雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

ええええぇぇ!?

2014-03-31 00:06:21 | 面白い...映画/音楽
「ソフトバンクのお父さんの声って誰だっけ?」



と、TVを見ながらフト思い、
ウチのコニャ(おくさん)に聞きました。
すると......



「え!?知らないの!?伊武雅刀だよ!(^^)ニコニコ」



え!?Σ(-`Д´-ノ;)ノ

ええええええええ
ええええええええええええ
えええええええええええええええええええ
ええええええええええええええええええええええええええ Σ( ̄ロ ̄lll)!?

んなわけねーーーーべよぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!

伊武雅刀(いぶまさとう)なんて俺が一番のファンなんだからよぉぉぉ!
だったらすぐわかるってんだよぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!
なめてんのかぁぁぁああああああああああああああああああああぁぁぁ!
こりゃぁぁぁぁあああああああああああああああぁぁぁっ!



と、ワンワンと吠えてみると、



「え?( ̄o ̄;) じゃ、じゃぁ、、調べてみてよ。
ネットで。。違うかもしれないから。。。」



か、、、、
かもしれなぃぃぃぃいいいいいいいいいいだぁぁぁぁぁあああああっ!?
ったりめぇーじゃねーかぁぁ!o(`ω´*)o
しらべったったるわ!
こりゃぁぁぁぁぁぁぁっ!



と、調べてみると、



ほららららぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっ!o(`Д´*)o
伊武雅刀さんじゃないやんかぁぁああああああああああぁぁぁっ!
北大路欣也(きたおうじきんや)さんだと書いてあるぞ!
ほらぁぁぁぁぁあああああああああっ!
コニャのあほぉぉぉぉぉ!
プンプゥゥゥゥーーーーン!



「あ!?、、ご、ごめんなさい。。
声似てるから、、そう思ってた。。」



似てるダトォ!?
伊武雅刀だったら俺は「スネークマンショー」や
“俺は子供が嫌いだ!" の頃からの大ファンなんだから
声なんか聞けばすぐに分かるってんだい!
なんでぇ!なんでぇっ!なんなんでぇ!
ちっ!
わかったかいってんだ!ぷん!(*`3´)



「そう、、、それ、なに? “子供は嫌いだ!" って?(・・?)??」



え!?Σ( ̄ロ ̄lll)

ええええええええ
ええええええええええええ
えええええええええええええええええ
えええええええええええええええええええええええっ!!Σ(-`Д´-ノ;)ノ

そ、それしらないのぉぉおおおおおおおおおおおお!?

お、
俺は子供は嫌いだ!を知らないのぉぉぉぉおおおおおおおおおおっ!?
あの、名曲ぉぉぉおおお!?!
しらないのかぁぁぁああああああああああ!?щ(゜ロ゜щ)マジッスカァ



「.......知らない......どんな曲!?
伊武さん俳優じゃないの?
曲なんて出してたの!?」



出してたんだよ。
すっげーのをさ。
まぁ、歌!とは言えないけどな。
じゃあ聞かせてやるよ。
You tubeとかあるべよ。きっと。
ちとまちぃや.......カチャカチャ......

カチャカチャ......

と、、

あった!

コレ!

“ 子供達を責めないで ” ってヤツ。

コレ!

見てみいや!

名曲だから。名曲。

これさ、秋元康なんだぜ。訳詞が。マジで。聞けや。

ホレホレ。。

最高やろ!?ん!?

ん!?

最悪!?

って?

。。むーん。。(o-´ω`-)。。タシカニソウカモシレナイ...



——————子供達を責めないで/伊武雅刀——————
(作曲:H. B. Barnum、原詞:Ivan Reeve、日本語歌詞:秋元康)

私は子供が嫌いです

子供は幼稚で 礼儀知らずで 気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている

甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ!入れ歯だ!カツラだ!と
ハッキリ口に出して人をはやしたてる無神経さ
私はハッキリ言って絶壁です!

努力のそぶりも見せない
忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも 何も持っていない
そのくせ下から見上げるようなあの態度!

火事の時は足でまとい
離婚の時は悩みの種
いつも一家の問題児
そんなお荷物みたいな
そんな宅急便みたいな
そんな子供達が嫌いだ

私は思うのです!
この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子供に生まれないで良かったと胸をなで下ろしています!

私は子供が嫌いだ! ウン!
子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか!?
いいえ!
子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです!

身勝手で.......足が臭い!

ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい
コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン!
好きなものしか食べたがらない
嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ!
何でも食う子供も嫌いだ!

スクスクと背ばかり高くなり
定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く
いつも強いものにつく

あの世間体を気にする目がいやだ!
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ!
目が不愉快だ!
何が天真爛漫だ!
何が無邪気だ!
なにが星目がちなつぶらな瞳だ!

そんな子供のために私達おとなは何もする必要はありませんよ!

第一 私達おとながそうやったところで
一人でもお礼を言う子供がいますか?
これだけ子供がいながら
一人として感謝する子供なんていないでしょう?
だったらいいじゃないですか!
それならそれでけっこうだ!
ありがとう ネ!
私達おとなだけで刹那的に生きましょう ネ!

子供はきらいだ
子供は大嫌いだ!
離せ! 俺は大人だぞ!?
誰が何といおうと私は子供が嫌いだ!
私は本当に子供が嫌いだ~~~!!



伊武雅刀さんと言えば、
この「スネークマンショウ」も忘れがたきアイテムですな。ええ。
色々あるけど、、、今、ゴソゴソと、、CD棚で見かけたのわ、、
「YANKOMARITAI」......「やんこまりたい」......

イチイチ、シビレテました。(*´▽`*)スゲー!

しかし、
いまこんな曲......TVじゃ出来ないだろぅなぁー。。
スゲー時代だったというか、
貴重な時代だったというか、
なんというか。
YMOがクールで、
「サブカルチャー」なんて言葉がキラキラと舞っていた時代。

今聞いてみると、
子供と大人の距離の近さを感じる、な。なんだか。今よりも。
地域間の厚みのある人間交流みたいなものも感じれてしまうというか。
なんというか。

距離があると言えなかったり、
言えば大問題になってしまったり、
はたまた、
言う方に「言える様な資格」がある様に思われていなかったり......と。
ソレが親子の間でも!??学校でも?
会社?社会?メディア!?は?
......今は......どんな時代なのかなぁ、と。

秋元さんがこんな歌詞書いてたなんて......
AKBファンは知らないだろうなぁ......
スゲーなー。これ。
(o-´ω`-)む~ん。。


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深川徒然。。おまけ

2014-03-27 00:16:07 | 面白い
——————そうそう、
こんな「深川ぷらぷら」......略して「深ぷら」!?
なんぞを誰かとしていると、よく聞かれたりすることがあって。
それが

「神社とお寺って何が違うのさ!?」

というようなこと。
確かに、
日本にはこんな大きな寺院と神社がすぐ近くに並んで
共存している所というのは結構あるし。
確かに、
普通考えないし。

——————深川徒然。
ちょうどいい機会なので、つれづれなるままに、
そんな質問にいつも僕が答えていることを、
次はもう少しだけ記しておこうか......と。
無駄話!(><)ですが、あしからず。




そんな質問に簡単に答えれば、
お寺は「仏教」、神社は「神道=しんとう」
崇めている対象が違います。
ただ、それだけ。(^^)



しかし、これまで多々記して来たように、
僕は「神道」を宗教とは捉えていなくて、

その上でやや深めに答えるとするならば、
個人的な言葉や概念での答えということになりますが、
お寺は「説く=とく」。
神社は「現す ≠ 表す」。
という違い。
そしてこれは僕にとっては途轍も無く大きな違いなのです。
それが僕の「言葉を最小限にした時の」神仏の違いなのです。



「仏は説き、神はただ現す」



「ホトケはとき、カミはただあらわす」



これだけ。



そして、ココからひもといていくと世界中の宗教、信仰等は、
僕的には以下の二つのタイプに分かれていく様にも思えます。

「説く」は「人」に寄った流れ。
大自然、宇宙の摂理に対し「対峙している人」という流れ。
仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教......等々。

「現す」というのは「宇宙」に則した流れ。
大自然、宇宙の摂理に対し「含まれている人」という流れ。
日本神道、アメリカインディアン、北欧、
アフリカ、南米、アジア各地......
自然崇拝やアニミズムを根幹に持つものであれば、
実は世界中のアチコチにあります。



「説く」流れは必然的に教育や学校的なものも生みます。
お寺が寺子屋になったり、
幼稚園になったり、
学校になったり大学になったり。
教会が学校的なものに成ったり、
時に国家にまで成長したり。
本や説法、教材の編纂などをしていくのは
「説く」のであれば当然の流れ。
「教典」が出来るのも必然の流れ。
キリスト教、ユダヤ教にはソレゾレに「聖書=バイブル」が。
イスラム教には「コーラン」が。
仏教には様々な「お経」や「教典」が。
そして、大自然に対し「向かい合っている」ので、
自然を自らに利する様に作り替えていく、
突破していくという方向での

「科学」や「技術」を生み出しやすくもなり。
そんなフィールドをリードしていくのもとても必然的な流れ。



一方で、「現す」という流れでは、
そんなものがあまり発生しません。
ただ「大自然の摂理」や「森羅万象」を「現す」ということに
主眼がおかれるので、
生み出される教義や奥義的なものは
自然と摂理との「調和」の方向になり。
そんなものを「立ち居ふるまい」や「所作」、
それらを集め組み合わせた「祀り」や「祭り」「祭祀」
」「建築」などで「現す」......
という方向に成っていきます。
なので神道などにおける「祭祀」や「祈祷」、
「巫女舞」等で見られる、
人々の動きや所作の中には宇宙の摂理が含まれている......
「現われている」......とも言えます。
代々の神官が唱え続けて来た「祝詞=のりと」等も、
仏法的な「説く」という為のものとは違い、
ソレは「ただ現すもの」であり、
「ただ祓う=はらう=禊ぐ=みそぐ」ためのもの。
そして、故に、
神道において人々に求められるのは常にこういうコトになります......



「あなたはそれを見出せますか......」



そりゃ分からなスギるでしょ!ヾ( ̄o ̄;)コラッ!



そしてそんな「現す」系派閥の中で「神」と成るものは、
宇宙の摂理を含んだり、
現しているようなものであればなんでも.......で。
人も崇拝すれば、火や水や風や雷も。
時に大きな岩や崖、滝から海、山ソノモノ、
土地そのものに至るまで、それぞれ。
神々は自然と「八百万=やおよろず」となり、
ソレゾレの神社でそれぞれの神が崇拝されます。
異文化の神であろうとも

「宇宙の摂理を表現しているものなのだ!」

......などと思えれば、
クリスマスだってバレンタインだって崇拝しちゃいます。

見えない宇宙の「理=ことわり」を神とすると、
当然その姿形は造りづらく、
偶像はナカナカ作られず、崇拝もされません。
ただひたすらに世界の理を「現す」ものだけが神と成っていきます。
あえて、もし神道に「説く」派閥系によく見られるような、
そんな「偶像」に当たるものがあるとすれば......

この時に記した———「鏡」———ということに成るのでしょうか。

なので「現す」系の体をとりつつも、
「説く」的な教義や教典を持っていたり、
学校や団体、施設などを持っているようなものは、
最早「現すのみ」という世界からは逸脱しているもの......
とも言えるのかもしれません。



面白いのはもう一つ、
この両者の「間に存在」するものがあるように思えることです。



それは「禅=ZEN」



仏教から様々な「説き」を取り払っていって余計なものを無くし、
シンプルに磨き上げていこうとする教え。
元来「教え」であるから「説く」でもあって、しかし
「説かないところに向かうのを主旨としている」
のでそうとも言い切れず。
自らの内に二つの相反する矛盾を抱え込んだ宗派!?
とも言えます。



「禅」とはその辺がとても面白いものです。



「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」......
ふりゅうもんじ、きょうげべつでん、
じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ......
「作務=さむ」こそ全て......etc...
どれも世界に「ただ現れている」法則を
「説こう」としている姿が窺(うかが)えます。
そして、そんな森羅万象を「説こう」とする所から入った禅の出口は、
それらを
「如何に表現するか?」
に進んでいきます。
「枯山水の庭園」「円窓」「寺建築や様式」「書」......
それらに繋がってゆく「所作」やその美学......「道」。
理屈的にも「説く」と「現す」の間にあるので
ドチラからもアプローチしやすい。
「説く」文化圏に住む西欧の方々にも、実は!
「現す」より距離が近いので理解しやすい。
そして「禅」と同様に「道教=タオ=TAO」思想も
僕の中ではこの場所に位置づけられます。



さらに、そんな「禅」や「タオ」などと同じく、
この「間の位置」に立っているものがあって。
それが「陰陽道」や「風水」「易教」「占星術」などの「占術」。
前出の禅やタオと全く同じく
「説く」と「現す」の間の位置に立つものなのでどちらからも距離が近い。
そんな同じ理由でもって洋の東西問わず多くの一般の人も入り込みやすい。
そしてこれら「占術」は本来、
入口は「森羅万象の理=しんらばんしょうのことわり」を
「表現する」ものであったのが、
「自然に対して強い力を及ぼしたい」
「自然の力を我に利して用いたい」
という人に寄っていく「説く」的な目的を徐々に含んでいく事と成り。
そのアウトプットが「占=せん」という形に成っています。
それが「術=じゅつ」であり、占術。



占術とは「世界の現れ」を読み解く所から入り、
「説く」という出口に向かうもの。



面白いのは、「説く」から入り、
アウトプットが「表現」に寄っていく「禅」や
「タオ=道教」などと比べて「ベクトルが逆」という、
対面通行の道路的感覚でもって僕の中では理解され、
仕舞われています。



————————この話し、
こんなブログでは10回以上費やさないと
書ききれないコトのようにも思うので、またの機を伺いつつ......
つーか、モトは深川の話しだったし......
この辺りで一旦切り上げまふ......( ̄ー ̄;)ゞアセアセ......
キガツクトナガスギ......
コーヒー飲みいってこよーっと♪



「神道のこころ」1997年の10月に発売された本。
タイトル通り、
僕に神道の「心」をとても分かりやすく最初に説いてくれた本。
ワケも分からず、ただ

「両親がそうしていたから、、」

と、仏壇と神棚を祀っていた実家の父親にもプレゼントしました。
著者の葉室頼昭(はむろよりあき)さんというのは、
今は亡き僕の敬愛する方の一人で、
世界的権威のお医者さんでもあり大病院の理事長さんでもあった方。
医師キャリア40年を経た時に突然!
医療の道全てを後進に譲り、
自らはマッタク違う世界へと、
一から勉強を始め「神主」の道に進む!という人生を送った方。
世界文化遺産でもある奈良の「春日大社=かすがたいしゃ」の宮司を務め、
最高階位も取得していた方。

何故?

そんな道を歩んだのか。

医術とはなんなのか。

西洋医術とは、東洋医術とは、神とは、なんなのか。

生きるとはなんなのか。

そんなことが、
自らの人生から紡ぎ出された独自のリアルな言葉でもって、
分かりやすく綴られています。
素晴らしく素敵な本。
1997年当時の頼昭さん曰く......



「—————いま言ったように人間は進化の過程にあって、
生き残るということは順応することです。
待つこと、感謝することが大事です。
生かされていることに気づくことです。
自然の本当の姿を人間は知らなければいけません。

—————これまで、
人間は自分の利益になることばかり考えてここまで来ました。

—————科学が正しかったら、
いまみんな幸せになっているはずなのに、
現実はだんだんと生活しにくい世の中になって来ているでしょう。
これはみんな本当のことを忘れてしまったからですね。
いっぺん理屈を捨てて、真実の感謝の心でもって、本当の世界、
理屈を超えた世界を感じることが必要です。
自然の本来にたち戻りなさいと。
そうしたらこの世の中は良くなりますよ、ということなんです。
人間社会が、世の中がしあわせになるとか、
そういうことだけの問題ではなくて、
人間の心が変われば、
自然も宇宙もすべて変るということでもあるんです」


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深川徒然 2

2014-03-23 16:24:41 | 美味い...パワスポ寺社
しょうがないのでソレはまた次回につづく!
......ことにするのでございます。




「深川不動堂」で「御護摩」も受けて、
心も体もなんだかスッキリ!?(@.@)
と軽くなったという後に、
個人的にいつもツイツイ寄ってしまうのがこちら。
不動さんのすぐ隣にある「江戸三大八幡」の一つ「富岡八幡宮」

......も、

いいのですが……

変わり者!(><)/ の僕としては、
失礼の無きよう八幡さんにしっかり挨拶をしつつもですね、
とてもお寄りしたい!のはそのさらに奥......に、
ヒッソリと佇む美しい社(やしろ)!
「七渡弁天社=ななわたりべんてんしゃ」
さんなわけでぇーーっす!ヾ( ̄∇ ̄=ノ ワーイ!



とても小さな社なのですが、
清廉な池に囲まれ佇んでいる女神様の社なのです!
ここ!良いっす!



おそらくは、
前回記した深川不動堂の「裏番長」でもある龍神さんの元々の社であり、
不動さんの所とコチラとをプラプラと
行ったり来たりしているのではなかろうか......( ̄ー ̄)ニヤリッ
などと「夢想」してしまいますが。
ココをしっかりと清廉に護らねば
不動さんの力も消えるのではなかろうか......と。
ココを語らずして深川不動堂は語るべからず、
なのではないのか......と。
そんなふうにも感じられるくらい、
狭いながらも「キリリ!」とした空気感とたおやかな優しさ、
静かなる力を湛えた地なのでございます。

そして、
東京湾岸の港町には「新木場」という場所がありまして。
音楽業界では言わずと知れた
「studio coast=スタジオコースト」
などの中箱クラスのクラブがあったりする場所なのですが。
その地の名前に「新」という文字が付くのは、
この弁天様の佇む地こそが元々の「木場」であったということに由来します。
遠く熊野や伊勢から切り出した木材を
江戸に陸揚げする際の中心港であったことが「木場」という名前の由来。

今でも七渡神社さんのあるココは、そんな昔の、
この辺りがまだ港だった頃の空気を少し感じられる様な
「水場」となっています。
晴れの日などは池の真ん中にある赤い社に
キラキラとした木漏れ陽が差し込んで......
やっぱり美しき女神様、芸能の女神様なんだな......
と感じてしまいます。

前回記した通り、
「深川不動堂」さんというのは、
元々は歌舞伎役者さんの勧請ムーブメントから創建された寺院であって。
そんな流れもあってなのか、
ここに訪れる人は歌舞伎役者さん達はもちろんのこと、実は、
芸能やスポーツ関係の方々もとても多く。
僕的には、そんなことの根本要因が、この芸能の女神でもある
「七渡弁財天=市杵島姫命(イチキシマヒメのミコト)」
さんがこの地にエネルギーを持って佇んでいるから......ということで、
全てが整然と紐解けていったりもするのです。

もしかしたら、
ヒッソリと、
奥ゆかしく佇む七渡弁天さんこそが深川の地を守護する
大本宮なのではないのか?と。
深川、門前仲町の奥ゆかしい空気や文化を創っているのかな、と。
そんなふうに思ったりなんかもしています。
「不動さん」や「八幡さん」に訪れた時は、
ついつい此方にも訪れてみたりしちゃうのでございます。(^^)

あとわ、B級の僕がついつい訪れちゃうのは......
名店「こうかいぼう」さんのらーめぇぇーーん!(●´∀`)ノ





ココがタマーに、
まるで「怒り」を逸らすかの様に、
こんな風に可愛いらしく閉まっている時わ......



歴史ある「門前茶屋」さんの定番メニュー......



深川名物のあさりめしぃぃーーーっ!ヽ( ´¬`)ノ ワ~イ



「あさり飯」というのはアサリ丼!みたいなもんですな。ええ。
コノお店では
「深川あさり蒸籠飯=ふかがわあさりせいろめし」
となっておりますのな。ええ。
そう言えば、前回記した京漬け焼き魚と漬け物がメッポウおいしい!
「近為=きんため」さんが閉まっている時わ、こちら、
「富岡水産」さんの焼き魚定食でぇぇーーっ!d( ̄∇ ̄*)bイエーイ



まぁ、
そんな深川の街。
ふと、思いついた時にプラリと出かけていって、
こんな風にブラブラしたりなんかしていると
なにやらとても楽しいのです。(^^)



——————そうそう、
こんな「深川ぷらぷら」......略して「深ぷら」!?
なんぞを誰かとしていると、よく聞かれたりすることがあって。
それが

「神社とお寺って何が違うのさ!?」

というようなこと。
確かに、
日本にはこんな大きな寺院と神社とがすぐ近くに並んで
共存している所というのは結構あるし。
確かに、
普通考えないし。

——————深川徒然。
ちょうどいい機会なので、つれづれなるままに、
そんな質問にいつも僕が答えていることを、
次回はもう少しだけ記しておこうか......と。
無駄話!(><)ですが、あしからず。
ここ、深川で生まれ育ったというウチのスタッフの
「IA」さんからも先日

「深川徒然!読みましたよぉぉーー♪
ゴルフも上手くなりましたヨォォー♪」

なんて言われまちたしね。
意外!?(@゜o゜)......に続く「深川徒然」
コーヒーでも飲みいってこよーっと♪
キョウノカキカキワオワリジャ......


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深川徒然

2014-03-19 23:51:05 | 美味い...パワスポ寺社
ココ最近、
感情の起伏が激しくなっていた女性スタッフが一人居て。
お話をしているとちょっと涙ぐんでしまったり、
強い怒りが込み上げて来たり......と、
どうも可成りのストレスを背負っているような感じがしまして。

「うーーむむむ。。どうしたものか。。」

と。

で、

「ちょっと三時間ぐらい時間を作れるところがあるかな?」

と聞いたところ、

「作ります!」

ってなことだったので。
先日、千葉の実家から通っている彼女のアクセスも楽チン!
ということもあり、気晴らしのお散歩がてら、ココ、東京
「深川不動堂」さんにちょっとばかり連れて行くことにしました。





超!マニアック!!!......なセレクションですが、
最近、こんなトコにもちょいと興味があるそうで。
こっそりとで。ええ。
そこわ。なにとぞ。
でも「メイン」となるのは、
実は参道にあるこの「近為=きんため」さんの絶賛!
京漬けの焼き魚と京漬け物の定食!(><)/



......であったりなんかして。( ̄▽ ̄)ええ。
何よりも先ずわ元気の出るコヤツを彼女に食べさせたく......
これが、イヤ、もう、絶品さん!のベッピンさん!
炭火で丁寧に焼かれた京味噌漬けの魚さんや西京焼さんと、
京都から取り寄せるマジモノの京漬け物さんなんかは、もう......
「日本人で良かったなぁぁぁ。。。ウルウル。。(T.T)」
と思えるような定食屋さんでして。



で、そんなこんなで、
午前中に門前仲町駅でそのスタッフさんと待ち合せて。
先ずはそのまま、
深川の地では絶対に外せない!
「深川不動堂」へと向かいました。



この「深川不動堂」さん。
以前記した、千葉県にある「成田山新勝寺」の別院となるお寺でして。
元々は江戸時代の歌舞伎役者さんが
遠く成田山からもっと身近な所へ不動さんを......
と勧請したのが始まり。

本尊は勿論、恐い顔!で有名な「不動明王」様。
片眼をカッ!と見開いた、青黒く、
鋭い睨みを利かせた顔をしている有り難い仏様。
背中には煩悩を焼き払う!という燃え盛る赤い炎を背負い。
右手には悪を断つ!という大きな剣。
左手には鬼や煩悩どもを縛り上げる羂索(けんさく)と呼ばれる縄を持ち。
その姿はマサに!
鬼も逃げ出す!
ような迫力満点な御姿。

そして、このお寺さんでは、毎日5回!
にもわたる真言密教の秘事である「御護摩=おごま」を修行していて。
どんな人でも行けば無料で!参加することが出来ます。
しかもその修行がカナリのクオリティで凄い!(@.@)
コチラの護摩行から感じる真摯さというのは

「タダなのねっ!」

などと思って入ったとしても、
必ず賽銭を差し出したくなるくらいに......素晴らしい。
そんな「護摩祈祷」というのは
スーパースター空海さんから始まった密教における秘儀であり、
祈りや願い事を書いた「護摩木」と呼ばれる木片を不動さんの面前で
煩悩共々一緒に燃やし、炊上げて、

「その願いを成就せしめたも~うなりぃぃ。。。(´з`)♪」

といったような御業。
そんな護摩行中に堂内をグルグルと巡り出すエネルギー!?
力?
もまたカナリなモノで。
不思議ちゃんなどが行くと、
もしかしたら堂内や炎の中を飛び回る龍さん?渦!?
みたいなモノも見えちゃうかも!?しれませぬ。

うーーむむむ......

厄年の人が「厄払い」で行くには最強のスポットの一つ!

とも思われます。ええ。

そんな真っ赤な炎でもって炊上げる「護摩木」に、
思いを書いて本格的に願いを叶えてもらおう!......とするならば、
先ずは境内に入って右にある大きな事務所で護摩木を買って。
木に願いを書き書きして。
傍にいるお寺のスタッフさんにお渡しします。
お札も貰って本格的に祈祷をしてもらうのか?
お札まではいらないけど、
自分が参加する回の「護摩」で一緒に護摩木を炊いてもらうのか?
何時でもいいので、
炊上げはお寺さんの方で良きに計らってくだされ......とするのか?
で、値段はそれぞれ違ってきますが、

「何時でも良いですぅーーっ!
スタンダード価格でぇぇーー(●´∀`)ノ」

というのであれば、コチラでは¥500!から。
この護摩木にチョロチョロと願いを書いてお渡しするのも
なかなか楽しいのです。ええ。
うちの女子スタッフも何やらチロチロ……と書いていましたな。(^^)ええ。
で、お次は、
この手洗い場で手と口を清め、



写真にある手洗い場の右の木陰にいらっしゃる、
こちらの裏番長!?でもある龍神さんに真っ先に御挨拶。
ここでもお願いごとをしようと思えばすることが出来ます。
寸志=¥100!の水に溶ける「お願い用紙」に願いごとを書いて。
龍神さんの口から湧き出る水で溢れている小さな泉に浮かべ。
頭上のドラをガーン!と鳴らし、手を合わせ。

「よろピクお願いします。。。」

とお願いすると、紙が水に溶けて無くなって行きます。
なんだか願いが龍神さんに聞き届けられていく......みたいな。(^^)

その後は、龍神さんの反対側に陣取る
「荼枳尼天=ダキニテン=稲荷」さんにご挨拶。
ココでのオススメごとは、
入り口で稲荷さんに捧げる¥100!の線香を買って。
火をつけて。
香炉に差します。
社(やしろ)の前で手を合わせ、
こちらでも何かお願いを…… ハッ!(゜ロ゜)!!!
お稲荷さんですから......
覚悟が浅い方はあまり強く願わない方が良いかもしれません......ええ。

「日々の感謝を述べる」

のがうちのスタッフに僕がオススメしたことではあります。ええ。

何故って!?

それはまたいつか、改めて記しとうございます。

乞うご期待!の巻き!でして。ええ。




そして、そんな感じで龍神さんとお稲荷さんとを回って、
いよいよ本堂に参入。
特に中の方まで入らずに、コチラの看板でもある!?
巨大な不動明王さんに外から参拝してお帰りするのも
マッタクもって問題ないのですが......ココは一つ、
彼女の背負ったストレスや重々しいネガティブな気を
綺麗に払ってもらうべく。
イザ!
御護摩(おごま)に参入!
するのでございます!(((*゜θ゜)ノ

本堂では、先ずは入り口の巨大な!
「不動明王」さんの前に座り。手を合わせ。
その後「護摩祈祷」の行われる祭場へと降りていきます。
ソコには正真正銘の本尊である不動明王さんが、
真っ黒な体に金色の目を妖艶に輝かせながら祭壇の最上段にドスン!
と、祭場全体をギロリ......と見渡すように座っています。



ヤバいっす。
ここ......
ヤバいっす......
神聖な場所なので写真などは撮っていませんが、
興味ある方はHPででも見てくださいましまし。
パワー全開っす。



本尊の不動さんが真っ黒いのは、
元々の体の色も青黒かったのだとは思いますが、
それよりなにより、
江戸の昔から毎日ここで行われる護摩祈祷の炎から出る煤(スス)が
体にこびりついているように見えます。
この真っ黒になった不動明王さんを目にすると、
僕はなんだかいつも涙が溢れるような切ない気持ちになったりなんかします。
きっと、ココが創建された時より毎日毎日、
脈々と続けられて来た人々のお願いに次ぐお願いの護摩行で、
なんだか、もう、傷だらけというか、何というのか。
多くの人々の願いごとを「恐い顔」とはウラハラのとてつもなく深く、
優しい「心」でもって受け止めて、
来る人全てに力添えを続けん!
としているその姿や御心を見てしまう様な感じもしまして......
真っ黒くなった不動さんの体の色に、
何万回と繰り返されて来たそんなモノモノが刻まれているような気もして......
そんな不動さんの「愛」が刻まれている様な気も......
それで込み上げて来てしまう気持ちなのかも知れません。ぶぇ(T.T)



そうして、いよいよ、
そんな「護摩行」がお坊さんの吹くホラ貝の音と共に始まり。
大きくてドビックリ!(;゜0゜)する大太鼓の音と、
激しく燃え上がる炎とに包まれながら荘厳に執り行われていきます。



終了後は、さらにこちらに。
地下にある全面が水晶!の回廊に入るのがなんだかとても良い感じで。
ココはマジでオススメ......





一個一個に木製の不動さんが入っているのです。
スゲ。。(*゜0゜)。。。



歩いているうちに背負ってしまっていた悪い気!?
などがドンドン.....と、
周りの水晶に吸われていくような感じがしちゃいます。
ええ。
凄いです。ええ。
こんな場所はナカナカありませぬ。
人生初の衝撃的な御護摩パンチ!をくらった後に、更に、
初めてココに足を踏み入れたウチのスタッフさんはもうメロメロポンチでした。
ええ。( ̄ー ̄)ニヤリ



だいぶ......
暗い影が落ちてきているように思えますな。。((●≧艸≦)ププ



そんな、この地が初めてという彼女は、
沢山の貴重な仏像さんが並んでいる本堂上階のフロアーもぐるりと回り。
僕はそんな仏像さん達の中で個人的に外せない
「愛染明王=あいぜんみょうおう」
さんの像を紹介したりなんかもして。

そして、仕上げには!
最上階にある「大日如来=だいにちにょらい」さんの間によるのでございます。
「深川不動堂」に来たならば、
護摩の後には絶対に寄りたい広間なのでございます。
ここに入り、帰ってこそ、
色々なことが初めて完結するように思えていたりもするのです。
ええ。
この大日如来さん。
太陽の化身でもあり、実は不動明王さんの本当の姿。
不動さんが天界に居らっしゃる時の姿なのでございます。

「なぜ天界と下界=この世とあの世で姿が違うのさ!?」

などと問われれば、それは、
どうもこの世は「神仏」さん達からすると波動があまりに違い過ぎるらしく。
この世に本当に力を及ぼそうとする時には、
この世に近い波動や力でないとなかなか実効力も持てないようでして。
それで本気で人々を救いたい!
と思っている大日如来さんは自身の波動をこの世バージョンに変え。
その、大日さんの「この世バージョンの姿」というのが
不動明王さんなのだそうです。

なので、この間に寄るということは
とても大切なことに思えるのでございます。

何より、ここでは、
大らかで優しそうな大日さんの様な心をもっていても、
この世を生き抜くには、
不動さんのような厳しさも持って臨まなければいけないこともあるのだよ......
と、そんなことをそっと教えてくれる様な気もするのです。
そんな本当の不動さんにお礼と挨拶をしてから帰ることが出来るのでございます。
御護摩の「仕上げ」なのでございます。

「嘘だ!」

と思われる方は、無理せずに。寄らずとも。ええ。

さてさて。
今回の「深川徒然」。
本当はこの後にもう一つ!
個人的には「セットで寄りたい」場所があったりもするのですが......
かなりシンプルに記しているつもりだったのですが、
気がつくとなんだかとても長くなってしまいまちた......
しょうがないのでソレはまた次回につづく!
......ことにするのでございます。


あ、うちのスタッフさん!は、というと......

この後とても元気になりまちた!!(^^)ぱやーーん!

ここ数日は、

オフィスで見ていてもとても穏やかに仕事に取り組めているようでございます。

不動さんのお陰!?でないにしても、

よかったよかった。

ので、

次回紹介するところ迄は連れて行きませんでしたのよぉーーだ。

Ψ( ̄∀ ̄)Ψケケケ



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萬両

2014-03-15 20:49:49 | 美味い
鹿児島、薩摩という地は、
降り立つといつも独特の「地」の強さ!?
エネルギー!?
みたいなものを感じてしまう地で。
仕事などで行っても、
なにやらとても元気に過ごせてしまったりします。

不思議。

大好き。

正直に言うと、
鹿児島市などは、この国で本気で、
「一度住んでみたい、、」
と思っている地の一つです。


「黒豚」で「しゃぶしゃぶ」だったり、「トンカツ」だったり。
「黒牛」も「しゃぶしゃぶ」だったり、「ステーキ」だったり。
「地鶏」だって美味しいし。
「鶏飯」なんかも超ヤバいし。
「大根」は勿論、「野菜」も美味しいし。
「魚」も新鮮。
「鹿児島ラーメン」は美味しいし、
「さつま揚げ」に「お酒」だって......

夜は「天文館」もワキャワキャしてるし。。ポッ(//∇//)

そんな鹿児島市のシンボルの一つでもある桜島は
純然たる活火山!で、
いつもモクモク......と噴煙を上げていて。
こんな活火山のお膝元に60万以上もの人々!(◎_◎;)
が暮らす都市などというのは、
世界的にもとても稀なことなのだそうです。

そりゃそうです。
よくよく考えれば。ええ。

でも、霧島なども含め、
そんな活火山の下に横たわっているであろう
巨大なマグマ溜まりなどが、
この地独特のパワー感やエネルギーを
生んでいるような気もします。

すげー。

鹿児島すげー。

好き好き。大好き。ヽ(´o`)

明治維新におけるエネルギッシュな革命家の面々を
育んだ地だというのも、
僕には何やらトテモ自然なことのように思えますのです。



よく泊まる、
個人的にお気に入りの鹿児島東急ホテル
(現、ベスト・ウェスタン・レンブラント・ホテル鹿児島リゾート)
のバルコニーから眺めた桜島さん。
住むとしたらこの辺に住みたいのだ。なんだか。
ええ。(^_^)

そして、つい最近。
味にうるさい友人「SなのにMちゃん」が大絶賛!
していた「お茶」というのが、
調べてみるとこの僕の大好きな鹿児島のお茶で。



「へーー。。
鹿児島でお茶なんて、、、全く知らんかった。
ノーマーク!( ゜д゜)」



と、コーヒーは勿論
無類のお茶好き!のワチキとしたら、
美味しいもの好きの友人がレコメンドするほどのお茶であれば
スグに探して、買って......と、
東京都内のスーパーやらデパートやら、
お茶屋さんやらを回ってみたものの......



全く見つからにゃい!(T_T)ぶぇ



誰かおちえて。。



しょうがないので、
直接鹿児島の農園さんに直接メールでオーダーをして
届いたものがコチラ。
鹿児島市「下堂薗(しもどうぞの)」さんのお茶
「萬両」!
まんりょうキターーッ!♪───O(≧∇≦)O────♪



その「ぐるぐるグルメ」のMさん曰く

「もうこのお茶以外は飲めないかも。。。」

うえぇぇ!???
......( ̄ー ̄)ほんと~~~ですかのぉーー。
嘘じゃないですかのぉーー。
ヤツもイヨイヨろれつが回んなくなったんじゃないですかのぉ。
最近太ったって噂だしのぉー。

じゃ、

早速。

開けて、

飲んでみっぺかな。。

どれどれ、ゴソゴソ......と。

お湯さんトポトポ......と。

おーおー、イイカンジですなぁ......

いい匂いだし......

どれどれ、、

そろそろ......

飲めるかな......

ポチポチ......と、湯呑みに、

注ぎーの。。



イザ!



.........



.......



こ.......



こ、



これ以外わもう飲めないかも(@_@)......



この下堂薗さんのお茶さんというのは、
日本のお茶の80%以上を占める品種の
「やぶきた」
という茶葉ではなく、
寒さや霜に弱くあまり生産することができない
「ゆたかみどり」
という品種を使っているのだそうです。

この「ゆたかみどり」。
収穫量は「やぶきた」より数割多く出来るという
メリットはあるものの、
仮に寒さや霜を凌いで収穫できたとしても、
イザ!普通の作り方でお茶にしてみると、
トンデモナクマズイ!
......仕上がりになってしまうのだそうで。
過去に多くの人が栽培にトライをしてきましたが、
商品化には敗れ去り、
諦めていった品種なのだそうです。
それをなんとか、
灰は降るけど!?
あまり霜が降りることのない「鹿児島」の地で
とびきり美味しいお茶にできないものか......と、
長年に渡り様々な苦労と努力を重ね、
商品と出来るまでに作り上げたのが、
この下堂薗さんのお茶。
茶葉の栽培もオーガニック栽培を基本としていて、
中でも美味しさの一番のポイントは、
収穫された生茶葉を芳ばしく焙煎する際の
「火の入れ方」にあるようで。
その独特の方法を最初に確立させたのも、
この下堂薗さんでもあるそうです。

味は......

あくまで個人的なコメントですが......

一口飲むと、とても「宇治茶」に似ていて。
そこから違いが出てくるのは、
二口、三口、四口......と飲んで行くたびに、
なんだか「味が重ねられて行く」感覚が明瞭にあるというところ。
ファースト・インパクトに寄りがちな緑茶において、
こんな「コーヒー的」な、
飲む毎に重なって行く旨味というのは
なんだかとても斬新。(=゜ω゜)/
美味い。
ヤバイ。
お口に重なる重なる、で。

このお茶さん。
2005年には農林水産省大臣賞も受賞。
「洞爺湖サミット」で各国要人に振舞われた日本茶も
このお茶だったそうで。
今ではドイツに現地法人を立てて、
ヨーロッパの日本茶ブームを牽引してもいるそうです。
先程記した珈琲的な味わいの部分があるので、
欧米で受けるというのも良く分かるような気がします。

下堂薗さんのホームページには、
そんな歴史と、
「安かろう、悪かろう」
と言われた鹿児島のお茶を一流の茶葉に仕上げて行った
創業者「下堂薗實=しもどうぞのみのる」さんの
不屈の熱い物語が、
沢山の熱い言葉によって綴られています。
熱い熱い社員に向けたメッセージと、社訓!?
的なモノまで見ることができます。

流石!
鹿児島。
薩摩の国。
その大地のエナジーと同じくソコに住む方々も熱く、
情熱的な人達も多くて、とても感嘆。感激。

久々に良いお茶に巡り会いました。
感謝感激。(^ω^)


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Door

2014-03-11 19:56:38 | 願い
僕の体には、
昔、ヤンチャをしていた頃についてしまった傷というのが幾つかあります。
とても幸いなコトに、
それは日常生活に不自由を感じるというようなものでもなく。
ただ、ジッとして、無言で体に張り付いています。



生涯消えないであろう傷。



そんな一生付き合うであろう傷は、心の何処かにもあるようで。
時折、思いもよらない時、
まるでカゲロウの様に目前に立ち昇って来るようなこともあれば、
霧のように纏わりついて離れなくなるようなこともあります。

生きていれば、
こんな内外の傷は絶えなくて。
綺麗に消えて無くなるものもあれば、
なかなか消えないものもあるようで。
大きな怪我や手術、様々な治療の跡、
神経や精神、生まれついてのもの......とても

「幸いなことに、、」

などと言えないようなものを抱え持つ人も沢山いるはずで。
負ってしまったソレらは、
言葉で表すことなど到底出来ない様なものであったりするとも思います。

僕は、
幸いです。

幸いな僕は、
それでも時折、
そんな傷を見て少し考えてみます。

この傷は、、
なんでついたのだっけ?
どんな失敗だったっけ。。

あぁ、、あれか。あれだ。

なんで?
あんなことしたんだろ。

どうして?
正しく出来なかったんだろ。
考えられなかったんだろ。

僕の欠点はなんなんだろ。
分かっていて、
なんで直せなかったんだろ?

なんで?

直せないんだろ。

今、
僕は何か、どこか、
成長出来ているのだろうか?<
成長しているのだろうか?
僕は何かの役に立っているのだろうか。

何か変わったのか?
何が、変わったのか?
何か成すことは出来たのか?
何が成長したのだ?
何が?



なにが?



僕の体についている傷は、
ただそこに、
黙って動かずに張り付いています。



君は何のためにソコにいるのだろうか?
何のために「在る」のだ?
何故消えないでいるのだ?
君を消すことは絶対に出来ないのか?
いや、本当は出来るのではないのか?
僕があまりに未熟で知恵も無く、
勉学も足りないから、
治し方を知らないから治らないだけではないのか?
違うのか?



傷は、
ただ黙って、
僕の体に張り付いています。



今日は3月11日。
3年前のあの日、
この国は揺れました。



この国の大地はよく、揺れます。
揺れる大地の上で暮らす僕らは何を成すべきか。



真実を知るには揺れなければいけないのだろうか。
事実はよく伝えられはするけれど、
故に、真実を知るものは常に少なく。
しかし、ならばこそ、
それを知った者であるならば、
揺るがぬモノも心も持てるハズではないのだろうか。



揺れるのであれば、揺るがぬものを。



僕には定まった色など無く。
そして、世界にも色は無く。

世界が何を手にしようと、手放そうと、
争おうとも、争わずとも、
何かを放り投げようとも、投げなくとも、
僕の手に残るものは何も無く。
ただ、多くの人の心に映るものだけが僕の心に入り込みます。

幸も不幸も共に歩むようなとき、
僕は僕を離れて、
一人一人の幸せがとても大切なことのように思えてきます。

———Door

ドアはいつも確かにそこにあって、
開いているように見えるのです。



いつか見た
咲き、誇れ。


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岩木山徒然

2014-03-07 22:34:38 | 凄い...パワスポ寺社
「山」という漢字は、
山頂から三つの峰が突き出ている大きな山の姿を
抽象化したところから出来ているらしいのですが。
時折、そんな

「山という漢字そのままの姿やなぁ~。。」

と思ってしまう山に出会うようなことがあります。
中でも不思議と深く印象に残ってしまうような
山というものもありまして。
僕の中では、ソレは長野県、
上高地にある「明神岳=みょうじんだけ」だったり、
青森県、津軽平野にそびえる美しき独立峰
「岩木山=いわきさん」だったりします。
この時の記事に記しましたが、
「さん」とか「だけ」「がく」などと呼ばれる「やま=山」は
古来より神の棲む神聖な山とされて来ていて。
この二つの山も、
そんな「山という漢字そのままの姿」と共に
なにやらとても神聖で
強力な神気を纏っている特別な山のように感じられたりもします。
つい先日には、
近頃仕事を一緒にさせて頂いている会社のスタッフさんが
青森県に行っていたようで。
そんな津軽の守護山「岩木山」の写真を
Facebookに楽しそうにアップしていました。
山頂に白い雪をいただくその美しき山容を見て、
そのスタッフのお友達の皆さんからは

「ここどこ?」

「なに?」

......等というコメントも入っていて。

「やっぱりスゲー山なんだなぁ、、」

と、僕も改めて感じ入った次第でして。
思わず

「おっ!?岩木山!。。。」

なんてコメントを僕も入れてしまったのですが......
本当にこの山は特別で素晴らしい山ではないかと思います。
僕の持っている古い携帯写真を探して、
少しだけ載せてみると......
こんな感じの御山さんで......



手前に広がっている木々は
青森県が誇る名産品「りんご」の樹々。
その果実は岩木山からもたらされる様々な自然の恵みの中で
とても美味しく、美しく実ります。

リンゴ大好き。(^_^)

そしてこの山と裾野に広がる林檎畑を目にすると、
もう一つ思い出してしまうのが、初めて読んだ時に
溢れ出る熱い想いと涙がマッタクもって止められなかった
「奇跡のリンゴ」
という本。



最早、言わずと知られたベストセラー本であり、
物語でもありますが、やはり、この本に描かれている林檎農家
「木村秋則=きむらああきのり」さんの偉業というのは、
その神様のような笑顔と共に僕の胸を強く打つものです。
知らない人もいるかも知れないので少しだけ物語を記してみると、
この木村さんのリンゴ畑は聖なる山「岩木山」の麓(ふもと)にあって。
その木村さんの作る林檎というのはなんと......「腐らない」のです。
本の冒頭にある「まえがき」の文章をそのまま記せば、



「—————半年先まで予約でいっぱいの、
知る人ぞ知る隠れ家的レストラン。
その看板メニューの一つが、“木村さんのりんごのスープ” です。
シェフの井口久和さんが、りんごを刻みながら呟きます。
“腐らないんですよね。生産者の魂がこもっているのか......”
井口さんの厨房で、二年前から保存されていた、
二つに割ったリンゴを目にしました。
通常、りんごは切ったままおいておくと、すぐに茶色く変色し、
やがては腐ってしまいます。
しかし、その木村さんのりんごは腐ることなく、
まるで “枯れた” ように小さくしぼんでいました。
そして、赤い色をほのかに残したまま、
お菓子のような甘い香りを放っていたのです—————」



こんな林檎を作るのは並大抵のことではなく。
リンゴ栽培というのは常識的には害虫駆除の農薬や
美味しく実らせる為の肥料などが「絶対」「必須」の条件であり、
そんな食用林檎の栽培において、
木村さんは世界で初めて完全無農薬、無肥料で実らせた......
のだそうです。

全てが自然のままに育てられた林檎。
それは「奇跡のリンゴ」とまで言われる林檎。
それが木村さんの林檎。
木村さんの哲学。思い。生き様。

多くの人から無謀、不可能、狂人......と言われ続け、
それでも無農薬栽培に挑戦した木村さんは、
9年の月日が経っても全く林檎を実らせることが出来ませんでした。
800本のリンゴの樹々は全て枯れかけ、地域からも孤立し、
社会的信用も収入も財産も希望も全て失くしてしまった時に、
木村さんは

「これ以上生きていても家族に迷惑をかけるだけだ......」

と、自らの命を絶とうと、夜の闇の中、
岩木山の山中に自殺用のロープを持って入っていったそうです。
そうして分け入った山の中で、
首を吊ろうと太い木の枝にロープを投げたその瞬間......
そこで......
木村さんの目に月明かりに照らされた奇跡の風景が飛び込んで来ました。
その風景から無農薬栽培を成功させる為の最後の「鍵」となる
ヒントを見つけた木村さんは自殺を思いとどまります。

そのシーンやお話は
本の中でも奇跡の如く響いている部分ではありますが......
なんとなく、それは、僕には岩木山の神様!?が......
木村さんに手を差し伸べてくれているシーンのようにも思えました。
木村さんはその時に得たインスピレーションから無農薬、
無肥料の林檎栽培ノウハウを確立させ。
今やソレは世界中にも知れ渡り。
木村さんは林檎栽培は勿論のこと、
その独自ノウハウの講演や教育会などで
とても忙しい日々を過ごしているようです。

この木村さん林檎というのは、
本当に混じり気の無い津軽の自然であり、
岩木山の恵みそのものの様にも思えます。

そして、岩木山というのは、
そんな美しく、美味しい、
甘酸っぱいリンゴさんのような!?山であって。
人をギリギリ迄追い詰めるような鬼!?
の様な「厳しさ」も感じられますが、
でも、その裏側には確たる根拠も愛も笑顔もあって。

限りなく暖かく深い懐を持った山。

そんな印象が僕にとっての岩木山です。

麓にはそんな岩木山の神様を祀る、
比類なき素晴らしい神社「岩木山神社」もあります。
坂上田村麻呂が再建したと伝わっている神社さん。
鳥居の真ん中には見事な!
「山」の字が見えています(^^)this is yama!







ち、ちみらわ......本気度満点ですな。。。( ̄∇ ̄;)



必死こいて山頂に登ると、
そこには「奥宮=おくみや」があって、





ソコからは木村さんの農園や弘前市は勿論、
津軽平野から世界遺産!の「白神山地」や、
津軽海峡から遠く北海道の大地に至る迄、全て、
広く見渡すことが出来ます。(^^)
ここに佇むと、どんな人でも、
全てを優しく見守り、護ってくれているような力や存在!?
を感じられるかもしれません。
マニアさんには、さらに、
遥か昔「岩木山神社」が最初に置かれたと言われている宮、
言わば岩木山神社の「本宮=もとみや」でもある
「厳鬼山神社=がんきさんじんじゃ」
がハズセないっす!(゜ω゜)



名前はちょいとイカツイ感じですが、
深い緑に囲まれた境内に佇んでいると、
なんだか体が溶けて無くなってしまいそうなくらい凄いです。
社殿も開いていたので、
上がり込んで少しユターリとしたりなんかして。
イワキサン=岩木山=ガンキサン=巌鬼山=イワキサン......
だったりなんかして......



何処もかしこもヤバいヤバいで。(゜д゜)





さてさて、戻って、
岩木山の神様を祀る「岩木山神社」には
ハッキリとこう記されています。



「北門鎮護」

日本列島、その本州における北門の守護。
それは一際強くて厳しい「北方の力」より本州を護る力であって。
故に最も強い力が必要でもあるような場所。役割。
岩木山神社や岩木山というのは、なんだか、とても......
頼もしいのです(^。^)

......しかし、むしょーに林檎が食べたくなりまちたな。

ちょっと買いにいってこよーーーっと!(*`∪´*)ゞ

♪ママわぁココのじょーおーさまぁぁ♪
生き写しのよぉーなわたしぃぃぃー...♪


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悩ましいのだ。。

2014-03-03 01:03:44 | 面白い...映画/音楽
サザエさんやドラえもんさんのように、
「KICK ASS=キック・アス」の
「HIT GIRL=ヒット・ガール」さんというのは、
出来れば成長して欲しく無い永遠の萌えキャラなわけなのです。ええ。
僕にとってわ。
ええ。ええ。
故に、映画「キックアス 2」を見たら、
しっかりと成長している彼女に
ちょっとばかりセツナクなったりなんかしまして......



「ひっとがーるぅぅーーっっーーっ!o(* ̄○ ̄)ゝ ソナタオコノミデスノヨォーーッ」



勿論イイ感じではありましたけどね。彼女。
勿論。そこわ。
クロエ・グレース・モレッツさん。ええ。
それでもって「ホビット ― 竜に奪われた王国 ―」なんて、
3D IMAXドドーン!と見ていたのに、
まるでTV番組の様に



「また来週ぅーっ!おたのしみにぃーっ!」



......ってな終わり方しちゃうし。



「うえぇっ!(;゜0゜)
こ、ココで終わっちゃうわけ!?マジっすか!?」



......みたいな。



だいた~いやね、
どうも西欧の物語というのはですね、
僕の大好きな「龍神」さんを「悪者」扱いする風潮があったりしてですね、
「ホビット」さんでも最凶&最悪で最強だぜ!ってなキャラクターで
罪も無い人々をバンバンとやっつけて、
世界を荒らしまくったりするのですけど。
まぁ、しょうがないですわな。
「西」と「東」では全然文化も違いますものな。(o-´ω`-)ウムウム。



以前、スタジオで、
教会の牧師さんでもありミュージシャンでもある男性アーティスト
「JT」先輩と、お互いに大好きな「屋久島」談義をしていた時に、
とても印象に残っている話しというのがあって。
それが
「西洋と東洋における宗教の違い」
についての話し。
屋久島という島のあまりの神々しさに



「心底感嘆しちゃうよねぇぇ......」



なんていう会話の中から、なんとなくそんな方向に行って。
牧師さんでもあるJTさんの意見に僕が興味深く聞き入っていたような感じ。
JTさんは自らの生家でもある教会のキリスト教に関して
こんなことを言ってました———————



「あのさ、
キリスト教って砂漠の国の宗教のようにも思えるんだよね。
砂漠なんてさ
何かの種をポンと撒いても絶対芽なんか出ないしね。
水の無い死の世界。
そんな世界ではさ、もう生きる事自体が大変で、
修行のようなものでね。
だから宗教の教義とかにも根源にはそんな絶望的な環境や
自然に対するようなものが含まれてるんだよね。

仏教とかってさ、
雨の降る肥沃なアジアの大地で生まれて広まったものだから、
だからその教えの根源には “無になれ“ とか、
“全てを捨てなさい” みたいなものが有ると思うんだよ。
贅沢なんかするなよ、、みたいな。

でさ、キリスト教ってその逆でさ。
タダでさえ何も無い痩せた土地だし。
緑の木々が生えて水がある所なんて “オアシス” なんて呼ばれるし。
だから教義の根本には
“あなたは既に全てを手にしてます......”
ってなことがあるんだよね。
そうでないと大変なんだと思うんだ。
生きるのが。
希望が持てなくて。

宗教ってやっぱり人々の希望にならなくちゃいけないから。
だから教義はいつもその宗教が生まれる環境とは
逆の方向に成っていくというか。
その環境に足りないものを補っていく方向というか。
だからね、枯れた大地では
“目を閉じなさい”
“想像しなさい”
“あなたは既に全てを持ってますよ......”
と、ね。
“全てを捨てなさい......”
なんてとても言えないと思うんだ。
そんなんじゃ支持されないしね。
そこが仏教とキリスト教とで正反対でさ。
なんだか面白いよね」



今更ですが、確かに面白い話しで。
個人的には
「まったくその通りだな」
とも思う話しです。
「仏陀=ブッダ」は一国の王子様で、
豊かな暮らしからスタートしてましたし。
「イエス」は馬小屋で生まれていましたし。



そして、
もう一つ面白いことに「龍=ドラゴン」という聖獣の存在は
洋の東西を問わず同じ様にあって。
背中に「羽」が生えていたり、いなかったり。
手に「玉」を持っていたり、いなかったり.......と。
その形象に地域地域で多少の違いは有れど
その姿はマッタク同じ様なイメージで存在しています。
以前もこの記事で「やや詳しめ」に書きましたが、
太古の昔から大自然の「エネルギー」というのは
常に「ウネリ」や「螺旋」「渦」のようなものでもって
人々に感じられたり、表されたりして来ていて。
そんな強大な自然エネルギーは、
そんな事を敏感に感じとることが出来ていた人々によって
仲間に伝えやすいように「形象化」されたりもして。
その形は自然と蛇や龍などのウネリを表しやすい
「長モノ」的形象になっていったり......
そんなワケで、
「龍」というのは古来より地球や自然の強大な力、
エネルギーを象徴するモノとして世界共通で創造されたり、
語り継がれて来たりしてるように思います。
「ホビット」のドラゴンさんのように「火」を噴いたりなんかするのも、
西洋では「火山」のイメージなどとも
重ね合わせていたりするのではないでしょうか。

「龍=自然界のエネルギー」

ということでしょうか。

もしくは、

本当に存在する!?

のでしょうか......

雨が多く、肥沃な大地で、
作物も緑の木々も広くよく植生することが出来る、
僕等の住む中緯度の東アジア地域というのは、
生命が生きるのにとても恵まれた場所なのだと思います。
そんな僕等の住む地域では大自然の力というのは
「寄り添うべき」偉大な力であって、
大いなる恵みを頂いたり、
利用させてもらったりするような力でもあって。
だから自然というものに対しては
「生活のパートナー」
というような意味をも含む畏敬の心が育っていって。
その象徴でもある龍さんというのは恐いけれども、
「味方」でもある偉大な存在となるのでしょう。

一方、
とても乾燥して居る原初キリスト教やユダヤ教が生まれた地域......
エジプトからアラブ一帯、
地中海東岸辺りのとても乾燥した地において、
そんな「自然」というのは生きる為になんとか克服すべき、
乗り越えるべき「試練」のような存在でもあって。
そんな「厳しい自然」の化身ともなる存在......「ドラゴン」というものは、
乗り越えるべき障害や敵の象徴の様に思われてしまうようなコトも
西洋ではごく自然な成り行きなのかも知れません。
寄り添うより調伏!征圧!
住みやすいように造り変えてしまえ!
......なんてなるのも自然なことなのかもしれません。
映画「ホビット」に登場する荒れ狂う悪者のドラゴンさんも
そんな風土から生まれた方の「龍」さんであって。
僕等の地では大自然を司る恵みをもたらす神様でもあって......
僕の様な
「龍神さん好き!」
の人からするとちょっとした違和感なども感じつつ、
なんだかそんな文化の違いや成り立ちはとても興味深く、
面白く感じたりもします。



さてさて。

「いいところぉぉぉーーーっ!ヽ(゜∀゜)ノ」

......で、

「マジっすか!?」



「続く。。」

となった「ホビット」シリーズは、
しょうがないので、

「次回作まで楽しみに待つ♪」

こととして。
「キック・アス」の今後は......もちっと......
考えることとしましょうか。ね。
ぱふぱふ。(´・ω・`)ナヤマシイノダ......

ヒット・ガール LOVE!


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