「青星」さんから前回記事にコメントをいただきまして。
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志賀ばかり行っていた若い頃、高天ヶ原も良く滑っていました、
当時はまだポンチキしてませんでしたが、
高天ヶ原の名前には何で高天ヶ原かと思ってはいました。
岩菅山がその様な場所で有ったとは超ビックリしました!
大滑降コースにならなくて良かったです!
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僕さんのお返事はこんな感じで。
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記した様に神社の由緒には
「西方の神々が集う場所」
とあるのと、地元の伝承には
「ここで日本の神々とカラの国の神々が戦った。
日本の神が勝利したが、血がくまなく流れて川になったので、
血隈川(千曲川)と呼ばれるようになった」
ともあるので、列島の西(九州)から
朝鮮半島や大陸系の血脈もある氏族が入植してきたのだと思われます。
その際に地元氏族との争いもあったのではないかと。
古事記の記述などに関しても分かっている方々でしたでしょうし。
それと、海人である安曇氏の本拠は北九州の「志賀島」なので、
名前もそこから持ってきて山の名前にしたのかもしれませんね。
志賀はシカ(鹿)かもしれません。
鹿の骨で吉凶や国勢を占っていたことなども関係しているかと感じます。
最奥の奥志賀高原エリアの施設デザインに鹿が使われているのが
とても興味深かったりします。
写真も二枚ほど追加させてもらいましたー(^^)
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この会話にある志賀高原の地に伝承されているお話や、
前回記事にも出てくる安曇氏(あずみし)とか、他にも、
例えば「神武東征」神話における神武天皇さんとか、みな、
「列島の西から東へ有力者が国を広げにやってくる......」
的な神話や逸話がこの国のアチコチに残っています。
それらはどこまで本当なのか?
となると、個人的には、おそらく、
その記紀に記されている「神武東征」神話以前にも、
列島を西から東へと国を造らんと動いた方......神様!?
がいるのではないか?と思っていたりします。
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」
別名「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」
以前も記していたことですが、
記紀や民族史を語る際、
とかく「天津」「国津」と分けて話されがちな神々や民の系譜。
しかし、ニギハヤヒさんはその両方の名を冠している唯一の神でもあります。
その意味はとても深いと思うのです。
それは天津も国津もなく。
天も地もなく。
原住民も移住民もなく。
支配も被支配もなく。
鶴と亀で表されるものの統合。
陰陽統合の神。
「初代国祖アマテラス」の可能性。
古代、富士王朝を打ち立てたスサノオ さんは、
その後、原初出雲と九州をも統合し。
今の日本国の原型を作りました。
そのスサノオさんの偉業を共に行なってきた愛息子さん達の一人であると共に、
統治地域をさらに拡大し、
古代大和における最初の王にもなった方ではないかと。
当初は大歳(オオトシ、大年)の名でスサノオさんにから九州の統治を任され。
その後、九州の地を旅立ち。
瀬戸内から大和に入り。
中部、関東、東北、北海道、と。
スサノオさんの意を継ぐように各地を統合し、一つの国としていった方。神。
神武天皇さん以前に「東征」なる偉業を成した神であるということは、
この神の動きこそが、
神武さん以降の全ての東征神話のモデルになっているということです。
時の権力者達によって、神武天皇の偉業というように改竄され、
伏され、隠され、見えなくされてしまった神ということです。
しかし、そんな隠された神の偉業は、
意外にも様々なモノから感じ取れたり、垣間見れたりもします。
一番わかりやすいのは全国に散らばる神社の祭神名や由緒、位置。場所など。
そして、もう一つ、
そんな神社に祀られる神々の名前をよぉーーーく見てみても、
ニギハヤヒさんの偉業の痕跡をそれとなく感じ取れたりもします。
名前に「みこと」「ミコト」「命」「尊」とつく神様。
これらの神々は時代や年代等はぐちゃぐちゃで。
神話を読み込んでみてもその実は霧闇の中であるとは思いますが、
「ミコト」とついている部分の起源としては、おそらく、
ニギハヤヒさんと一緒に動いた神々、
もしくはその神々の末裔や系譜にある神々ではないかと思われます。
記紀にはそれとなく、わかるように書かれてもいるようです。
全国を動いたニギハヤヒさん。
その彼に随行した個性的で、
それぞれ特有の能力を持ったエキスパートな神々。
志賀高原の高天ヶ原神社にまつわる伝承にも、
僕はその匂いを感じミテてしまうわけなのです。
志賀高原のゲレンデで一緒に遊んでいたメンバーが撮ってくれた写真。
終始出ていた日輪に最初は感嘆し、喜々としていたのですが、
「なんか、日輪が動いている気がするんだけど!?おかしくね?」
なんていうことになり。
そう言いながら押さえてくれたのが上にある何枚かの写真。
本当なのか、錯覚なのか。
どう見たらよいのか。
どう捉えて良いのか。
よくわかりませんが。
ただ、すごく綺麗で、
時空の歪みを感じられるくらい、
パワー感のある写真ではありますでしょうか。(^^)
この志賀高原に至るまでのちょっとした小話もあるのですが、
そのお話に関連する写真なども一緒に、少しだけ置いておこうかと。
先ずは、栃木県、那須塩原高原。
日光連山や会津の山々を見渡せるハンターマウンテン。
長野県、諏訪市。
霧ヶ峰(きりがみね)の最高峰、車山(くるまやま)。
八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、
浅間山、軽井沢、飯綱、妙高、斑尾、、、
遠く富士山までも見渡せます。(^^)
山頂には諏訪大社の奥宮が。
「北信五岳(ほくしんごがく)」の一つ。
斑尾山(まだらおさん)。山頂。
この雪の下には不思議な伝承のある薬師如来さんの祠が埋まっております。
その薬師如来さんからいただいた!?
椿柄のクッション。
最初はマンダラ(曼陀羅)の描かれた布?
をもらったのかと思っていたのですが、少し!?違っていた様で。
プリリンねーさんのチカラも借りつつ、
感じ見えたイメージと似たものを探して買ってみました。
新潟県、舞子高原。
群馬県、草津温泉の光泉寺(こうせんじ)。
御本尊は......薬師如来。
長野県、八方尾根から見る白馬の山並みと日輪。
山頂の八大竜王さんの石碑と白馬、栂池(つがいけ)のトトロ。
志賀高原の麓、渋温泉(しぶおんせん)の中心にある
薬師如来を祀る渋薬師如庵(しぶやくしあん)と街中のトトロ。
また今度、
これらの写真にまつわるお話も記せればなぁ、と。
思っておりますのです。はい。(^^)
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志賀ばかり行っていた若い頃、高天ヶ原も良く滑っていました、
当時はまだポンチキしてませんでしたが、
高天ヶ原の名前には何で高天ヶ原かと思ってはいました。
岩菅山がその様な場所で有ったとは超ビックリしました!
大滑降コースにならなくて良かったです!
=================================
僕さんのお返事はこんな感じで。
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記した様に神社の由緒には
「西方の神々が集う場所」
とあるのと、地元の伝承には
「ここで日本の神々とカラの国の神々が戦った。
日本の神が勝利したが、血がくまなく流れて川になったので、
血隈川(千曲川)と呼ばれるようになった」
ともあるので、列島の西(九州)から
朝鮮半島や大陸系の血脈もある氏族が入植してきたのだと思われます。
その際に地元氏族との争いもあったのではないかと。
古事記の記述などに関しても分かっている方々でしたでしょうし。
それと、海人である安曇氏の本拠は北九州の「志賀島」なので、
名前もそこから持ってきて山の名前にしたのかもしれませんね。
志賀はシカ(鹿)かもしれません。
鹿の骨で吉凶や国勢を占っていたことなども関係しているかと感じます。
最奥の奥志賀高原エリアの施設デザインに鹿が使われているのが
とても興味深かったりします。
写真も二枚ほど追加させてもらいましたー(^^)
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この会話にある志賀高原の地に伝承されているお話や、
前回記事にも出てくる安曇氏(あずみし)とか、他にも、
例えば「神武東征」神話における神武天皇さんとか、みな、
「列島の西から東へ有力者が国を広げにやってくる......」
的な神話や逸話がこの国のアチコチに残っています。
それらはどこまで本当なのか?
となると、個人的には、おそらく、
その記紀に記されている「神武東征」神話以前にも、
列島を西から東へと国を造らんと動いた方......神様!?
がいるのではないか?と思っていたりします。
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」
別名「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」
以前も記していたことですが、
記紀や民族史を語る際、
とかく「天津」「国津」と分けて話されがちな神々や民の系譜。
しかし、ニギハヤヒさんはその両方の名を冠している唯一の神でもあります。
その意味はとても深いと思うのです。
それは天津も国津もなく。
天も地もなく。
原住民も移住民もなく。
支配も被支配もなく。
鶴と亀で表されるものの統合。
陰陽統合の神。
「初代国祖アマテラス」の可能性。
古代、富士王朝を打ち立てたスサノオ さんは、
その後、原初出雲と九州をも統合し。
今の日本国の原型を作りました。
そのスサノオさんの偉業を共に行なってきた愛息子さん達の一人であると共に、
統治地域をさらに拡大し、
古代大和における最初の王にもなった方ではないかと。
当初は大歳(オオトシ、大年)の名でスサノオさんにから九州の統治を任され。
その後、九州の地を旅立ち。
瀬戸内から大和に入り。
中部、関東、東北、北海道、と。
スサノオさんの意を継ぐように各地を統合し、一つの国としていった方。神。
神武天皇さん以前に「東征」なる偉業を成した神であるということは、
この神の動きこそが、
神武さん以降の全ての東征神話のモデルになっているということです。
時の権力者達によって、神武天皇の偉業というように改竄され、
伏され、隠され、見えなくされてしまった神ということです。
しかし、そんな隠された神の偉業は、
意外にも様々なモノから感じ取れたり、垣間見れたりもします。
一番わかりやすいのは全国に散らばる神社の祭神名や由緒、位置。場所など。
そして、もう一つ、
そんな神社に祀られる神々の名前をよぉーーーく見てみても、
ニギハヤヒさんの偉業の痕跡をそれとなく感じ取れたりもします。
名前に「みこと」「ミコト」「命」「尊」とつく神様。
これらの神々は時代や年代等はぐちゃぐちゃで。
神話を読み込んでみてもその実は霧闇の中であるとは思いますが、
「ミコト」とついている部分の起源としては、おそらく、
ニギハヤヒさんと一緒に動いた神々、
もしくはその神々の末裔や系譜にある神々ではないかと思われます。
記紀にはそれとなく、わかるように書かれてもいるようです。
全国を動いたニギハヤヒさん。
その彼に随行した個性的で、
それぞれ特有の能力を持ったエキスパートな神々。
志賀高原の高天ヶ原神社にまつわる伝承にも、
僕はその匂いを感じミテてしまうわけなのです。
志賀高原のゲレンデで一緒に遊んでいたメンバーが撮ってくれた写真。
終始出ていた日輪に最初は感嘆し、喜々としていたのですが、
「なんか、日輪が動いている気がするんだけど!?おかしくね?」
なんていうことになり。
そう言いながら押さえてくれたのが上にある何枚かの写真。
本当なのか、錯覚なのか。
どう見たらよいのか。
どう捉えて良いのか。
よくわかりませんが。
ただ、すごく綺麗で、
時空の歪みを感じられるくらい、
パワー感のある写真ではありますでしょうか。(^^)
この志賀高原に至るまでのちょっとした小話もあるのですが、
そのお話に関連する写真なども一緒に、少しだけ置いておこうかと。
先ずは、栃木県、那須塩原高原。
日光連山や会津の山々を見渡せるハンターマウンテン。
長野県、諏訪市。
霧ヶ峰(きりがみね)の最高峰、車山(くるまやま)。
八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、
浅間山、軽井沢、飯綱、妙高、斑尾、、、
遠く富士山までも見渡せます。(^^)
山頂には諏訪大社の奥宮が。
「北信五岳(ほくしんごがく)」の一つ。
斑尾山(まだらおさん)。山頂。
この雪の下には不思議な伝承のある薬師如来さんの祠が埋まっております。
その薬師如来さんからいただいた!?
椿柄のクッション。
最初はマンダラ(曼陀羅)の描かれた布?
をもらったのかと思っていたのですが、少し!?違っていた様で。
プリリンねーさんのチカラも借りつつ、
感じ見えたイメージと似たものを探して買ってみました。
新潟県、舞子高原。
群馬県、草津温泉の光泉寺(こうせんじ)。
御本尊は......薬師如来。
長野県、八方尾根から見る白馬の山並みと日輪。
山頂の八大竜王さんの石碑と白馬、栂池(つがいけ)のトトロ。
志賀高原の麓、渋温泉(しぶおんせん)の中心にある
薬師如来を祀る渋薬師如庵(しぶやくしあん)と街中のトトロ。
また今度、
これらの写真にまつわるお話も記せればなぁ、と。
思っておりますのです。はい。(^^)