雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

飛騨高山徒然 10

2024-10-28 00:02:35 | 面白い...パワスポ寺社
ということで。
飛騨高山の徒然話は、
最後にこの一件で確信を得た
「私的なことでない部分」
を記し残して一旦仕舞おうかと思います。
もう一回だけ続かせていただきます。






日本最古の書と言われる「古事記」。
「日本書紀」に遡ること8年前、712年に完成された古書。
現在に至るまで「大部分」史実が記されている
歴史書としての価値も認められています。
編纂(へんさん)の始まりは、
天武天皇が焼失してしまった「天皇記」や「国記」に代わる
国史の書の作成を命じたことで、
その編纂方法は、
当時28歳で高い識字能力と記憶力を持っていた
「稗田阿礼(ひえだのあれい)」
に「帝紀」や「本辭 (ほんじ)」などの多くの文献を
誦習(しょうしゅう=読み聞かせる)させ、
その後「太安万侶(おおのやすまろ)」が
阿礼の誦習したものを聞き取りながら編集し、
完成させたものと伝わっています。



——————聞き覚えられたものを、
聞き取りで編纂したという書————————



当時、稗田阿礼の天才的で驚異的な記憶力と頭脳は
とても高い評価を得ていたようで、
一度聞いたことは全て記憶してしまう人であったそうです。
古事記の序文にはこんなことが記されています。



===========================
そのとき、一人の舎人(とねり=宮使えの人)がいた。
姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。
聡明な人で、
目にしたものは即座に言葉にすることができ、
耳にしたものは心に留めて忘れることはなかった。
すぐさま(天武)天皇は阿礼に

「帝皇日継(ていおうのひつぎ。帝紀)と
先代旧辞(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」

と命じた。
===========================



この「天才」と称された稗田阿礼さん。
僕としては、ですが。
稗田(ひえだ)でなく、
飛騨の阿礼さんです。



今に至るまで性別すらも確認されていない謎に満ちた人物ですが、
僕的には女性。
巫女職的な方。
元々は飛騨の地で神の言葉も降ろす、
畏怖される才能を持つ巫女さんとして住まわれていた方であって。
その評判が都の造営建築のために呼び寄せられ、
都に移り住んでいた多くの飛騨の木工職人さん達から
権力組織の中枢にまで及び伝わり。
それで時の天皇より直々に
都に招き寄せられたのではないかと思われます。
阿礼(アレ)とは巫女を表す呼称でもあり、踊り、神懸る
天鈿女(アメノウズメ)」さんの血脈を示す名でもあります。
それがポンチキな僕の個人的理解であり認識。
そして、今回の飛騨高山の徒然なるお話は、
極私的なこと以外の部分では、ずっと、
その稗田阿礼さんの影響下での動きでもありました。
阿礼さんは、今、
この国の天地自然の動向や状態をとても心配しておられるようです。
その辺はねーさんの方に細かい言葉が降りているかと思いますが、
僕に関してはとても大雑把な理解。感覚。



6」の記事の中で、神様が

「富士と飛騨は繋がっている」

と言っていた部分は、おそらく、
この列島の成り立ちに関係していて。
太古の日本周辺の学術的地殻変動図を
書籍やネットで探し見てみるとこんな感じで......





拝借させていただいた上の図では2段目、
1700万年前~600万年前頃の移行図などがわかりやすいでしょうか。
白山から飛騨高山にかけての一帯は太古の昔から海上に出ていて、
その後、富士山周辺の造山活動が活発化するとともに、
600万年前ぐらいまでに両地は繋がっていきます。
どちらもとても古い時代から海上にあった地であり、特に、
より古い飛騨高山の地には他の動物や生命と共に
人々も早くから住み着いていたことも想像できます。

以前も「白山徒然」という記事で記していましたが、
白山は山容を見れば、
以前は4000メートル級の山であったことも想像できますし、
乗鞍岳も相応の高さをもつ霊山です。
飛騨地域も含めたこの一帯からは恐竜はもちろん
日本最古の化石も出土しています。
それぐらい古くから動植物の営みが刻まれている地。
自然に考えても大和朝廷が全国支配を進めた以前に
なんらかの有力な独自国家や王朝的なものがあった可能性は
非常に高いと思います。


稗田阿礼さんはそんな頃の出来事や神話なども記憶していて、
神々の言葉も降ろしていたりしていたのではないかと。
天皇から白羽の矢を建てられたということは、
焼失してしまった重要文献などにしても
一部記憶していた人なのかもしれません。

古事記編纂時には飛騨の地への愛着ゆえに、
その辺の言葉も意図的に混ぜ入れた......
もしくは、自覚無しに自然と混ざってしまった......
可能性もあるのではないかと僕は思っています。
その中には、
当時の朝廷が最も消したかった神「ニギハヤヒ」の
飛騨における痕跡なども含まれているかとも思います。
古事記の話の中には部分的に古(いにしえ)の飛騨国の話も
含まれている可能性がある......ということです。
僕らポンチキーズの認識では、
ニギハヤヒさんは「古代富士王朝」建国の祖である
スサノオさんの御子息神。
当然、その頃から飛騨と富士との関係はあったでしょう。

同様に、
国を統一せんとしていた頃の天皇家と古代飛騨国も
特別な繋がりがあったのではないか......ということです。
歴代天皇が権威象徴ともしていた笏(しゃく)を
位山(くらいやま)の一位(イチイ)の木と定めて来たことにも
理由があるはずなのです。
材質の良さでは他所のイチイにしてもあるはずですし。

水無神社(みなしじんじゃ)の創建にしても、
実のところ全くわかっていないという部分には、
古代の有力な地域王朝が関係している可能性も考えられますし、
飛騨地域の古い神社の祭神をつぶさに見ていけば、
その王朝にニギハヤヒさんが絡んでいた可能性は強くあります。
ココでは過去幾度も記して来てますが、
大歳神や大物主神、金比羅、金刀比羅などは、
「場合により」ニギハヤヒの別名として使われ来てもいますので。



今回の徒然旅の最中には、
稗田の.....飛騨の......
阿礼さんはそんなことを僕に伝えんともしていました。
自宅に帰ってきた時の空は、なんだか、
とても沢山の神々が手を振ってくれていたように、
勝手に思っていたりなんかします。(^^)







今回で一旦仕舞うはずだった飛騨高山の徒然話ですが、
折角なので、大好きな高山の街の美味しいものでも
記し残しておこうかと思いつきまして。いま。
ええ。ええ。
もう一回だけ。追加で♪(^^)



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2
飛騨高山徒然 3
飛騨高山徒然 4
飛騨高山徒然 5
飛騨高山徒然 6
飛騨高山徒然 7
飛騨高山徒然 8
飛騨高山徒然 9


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飛騨高山徒然 9

2024-10-24 00:00:31 | 不思議...パワスポ寺社
「天気あまり良くないみたいで、、
ごめんなさい。
結局、熱出しながら寝ます。
明日、YUさんは運転の用意をおねがいですー(*´ω`*)」



2人に迷惑かけまくりな極々私的なポンチキ話は、
もうちょっとだけ続きます。



今回はグネグネの山道を避けて、
距離はありますが高速がダイレクトに繋がる
名古屋から飛騨高山に入るルートを選択。
なので皆とは名古屋駅集合。
綺麗な富士山を横目に見ながら新幹線で向かうことに。
しかし僕さん、この日の朝になっても熱は下がらず。
かれこれ5日以上こんな調子で体はズタボロ。

「しょうがないな......
熱の様子を見ながら行くか......
いざとなったらその辺の病院に駆け込むべ......」

そう考えた僕は体温計を持って出かけることにしました。
朝起きた時の熱は下の写真の通り。



新幹線に乗ろうと、
駅のホームでぐったりしながら測った時の写真。



名古屋駅に着き、レンタカーを借りて、
皆と落ち合った僕さん。
会うなり、早々にYUさんにドライブの依頼。
やはりまだ熱が下がらず......



YUさんとねーさんが前の席で
楽しくおしゃべりドライブをしている中、
僕さんは後ろの席全てを使って横になり、

「できるだけ寝てやるぞ!回復させるぞ!」

という状態に。
途中のサービスエリアでの体温計。



「おお!?
下がってきた!もう少し!」

さらに寝まくる僕さん。
気がつくと
飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)」に到着。
流石の安定YUさんドライブ。



しかも天気予報は外れて快晴。
すげ〜♪
熱は、、と、、



「下がってるやんけーーっ!(((o(*゚▽゚*)o)))
にゃんとまーーっ!」



毎度の形で3人でビシッと参拝。
いつもの場所......
「チバカの桂」での祝詞はボロボロの体のせいで全く声が出ず。
それでも振り絞るような声でなんとか奏上。
とにかくココに来れたことに感謝。



位山(くらいやま)は登らず、
飛騨山王宮日枝神社(ひださんのうぐうひえじんじゃ)」へ。



今回の目的である拝殿横の富士神社に到着。
長かったここまでの道のり。
富士山本宮浅間大社で頂いてきた御朱印を
フォトフレームに入れて持っていきました。





お酒と共に手を合わせ、お祈りと報告をして。
僕は御朱印のフレームを手に取って、

「うりゃ!
熱にも負けないで来たったで!
御朱印も貰ってきたから!
額にも入れたし、
約束は果たしたからなぁぁーーっ!」

的な自慢げな顔で、
境内にいる見えない皆々様に御朱印を高く掲げるようにして
ドヤってみました。
すると......



光った!
なんて感じの写真が!撮れたみたい!
凄い!嬉しい!
ねーさん!YUさん!
こんな馬鹿げたことに付き合ってくれてありがとう!
写真も撮ってくれてありがとう!
とても感謝なのでする!
本当にありがとう!



その後は皆で高山の街をそぞろ歩きして、
僕さんの定宿的なお気に入りホテルさんにチェックイン。
僕さんは部屋に入ったとたんバタンキューのおやすみさん。
お二人はゆったり温泉三昧......とのこと。
翌日はいつもの宮川朝市でおにぎりを食べて......





前回、壮大な日輪で迎えてくれた?
富士山行きをアオってくれた?
櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)」まで食後のお散歩。
お空はぴーかん。





どや!
やりきったで!
わーーはっは!( ̄∀ ̄)
熱にも負けへんかったでぇー!
なんていう生意気な報告を。



ということで。
飛騨高山の徒然話は、最後に、
この一件で確信を得た
「私的なことでない部分」
を記し残して一旦仕舞おうかと思います。
もう一回だけ続かせていただきます。



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
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飛騨高山徒然 8

2024-10-20 00:15:05 | 不思議...パワスポ寺社
神社を出ても、
相変わらず上空には大きな日輪が輝いています。



「......帰ったら、早めに行こう。
富士山本宮浅間大社......」



日輪の美しさに僕は改めてそんな決心をして。
この日、東京へと戻りました。
続きます。




飛騨高山から戻り、
早々に向かった富士山本宮浅間大社。
この頃やたらと

富士山、富士山、、」

と言っていたプリリンねーさんも、
ここまでの飛騨高山の経緯を話したら同行してくれることに。
それと、

富士宮焼きそばがたべたーーい!(^ν^)」

とうるさすぐるコニャ(アホの奥ちゃま)も連れての参詣。



焼きそばは鳥居横にある
ここずらよ」さんでいただきさん。



コノハナサクヤヒメさん(木花咲弥姫)らしい
「花の舞」という日本酒と、
甘いものとお茶を差し入れ。
勿論、直ぐに下げて後で皆でいただきます。





この日は社殿補修の募金もやっていたので、
僅かばかりですが寄付もさせて頂きました。



もう幾度来たか分からない神社さんですが、
この日はふと気になった御朱印なるものを購入。
何故か?この札を飛騨高山の富士神社にもっていかねば......
と思ったのです。
その後はねーさんが行ったことがないというので「白糸の滝」に。





滝につくと、
滝を覆う木々の間にまたもやの日輪が。
ボーっと見ているうちに直ぐに消えていってしまったので、
消えかかりの写真になりますが......





富士山本宮から帰ると、
僕はTBさんに諸々の報告がてらここまでの事を話してみました。
すると、TBさんはこんなことを言ってきました。

もう一度飛騨高山に行くと良いかもしれません

僕が御朱印をもらった時に感じたことと同じ......
となれば、もう一度飛騨高山に行かねば......と、
その後、僕は良きスケジュールを探っていたのですが、
なかなか思うようにいかず。
気がつくと富士山本宮から帰って2ヶ月ほどが経ってしまいました。
そんなある日。
僕はポンチキーズのグループラインにこんなことを入れます。



「今、駅なんだけど、暖かい神様が来てる。
なんだろ。
何か言ってる、、ねーさんわかるかな」



すると、
ねーさんからはこんな返事が。



イラタ(天之御中主神の別名)だ。
待っているよ。
飛騨高山だ。
だって」



すかさず、
今度はポンチキみゆきちゃんから......



「さるぼぼが話しかけてきているのでよろしくお願いします」



まったく。2人とも。
ポンチキも休み休み言いなはれ......的発言。
ま、いつものことですが。
だいたい、
みゆきちゃんは「さるぼぼ」なんて知らないハズでして。
それでもこんなことを言ってきやがるわけで。
ねーさんはその言葉にこんな返答をしていました。



「さるぼぼは飛騨高山に来ると聞いたので話してきたらしい。
話した後に調べたら飛騨高山の人形でビックリした。
だから買ってきましょう。
みゆきちゃんにもね」



いつの間にか!?
ここでねーさんの飛騨高山同行が決定。
2人でスケジュール合わせをして日程を決めるという流れに。
聞けば、ねーさんは飛騨高山には行ったことがなく。
一度行ってみたかったとのことで。
じゃぁ、と、もう1人行ける人がいるといいね、と、
ドライビングも得意なYUさんの同行も決定。
元々は極私的な僕とTBさんとの会話から始まったことだったのですが、
最終的には3人で仕上げ?
の飛騨高山に向かうことが決定しました。



——————しかし、しかし。



例によって、また。



ナニカの邪魔が入ったのか!?



飛騨高山に向かう5日ほど前に。



僕さん。



突然の発熱。



ぶっ倒れ。



2日ほど完全に寝込んでしまいます。



数日熱が上がったり下がったりを繰り返し、
体はボロボロ。
飛騨高山のこともあるので、
医者にも行ってみたのですが......



「症状的にはマイコプラズマの可能性もありますねぇ。
今とても流行ってるので。わかりませんが。
とりあえずそれも見越したお薬を出しておきますね、、」



と、そんな感じ。
本当に、どうして?
毎度毎度こんなことに。
こんなメに。
自己嫌悪。最悪。
僕はこんな状況を高山同行メンバーの2人に伝えると、



「無理に行く必要はないよ、、」



と2人とも言ってくれたのですが、
しかし、僕はなんとしても行きたくて。
高山に向かう前日までなんとか体を戻そうと格闘していました。
しかし、熱はいっこうに下がらず。
僕はベッドに横たわりながら、
色々わかっているだろうし、
僕のこんな状況をいつも目の当たりにしている
ねーさんにラインをしました。
念の為、
大袈裟と思われないよう測りたての体温計写真も添えつつ......



また命懸けのことになると思う。
心臓が痛むけど、昨日よりは良いからなんとか抜けたい。
スケジュールも貴重だし、、、

(中略)

一応、ねーさんに確認したいのだけど、
神様は高山に来るな!ということではないよね?
みゆきのところにサルボボまできているのだから。
どうかな。

(中略)

本当に厳しいことばかりでさ。
今日、あまりに辛くて神様に文句言っちゃったりもしたし。
ほんと、どうしていいかわからなくなっちゃってるんだよ」



ニギハヤヒは、待っているよと言ってるけど」



この言葉を受けて、
僕は飛騨高山徒然旅用に作った3人のグループラインに
決行の判断を入れることにしました。
スレを見ると前日の15時10分のことでした。



「飛騨高山に行くことにします。
せっかく諸々押さえたのと、
体はもうどーでもいいので。
俺が高山に行き出してから始まったことなので、
早くカタをつけたく。そんな感じです。
すいません。

(中略)

俺がやばい時はYUさんも運転の用意を何卒、お願いします。
そんな感じで、よろしくです。

(中略)

俺は、俺のために、
神様と向かい合いに行きます。
話したい事が山ほどあるので。今回。
疲弊してるけど、果たしに行くつもりです。
飛騨高山は元から俺の話なので。
皆さんは心配も関係もなく。
お気楽に楽しんでください。

(中略)

天気あまり良くないみたいで、、
ごめんなさい。
結局、熱出しながら寝ます。
明日、YUさんは運転の用意をおねがいですー(*´ω`*)」



2人に迷惑かけまくりな極々私的なポンチキ話は、
もうちょっとだけ続きます。



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飛騨高山徒然 7

2024-10-16 00:03:37 | 不思議...パワスポ寺社
後からわかったことなのですが、
飛騨山王宮日枝神社はこの高山陣屋の鎮護神でした。
お話はもう少し続きます。






高山市内のホテルに宿泊した翌朝。
僕は朝食をとろうと街の名物でもある
宮川沿いの朝市に向かいました。
高山名物「宮川朝市」なるもの。
ここには高山に来ると必ず行く
お気に入りのおむすび屋さんがあるのです。



そのおむすび屋さんのほど近くには、
秋の高山祭を主催するもう一つの市内重要社である
「櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)」があるので、
僕はおむすびを食べた後に、
朝のゆったり散歩で伺おうと思っていました。
春の高山祭は前回記した通り
飛騨山王宮日枝神社(ひだたかやまさんのうぐうひえじんじゃ)
の主催なのですが、
秋の高山祭のほうはこちらの神社さんが主催となります。
こちらの神社さんも街の人にとても愛されている重要社。
僕はゆったりと朝食をとって、
神様用のお酒も買って、
ゆるゆると宮川沿いに立つ神社の鳥居の前まで歩いて行きました。



すると.....





壮大......
神気が強くて、言葉も出ず......







宮川にかかる橋と鳥居越しの壮麗なる日輪
全日の陣屋でのことも含めここまで毎回毎回出ると、
もう、なんと理解すれば良いのか......



毎回とはいえ、
こんなタイミングでの日輪にはいつも感動してしまい、
聖地の真上に輝く神々しさには涙が溢れそうにもなります。
飛騨高山の街の美しさと相混じったこの時の日輪の風景は、
僕は生涯忘れることはないと思います。



天空の日輪に見守られながら境内を一通り巡ります。
琴平神社、天満宮、照崎神社、お稲荷さん......
高山祭屋台会館などの博物館的な建物もあります。
本殿脇には高台へと登る階段が。
上には「飛騨山王宮日枝神社(ひださんのうぐうひえじんじゃ)」
と同様に火伏の秋葉神社があるようです。





拝殿前にあるこの石にお酒を。



神社を出ても、
相変わらず上空には大きな日輪が輝いています。



「......帰ったら、早めに行こう。
富士山本宮浅間大社......



日輪の美しさに僕は改めてそんな決心をして。
この日、東京へと戻りました。
続きます。



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飛騨高山徒然 6

2024-10-12 00:16:25 | 不思議...パワスポ寺社
この富士神社の案内板を見た瞬間、
僕は再びTBさんとねーさんの言葉を思い出し、
背筋が凍りくような感覚に襲われ、
しばらくその場に立ちすくんでしまいました.......
お話はもう少し続きます。




僕は驚きつつも、ここまでの経緯を思い、
背中のゾワゾワ、ゾクゾクが止まらないまま
掲示板の通りに神社の拝殿奥の方へと進みました。
するとまた掲示板が出て来て......



そこは拝殿の真横で、壁の中に小さな入り口がありました。
入り口の先は壁で覆われているので外からは全く見えない一角。
中に入ると、拝殿を真横から見る、
神社の中庭と呼べるような空間があって、
そこに富士神社と呼ばれる社殿がありました。





「なぜ山王神社(さんのうじんじゃ)の中に?
こんな神社があるんだ?」



僕は社(やしろ)の前でしばし呆然と立ち尽くしてしまった後、
目前にあった説明書きを読み込んでみると......



============================
富士社社殿は、もとは日枝神社の本殿として、
寛延元(1748)年に建てられた。
松田太右衞門による現存数が少ない神社建築である。
流造りに千鳥破風(ちどりはふ)、
軒唐破風(のきからはふ)を取り入れた屋根形態で、
珍しく極彩色が施されていた。
昭和10(1935)年、豪雨で裏山が崩れて本殿が倒壊したため、
昭和13(1938)年に新本殿を建てた。
旧本殿は破損箇所を修理して、末社殿として移築し、
富士社となりました。
平成7(1995)年に外観の極彩色の修理が行われ、
当初の美しい色彩が蘇った。
「富士社社殿附棟札(ふじしゃしゃでんつけたりむなふだ)」
として県指定重要文化財になっている。


============================



何故?
コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)さんの富士神社にしたのか?
はどこにも記されていなく。
山王神社の神様に聞いても



「この地と富士とは繋がっているのだ」



としか答えてくれず。



......しかし、驚くべきはTBさん......
アノ人、飛騨高山なんて来たことないし......
この神社のことも知らなかったハズなのに。
でも、という事は、
この後、富士山本宮に行って、また!?ここに!?
戻ってこないといけないのかな......」



僕はTBさんの言葉通りになっていることに心底驚き、
近く、もう一度ココに戻る決意をしました。



「なんだかよくわかりませんが......
ねーさんも富士山と言っていましたので、
また戻ってくることにします。
少しお時間をください。
なにとぞ......」



富士神社に手を合わせながら、
僕はそんなことをボソボソと呟きました。
その後、心身に妙なシビレを感じたまま、
隣にある「産土社(産霊社)」にも合掌。



境内も一通り散策。
天満社や稲荷社もありました。









そんな飛騨山王宮日枝神社を出ると、
市街地に入る直前にあった
「高山神明神社(杉箇谷神明社)」にも立ち寄ることに。
斜度のある階段を上る神社さん。
日枝神社の境外末社のようです。
本殿横に聳え立つ御神木の杉の巨木は樹齢300年以上だそうで......





その御神木の横にはさらに上へと登る階段が。



登った先にあった秋葉神社。
街を火災から守る火伏せの神。
だからなのか高山の街を見渡せます。





そんなこんなの参拝を終え、
ようやく高山市街の中心地である「高山陣屋」に到着。
早朝からのドライブで4つもの神社を訪ね歩いた僕は
少々の疲れを覚え、ここで車を駐車。
街中のカフェで一休みすることに。
車を降りて、ふと、陣屋の上の空を見上げると......
いつもの!?日輪が出ていました。





後からわかったことなのですが、
飛騨山王宮日枝神社はこの高山陣屋の鎮護神でした。
お話は続きます。



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飛騨高山徒然 5

2024-10-08 00:01:31 | 不思議...パワスポ寺社
—————————と、そんな感じで、
僕が初めてこの地を訪れた時のことを思い出しながらのドライブ。
やがて、見えて来ました......
飛騨一宮 水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)。
これまでも幾度か訪れてきた場所。
久々の参詣。
お話は続きます。



到着♪
水無神社。
今回、久々にココに来ることを決めたきっかけとなった
TBさんに言われた言葉が頭の中をグルグルと回ります。
そんな参拝......



獅子とは違う容姿の狛犬さん。
本来は秩父の三峯神社さんのように
狼さんであったのではないかと思われます。



右に巨大な御神木を見ながら入る境内は広々としていて、
隅々まで行き届いている掃除が清廉な空気を生んでいます。
その清廉な空気は不思議となぎの海のようにフラットで、
実は、強い神気は感じられない感覚。
そして「水無」という名前とは真逆に、
常に水の気がさらさらとうっすらと流れていて、
そのおかげで境内にはチカラがこもらない感じ。
その感じは神様のいないことが多い神奈川の
寒川神社さんなどととてもよく似ているのですが、
ただ、どこかしらに?
強力なナニモノかがいるような微かな神気が極々うっすらと、
透明ともいえる感じで紛れ漂っています。
その辺が寒川さんとかと違う感じでしょうか。
しかし、そんな薄い感覚は本殿の前に立つと一変。
ドン!と真っ直ぐで強力な山の様な神気を感じさせられます。
そんな感覚の大きな差がこの神社の特徴でもあるでしょうか。
お酒を配りつつ、アチコチ参拝。



境内で一際特異なチカラを放つ「ねじの木」



下は白と黒の神馬さん達を祀る社(やしろ)。



菊理姫(きくりひめ、くくり姫)さんの
白山神社もあります。



稲荷社も。
かなりチカラのあるお稲荷さん



例の場所......「チバカの桂(かつら)」の社(やしろ)は、
前々回記事のコメント欄にsatokoさんが入れてくれたように、
以前、社の下に置かれていたモノは今は無くなっています。



桂の木の根元の方には人型っぽい鬼瓦?またぎ瓦?
みたいなものが置かれていたりも。
相変わらず人が来ない場所なので、
ここでも持って来たお酒を捧げつつ、いつもの祝詞を奏上。





「今回はあまり時間がないので
位山(くらいやま)には登りませんが、
折角なので、今回はこれまでちゃんと行けていなかった
市内の神社さんにお伺いしようかと思っています。
何卒、道中のお導きとご加護を......」



と、ここではそんな挨拶と参拝。
お酒も届けながら神社を一通り周りました。
頭の中には相変わらずTBさんに言われた言葉が巡っています......



「———————それと、
その後に......
なんでしょうか......
富士山が見えるのです。
富士山の神社......表?の方?
メインで中心となるところ。
高山から戻ったらソコにも行くと良いかと思います。
順番はそれで......
無理はしないでくださいね。
もし行けるようなら、で————————」



ねーさんの言葉もチラホラリ......



「最近ね、神様がみな富士山、富士山、て言うのよ......」



そんな感じで一通りの参拝を終え、
僕はそのまま高山市内へ戻ることに。
道すがら、以前から寄ろう、寄ろう、と思いつつ
一度も寄ったことの無かった
「飛騨山王宮 日枝神社(ひださんのうぐう ひえじんじゃ)」
さんに立ち寄ることにしました。





有名な春の高山祭(山王祭)を主催する神社さん。
高山に春を告げる祭り。
鳥居を潜り、階段を登って、
綺麗に清められている境内を歩きます。
とても良い神社さん。
沢山の映像作品でもモチーフにされているそうです。



そして、
本殿の前に着いて手を合わせようとすると......
賽銭箱の横に思いもよらない驚きの案内版が......



「うえええっ!?!?!?
ふ、富士?神社!?
うそ!?
別にあるの?本殿の奥?山王神社で?
なんで?
飛騨の高山で!?
どーしてよ?
こんなところで富士山?って.......!?」



この富士神社の案内板を見た瞬間、
僕は再びTBさんとねーさんの言葉を思い出し、
背筋が凍りくような感覚に襲われ、
しばらくその場に立ちすくんでしまいました.......
お話はもう少し続きます。



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飛騨高山徒然 4

2024-10-04 00:01:09 | 不思議...パワスポ寺社
水無神社に向かう道すがらに思い出していた昔話は、
もう少しだけ続きます。




水無神社(みなしじんじゃ)から位山(くらいやま)に向かうと、
途中、山の入口となる道の端に
「位山白銀神社(くらいやましろがねじんじゃ)」
という小さな神社がありました。
社(やしろ)の背後には
祭祀に使われていたような雰囲気の巨石があります。



ココは外せない関所的な場所だな......と感じた僕は車を降り、
これから山に入らせてもらうことを報告。
古い神様なので濁り酒を捧げつつ、
お許しと加護をお願いしました。
祭神名は分からない神社のようでしたが、
「シロガネ」という名前からしても、やはり、
ここでもニギハヤヒ(饒速日命)さんを感じさせられます。
東京都港区の白金もそうですが、
僕の認識では「白銀」とはニギハヤヒさんと強く結びつく金属であり、
改めて、この地はニギハヤヒさんの地であるのだな、と。
そんなことを思います。



先を進むと、
冬はスキー場ともなっている位山下部の山肌が見えてきます。
山頂へはこのスキー場のリフトからも登れるのですが、
車で山上の登山口まで行ける山道もあるので、
僕はそちらの道をチョイス。
ちなみにこのスキー場の名前が面白く。
その名も「モンデウス飛騨位山スノーパーク」
モンデウスとは「モン=山、デウス=神」で、
「神の山」という意味。
この山が古来より如何に人々の強い信仰を受けて来たのかが
こんなところでも感じられます。
建物の向こうに見える雪を被った美しい山は
御嶽山(おんたけさん)。



山道は山頂にほど近いところまで上がれて、
駐車場もしっかりあります。
石碑に刻まれているように、
ここが「飛騨一宮水無神社奥宮」の入口。
この鳥居をくぐって登っていきます。



......ですが、
そのすぐ横には霊山らしくミステリアスな!?オブジェが。
神がかった個人の方が建てたものらしいのですが、
山の雰囲気を少々特殊なものにしてしまっている感じ。





特徴的な「狛龍」的なオブジェもあるのですが......
このブログでは省きます。
下の写真の石碑に写り込んでますので、
それで雰囲気を感じてもらえればと。
今や検索しても沢山出てくると思いますし。ええ。



登山道のガイド看板。
古い写真なので今はもっと新しくなっているかと?
思いますが、このように登っていくことになります。
「思惟の山道(しいのやまみち)」とのこと。



登り始めるとわかりますが、とても優しい山。
登山というよりトレッキングな感覚。
ただ、とにかく沢山の磐座と祭祀場があります。
修験道の人々も昔から沢山いたであろうことも
ひしひしと感じさせられます。





禊岩(みそぎいわ)と
御門岩(みかどいわ)。





朧岩(おぼろいわ)と日抱岩(ひだきいわ)と
光岩(ひかりいわ)。







豊雲岩(とよくもいわ)と
餅ノ岩(もちのいわ)。





八重雲岩(やえぐもいわ)と
蔵立岩(くらたていわ)。





そして、水無神社の奥宮とされる
「天の岩戸(あめのいわと)」へと辿り着きます。
ここでは持って来たお酒を......









近くには「天の扉」などというものや......



その先の山頂近くには鏡岩(かがみいわ)。
御霊岩(みたまいわ)なるものも。





とにかく磐座(いわくら)だらけの登山道ですが、
ココでは名前がわかるモノだけを載せてみました。
そして、「天の岩戸」を越えると山頂エリアに入ります。





この一帯は見通しも良くなっていて、
展望広場もあります。



白山や乗鞍岳、木曽の御嶽山が奇麗に見晴らせます。
以下の写真はその順番になっています。







位山はこのエリアの分水嶺となっているところに、
その特別さの一端があると思うのですが、
こんな霊峰三山の間に位置してソレゾレの姿がよく見える......
という部分にも特別さがあるのではないかと。



こちらが山頂。
辺りには山頂守護の為の!?
修験ぽい小さな社などもありますが......



一番のポイントはこの三角錐(さんかくすい)の石。
もし、位山を天然のピラミッドだとするならば、
この石がキャップストーン的なものとなるでしょうか。
天に昇り立つ強い気を放つ石。
かなりのエネルギー。
この山のキーストーン。





ここで、
祈りと共に最後の濁り酒を。





近くには山頂なのに水が沸き出でるという、
「天の泉」というスポットもあります。
まさに御神水。









そんな位山の山頂からまた麓へと下り。
高山の街で何か美味しいものでも......と街に入ってみると、
なんと、偶然!
この時は有名な高山祭=山王祭の日でもありました......







日本三大美祭と言われる祭り。
壮麗な山車(だし)が華やかに街を巡っていました。





—————————と、そんな感じで、
僕が初めてこの地を訪れた時のことを思い出しながらのドライブ。
やがて、見えて来ました......
飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)。
これまでも幾度か訪れてきた場所。
久々の参詣。
お話は続きます。



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