雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

キャー!ポンポン♡

2019-01-28 00:02:00 | サブ・タイトルの話
「毎日毎日、歩きながら、すごく色々考えました......」



先々週ぐらい。
アメリカのロサンゼルス・オフィスに勤めていたスタッフのKGさん(♂)
が東京に戻ってきて、僕にそんな話をしてくれました。



「uzmetさんも来てくれていた、あのオフィスに向かう道で、
もう、本当に色んなことを考えました。
でも、面白いですね。日本にいる時よりとても深く、スッキリと考えられるんですよ。
LAのそういう空気というか、気候というか、、、にはとても助けられました。
日本だったらノイローゼになっちゃったかもしれません。
アメリカっていいですね。本当に、心からそう思いました......」



彼は会社を辞める決意をしたようです。
そのことを、一人、ずっとLAで考え抜いていて。
それで出した結論を僕に話そうと、わざわざ時間を取って話してくれました。
僕はLAオフィスの仕事をかなり手伝っていたりもしたので、
そんなこともあってのことだとは思いますが、
この話をしてくれている時の彼の顔はなんだかとても晴れやかで。
スキッ!とした、頼もしいものでした。



「......それで、人を教える仕事をしたいな、と、思いまして。
日本に戻ります。
ここからまた新しく頑張ってみようかと(^_^)」



彼とはLAは勿論、NYでも幾度か会っていて、時折、色々なことを話しても来ましたが、
今まで話していなかったことを少しだけ、僕は彼に話すことにしました。



「......実は、俺ね、君のその感じ凄く良くわかるんだよね。
LAの空気というか、アメリカの空気というか。
日本と全く正反対のところがあるじゃん?
それが凄く色々なことをクリアに考えさせてくれるってこと。
俺、ちょうど君ぐらいの年の時にLAに3ヶ月ぐらい住んでたの。この会社に移って来る前に。
その内の2ヶ月ぐらいは大学のサマースクールに通ってたのね。(^ω^)」

「ええ!?いや、初めて聞きました。そーだったんですか。それでLA詳しかったんですね」

「そーなの。知らなかったでしょ。話したことないもんね。そんなこと。
でさ、学校に行っている時に住んでいたのが、
実はウェストウッドにあるUCLAのドミトリーで。
そこから大学の教室に毎日通ってたの」

「あ、わかります。あのグラウンドの上の丘のあたりっすよね」

「そーそー(^ω^)アメフト・グラウンドのすぐ脇に立ってる一番大きな寮にいたのよ。
そこそこ。」

「よく分かります(^_^)」

「その寮に住んでいた時にさ、毎日考えていたことが、実は、
未だに俺の将来の道しるべになっているんだよね。本当に。
ジジイになって、死ぬ前にはこういうことを成してみたいな、、、って。
それってもう少し先!?の話でもあるし、まだ全然実現もしてないけど、
その時のLAで考えついたことなんだよ。
ま、その細かい内容は未だに誰にも話していないんだけどね。君にも。奥さんにも。
でもさ、それに向かって今もこうして働いてるし、動いてるワケではあるんだよね。
その時のLAで過ごした時間ってさ、とても短かったけど、
未だに自分の中で光り輝いている時間だったりもするんだよね。不思議と。
思い出すだけでいつもとても嬉しくなったり、元気になったり。
きっと生涯忘れないと思うんだよなぁ。。
あの3ヶ月より楽しかった時間とか、マジ俺には無いかもしれないぐらい。
実は凄い意味のある時間だったんじゃないかと、今でも心からそう思うもの。
きっとさ、君のアメリカでの時間もこれからそうなっていくのではないのかなぁ......って。
とても大事な時間を過ごせたんじゃないかって。そう思うけど。俺は。
良かったんじゃん!?
会社を辞めるって話がいい話か?どうか?はわからないけど、でも、
この世界に良い悪いなんてないし。
とにかく、とても意義と意味が深い時間になっているんじゃないのか、と。うん。(^ω^)

「はい!いや、ホント、そうなんです。はい(^_^)」

「こっちで落ち着いてきたら、またゆっくりご飯でも食べながらはなそーぜー(^ω^)」

「ハイ!(^_^)」



時折、人は新鮮な環境に身を置くことが必要なのではないかと、そう思います。
旅もその1つでしょうし、仕事や赴任、引っ越しとかもそうかもしれません。
親元を離れて暮らしてみるとか。
1人で暮らしてみるとか。2人とか、数人で暮らしてみるとか。
例え体が動かない様になっても、目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても、
それに準じる様な「何か」は必要なのではないか、とも思えます。
普段しないことをしてみる、とか。考えてみる、とか。
本や、未知の映像やゲームの世界に没頭してみる、とか。
話したことのない人と話してみる、とか。
その時の自分にできる精一杯の変化をつけてみること。そうしようとする意思。
そんな中で見つけることは、きっと、希望に近いことなのだとも思うからです。
自分が慣れ親しんだ世界とは違う世界が与えてくれるのは、いつも、新鮮さと、
元々自分の中にあったのに、気づいていなかった「何か」だったりもするのだと思います。
それは、時に、自分の人生を変えることすらある様な気もします。
人生とまでは言わないまでも、
凝り固まっていた価値観を変えてくれることなどもある様に、僕には思えるのです。

幸せに導いてくれるようなことも?あるように思えるのです。

KGさんの、これからのさらなる活躍と幸せを心より祈っています。

このブログのサブタイトルに嘘はありません。(^^)





サンタモニカビーチとビバリーヒルズのちょうど真ん中あたりにある
ウェストウッド(Westwood)。有名な「UCLA」がある街です。
学生さんが多いので物価も安く、治安も雰囲気もとてもスマートで。
ちょっとのんびりもしていて、気取ってもいなくて。
海と山のちょうど中間にあって、どっちに出るのも便利。
そんなところがたまらなく好きな街です。



上の写真の真ん中に映っているロケットの様な細い塔型の建物は映画館。
街のランドマークでもあって、僕がよく通っていた思い出の場所の1つ。
今も健在みたいです。(^^)そして、言わずと知れた
「 UCLA=University of California, Los Angeles = カリフォルニア大学ロサンゼルス校」







下の写真の、グラウンドの向こうの丘に建つ建物が、KGさんも言っていた、
僕が数ヶ月住んでいた「スプロール・ホール」と言う名前のドミトリー。



正面入口はこんな感じ。一帯に沢山あるドミトリーの中の一つ。



寮の前にある、毎朝いた「カフェ1919」とサンセットヴィレッジ。
宿題とかやっていました。





部屋の窓からの眺めはこんな感じ。
グラウンドの向う側にある茶色い古い建築様式の建物は図書館。
よく1人で居座ってました。



毎朝、このグラウンドで合宿を張っていた
チアガールさん達の黄色い朝練の声で起きていて......

「♪てきらうぇい!でぃーーふぇーーんす!♪キャーッ!ポンポン!」

「むにゅむにゅ......もしや!?天国で起きちゃったの!?」

なんて、ベッドでボケボケしながら思っちゃったりなんかして......



この道を毎日通っていたのですけど、
僕さんは、わざわざ遠回りになるグラウンドの中を突っ切って教室に行ったりもしていて。
なぜならばばば!練習中のチアのおねーさん達の前を通ると、お約束事で、
一斉に美脚を上げて、両手に持ったポンポンで大声で応援してくれるから!(*´ー`*)♡

「ファイッ!ファイッ!とぅー ういん!キャーッ!ポンポン♡」

みたいな。ええ。練習とわかっていても勘違いしそーになるのです。ええ。アブナイっす。
すぐお隣のプロの大会も開かれるテニスコートも使いたいホーダイ。



他にもトレーニングジムとか、プールなどは屋内、屋外ともに3つぐらい揃ってます。
とにかく、何をするにも不足の無い贅沢な設備。
そして、こんな感じのこのエリアは、
LAに行くといつもツイツイ訪れてしまう場所ともなっていて。
性懲りも無く、と言うか。意味もなく、と言うか。
感傷的と言うか、回顧的と言うか。情けないというか、なんと言うか。
一つ言えるのは、きっと僕はココが大好きなんだと思います。



僕のいた「スプロールホール(Sproul Hall)」という寮は、
日本の2倍以上はある長い夏休みを取っている生徒さんの部屋を、
夏の間だけ一般に解放するようなのです。生徒さんは空けた分年間賃料が安くなるし、
寮側としたら一般貸しの方が賃料も上げられて儲かる。とても合理的な考え方。
最初「スプロール」と言う名前の意味が全く分からず、
その意味を館のスタッフさんに聞いてみると、
このホールを建てた人の名前が「SPROUL」さんであると。
UCLAの卒業生で、母校への寄付としてその人から贈られた建物なのだそうです。

そして、全米屈指の大学の広大なキャンパスには、
そんなふうに卒業生から寄付された建物やら施設やら様々なアイテムやらが沢山あります。

卒業後、社会的にも金銭的にも成功した人は、母校へのお礼と、自分の名誉と、
後輩たちへの紳士的手本ともなるべく、この様な寄付をする人が多いのだそうです。
母校に名を残すことはアメリカでは一つの大きなステータスともなる様で。
それが卒業生達の一つの「カタ」ともなっていて。
生徒は生徒で、そんな寄付された様々なものものの恩恵を受けれるわけであって、
そんな充実した施設を体感して行くうちに、僕自身、凄く自然に思ったのは、

「この大学、スゲーな。最高だな。子供とか出来たら!?ここに通わせたいな......」

みたいなこと。先に記したチアガールさん達も、
夏合宿という形で憧れのUCLAのチアリーダーさんに教わりつつ、
「体験入学」も兼ねているわけです。それも、全世界から集まって。
現役のUCLAのチアリーダーさんにとっては
とてもいい夏休みバイトともなっているようですし、
そんなふうに世界中から集まっている在学中の現役生徒さん達も、
この素晴らしい環境で毎日を過ごすうちに、

「いつか自分もこの母校に名前を刻むんだ、、、」

「社会に出たら寄付が出来るような人になれるよう頑張ろう、、」

と、そんな思いが芽生えて来る様でもあるのです。
そんな連鎖が世代や国を超え、伝統ともなっていて。
大学としては費用が軽減されながら施設はどんどん充実していって。
そんな充実した施設がまた世界中から多くの学生達を惹きつけるチカラともなって。
人気となって競争力も上がり、優秀な人を集めも育てもして。
世界中から来て、世界中に出て行く人達は、
そんな大学のことをまた世界中で誇らしく話したりするわけで。
ソレもブランドが世界的に構築されて行く要因ともなっていって。

そんなサイクル。

ハードウェアの完璧な回し方。

完璧なブランディング。

大学をビジネスと捉えてみた時も、この合理的なサイクルには感嘆してしまいます。
日本の大学でこんなサイクルを完璧に形成させているころなどあるのだろうか?と。
経済的な合理性も含めて、民主的に、自然と創られていくブランド。
イイ歳こいて海を渡ると、
ワカゾーの時とはまた違った視野でモノを見れる様なことがあったりも?
するようです(^^)


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コメント (2)

アイリーン・グレイ

2019-01-24 00:08:38 | 素敵
「ソファーを買いたい」

と、友人のikuちゃんが言っていたので、
横浜の大きな家具ショップで少しばかりのレコメンド・ガイドを昨年末にしていました。
その時に、

「ソファを買うなら、ぜひともこやつを一緒にどうかとぉー(^^)」

と、ついつい勧めてしまったのが、
アイリーン・グレイさんという女性デザイナーの方が1920年代にデザインしたテーブル
「E-1027 アジャスタブル・テーブル」
写真は僕の自宅のものなのですが......



あくまで超個人的な思いの話とはなるのですが、
約100年も前に!デザインされ、今もなお古さを全く感じさせないこのサイドテーブルは、
最早、世紀の傑作!なのではないかと。
我が家には2つほど置いてあるのですが、それほど溺愛してしまっている一品でもあります。
コの字形に作られたテーブルの細いベース部分は、ソファの下にスルリと入り込んで、
テーブルヘッドをソファーの前や上に自在に持ってくることも出来ます。
テーブルの高さも自由自在。
ソファは勿論、ベッドや様々なタイプの椅子と合わせて使っても抜群の使い勝手。
そして、ここまで機能的であるのにもかかわらず、デザインはとてもシンプルでさりげなく。
どんなアイテムにも部屋にも自然と溶け込んでくれて、それでいて主張は控えめ。
しかし、鋭く、嫌味なく、しっかりと目に入って来る特異な存在感があります。
以前記したミースさんの「バルセロナ・チェア」とも相性はバッチリですし、
まだココで記したことはないのですが、
このテーブルと同じく個人的に溺愛しているル・コルビジェ(Le Corbusier)さんの
「LC4」というチェアとも完璧なマッチングを見せてくれます。
今やニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションにもなっていて、
彼女の作品の中ではブリック・スクリーン(brick screen)やデイベッド(DayBed)、
ビベンダム・チェア(Bibendum Chair)等の作品と共に、
時代を超えて世界中の人々に使われ続けているプロダクトの一つではないでしょうか。
そんな名作テーブルのデザイナーであるアイリーン・グレイ(Eileen Gray)さんを語るには、
こんなブログなど10回使っても書ききることは出来ないとは思うのですが、
記憶に残る最近の出来事としては、
2009年にフランスのパリで行われたオークションでしょうか。



2009年2月24日。
とても小さな椅子がオークションにかけられました。それが上の写真のもの。
画像はネットから拝借しましたが、
この妖艶な椅子の名前は「ドラゴンチェア(Dragon Chair)」。
日本では「竜の椅子」と呼ばれています。
あのイヴ・サンローランが生前にプライベート所有していたもので、
1920年頃にアイリーン・グレイさんによってデザインされ、作られた、世界でただ一つのもの。
以下の写真はリプロダクト品ですが、やはり独特の美しさはそのままで......



そして、この時のオークション落札額は——————なんと、28億円!
当時の家具における史上最高額。
その、あまりにインパクトのある金額ゆえに、
この時のオークションは各方面から「歴史的事件」と表現されることともなりました。
今現在、最高額となっている家具は、
貴重な宝石が散りばめられた装飾チェスト(物入れ)のようなのですが、
宝石の価格を考慮すると、
実質的には今でもこの椅子が世界一高価な家具と言ってもいいのかもしれません。

こんな偉大な作品の数々を生み出して来たアイリーンさんですが、
その作品の価値や評価というのは、実は彼女が一線を引退し、
高齢になって以降、急激に上がって来たものらしく、
彼女の価値観や仕事というのが、
時代の何十年も先を行くものでもあったことを伺えるエピソードでもあります。

そんな彼女をもう少し掘り下げてみると、どうも彼女はLGBTでもあって、そして、
この日本という国の文化や職人哲学の影響をとても強く受けていたようでした。
実は、彼女の名声を最初に確固たるものとしたのは、
日本の「漆(うるし)」を使った数々の工芸品や家具だったようで、
彼女にその漆の技術を教えた方は、菅原精造さんと言う職人さんでした。
2人の共同製作により、西洋モダンなデザインに日本伝統の漆の技をまとった家具や品々は、
ヨーロッパのマーケットで瞬く間に話題をさらい、人気商品となっていったようなのです。
このことを知った時に、僕は、彼女の作品の懐の深さや、
自分の琴線の奥深くに触れて来る「何か」の理由が
とても良く理解できたような気もしました。

西洋と東洋の融合。

アートとデザインの接合。

女性的感覚と男性的感覚の高次におけるバランス。

無機質なものに有機的なものを加えるセンス。

機能主義的なミニマル・デザインに温もりや愛着までもを与えるアイデア。

想像力。

仕事への愛。こだわり。心。

紛れもなくミッドセンチュリーを代表する女性デザイナー。

今に至るまでのモダン家具の基礎を創り出した方の一人。

個人的に敬愛してやまない方の一人。

こんな本も大切に持っていて.......



最近発売されたドキュメンタリーのDVDも。
「アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー」



そして何より、彼女を象徴するものと言えば、南フランス、地中海に面した村、
カップ・マルタンにある彼女が建てた別荘「E-1027(イー テン トゥエニィセブン)」
画像はネットより拝借。









白い外壁、RCキューブデザイン、ピロティー、屋上庭園、自由な平面、自由な立面、
水平連続窓、完全開口出来る可動式壁窓、バルコニーと庇(ひさし)とテント地のクロス張り、
屋内採光用の天井窓ともなっている屋上へ向かう螺旋階段、必要十分を意識したコンパクトさ、
通風の良さ、建物と一体となって機能する様々な家具......これ......90年前の建物!?

「このヴィラこそ、世界の建築を近代へと導いた......」

と、多くの人に言わしめるまでの建物。
様々な経緯でしばらく荒れ果てていた様なのですが、
つい最近、フランスの政府機関が正式に買い取って、保全のために綺麗に修復されました。
上の記事にも記した「E-1027 アジャスタブルテーブル」の「E-1027」とは、
実は彼女が建てたこのヴィラの名前から取られていて、
アイリーンさんがこの別荘を建てる時に一緒にデザインされたテーブルだったので
そう呼ばれているわけです。
この建物は、そんな家具に至るまでアイリーンさんの思いと哲学と技術と愛が詰まったもの。

アイリーンさんと交友のあった、あの、近代建築の巨匠、
世界遺産建築家でもあるル・コルビジェさんは、そのあまりの居心地の良さに驚愕し、
何かにつけて訪れて、常に長居をし続けていたといいます。
そして、彼のこの別荘への異様な執着は、アイリーンさんの許諾も得ずに、勝手に、
壁一面に自分の絵画とサインを描きこんでしまうという暴挙までも起こさせてしまいました。
アイリーンさんはこのコルビジェさんの行為に激怒し、
この時から交友を絶ったと伝わっています。
コルビジェさんのその行為は、この建物の著作を自分のものにしたかったのではないか......
とも言われていて、数年後には、まるでアイリーンさんに当て付けるかの様に、
このヴィラのすぐ横に自分の別荘まで建ててしまいます。

そして、

コルビジェさんは......

この「E-1027」の真ん前の海で泳いでいる時に心臓発作で亡くなるのです。

彼は、人生の最後まで、この別荘を特別視し、偏愛し、訪れ続けていたようなのです。

それは嫉妬でもあったのではないか......と。

そうも言われています。

巨匠、コルビジェさんの残した有名な言葉で、以下のものがあります。

「住宅は住むための機械である」

対して、アイリーンさんは、あまり知られていませんが、以下の様な言葉を残しています。

「家は住むための機械ではない。
人間にとっての殻であり、延長であり、解放であり、精神的な発散である。
外見上調和がとれているというだけではなく、全体としての構成、
個々の作業がひとつにあわさって、もっとも深い意味で、その建物を人間的にするのである」

「創造は問いかけから始まる」

「物の価値は、創造に込められた愛の深さで決まる」

そんなアイリーンさんに、コルビジェさんが宛てた言葉も残っています。

「あなたの家で過ごした二日の間に、その家の内外のすべての構造に指令を出している、
類い稀な魂を称賛する機会をもつことができてとてもしあわせです。
モノトーンな家具とその設営ぶりにこれほどの風格と魅力、
機知に富んだ形をあたえているのは、その類い稀な魂なのです」

ル・コルビジェが唯一認め、嫉妬もした人。

アイリーン・グレイ。

「E-1027」にまつわるこんな話は、

つい最近「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」という映画にもなりましたが、

その映画も見るにつけ、

そんな偉大なるヴィラを僕もいつか見に行ってみたいなぁ、と。

この体で感じてみたいなぁ、と。

そんなことを思っていたりもするのです。(^^)


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天真爛漫

2019-01-20 00:36:15 | 願い
てんしんらんまん。

天真爛漫。

「神様に好かれるにはどうしたらいいと思います?」

という質問をされた時に僕がよく答える言葉です。

この人、妙に神様に好かれているなぁ、、、

と、僕が感じる人達の共通点を考えて、

答えを色々とイメージした時に、

個人的にはこの言葉が一番しっくりと来るのです。

最近もそんな質問があったのですが、やはり、

この言葉を返しました。

勿論、個人の主観であり、

ましてや、僕自身が好かれているかどうかなどとは別の話で。



そもそも神様ってなんなのか?

いるのか?いないのか?

根本にはそんな話がありますが、

まぁ、「運」なるものをアルと仮定して。

そんな「うん」を司れる存在がもしいるとしたならば......

いるのかもしれません。

ただし、

本物の神様は?僕の知る神様は?

そんな運にすらあまりタッチしません。

運の運用ルールを定め、管理しているとは思いますが、

軽く、特定のヒトに片寄せて流したり、

与えたりはしないように思います。

もし、そういう感触がある人や寺社、場所などがあったら......

神仏でなく、

ルールを破って運用する存在が!?

いるのかもしれませんし......

少し怖いようにも思います。

「違法だよーん!」

と、いつか捕まるのか!?

既に捕まっているのか。

意味あって泳がされているのか?

どーなのか。

ま、コレも戯れ言ですが。



いつの時代も天真爛漫に暮らしていくことはとても難しいことかもしれません。
また、天真爛漫でも、ただ天真爛漫なだけでは、
その天真爛漫さが周りや人を損ねていくことが沢山ある様にも思えます。
自分で自分を損ねていくことも多いかもしれません。
ソレは、神様に好かれている人がとかく落ち込んでしまう穴であり闇でもあります。
天真爛漫を天真爛漫とするためには、
人格と知恵と配慮と、
それらを磨く絶え間ない様々な努力がバランス良く必要なようにも思います。
周りからの支えも。
人同士の絆みたいなものも。
思いやりも。
優しさも。



そんなところにこそ神や運の居場所があるのかもしれず。



天真爛漫であり続けられる為のカギは世に沢山転がっているのでしょうか。
そうあり続けられない様にするための穴も沢山。
傷つく恐怖。
傷つきたくないという衝動。
本音で生きていこうとする勇気。恐れ。
意思の使い方。持ち方。
強さの意味。理解の仕方。
心、技、体、力、財、業......



もしかしたら、
本音を隠し、他者に見せずに生きている人は、
それを当たり前として生きている人は、
そういう状態にあることを自覚出来ずに生きている人は、
世の中には想像以上に多いのかも知れません。

いや、そもそも、
人類や社会自体が本音を隠してきた時間が少々長かったのでは?なんて。
真実を知るのは実はとても怖いことであったりもしますし......とか、
変なことを考えたりも。

でも、
本音は必ず隠せなくなります。
どこかで表出します。
表出してしまいます。



奥さんやダンナにも!?



必ず分かっちゃったり。



思いやりが必要で。
考え抜く力も必要で。
知恵が必要で。
叡智が必要で。
叡智と思いやりと共にある天真爛漫さというものこそが、
神々の望む心なのでしょうか。
世界なのでしょうか。



人というものは清(善)だけでなく、濁(悪)も併せ持っています。
神聖でありながら、不埒でもあります。
天使な悪魔。悪魔な天使。
だけど、だから人は難しくて、
そして、頼もしいのだとも思います。
人は、本当は、
善悪の彼方にいるのだと、
善悪の彼岸に住んでいるのだと、
僕はそう思います。



天真爛漫さは、
そんな彼方に、
失われないようにして持っておくべきものなのでしょうか。



僕の歩む道のりは、
この世界や星の道のりは、
まだまだ先が長そうでもあります。
まぁ、だからこそ、
頑張ろうかとも思うのです。
6?7年?ぶり?
のインフルエンザで完全に寝込んでしまっている僕さんなのでつ。。(っ´ω`c)キュキューン





パステルさんの「クリスマスイチゴプリン」。
なんという天真爛漫さ!♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ キョネンツイカッチャッタノ!


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Hot!

2019-01-16 00:01:02 | 美味しい...珈琲
深夜に食べるカップ麺はどーしたって美味しいわけです。ええ。
ヤメたいけどヤメれまへん。ええ。(*´ω`*)
正月だってヤメれまへん。

聞くところによると、生物学的には、暗くて目がよく効かなくなる夜は、
外敵から自分の身を守るために五感が研ぎ澄まされている時間帯なのだそうで。
それで嗅覚や味覚もかなり上がっているのだとか。
ソリわおいちいワケです。何かと。ええ。(●´ω`●)

それで、そんなゴールデンタイムに最近かなりイッチャッテルのがですね、コレです。
セブンイレブン限定商品「蒙古タンメン中本 辛旨焼そば」



焼きそばっす。ラーメン系でなく。ええ。「誠」って字に目がイッチャウのでやんす。
すこぶる辛旨!「カラウマ!」ってやつです。
文字通りホットな商品す。HOTもの。箸が止まらないんす。ええ。
「カラムーチョ焼きそば」とでも言いましょうか。
癖になっちゃう系。気がつくとカラダボロボロ系。
ほどほどにしないとですのね。ええ。しませんけど。ええ。



このトッピングさん達がナニカとヤベーっすの。
体にすこぶるやべーっす。とにかくかき混ぜる!のでやんす。



そんなすこぶるヤベーの究極が、こちらの一品でしょうか。
ペヤング「やきそば 激辛MAX END」



噂によると、一度食べると二度と食べない!とのことで、
もはやスッカリ店頭から姿を消していますが。ええ。
御多分に漏れず、僕さんもその1人ですけど......
なんと言っても超不気味な赤黒いソース......



一瞬、普通に見える仕上がり......これぞワナ!罠なのです......



食べるとですね......



いっ!



いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーっ!.....Σヾ(;☆ω☆)ノギャアアーー!!



く、



くちびるがぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!



ピリピリのハレハレでぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーっ!



し、舌もぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーー※〆€£$&々£€※^〆}{£]&£※〒:(;゙゚'ω゚'):



ち、ちゅぅできないやんけぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーっ!



ちゅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーっ!(´༎ຶོρ༎ຶོ`)(´༎ຶོρ༎ຶོ`)(´༎ຶོρ༎ຶོ`)



と、ネズミさんのように一口で逃げ出しちゃったものでございます。
僕さんの残したカップ麺を見て、横から好奇心でひとつまみしてきたコニャ(奥さん)も、
一口食べて、そのまま水を探して何処かに旅立ってしまいまちた。
フラフラと砂漠で死にかけている人の様に。ええ。マジで。危険す。これ。
売っちゃいけません。売っちゃ。
まさに「END」。商品名に偽りなし。HOTすぐる。
完全なるコーポレート宣伝商品ですな。これ。ええ。
ソーシャルラウンドを意識した商品す。
新年会の罰ゲームには最高っす。ええ。



ちなみに、こちらわすこぶるおいちい
「東京・神保町 行列が絶えないやきそば専門店 みかさ 監修 ソース焼きそば」
色の濃いソースさん。王道のおいしさ。明星さん。間違いなし。
カップ焼きそば好き好き野郎。( ̄▽ ̄)



ま、オマケ的メジャー情報ですけど。カップラーメンさんの方も。ひとつばかり。





蒙古タンメン中本のカップラーメンに納豆を入れる!と、トテモ美味しいとか......
最近、マツコさんの番組でやっていたのですけど......

「!?☆|%$#!?......お、おいちぃ......(;゜ロ゜)......」

そして、最近のこんなHOT & HOTムーブメントの最中、僕さんは
「恒例之新年珈琲開封乃儀似勤務」
なのでございます。



ええ。ええ。

「こうれい の しんねん コーヒー かいふうのぎ に いそしむ」

と読みます。つーか、読んでほしい、てきな。ええ。

今年のその儀に登場したのは、こちらさん。



なんと!

その名もペレ!PELE!

今地球上で一番HOTな火山の女神様の名前!

超HOTな豆!

勿論!

ハワイコナ!Hawaii Kona coffee!

これ以上ナシ!

超個人的な思い!

おそらく、コナコーヒーの中でこの女神様の名を冠した初めてのコーヒーではないかと。

スゲー!

ビビる!

パッケージもオシャレ!

飲みたい!

開ける!



ふーーーむむ。。
最初の口当たりはすこぶるスッキリで.......水みたいだな.......
カウアイ系珈琲の感じ......と!?ムムッ!?マジか!?
なんだ?この後味は!
口にしっかりと残る苦味とコク。スゲー。
味が二回もする。なんだこの感覚。
二段階!
新しい!旨い!噂通り!
新しいタイプのコナなのか!?
と、結構な「コナコーヒー維新」を感じる豆でした。
聞くところによると、どうもこの農園さんは、
高齢で農場を続けるのが厳しくなった日系人のコーヒー農園を、
フランスからの移住をしてきた夫婦が買い取って始めたものらしく。
パッケージのオシャレさにもそんなフレンチ感覚が入っているのでしょうか。
二段構えのテイストの感じもフレンチなエスプリで。
勿論、日系の皆さんが確立させてきた、無農薬栽培で手積み!
というコナ・コーヒー・ソウルもそのまま受け継いでいるらしく。

なかなかに.......

ペレさんの名を冠するに相応しい美味しさ。

フランス系移民の威信をかけた維新の珈琲とでも言いましょうか。

とても嬉しいお味です。

しあわせっす。。(*´ー`*)


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維新と威信 6

2019-01-12 00:41:26 | 不思議...パワスポ寺社
僕が萩で受け取った2019年のキーワード「維新」と「威信」は、
こんな出来事の中で、数日が経つうちに徐々にその意味合いを表して来ました。
そして、それに合わせるかのように、神々からの言葉も少し遅れて届けられて来ます。
年をまたいで記している今回の松蔭さんと明治維新の志士達のお話は、
最後にもう一回だけ、続きます(^^)














このお話の初回記事にも記していたと思いますが、
Mさんと福岡のホテルで話している時、Mさんは僕に明瞭にこんなことを言っていました。

「松陰さんは生きてます。すくなくとも、僕らが神祭で行った時まではそうでした」

僕も、おそらくはその通りだと思います。
萩での一連の出来事からは、Mさんの霊能の確かさは一層強く認識できましたし、
実際に肌で感じた萩の明治維新の志士さん達の感覚も、押し並べてそんな感触でした。
東京にある松陰神社もそうですが、神様とは違う次元にある感覚。
まだ生々しさもある次元。
しかし、とてもよく理解できるのは、

それほどまでに強い思いがあったらこそ国の変革が出来た。

そして、そこまで強い思いは、それ故に、

この世界からなかなか消えることができなかった。

2019年。亥年。猪年。イノシシ年。
維新と威信。
それが猪突猛進的に進み、わかりやすく現れていく。
明治維新から始まった日本の近代化は、戦争も挟み、
その数々の深い傷跡も含めまだ本当の意味では成せてはいなかったのだ、と。
だから明治の志士達の思いや憂いも消えることが出来ずにいて。
しかし、維新からちょうど150年が過ぎ。そんな明治維新からの流れはやっと完結。
年号も大正、昭和、平成と3度も変わり。終わり。
今年はまた新たな年号が待っています。
これからの社会改革的な諸事に際しては、
また明治維新の時の様に血が滲むこともあるのかもしれません。
ただ、最早、時代は進歩し、
その血は明治の時の様な「人の命」ということではないとも思いますが、
精神的に、社会的に、ひどく傷つく様な人がとても多くなるのかもしれません。
特に、旧体制の旧態的な価値観を基にするモノモノは完全にそんな流れに入り。
弱り目に祟り目?
組織や仲間内でのイザコザ?内乱?的出来事も?
犠牲なき維新はないのか?
ただきっと、勢いに乗る人も諸事も多く現れて。
必要なのは

「自らの威信にかけて、、、」

という強い気持ち。

明治の志士たちの様な意思力。意識。

芯の強い想い。誇り。尊厳。

それを、どんな時も失わない様にすること......



最後に、遅れて届いて来た神々の言葉達をここに残しておこうかと思います。
相変わらず!?ポンチキ極まりない御言葉達なのですが、
相変わらずの鋭さを誇るプリリンねーさんの監修も頂いたということで。
そして、こちらを読んで頂くにあたっては、
もしかしたら知っておいてもらったら興味深く読めるであろう?
少しの予備知識も記しておきます。



松陰さんは、江戸幕府が鎖国政策を敷いている最中、
伊豆、下田に訪れていた、いわゆる「黒船」に友人と共に小舟で密航して、

「アメリカに連れて行って欲しい!留学をしたい!」

という嘆願をペリーにしています。その

「海外の進んだ技術や世界を見てみたい。とにかく!学んでみたい!」

という純粋な願いは、過去にも青森に来航するロシア船を見に行ったり、
長崎の出島に遊学に行ってみたり、という記録が残されているくらい、
それこそが彼の夢であり、一番の願いであったようなのです。
松陰さんのこの行動は、当時の幕府から危険人物と見なされる元ともなって、
最初に捕らえられたのはこの一件からでもあります。



......と、予備情報はそんなところで。
アチキわ食べ過ぎたお餅の為に、これから公園を走りに行くのでやんす。ええ。ええ。
皆さんがよき新年を過ごせていますよぉにぃーーーっ♪(^^)




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<吉田松陰>

uzmetのところに行ったよ。
お別れのためだな。

私は、スカイウェイでアメリカに行って来ることにしたよ。
行きたかった場所だからな。

私は、霊界にいたが、去年霊界が無くなったので、菩薩界にいたのだが、
あまりに退屈だったので、神になる志願をしたのだ。

神になる準備をしたが、ダメだったのだよ。
変わらないからだろうな。

(何がですか?)

罪がだよ。
罪が深いのだということだな。
だから、アメリカに行って修行をして来るよ。
レッツゴーだな。
金型の鷲が見えるよ。
シアトルに行くよ。
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天之御中主神

uzmetは、明治の志士達のところに行っていたな。
かつての変革の時に、私達神のことがわかってくれた人達だった。
土になってしまってから、もう150年は経ったのだろう。
だから、神にしたよ。
元々、神の使いだったからな。
普通はすぐに八階層になるのだが、土佐の坂本龍馬も最近神にしたから、
今年の神の会議で、伊藤博文もいいだろうとなったら、一蓮托生となったよ。
薩摩の西郷隆盛は、まだだよ。
来年だろうな。

(中略)

疑いのないuzmetは、欲しい物を大事に持ってきてくれたそうだな。
木戸こうすけ(木戸孝允。きどたかよし。何故か?神々は木戸さんのことをこう言います)
が、カラツの神に言ったらしいよ。
だから、カラツの神が酒を送ったと言っていたよ。
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カラツの神(唐津の神。最近いなくなった住吉三神の一柱分もサポート中

吉田松陰は、アメリカに修行に行きました。
アメリカに行きたかったから、良かったと思います。
弟子の伊藤博文や木戸こうすけ(木戸孝允。上記注釈参照)は、
大政奉還の時に活躍しましたからね。
平成が終わる時だから、今年の会議で決まりました。
魂は、ずっと生きているのです。
uzmetさんは、一生懸命揃えてくれたので、木戸こうすけは気に入ったみたいですよ。
私からの酒は、長州の神達の気持ちです。
(実は、まず手に入らない限定醸造の超高級酒がMさんから突然家に送られてきました)
誰でもいいという訳ではないですよ。
足ーーーーさないと、変革は難しいということですね。
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木戸孝允(きどたかよし、きどこうすけ)

「こうすけ」とも言っていたよ。
魂の会話が出来ると聞いたので、来たよ。
uzmetという人が、松陰神社に来ていただろう。
鷹(トンビ)が沢山いただろう。
あれは、友達達だよ。
望みが叶わないままの、幕末の友達だ。
松陰先生は、アメリカに行ってしまったな。
アメリカに行きたくて、行きたくて、
その思いが強すぎで神にはなれないと言われたらしいよ。
大政奉還の時は、薩長同盟があったので、西郷隆盛ともよく話したよ。
私は、髭が薄かったので、いつもカミソリで剃っていた。
欲しい物はと言われて、言ったのはそのためだ。
松陰先生は、甘い物が好きだったから、干し柿と言ったと思うよ。
高杉晋作は、カイロと言ったらしいな。
揉めていたからな。寒かったのだろう。
誰でもいいという訳ではないからな。
土に還って、今回は時代の変わり目なので、新しく神にしようとしたらしいな。
死んでも尚、スメラミコトの世界にして良かったと思っているよ。
明治天皇は神の世界にいたし、大正天皇も最近なったな。
徳川家康も一緒だったな。
今年は、神になったのが多いらしいよ。
来年から時代が変わるから、急いでいると言われたよ。
強くしないと、とんでもないことになるからな。
また、話していいか?
羅漢を増やしてくれよ。
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コメント (14)

維新と威信 5

2019-01-08 00:07:56 | 不思議...パワスポ寺社
次回は、その明神池の光景や、

松陰さんに届けた様々なグッズの本当の理由?とか、

そんなお話へと続いていきます(^^)

お餅食べるどーーーー!ダ━━━━(`∀´)ノ━━━━━━ッ!!




お雑煮にしちゃいまちて。僕さん無類の雑煮好きなんですの。ええ。(●´ω`●)

と、そんな感じで昨年末からのお話の続きへと進みますの。ええ。ええ。

さて、無事にアチラ世界からの頼まれごとを全て果たすことが出来た僕は、
身も心も軽々しくなって、そのまま福岡空港へと帰ることにしたのですが、その前に!
萩の地を守る龍神さんに一言!
今日一日の御礼とご挨拶をしようと「明神池」という所に向かいました。
再び降り出した冷たい雪の中、僕は池の近くに車を停めて、外に出て、
池のほとりにある厳島神社さんへと続く池沿いの道をてくてくと歩いていくと.......



衝撃!のトンビ!?さんの整列が......カラスさんも......
しかも、鳥居に向かって伸びる参道的な道の手摺にズラリ.......と......整列......
その数は数えきれず。百!?はいないかもしれませんが、何十羽と......
こんなの見たことない......というか、
神社の参道にこんなふうに綺麗に整然と並ばれたことや、囲まれたこともなく。

「鳥居とはこのこと!?」

みたいな。上空にもめちゃくちゃな数が集まって来ていて......





この集まり方と人への慣れ方は、もしかしたら、
この池の近所の人達が時折餌をあげたりすることがあるのでは?
とも思いましたが、経験的には、
そんなことでもないと民家が建ち並ぶ場所にこれほどの数のトンビが棲んでいたり、
集まることなどは無いように思われます。
しかし、そう思う中で僕がとても驚いたのは、膨大な数のトンビさん達が、
参道と鳥居に向かって整列してとまっている!ということ。
その顔の向きや並び方は写真の通り全て揃っていて、
それがまた延々と鳥居のすぐ手前にまで続いているのです。
その光景はマサニ鳥肌もの!?で、
僕は少しの恐怖すら感じながら、しばしの間立ちすくんでしまいました。

「は!?はぁ、、すげぇ......この中を?歩いていくの?......襲われる!?気配はないけど、、」

僕は止まってしまっていた足を、もう一度前に出し、
ズラリと並ぶトンビさんの目前を通り、池のほとりにある厳島神社へと進んでいきました。
そして、拝殿に着き、賽銭を入れようとすると、今度は......



「は!?はぁぁ.......そーーー来るのですか......そーですかぁ......」

今度は鈴の真下、賽銭箱の真ん前に4匹のネコさんがいるのです。
知性ある目で?じーっと見られちゃってますけど。ええ。

「ん!?4匹!?って!?
松陰さんを中心に木戸さん、伊藤さんと......
せわしなく動く高杉さん......とか!?まさか、ね......」

と、そんな感じで終始驚かされるシメの本殿参拝を終え、
僕は池に架かる橋を渡り、浮島に佇んでいる摂社(せっしゃ)にも寄りました。



そこでは周囲に誰もいなかったので、
最初に訪れた松陰神社の時と同様の祝詞も差し上げて。
また雪の空が割れ、陽が差し、神々にその日一日のお礼を伝えさせていただき。
その後は池の奥の神体山の中腹にある恵比寿さんの社(やしろ)にもお酒を届け......

「やっと、、(´・`*)ホッ......」

と。すると、僕さんは急にお腹が空いてきて、
空港に帰る前にイイ感じに和モダンしているカフェ「晦事(ことこと)」さんに寄って
「スパイシー萩カレー」なるものを食べちゃって。





萩焼のカップで飲むコーヒーもオツな感じで(^^)



そうして東京へお帰りマンボーとあいなったのですが、家に戻った後、
僕は改めて松陰さんのことをもっと深く勉強し直そうと、
萩の各所から持ち帰った色々なパンフレットや文献、
ネットにある様々な情報などを数日かけて読み込んでみました。

そして、そんな諸々の資料の中に、一つ、目を引かれたものがありました。

それは、倒幕運動を陽動している危険人物の一人とされていた松陰さんが、
幕府に睨まれ、萩の地で囚われの身となった時の獄中記録でした。
松陰さんは長く萩の牢獄に囚われていたようなのですが、
幕府からの直接尋問の命が下ったため、とうとう江戸への移送が決まりました。
その時、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれない、と、
萩の牢獄に幾度も面会に来ていた人がいた......
という記録が残っているのです。
その、牢獄の松陰さんに幾度も面会に来ていた人とは、
他ならぬ......



松陰さんのお母さんでした。



そして、その時にお母さんが持ってきていたという物品の記録が、
長い文献の中に僅か一文だけ、こう記されていました。



「吊るし柿」



この文字を見たとき、僕の目には何とも言えない複雑な感情の涙が溢れてきました。
あの、Mさんが読み取った「干し柿」とは、この、
お母さんが差し入れた吊るし柿のことだったのではないのか、と。
最後に吊るし紐がついたままの干し柿を買うことになったことにも意味があったのか?と。
僕は、そんな想いに至りました。
そう言えば、松陰神社の境内にある資料館には、
松陰神社の御神体とされる、墨で記された膨大な数の松蔭さんの手紙や書物がありました。
死期を悟り、そこから意を決した様に、
獄中から肉親やお弟子さんたちに向けてひたすらに書き綴った沢山の筆書きの書。



「——————あれほどの量の文の墨は、筆は、紙は、誰が差し入れていたのか.......

幾人かいるだろう。

お弟子さんや看取さんとかも、そうかもしれない。

あと、

もしかしたら.......

お母さんもその1人では.......

そうか!

裁縫セット!

そう言われたのも、

きっと、女性ならではの感性の差し入れではないか.......

それだって.......

きっと......

お母さん......

きっとそうだ。

お母さんの差し入れの品々。

それを、俺は持って行ったのか......

Mちゃんは、ちゃんと、その言葉を預かってくれたんだ。

松陰さんは、なによりも、お母さんの差し入れがとても嬉しく、ありがたく。

でも、だから一番悲しく、寂しく、そんな複雑な気持ちで......

きっと、あの品々は、そういうものだったんだ.....

この世界に残ってしまっている思いを象徴する、そんなモノモノであったのかも......

明治維新から150年。平成の終わり。

......もしかしたら、松陰さんは、何かに区切りを!?......つけたくて......」



僕が萩で受け取った2019年のキーワード「維新」と「威信」は、
こんな出来事の中で、数日が経つうちに徐々にその意味合いを表して来ました。
そして、それに合わせるかのように、神々からの言葉も少し遅れて届けられて来ます
年をまたいで記している松陰さんと明治維新の志士達のお話は、
最後にもう一回だけ続きます(^^)


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コメント (4)

維新と威信 4

2019-01-04 00:17:39 | 不思議...パワスポ寺社
それはMさんもとても感激してくれたことでもあって。
もうすぐやってくる、2019年のキーワードにまつわる今回のお話は、
その新年の最初の記事へと続いていくことになるのです。

何卒!

このポンチ記事を見てくれている皆さんは!

とてーも良いお年おぉぉぉーーー☆(^^)

毎年質問を頂く「初詣」に関する諸々は、過去記事「初詣小話」の方にまで。

どうか、おもちを食べ過ぎませんよーにぃぃーーーじぶーん......




あけました!おめでとーっ!
お餅食べてるどーー!ダ━━━━(`∀´)ノ━━━━━━ッ!!

......という感じで。
新年最初の記事は昨年からのお話の続きでございます(^^)

さて、僕は先ず、
車を停めていた松陰神社から一番近くにある伊藤博文さんの旧宅へと徒歩で向かいました。
博文さんの家はこじんまりとした旧宅と、
東京から移築された大きな別邸とがあるようなのですが、
観光のメインとなっているのは大きな別邸の方らしく。
見学料を払うと家に上がることも出来て、
中に飾られている様々なパネル資料や博文さんの肖像写真などを見学することも出来ました。



ただ、実際に行ってみると、僕が惹かれたのは自由に見学ができる旧宅の方で、
それで、旧宅の周りをぐるりと一回りしてみたのですが......
裏に回り込んだ時に勝手口があって、そこから昔のままの炊事場が見えました。

「なるほど......ここか。箸(ハシ)って、そういうことか」

どーも、博文さんは時たまここへ来て食事をしている感じで。
旧宅にはどことなく、そんな空気が漂っています。
なので、僕は持ってきた箸をスルッとカマドの上に置かせてもらい、旧宅を後にしました。



そして、車を停めていた松陰神社の駐車場へと戻り、僕は再び車に乗り込んで、
次の目的地、木戸孝允(きどたかよし)さんの旧宅へと向かいました。







木戸さんの旧宅も、博文さんの別邸と同じ様に見学料を払って家の中に入れる形。
中に入ると、やはり博文さんのところと同じく、
木戸さんの肖像写真や色々な資料パネルが展示されていました。
この時、僕は旧宅の中に飾られている木戸さんの写真を見て、ふと気づき、驚いたのですが、
軒並み髭を生やしていた明治維新の志士達の中で、
木戸さんは全く髭を生やしていなかったのです。
昔、何処かで見ていたであろう木戸さんの顔も、
僕は旧宅に飾られていた写真を見て思い出しました。

「なるほど、そういうことですか。確かに、髭剃り必要ですよね......」

僕は、桂小五郎を名乗っていた頃の資料パネルの一つに目をつけて、
そのパネルの裏側に、そっと、約束の「お泊りひげ剃りセット」を置きました。

「言われていたカミソリでは無いのですけど、最新のシック製っす。なかなか使い易いっす。
管理人さんがそのうち気付くでしょうけど、それまでお使い下さい。ええ」



続いて、残る最後のアイテムのホッカイロを!お届けしようと!
僕は高杉晋作さんの旧宅へと向かいました。
......しかし、どうして?高杉さんだけ突然のモダンアイテム?のカイロなのか?
Mさんも不思議がってはいましたが、僕も当日になってまで疑念を払拭出来ず......

「もしかしたら、コレだけは大外し!
......ってこともあるかもなぁ......でもMちゃんが外すことはまず無いしなぁ......」

などと、旧宅に着いてもまだウダウダと意味を考えたりしていました。



高杉さんの旧宅に着いてみると、他の方々とちょっと違っていたことがあって。
それは、見学料は同じように払うのですが、家の傷みが結構進んでいるらしく、
床抜けなどの危険もあるため中に入ることが出来ず。
見学の仕方としては、玄関先からぐるりと家の周りを回るようにして、
外から中を見る形になっていました。

「中に入れないとなると......どーしよ......カイロおけるようなトコロなんかあるのかなぁ......
中庭とか?なら、植え込みとか、石塔とか、何か置けそうなところがあるか?なぁ.......」

と、僕は先ず、そそくさと中庭の方に行ってみました。すると......



「うぇぇぇウェウェウェウェウェウェえええええーーーーっ!?(((((( ;゚Д゚)))))!?
しゃ、写真が!そ、外にぃぃぃぃぃぃーーーーーーっ!
寒いやんけーー!コレぇぇぇぇぇーーーーーっ!」



そうなのです。
他の方々のメインの肖像写真は皆、家の中の部屋に飾られていたのですが、高杉さんだけは、
観光客が家の中に上がれないが為に、中庭に向かい開け放たれた縁側にどどーーん!と、
野晒しに近い形で置かれていたのです。
きっと、外のお客さんから見えるようにと、記念写真を撮れるようにと、
そういう配慮だと思われるのですが......

「な、なるほど。。こ、コレは、カイロ欲しいわ。な.......」

僕は失礼とは思いつつも、ちょっとクスッ!と吹き出しそうになってしまい。
しかし、慌ててこらえて。
先ずは寒い中庭に向かって置かれている高杉さんの肖像画に手を合わせ、
その写真の下にカイロを置きました。



ここが一番暖かいかなぁ、と、そんな気がしたのでココに置いたのですが......
観光客さんが写真を撮ろうとすると、この場所だと妙なカイロが写真に入ってしまいますし、
それもちょっと違うだろう、と。
僕は写真のすぐ横に置かれていた説明プレートの裏に隠し置くことにしました。
ここなら外から見た時に全く見えませんし、皆の写真にも映りません。
受付で寒そうにしていたおばちゃんも気付いて拾って使ってくれればと。

「どぞどぞ。とにかくあたたまってください。
こりゃ大変っすね。寒いっす。今日は雪ですし。マジで。ええ。ええ。」

しかし、恐るべきはMさんのポンチキ力。
素晴らしい!驚き桃の木!天晴れ満点グランドスラム。さすがっす。ほんと。
高杉さんも見事に喜んでいて。あの状況ならお酒より全然嬉しいと思われます。
いやー、でも、危うく笑いそうになりました。アブナイアブナイ。
Mさんにもその場からラインをすると、彼も僕と同様のアブナイ!?
反応をしそうになっていて。
とはいえ、自分のチカラに満足も出来たようでもあって。
ほんとにありがたい人なのでやんす。ええ。いつもサンキューなのです。

さ!

コレで約束事は全て完了!

体も妙に軽いっす!

飛べそー!

なので世界遺産の「萩反射炉」や「恵美須ヶ鼻造船所跡」にも寄り道をしつつ......





最後に!

萩の街を守る龍神さんに!

挨拶でもして帰ろうかのぉぉぉ!

と、僕は「明神池」というシメ!の地に向かって車を走らせました。

そして、その池にある神社でも、

高杉さんの旧宅同様の、

ちょっと想像も出来なかった光景を僕は見せられることとなったのです。

次回は、その明神池の光景や、

松陰さんに届けた様々なグッズの本当の理由?とか、

そんなお話へと続いていきます(^^)

お餅食べるどーーーー!ダ━━━━(`∀´)ノ━━━━━━ッ!!


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