々。
真実はどうであれ、因縁や因果ということで考えてみれば、
この辺り一帯の地というのは、
キリスト教となんらかの深い縁を持った地なのではないか......
ということは言えるのかもしれません。







御鼻部山展望台からの絶景。



ちょっと稀で別格の気力を放つ十和田神社。





坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)の創建とも伝わります。





スゲーーーッス(@。@)ホヘーー。。





ここにはマニアには有名な「占場=うらないば」という場所があるのですが......
あまりに重々しい念が積み重なっていて、僕さんは全く足が向きませんのです。
それより、こちらの、湖畔に抜け出る小径が......ご機嫌です(^^)



出口には「乙女の像」。
高村光太郎さんの作品です。



二人で一人。世界は鏡。。みたいな。



この島はまじヤバイっす。。
龍さん!こんちくわー!!ヾ(*・ω・)ノ゜



奥入瀬渓谷(おいらせけいこく)の巻に続く〜(^^)


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出発すること

2016-09-12 00:07:40 | 感動
前回の「富士山上々」でも少し書きましたが、
富士登山の後、
うちのスタッフの「zaki」さんが
登山というものにかなりハマってしまったらしく。
次の機会をチロチロと物色しているようなのです。



「筑波山に登ってみたいと思うんですよ(^ν^)地元の山なんで」



なんて、オフィスでものたまわっておりますが、
彼の山の師匠である「KU」さん同様、



「山をナメんなよぉー。チミィぃ。」



なんて言葉を返して、
もてあそんでいたりします( ̄∀ ̄)Ψケケケ......



どーも、登山というのはハマる人はビシッ!とハマっちゃうようです。
往々にして一番最初に登った時の状況や環境に
印象や気持ちが大きく左右されるとも思いますが、
それを抜いても、山には「エ」も言われぬ魅力というものがある様です。
時にそれは魔力と言ってもいいくらいのもののようでして。
ま、ハマる時はとことんハマった方が良いかと思いますけど。
そんな好きなことで学べる様なことがあれば、
それはサイコーに贅沢なコトだと思います。

登山の魅力ってなんだろう?......と、少しだけ考えてみるに、
それは「無」の自分と出会えて、
向き合うことが出来るトコロなのだろうかと、そんなふうに思います。
不思議な充足感と楽しさの根本にはソンナコトがあるのではないか?と。

雑多で複雑で混沌たる日常から距離を置いた世界で、しかも、
すぐ側にはシンプルに、
ただ命を育むコトにだけに集中している動植物の世界があって。
そのシンプルで根元的な世界と空気と風景とを肌身に感じ。見せられ。
同時に自分の命を脅かすような強大な自然の力も感じられ。
それは日常生活ではあまり感じることがない、
自らの生命の根幹や、生命体としての本能に直接差し込んでくるような力であって。
しかも、人はそんな力に対して身を守る術やモノも完全には持ち合わせていなくて。
だからこその、
自分で自分の身を守るコトの大切さも危機感も、力の無さも感じられて。
様々な考えや力が引き出しの奥深くから自然とひっぱり出されてくる......

命には水が大事なんだ。

空気って、

これが本来の空気なんだ。

一人の限界を感じる。

一人の素晴らしさも感じる。

自分の体力って、コレだけか。

持てるものって、コレだけか。

これだけあれば十分なのか。

そうか。

これでもいいんだ。

身一つ。

世界や自然との境界ってこんなにも近いのか。

自分は.......離れすぎていたのかもな......

色んなモノと。。

体も自然と鍛えられて、清められる......

削ぎ落としてるのに、何かを取り戻しているようだ。

そんな清々たる感覚や気持ちを味わったり、
発見しちゃったりなんかすると、
雑多な世界に戻った後は、余計に、
またそんなシンプルで清廉な世界に戻りたくなったりもするのでしょうか。
そして、そんな世界と感覚とは、
「魂の故郷」と似ている世界なのではないかとも思うのです。

きっと魂は知っているのです。

登山の世界が、

山の世界が、

自分の故郷とよく似ているということを。

だから、

山登りの感覚というのは魂の故郷に近づく感覚で、

里帰りの感覚。

郷愁。

山を降りた時、

魂は顕在意識にこう訴えてくるのです。

「また、故郷に帰ろうよ。ね!故郷に似たところにさ!」

きっとうちのスタッフのzakiさんにも、
魂からのそんな声が顕在意識に届いているように思えます。
もちろん本人はマッタク気づいてないと思われますが( ̄ー+ ̄)ニヤリ
素直で綺麗な心の彼は、真っ直ぐにリアクションしている様です。
彼を見ていると、そんな感じがします。

んん!?

如何にオフィスが汚れてるのか!?( ̄O ̄;)

ってコトじゃね!?

いろんな意味で。

もしかして!?

ってね(・ω・)ええ。ええ。



つい先日まで東京、銀座で開かれていた
故、星野道夫さんの没後20年、特別展「星野道夫の旅」
僕が大の星野さん好き!
という事を良く知っている漫画家の友達からお誘いをいただいて、
イソイソと一緒にお出かけしてきました。
星野さんの事は以前も

星の道
星の道 2

という記事で記していましたが、
僕の最も尊敬するカメラマンさんの一人で。
同時に山やアウトドアのエキスパートでもあります。
そんな星野さんがカメラマンとしての生涯の全てを捧げた地は、
人が「無心」に触れやすく、帰りやすくもなるような極北の地、アラスカ。
魂の世界にとても近い?そんなイメージの所。
今回、その展覧会最大の目玉として展示されていたのは、
アラスカにある星野さんの自宅から遥々、海を超え、
初めて日本に持ち込まれたという彼が長年愛用していた大切な品々。
中でも、僕の目が釘付けになってしまったのは......カヤックでした。

僕の感覚では、
ソコにはハッキリと星野さんの魂が乗っていました。
その展示室だけマッタクの異空間となっていました。
星野さんから伝わりくる様々なこと。
頭を揺らす様々な言葉......

僕の家の書棚には彼の著作が沢山揃っているのですが、
最後に、また、その中から少しだけ、
今日の記事に寄り添う星野さんの宝のような言葉を————————————



いつか友人が、この土地の暮らしについてこんなふうに言っていた。
「寒さが人の気持ちを緩かくさせる。
遠く離れていることが、人と人とを近づけるんだ。」
と。



偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか、
それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった。



人の心は深く、そして不思議なほど浅い。
きっと、その浅さで、人は生きてゆける。



大切なことは、出発することだった。



—————————————星野道夫。


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カンパイで(^^)

2016-05-11 23:57:17 | 感動
明治後半から昭和の後半まで、
二度の世界大戦を含む激動、且つ、混乱期であった日本を
颯爽と生き抜いたダンディーでイカしたおっちゃん。
身長は185センチとも、182センチとも。
長身で足も長い。
スタイル良くてカッコイイ。
日本人で初めてジーンズを履いた男だとか、
イッセイミヤケのモデルもつとめただとか......
超お金持ちの名家に生まれ、
子供の時からスポーツ万能の荒くれ者だったとか。
そんな生家には、
迷惑をかけた人や家にいつでも謝りに行けるような
菓子折りが常備品となっていただとか。
若くして、当時貴重であった高級スポーツカーを親のお金で!?
乗り回し。
そのままイギリス、ケンブリッジ大学に留学し。
そこでも貴重な外車を友人達と乗り回し。
中退して日本に戻っても、
齢(よわい)80才になっても、
そのまんまの雰囲気でポルシェ911を乗り回していたとか。

でも、

敗戦に沈む混乱期の日本をリードして、
立て直しもしてきた気概ある官僚の一人でもあって。
今に至るまで平和憲法の象徴となっている
現日本国憲法の裏の立役者でもあり。
ジャーナリストの方々からは
「新憲法誕生の生証人」
とも称された人。
敗戦後の弱った日本を統治しに乗り込んできた
GHQ(アメリカと連合国の統合司令部)には、
日本の復興と自立、何より、譲れない自身のプライドと
プリンシプル(原理、原則、主義、信条)のために常に嚙みつき。
楯突き。
「従順ならざる唯一の日本人」
とも呼ばれた人。



あのマッカーサーにすら天皇への無礼を怒り、叱りつけた人。



それが白州次郎(しらすじろう)という人。



わたくしめ、とても好きな人なのでございます(^^)



日本が世界に対し敗戦や様々な賠償を受け入れる代わりに、
自国の主権維持だけはそのまま認めてもらえるように締結された、
イワユル
「サンフランシスコ平和条約」。
その調印式に際しても、
英語でのスピーチを用意していた吉田茂首相に対し、
日本語でスピーチするよう説得したのが次郎さん。
それは我が国のプライドだからだ、と。
同日、別の場所で交わされた、今でも議論の的となっている
「日米安保条約」
も、そんな次郎さんが一枚噛んでいます。

そのまま吉田内閣の参謀を長きにわたり務めあげ。
その後は東北電力の会長も務め。
日本の戦後復興の大事なカギであった
電力の安定化と強化にも努めます。
趣味のゴルフにおいても「軽井沢ゴルフ倶楽部」を運営し、
今日に至る日本のゴルフ文化の基礎を作り上げ。
冬はスキーに親しんで。
トヨタ自動車の社長には

「No substitute......かけがえのない車を作れ」

なんてオーダーをし。

「参考にこの車を持ってケーーッ!」

ってな感じで「ポルシェ911」を
トヨタの社長に気前よくあげちゃったりもして。
それで、
あの「トヨタソアラ」が完成したなんていう逸話までもあったり。
そして、そんなこんなの白洲次郎さんの集大成的な言葉というのが、
彼の有名な遺書に書かれていた言葉かもしれなくて......
もしかしたらコレこそが、
彼を表す最高の言葉なのかもしれなくて。



「葬式無用 戒名不用」



「そうしきむよう かいみょうふよう」



僕は、遺書として書かれた次郎さんのこの言葉を見て、
トドメ的に次郎さんのことが好きになったのでございます。



左にクールに座っているやたらとカッコイイ男性が白州次郎さん(^^)
そして、右にいらっしゃる、
高貴なオーラを醸し出している麗しき女性が
次郎さんの奥さまの白洲正子(しらすまさこ)さん。
彼女もまた、知る人ぞ知る!?御人でしょうか。
文筆家でありながら、
今もって稀代の目利(メキキ)とも云われる人。
ここでも以前「琵琶湖徒然」という記事で少し記していましたが、
彼女もまた、僕の敬愛する方であります。
次郎さんのあまりにも絢爛溌剌としたキャリアと、
正子さんの才気ほとばしる生き方には
多くの人が憧れるものがあるとも思いますし、
どこか特別なものがあるようにも思えます。
でも、僕は何より、こんな二人の写真を見るだけで、
二人が人間的にもとても魅力的な方々であったであろうことを
思ってしまうのです。



実は、最近。
長い間密かに抱いていた僕の小ささな夢が叶いました。



それが、
この大好きなお二人のお墓参りをすることでした。



簡単に出来そうで、
なかなか実現出来なかったことだったのですが、
それが、タイミングが合い、やっと実現できました(^^)



「お墓は不要!」

などと言っていた次郎さんのお墓がなぜあるのか?というと、
それは、次郎さんが亡くなった時に、
やはり、あまりに多くの人々から

「次郎さんを偲ぶ場所を作って欲しい、、」

という話が妻の正子さんの元に届いたようで。
それで正子さんが

「ならば、、」

と創ったお墓らしいのです。
正子さんはソレを作る時、生前の次郎さんのことを考え。
遺書の言葉も考え。
更には、いずれこの地に一緒に眠るであろう自分のことまでも考え。
その結果、お墓ではなく、彼や自分との

「良き語らいの場」

としてのお墓をデザインしたのだそうです。
なので、墓碑としている石の形も
不動明王の五輪塔を人の姿の様にアレンジしたもので。
その人ガタを思わせる石碑の向かいには、なんと!
ソコに来てくれた人に

「まぁ、ゆっくりして行ってくださいな。。
なにか飲みます?(^^)」

なんていう声が聞こえてきそうなベンチ!
が置いてあるというのです。
もう、センス溢れる正子さんの施したデザインの話だけでも、
僕的にはヒットのしまくりで......

なんだかわかりませんが......

胸も強く打たれてしまうのです......

それで、僕が長年抱いていた小さな夢の一つが、
そんなお二人の、そんな墓所の、
そんなベンチに座ってビールを一杯!
酌み交わしながら語らってみちゃう......
ということだったりしたのです。
今は正子さんも仲良く並んでいらっしゃるであろう、そのお墓は、
兵庫県、有馬温泉をさらに奥へと進んでいった三田市の
「心月院」というお寺にありました。
こじんまりとして、とても良いお寺でした。









行ってみると、噂通り、
それはもう、お墓とは思えない様な形で。
さすが正子さん。
さりげなく、花壇みたいな感じ。





ベンチは向い側と、



石碑に向かって左側にも、
もう一つ置いてありました。



ワイワイと石碑を囲んで賑やかに語らうことが出来る感じ(^^)
僕は、早速、ビールを注いで......



「カンパァァアァァァァーーーイ!!(´▽`)」

全くもって最高でございました。
小さな夢が一つ叶った瞬間なのでございます(⌒o⌒)v♪
この地を訪れて、改めてよくわかったのですが、
僕はやっぱり、
このお二人のことがとても好きなのでございます。
ええ。ええ。


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かの子さん

2016-03-28 00:01:13 | 感動
「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」



東京都世田谷区と
神奈川県川崎市との間をゆったりと流れる多摩川。
そこに掛かる大きな橋のほど近くに
ヒッソリと建っているこの独創的なオブジェの元には、
そんな文字が刻まれていました。



オブジェのタイトルは「誇り」。
「太郎」とは、言わずと知れた芸術家「岡本太郎」さん。
このオブジェの作者。
「一平」とは岡本太郎さんの父。
そして「かの子」とは、岡本太郎さんの母の名前。



このオブジェは岡本太郎さんが亡き母を想い、
母の生家のあった地に建てたもの。



一見、
何をイメージしているのかよくわからない造形は、
しかし、その存在に気づいた瞬間、
他の岡本太郎作品と同様に、
見る者の心をザワメキ立て、
月や太陽の引力のごとく不可視な力でもって
作品に繋ぎ込んでしまいます。
間近で目にすると有機的で不可思議で、強く、
妖艶な肢体。
真っ青な空に螺旋を描きながら勢いよく
昇りゆこうとする真っ白な生き物のよう。
僕には、それは、鶴のようにも、蛇のようにも、
油皿に灯る炎の様にも見えました。



「こんな近所にあったのに......
ちゃんと見たことは無かったんだなぁ......」



少し前の、よく晴れた日の午後。
僕はそんなことを思いながら、しばし、時を忘れ、
このオブジェの元に佇んでいました。
ただジッ......と、見入っていました。



「岡本かの子 1889 - 1939」
どれだけ多くの人が知っているかはわかりませんが、
岡本太郎さんのお母さんというのは、
優れた文筆家だったのだそうです。
僕は、上の写真にある
彼女のベストセレクション的な短編集の文庫本を
一冊だけ持っていたのですが、
買ったきりナカナカ読む事ができず。
書棚の「まだ読んでいない本のコーナー」に雑然と、
多くの本と共に積み置いていました。
多摩川のオブジェを初めてマジマジと見に行った後、
僕は改めて、未読のまま放置していた、
その「かの子さん」の本を
書棚から取り出してみることにしました。
そして、ゆっくりと時間をかけて読んでみました。
かの子さんの文章は昔の言葉遣いや文体のせいもあって
読むのに少々苦労する......という部分がありましたが、
しかし、読み始めてすぐにわかったのは、
その表現力の異様な高さ。孤高さ。
ちょっと......
イヤ、かなり......圧倒されました。



「こんなスゲー人だったのか。
なんでもっと早く読んでなかったんだろ......」



それが、僕が本を読んで最初に抱いた印象。
艶やかで惚れ惚れしてしまう圧巻の言葉センス。
描写力。
そしてそんな言の葉が組み合わされ、
紡がれる文章が放つ不思議な色香と激しさ。
ページから色めき立って来る様な光。空気。
とても感動させてもらいました。



==========================
【渾沌未分=こんとんみぶん】より——————————
こせこせしたものは一切投げ捨ててしまえ。
生まれたてのほやほやの人間になってしまえ。
向かうものが運命なら運命のぎりぎりの根元のところへ、
向かうものが事情なら、
これ以上割り切れない種子のとことに詰め寄って、
掛け値なしの一騎打ちの勝負をしよう。
この勝負を試すには、決して目的を立ててはいけない。
決して打算をしてはいけない。
自分の一切を賽(さい)にして、投げてみるだけだ。
そこから本当に再び立ち上げれる大丈夫な命が見付かって来よう。
今、なんにも惜しむな。
今、自分の持ち合わせ全部をみんな投げ捨てろ。
一切合財を投げ棄てろ。



【金魚撩乱=きんぎょりょうらん】より————————
「意識して求める方向に求めるものを得ず、
思い捨てて放擲(ほうてき)した過去や思わぬ岐路から、
突兀(とつこつ)として与えられる人生の不思議さ」が、
復一の心の底を閃いて通った時、
一度沈みかけてまた水面に浮き出してきた美魚が、
その房々とした尾鰭(おひれ)を
また完全に展(ひら)いて見せると
星を宿したようなつぶらな眼も球のような口許も、
はっきり復一に真向かった。
「ああ、真佐子にも、神魚鬘之図にも似てない......
それよりも......それよりも......
もっと美しい金魚だ、金魚だ」



【河明かり】より——————————
「川を遡るときは、人間をだんだん孤独にして行きますが、
川を下って行くと、人間は連れを欲し、
複数を欲してくるものです」



【雛妓=すうぎ】より——————————
奥様のあのときのお情けに対してわたくしは何をお礼に
お餞別(せんべつ)しようかと考えました。
わたくしは泣く泣くお雛妓(すうぎ)のときの
あの懐かしい名前を奥様にお返し申し、
それとお情けを受けた歳の十六の若さを奥様に差し上げて、
幾久しく奥様のお若くてお仕事遊ばすようお祈りいたします。
ただ一つ永久のお訣れに、
わたくしがあのとき呼び得なかった心からのお願いを今、
呼ばして頂きとうございます。
それでは呼ばせていただきます。
おかあさま、おかあさま、おかあさま――― 

むかし雛妓のかの子より
==========================



岡本太郎さんの作品と人生、哲学に、
この母親「かの子」さんの存在が
どれほど大きな影響を与えていたのか。
息子としていかに母を慕っていたのか。
それがとても良く解る作品群でした。
彼女なくして岡本太郎の才能は開かなかったのだと思います。
そして、母、かの子さんの文筆家としての才能は、
息子太郎をも驚かせ、
敬愛されていたことも良くわかりました。

巻末には芸術家を志してフランス、
パリへ留学していた息子との手紙のやり取りが
「太郎への手紙」と題され、
幾つかまとめられて載っていました。
当時、ヨーロッパへの留学は今よりもっと貴重なことであったハズで。
かの子さんは経済的にとても苦しい暮らしを強いられていた中で、
なけなしのお金をはたいて、
一人息子の太郎さんを修行に旅立たせていたようでした。
手紙から伝わる、そんな母「かの子」の想いが僕の胸を打ちます。



==========================
むす子はこのごろどう暮らしているの。
私はゆうべからすこしメランコリックになって
泣いてばかりいるのよ。
慰めにってみんなが活動へ連れて行くところなの、
むす子のおばあさんである私の母をおもい出すのよ。
武蔵野のね、野菜の浄(きよ)らかに育つ処のね。
死んだお母さんを思い出すのよ。
だってむす子はどうせパリジャンだし
私は追憶ぐらいしなきゃつまんないもの。



夏のはじめ来られるかい?



いい手紙をもらった。
まるっきりこの手紙をもらうために
お前を育てたと思われるほどいい手紙だ。
これは子が母へ対しての、
そして人間が人間へ対しての最もいい好意と
同情と愛情のこもった手紙です。
静ですよ、私の世界は今、
そしてこの静けさの底にシンと落付いている力がある―――



誰も太郎さんはと聞くよ。
ぐっと胸がつまるのでそれに反抗して反身(そりみ)になっちまうよ。
涙が出るから気どってごまかして、
どうもかえりませんのでと前おきするよ。
そのあとの説明は推察しなさい。
パパおとなしいよ。いい子だよわり合いに、
お前の事考えて時々ぼんやりしてるよ。
そして二人でとしよりみたいに子の無いことの愚痴を云うよ。
察しなさいよ。



えらくなんかならなくてもいい、と私情では思う。
しかし、やっぱりえらくなるといいと思う。
えらくならしてやりたいとおもう。
えらくなくてはおいしいものもたべられないし、
つまらぬ奴にはいばられるし、こんな世の中、
えらくならなくてもいいような世の中だから
どうせつまらない世の中だから
えらくなって暮らす方がいいと思う。
あんたやっぱり画(え)かきになりなさい。
画(え)と定めて今から専念しなさい。
年とるばかりだから。
俳優もだめ。音楽家というわけでも無かろうし―――
ならばやっぱり画に専念しなさい。
でもね、この料簡(りょうけん)を一応持つと同時に
またほかの方面への関心を
自分に宛ててみて生活をするのもよろしかろう。



同じ芸術をやっている以上
迷いの苦しみがよく分かれば分かるほど、
こちらも聞きながら苦しい。だが私は思うのよ。
製作の発表の場所を与えられれば
迷いながらも一つの仕事を完成する、
そして世に問うてみ、自分に問うてみ、
また次の計劃(けいかく)がその仕事を土台にして生まれる。



タロどの
お前が展覧会へ出すについておとうさんおおよろこびですよ。



私ね。
あんたのために今までことわってた仏教の雑誌に書くわ。
あんたに教えるためにと思って、
あんたに読ませるために。



タロへ
大変な世の中になっちまったわねぇ。
お前もさぞびんぼうして苦しかろうけども、
こちらもね、それはそれはひっぱくした世の中なのよ。
私なんかかえってからたった単衣(ひとえ)のもめんを
一反買ったぐらいで出来るだけけんやくしているのよ。



ニセガネツカイ(贋金使い)の作者はりこうだが
りこうが鼻につく、理智の筆先はうまい。
だがローレンスは永遠につながる詠嘆と詩がある。
エロはあの人の体質の予映にすぎない、
そんなところばかりめにつけてるのは安価なスケベイ人だ。
その奥のものを見よ。感ぜよ。



感情的でなしに必要以上にもお前に逢っていみたい。
お前のこの後の生活の方針についても話してみたい。
それにしてもお金がなければ、お金がほしいと思う。



この次の小説集はお前の画でかざりたいとおもってます。



オサケ。
あんまり呑むと血圧が高くなるから
養生して長生きしておくれよね。
太郎はなんと愛らしき太郎であるよ。
しかも尊敬すべき太郎である事よ。
わが子ながら時々芸術では師のようにさえ感ずる。
立派な芸術家をたった一人子に持てる女性のほこりと
よろこびと幸福をしみじみ感じる。
==========================



————————読んでいて、
僕は、自然と涙が溢れてきました。



うつし世を 夢幻(ゆめまぼろし)とおもへども 
百合(ゆり)あかあかと 咲きにけるかな
――――岡本かの子



かの子さんのところに行く時に、
ちょっとオブジェに波長を合わせてみたところ、

「私、赤ワインが飲みたいわ。。」

という言葉を感じたので、僕はこの時、
ワイングラスと赤ワインを持って出かけました。
プリリンなねーさんもワザワザ横浜から駆けつけてくれて、
見ると彼女は手に紫と白の花束を持っていました。
高貴さと純粋さが合わさるような花束。
それらを日本を代表する建築家の丹下健三さんが造った
美しい台座の下にある大きな石に捧げ。
僕らはしばし、静かな時を過ごしました。
かの子さんは少々、
ホロ酔いの午後だった様に思います。(^^)


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光と、白と青と

2016-01-20 23:50:20 | 感動
東京に久方ぶりに降った雪は、
機械的に進む都市の日常には少々の混乱をもたらしたようです。
それでも雪は雨と同じく、いや、雨以上に、
大気中に散らばる細かい塵などを、
その白い体に優しく包み込んで大地へと舞い降りてくるようで。
降りやんだ後に晴れ渡った東京の空は、
いつもより格段に透き通った青で輝いていました。



「綺麗だなあ。。」



彼方此方に降り積もった雪から反射してくる光もとても眩しくて。
僕はそんな気持ちで住み慣れた街の空を眺めていました。



「東京とかは、たまに必要だよな。こんな雪。。」



きっと、
毎日除雪に追われる様な雪国ではこんな気持ちになる様なことなどは無くて。
そんな場所では、むしろ逆に、
暖かい陽光が降り注ぐ貴重な晴れの日に感じられる気持ちなどと似て、
重なるようなものなのかもしれません。



「こんな雪の日には、
無理していつもの日常をこなす必要なんか無い社会になっていて。
仕事とか学校とかお店とか公共機関とか、
電車やバスとか、
そんなとこもちょっと休みになったり、
何かが免除されたり、
それが皆に許されたり、
そんなことが社会全体で自然と理解されていたりする様な、
そんなノリとか空気とか、
文化とかルールとか法律とか......
ま、難しいだろうけど......
でも、そんな社会にはもうなれないのだろうか?
......なれないよなぁ......」



なんて、プチ混乱している電車の駅の様子などを目にすると、
身勝手にも僕はそんなことまで考えてしまいました。



「これくらいの雪で混乱する都市って......
混乱してしまう集中するオフィスって、
エリアって、仕事って......
人口や経済の偏り方って、有り様って......」



ちょっと複雑な感情も湧いてきて、でも、
そんな気持ちも綺麗に消し去ってしまうほど格段にキラキラな
陽(ひ)の光には不思議と感謝もわいてきます。
灰色で埋め尽くされた巨大な街の中にいても、
この星の美しさに改めて気付かされたりもする、
そんな東京の雪の日と、青い空と光の輝き。



親しい友人に勧められたのがキッカケで読み始めた漫画
「海街diary=うみまちダイアリー」
映画にもなっている吉田秋生(よしだあきみ)さんの人気漫画ですが、
つい最近、その最新巻が出たというので早速買いこんで、
雪の日のカフェで一人ユッタリと読みふけっていました。
巻ごとに付けられているその最新巻のタイトルが
「あの日の青空」でした。
ちょっと気に入ってしまったこの漫画
描かれているのは鎌倉を舞台にした4姉妹を取り囲む物語で、

「どんな人にも深くて尊い物語があるのだ......」

ということを改めて教えてくれる作品のように感じています。
舞台がご近所でもある鎌倉ということもあり、
よく知っているあの場所も、この場所も、沢山出てきたりして。
そんな部分にもなんだかとても魅かれてしまいます。
そして、この漫画全体を包むトーンというのも、なんとなく、
青と白と、
ピカピカに光る陽(ひ)の光のように思えていたりもします。

白は無垢とか、汚れない、
染まらない「尊さ」みたいなことを象徴しているのでしょうか。

青は海とか空とか、
そんな命の根源、
ミナモトみたいなコトを表しているのでしょうか。

陽の光は、
どんな時も前に進める希望とか前向きな気持ちみたいな、
そんなコトの象徴なのでしょうか。

この漫画にはそんなものが沢山描かれていて、
それでこんな印象を受けるのでしょうか。

物語には時折、キーアイテムとして登場するようなものがあって。
その一つが登山家が生死をかけて登頂に挑んだ世界最高峰の山、
エベレストの山中で撮られた一枚の写真。
僕はこのキーアイテムを巡って交わされる会話や描写が
この漫画の中ではひときわ好きです。
なかでもとても印象的だったものが、
愛すべき登場人物の一人、
「山猫亭」という喫茶店の無愛想なマスターが関西弁で話していた言葉......



「......ええ写真や。
ピントは甘いし
構図はムチャクチャ

けど
あの場所に行ったもんしか撮れん写真や。

すごい空やろ。

あそこはエラい空気が薄い
だから
よけい青が鮮やかになる。

まさに群青(ぐんじょう)や......」



雪が綺麗にした空気がまだ汚れていない翌日。
羽田から福岡へと向かう飛行機の窓から撮った写真。
あまりに綺麗だったもので、つい、パチリ、と。



富士山も。綺麗。



光は澄んだ空気が好きなんだと思います。
雲は空が好きなんだと思います。
白は青が好きなんだと思います。
青も白が好きなんだと......そう、思います。



昔、大学時代。
全国のスキー場を一つ残らず制覇する!
という自己満足この上ない目標を達成した後、
その達成記念!として、
2人の親しい友達と3人で片道の航空券だけ押え。
他はホテルも何も押さえず、
ただ熱い気持ちだけで乗り込んでしまった憧れのカナダのスキー場
「ブラッコム=BLACKCOM」
上の写真は超古い撮りっきりカメラの紙焼きと、
電子化の波に押され今や死に絶えている、そのスキー場のリフト券。

ブラッコムは「ウィスラー=Whistler」という
北米大陸最大のスキー場の隣にあって。
ソコには当時も今も、
世界のモーグルチャンピオンがトレーニングをしている
スーパーなコースにかかる
「7th Heaven=セブンス・ヘブン」
というマニア垂涎のチェア(リフト)があります。
スキーにどハマりしていた僕らは、とにかく、
そのコースとチェアに乗ってみたくて、
はるばるカナダはロッキー山脈の頂上まで行ってみたのでした。
行ってみると、そのチェアより更に上の世界があって。それは

「もし死んだら全ては自分のせいでございます。そーろー。。」

というサインを書かないと決して乗せてもらえない、
ヘリコプターでしか行けない世界。
山頂の氷河に降ろされ、そこから滑り降りるという、
いわゆる「ヘリスキー」の世界。
山で植物や森林が生える限界高度......「森林限界」を超えた高さとなると、
その様相は見渡す限り岩と空しか無い様な世界となります。
そんな世界が雪や氷河に包まれると、
そこは見渡す限り雪と空しか無い世界。



色は白と青しか無い世界となります。



白と青。



そして、クリスタルの様に輝く光の波。



それしか無い世界。



僕らはそんな世界で雪に寝転んで空を見てみました。



嘘でなく、



地球が回っていることが感じられたりします。



白と青しか無い世界。



光の世界。



僕は、



あの日の青空は、



きっといつまでも忘れないと思います(^^)


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遠望

2015-12-27 21:00:26 | 感動
彼女のマンションは「断層」と言われる所の真上に建っていました。
海も望める、静岡県のとある町の高台。
もし地震でもあったら、建物は真っ二つに折れてしまうかもしれません。



「なぜ?こんなところに住んでいるのですか?」



すると彼女は一言、こう答えました。



「ここに住めと、そう言われるのです」



断層とはご存知の通り大地のズレがある所で、
地盤としては地震リスクが高い場所となります。
阪神大震災などはこの断層型の地震でした。
しかし良い点もあって、それはある意味「大地の裂け目」でもあるので、
地球の中心から湧き出でる自然のエネルギーがとても強いところでもあります。
その場にいるだけで不思議と体調が良くなったり、
敏感な人だとエネルギーが強すぎて
気分が悪くなってしまうほどの場所であることもあります。
微量の放射線や温泉なども湧きだしたりしますし、
この断層が連なる線はエネルギーラインともなって、
風水などでは時に「龍脈」的扱いを受けるような時もあります。
本来は神社とか寺とか、そんなモノが立てられてしまうような場所。



「......でも、ここのお風呂は天然温泉なんですよ(^^)」



今年の6月。初夏を思わせる様な日。
僕らは男女3人でそんな彼女の部屋におつまみやら、
なんやらかんやらを持ち込んで
「お泊り飲み会!」
をしようと集まりました。
僕らが部屋に入ると、ふんわりとした白い綿のような雰囲気を持つ彼女は
こんなこともフワリと言いました。



「ここにいらっしゃる時は、皆さん何かと変わる時なのですよ(^^)」



その日の昼間は、皆で近くの牧場や風情のある温泉に出かけて行って。
美味しいお蕎麦や創作料理などをいただき。
夕方にはまた彼女の部屋に戻り。
お酒などを飲みながらアーダコーダと四方山話しをしていました。
そんな風にして楽しい時間はどんどんと過ぎて行き、それで、
僕らはそれぞれパラパラ......と眠りに落ちていきました。
僕はリビングに布団を敷いていただき、
一人でそこで寝かせてもらっていたのですが、
カナリの遅い時間まで飲んでいたのにも関わらず、
次の日の朝には、パチリ......と、
6時にはもう完全に目が覚めてしまいました。
実は、彼女のマンションの部屋からは海だけでなく、
美しい富士山をドン!と眺めることも出来ます。
特にリビングの大きなサッシ窓からは、
緩やかに海へと連なる雄大な山裾の姿まで広く見渡すことが出来るのです。
その日の朝、僕は暖かな布団の中でモソモソ......と寝ながら、首をひねり、
起きがけの未だボンヤリとした目を窓の方に向けてみました。



そして、



その目に最初に飛び込んできたモノがそんな美しすぎる富士山の姿でした。



起き抜けの曇った目にも明らかにわかる異様な美麗さ。



そのタダならぬ姿を見にした途端、



僕は一気に目が覚めてしまったのです。



それからは一時間近く、僕はリビングの窓を全開にしてボーーーッ......と、
富士山を眺めていました。
それは、僕には、今まで見た中で一番美しい富士山だと感じられたのです。
そしてヤハリというか、流石というか。
家主の彼女も、一緒に泊まった仲間も、皆一様に、その時間、
それぞれの寝ていた部屋から、
そんな富士山をまったく同じように眺めていたようでした。
しばらくすると、皆自然とリビングに集まってきて。
僕らはその異様に美しい富士山について語り合いながら、
いつまでも飽きもせず、ずっと眺めていました。
その時、彼女は、
皆にコーヒーを淹れてくれながらこんなことを言いました。



「私もこんな富士山は初めてかもしれません。
なかなか見れないと思います。
やっぱり、皆さんは何かありますね......
色々とメッセージも届いています(^^)」



どうも、彼女がこの地に住んでいることには意味があるようなのです。
彼女はちょっと特別な、不思議な力を持っていて、
ココは全国や世界から!?
彼女を頼って多くの人が集まってくるような場所なのです。
大きな企業の経営者なども......沢山。。
しかしもちろん、彼女はメディアなどには決して出ません。
そして、
そんな彼女はいつも住む所をアチラの世界から指定されてしまう様なのです。
それも、全て、

「ソコに住むことに大きな意味があるんだよ......」

と言うような場所ばかり......に。
引っ越しに次ぐ引っ越し。
落ち着くことなど全く無いノマドの様な暮らし。
そのマンションが富士山に連なる断層の上にあるということにも、
ちゃんとした大きな意味があるわけなのです。
そんな不可思議でタフな生活と彼女特有の力を、
彼女はサラリと、いつもこんなふうに表現します。



「役割がありますので(^^)」



この日の朝に見た富士山は、紛れもなく、
僕個人が幾度となく見てきた富士山の中では一番美しかったと思います。
「僕個人」と書くのは、毎日富士山を見て暮らしている様な方々には到底
胸を張って言えるようなコトでは無いと思うからなのですが、
僕が今年もっとも覚えている風景、出来事の一つなのです。

この年の瀬に、
今年、最も印象深かった出来事の一つとして
ココに書き残しておこうと思った次第なのです。

そして、この日の事をこんな風にとても印象深いものにしてくれた
もう一つの出来事が、自宅に戻り一夜明けた翌日に起こりました。
その日、2015年6月29日のyahoo!のトップニュースには
某メジャー新聞社のこんな記事と写真がリンクされていました。



―――――――――――――――――――――
「富士山の遠望記録更新」
富士山(標高3776メートル)が見える最も遠い場所とされる和歌山県那智勝浦町の
色川富士見峠(同900メートル)から、
奈良県天理市の住職、新林正真(しょうしん)さん(46)が28日、撮影に成功した。
富士山からの距離は322.9キロ。
写真を鑑定した日本地図センターの田代博・常務理事によると、
「最遠望」からの撮影は2001年以来、14年ぶり2回目という。





―――――――――――――――――――――



......どうりで、見たこともない様な富士山の透明感だったワケです。



そしてもう一つ......



この最遠望記録が出た日に、僕らは皆、



もう一つの興味深いものをマジマジと見ていました......



どうも......



富士山は......



2つ、



あるみたいで......す、か、ね.......



......あと......



なんだか色々と飛んでいる、よーな......
で......( ̄^ ̄)ゞビシッ!とな。ええ。
気にせんといてな。
独り言ですけんね。ええ。ええ。



この日、僕らが見ていた最遠望記録を出した時の富士山。
本当に言葉を失う美しさでした。
スマホのカメラであることがとてーーーも悔やまれまふ......(T . T)ぶぇ。
しかしながら、僕にはとても大切な写真となりました。

次回は!
今年最後のブログとなりそーなのですな。

皆さんも良い年の瀬おぉ!
アチキわなんだかバタバターーーーッ!(>_<)/っす!ヘロヘロプー!


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丸駒温泉

2015-12-15 00:34:20 | 感動
イロイロとあって、つい先日、
北海道、恵庭市からお友達(♀)が遊びに来てくれたのでやんす。
東京、浅草の方まで。ええ。ええ。
何人かの「友ダチーズ」で彼女をお出迎えして、
浅草寺近くにあるオイチィ天丼屋さんで
ワイワイガヤガヤなどとしていたのですが。
恵庭市と言えば札幌や千歳にもほど近く、
実は僕さんの大好きな温泉があったりもするので、
そのお友達にチロリと聞いてみたのです。



「あ、丸駒温泉て知ってる?よね?
あそこって恵庭だっけ?近いよね?
俺大好きなんだぁ~。。
最近行ってないんだよなぁ~。ポヤヤヤヤァ~ン。。(* ´З`*)))」



すると彼女は、



「ええ。知ってます(^^)良いですよね。
あそこは千歳市ですね」



と。なるほど。そかそか。千歳市になるのか。あそこは。
とにかく、とてもお気に入りの温泉なのです。僕の。ええ。ええ。
名前は先に書いたように「丸駒温泉=まるこまおんせん」です(^^)

して、

ニャンと!

こちら!

知る人ぞ知る!

「日本秘湯を守る会」なる団体さんの会員宿でもあるのでございます。

なんだか、すげーのでやんす。

古い携帯写真で申し訳ないのですが......



入り口に輝く誇り高き「日本秘湯を守る会」の提灯(○´▽`)
館内にも灯る「守る会」の明かり。



会のウェブサイトによると現会長さんは福島県、二岐温泉
「大丸あすなろ荘」館主の佐藤好億さんという方らしいですの。
ええ。ええ。
そしてコチラ丸駒さんの良さは何と言っても
「神秘的」な水と空気と眺め。



神秘的」という言葉がココ以上にフィットする温泉はそうはないと思っています。
本気で。ハイ。



透明度日本一!を誇る支笏湖(しこつこ)湖畔にあって、
チャポーーンと入った温泉から、
湖とその周りの山々を全て見渡せるのでございます。
全身にいただける癒しのパワーさんも特別さんで。





目前に見えるのは神秘の山、風不死岳(フップシダケ)。
他にも透明な湖をぐるりと取り囲む紋別岳(モンベツダケ)、
樽前山、モラップ山......
温泉背後にはそそり立つ恵庭岳さんも。
やばいっす。ここ。
神秘的とはここのことです。
館内も落ち着きますし。綺麗ですし。





ちょいと「カン」がある人は厳しい時や場所もあるかとは思いますが......
素晴らしい力があるところというのは、
常に「陰陽」が入り乱れるのでございます。ええ。
全体的には「癒し力」が完全に勝っていますので安心さんで。
そして温泉として何が素晴らしいか!?というとですね、
こちらの露天風呂、全国でも20箇所ぐらいしかないという
足元から直接お湯が沸き出てくる温泉なのです。
足の裏とかお尻にブクブクと気持良い
「温泉泡立ち攻撃」
がやってくるのです。
しかも神秘の湖とその温泉が完全につながっているのです。



この写真の穴の向こうがそのまま支笏湖の湖面で......
手前が僕さんがフル◯ンで浮かぶ露天風呂です。ええ。ええ。



なので、繋がっている温泉のお湯は湖の深さと連動して動くのです。
水面が同じ高さなのです。湖の水が増えると温泉の水面も上がって、
減ると下がります。
雪解け水が流れ込む時期などは温泉の水深が1.5メートルぐらいの時とかも!
あるらしいのです。

溺れちゃうっす!

危ないっす!

なので露天風呂の入り口には今日の水深を表示するこんな看板や説明までが......



浮き輪もあったりして......



イカしてますなぁ。流石でございます。ええ。
秘湯っす。ヤバイっす。
なんだかお猿さんになった気分ですな......(*´∪`*)フォッフォッフォ



この湖の下から沸き出る温泉のおかげで、
支笏湖は寒い北海道の地にあって冬でも凍らないらしいのです。
日本においてはココが凍らない湖の最北端だそうです。
長野県の諏訪湖でも凍っちゃうのに......温泉ってスゲーっす。
泉質は鉄分?銅?ミネラル?がとても多い感じで、
強烈な黄金色の湯船になっておりまする。
かなり強力なポカポカ爆弾。
なんか健康になりそうだぜ爆弾。



昔は温泉まで道路が通っていなくて、
内陸にあるのに船でしか行けないという、
まさに「秘湯中の秘湯」だったらしいのですが、
現在は街から通じる道も出来ていて、
とてもアクセスの良い場所になっています。
そのあたりが他の秘湯さん達とはちょっと違っていて、
それがまた良いところでもあると思います。
ただ、故に最近はとても人気らしく。
可能であれば土曜、日曜などは避けたほうが良いかもしれません。
宿の前庭には船で行き来していた頃の名残である
宿専用の船着場や船があったりもします。
今も何かと使っているらしいのですが、
湯上りにここのベンチから見る眺めにもなんだか癒されるのです......



レストランもなにかと美味しいのです( ̄ー+ ̄)ニヤリ



今度札幌にいったら久々に寄ろうか!?
などと企みちうで( ̄ー+ ̄)きらーん


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三ケ日徒然

2015-06-18 00:17:57 | 感動
ニンニンニンニン!
忍者ハットリ君でござるだニン! ヾ( ̄3 ̄)/
忍法「木の葉隠れ!」でござるだニン!


......って、一部世代しかわからないフレーズだニン。
わかっちゃいけないよ!
ニンニン!( ̄^ ̄)


そんなハットリ君て「服部」と書くのですね。ええ。
で、その「服部」って、
よぉぉーーーーーーーーーーーーーーーく考えると......


......


......



読めなくね!?(・ω・)ノ


どう読んだって「フクベ」とか「フクブ」でしょ。


読めるニン!?
ニンニン!?(・◇・)/


服部さんというのはソモソモ忍者ではなくて、
伊勢神宮の内宮におわします現日本国の親神
天照大御神=アマテラスオオミカミ」さんの服を作り、
献上することが許された唯一の一族さんの事でして。
古代大和政権時代から最近に至る迄国神の服を作る部門の部長さん!
王室御用達ブランド!
というような感じだったのです。
なので服部門!
服の部!
という字を書くのですのね。ええ。ニンニン。

それで、そんな「服の部」が何故?
「ハットリ」などと呼ばれるのかというと、
古(いにしえ)の服作りというのは即ち「機織=はたおり」であって、
そんな機織りのエキスパートである「服」部門の方々をハタオリ......
ハットリ......
とアテで呼ぶ様になったのです。ニンニン。

ちょっとカンドーしてしまうのが、
そんな由緒ある全国の服部さんの大元であり、
アマテラス様に唯一衣服を納める事が出来る服部家の方の苗字なのです。
ええ。
その服部さんだけは苗字の上に「神」とつけても良い!
というお許しを伊勢の神様やド偉い方々から頂けたのだそうで......
その名を.......



「神服部=かんはとり」



と言うのです。
感動的なお名前です。
あちきにわ。



「俺も神ってつけてぇぇーーーっ!(ノ゜ο゜)ノ オオオォォォーーーイ!」



で、その比類なき苗字を受け継ぐ日本で唯一!
の御方にお会いしようと、先日、不思議な力を持つ!?
ポンチキーズの面々と共に、静岡県、浜松市は三ケ日にある
「初生衣神社=うぶぎぬじんじゃ」
にお伺いしたのです(^_^)ええ。



神服部さんはここの宮司さんで、
古来より今に伝わるイニシエの機織技法を今に、未来に、伝えん!
と奮闘している方。
伊勢神宮に納め続けた織物を今も昔と全く同じ技法で織り続け、
奉納もし続けています。

服の素材となる「絹=きぬ=シルク」は、
古来より「赤引きの糸」と呼ばれていて。
此方では今やとても貴重となった養蚕業者さんと
提携をして取り寄せているそうです。
蚕(かいこ)さんが吐くシルクを古代と同じ手法で纏め、ヨリ、
一本の糸にしていくのです。
蚕さんの餌となる桑の葉もキチンと木から採取しているモノだそうで。
年々の天候により必ずしも良い桑の葉が取れるわけでもなく。また、
その葉の質のよって蚕さんの吐く糸が微妙に違ってもくるのだそうです。
アマテラスさんに捧げる服の素材は、そんなシルクの中でも
神服部さんが納得するモノでないと使わないそうで。

そんな神々しい糸を縦、横、縦、横......と、
ひたすら丁寧に織り込んでいくのですが、
その機(はた)を織る機械というのも、
実は神服部さんが私財を注ぎ込んで復刻させた
古代そのままの機織機でもって織っているのです。
日本中でココにしか無いモノなのです。
なんか......この時点で、もう......

「涙コボルル(TωT)」

という僕ちんなのですが......
この日は、神服部さんにその古代の姿そのまま!
の機織機を見せていただいたのです。
カンドー&カンゲキの対面!



コレで織ってるのですね......
織ってたのですね......
アマテラスさんの服。
なんか優しいな......これ......
綺麗だな......
光ってんな......
スゲーなぁ......



(T_T)ぶぇぇ



古代の機織機は座って織るのだそうです。
ボートを漕ぐ時みたいに。
絵馬に描かれている様なこんな感じで......



織っているのは機織姫......ハタオリヒメ......オリヒメ。
ココを支える美しき女神
「天棚機姫命=あまのたなばたひめのみこと」
さん。別名
栲幡千千姫=タクハタチジヒメ
さん。織っている場所は、本来はこんな
「織殿=おりどの」
と呼ばれる社(やしろ)の中.......







国神、アマテラスさんに捧げる大切な神衣(かんみそ)。
習わしでは、
織っている途中は何人たりともこの社の戸を開けてはいけないそうなのです。
清らかな織姫さんが更に身を潔斎して入り、織り始める御服。
外からの邪気が入り込んでしまったり、
その貴重な技術が盗まれたりしないようにも定められた事なのだ思います。

.......そう......

「鶴の恩返し」という物語も、
この織姫さんのお話から生まれた物語なのだと思われます。

ここで織りあがった御衣(おんぞ=神衣=かんみそ)は、
三ケ日の地を出て、尾張を通り、津、松坂を抜け、伊勢の地に運ばれます。
その時、神服部さんは宮司として隊列の先頭をきって運送の先導します。
神社のパンフレットから......



僕らは6人でこの地を訪れたのですが、神社に着いた時、
神服部さんはパンフレットを持ってワザワザ鳥居の前に立って待っていてくました。

「こんなところまで来ていただいてありがとうございます。。」

なんて言ってくれて。
その後、神社の由来や成り立ちや誇り高き
「神服部家」と織物に関する沢山の興味深い話も丁寧に聞かせてくれて。
途中、何度も何度も感謝の言葉を述べてもくれました。
その時、境内の鳥達は、
まるで合唱をしているかの様に一斉に、ずーーと、
大きな声で謳っていました。

太陽の日差しはまるで白糸の滝の様に、
木々の間から心地よく差し込んでいました。

神社と、その横にある社務所ともなっている宮司さんのご自宅は、
見た所、全てにおいてとても質素で。
ギリギリの神社運営を長年に渡りされてきたコトを感じさせるものでした。
この神社では昔から氏子さんも持たない習わしなのだそうです。
そんな中で宮司さんは綺麗な境内を維持し続けて来て、
機織機まで創り、糸を創り、ハタを織り、宮司職も全うし。
ずっと、先頭に立って御服を伊勢に送り届けて来たのだと言います。
息子さんには時折、

「もういつまでもバカなことやってないで。。」

などと嘯(うそぶ)かれることもあるそうなのですが、
そんなコトを粛々と、
この国の神々と人々が大切にしてきた伝統を守り通すために
やり続けている方でした。



「私は織り殿の上に居ます、、」



同行していた不思議な力を持つプリリンねーさんが、
その場で織姫さんの言葉を降ろしてくれました。
織姫さんは更に、こんなコトを仰っていました。



「ここは、私の宝です」



この言葉に......僕は胸が熱くなりました。



デービッド・アトキンソンさんの著作
「イギリス人アナリスト日本の国宝を守る」
によると、世界GDPにおける観光業は9%。
それに対し日本の観光業はGDPのたった2%。
2014年の文化財保護修理予算はイギリスでは約500億円。
GDPの0.018%。
日本はわずかに81億5千万円。GDPの0.0017%。
ヨーロッパ諸国や多くの国々では
観光は大きな経済となっているという認識で、
予算も多く割いています。

観光都市と言われる「京都市」に訪れる外国人観光客数は年間約240万人。
「ロンドン」は1700万人。
「大英博物館」はたった一つの博物館で年間420万人が訪れるそうです。
ヨーロッパという、
多くの国々が隣り合って存在している地理的要因の違いもありますが、
「たった一つの建物」に訪れる観光客より
京都市に訪れる観光客が少ないという事実。

京都の街の風情を司る古風な「町家=まちや」造りの家は、
現在年間1000軒も壊されていっています。
現在の町家は4万7千軒ぐらい。
町家が4万軒を切った時、
京都の街はどんな雰囲気になるのでしょうか。

こんな状況でも、
この国の主たる国策に観光や文化財修復事業は未だに入っていません。

現政府は「地方創生」を掲げてはいますが......
しかしその中身はモヤッとしたまま地方にアイデアも丸投げ!?
で推し進めているようにも見えます。
公共事業や産業支援等に寄った旧態依然とした施策や思考のまま
進んでいるようにも見えます。

テレビでは、近頃日本人や独自文化をたたえる様な番組も多いです。
しかし、内実はこんな感じなのです。
褒め讃えながらも、
外国人を惹きつける日本文化の象徴物である建物の
屋根の修復すらままなりません。
貴重なる古の機織り機一つ造るのに......
1円の援助も差し伸べられません。
全国の神社の宮司さんの80%近くは、
宮司だけでは生活ができないので兼業をしているのです。

東京から島根県の出雲まで往復で5万円ぐらいの交通費がかかります。
その出費だけでも僕らにとっては十分に多いもの。
訪れた観光客は出雲大社では100円をお賽銭箱に入れるだけ。

一番利益を得ているかもしれない関東の鉄道会社は
文化財にはどれくらいの寄付!?をしているのでしょうか。
現地にある全国ホテルチェーンさんや大手旅行代理店さんは
文化財維持へどんな?貢献をしてくれているのでしょうか。

古都、鎌倉の文化財で一番「利」を得ているのは本当はどこなのでしょう?

その利を生みだしている「基」となっているものはなんなのでしょう?

政府は、僕らは、今のままの考えでよいのでしょうか?

今、僕は、
京都市を舞台にある大きなプロジェクトと実験をスタートさせました。
いつの日か、女神様が「宝」とまで言う社(やしろ)や、
神服部さんの様な高貴なる「志」を持った方々への良き助力となれるように、
しっかりとしたビジネスとしても成立出来るよう、
そのプロジェクトを磨き上げて行きたいと思います。
観光収益も日本国の一大収入源となれるよう、
その「基」となるモノモノを維持できる新しいシステムを作れないか......と、
そんなことも考えて動いています。
本業と共に頑張っちゃうのだ!(*`へ´*)ニンニン!


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秤の真実 2

2013-09-19 00:04:04 | 感動
「もふふ!?(@_@;)......
うーーーんんと、、うーーーーーんと。。。
うーーー..........」

つづく......




またもやしばし考える僕ちん......



「......わかりません(T . T)ぶぇ...アゲイン...」



「砂時計ですよ。uzmetさん。
砂時計を使ってみたんです。
そうしたら秤(はかり)の時と同じように、皆、
ちゃんと時間を認識することが出来たんですよ。
やっぱり、皆で考えたのですけど、
ちゃんと答えはあったんですね(^^)」

「砂時計!(*゜ロ゜)、、ですか。。
確かに、それは大丈夫そうですね。。」

「タイマーとかもセットができないですから、
でも、砂時計だとわかるんですよ。ちゃんと。
ひっくり返して眺めるだけですから。
このテーブルにあるこの小さな木枠もですね、、、



......この木枠も、
決められた一定の太さにチョークを測ることが出来ないものかと、
皆で考えて出来たものなんですよ。
彼らはメジャーやノギスなんて数字がわからないから使えないのです。
でもこの枠にピッタリハマるかハマらないか、
細くて隙間ができてしまうか、、は分かるんですね。
それで、この木枠にハメテみるということを考えついて。
素材を決められた太さにするという作業も
彼等にやってもらうことが出来たんです。
チッポケなモノですけどね......とても大事なものなんです」



......OYさんは静かに、
こんな話を僕にしてくれました。



工場を出る時、
僕は改めて工場の片隅にある「秤」を見つめ直してしまいました。
なんだか......その何の変哲も無い小さな古めかしい秤に、
OYさんやこの工場で働く人達全ての、
日本理化学工業さんで働く人達全ての
「誇り」や「愛」のようなものが宿っているような感じがして......
とても神々しい何かを感じてしまい......
また暫くジッと見入ってしまいました。



......少し、熱いものがこみ上げて来ます。



小さな秤は、僕に何かを話しかけてくれているようでした。



「ちゃんと考えなきゃ......
俺、まだまだちゃんと考えられていないかもしれないな......
いろんな事......」



最初にOYさんに出会った時に、
OYさんの話を聞いてスグに買った本が自宅の書棚にあります。
坂本光司さんという大学教授の方が著した
「日本でいちばん大切にしたい会社」
という本。
この本にも「日本理化学工業」さんの話しが載っています。



これまでに6,000社以上の会社経営者に会い、
様々なインタビューを繰り返して来たという著者が、
その中で思う「未来に残したい会社の筆頭」が
日本理化学工業さんだということで書かれていました。
そしてこの本には、この日のOYさんからは直接聞くことは無かった
「どうして日本理化学工業さんが障害者の雇用を始めていったのか?」
ということの原点の話しや歴史が少し書かれています。
以下はその本文より一部転載したものになりますが————————



————————そもそもの始まりは50年ほど前、
工場の近くにあった障害者養護学校の一人の女性教諭の訪問からでした。
その女性教諭は日本理化学工業社長の「大山」さんの元にやって来て、
こうお願いをしたそうです。

「難しいことはわかっておりますが、今度卒業予定の子供を、
ぜひあなたの会社で採用して頂けないでしょうか......」

それは知的障害を持つ二人の「少女」を採用して欲しいとの依頼でした。
当時専務だった社長の大山さんはこのお願いに悩みに悩んだそうです。

その子達を雇うのであれば、
その一生を幸せにしてあげなければいけない。
しかし、果たして今のこの会社に、
それだけのことが出来るのかどうか......
そう考えると自信が無かったのです。
結局大山さんは、

「お気持ちは分かりますが、うちでは無理です。
申し訳ございません。。」

と断ります。
しかし、その先生はあきめず、またやって来ます。
また断ります。
またやって来ます。
それでも断ります。
そうして3回目の訪問の時。
大山さんを悩ませ、苦しませていることにその先生も気付き、
ついに諦めました。
そして、その先生は、その時

「せめて一つだけお願いを......」

ということで、こんな申し出を大山さんにしたそうです。

「もう採用してくれとはお願いしません。
でも、せめて、あの子達に働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子達は、働く喜び、
働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。
私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」

そう言って、
頭を地面にこすりつけるようにしてお願いしている先生の姿に、
大山さんは心を打たれたそうです。

そうして「一週間だけ」ということで、
障害を持つ二人の少女に就業体験をさせてあげることになりました。

その話しが決まるとその子供達は勿論、
先生や家族の方達までとても喜んだそうです。

会社は午前8時から午後5時まで。
しかし、その子達は雨の日も、風の強い日も、
毎日朝の7時には会社の玄関に来ていたそうです。
お父さん、お母さん、
更には先生まで心配して一緒に送って来ていたといいます。
皆、午後三時ぐらいになると

「倒れていないか」
「何か迷惑をかけていないか」

と、遠くから二人の働く姿や会社を見守っていたそうです。
そうして一週間が過ぎ、
就業体験が終わる前日のことでした。

「お話があります」

と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。

「あの子達、明日で就業体験が終わってしまいます。
どうか、大山さん。
来年の4月1日からあの子達を正規の社員として採用してあげて下さい。
もし、あの子達に出来ないことがあるなら私達みんなでカバーします。
だから、どうか採用してあげてください」

それが、社員皆の総意だと。
社員皆の心を動かすほど、
その子達は朝から終業時間まで一生懸命働いていたのです。
仕事は簡単なラベル張りだったらしいのですが、
10時の休み、
お昼休み、
3時の休みにまでも仕事に没頭して手を休めようとしません。
毎日背中を叩いて

「もうお昼休みだよ」
「もう今日は終わりだよ」

と言われるまで一心不乱だったそうです。

本当に幸せそうな顔をして、
一生懸命仕事をしていたそうです。

それ以来、
大山さんは障害者の皆さんを
少しづつ採用し続けていったそうです————————



————————僕は、その日、その工場で、
その本に書かれていた通りの、
幸せそうに働いている皆さんの顔を目の当たりにしました。
そして、そんな物語が宿った「秤」を見つけました。
その秤の中にある真実を教えてもらいました。



......少し、涙がこみ上げて来ます。



「幸せ」とは何でしょう。



人に愛されること。
人に褒められること。
人の役に立てること。
人に必要とされること。



その本には、
ある禅寺のお坊さんが大山さんに語ったこととして、
そう書かれていました。



働くことで、それが達成出来る。



そう書かれていました。



そんな工場見学を終えて、
僕はOYさんにお礼を言って、
また改めてお会いしましょうという約束もして、
駅まで車で送ってくれるというOYさんのお言葉を

「......なんだかですね、、
とてーも歩きたい気持ちなんですよ(^^)へへ」

と、工場裏の用水路沿いの道を歩いて帰ることにしました。
実は工場は、僕の自宅からさほど遠く無い所にあって、
用水路沿いの道を少し歩けば、
そこは自宅裏を流れる「多摩川」という広い川の反対岸辺りに出ます。
水際では夏の日差しの下で
白鷺(しらさぎ)さんがのんびりと休んでいました。



ちゃんと.......生きよう。

多摩川のほとりで、僕はそう思いました。

ちゃんと。生きよう。

そう思いました。


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秤の真実

2013-09-16 00:09:16 | 感動
これ......
ですね、コレ......
一見何の変哲も無い、この古めかしい秤(はかり)。

先日、ちょっと作りたいモノが浮かんで来てしまい、
セコセコと作ったプレゼン資料とパートナーのiPad君を抱え、
黒板用のチョークやマーカーの製造や卸を手掛ける
「日本理化学工業」
という会社さんにアポイントをとってお出かけをして来ました。
その時に

「せっかくですから、、」

と、オフィスと同じ敷地内にある工場の方も
丁寧に案内をして頂いて。
その広い工場の中で、僕が何故か?真っ先に目が行き、
不思議と気持ちまでが釘付けになってしまった......
というモノが、この秤なのです。

実は、僕の実家は鉄工所でして
こちらの工場と全く同じ様な場所を毎日の遊び場として育った僕には、
この秤は、
よーーーく見ると、
ちょっと普通でないところを瞬時に感じ取れてしまうのです......

それは......

色。

特に目盛の下に置いてある「丸い」2つの「おもり」の色。

普通は「鉛色」した鉄を削り出した様な、
錆びついていたりもする様な「タダの」重りのハズなのですが、
何故か?目立つ2色に......「赤」と「青」に塗られています。
僕が広い工場で足を止めてジッとこの小さな秤に見入っていると、
案内をしてくれていた理化学工業の「OY」さんが
ニコニコと僕に聞いてきました......



「uzmetさん、その秤、少し普通と違うんですよ。
分かります?(^^)」

「んん!?!(◎_◎;).......うーーんと、うーーうんと、、
重りに色がついてますよね」

「そうです(^^) それ、どうしてだかわかります?」

「むぅぅんーーと、、、うーーーんと、
うーーーんと。。( ̄。 ̄;)。。」



その秤さんをさらにジィィーッと見つめる僕ちん......



「......わかりません(T . T)ぶぇ...」



するとOYさんは
「この秤はですね、、」
と、僕の胸を強く打つ話を聞かせてくれました————————



——————この「日本理化学工業」という会社さんは、
冒頭でも記したチョークやマーカーの製造、
卸で日本の30%以上のシェアを誇る会社さん。
商品特性上、この会社さんの大きな顧客というのは、
学校や様々な施設関係になります。
昔、どの学校でも使われていた
「カツカツ!」
と音を立てて黒板に字を刻んでいたチョークも、
最近では粉の出ない
「ダストレスチョーク」
と呼ばれるモノが主流となっていて。
そのチョークを開発したのもこの会社さん。
当然シェアもトップ。

マーカーの方も、
最近はアクリルやガラス板などであれば何にでも書けて、
消すのも布やハンカチ一枚あれば大丈夫!
......というようなものに変わってきているようで。
わかりやすい所で言えば、クリスマスなどが近づくと、
色々なお店の窓にデコラティブな絵や、
グラフィティちっくなものなどが描かれたりしている、
アヤツ達がマサにソレです。
書いたり消したりが自由自在のマーカーさん。
「キットパス」という商品名で、
そのマーケットにおいても理化学工業さんが
ほぼ独占的なシェアを持っているようでした。

この日お会いした商品開発、兼、営業担当者の「OY」さんは、
実を言うとかなり以前から「個人的なご縁」があった人で。
我が家のリビングにある壁一面の大きな「黒板」を
メチャクチャ無理を言って!?(@.@)
作ってくれた人になります。
その、最初にお会いした時に、OYさんは、

「長い間この仕事して来ましたが、
一般住宅のリビングにこんなの作ったのは初めてです。
とても不思議ですね~( ̄O ̄;)」

と、

「コイツ変わり者じゃね!?」

と、
僕はOYさんにかなり強い印象を残してしまっていたようなのですが。
おかげで、その後も沢山のチョークやマーカーをタダで頂いたり!
少しばかりのお付き合いをさせて頂いていた方であって。
それで先日も、
僕のアポイントに快く時間を割いてくれたというわけなのです。
暫く会っていなかったので、最初は

「なんだか久々ですね......」

という感じのトークで盛り上がり、
肝心の本題まではナカナカ辿り着けないような感じでもありました、
が、とても楽しいひと時でもありました。(^_^)
そして、そんな仕事話が一通り終わった後に、
OYさんは町工場を少し大きくした様な工場を、
色々な説明をしてくれながら案内してくれました......
というのが冒頭の話しとなります。



——————そこで、僕が足を止め、
マジマジと見入ってしまった
「秤」さんに出会うこととなるのです————————



工場の中では生産ラインに沿って座り、
無駄口一つ話さず黙々とモノ作りに勤しんでいる人達が沢山居ました。
それぞれに課せられた業務を、それはもう、
機械と見間違うような早さと正確さと、丁寧さでこなしていました。
その雰囲気は作業員というよりは「職人」さんというオーラ。
そして......実は......
この理化学工業さんの作業員......社員の皆さんというのは、
ほぼ全員が、体の機能に何らかの不全を持った、
国からも認定を受けている障害者の方々なのです。



OYさんによると、
「日本理化学工業」さんは、
もう50年以上前から主に知的障害者の皆さんを雇用していて。
その数は現在では全社員の7割を超えているとのこと。
知的障害者の方々というのは、
特に数字関係の認知や認識に難があるらしく、
数を覚えたり、
その意味を理解したりすることがとても難しいようなのです。
その中で、写真の秤(はかり)は、
数字が理解出来ない障害者の皆さんでもちゃんと規定の数字や
定量通りに作業が出来るよう、
理化学工業の皆さんが必死に考え出した「秤」なのだそうです。
OYさんはこう言ってました。



「数字が理解出来ないのであれば、色で。
皆さんをよく見ていると、色ならちゃんと理解出来ているんですよ。
会社に来るまでに信号とか、バス停の標識とか、
そういうものはちゃんと理解出来ているんです。
だからまず、計らなければいけない二種類の材料を
”赤” と “青” の大きな入れ物に分けて、
赤い入れ物に入っているこの材料は同じ赤色の重りで計って、
バランスをとって混ぜてもらう。
青い方に入っている材料は青い重りで計ってもらう。
そういう色のキマリだけ覚えてもらったんです。

そしたら、、

まったく秤が使えなかった皆さんが使えるようになったんですよ。
ちゃんと決まった重さ、分量でそれぞれの材料を分けて計れて、
混ぜることが出来たんです......」



さらにOYさんはこう続けてくれました......



「その時、私等は確信したんですよ。
イケル!って。
皆ちゃんと働けるって(^^)
それってですね、
今まで私等が考えることが浅かったんじゃないのかな、って。
そうも思ったんです。その時に。
こうしてちゃんと考えれば、
ちゃんといい方法が見つかるじゃないか、って。
そう気付いたんですよ。
私達が浅はかだったんじゃないのかな、って。
ソレでですね、
重さを量るという事以外でももう少し考えることが出来れば、
他にも皆が出来ることがあるんじゃないのかなって、
そうも考え始めたんですよ。

uzmetさん。
もしuzmetさんがこんな知的障害がある皆さんに
“時間” を認識させるにはどうします?
彼らは数字がよく理解出来ないから、
普通の時計も良く解らないんですよ。
文字盤が数字になっているから時間が読めない。
デジタルもダメ。
そんな彼らに、この素材は機械で何分間だけ混ぜるんだ、
何時間混ぜるんだ、、、と教えたい。
そう思った時、uzmetさんはどうします?」

「もふふ!?(@_@;)......
うーーーんんと、、うーーーーーんと。。。
うーーー..........」

つづく......



秤と同様に色分けがしてある大きなチョーク素材入れ。
秤の置いてある台のすぐ下に置かれています。
作業中に秤と同じ視界の中に納められるのと、
余計な動作が生まれ無い様に秤のすぐ傍に合理的に置かれています。

僕は、この工場のアチコチに、
紛れも無い「」を感じていました。
それは、工場の隅々にまで漂っていて、
透明な輝きで働く人達を包んでいました。

人の為に「ちゃんと考える」という愛。

「ちゃんと」の深さ。

そこに愛が生まれるのでしょうか。

日本理化学工業さんがどうしてこの様な雇用形態になっていったのか......
次回、知っている限りでココに書ければと思っていますが、
ソレも本当に、心打たれるお話しでした。

この日の訪問とOYさんが話してくれたことは
偶然の出来事ではありましたが、
僕の中にあった価値観を少し磨き上げてくれました。
勿論、より輝く!?と思われる方に(^^)です。


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いただきます。

2013-03-14 00:00:52 | 感動
既に色々なところに転載されているような本ですが......

「いのちをいただく」

西日本新聞社さんが出している絵本です。
九州、熊本県に住む坂本義喜さんという方が学校などから請われ、
時折子供達に話し聴かせていた自らの体験談をシンプルにまとめ上げた本です。
僕のような人間には読むと涙が溢れて止まらなくなってしまう......(T.T)ような本。
巻末にはこの物語が世に出るまでのエピソードや
坂本さんと実の娘さんとの心温まるサイドストーリーなども収められています。
沢山の人に知ってもらいたい......ということも書かれていました。
先日も友人のMさんがfacebookで紹介していたりなんかしていて、
「もし」まだ知らない人がいましたら以下、チコッとチェックしてみて下さい。
以前記したコノ記事あたりからの続き......
という感じでもありますが。。(^.^)どぞどぞ。よしなに。



===========================
坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。
牛を殺して、お肉にする仕事です。
坂本さんはこの仕事がずっといやでした。

牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。
だから、大切な仕事だということは分かっています。

でも、殺される牛と目が合うたびに仕事がいやになるのです。
「いつかやめよう、いつかやめよう」
と思いながら仕事をしていました。



坂本さんの子どもは小学3年生です。
しのぶ君という男の子です。



ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。
これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、
その日は用事があってどうしても行けませんでした。
そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。

いよいよ、参観日がやってきました。
「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」
坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら小学校の門をくぐりました。

授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。
先生が子どもたち一人一人に
「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」
「どんな仕事ですか?」
と尋ねていました。

しのぶ君の番になりました。

坂本さんはしのぶ君に、
自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。
何と答えるのだろうと不安に思っていると、
しのぶ君は、小さい声で言いました。

「肉屋です。普通の肉屋です」

坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。



坂本さんが家で新聞を読んでいると、
しのぶ君が帰ってきました。

「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」

何で急にそんなことを言い出すのだろうと
坂本さんが不思議に思って聞き返すと、
しのぶ君は学校の帰り際、
担任の先生に呼び止められて、こう言われたというのです。

「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」

「ばってん、カッコわるかもん。
一回、見たことがあるばってん、
血のいっぱいついてからカッコわるかもん」

「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、
先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。
すごか仕事ぞ」

しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に

「お父さんの仕事はすごかとやね!」

と言いました。

その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し、
仕事を続けようかなと思いました。



ある日、
一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、
一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。

荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。

坂本さんが「明日の牛ばいねぇ~」と思って見ていると、
助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。

そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。

坂本さんは「危なかねぇ」と思って見ていましたが、
しばらくたっても降りてこないので、
心配になってトラックに近づいてみました。

すると、
女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。



みいちゃん、ごめんねぇ。
みいちゃん、ごめんねぇ。



「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、
じいちゃんの言わすけん。
みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。
ごめんねぇ。
みいちゃん、ごめんねぇ」



そう言いながら、
一生懸命に牛のお腹をさすっていました。

坂本さんは「見なきゃよかった」と思いました。

トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、
坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、
みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。
だけん、ずっと、うちに置いとくつもりでした。
ばってん、みいちゃんば売らんと、
この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。
明日は、どうぞ、よろしくお願いします」



坂本さんはまた、
「この仕事はやめよう。もうできん」と思いました。
そして思いついたのが、明日の仕事を休むことでした。



坂本さんは、家に帰り、
みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。

「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、
明日は仕事を休もうと思っとる…」

そう言うと、
しのぶ君は「ふ~ん」と言ってしばらく黙った後、
テレビに目を移しました。

その夜、
いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。
しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。

「お父さん、
やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。
心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。
お父さんがしてやんなっせ」

坂本さんは黙って聞いていましたが、
それでも決心は変わりませんでした。



朝、
坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。

「行ってくるけん!」

元気な声と扉を開ける音がしました。

その直後、玄関がまた開いて

「お父さん、今日は行かなんよ!」「わかった?」

と、しのぶ君が叫んでいます。

坂本さんは思わず、
「おう、わかった」と答えてしまいました。

その声を聞くとしのぶ君は
「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。

「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」と、お母さん。

坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。



会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。

少し早く着いたので、みいちゃんをそっと見に行きました。

牛舎に入ると、みいちゃんは、
他の牛がするように角を下げて、
坂本さんを威嚇するようなポーズをとりました。

坂本さんは迷いましたが、
そっと手を出すと、
最初は威嚇していたみいちゃんも、
しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、

「みいちゃん、ごめんよう。
みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。
ごめんよう」

と言うと、
みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。

それから、坂本さんは、
女の子がしていたようにお腹をさすりながら、

「みいちゃん、じっとしとけよ。
動いたら急所をはずすけん、
そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」

と言い聞かせました。

牛を殺し解体する、その時が来ました。

坂本さんが、

「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」

と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。



その時、
みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。



坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。



そして、坂本さんが、ピストルのような道具を頭に当てると、
みいちゃんは崩れるように倒れ、
少しも動くことはありませんでした。

普通は、牛が何かを察して頭を振るので、
急所から少しずれることがよくあり、
倒れた後に大暴れするそうです。



後日、
おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、
坂本さんにしみじみとこう言いました。

「坂本さんありがとうございました。
昨日、あの肉は少しもらって帰って、みんなで食べました。
孫は泣いて食べませんでしたが、

『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。
食べてやれ。
みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、
みいちゃんがかわいそかろ?
食べてやんなっせ』

って言うたら、孫は泣きながら、

『みいちゃんいただきます。
おいしかぁ、おいしかぁ。』

て言うて食べました。
ありがとうございました」



坂本さんは、
もう少しこの仕事を続けようと思いました。
===========================


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