雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」と見つけてもらえたら、、そんな思いで書き記してます。

ワケのわからないワケ

2016-09-24 00:03:24 | 感動
———————偶然の一致に意味を見出すか、
それとも一笑に付すか、
それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった————————



少し前にも記した、
僕の敬愛するカメラマン「星野道夫」さんが厳しいアラスカの大地で綴った言葉。


時折僕は「ワケもなく流れ落ちる涙」というものに遭遇することがあって、このブログでは
「(T . T)ぶぇ」
なんて記されているものがそんな時だったりもするのですが、
その「戸惑いにも似たワケの分からなさ」を少し考えてみると、
星野さんの言葉と同じ「たましい」というものに突き当たるのです。

タマシイというものは、
例えば卵の黄身の様に、
例えば地球のコアと呼ばれる部分の様に、
人の心の一番「奥の中心」にあって、
故に決して心と同じものでは無いのだろうと、僕は理解しています。

そんなところにある「魂」に自らの意識を重ねようとすると、多くの場合、
卵で言えば柔らかな白身や硬い殻が手強い壁のような障害になってしまったり、
地球で言えば対流するマントルや硬い地殻の部分が厚く覆い隠してしまったりと、
自分自身の内にあるのになかなかアクセスも自覚もしづらくなっているように思えます。
タマシイとは、あるとして、ちょっと掴みようのないものになっているように思います。

自分なのに、自分でない部分。

自分なのに掴めない部分。

多くの人にとって「たましい」とはそんなものなのかもしれません。

だからそんな魂に自分の心が奇跡的に触れることが出来た時の喜び。驚き。

壁となっていた余計な思考や自我が消失し、心が魂に出会えた時の嬉しさ。

その懐かしさや温かさというのは表現しがたいもので。

やっと会えたね。
久しぶりだね。
君のことは忘れていなかったよ。
やっと帰れたよ。
ここが僕の本来の居場所なんだ......

自分の存在の根幹に触れている満足感。
そんなものがコンコンと自分の奥底から......タマシイから......
心に湧き上がってくることへの戸惑い。素晴らしさ。
心の側から見れば、そんな感じの喜びの涙。
魂の側から見れば、やっと気付いてもらえた、重なることが出来たという喜びの涙。

「ワケもわからず溢れ出る涙」

というのは、そんな分離していたタマシイと心とが会合を果たし、
双方が一体となって喜んでいる状態なのかもしれません。
僕にはそんなふうに感じている時があります。

そして少し前にも、そんな
「自分自身戸惑いながらも、でも心地よく、温かく、自然に溢れ出る涙」
に出逢ったことがありました。
それが新海誠監督の最新作「君の名は」というアニメーション映画。
もはやアッチコッチで話を聞く様にもなっていて......大ヒット作となっている様です。



前作「言の葉の庭」でほぼ完成されていた細やかな絵のタッチと美しい光の表現。
そこに加わったスタジオジブリ周りの一流の作画スタッフ。
ベースに「秒速5センチメートルの恋」があると思われるストーリーも
情感が格段に増していて、スケールも大きくなっていて。

「ちょっとズルいんじゃね!?」

とまで思わされる、劇中で強力なインパクトとエモーションを与えてくるテーマ曲や音楽は
「RADWIMPS=ラッドウィンプス」
これまでの新海作品でも「秦基博」さんや「山崎まさよし」さんなど
とても印象深かったのですが、
今回の楽曲インパクトはそれらを大きく超えている様に感じます。
彼らの久々のアルバムも、この映画のサウンドトラック盤なんてことになっていましたし。。



全てが秀逸なる作品。

シン・ゴジラ」に続き今年2発目!?
となる日本映画史に残る傑作になりえる作品でしょうか。

今年の映画界は豊作なの!?( ゚д゚)

ってくらい、2016年は良い映画が多い様にも思います。



前前前世/RADWIMPS
作詞・作曲/野田洋二郎

やっと眼を覚ましたかい それなのになぜ眼を合わせやしないんだい?
「遅いよ」と怒る君 これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ

心が身体を追い越してきたんだよ

君の髪や瞳だけで胸が痛いよ
同じ時を吸い込んで離したくないよ
遥か昔から知る その声に
生まれてはじめて 何を言えばいい?

君の前前前世から僕は 君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方をめがけて やってきたんだよ

君が全全全部なくなって チリジリになったって
もう迷わない また1から探しはじめるさ
むしろ0から また宇宙をはじめてみようか



どっから話すかな 君が眠っていた間のストーリー
何億 何光年分の物語を語りに来たんだよ けどいざその姿この眼に映すと

君も知らぬ君とジャレて 戯れたいよ
君の消えぬ痛みまで愛してみたいよ
銀河何個分かの 果てに出会えた
その手を壊さずに どう握ったならいい?

君の前前前世から僕は 君を探しはじめたよ
その騒がしい声と涙をめがけ やってきたんだよ

そんな革命前夜の僕らを誰が止めるというんだろう
もう迷わない 君のハートに旗を立てるよ
君が僕から諦め方を 奪い取ったの



前前前世から僕は 君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方をめがけて やってきたんだよ

君が全全全部なくなって チリジリになったって
もう迷わない また1から探しはじめるさ
何光年でも この歌を口ずさみながら



この曲は物語の恋愛を歌っているようで、この星と人間との関係や、
心と魂との関係に対しても歌われているようでもあって。
「やっと眼を覚ましたかい......」と、星々や魂に言われているようでもあって。
「遅いよ」と、地球に怒られているようでもあって。


そして、


この映画に出てくる彗星から割れ落ちる隕石のシーンは、僕にとっては、
魂がこの星に生まれ落ちてくる時の描写の様に......
感じられて仕方がありません。


こんなふうにして僕らは空からやってきたんだ。


僕らはきっと星のカケラなんだ。


宇宙が僕らの、魂の故郷なんだ。


(T . T)ぶぇ


希望に満ちた恋物語も素晴らしい作品ですが、
もはや愛だの恋だのダケではトーテートキメクことができない
寂しいオヤジーな僕にとっては、
彗星が虹とともに落ちてくるこの映画の風景描写が......なんとも......


泣けてくるのです。


世知辛い日々で、大切なコトを思い出させてくれる風景のように。


魂と会わせてくれてありがとう。


眩しい希望を分けてくれてありがとう。


好きな人を、


好きだった人を思い出させてくれてありがとう。


この映画は僕にとって、このそんなことも感じさせてくれる傑作です(^^)



「RADWIMPS 4 〜おかずのごはん〜」
個人的に、ラッドウィンプスにおける一つの頂点だと思っているアルバム。
問答無用の名曲「有心論」もここに入ってます。
「君の名は」でラッドウィンプスを知ったという人がどれくらいいるのかわかりませんが、
このアルバムの頃は確実に「心」を歌っていた彼ら。
今回のアルバムでは「魂」を表現しているようにも思えます(^^)


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十和田湖徒然

2016-09-16 02:32:47 | 感動
以前、「芝公園徒然」という記事でこんなことを記してましたが......


——————————————————————
「ホント、えげつねーことしてたんだな。。。」
と、嘆きにも、悲しみにも似た感慨を持ったのが、
古墳を見下ろすように背後に立っているハイタワーホテル。。

「ザ・プリンス・パークタワー東京」

西武グループ。。

またかいな。。
——————————————————————


プリンスホテルというのは、
西武グループの堤康次郎さんが臣籍降下した皇族が所有していた領地や邸宅を買いまくって、
そこに息子の堤義明さんがリゾートホテルを建てて行ったのが始まり。
それで「プリンス」ホテルという名前になっていたりします。
そんなわけでプリンスホテルというのはこの国の中でもかなり良好な土地や、
パワーや意味がある土地などに建っていることが妙に!?多くなっていたりします。
本来......古来、
一般人がそうそう立ち入ることが出来なかったような地に建っていたりもしていて。
まったく......
西武の裏で手を引いていた人の顔も......なんとなく、浮かびますのです......な。。

アチキの場合、冬の全てをスキーに費やしていたワカゾーバリバリの時期に、
そんなプリンスホテルをほぼ全て泊り歩いたりしてみたのですが、ただ一箇所。
東北、青森と秋田の2県にまたがる神秘の湖「十和田湖」の湖畔にある
プリンスホテルにだけは、未だ泊まったことがなかったのです。

「十和田プリンス」というのは、
東北の最も山深いエリアにあるということもあって、冬の間は閉まってしまうのです。
なので基本「スキー軸」でプリンスを回っていた僕さんはこれまで
ナカナカ行くことが出来ずにいました。
傍にスキー場も無いプリンスさんですし。
その頃の夏は全てが冬のためのアルバイト尽くしの日々でしたし。

それで、今年の夏はその憧れの!十和田プリンスホテルさんに泊まるべく
プラプラリンコと車を走らせていたのでございまつ。ええ。
途中、青森県警に捕まりまちたが。。高速で。ええ。ええ。



ムッキィィィィィィーーーッ!( *`ω´)/



ってね。ええ。ええ。



で、その十和田プリンス。
行ってみるとヤッパリ、スゲーパワー感で。
相変わらずとんでもない土地を選ぶもんだな......と。
神秘的で癒し系の力が煌めくこぢんまりとしたホテルさんでした。





あまりに素晴らしい力が溢れていたので、
唯一WIFIがつながるホテルのカフェでチロチロと土地の秘密を調べてみると、
本来は蝦夷の地ということもあって、どーもここは皇族所有の土地ではなかった様で。
が、きっと、堤さんは何も考えないで買うわけはないだろう......と......
さらに深く掘っていってみると、やぱーーーり......この地には昔、
この辺りのキリスト教徒さん達が集まる地域の中心的礼拝堂があったのだそうです。
礼拝堂はプリンスを建てる時に近くの丘の上に移築され、今もあるらしいのですが......
マッタク。本当に。。ねぇ。
よくばーりで。ねぇ。。
そんなパワーのある地におきまりの、
火水(カミ)の力の結晶でもある温泉さんも湧き出ていて。



十和田湖西湖畔温泉。無色透明系でお肌プルプル系。希少で魅惑的な泉質。
十和田湖畔では唯一となる源泉100%の湯だそうです。
マッタク。ねぇ。よくばりーで。
「金のねぶた」ドリンクなんぞも飲んじゃったりして。
よくばーりで。ええ。ええ。



近くの桟橋で朝日も独り占めしちゃったり。









全てがあまりに素晴らしかったので、
僕はこの桟橋の突端で一人あぐらをかいて座り込み、背筋を伸ばし、
しばらくの間、湖の上にボッチ君で佇んでおりました。
この時過ごした時間は......ちょっと忘れることは出来ない時間となりました。
何でしょう......時間というものが完全に無くなってしまっているひと時。
自分の存在も無くなっていて、自然と涙が溢れてきて、
感謝の気持ちが全てを包んでいきます。

(T 。T)ぶぇぇ

十和田湖の語源は実は正確にはわかっておらず、現在一番の有力説となっているのは
アイヌ語の「ト(湖)」「ワタラ(崖)」に由来している......という説だそうで。
他にも南部氏が付けた「一戸(いちのへ)」から「九戸(くのへ)」という地名があって、
「十戸」は無い。
なのでその「十戸」に当たる地だから......という可能性もあるそうで。。
ただ、僕がちょっと気になるのはその充ててある漢字のチョイス。
「十」という字と、「和」は足し算を意味する和。とすると「プラス=+」。
「田」は「十」を囲った文字。
全て「十」の字に関連付けられる文字が並んでいるような......

十字架!?

ま、誰が選んで充てた字なの?でしょうか......ね(^ν^)

近くには
「キリストのお墓です!」
なんて世に打ち出されている墓陵のある噂の!?戸来村(へらいむら)もありますし。
「ヘライ村」も「ヘブライ」を連想させる「いかにも」な名前ですが......
虚々実々、真実はどうであれ、
因縁や因果ということで考えてみれば、この辺り一帯の地というのは、
キリスト教となんらかの、深い縁を持った地なのではないか......
ということは言えるのかもしれません。







御鼻部山展望台からの絶景。。



ちょっと稀で別格の気力を放つ十和田神社。。





坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)の創建とも伝わります。。





スゲーーーッス(@。@)ホヘーー。。





ここにはマニアには有名な「占場=うらないば」という場所があるのですが......
あまりに重々しい念が積み重なっていて、僕さんは全く足が向きませんのです。
それより、こちらの、湖畔に抜け出る小径が......ご機嫌です(^^)



出口には「乙女の像」。高村光太郎さんの作品です。



二人で一人。世界は鏡。。みたいな。



この島はまじヤバイっす。。
龍さん!こんちくわー!!ヾ(*・ω・)ノ゜



奥入瀬渓谷(おいらせけいこく)の巻に続く〜(^^)


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出発すること

2016-09-12 00:07:40 | 感動
前回の「富士山上々」でも少し書きましたが、富士登山の後、
うちのスタッフの「zaki」さんが、登山というものにかなりハマってしまったらしく、
次の機会をチロチロと物色しているようです。


「筑波山に登ってみたいと思うんですよ(^ν^)地元の山なんで」


なんてオフィスでものたまわっておりますが、
彼の山の師匠である「KU」さん同様、


「山をナメんなよぉー。チミィぃ。」


なんて言葉を返してもてあそんでたりします( ̄∀ ̄)Ψケケケ。。


どーも、登山というのはハマる人にはビシッとハマっちゃうようです。
往々にして一番最初に登った時の状況や環境にもその印象や気持ちが大きく左右される
とも思いますが、それを抜いても、山には「エ」も言われぬ魅力というものがある様です。
時にそれは魔力と言ってもいいくらいのもののようで。
ま、ハマる時はとことんハマった方がいいと思いますけど。
そんな好きなことで学べる様なことがあれば、それはサイコーに贅沢なコトだと思います。

登山の魅力ってなんだろう?......と、少しだけ考えてみるに、
それは「無」の自分と出会えて、向き合うことも出来るトコなのだろうと、
そんなふうに思います。
不思議な充足感と楽しさの根本はソンナところにあるのではないかと。

雑多で複雑で混沌たる日常から距離を置いた世界で、しかも、
すぐ側にはシンプルにただ命を育むコトにだけに集中している動植物の世界があって。
そのシンプルで根元的な世界と空気と風景とを肌身に感じ、見せられ。
同時に自分の命を脅かすような強大な自然の力も感じられ。
それは日常生活ではあまり感じることがない、
自らの生命の根幹や、生命体としての本能に直接差し込んでくるような力。
しかも、そんな力に対して身を守る術やモノも完全には持ち合わせていなくて。
だからこその、自分で自分の身を守るコトの大切さも危機感も、
力の無さも感じられて。
様々な考えや力が引き出しの奥深くから自然とひっぱり出されてくる......

命には水が大事なんだ。

空気って、これが本来の空気なんだ。

一人の限界を感じる。

一人の素晴らしさも感じる。

自分の体力って、コレだけか。

持てるものって、コレだけか。

これだけあれば十分なのか。

そうか。

これでもいいんだ。

身一つ。

世界や自然との境界ってこんなにも近いのか。

自分は.......離れすぎていたのかもな......

色んなモノと。。

体も自然と鍛えられて、清められる......

削ぎ落としてるのに、何かを取り戻しているようだ。。

そんな清々たる感覚や気持ちを味わったり、発見しちゃったりなんかすると、
雑多な世界に戻った後は余計に、
またそんなシンプルで清廉な世界に戻りたくなったりもするのでしょうか。
そしてそんな世界と感覚は「魂の故郷」と似ている世界なのだと思うのです。

きっと魂は知っているのです。

登山の世界が、山の世界が、自分の故郷とよく似ているということを。

だから、山登りの感覚というのは魂の故郷に近づく感覚で、里帰りの感覚。

郷愁。

山を降りた時、魂は顕在意識にこう訴えてくるのです。

「また、故郷に帰ろうよ。ね!故郷に似たところにさ!」

きっとうちのスタッフさんにも、
魂からのそんな声が顕在意識に届いているように思えます。
もちろん本人はマッタク気づいてないと思われますが( ̄ー+ ̄)ニヤリ
素直で綺麗な心の彼は、真っ直ぐにリアクションしている様です。
彼を見ていると、そんな感じがします。

んん!?

如何にオフィスが汚れてるのか!?( ̄O ̄;)

ってコトじゃね!?

いろんな意味で。

もしかして!?

ってね(・ω・)ええ。ええ。



つい先日まで東京、銀座で開かれていた
故、星野道夫さんの没後20年、特別展「星野道夫の旅」
僕が大の星野さん好きという事を良く知っている漫画家の友達からお誘いをいただいて、
イソイソと一緒にお出かけしてきました。

星野さんの事は以前も「星の道」「星の道 2」という記事で記していましたが、
僕の最も尊敬するカメラマンさんの一人で、同時に、
山やアウトドアのエキスパートでもあります。

そんな星野さんがカメラマンとしての生涯の全てを捧げた地は、
人が「無心」に触れやすく、帰りやすくもなるような極北、アラスカの地。
魂の世界にとても近い、そんなイメージの所。

今回、その展覧会最大の目玉として展示されていたのは、
遥々、アラスカの星野さんの自宅から海を超え、
初めて日本に持ち込まれたという彼が長年愛用していた大切な品々。
中でも、僕の目が釘付けになってしまったのは......カヤックでした。

僕の感覚では、ソコにはハッキリと、星野さんの魂が乗っていました。
その展示室だけマッタクの異空間となっていました。

星野さんから伝わりくる様々なこと。。
頭を揺らす様々な言葉。。

僕の家の書棚には彼の著作が沢山揃っているのですが、最後に、また、
その中から少しだけ、今日の記事に寄り添う星野さんの宝のような言葉を———————



いつか友人が、この土地の暮らしについてこんなふうに言っていた。
「寒さが人の気持ちを緩かくさせる。
遠く離れていることが、人と人とを近づけるんだ。」
と。



「偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか、
それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった。」



「人の心は深く、そして不思議なほど浅い。
きっと、その浅さで、人は生きてゆける。」



「大切なことは、出発することだった。」



—————————————星野道夫。


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カンパイで(^^)

2016-05-11 23:57:17 | 感動
明治後半から昭和の後半まで、
二度の世界大戦を含む激動且つ混乱期だった日本を颯爽と生き抜いた
ダンディーでイカしたおっちゃん。
身長は185センチとも、182センチとも。
長身で足も長い。スタイル良くてカッコイイ。
日本人で初めてジーンズを履いた男だとか、
イッセイミヤケのモデルもつとめただとか。。。

超お金持ちの名家に生まれ、
子供の時からスポーツ万能の荒くれ者だったとか。
そんな生家には、
迷惑をかけた人や家にいつでも謝りに行けるような菓子折りが常備品となっていただとか。
若くして、当時貴重であった高級スポーツカーを親のお金で!?乗り回し、
そのままイギリス、ケンブリッジ大学に留学し、
そこでも貴重な外車を友人達と乗り回し、中退で日本に戻っても、
齢(よわい)80才になってもそのまんまの雰囲気で、
ポルシェ911を乗り回していたとか。

でも、

敗戦に沈む混乱期の日本をリードして、
立て直してきた気概ある官僚の一人でもあって、
今に至るまで平和憲法の象徴ともなっている現日本国憲法の裏の立役者でもあり、
ジャーナリストの方々からは「新憲法誕生の生証人」とも称された人。
敗戦後の弱った日本を統治しに乗り込んできた
GHQ(アメリカと連合国の統合司令部)には、日本の復興と自立、
何より譲れない自身のプライドとプリンシプル(原理、原則、主義、信条)のために
常に嚙みつき、楯突き、
「従順ならざる唯一の日本人」
とも呼ばれた人。



あのマッカーサーにすら天皇への無礼を怒り、叱りつけた人。



それが白州次郎(しらすじろう)という人。



わたくしめ、とても好きな人なのでございます(^^)



日本が世界に対し敗戦や様々な賠償を受け入れる代わりに、
自国の主権維持だけはそのまま認めてもらえるように締結されたイワユル
「サンフランシスコ平和条約」。
その調印式に際しても、英語でのスピーチを用意していた吉田茂首相に対し、
日本語でスピーチするよう説得したのが次郎さん。
それは国のプライドだからだ、と。。
同日、別場所で交わされた今でも議論の的となっている「日米安保条約」も
そんな次郎さんが一枚噛んでいます。

そのまま吉田内閣の参謀を長きにわたり務めあげ、
その後は東北電力の会長も務めて、
日本の戦後復興の大事なカギであった電力の安定化と強化にも努めます。
趣味のゴルフにおいても「軽井沢ゴルフ倶楽部」を運営し、
今日に至る日本のゴルフ文化の基礎を作り上げ、
冬はスキーに親しんで、
トヨタ自動車の社長には「No substitute」......
「かけがえのない車を作れ」なんてオーダーをし、
「参考にこの車を持ってケーーッ!」
ってな感じで「ポルシェ911」をトヨタの社長に気前よくあげちゃったりもして。
それであの「トヨタソアラ」が完成したなんていう逸話までもあったり。

そして、
そんなこんなの白洲次郎さんの集大成的な言葉というのが、
彼の有名な遺書に書かれた言葉かもしれなくて......
もしかしたらソレが、彼を表す最高の言葉なのかもしれなくて。



「葬式無用 戒名不用」



そうしきむよう。かいみょうふよう。



僕は、遺書として書かれた次郎さんのこの言葉を見て、
トドメ的に次郎さんのことが好きになったのでございます。



左にクールに座っているやたらとカッコイイ男性が白州次郎さん(^^)
そして、右にいらっしゃる高貴なオーラを醸し出している麗しき女性が
次郎さんの奥さまの白洲正子(しらすまさこ)さん。
彼女もまた、知る人ぞ知る!?御人でしょうか。
文筆家でありながら今もって稀代の目利(メキキ)とも云われる人。
ここでも以前「琵琶湖徒然」という記事で少し記していましたが、
彼女もまた、僕の敬愛する方でもあります。
二郎さんのあまりにも絢爛溌剌としたキャリアと、
正子さんの才気ほとばしる生き方には多くの人が憧れるものがあるとも思いますし、
どこか特別なものがあるようにも思えます。
でも、僕は何より、こんな二人の写真を見るだけで、
二人が人間的にもとても魅力的な方々であったであろうことを思ってしまうのです。


実は、最近。
長い間密かに抱いていた僕の小ささな夢が叶いました。


それが、この大好きなお二人のお墓参りをすることでした。


簡単に出来そうで、なかなか実現出来なかったことだったのですが、
それが、タイミングが合い、やっと実現できました(^^)


「お墓は不要!」などと言っていた次郎さんのお墓がなぜあるのか?というと、
それは、次郎さんが亡くなった時に、やはり、あまりに多くの人々から
「次郎さんを偲ぶ場所を作って欲しい、、」
という話が妻の正子さんの元に届いたようで、それで正子さんが
「ならば、、」
と創ったお墓らしいのです。

正子さんはソレを作る時、生前の次郎さんのことを考え、遺書の言葉も考え、
更には、いずれこの地に一緒に眠るであろう自分のことまでも考え、
その結果、お墓ではなく、
彼や自分との「良き語らいの場」としてのお墓をデザインしたのだそうです。
なので、墓碑としている石の形も、
不動明王の五輪塔を人の姿の様にアレンジしたもので、
その人ガタを思わせる石碑の向かいには、なんと!ソコに来てくれた人に

「まぁ、ゆっくりして行ってくださいな。。。なにか飲みます?(^^)」

なんてという声が聞こえてきそうなベンチ!
までもが置いてあるというのです。

もう、センス溢れる正子さんの施したデザインの話だけでも、
僕的にはヒットのしまくりで......

なんだかわかりませんが......

胸も強く打たれてしまうのです......

それで、僕が長年抱いていた小さな夢の一つが、
そんなお二人の、そんな墓所の、そんなベンチに座ってビールを一杯!
酌み交わしながら語らってみちゃう......ということだったりしたのです。

今は、正子さんも仲良く並んでいらっしゃるであろうそのお墓は、
兵庫県、有馬温泉をさらに奥へと進んでいった三田市というところにある
「心月院」というお寺にありました。
こじんまりとして、とても良いお寺でした。









行ってみると、噂通り、それはもう、お墓とは思えない様な形で。。
さすが正子さん。さりげなく、花壇みたいな感じ。





ベンチは向い側と、



石碑に向かって左側にも、もう一つ置いてありました。



ワイワイと、石碑を囲んで賑やかに語らうことが出来る感じ(^^)
僕は、早速、ビールを注いで......



「カンパァァアァァァァーーーイ!!(´▽`)」

全くもって最高でございました。
小さな夢が一つ叶った瞬間なのでございます(⌒o⌒)v♪

この地を訪れて、改めてよくわかったのですが、
僕はやっぱり、
このお二人のことがとても好きなのでございます。ええ。ええ。


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かの子さん

2016-03-28 00:01:13 | 感動
「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」



東京、世田谷区と、神奈川県川崎市との間をゆったりと流れる多摩川。
そこに掛かる大きな橋のほど近くにヒッソリと建っているこの独創的なオブジェの元には、
そんな文字が刻まれていました。



オブジェのタイトルは「誇り」
「太郎」とはこのオブジェの作者、言わずと知れた芸術家、岡本太郎さん。
「一平」とは、岡本太郎さんの父。
そして「かの子」とは、岡本太郎さんの母の名前。

このオブジェは岡本太郎さんが亡き母を想い、
母の生家のあった地に建てたものでした。

一見、何をイメージしているのかよくわからないような造形は、しかし、
その存在に気づいた瞬間、
他の岡本太郎作品と同様に見るものの心をザワメキ立たせ、そして、
月の様な、太陽の様な、不可視なる引力で作品に繋ぎ込まれてしまいます。
間近で目にすると、有機的で不可思議で、強く、妖艶な肢体。
真っ青な空に、
螺旋を描きながら勢いよく昇りゆこうとする真っ白な生き物のよう。
それは僕には鶴のようにも、蛇のようにも、油皿に灯る炎の柱の様にも見えました。
「こんな近所にあったのに......ちゃんと見たことは無かったんだなぁ......」
よく晴れた日の午後、僕はそんなことを思いながら、
しばし時を忘れ、このオブジェの元に佇んでいました。
ただジッ......と、見入ってしまいました。

どれだけ多くの人が知っているのかはわかりませんが、
岡本太郎さんのお母さんというのは優れた文筆家だったのだそうです。
実は、僕は彼女のベストセレクション的な短編集の文庫本を一冊だけ持っていたのですが、
買ったきりナカナカ読む事ができず、書棚の「まだ読んでいない本コーナー」に
多くの本とともにしばらく雑然と積み置いていました。



「岡本かの子 1889 - 1939」
少し前に、初めてオブジェをマジマジと見に行った後、
僕は未読のまま放置していた「かの子さん」の本を改めて書棚から取り出し、
そしてしばらくの間、時間をかけてゆっくりと読んでみました。
かの子さんの文章は昔の言葉遣いや文体のせいもあって、
読むのに少々苦労する......という部分もありました。が、しかし、
読み始めてすぐにわかったのはその表現力の異様なる高さ。孤高さ。
ちょっと......イヤ、かなり......圧倒されました。

「こんなスゲー人だったのか。。なんでもっと早く読んでなかったんだろ。。」

それが僕の最初の印象。
艶やかで惚れ惚れする圧巻の言葉センス。描写力。
そしてそんな言の葉が組み合わされ、紡がれる文章が放つ不思議な色香と、激しさ。
ページから色めき立って来る様な光、空気。。
とても感動させてもらいました。



【渾沌未分=こんとんみぶん】より―――――――――――――
こせこせしたものは一切投げ捨ててしまえ。
生まれたてのほやほやの人間になってしまえ。
向かうものが運命なら運命のぎりぎりの根元のところへ、
向かうものが事情なら、これ以上割り切れない種子のとことに詰め寄って、
掛け値なしの一騎打ちの勝負をしよう。
この勝負を試すには、決して目的を立ててはいけない。
決して打算をしてはいけない。
自分の一切を賽(さい)にして、投げてみるだけだ。
そこから本当に再び立ち上げれる大丈夫な命が見付かって来よう。
今、なんにも惜しむな。
今、自分の持ち合わせ全部をみんな投げ捨てろ。一切合財を投げ棄てろ。



【金魚撩乱=きんぎょりょうらん】より―――――――――――
「意識して求める方向に求めるものを得ず、
思い捨てて放擲(ほうてき)した過去や思わぬ岐路から、
突兀(とつこつ)として与えられる人生の不思議さ」が、
復一の心の底を閃いて通った時、
一度沈みかけてまた水面に浮き出してきた美魚が、
その房々とした尾鰭(おひれ)をまた完全に展(ひら)いて見せると
星を宿したようなつぶらな眼も球のような口許も、はっきり復一に真向かった。
「ああ、真佐子にも、神魚鬘之図にも似てない......それよりも......それよりも......
もっと美しい金魚だ、金魚だ」



【河明かり】より―――――――――――――――
「川を遡るときは、人間をだんだん孤独にして行きますが、
川を下って行くと、人間は連れを欲し、複数を欲してくるものです」



【雛妓=すうぎ】より―――――――――――――
奥様のあのときのお情けに対してわたくしは何をお礼に
お餞別(せんべつ)しようかと考えました。
わたくしは泣く泣くお雛妓(すうぎ)のときのあの懐かしい名前を奥様にお返し申し、
それとお情けを受けた歳の十六の若さを奥様に差し上げて、
幾久しく奥様のお若くてお仕事遊ばすようお祈りいたします。
ただ一つ永久のお訣れに、わたくしがあのとき呼び得なかった心からのお願いを今、
呼ばして頂きとうございます。
それでは呼ばせていただきます。
おかあさま、おかあさま、おかあさま―――   むかし雛妓のかの子より



岡本太郎さんの作品と人生、哲学に、
この母親「かの子」さんの存在がどれほど大きな影響を与えていたのか、
息子としていかに母を慕っていたのか......それが、とても良く解る作品群でした。
彼女なくして、岡本太郎の才能は開かなかったのだと思います。
そして、母、かの子さんの文筆家としての才能は、
息子太郎をも驚かせ、敬愛されていたことも良くわかります。

巻末には「太郎への手紙」と題された、
芸術家を志し、一人フランス、パリへ留学していた息子との手紙のやり取りが
幾つかまとめて載せられています。
ヨーロッパへの留学なんて、当時は今よりもっと貴重な事であったハズで、
経済的にとても苦しい暮らしを強いられていた中、
なけなしのお金をはたいて一人息子を修行に旅立たせた母「かの子」の想いが、
僕の胸を打ちます。



むす子はこのごろどう暮らしているの。
私はゆうべからすこしメランコリックになって泣いてばかりいるのよ。
慰めにってみんなが活動へ連れて行くところなの、
むす子のおばあさんである私の母をおもい出すのよ。
武蔵野のね、野菜の浄(きよ)らかに育つ処のね。
死んだお母さんを思い出すのよ。
だってむす子はどうせパリジャンだし私は追憶ぐらいしなきゃつまんないもの。



夏のはじめ来られるかい?



いい手紙をもらった。
まるっきりこの手紙をもらうためにお前を育てたと思われるほどいい手紙だ。
これは子が母へ対しての、
そして人間が人間へ対しての最もいい好意と同情と愛情のこもった手紙です。
静ですよ、私の世界は今、そしてこの静けさの底にシンと落付いている力がある―――



誰も太郎さんはと聞くよ。
ぐっと胸がつまるのでそれに反抗して反身(そりみ)になっちまうよ。
涙が出るから気どってごまかして、どうもかえりませんのでと前おきするよ。
そのあとの説明は推察しなさい。
パパおとなしいよ。いい子だよわり合いに、お前の事考えて時々ぼんやりしてるよ。
そして二人でとしよりみたいに子の無いことの愚痴を云うよ。察しなさいよ。



えらくなんかならなくてもいい、と私情では思う。
しかし、やっぱりえらくなるといいと思う。
えらくならしてやりたいとおもう。
えらくなくてはおいしいものもたべられないし、つまらぬ奴にはいばられるし、
こんな世の中、えらくならなくてもいいような世の中だから
どうせつまらない世の中だからえらくなって暮らす方がいいと思う。
あんたやっぱり画(え)かきになりなさい。画(え)と定めて今から専念しなさい。
年とるばかりだから。
俳優もだめ。音楽家というわけでも無かろうし―――ならばやっぱり画に専念しなさい。
でもね、この料簡(りょうけん)を一応持つと同時にまたほかの方面への関心を
自分に宛ててみて生活をするのもよろしかろう。



同じ芸術をやっている以上迷いの苦しみがよく分かれば分かるほど、
こちらも聞きながら苦しい。だが私は思うのよ。
製作の発表の場所を与えられれば迷いながらも一つの仕事を完成する、
そして世に問うてみ、自分に問うてみ、
また次の計劃(けいかく)がその仕事を土台にして生まれる。



タロどの
お前が展覧会へ出すについておとうさんおおよろこびですよ。



私ね。あんたのために今までことわってた仏教の雑誌に書くわ。
あんたに教えるためにと思って、あんたに読ませるために。



タロへ
大変な世の中になっちまったわねぇ。
お前もさぞびんぼうして苦しかろうけども、
こちらもね、それはそれはひっぱくした世の中なのよ。
私なんかかえってからたった単衣(ひとえ)のもめんを一反買ったぐらいで
出来るだけけんやくしているのよ。



ニセガネツカイ(贋金使い)の作者はりこうだがりこうが鼻につく、
理智の筆先はうまい。だがローレンスは永遠につながる詠嘆と詩がある。
エロはあの人の体質の予映にすぎない、
そんなところばかりめにつけてるのは安価なスケベイ人だ。
その奥のものを見よ。感ぜよ。



感情的でなしに必要以上にもお前に逢っていみたい。
お前のこの後の生活の方針についても話してみたい。
それにしてもお金がなければ、お金がほしいと思う。



この次の小説集はお前の画でかざりたいとおもってます。



オサケ。あんまり呑むと血圧が高くなるから養生して長生きしておくれよね。
太郎はなんと愛らしき太郎であるよ。しかも尊敬すべき太郎である事よ。
わが子ながら時々芸術では師のようにさえ感ずる。
立派な芸術家をたった一人子に持てる女性のほこりとよろこびと
幸福をしみじみ感じる。



―――――――――読んでいて、僕は、自然と涙が溢れてきました。



うつし世を 夢幻(ゆめまぼろし)とおもへども 
百合(ゆり)あかあかと 咲きにけるかな    ――――岡本かの子



かの子さんのところに行く時に、ちょっとオブジェに波長を合わせてみたところ、
「私、赤ワインが飲みたいわ。。」
という言葉を感じたので、僕はこの時、ワイングラスと赤ワインを持って出かけました。
プリリンなねーさんもワザワザ横浜から駆けつけてくれて、
見ると彼女は手に紫と白の花束を持っていました。
高貴さと純粋さが合わさるような花束。
それらを日本を代表する建築家の丹下健三さんが造った美しい台座の下にある大きな石に捧げ、
僕らはしばし静かな時を過ごしました。
かの子さんは少々、ホロ酔いの午後だった様に思います(^^)


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光と、白と青と

2016-01-20 23:50:20 | 感動
東京に久方ぶりに降った雪は、
機械的に進む都市の日常には少々の混乱をもたらしたようです。
それでも雪は雨と同じく、いや、雨以上に、
大気中に散らばる細かい塵などをその白い体に優しく包み込んで
大地へと舞い降りてくるようで、降りやんだ後に晴れ渡った東京の空は、
いつもより格段に透き通った青で輝いていました。



「綺麗だなあ。。」



彼方此方に降り積もった雪から反射してくる光もとても眩しくて、
僕はそんな気持ちで住み慣れた街の空を眺めていました。



「東京とかは、たまに必要だよな。こんな雪。。」



きっと、
毎日除雪に追われる様な雪国ではこんな気持ちになる様なことなどは無く。
そんな場所ではむしろ逆に、
暖かい陽光が降り注ぐ貴重な晴れの日に感じる気持ちなどと似て、
重なるようなものなのかもしれません。



「こんな雪の日には無理していつもの日常をこなす必要なんか無い社会になっていて、
仕事とか学校とかお店とか公共機関とか、電車やバスとか、
そんなとこもちょっと休みになったり、何かが免除されたり、
それが皆に許されたり、
そんなことが社会全体で自然と理解されていたりする様な、
そんなノリとか空気とか、文化とかルールとか法律とか......
ま、難しいだろうけど......
でも、そんな社会にはもうなれないのだろうか?......なれないよなぁ......」



なんて、プチ混乱している電車の駅の様子などを目にすると、
身勝手にも僕はそんなことまで考えてしまいました。



「これくらいの雪で混乱する都市って......
混乱してしまう集中するオフィスって、エリアって、仕事って......
人口や経済の偏り方って、有り様って......」



ちょっと複雑な感情も湧いてきて、でも、
そんな気持ちも綺麗に消し去ってしまうほど
格段にキラキラな陽(ひ)の光には不思議と感謝もわいてきます。
灰色で埋め尽くされた巨大な街の中にいても、
この星の美しさに改めて気付かされたりもする、
そんな東京の雪の日と、青い空と光の輝き。



親しい友人に勧められたのがキッカケで読み始めた漫画「海街diary=うみまちダイアリー」
映画にもなっている吉田秋生(よしだあきみ)さんの人気漫画ですが、
つい最近その最新巻が出たというので早速買いこみ、
雪の日のカフェで一人ユッタリと読みふけっていました。
巻ごとに付けられているその本のタイトルが「あの日の青空」でした。

ちょっと気に入ってしまったこの漫画
描かれているのは鎌倉を舞台にした4姉妹を取り囲む物語で、
どんな人にも深くて、
尊い物語があるのだということを改めて教えてくれる作品のように感じています。
舞台がご近所でもある鎌倉ということもあり、
よく知っているあの場所もこの場所も沢山出てきたりして、
その辺りにもなんだかとても魅かれてしまいます。
そしてこの漫画全体を包むトーンというのも、なんとなく、青と白と、
そしてピカピカに光る陽(ひ)の光のように思えていたりもします。

白は無垢とか、汚れない、
染まらない「尊さ」みたいなことを象徴しているのでしょうか。
青は海とか空とか、
そんな命の根源、ミナモトみたいなコトを表しているのでしょうか。
陽の光は、どんな時も前に進める希望とか前向きな気持ちみたいな、
そんなコトの象徴なのでしょうか。
この漫画にはそんなものが沢山描かれていて、
それでこんな印象を受けるのでしょうか。

物語には時折、キーアイテムとして登場するようなものがあって。
その一つが登山家が生死をかけて登頂に挑んだヒマラヤにある世界最高峰の山、
エベレストの山中で撮られた一枚の写真。
僕はこのキーアイテムを巡って交わされる会話や描写が
この漫画の中ではひときわ好きです。
なかでもとても印象的な言葉が愛すべき登場人物の一人、
「山猫亭」という喫茶店の無愛想なマスターが関西弁で話していた言葉......



「......ええ写真や。
ピントは甘いし
構図はムチャクチャ

けど
あの場所に行ったもんしか撮れん写真や。

すごい空やろ。

あそこはエラい空気が薄い
だから
よけい青が鮮やかになる。

まさに群青(ぐんじょう)や......」



雪が綺麗にした空気がまだ汚れていない、翌日。
羽田から福岡へと向かう飛行機の窓から撮った写真。
あまりに綺麗だったもので、つい、パチリ、と。



富士山も。綺麗。



光は澄んだ空気が好きなんだと思います。
雲は空が好きなんだと思います。
白は青が好きなんだと思います。
青も白が好きなんだと......そう、思います。



昔、大学時代。
全国のスキー場を一つ残らず制覇する!という自己満足この上ない目標を達成した後、
その達成記念!として、親しい友達二人と、片道の航空券だけ押えて、
ホテルも何も押さえずに熱い気持ちだけで乗り込んでしまった憧れのカナダのスキー場
「ブラッコム=BLACKCOM」
写真は超古い撮りっきりカメラの紙焼きと、電子化の波に押され今や死に絶えているリフト券。

ブラッコムは「ウィスラー=Whistler」という北米大陸最大のスキー場の隣にあって、
ソコには当時も今も、
世界のモーグルチャンピオンがトレーニングをしている様なスーパーなコースのある
「7th Heaven=セブンス・ヘブン」
というマニア垂涎のチェア(リフト)があります。
スキーにどハマりしていた僕らはそのコースとチェアに乗ってみたくて、
はるばるカナダ、ロッキー山脈の頂上まで行ってみたのでした。

行ってみると、そのチェアの更に上の世界があって、それは
「もし死んだら全ては自分のせいでございます。そーろー。。」
というサインを書かないと決して乗せてもらえないヘリコプターで飛んで、
山頂の氷河に降ろされ、そこから滑り降りるという、いわゆる「ヘリスキー」の世界。

山で植物や森林が生える限界高度......「森林限界」を超えた高さになると、
その様相は見渡す限り岩と空しか無い様な世界となります。
そんな世界が雪や氷河に包まれると、そこは見渡す限り雪と空しか見え無い世界。


色は、白と青しか無い世界となります。


白と青。


そしてクリスタルの様に輝く光の波。


それしか無い世界。


僕らはそんな世界で、雪に寝転んで空を見てみました。


嘘でなく、地球が回っていることが感じられたりします。


白と青しか無い世界。


光の世界。


あの日の青空は、きっといつまでも忘れないと思います(^^)


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遠望

2015-12-27 21:00:26 | 感動
彼女のマンションは「断層」と言われる所の真上に建っていました。
海も望める、静岡県のとある町の高台。
もし地震でもあったら、建物は真っ二つに折れてしまうかもしれません。



「なぜ?こんなところに住んでいるのですか?」



すると彼女は一言、こう答えました。



「ここに住めと、そう言われるのです」



断層とはご存知の通り大地のズレがある所で、
地盤としては地震リスクが高い場所となります。
阪神大震災などはこの断層型の地震でした。
しかし良い所もあって、それはある意味「大地の裂け目」でもあるので、
地球の中心から湧き出でる自然のエネルギーがとても強いところでもあります。
その場にいるだけで不思議と体調が良くなったり、
敏感な人だとエネルギーが強すぎて
気分が悪くなってしまうほどの場所であることもあります。
微量の放射線や温泉なども湧きだしたりもしますし、
この断層が連なる線はエネルギーラインともなって、
風水などでは時に「龍脈」的扱いを受けるような時もあります。
本来は神社とか寺とか、そんなモノが立てられてしまうような場所。



「......でも、ここのお風呂は天然温泉なんですよ(^^)」



今年の6月。初夏を思わせる様な日。
僕らは男女3人でそんな彼女の部屋におつまみやら、なんやらかんやらを持ち込んで
「お泊り飲み会!」
をしようと集まりました。僕らが部屋に入ると、
ふんわりとした白い綿のような雰囲気を持つ彼女はこんなこともフワリと言いました。



「ここにいらっしゃる時は、皆さん何かと変わる時なのですよ(^^)」



その日の昼間は皆で近くの牧場や風情のある温泉に出かけて行って、
美味しいお蕎麦や創作料理などをいただき、夕方にはまた彼女の部屋に戻り、
お酒などを飲みながらアーダコーダと四方山話しをしていました。
そんな風にして楽しい時間はどんどんと過ぎて行き、それで、
僕らはそれぞれパラパラ......と眠りに落ちていきました。

僕はリビングに布団を敷いていただき、一人でそこで寝かせてもらっていたのですが、
カナリの遅い時間まで飲んでいたのにも関わらず、次の日の朝には、パチリ......と、
6時にはもう完全に目が覚めてしまいました。

実は、彼女のマンションの部屋からは海だけでなく、
美しい富士山をドン!と眺めることも出来ます。
特にリビングの大きなサッシ窓からは、
緩やかに海へと連なる雄大な山裾の姿まで広く見渡すことが出来るのです。
その日の朝、僕は暖かな布団の中でモソモソ......と寝ながら、首をひねり、
起きがけの未だボンヤリとした目を窓の方に向けてみました。



そして、その目に最初に飛び込んできたモノがそんな美しすぎる富士山の姿でした。



起き抜けの曇った目にも明らかにわかる異様な美麗さ。



そのタダならぬ姿を見にした途端、僕は一気に目が覚めてしまったのです。



それからは一時間近く、
僕はリビングの窓を全開にしてボーーーッ......と富士山を眺めていました。
それは、僕には、今まで見た中で一番美しい富士山だと感じられたのです。

そしてヤハリというか、流石というか、
家主の彼女も、一緒に泊まった仲間も、皆一様に、その時間、
それぞれの寝ていた部屋からそんな富士山をまったく同じように眺めていたようでした。

しばらくすると、皆自然とリビングに集まってきて、
僕らはその異様に美しい富士山について語り合いながら、
いつまでも飽きもせず、ずっと眺めていました。
その時彼女は、皆にコーヒーを淹れてくれながらこんなことを言いました。



「私もこんな富士山は初めてかもしれません。なかなか見れないと思います。
やっぱり、皆さんは何かありますね......
色々とメッセージも届いています(^^)」



どうも、彼女がこの地に住んでいることには意味があるようなのです。
彼女はちょっと特別な、不思議な力を持っていて、
ココは全国や世界!?から彼女を頼って多くの人が集まってくるような場所なのです。
大きな企業の経営者なども......沢山。。
しかしもちろん、彼女はメディアなどには決して出ません。
そしてそんな彼女はいつも住む所をアチラの世界から指定されてしまうようなのです。
それも、全て、

「ソコに住むことに大きな意味があるんだよ......」

と言うような場所ばかり......に。
引っ越しに次ぐ引っ越し。
落ち着くことなど全く無いノマドの様な暮らし。
そのマンションが富士山に連なる断層の上にあるということにも、
ちゃんとした大きな意味があるわけなのです。
そんな不可思議でタフな生活と彼女特有の力を、彼女はサラリと、
いつもこんなふうに表現します。



「役割がありますので(^^)」



この日の朝に見た富士山は、
紛れもなく僕個人が幾度となく見てきた富士山の中では一番美しかったと思います。
「僕個人」と書くのは、毎日富士山を見て暮らしている様な方々には到底
胸を張って言えるようなコトでは無いと思うからなのですが、
僕が今年もっとも覚えている風景、出来事の一つなのです。

この年の瀬に、
今年最も印象深かった出来事の一つとしてココに書き残しておこうと思った次第なのです。

そして、この日の事をこんな風にとても印象深いものにしてくれたもう一つの出来事が、
自宅に戻り一夜明けた翌日に起こりました。
その日、2015年6月29日のyahoo!のトップニュースには
某メジャー新聞社のこんな記事と写真がリンクされていました。


―――――――――――――――――――――
「富士山の遠望記録更新」
富士山(標高3776メートル)が見える最も遠い場所とされる和歌山県那智勝浦町の
色川富士見峠(同900メートル)から、
奈良県天理市の住職、新林正真(しょうしん)さん(46)が28日、撮影に成功した。
富士山からの距離は322.9キロ。
写真を鑑定した日本地図センターの田代博・常務理事によると、
「最遠望」からの撮影は2001年以来、14年ぶり2回目という。





―――――――――――――――――――――


......どうりで、見たこともない様な富士山の透明感だったワケです。



そしてもう一つ......



この最遠望記録が出た日に、僕らは皆、



もう一つの興味深いものをマジマジと見ていました......



どうも......



富士山は......



2つ、



あるみたいで......す、か、ね.......



......あと......



なんだか色々と飛んでいる、よーな......で......( ̄^ ̄)ゞビシッ!とな。ええ。
気にせんといてな。独り言ですけんね。ええ。ええ。



この日、僕らが見ていた最遠望記録を出した時の富士山。
本当に言葉を失う美しさでした。
スマホのカメラであることがとてーーーも悔やまれまふ......(T . T)ぶぇ。
しかしながら、僕にはとても大切な写真となりました。

次回は!
今年最後のブログとなりそーなのですな。

皆さんも良い年の瀬おぉ!
アチキわなんだかバタバターーーーーッ!(>_<)/っす!ヘロヘロプー!


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丸駒温泉

2015-12-15 00:34:20 | 感動
イロイロとあって北海道、恵庭市からお友達(♀)が遊びに来てくれたのでやんす。
つい先日。東京、浅草の方まで。ええ。ええ。
何人かの「友ダチーズ」で彼女をお出迎えして、
浅草寺近くにあるオイチィ天丼屋さんでワイワイガヤガヤなどとしていたのですが、
恵庭市と言えば、札幌や千歳にもほど近く、
実は僕さんの大好きな温泉があったりもするのでそのお友達にチロリと聞いてみたのです。

「あ、丸駒温泉て知ってる?よね?あそこって恵庭だっけ?近いよね?
俺大好きなんだぁ~。。最近行ってないんだよなぁ~。ポヤヤヤヤァ~ン。。(* ´З`*)))」

すると彼女は、

「ええ。知ってます(^^)良いですよね。。あそこは千歳市ですね」

と。
なるほど。そかそか。千歳市になるのか。あそこは。
とにかく、とてもお気に入りの温泉なのです。僕の。ええ。ええ。
名前は先に書いたように「丸駒温泉=まるこまおんせん」です(^^)

して、

ニャンと!

こちら!

知る人ぞ知る「日本秘湯を守る会」なる団体さんの会員宿さんでもあるのでございます。

すげーのでやんす。なんだか。

古い携帯写真で申し訳ないのですが......
入り口に輝く誇り高き「日本秘湯を守る会」の提灯(○´▽`)



館内にも灯る「日本秘湯を守る会」の明かり。。



会のウェブサイトによると現会長さんは福島県、二岐温泉
「大丸あすなろ荘」館主の佐藤好億さんという方らしいですの。ええ。ええ。
そしてコチラ丸駒さんの良さは何と言っても「神秘的」な水と空気と眺め。



神秘的」という言葉がココ以上にフィットする温泉はそうはないと思っています。
本気で。ハイ。



透明度日本一!を誇る支笏湖(しこつこ)湖畔にあって、
チャポーーンと入った温泉から湖とその周りの山々を全て見渡せるのでございます。
全身にいただける癒しのパワーさんも特別さんで。。





目前に見えるのは神秘の山。風不死岳(フップシダケ)。
他にも透明な湖をぐるりと取り囲む紋別岳(モンベツダケ)、樽前山、モラップ山......
温泉背後にはそそり立つ恵庭岳さんも。やばいっす。ここ。
神秘的とはここのことです。
館内も落ち着くし、綺麗ですし。





ちょいと「カン」がある人は厳しい時、場所もあるかとは思いますが。。
素晴らしい力があるところというのは常に「陰陽」入り乱れるのでございます。ええ。
全体的には「癒し力」が完全に勝っていますので安心さんで。
そして温泉として何が素晴らしいかというとですね、こちらの露天風呂、
全国でも20箇所ぐらいしかないという足元から直接お湯が沸き出でる温泉ですのね。
足の裏とかお尻にブクブクと気持良い「温泉泡立ち攻撃」がやってくるのです。
しかも神秘の湖とその温泉が完全につながっているのです。



この写真の穴の向こうがそのまま支笏湖の湖面で......
手前が僕さんがフル◯ンで浮かぶ露天風呂です。ええ。ええ。



繋がっている温泉のお湯は、なので湖の深さと連動して動くのです。水面が同じ高さなのです。
湖の水が増えると温泉の水面も上がって、減ると下がります。
雪解け水が流れ込む時期などは温泉の水深が1.5メートルぐらいの時とかもあるらしいのです!

溺れちゃうっす!

危ないっす!

のなで露天風呂の入り口には今日の水深を表示するこんな看板や説明までが......



浮き輪もあったりして......



イカしてますなぁ。。流石でございます。ええ。
秘湯っす。ヤバイっす。
なんだかお猿さんになった気分ですな。。(*´∪`*)フォッフォッフォ



この湖の下から沸き出る温泉のおかげで支笏湖は寒い北海道の地にあって
冬でも凍らないらしいのです。
日本においてはココが凍らない湖の最北端だそうです。
長野県の諏訪湖でも凍っちゃうのに......温泉ってスゲーっす。
泉質は鉄分?銅?ミネラル?がとても多い感じで、強烈な黄金色の湯船になっておりまする。
かなり強力なポカポカ爆弾。なんか健康になりそう爆弾。



昔は温泉まで道路が全く通っていなくて、
内陸にあるのに船でしか行けないというまさに秘湯中の秘湯だったらしいのですが、
現在は街から通じる道も出来ていて、ととてもアクセスの良い場所になっています。
なのでそのあたりが他の秘湯さん達とはちょっと違っていて、
それがまた良いところでもあると思います。
ただ、故に最近はとても人気らしく。。
可能であれば、土曜、日曜などは避けたほうが良いかもしれません。

宿の前庭には船で行き来していた頃の名残である宿専用の船着場や船があったりもします。
今も何かと使っているらしいのですが、
湯上りにここのベンチから見る眺めにもなんだか癒されるのです。。



レストランもなにかと美味しいのです( ̄ー+ ̄)ニヤリ



今度札幌いったら久々に寄ろうか!?などと企みちうで( ̄ー+ ̄)きらーん


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三ケ日徒然

2015-06-18 00:17:57 | 感動
ニンニンニンニン!
忍者ハットリ君でござるだニン! ヾ( ̄3 ̄)/
忍法「木の葉隠れ!」でござるだニン!


......って、一部世代しかわからないフレーズだニン。
わかっちゃいけないよ!
ニンニン!( ̄^ ̄)


そんなハットリ君て「服部」と書くのですね。ええ。
で、その「服部」って、
よぉぉーーーーーーーーーーーーーーーく考えると......


......


......



読めなくね!?(・ω・)ノ


どう読んだって「フクベ」とか「フクブ」でしょ。


読めるニン!?
ニンニン!?(・◇・)/


服部さんというのはソモソモ、忍者ではなくて、
伊勢神宮、内宮におわします現日本国の親神
天照大御神=アマテラスオオミカミ」さんの服を作り、
献上することが許された唯一の一族さんの事で、
古代大和政権時代から最近に至る迄国神の服を作る部門の部長さん!
王室御用達ブランド!というような感じだったのです。
なので服部門!服の部!という字を書くのですのね。ええ。ニンニン。

それで、そんな「服の部」が何故?「ハットリ」などと呼ばれるのかというと、
古(いにしえ)の服作りというのは即ち、「機織=はたおり」であって、
そんな機織りのエキスパートである「服」部門の方々をハタオリ......ハットリ......
とアテで呼ぶ様になったのです。ニンニン。

ちょっとカンドーしてしまうのがですね、
そんな由緒ある全国の服部さんの大元であり、
アマテラス様に唯一衣服を納める事が出来る服部家の方の苗字なんですの。ええ。
その服部さんだけは苗字の上に「神」とつけても良い!
というお許しを伊勢の神様やド偉い方々から頂けたのだそうで......その名を.......


「神服部=かんはとり」


と言うのです。
感動的なお名前です。あちきにわ。


「俺も神ってつけてぇぇーーーーっ!(ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォォーーーーーイ!」


で、その比類なき苗字を受け継ぐ日本で唯一!の御方にお会いしようと、先日、
不思議な力を持つ!?ポンチキーズの面々と共に静岡県、浜松市、三ケ日にある
「初生衣神社=うぶぎぬじんじゃ」にお伺いしたのです(^_^)ええ。



神服部さんはここの宮司さんで、
古来より今に伝わるイニシエの機織技法を今に、未来に伝えん!と奮闘している方。
伊勢神宮に納め続けた織物を今も昔と全く同じ技法で織り続け、奉納し続けています。

服の素材となる「絹=きぬ=シルク」は古来より「赤引きの糸」と呼ばれていて、
此方では今やとても貴重となった養蚕業者さんと提携をして取り寄せているそうです。
蚕(かいこ)さんが吐くシルクを古代と同じ手法で纏め、ヨリ、
一本の糸にしていくのです。
蚕さんの餌となる桑の葉もキチンと木から採取しているモノだそうで、
年々の天候により必ずしも良い桑の葉が取れるわけでもなく、
またその葉の質のよって蚕さんの吐く糸が微妙に違ってもくるのだそうです。
アマテラスさんに捧げる服の素材はそんなシルクの中でも
神服部さんが納得するモノでないと使わないそうです。

そんな神々しい糸を縦、横、縦、横......と、ひたすら丁寧に織り込んでいくのですが、
その機(はた)を織る機械というのも、
実は神服部さんが私財を注ぎ込んで復刻させた
古代そのままの機織機でもって織っているのです......
日本中で、ここにしか無いモノなのです。

なんか......この時点でもう「涙コボルル(TωT)」という僕ちんなのですが......
この日は、神服部さんにその古代の姿そのまま!の機織機を見せていただいたのです。
カンドー&カンゲキの対面!



コレで織ってるのですね......
織ってたのですね......
アマテラスさんの服。
なんか優しいな......これ......
綺麗だな......
光ってんな......
スゲーなぁ......



(T_T)ぶぇぇ



古代の機織機は座って織るのだそうです。ボートを漕ぐ時みたいに。
絵馬に描かれている様なこんな感じで......



織っているのは機織姫......ハタオリヒメ......オリヒメ。
ココを支える美しき女神「天棚機姫命=あまのたなばたひめのみこと」さん。
別名「栲幡千千姫=タクハタチジヒメ」さん。
織っている場所は本来こんな.......「織殿=おりどの」と呼ばれる社(やしろ)の中。







国神、アマテラスさんに捧げる大切な神衣(かんみそ)。
習わしでは、織っている途中は何人たりともこの社の戸を開けてはいけないそうなのです。
清らかな織姫さんが更に身を潔斎して入り、織り始める御服。
外からの邪気が入り込んでしまったり、
その貴重な技術が盗まれたりしないようにも定められた事なのだ思います。

.......そう......

「鶴の恩返し」という物語も、
この織姫さんのお話から生まれた物語なのだと思われます。

ここで織りあがった御衣(おんぞ=神衣=かんみそ)は、
三ケ日の地を出て、尾張を通り、津、松坂を抜け、伊勢の地に運ばれます。
その時、神服部さんは宮司として隊列の先頭をきって運送の先導します。
神社のパンフレットから......



僕らは6人でこの地を訪れたのですが、神社に着いた時、
神服部さんはパンフレットを持ってワザワザ鳥居の前に立って待っていてくました。

「こんなところまで来ていただいてありがとうございます。。」

なんて言ってくれて、その後、神社の由来や成り立ち、
誇り高き「神服部」家と織物に関する沢山の興味深い話を丁寧に聞かせてくれました。
途中、何度も何度も感謝の言葉を述べていらっしゃいました。

その時、境内の鳥達はまるで合唱をしているかの様に一斉に、
ずーーと、大きな声で謳っていました。

太陽の日差しは白糸の滝の様に、木々の間から心地よく差し込んでいました。

神社や、その横にある社務所ともなっているご自宅は、
見た所全てにおいてとても質素で、
ギリギリの神社運営を長年に渡りされてきたコトを感じさせるものでした。
この神社では昔から氏子さんも持たない習わしなのだそうです。
そんな中で綺麗な境内を維持し、宮司職も全うし、
機織機まで創り、糸を創り、ハタを織り、
先頭に立って御服を伊勢に送り届けて来たのだと思います。
息子さんには時折、

「もういつまでもバカなことやってないで。。」

などと嘯(うそぶ)かれることもあるそうですが、そんなコトを粛々と、
この国の神々と人々が大切にしてきた伝統を守り通すためにやり続けている方でした。



「私は織り殿の上に居ます、、」



同行していた不思議な力を持つプリリンねーさんが、
その場で織姫さんの言葉を降ろしてくれました。
織姫さんは更に、こんなコトを仰っていました。



「ここは、私の宝です」



この言葉に......僕は胸が熱くなりました。



デービッド・アトキンソンさんの著作「イギリス人アナリスト日本の国宝を守る」によると、
世界GDPにおける観光業は9%。
それに対し日本の観光業はGDPのたった2%。
2014年の文化財保護修理予算はイギリスでは約500億円。GDPの0.018%。
日本はわずかに81億5千万円。GDPの0.0017%。
ヨーロッパ諸国や多くの国々では観光は大きな経済となっている、という認識で、
予算も多く割いています。

観光都市と言われる「京都市」に訪れる外国人観光客数は年間約240万人。
「ロンドン」は1700万人。
「大英博物館」はたった一つの博物館で年間420万人が訪れるそうです。
ヨーロッパという多くの国々が隣り合って存在している地理的要因の違いもありますが、
「たった一つの建物」に訪れる観光客より京都市に訪れる観光客が少ないという事実。

京都の街の風情を司る古風な「町家=まちや」造りの家は、
現在年間1000軒も壊されていってます。
現在の町家は4万7千軒ぐらい。
町家が4万軒を切った時、京都の街はどんな雰囲気になるのでしょうか。。

こんな状況でも、
この国の主たる国策に観光や文化財修復事業は未だ入っていません。

現政府は「地方創生」を掲げてはいますが......
しかしその中身はモヤッとしたまま地方にアイデアも丸投げ!?で
推し進めているようにも見えます。
公共事業や産業支援等に寄った旧態依然とした施策、
思考のまま進んでいるようにも見えます。

テレビでは近頃日本人や独自文化をたたえる様な番組も多いです。
しかし、内実はこんな感じなのです。
褒め讃えながらも、
外国人を惹きつける日本文化の象徴物の「屋根の修復すら」ままなりません。
貴重なる古の機織り機一つ造るのに......1円の援助も差し伸べられません。
全国の神社の宮司さんの80%近くは宮司だけでは生活ができないので兼業なのです。

東京から島根県の出雲まで往復で5万円ぐらいの交通費がかかります。
その出費だけでも僕らにとっては十分に多いもの。
出雲大社では100円をお賽銭箱に入れるだけ。

一番利益を得ているかもしれない関東の鉄道会社は文化財にはどれくらいの寄付!?
をしているのでしょうか。
現地にある全国ホテルチェーンさんや大手旅行代理店さんは文化財維持へどんな?
貢献をしてくれているのでしょうか。

古都、鎌倉の文化財で一番「利」を得ているのは本当はどこなのでしょう?

その利を生みだしている「基」となっているものはなんなのでしょう?

政府は、僕らは、今のままの考えでよいのでしょうか?

今、僕は、
京都市を舞台にある大きなプロジェクトと実験をスタートさせました。
いつの日か、女神様が「宝」とまで言う!?社(やしろ)や、
神服部さんの様な高貴なる「志」を持った方々への良き助力となれるように、
しっかりとしたビジネスとしても成立出来るよう、
そのプロジェクトを磨き上げて行きたいと思います。
観光収益も日本国の一大収益となれるその「基」となるモノを維持できる
新しいシステムを作れないか......と、
そんなことも考え、動いています。
本業と共に頑張っちゃうのだ!(*`へ´*)ニンニン!


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秤の真実 2

2013-09-19 00:04:04 | 感動
「もふふ!?(@_@;)...
うーーーんんと、、、うーーーーーんと。。。うーーー。。。。。」




またもやしばし考える僕ちん。。



「......わかりません(T . T)ぶぇ...アゲイン...」



「砂時計ですよ。uzmetさん。
砂時計を使ってみたんです。
そうしたら秤(はかり)の時と同じように、皆、ちゃんと時間を認識することが出来たんですよ。
やっぱり、皆で考えたのですけど、、ちゃんと答えはあったんですね(^^)」

「砂時計!(*゜ロ゜)、、ですか。。
確かに、それは大丈夫そうですね。。」

「タイマーとかもセットができないですから、
砂時計だとわかるんですよ。ちゃんと。ひっくり返して眺めるだけですから。
このテーブルにあるこの小さな木枠もですね、、、



、、、この木枠も決められた一定の太さにチョークを測ることが出来ないものかと、
皆で考えて出来たものなんですよ。

彼らはメジャーやノギスなんて数字がわからないから使えないのです。
でもこの枠にピッタリハマるかハマらないか、
細くて隙間ができてしまうか、、は分かるんですね。
それで、この木枠にハメテみるということを考えついて、
素材を決められた太さにするという作業も彼等にやってもらうことが出来たんです。

チッポケなモノですけどね。。とても大事なものなんです」



......Oさんは、静かに、こんな話を僕にしてくれました。



工場を出る時、僕は改めて工場の片隅にある「秤」を見つめ直してしまいました。
なんだか......
その何の変哲も無い小さな古めかしい秤に、
Oさんやこの工場で働く人達全ての、日本理化学工業さんで働く人達全ての
「誇り」や「愛」のようなものが宿っているような感じがして......
とても神々しい何かを感じてしまい......
また暫くジッと見入ってしまいました。



......少し、熱いものがこみ上げて来ます。



小さな秤は、僕に何かを話しかけてくれているようでした。



「ちゃんと考えなきゃ。。
俺、まだまだちゃんと考えられていないかもしれないな。。。いろんな事。。」



昔、Oさんに出会った時に、Oさんのお話を聞いてスグに買った本が自宅の書棚にあります。
坂本光司さんという大学教授の方が著した「日本でいちばん大切にしたい会社」という本。
この本にも「日本理化学工業」さんの話しが載っています。



これまでに6000社以上の会社経営者に会い、
様々なインタビューを繰り返して来たという著者が、
その中で思う「未来に残したい会社の筆頭」が
日本理化学工業さんだということで書かれていました。
そしてこの本にはこの日のOさんからは直接聞くことが無かった
「日本理化学工業さんがどうして障害者の雇用を始めていったのか?」
という原点の話しや歴史が少し書かれています。
以下はその本文より一部転載したものになりますが――――――



―――――――そもそもの始まりは50年ほど前、
工場の近くにあった障害者養護学校の一人の女性教諭の訪問からでした。
その女性教諭は日本理化学工業社長の「大山」さんの元にやって来て、
こうお願いをしたそうです。

「難しいことはわかっておりますが、
今度卒業予定の子供を、ぜひあなたの会社で採用して頂けないでしょうか......」

それは知的障害を持つ二人の「少女」を採用して欲しいとの依頼でした。
当時専務だった社長の大山さんはこのお願いに悩みに悩んだそうです。

その子達を雇うのであれば、その一生を幸せにしてあげなければいけない。
しかし、果たして今のこの会社に、それだけのことが出来るのかどうか......
そう考えると自信が無かったのです。

結局大山さんは、
「お気持ちは分かりますが、うちでは無理です。申し訳ございません。。」
と断ります。

しかし、
その先生はあきめず、またやって来ます。
また断ります。またやって来ます。それでも断ります。
そうして三回目の訪問の時。
大山さんを悩ませ、苦しませていることにその先生も気付き、ついに諦めました。

そして、その先生はその時「せめて一つだけお願いを......」ということで
こんな申し出を大山さんにしたそうです。

「もう採用してくれとはお願いしません。
でも、せめて、あの子達に働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子達は、働く喜び、
働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。
私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」

そう言って頭を地面にこすりつけるようにしてお願いしている先生の姿に、
大山さんは心を打たれたそうです。

そうして「一週間だけ」ということで、
障害を持つ二人の少女に就業体験をさせてあげることになりました。

その話しが決まるとその子供達は勿論、先生や家族の方達までとても喜んだそうです。

会社は午前8時から午後5時まで。
しかし、その子達は雨の日も風の強い日も毎日朝の7時には会社の玄関に来ていたそうです。

お父さん、お母さん、さらには先生まで心配して一緒に送って来ていたといいます。
皆、午後三時ぐらいになると「倒れていないか」「何か迷惑をかけていないか」と
遠くから二人の働く姿、会社を見守っていたそうです。

そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わる前日のことでした。
「お話があります」と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。

「あの子達、明日で就業体験が終わってしまいます。
どうか、大山さん。
来年の4月1日からあの子達を正規の社員として採用してあげて下さい。
もし、あの子達に出来ないことがあるなら、私たちみんなでカバーします。
だから、どうか採用してあげてください」

それが、社員皆の総意だといいます。

社員皆の心を動かすほど、
その子達は朝から終業時間まで一生懸命働いていたのです。

仕事は簡単なラベル張りだったらしいのですが、
十時の休み、お昼休み、三時の休みにまでも仕事に没頭して手を休めようとしません。
毎日背中を叩いて「もうお昼休みだよ」「もう今日は終わりだよ」と言われるまで
一心不乱だったそうです。

本当に幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。

それ以来、
大山さんは障害者の皆さんを少しづつ採用し続けていったそうです――――――――



僕は、その日、
その工場で、その本に書かれていた通りの、
幸せそうに働いている皆さんの顔を目の当たりにしました。
そして、そんな物語が宿った「秤」を見つけました。
その秤の中にある真実を教えてもらいました。



。。。少し、涙がこみ上げて来ます。



「幸せ」とは何でしょう。



人に愛されること。
人に褒められること。
人の役に立てること。
人に必要とされること。



その本にはある禅寺のお坊さんが大山さんに語ったこととしてそう書かれていました。



働くことで、それが達成出来る。



そう書かれていました。



そんな工場見学を終えて、
僕はOさんにお礼を言って、
また改めてお会いしましょうという約束もして、
駅まで車で送ってくれるというOさんのお言葉を

「......なんだかですね、、とてーも歩きたい気持ちなんですよ。(^^)へへ」

と、工場裏の用水路沿いの道を歩いて帰ることにしました。
実は工場は、僕の自宅からさほど遠く無い所にあって、
用水路沿いの道を少し歩けば、
そこは自宅裏を流れる「多摩川」という広い川を挟んだ反対岸辺りに出ます。
水際では夏の日差しの下で白鷺(しらさぎ)さんがのんびりと休んでいました。



ちゃんと.......生きよう。

多摩川のほとりで、僕はそう思いました。

ちゃんと。生きよう。

そう思いました。


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秤の真実

2013-09-16 00:09:16 | 感動
これ......
コレ、ですね......
一見何の変哲も無いこの「古めかしい」秤(はかり)。。

先日、ちょっと作りたいモノが浮かんで来てしまい、
セコセコと作ったプレゼン資料とパートナーのiPad君を抱え、
黒板用のチョークやマーカーの製造、卸を手掛ける
「日本理化学工業」という会社さんにアポイントをとってお出かけして来ました。
その時に、
「せっかくですから、、」
と、オフィス練と同じ敷地内にある工場の方にも丁寧に案内をして頂いて、
その広い工場の中で、僕が何故か?真っ先に目が行ってしまい、
不思議と「気持ち」までが釘付けになってしまったというモノがこの秤なのです。

実家が鉄工所で、毎日ここの工場と全く同じ様な場所を遊び場として育った僕には、
この秤、
よーーーく見ると、
ちょっと普通でないところを瞬時に感じ取れてしまうのです。。

それは......色。
特に目盛の下に置いてある「丸い」2つの「おもり」の色。

普通は「鉛色」した鉄を削り出した様な、
錆びついていたりもする様な「タダの」重りのハズですが、
何故か、目立つ2色に......「赤」と「青」に塗られています。
僕が広い工場で足を止めてジッとこの小さな秤に見入っていると、
案内をしてくれていた理化学工業の「O」さんがニコニコと僕に聞いてきました......



「uzmetさん、その秤、少し普通と違うんですよ。分かります?(^^)」

「んん!?!(◎_◎;).......うーーんと、うーーうんと、、重りに色が着いてますよね。。」

「そうです(^^) それ、、どうしてだかわかります?」

「むぅぅんーーと、、、うーーーんと、、うーーーんと。。( ̄。 ̄;)。。」



その秤さんをさらにジィィーッと見つめる僕ちん。。。



「......わかりません(T . T)ぶぇ...」



するとOさんは
「この秤はですね、、」
と、僕の胸を強く打つ話を聞かせてくれました――――――



この「日本理化学工業」という会社さんは、
冒頭でも記したチョークやマーカーの製造、卸で日本の30%以上のシェアを誇る会社さん。
商品特性上、この会社さんの大きな顧客というのは学校や様々な施設関係になります。

昔、どの学校でも使われていたカツカツ!と音を立てて黒板に字を刻んでいたチョークも、
最近では「粉」の出ない「ダストレスチョーク」と呼ばれるモノが主流になっていて、
ソレを開発したのもこの会社さん。
当然シェアもトップ。

マーカーの方も最近はアクリルやガラス板などであれば何処にでも書けて、
消すのも布一枚、ハンカチ一枚あれば大丈夫!
......というようなものに変わってきているようで、
クリスマスなどが近づくと色々なお店の窓にデコラティブな「絵」や
「グラフィティ」ちっくなものなどが描かれたりしている......アヤツ達がマサにソレです。
書いたり消したりが自由自在のマーカーさん。
「キットパス」という商品名で、
そのマーケットでも理化学工業さんがほぼ独占的なシェアを持っているようでした。

この日お会いした商品開発、営業担当者の「O」さんは、
実を言うとかなり以前から個人的な「ご縁」があった人で、
我が家のリビングにある壁一面の大きな「黒板」をメチャクチャ無理を言って!?(@.@)
作ってもらった人。
その最初にお会いした時に、

「長い間この仕事して来ましたが、
一般住宅のリビングにこんなの作ったのは初めてです。。とても不思議ですね~( ̄O ̄;)」

と、
「コイツ変わり者じゃね!?」
という可成り強い印象を残してしまったようで、
その後も沢山のチョークやマーカーもタダで!!頂いたりなどもしながら、
少しばかりのお付き合いをさせて頂いた方。
そんなこんなで先日も快く時間を割いて頂いて、
暫く会ってもいなかったので「なんだか久々ですねトーク」で盛り上がり、
肝心の本題までナカナカ辿り着けないような感じでもありました、が、
とても楽しいひと時でもありました(^_^)

その仕事の話が一通り終わった後に、
町工場を少し大きくした様な工場をOさんが色々と説明をしてくれながら
僕を案内してくれたという話しが冒頭の話しになります。



――――――そこで、僕が足を止め、
マジマジと見入ってしまった「秤」さんに出会うこととなるのです――――――



工場の中では生産ラインに沿って座り、
無駄口一つ話さず黙々とモノ作りに勤しんでいる人達が沢山居ました。
それぞれに課せられた業務を、それはもう、
機械と見間違うような早さと正確さ、そして丁寧さでこなしていました。
その雰囲気はもう作業員というよりは「職人」さんというオーラ。
そして......実は......
この理化学工業さんの作業員......社員の皆さんというのは、ほぼ全員が、
体の機能に何らかの不全を持った、国からも認定を受けている障害者の方々なのです。



Oさんによると、
「日本理化学工業」さんはもう50年以上前から主に知的障害者の皆さんを雇用していて、
その数は現在では全社員の7割を超えているとのこと。
知的障害者の方々というのは特に数字関係の認知、認識に難があるらしく、
数を覚えたり、その意味を理解したりすることがとても難しいようなのです。
その中で、写真の秤(はかり)は、
数字が理解出来ない障害者の皆さんでもちゃんと規定の数字、定量通りに作業が出来るよう、
理化学工業の皆さんが必死に考え出した「秤」なのだそうです。
Oさんはこう言ってました。



「数字が理解出来ないのであれば、色で。
皆さんをよく見ていると、色ならちゃんと理解出来ているんですよ。

会社に来るまでに信号とか、バス停の標識とか、、
そういうものはちゃんと理解出来ているんです。
だからまず、計らなければいけない二種類の材料を ”赤” と “青” の大きな入れ物に分けて、
赤い入れ物に入っているこの材料は同じ赤色の重りで計って、バランスをとって混ぜてもらう。
青い方に入っている材料は青い重りで計ってもらう。
そういう色のキマリだけ覚えてもらったんです。

そしたら、、

まったく秤が使えなかった皆さんが、、使えるようになったんですよ。
ちゃんと、決まった重さ、分量でそれぞれの材料を分けて計れて、
混ぜることが出来たんです。。」



さらにOさんはこう続けてくれました。。



「その時、私等は確信したんですよ。
イケル!って。
皆ちゃんと働けるって(^^)

それってですね、
今まで私等が考えることが浅かったんじゃないのかな、、って。
そうも思ったんです。その時。

こうしてちゃんと考えればちゃんといい方法が見つかるじゃないか、、って。
そう気付いたんですよ。

私達が浅はかだったんじゃないのかな、、って。

ソレでですね、
重さを量るという事以外でももう少し考えることが出来れば、、
他にも皆が出来ることがあるんじゃないのかなって、、
そうも考え始めたんですよ。。

uzmetさん、、、
もしuzmetさんがこんな知的障害がある皆さんに “時間” を認識させるにはどうします?
彼らは数字がよく理解出来ないから、普通の時計も良く解らないんですよ。
文字盤が数字になっているから時間が読めない。
デジタルもダメ。。
そんな彼らに、この素材は機械で何分間だけ混ぜるんだ、何時間混ぜるんだ、、と教えたい。
そう思った時、uzmetさんはどうします?」

「もふふ!?(@_@;)...
うーーーんんと、、、うーーーーーんと。。。うーーー。。。。。」

つづく。。。



秤と同様に色分けがしてある大きなチョーク素材入れ。
秤の置いてある台のすぐ下に置かれています。
作業中に秤と同じ視界の中に納められるのと、
余計な動作が生まれ無い様に秤のすぐ傍に合理的に置かれています。

僕は、この工場のアチコチに、
紛れも無い「」を感じていました。
それは、工場の隅々にまで漂っていて、透明な輝きで働く人達を包んでいました。

人の為に「ちゃんと考える」という愛。

「ちゃんと」の深さ。

そこに愛が生まれるのでしょうか。

日本理化学工業さんがどうしてこの様な雇用形態になっていったのか......
それも知っている限りで次回ココに書ければと思っていますが、
ソレも本当に、心打たれる話しでした。

この日の訪問とOさんが話してくれたお話は、
偶然の出来事ではありましたが、僕の中にあった価値観を少し磨き上げてくれました。
勿論、より輝く!?と思われる方に(^^)です。


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いただきます。

2013-03-14 00:00:52 | 感動
既にもう色々なところに転載されているような本ですが......

「いのちをいただく」

西日本新聞社さんが出している絵本です。
九州、熊本県に住む坂本義喜さんという方が学校などから請われ、
時折子供達に話し聴かせていた自らの体験談をシンプルにまとめ上げた本です。
僕のような人間には読むと涙が溢れて止まらなくなってしまう......(T.T)ような本。

巻末にはこの物語が世に出るまでのエピソードや
坂本さんと実の娘さんとの心温まるサイドストーリーなども収められています。
沢山の人に知ってもらいたい......ということも書かれていました。

先日も友人のMさんがfacebookで紹介していたりなんかしていて、
「もし」まだ知らない人がいましたら以下、チコッとチェックしてみて下さい。

以前記したコノ記事あたりからの続き......
という感じでもありますが。。(^.^)どぞどぞ。よしなに。



―――――――――――――
坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。
牛を殺して、お肉にする仕事です。
坂本さんはこの仕事がずっといやでした。

牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。
だから、大切な仕事だということは分かっています。

でも、殺される牛と目が合うたびに仕事がいやになるのです。
「いつかやめよう、いつかやめよう」
と思いながら仕事をしていました。


坂本さんの子どもは小学3年生です。
しのぶ君という男の子です。


ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。
これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、
その日は用事があってどうしても行けませんでした。
そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。

いよいよ、参観日がやってきました。
「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」
坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら小学校の門をくぐりました。

授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。
先生が子どもたち一人一人に
「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」
「どんな仕事ですか?」
と尋ねていました。

しのぶ君の番になりました。

坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。
何と答えるのだろうと不安に思っていると、
しのぶ君は、小さい声で言いました。

「肉屋です。普通の肉屋です」

坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。



坂本さんが家で新聞を読んでいると、しのぶ君が帰ってきました。

「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」

何で急にそんなことを言い出すのだろうと
坂本さんが不思議に思って聞き返すと、
しのぶ君は学校の帰り際、
担任の先生に呼び止められて、こう言われたというのです。

「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」

「ばってん、カッコわるかもん。
一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん」

「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、
 会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。
 すごか仕事ぞ」

しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に

「お父さんの仕事はすごかとやね!」

と言いました。

その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し、仕事を続けようかなと思いました。



ある日、
一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、
一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。

荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。

坂本さんが「明日の牛ばいねぇ~」と思って見ていると、
助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。

そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。

坂本さんは「危なかねぇ」と思って見ていましたが、
しばらくたっても降りてこないので、
心配になってトラックに近づいてみました。

すると、
女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。


みいちゃん、ごめんねぇ。
みいちゃん、ごめんねぇ。


「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん。
みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。
ごめんねぇ。
みいちゃん、ごめんねぇ」


そう言いながら、
一生懸命に牛のお腹をさすっていました。

坂本さんは「見なきゃよかった」と思いました。

トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、
坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、
みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。
だけん、ずっと、うちに置いとくつもりでした。
ばってん、みいちゃんば売らんと、
この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。
明日は、どうぞ、よろしくお願いします」



坂本さんはまた、「この仕事はやめよう。もうできん」と思いました。
そして思いついたのが、明日の仕事を休むことでした。



坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。

「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、
明日は仕事を休もうと思っとる…」

そう言うと、
しのぶ君は「ふ~ん」と言ってしばらく黙った後、テレビに目を移しました。

その夜、
いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。
しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。

「お父さん、
やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。
心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。
お父さんがしてやんなっせ」

坂本さんは黙って聞いていましたが、
それでも決心は変わりませんでした。



朝、
坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。

「行ってくるけん!」

元気な声と扉を開ける音がしました。

その直後、玄関がまた開いて

「お父さん、今日は行かなんよ!」「わかった?」

と、しのぶ君が叫んでいます。

坂本さんは思わず、
「おう、わかった」と答えてしまいました。

その声を聞くとしのぶ君は
「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。

「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」と、お母さん。

坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。



会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。

少し早く着いたので、みいちゃんをそっと見に行きました。

牛舎に入ると、みいちゃんは、
他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するようなポーズをとりました。

坂本さんは迷いましたが、
そっと手を出すと、
最初は威嚇していたみいちゃんも、
しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、

「みいちゃん、ごめんよう。
みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。
ごめんよう」

と言うと、
みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。

それから、坂本さんは、
女の子がしていたようにお腹をさすりながら、

「みいちゃん、じっとしとけよ。
動いたら急所をはずすけん、
そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」

と言い聞かせました。

牛を殺し解体する、その時が来ました。

坂本さんが、

「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」

と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。


その時、
みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。


坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。


そして、坂本さんが、ピストルのような道具を頭に当てると、
みいちゃんは崩れるように倒れ、少しも動くことはありませんでした。

普通は、牛が何かを察して頭を振るので、
急所から少しずれることがよくあり、倒れた後に大暴れするそうです。



後日、
おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、
坂本さんにしみじみとこう言いました。

「坂本さんありがとうございました。
昨日、あの肉は少しもらって帰って、みんなで食べました。
孫は泣いて食べませんでしたが、

『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。
食べてやれ。
みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそかろ?
食べてやんなっせ』

って言うたら、孫は泣きながら、

『みいちゃんいただきます。
おいしかぁ、おいしかぁ。』

て言うて食べました。
ありがとうございました」



坂本さんは、
もう少しこの仕事を続けようと思いました。
―――――――――――――


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王道 2

2012-12-06 00:43:44 | 感動
その三沢さんがある時、TV番組か何か?のインタビューで
その自らが体現する馬場さんから受け継いだ「王道プロレス」の
「王道」という言葉の意味について、
こんな風に語っていたことを目にした事があります。
大体、、ですが、それは僕にとって本当に忘れられない言葉でした。。。



「......本当に強いということは、
相手の得意な技も力も全て出させて、そして全て受け切る。

受けて受けて受けて受けて、、それでも立ってる。

相手がもう出す技も力もない、、と感じたところで、、、
そこで初めて自分の得意な攻撃をコレデモカ、、と仕掛ける。

相手がソレを受けきれなければ俺の勝ち。
相手の良さもすべて出させて、受け切って、
その上で勝つ。

そうすると相手は “本当にこいつは強ぇな、、” と認めるんだ。
ソレが王道。王道のプロレス。

王というのは完璧に勝たなければいけないんだ......」



このインタビューを見ながら、子供の頃
「プロレスってなんかウサンクサイなぁ、、」
などと思っていた事について、僕は改めて色々と考え出していました。



よくよく考えれば、
ビルの2階より高いような場所から
100キロを超える大きな人間が勢いをつけて飛んでくるわけです。
下はタワムとはいえ、硬い硬い板で出来たリング。。。ならまだしも、コンクリートの時も。。

そこで受ける側の人が「もし」逃げたら......
飛んだ人は命に関わる事態になることは容易に想像できます。
だから、
受ける側は逃げずに「クッションの役割」すら担って、
その相手の命がけの技を受けるのです。
受ける側にしても100キロを超えるような大きなものが降ってくるのを受けるワケですから、
命がけです。


そしてそこにはレスラー同士「命を預け合う」というような信頼もあるように思います。


それがプロレス的エンターテイメントの裏側に隠れている真実。


「命を預け合う」
ここにおいて、格闘技とプロレスは「違う」ように思います。


ボクシングや柔道、K-1、UFO、、格闘技は当然、相手の攻撃を避けてもよくて、
それはなるべく相手の得意な形をださせない!喰らわない!という
戦いにおける常套手段でもあります。
そりゃ、相手の得意技や自信のある攻撃をまともに受けた日には
タマッタモンではないでしょう。

相手の得意な形を如何に封じ、自分に有利な形に持って行って、
相手も喰らいたくないであろう必殺の一撃を食らわせる!


大げさに言えばソレは「命を奪いに行く!」というもの。


もし「ルール」というものが無ければ、格闘技とはそんなものです。
それでも、
そんな格闘技においても盛り上がる試合というのは
「互いのいい所を出し合う」ような試合。
そんな試合は三沢さんの言う「王道」的な試合の様に見える時もあります。



「王道とはどんな意味?」



僕は、三沢さんの言葉に出会うまではこんな質問にはうまく答えることができませんでした。
でも今はハッキリとこう思っています。


王道とは全ての困難、問題を逃げずに受け止め、受けきること。
その上で尚、立っていること。
その上で自らの力を示し、歩んで行く事。
それが王の道。
それが王道。
たとえどんな人でも、それが出来れば王に等しい。


これが三沢さんとプロレスに教わった僕の「王道」に関するテーゼ。
このテーゼはプロレスだけでなく、
様々なところに当てはまる「真言」のようになって僕にずっと響いています。


多くの人が知る様に、三沢光晴は数年前、リングの上で試合中に命を落としてしまいました。
相手の得意技を受けながら、この世を去ってしまいました。。
その時は個人的にはとても衝撃で、ショックで、悲しくて......
でも、自分の技や攻撃だけでなく、「受け」をも極めた王の中の王様らしい、
そんな去り方だった様にも思えます。


そして、そんな真の王は、やはり滅多にいないのでしょうか。。。


この記事を書き出した最中にも、偶然にも、昨日、
三沢さんが立ち上げた「ノア」から秋山、小橋といった
創設時から団体の屋台骨を支えてきた偉大なレスラーが退団、脱退を発表していました。。

最近プロレスは暴露本やら放漫経営やら何やらで
ややマイナーなスポーツ、エンターテイメントになってはいますが、
それでも命を預けあって頑張っている選手も沢山います。
こんな時こそ「王道」でもって、
また往年の輝きを取り戻してもらいたいと願っていたりします。
密かにではありますが僕は応援しています。

プロレスだけでなくて、
きっとどんな業種でも、職業でも、どんな人でも、
少しづつ何かから逃げているようなことは「もしかしたら」あるのかもしれません。
勿論僕も例外ではなく。。情けない。。(T.T)


そんな時、たまにプロレスを見たりなんかして......王道、王道......と呟いてみたりしてます。




アメリカのプロレス団体WWE(><)/
エンターテイメント系プロレスの最高峰かなぁ。。
ラダーマッチ(高ハシゴ試合!)なんて「究極の受け」の醍醐味が味わえます!?ハラハラ!
あなたも如何でしょう!?コレを機会に!?んん!?

......その昔、古館伊知郎の実況がプロレスにとてもハマっていて、
テレビ中継もとても熱く、楽しかったのを記憶しています。
報道ステーションの古館さんは僕にはどうも座りが良く無くて、、
スポーツに戻って欲しいような、、
松木さんとセルジオ越後を従えた古館伊知郎のサッカー代表戦中継とか
一度見てみたい気がします。。


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王道

2012-12-04 00:59:05 | 感動
「なんだかウサンクサイなぁ。。」
「逃げられるじゃん。。」 
「格闘技の方がおもしろくね?」

......これが小さな頃、TVで初めてプロレスを見た時の感想。
ちょっと斜めな子供だったので......こんな感じ。



プロレスというのは試合中、
予定調和の様に相手の攻撃を避けずに受けるようなことが沢山あります。
避けないどころか自ら相手に誘われるがまま攻撃を受けに行くようなシーンもシバシバ。。

ロープに飛ばしたら反動で「シッカリ」と戻って来て、
待ち受けている相手の技もシッカリと頂きます。
コーナーポスト(鉄柱)の一番高いところから高く高く飛び上がって、
リングに倒れている相手に
自分の体重に重力を合わせた強力な力でもって膝なんかを落としていく時も、
その間......数秒......
リングに横たわっている人は逃げもせずそのままガッチリと相手の技を受けてしまいます。
もちろん避けるような時もありますが、それはややストーリー仕立て!?的な感じで。。

そんな思いを抱きながらも、
格闘好き!だった子供の頃「熱く」見ていた僕のプロレスというのは、
アントニオ猪木さんやジャイアント馬場さんがまだまだ大御所!選手としても健在な時で、
猪木さん率いる「新日本プロレス」と馬場さんが率いる「全日本プロレス」が
2大ライバル団体として、放送局もひっくるめてしのぎを削っていました。



猪木さんの新日本プロレスは当時から「ストロング・スタイル」という指針を掲げ、
格闘技に近いスタイルで「異種格闘技戦」なんて斬新な試合や切り口などを盛り込みながら
「派手」に展開して行きました。
僕のリアルタイム選手は蝶野、橋本、武藤の「闘魂三銃士」から
佐山聡の初代タイガーマスクといった辺りでしょうか。。。
新日本から派生していったUWF系のストリームも忘れられません......
(><)ココわマニア向け会話!
かなり好きでした。。



一方で、馬場さんの全日本プロレスは「王道プロレス」という指針を掲げ、
昭和のスーパースターレスラー「力道山」から継承した
互いに技をしっかり掛け合い、受け合うプロレスをひたむきに展開して行きます。
猪木さんの新日本プロレスに比べるとレスラーのキャラクターも影響してか、
やや地味な感じもありました。。

この力道山、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、、と受け継がれてきた
「王道プロレス」というものを、
次に受け継いたのは「二代目タイガーマスク」として人気を獲得していたキャラクターを
試合中に、自ら「ポーーーン」とマスクごと捨て去った「三沢光晴」さんでした。



三沢さんはその後、
馬場さん亡き後の「全日本」から大勢のレスラー、スタッフを引き連れて独立し、
「ノア」という新団体を立ち上げました。
その団体でも三沢さんは馬場さんの標榜していた「王道」のプロレスというのを
ストイックに追求。
さらに進化させていきました。



で、
衝撃だったのは、
この頃の三沢さんが川田利明や小橋健太などと繰り広げる試合の数々。。
「全日本系は地味だ!」と勝手に「勘違い」していた僕には本当に衝撃的でした。。

相手の技を正面から受け止め合う「凄まじい!!」プロレス。。
新日本ともまったく違う殺気。。
もし、興味湧いた方は名勝負などをyou tube辺りで探してみて下さい。
ビックリこんです。きっと。

新日本だと長州力の顔面を蹴っただけでも団体を追放される?ようなことも起こるのに......
三沢さんときたら......川田のとんでもなく重い蹴りを逃げずに顔面で......いや......むしろ、
自ら顔を差し出す様に向かって行って何度も何度も真正面から受けている。。。



「( ̄◇ ̄;)エッ なんだこれ!? 死んじゃうやんか!? いいの!?」



その三沢さんがある時、TV番組か何か?のインタビューで
その自らが体現する馬場さんから受け継いだ「王道プロレス」の
「王道」という言葉の意味について、
こんな風に語っていたことを目にした事があります。
大体、ですが、それは僕にとって本当に忘れられない言葉でした。。。


つづく!
.....うーーん。。ちょっとマニア向けの記事かな( ̄ω ̄;)




実は、以前務めていた会社は「UWFインターナショナル」の映像権を持っていました。
仕事にかこつけて会場にいれてもらい、たまに試合を見させてもらってましたん (^^)b 喜喜喜
そんな大事なビデオ。高田延彦さんワケーー!!w(*゜o゜*)wオオー!  マニアック!


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999.9 NP-51

2012-11-06 01:56:08 | 感動
999.9(フォーナインズ)という日本の眼鏡フレームメーカーさんがあります。
日本人の顔や骨格を意識して日本人のデザイナー、
日本人の職人さん達によって作られているフレームで、
そのメイド・イン・ジャパン!にしか出来ない様な繊細なつくり、素材、品質には
いつも感激してしまう眼鏡さんです。
そのブランドの2008年の限定モデルが写真の「NP-51」です。
「オリーブ」というカラーのモデルになります。
ちょっと目の悪い僕が最も気に入っていて、
長年愛用している「愛おしい」眼鏡、パートナーです(*'ー'*)



昔、原宿に
「ロイド」という「その道」では有名な眼鏡屋さんがあって、(今もあるのかな?)
そのロイドに置いてある色々な眼鏡の中でも
「999.9」はピカ一の存在感を放っていたメーカーでした。

フォーナインズというそのメーカーは三瓶哲男(みかめてつお)さんという
眼鏡デザイナーさんを中心に数人で立ち上げた会社で、
有名店だった「ロイド」に最初は何度も何度も必死に頼み込んで
やっと商品を置いてもらった......
という所から始まるブランドです。

そんなフォーナインズの数あるモデルの中でも2008年に出たこの「NP-51」のデザインは
今でも並ぶものがあるとは思えないほど素晴らしいものだと
僕は「勝手にですが」思っています。
一目惚れで買ってしまいました。

目が悪い人用の「度入り」のレンズというのは
歪んでしまっては使い物にならないので、
普通はフラットなフレームデザインの眼鏡にマウントされます。
オーバルにラウンドしたフレームにはとてもじゃないですが入れられません。
スポーツ系やおしゃれ系のグラスなどにはマズ入れられません。

そんな中でこの「NP-51」はスポーティーにラウンドしたフレームに
度入りレンズをマウントするために、なんと!
フレームの内側にフレームから浮かせる様にしてレンズを取り付けています。
こーーんな感じです。。



レンズはそのまま曲げる事無くラウンドデザインのフレームから浮かせ、
サイドのフレームラウンドがキツくなる部分では、なんと!
フレームにクロスさせて!取り付けられています。
モノ好きの僕には感激のデザインでございます。

見た目の印象はサングラス的なスポーティーさがあるのに、
度入りのレンズが歪む事無く取り付けられている。。。
しかも、トータルデザインも唯一無二の完成度。。。感激でございます。

しかもこのプラスチックフレームというのは
フォーナインズがコダワリにこだわって仕上げた
「ネオ・プラスチックフレーム」と言われるもので、
とにかく「軽く」て、
でもプラスチック特有の「しなり」が極力抑えられている素材になっています。
センターにある「フローティングタイプ」の鼻アテも
プラスチックフレームに付け始めたのは
フォーナインズが登場する以前はほとんどありませんでした。
フローティングタイプの鼻アテというのは、
実は金属製のフレームに特有のものだったからです。



つい最近、コイツを何処かに置き忘れてしまい、無くしかけた事があったのですが、
翌日、奇跡的に僕の元に返って来てくれました。。
よかったよぉぉーーーっ!!(>▽<;; アセアセ
もし無くしてしまうともう今では買えないのです。。
オークションなどでも出る事はあまりなくて、、
出ても白か黒のフレームにミスマッチな色だったり、やたら高かったり、、



以前も記した、コイツやこいつ......など、
「心から気に入ったもの」と一緒に暮らすというのは
何だかとても素晴らしいことに思えます。
なんだか幸せに思うような時もありますし、勇気をもらうような事もあります。
「え!? 頭おかしいんじゃないの? きみ!?」
なんて思われるかもしれませんが、僕の場合本当にそんな感じです。

選びに選んで、「自分なりに」コダワリにこだわって、
その結果出会えて、手にする事が出来て、そして......だから、とても長く付き合える。
そして、そんなモノの後ろには決まって素晴らしい人......
思いや、情熱を込めている作り手さんがいる。
「NP-51」もそんなモノの一つだと思います。
まだまだ君を超える眼鏡はあまり無い様に思うので、
しばらくのお付き合いお願いします(*゜ー゜*)/



あっ!最近!



「ic! berlin」(アイシー!ベルリン)という
ドイツの若き工業デザイナーが手掛けるブランドがかなり気になっています。。
「ネジが一本も使われていないフレーム」という眼鏡で、
デザインもヤバくて、試しに掛けにいってみたら......すこぶる良かったです。。
ちょっと浮気な気分も......( ̄- ̄)むふー。。


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