静岡県に熱海(アタミ)という港町があるのですが、
東京の都心からは普通列車で一時間程度、
新幹線であれば20分ほどで行けてしまいます。
これだけ都心から近くて、
海と山と良質な温泉とが揃う街というのはナカナカに貴重で。
マニアックな方々にとっては初島や大島はもちろん、
伊豆諸島へのフェリーポートなどがあったりもします。
そこへ来て、
最近は地元自治体の積極的で熱い宣伝活動などもあり、
様々なメディアで取上げられるようなことも激増していて、
都心からの移住者もかなり増えてもいます。
そんな諸事の影響があってなのか?
街には都会的なセンスを持つ洒落たお店やホテルなども増えていて。
雰囲気としては新旧カルチャーが入り混じるプチ・グルメタウン的な?
感じもあるでしょうか。
週末などに行ってみると驚くほどの人込み。
年齢層も性別も国籍も幅広く、
もはや「ブレイク中」と言ってもいいかもしれません。
ただ、聞くところによると、
僕の父母の時代にもこんな時期があった様で。
そう考えると、正しくは
「再ブレイク」
「リブランディング成功!」
といったところなのでしょうか。
とにかく人気の街となっています。
かくいう僕さんも、以前
「ニコニコ(^^)BAR」
というシリーズ記事で記した色々な出来事と理由から、
最近はナニカとこの街に行く用事が増えて来ていまして。
ポンチキーなプリリンねーさんにいたっては、神様に言われて!
熱海でも貴重な良質な温泉の元湯を持つマンションを買ったりなんかしちゃって。
すこぶる上等なその温泉風呂には、
いつも上手いこと言って僕さんもよく浸からせてもらったりなんかしてまちて。
ええ。ええ。( ̄∇ ̄)
結構な熱海マン!
になってしまっているという今日この頃だったりもするのです。
......で、
です。
この熱海。
僕さんとしては、以前、
音楽フェスの仕事などでしょっちゅう訪れていた時もあったのですが、
その頃と同様、これだけこの街にお世話になりだしてしまうとなると、
必ず挨拶に行かなければいけない場所というのがあったりなんかしまして。
そこに行かないと安心できないというか、
お尻の座りが悪いというか、
そんなところ。
それが長野県の安曇野市。
その最奥地にある上高地。
かみこうち。
んん?
なんで?
そんなとこ?
って?
海じゃなくて山じゃん!
しかも、上高地なんて言ったら長野でも一番の奥地じゃん。
熱海からもかなり遠いし......
って?
そうなのです。
ピン!と来てる方はわかっちゃっていると思いますが。
熱海(あたみ)というのは、実は、
その地名の起源をたどると「阿多美」となり、
「あずみ」となるのです。
そして、その「あずみ」の意味することとは、
日本各地に稲作を広めた!?という可能性のある古代日本の一大氏族
「安曇氏(あずみし)」
のことであり、全国に散らばるその
「安曇氏=阿曇氏=安曇族」
の活動拠点の一つが熱海であり、
そんな安曇族全体の活動拠点ともなると、読んで字のごとし、
長野県の「安曇野(あずみの)」になっちゃうわけです。
安曇野というのは、
ある時代に安曇氏が移り住んで来て、
何かと切り開いて栄えていった原野なので安曇野。
では、
彼らはいったい?
どこから長野の真ん中に移り住んで来たのか?
それは、
はるか古代の九州。
福岡県版「出島」ともいえる機能を果たしていた志賀島(しがしま)。
安曇氏というのは、
元はこの志賀島を根城として活動をしていた海人族です。
彼らは志賀島の先、
玄界灘の向こう側にある対馬や朝鮮半島や中国はもちろん、
琉球(沖縄)や台湾との交易をその力の根源とし、
当時の朝廷に絶大な影響力を持っていた氏族であるわけなのです。
海の人。うみんちゅ。アマ(海)。
あまさん。あまひと。あまつ人。
かいじんぞく。パイレーッツ!?
それが安曇族。
教科書で有名な「金印」にしても、この志賀島で発見されたもの。
印には
「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」
と彫られていますが......
委の奴の国の王(わのなのくにのおう)とは?
安曇族の国の王ではないの?
と。そんな感じでもあります。
教科書には書かれてませんけど。そんなことは。ええ。
でも僕さんなどは、昔、
福岡市博物館の「新・奴国展」なんていう展覧会にもわざわざ出かけて行って、
金印と遺物のマジマジチェック!
なんんてこともしちゃうくらい気になる氏族さんではあったのです。はい。
そんな一大国の王とまで言える安曇氏は権力を持ちすぎたためなのか?
ある時、古代大和朝廷と大喧嘩をしてしまい、
朝廷は安曇氏の権力を弱体化させるため?に一族を散り散りにし、
日本中に分散させてしまいます。
しかし!
そこは海の子。白波の子。
どんな荒波にさらされようとも、その強さとたくましさは本物で。
安曇氏は海外との交易主だったが故に様々な知識や技術、
金銀財宝を手にしていて。
それらを元に日本全国に拠点をも持っていて。
大喧嘩の後も、
当時、関西から九州を中心に権勢を誇っていた朝廷の
力の及ばないエリアに飛び散って。
現地の人々とも上手く手を組み。
しぶとく、クールに生き残りました。
そんな安曇氏の動きは、
当時の一部特権階級の人々の知恵や技術や産物であったようなものを
広くこの国の人々に伝えていくことにもなって。
稲作や水田の技術、航海術や造船技術、鉄部品の製造なども、
そんな安曇氏が広めたものの一つではないかともいわれています。
今日に至る日本国の財産!
ともいえる様々なモノモノや技術も生み出していったというわけです。
安曇氏とは、いわば、
官から民に下りた「天下り」の官僚さん達。独占企業。
JR!日本たばこ!日本郵便!いや!NTT!みたいな。
そんな感じ。
聖地「志賀島」を離れざるをえなかったそんな安曇氏がまとまり、
次の拠点としていた場所というのが長野県の安曇野というわけなのです。
熱海というのはそんな安曇氏が上陸し、治め、
発展させていった街の一つなのです。
そして、
そんな場所は他にも日本中に沢山あります。
安曇氏ネットワーク。
あのアナウンサーの安住さんも!?
阿積さんも。安積さんも。安津見さんも。
阿住さんも。阿澄さんも。安海さんも。
厚見さんも。厚海さんも、泉さんも。渥美さんも。
愛知県の渥美半島(あつみはんとう)にしても。
元は安曇氏が治めていた半島であり、渥美もアズミ。
全てあずみネットワーク♪
そんな安曇氏が大勢居住していた安曇野には、
志賀島と並ぶ聖地として安曇氏が崇め、奉った場所というのもあります。
それが穂高神社(ほたかじんじゃ)さん。
熱海の地にご縁を頂き、何かとお世話になるのであれば、
僕さんの場合、
その安曇野の穂高神社さんには挨拶に行っとかねばなんねーぞ、と。
もっと言えば、いつ行っても全身に鳥肌が立ちまくる神秘の奥宮さんには、
何をおいてもちゃんと行かねばなんねーぞ、と。
そんなことが熱海を徘徊するポンチキなアチキを
取り囲んで来た状況なのでございまつ。
フェスをやっていたころ以来、
久々にそんな穂高神社奥宮のある明神岳と
明神池の社(やしろ)さんにご挨拶に伺はねばなんねーど、と。
......して、
その上高地。
かみこうち。
これまた本来の名前は違っておりまして。
安曇氏がここを開いた頃に呼ばれていたその名前というのは......
神垣内。
......かみかきうち。
神が降り、遊ぶ庭。
神々の御垣内。
かみがみのみかきうち。
つづきます(^^)
東京の都心からは普通列車で一時間程度、
新幹線であれば20分ほどで行けてしまいます。
これだけ都心から近くて、
海と山と良質な温泉とが揃う街というのはナカナカに貴重で。
マニアックな方々にとっては初島や大島はもちろん、
伊豆諸島へのフェリーポートなどがあったりもします。
そこへ来て、
最近は地元自治体の積極的で熱い宣伝活動などもあり、
様々なメディアで取上げられるようなことも激増していて、
都心からの移住者もかなり増えてもいます。
そんな諸事の影響があってなのか?
街には都会的なセンスを持つ洒落たお店やホテルなども増えていて。
雰囲気としては新旧カルチャーが入り混じるプチ・グルメタウン的な?
感じもあるでしょうか。
週末などに行ってみると驚くほどの人込み。
年齢層も性別も国籍も幅広く、
もはや「ブレイク中」と言ってもいいかもしれません。
ただ、聞くところによると、
僕の父母の時代にもこんな時期があった様で。
そう考えると、正しくは
「再ブレイク」
「リブランディング成功!」
といったところなのでしょうか。
とにかく人気の街となっています。
かくいう僕さんも、以前
「ニコニコ(^^)BAR」
というシリーズ記事で記した色々な出来事と理由から、
最近はナニカとこの街に行く用事が増えて来ていまして。
ポンチキーなプリリンねーさんにいたっては、神様に言われて!
熱海でも貴重な良質な温泉の元湯を持つマンションを買ったりなんかしちゃって。
すこぶる上等なその温泉風呂には、
いつも上手いこと言って僕さんもよく浸からせてもらったりなんかしてまちて。
ええ。ええ。( ̄∇ ̄)
結構な熱海マン!
になってしまっているという今日この頃だったりもするのです。
......で、
です。
この熱海。
僕さんとしては、以前、
音楽フェスの仕事などでしょっちゅう訪れていた時もあったのですが、
その頃と同様、これだけこの街にお世話になりだしてしまうとなると、
必ず挨拶に行かなければいけない場所というのがあったりなんかしまして。
そこに行かないと安心できないというか、
お尻の座りが悪いというか、
そんなところ。
それが長野県の安曇野市。
その最奥地にある上高地。
かみこうち。
んん?
なんで?
そんなとこ?
って?
海じゃなくて山じゃん!
しかも、上高地なんて言ったら長野でも一番の奥地じゃん。
熱海からもかなり遠いし......
って?
そうなのです。
ピン!と来てる方はわかっちゃっていると思いますが。
熱海(あたみ)というのは、実は、
その地名の起源をたどると「阿多美」となり、
「あずみ」となるのです。
そして、その「あずみ」の意味することとは、
日本各地に稲作を広めた!?という可能性のある古代日本の一大氏族
「安曇氏(あずみし)」
のことであり、全国に散らばるその
「安曇氏=阿曇氏=安曇族」
の活動拠点の一つが熱海であり、
そんな安曇族全体の活動拠点ともなると、読んで字のごとし、
長野県の「安曇野(あずみの)」になっちゃうわけです。
安曇野というのは、
ある時代に安曇氏が移り住んで来て、
何かと切り開いて栄えていった原野なので安曇野。
では、
彼らはいったい?
どこから長野の真ん中に移り住んで来たのか?
それは、
はるか古代の九州。
福岡県版「出島」ともいえる機能を果たしていた志賀島(しがしま)。
安曇氏というのは、
元はこの志賀島を根城として活動をしていた海人族です。
彼らは志賀島の先、
玄界灘の向こう側にある対馬や朝鮮半島や中国はもちろん、
琉球(沖縄)や台湾との交易をその力の根源とし、
当時の朝廷に絶大な影響力を持っていた氏族であるわけなのです。
海の人。うみんちゅ。アマ(海)。
あまさん。あまひと。あまつ人。
かいじんぞく。パイレーッツ!?
それが安曇族。
教科書で有名な「金印」にしても、この志賀島で発見されたもの。
印には
「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」
と彫られていますが......
委の奴の国の王(わのなのくにのおう)とは?
安曇族の国の王ではないの?
と。そんな感じでもあります。
教科書には書かれてませんけど。そんなことは。ええ。
でも僕さんなどは、昔、
福岡市博物館の「新・奴国展」なんていう展覧会にもわざわざ出かけて行って、
金印と遺物のマジマジチェック!
なんんてこともしちゃうくらい気になる氏族さんではあったのです。はい。
そんな一大国の王とまで言える安曇氏は権力を持ちすぎたためなのか?
ある時、古代大和朝廷と大喧嘩をしてしまい、
朝廷は安曇氏の権力を弱体化させるため?に一族を散り散りにし、
日本中に分散させてしまいます。
しかし!
そこは海の子。白波の子。
どんな荒波にさらされようとも、その強さとたくましさは本物で。
安曇氏は海外との交易主だったが故に様々な知識や技術、
金銀財宝を手にしていて。
それらを元に日本全国に拠点をも持っていて。
大喧嘩の後も、
当時、関西から九州を中心に権勢を誇っていた朝廷の
力の及ばないエリアに飛び散って。
現地の人々とも上手く手を組み。
しぶとく、クールに生き残りました。
そんな安曇氏の動きは、
当時の一部特権階級の人々の知恵や技術や産物であったようなものを
広くこの国の人々に伝えていくことにもなって。
稲作や水田の技術、航海術や造船技術、鉄部品の製造なども、
そんな安曇氏が広めたものの一つではないかともいわれています。
今日に至る日本国の財産!
ともいえる様々なモノモノや技術も生み出していったというわけです。
安曇氏とは、いわば、
官から民に下りた「天下り」の官僚さん達。独占企業。
JR!日本たばこ!日本郵便!いや!NTT!みたいな。
そんな感じ。
聖地「志賀島」を離れざるをえなかったそんな安曇氏がまとまり、
次の拠点としていた場所というのが長野県の安曇野というわけなのです。
熱海というのはそんな安曇氏が上陸し、治め、
発展させていった街の一つなのです。
そして、
そんな場所は他にも日本中に沢山あります。
安曇氏ネットワーク。
あのアナウンサーの安住さんも!?
阿積さんも。安積さんも。安津見さんも。
阿住さんも。阿澄さんも。安海さんも。
厚見さんも。厚海さんも、泉さんも。渥美さんも。
愛知県の渥美半島(あつみはんとう)にしても。
元は安曇氏が治めていた半島であり、渥美もアズミ。
全てあずみネットワーク♪
そんな安曇氏が大勢居住していた安曇野には、
志賀島と並ぶ聖地として安曇氏が崇め、奉った場所というのもあります。
それが穂高神社(ほたかじんじゃ)さん。
熱海の地にご縁を頂き、何かとお世話になるのであれば、
僕さんの場合、
その安曇野の穂高神社さんには挨拶に行っとかねばなんねーぞ、と。
もっと言えば、いつ行っても全身に鳥肌が立ちまくる神秘の奥宮さんには、
何をおいてもちゃんと行かねばなんねーぞ、と。
そんなことが熱海を徘徊するポンチキなアチキを
取り囲んで来た状況なのでございまつ。
フェスをやっていたころ以来、
久々にそんな穂高神社奥宮のある明神岳と
明神池の社(やしろ)さんにご挨拶に伺はねばなんねーど、と。
......して、
その上高地。
かみこうち。
これまた本来の名前は違っておりまして。
安曇氏がここを開いた頃に呼ばれていたその名前というのは......
神垣内。
......かみかきうち。
神が降り、遊ぶ庭。
神々の御垣内。
かみがみのみかきうち。
つづきます(^^)