鳥肌立ちました。
今朝のMLB(メジャー リーグ ベースボール)。
ドジャース対ヤンキースの一戦。
世界一のチームを競う昨年のワールドシリーズ以来の対決。
特別なカードで熱い試合。
野球好きの人以外には
「なんのことやら、、、」
なんていうお話ですけど。
申しわけありませぬ。
ええ。ええ。
両チームにはそれぞれ大スターがおりまして。
昨年のアメリカンリーグのホームラン王にしてMVP!
のアーロン・ジャッジ選手がヤンキースに。
ナショナルリーグのホームラン王にしてMVP!
の大谷翔平選手がドジャースに。
試合は初回、
先攻のヤンキースがジャッジさんのホームランで1点リード!
でスタート。
センターの一番深いところへ特大の一発。
しかし、そのすぐ裏。
ドジャースの攻撃。
今度は大谷さんが初球をホームラン!で同点!
ジャッジさんと同じくセンターへの大きな一発。
満員のスタジアムは大熱狂。
「スター選手ってこういうこと!?」
的なゾクゾク感。
いやぁーー、、痺れまちた。
大谷さんはその後にもう一本ホームラン打っちゃうし。
それもライトを守るジャッジさんの頭越しにスタンドイン。
どこを切り取っても中継画面がドラマティック。
心奪われる2人のフレーム。
2人共に存在感満点。
すげーっす。。(*´ω`*)
しかし、何よりスゴイと思うのは、
ここまで凄くなった大谷翔平さんに「慢心」なんて感じのモノを
まったく感じられないことでして。
僕さん的にはそのあたりにシビレちゃったりもするのですけど。
ええ。ええ。
——————どんな人でも、
必ず陥る穴のようなものがあると思うのです。
ソレはどんなに注意をしていても、
高い意識を持っていても、
自分を繊細にコントロールしていようとも、
どうしても陥ってしまう穴であって、
罠(ワナ)と言ってもよいようなものでしょうか。
特に人の上に立つような仕事や役割を担っている人であったり、
先生!などと呼ばれるような人を教える立場にある人であったり、
いつも人からの相談を受けたり、
聞いたりするような立場にあるような人などには
陥りやすい穴であったりするでしょうか。
日々の暮らしや状況に慣れてしまったりしている時などにも、
そんな穴がぽっかりと口を開けていたりもします。
どうしてなのか?
人には無意識に、
無自覚に、
他人を上から見るような癖と心と人格の種が植え込まれていて。
それが無意識に発芽してしまったりするようなことがあるようなのです。
穴が穴に見えない目になってしまうことがあるようなのです。
「慢心」
「慢心」とは自覚できないものだからこそ慢心のようでして。
自分では決して見えないもののようです。
自分で見えないということは、
誰かから、
世間から、
社会から、
ナニモノからか言われたり、
指摘されたりということがない限り、
見つけたり、意識出来ないモノということにもなるわけで。
仮にそんなことを言われたとしても理解できないかもしれなくて。
ある時から、
それまで通じていた冗談やイジリが通じなくなったり。
怒らなかった話で怒るようになっていたり。
自分に心地の良い言葉以外は受け付けないような反応や
会話になってしまっていたり。
謝れていたところを謝れなくなっていたり。
周囲の人達から見てそんなふうに捉えられるような変化や
症状も本人は無自覚で。
無意識で。
だから他者の愛の言葉も愛とは思えなくなり。
非難の言葉としか捉えられないようになり。
人と通じ合えることも難しくなり。
恐ろしいものです。
本当に恐ろしいものです。
どんな人も、常に、
自分に出来る自己点検はしていかないとだなぁ......と。
今日は大谷さんを見ながら改めて強く思ったりもしたわけなのです。
鏡の世界。
色々と難しいものです。
僕さんなどはあまりに未熟なもので。
いつも何が正しいかがわからなくて。
なので正しい人間になろうなんてことも思わないのですけど。
ただ、無闇に人を傷つけるような人にだけはならないようにと、
いつも思い、努力することしかできないような感じでして。
当然、そんなことすら体現できているとは思えませんけど。
とにかくソレくらいのことだけは頑張らねばと。
ええ。ええ。
毎日、毎日、とにかくそれだけっす。



やっぱり僕は、
時々、海を見たくなるのです。
今朝のMLB(メジャー リーグ ベースボール)。
ドジャース対ヤンキースの一戦。
世界一のチームを競う昨年のワールドシリーズ以来の対決。
特別なカードで熱い試合。
野球好きの人以外には
「なんのことやら、、、」
なんていうお話ですけど。
申しわけありませぬ。
ええ。ええ。
両チームにはそれぞれ大スターがおりまして。
昨年のアメリカンリーグのホームラン王にしてMVP!
のアーロン・ジャッジ選手がヤンキースに。
ナショナルリーグのホームラン王にしてMVP!
の大谷翔平選手がドジャースに。
試合は初回、
先攻のヤンキースがジャッジさんのホームランで1点リード!
でスタート。
センターの一番深いところへ特大の一発。
しかし、そのすぐ裏。
ドジャースの攻撃。
今度は大谷さんが初球をホームラン!で同点!
ジャッジさんと同じくセンターへの大きな一発。
満員のスタジアムは大熱狂。
「スター選手ってこういうこと!?」
的なゾクゾク感。
いやぁーー、、痺れまちた。
大谷さんはその後にもう一本ホームラン打っちゃうし。
それもライトを守るジャッジさんの頭越しにスタンドイン。
どこを切り取っても中継画面がドラマティック。
心奪われる2人のフレーム。
2人共に存在感満点。
すげーっす。。(*´ω`*)
しかし、何よりスゴイと思うのは、
ここまで凄くなった大谷翔平さんに「慢心」なんて感じのモノを
まったく感じられないことでして。
僕さん的にはそのあたりにシビレちゃったりもするのですけど。
ええ。ええ。
——————どんな人でも、
必ず陥る穴のようなものがあると思うのです。
ソレはどんなに注意をしていても、
高い意識を持っていても、
自分を繊細にコントロールしていようとも、
どうしても陥ってしまう穴であって、
罠(ワナ)と言ってもよいようなものでしょうか。
特に人の上に立つような仕事や役割を担っている人であったり、
先生!などと呼ばれるような人を教える立場にある人であったり、
いつも人からの相談を受けたり、
聞いたりするような立場にあるような人などには
陥りやすい穴であったりするでしょうか。
日々の暮らしや状況に慣れてしまったりしている時などにも、
そんな穴がぽっかりと口を開けていたりもします。
どうしてなのか?
人には無意識に、
無自覚に、
他人を上から見るような癖と心と人格の種が植え込まれていて。
それが無意識に発芽してしまったりするようなことがあるようなのです。
穴が穴に見えない目になってしまうことがあるようなのです。
「慢心」
「慢心」とは自覚できないものだからこそ慢心のようでして。
自分では決して見えないもののようです。
自分で見えないということは、
誰かから、
世間から、
社会から、
ナニモノからか言われたり、
指摘されたりということがない限り、
見つけたり、意識出来ないモノということにもなるわけで。
仮にそんなことを言われたとしても理解できないかもしれなくて。
ある時から、
それまで通じていた冗談やイジリが通じなくなったり。
怒らなかった話で怒るようになっていたり。
自分に心地の良い言葉以外は受け付けないような反応や
会話になってしまっていたり。
謝れていたところを謝れなくなっていたり。
周囲の人達から見てそんなふうに捉えられるような変化や
症状も本人は無自覚で。
無意識で。
だから他者の愛の言葉も愛とは思えなくなり。
非難の言葉としか捉えられないようになり。
人と通じ合えることも難しくなり。
恐ろしいものです。
本当に恐ろしいものです。
どんな人も、常に、
自分に出来る自己点検はしていかないとだなぁ......と。
今日は大谷さんを見ながら改めて強く思ったりもしたわけなのです。
鏡の世界。
色々と難しいものです。
僕さんなどはあまりに未熟なもので。
いつも何が正しいかがわからなくて。
なので正しい人間になろうなんてことも思わないのですけど。
ただ、無闇に人を傷つけるような人にだけはならないようにと、
いつも思い、努力することしかできないような感じでして。
当然、そんなことすら体現できているとは思えませんけど。
とにかくソレくらいのことだけは頑張らねばと。
ええ。ええ。
毎日、毎日、とにかくそれだけっす。



やっぱり僕は、
時々、海を見たくなるのです。