雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

部品の行方

2012-08-21 00:05:32 | 願い
部下に勧められて見た
「海洋天道」という韓国映画のエンドロールにこうありました。


「平凡にして偉大なるすべての父と母に捧ぐ」


僕の父は鉄工所をやっています。
昔は会社員だったらしいのですが、僕が物心ついた頃にはもう辞めていて、
代々の実家家業であった鉄工所を祖父から継いだようです。
祖父は、僕が生まれた時には既にいなくて。
自宅前の工場からは、毎日、
父の扱うプレス機が固い鉄板をくり抜く重々しい音や、
フォークリフトの騒音が響いて来て。
僕はそんな音や、鉄を切るバーナーの青白い炎や溶接の火花、
色々なオイルの匂いなどに囲まれて育ちました。

工場の規模は小さくて、忙しい時は人を雇ったり、雇わなかったり。
一家5人が「普通」に食べていけるくらいの、
「普通」を絵にかいたような鉄工所でした。

鉄工作業で鍛え上げた父の体はとても強く、丈夫でしたが、
70代も半ばになった年齢にはさすがにかなわず、
最近はもう重労働である鉄工仕事はあまりしていませんでした。
二人の息子......長兄である僕と弟が10代で家を出て、
数年前に祖母が亡くなってからは母と二人での年金暮らしの様な感じです。



そんな中、
昨年末に父が突然倒れました。
病院に運ばれ、入院。
癌の疑いがあったのですが、様々な検査の結果、
最終的には悪性でない腫瘍と言うことで手術も要らない形に落ち着きました。

年始には退院し、それから暫くは体を休めていましたが、
最近また少し......仕事を始めたようです。

反対をしていた僕に父が言ったのは、
「何もしないでいるのは辛い」
ということと、
「お金はあればあるだけ助かる......」
ということでした。



今、この瞬間、
埼玉県の片隅にあるエアコンの効かない小さな工場では、
白い、何の変哲も無いTシャツを着た僕の父が、
汗だくの老体をゆり動かしながら小さな鉄部品を作っています。
溶接をしたり、プレスをしたり、
今作っているそれは、電車のバッテリーをいれるちっぽけな部品。
父はそれを、人知れず毎日毎日、沢山沢山......作っています。
同じパーツを幾つも作る作業ですからひたすら同じ行程の繰り返しです。
常に寡黙な父ですから、きっと、
そのルーティン・ワークを黙々とこなしていると思います。



きっと父は、その自らの手で丁寧に作っている部品が、
その後どんな人に、どんな風に組み立てられているかなど知りませんし、
知りたがりません。
その部品が、何という型番の車両の、どの部分に積まれているのか。
ましてや、その列車が世界の何処を走る列車で、何線と呼ばれていて、
毎日何人の人をのせて走っているかなど考えたこともないでしょう。
その電車を運転する人も、乗っている人も、
その車両のバッテリーケースが僕の父が作ったものだなんて知りません。



それは、ただ、淡々と、流れていく事実です。



今、この国のどこかでお米を作っているおばあちゃんがいて、
大切なお米の為に害虫や台風、
水害などと毎日毎日向き合っていると思います。
それは、おばあちゃんにとってはただ淡々と、
毎日毎日繰り返される当たり前の作業であり、普通の日常。
誰に知られることもなく、
知らせようとすることもない毎日。



普通とは、きっとそういうこと。



自分のしていることが、どれくらい世界の役にたっているのか。
何の役にどんなふうにたっているのか。
誰の役にたっているのか?
そんなことは殆ど、気にしない限りはわかりません。
でも、そんな普通のことの方が世界の大部分を占めていて、
そんな普通のことが世界の多くを動かしているのだと思います。



それが普通ということ。



テレビでは一見、華やかな場所で、華やかな人達が活躍していて、
その裏にどんな辛く厳しいことがあろうとも、それを見ている人達がいます。
それは普通とは違います。
それは「特別」ということ。
自分のしていることを誰かが見ていて、
良い悪いも全て含めて誰かが知っていてくれる。
それはきっと普通なことではありません。
だから「特別」ということ。



だから、僕は父の仕事をじっと見つめます。
父のしていることをちゃんと知るようにします。
その瞬間、父は「特別」になるから。
普通の人である父も、特別になれるから。



だから母も、弟も、皆、父を見つめます。
だから、家族にとって、父は特別になります。



見るということは、光を当てるということ。



普通の人も誰かが見つめることによって光が当てられ、
きっと特別になります。
それは、家族、近所の人、友達、職場の仲間、通りすがりの人......誰でも。
見つめることによってその人は特別になれます。
誰かが見て、理解することによってその人は特別になれます。



きっと特別とはそういうこと。



普通の人には特別な時を。
そして、特別な人には普通の時間を。



僕の父が作る小さな電車部品の行方は誰も知らないけど、
普通の人が、時々特別になれて、
特別な人が、時々普通になれて、
特別と普通の狭間で、世界が穏やかに回っていくのであれば、
部品の行方は解らなくても、僕はそれでいいと思います。



オヤジの病室に持って行ったお守り
買ったのではなく、自分が持っていたものをあげたので、
何故か開運......( ̄ω ̄;)


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