雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」と見つけてもらえたら、、そんな思いで書き記してます。

正体

2018-04-11 00:17:12 | 願い
その朝食は、幸せなものだろうか?

ソコは君の居場所だろうか?

幸福の在りかは、整った部屋の中なのか?

落ち着きのない空の上なのか?



なぜ君はソコにいる?



君は何を理解している?

何を知っている?

何かを知ったらソレで幸せなのか?

ソレで安心なのか?

知ったら知ったで不幸ではないのか?

なぜ知りたがる?

なぜ生きたがる?



この朝食は幸せなのか?



誤った世界で決めたことなど忘れてしまえ

汚れた手で手にしたものに価値などあるのか?

奪われたから奪うのか?

傷付けられたから傷つけるのか?

全てはなりゆきで

流されれば楽々で

ソレで良ければソレで良し

今日も元気で

明日ものんきで

生き残れればそれでよし



あの音は何だ?



誰がいなくなった?

ヤツだけが辞めたのか?

誰かのせいにして勝ったつもりか?

消したつもりか?

残ったつもりか?

全てが見通されていても

それでも通り抜けれればイイってか?

醜い

汚い

下劣

下等

すべて背負って進むがいい

誰も言葉になんかしやしない

面と向かって言いもしない

安心するがいい

安らかに進むがいい

逃げて逃げて逃げまくれ!

やがて星の丸さに気づくだろう

己からは逃げれないことに気づくだろう

正義など風の中の塵

闇の中の幻

語るに落ちる犬の遠吠え

責任取れよ

お前が取れよ

それじゃあ、よろしく、こんにちわ

神などいないさ、さようなら



頭にくることだらけだろ?

心が痛むことだらけだろ?

希望なんて幻で

幸福なんてまやかしで

搾取という名の社会

青過ぎて見えない本当のソラ

牢獄という名前の星

重力という名の鎖

そこに繋がれた君は

いったい何をしようというのだ?

しってるかい?

ここは宇宙の僻地だぜ?



その朝食は幸せなのか?



その足取りは真実なのか?



正体を暴け



考えろ、考えろ、考えろ



考えるな、考えるな、考えるな



何言ってんの?

あんた、いったい、何言ってんの?

意味分かって言ってんの?

言う方も言う方で

受け取る方も受け取る方で

資格など海の底

とうの昔に失われてしまったライセンスと

そんなものにすがるイノセンス

やがて純粋さも消えるだろう

やがてこの世界も消えるのだろう



だから、せめて、朝食は



幸せであって欲しい



幸せな朝食であって欲しい



それで計るんだ



それで全てをはかるんだ







朝食は幸せな方が良いのです(^^)
普段はグレープフルーツジュースとオレンジジュースのハーフ&ハーフを
グラスに一杯飲むだけなんですけど。僕は。
旅に出ると人の三倍くらい!?食べちゃいます。
幸福だから?でしょうか......なんでだろうか......

どちらにしても今の所、幸せ、ではあるのでしょうか。

これから先もそうであれればいいなぁ、と、思ったり。



キラウェア火山の竜巻。島根地震。佐川国税庁長官辞任。
ハリルホジッチ、サッカー日本代表監督解任。ビートたけし独立騒動。
銃規制強化を求めた100万人の全米デモ。メジャー・リーガー大谷の活躍。
新たに発見された50以上のナスカの地上絵。
米露対立。米中対立。アメリカのシリアへの軍事介入示唆。
女性は土俵から降りて下さい!というアナウンス。
パスタは食べても太りにくい!という論文の発表( ̄+ー ̄)☆.......

様々なニュースが流れ、様々なモノモノの動きが出てきているから?なのか。

なぜだか今日は、昔聴き込んでいた斉藤和義さんの曲が頭を巡って離れないのです。





今歩いているこの道が正しいのか、正しくないのか。

今歩いているこの道が、いつか懐かしくなれば良いのだろうか。

ともかくも、朝食が幸せなものであればと、そう思うのです(^^)



This note is inspired by Kazuyoshi Saito “幸福な朝食 退屈な夕食”


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アイ・アム・アホ

2017-11-30 00:46:02 | 願い
スクランブル交差点でおなじみの、東京、渋谷駅の迷路化がハゲチイのです(*´-`)
迷路と言うよりは迷宮、的な。
日本最大規模の再開発なう!......とはいえ、ちょっとエグイのでする。

駅構内の出入口や道などが乗り降りする度に違っている!なんて当たり前で。
混雑さも混乱さも殊更に盛り上がってる感じ。
アチキ的には今や、仕事や必要なことが無い限り、
なるべく避けて通る様なクセもついてしまった感もありまして。
ま、ま、再開発後の街のイメージなどは発表もされてもいますし、
ソレもなんとなく見えちゃうのですけど......きっと綺麗になるのでやんすね。
洗練もされて。クールでモダンで。
ITとかノマド系オフィスやらイベントスペースやら。きっと。

......ただ......

そんな未来図をイメージするにつけても、どーも、今のところ、
田舎育ちの僕の心身にはもう一つシックリと来るような感触は無く。
以前、若者文化を創造し続けていた頃の渋谷の街の輝きナドとは、
もう一つ重ねることが出来なくて。
でも、まぁ、そんな僕さんからしても、渋谷といえば、そりわもう

「すげー街だなぁ.....」

という感覚はいつも抱いていた街ではありまして。
渋谷の街が持っていた独特の文化的雰囲気にはいつも感服してもいたのです。
音楽とかファッションとか。クラブとかカフェとか。
時代の文化を動かすようなセンスと思考とエナジーを持っている人々が各地から集う街......
という様なイメージでもありまして。
時代を消費する......というよりは、常に創出している......という感覚の街。

勿論、多くのモノモノがそうである様に、アグレッシブなゾーンにあったモノが、
時と共にコンサバティブなゾーンに動いて行くというのは
マーケット論的にも必然なワケで。
トレンドのトップを走ったモノには、そのインパクトの強さと同等のレトロ感や時代感をも
背負ってしまう宿命があったりもするわけで。
だからこそ、出来うれば、
そんな突出したものの行く道は成熟や熟成といった方向であるべきだとも思うワケでして。
その方向に進みさえすれば、自らの持つ価値はさらに磨かれ、
別の次元にスライドも出来て、光りと輝きを永続させることが出来るかもしれなく。

しかしながら、それこそが実は意外と難しく。

多くのモノは成熟や熟成の道に入れずに、迷ってしまったり、腐ってしまったり。
はたまた変われずに風化してしまったり......と。
成熟とは、実はそれくらい難しいことであったりもするのだろうな......とも思います。

「人の歩む道もそうなのか......!?」

なんて、工事だらけの渋谷の街を見ながら考え込んじゃったりもして。

今の渋谷に対する感覚というのは、

そんな成熟に向かうと空気とは少々違う様な感じで。

「正常進化ではないのでは?」

などと言う思いに影響を受けてしまっている空気感なのか、わかりませんが、

ただ、その根本に覗き見える大きな因としては、

「部屋も、家も、この土地価格と空気感とでは限られた人しか住めないのかなぁ......」

という事である様な気もしていて。

特に「これから稼ぐぞ!ひと旗あげちゃる!」などという若者さん達には、

金銭的にも、もう住みにくい街になっちゃっているのかも?しれなくて。

若者の街だったハズなのに。

遊び心の街だったハズなのに。

生活とかけ離れた所から生まれるものというのは......

最早クールなビジネスと消費しか残らないのだろうか、と。

人々の生活とかけ離れた文化などありえませんし、ね。

今の渋谷には、そんなビジネスや消費活動周りに棲む少数の?事業者的何か!?によって、

変化させられているという違和感みたいなものが色濃く漂っていて......

その土地に合わないもの、その土地が望まないモノ。

そんな形へと無理矢理?変化させれられていっている様な......

恐ろしく深くまで掘られていく土地の悲鳴が聞こえてくるような......

大義名分は数々あれど、

芯にあるのは合理主義の利益優先的設計図案とでも言いましょうか。


完成した暁にも、実はどこかで見たことあるような街になるのではないか!?

的不安が付き纏うとでも言いましょうか。

そんなこんなで今日もまた、僕は足が遠のいてしまったり......と。

公園通り、センター街、文化村通り、道玄坂......

そんな渋谷の通りに見えるのは、今やH&M、FOREVER21、ZARA、GAP、ユニクロ......

ビックカメラにヤマダ電機。

他の街でも目にするお店や企業さんがターックさん。

飲食店もチェーン系のお店がたーっくさん。

街の個性を何処に見出したら良いのやら......なんて。

このままいくと日本中、

大きな都市の街並みは皆同じ様な景観になってしまうのかもしれない......とか。

不安に思っちゃったりなんかもして。

......渋谷は、なんとなく、少し前の新宿に似て来ている様な気もしていて。

新宿は、もはや日本というよりアジアの何処かの都市の様な感じで。

そんな新宿が失ったモノは、ある部分、今は秋葉原とか池袋が受け継いでもいる様な。

渋谷にあったモノは、恵比寿とか裏原宿、代官山ナドに少し流れ出て行ってもいて。

その他部分は六本木に移っている様な感じもあり。

じゃあ、そんな六本木が持っていた少し前の感覚は?というと、今は赤坂?青山?

なのかなぁ......

サイバーな街は東京では秋葉原とか新宿とか池袋とかでもう十分な感じもしますし。

それとはまた違った個性が無いと東京がつまらなくなりそうですし。

渋谷の様な栄華を極めた街が参考とするのは、

もはや上海やらシンガポールやらロンドンやらニューヨークなどではなくて。

北欧諸国の都市やらスイスやら、オーストリアだとかチェコだとか。オーストラリアとか。

欧米諸国の郊外都市や、世界のリゾート系都市やらハワイの街やらとか。

そんな方向で成熟していく方向が、

もしかしたら「正常進化」と言えるのではないのだろうか......なんて。ね。

途方もないことでしょうけど。きっと。

アイ・アム・アホです。ええ。

ま、

ちょっと、

寂しいのでやんすかね。要は。

今、自分で書いていて良くわかりまちた......(*´д`)ぽふーん......



渋谷の再開発を中心的に進めているトアル「電鉄会社」さんは、
最近では「トラブル多発」で有名になっていて。
僕は今、その沿線に住んでいるのですけど、身近な部分で言っても、
乗降者数が異様に多くなった駅でも改札口はたった「1つ」で。
改札口を1つ増やせば、それに伴う人件費や導線改築も必需でしょうし、
そりゃ、ポン!と取りかかれないワケもあるとは思いますが。
しかししかし、ホームには毎日溢れんばかりの人がいて。
それでも未だ床面拡大の動きなどは全く無く。

「自らのグループ会社の商業施設の方にしか人を流したくないのでは?」

なんて憶測迄も飛んじゃったり。
そんな中でも巨大な広告用サイネージを狭い駅の床からおっ立てちゃって。
狭くなったホームを更に狭める事になっちゃって。
電鉄としての最優先事項は誰かが線路に落ちるまで後回しにしちゃうのかなぁ?なんて。
沢山稼いでいるであろう会社の予算は、渋谷を初め、
更なる新しい街の開発に優先される感も満載で。

いったいどこまで利益が出れば?

そんな会社は地域社会還元や文化創生援助などを考え出すのでしょうか。

企業にそうさせない要因が、この国の行政や立法にはあるのでしょうか?

経営が苦しく、建て替えも出来ない地域の神社さん達が沢山無くなって行ったら、

この国の文化の独自性は何処に拠っていくのでしょうか?


インバウンドなんて言いながら、

諸外国から見たこの国の特異性と訪れる動機と価値の根本を何に?

置いているのでしょうか。

表層的に見させられる企業や政府の文化援助やエコ意識の体(てい)は、
其々のブランディング目的ということ以外は感じ取ることは出来なかったりして。
低い民度とセンスを見せつけられて!?もいるようで。
先日など、伊豆半島の森林を切り開いて巨大ソーラーパネルを立てる!
などというビックリするくらい本末転倒なニュースが流れていたりもして。

なんだか自分のことの様に落ち込んじゃったりもして。。(´。` ) =3

自分の暮らす国や街が、世界やどこかで「成金趣味」とでも言われていたら、
そんな意味合いで住んでいない多くの者のココロなど、最低、最悪の空模様で。
自分はただただ、多摩川の空気が好きで、河川敷グラウンドでボールを蹴るのが好きで、
駅前から失われたドトールコーヒーとミスタードーナツを取り戻したいだけなのだ!
と言う様なタイプの人はもう、悲嘆にくれるしか無いワケで。
ま、こんな僕の様なチッポケポンチの人間が考えることでは無いのでしょうけど。
とてーも意味のない話だとも重々思っとりますので。ええ。ええ。勿論。
今日はただただ、そんな、たわいもない話ということで。

たわいもない話ついでに、もし、
「渋谷の街の設計を全て自由にやっちゃっていいよー」
なんてことがあったら、僕さんなんか、
明治神宮の貴重な森から涌き出でる武蔵野の湧水を街に走らせちゃったりなんかして。
地中に隠されてしまった「宇田川」とか「渋谷川」を
再び太陽の元に出しちゃったりなんかして( ̄▽+ ̄*)
文字通り、本来「谷」であった渋谷の姿を都会の中に復活させて。
その川沿いには京都市の高瀬川的なこじんまりとした河川敷を広げちゃって。
そんな河川敷沿いには最先端のソフトとハードを裏側に仕舞い込んだ低目のビルが、
ゆとりを持って美しく割り振られて。
自然味と都市感とが絶妙なバランスで共存しちゃったりなんかして。

「渋谷の川のせせらぎが大都会の真ん中に復活!」

なんてね。ええ。ええ。人によってわドン引きな話で。

関東だけで20店舗以上展開しているチェーン店やコンビニは、

お金を積まれてもノーノーさんで。

「何故なら町の個性がなくなるから!」

「コレなら自分も川沿いに住んでみたいと思うから!」

なんて議会とかで生意気言っちゃったり。ええ。ええ。

「渋谷にセイコーマートが!おおおおおっ!」

「渋谷ってスタバが一軒も無いやんけ!おおお!」

なんてね。

「でも次期スタバ候補の店が沢山あるやんけ!にゃにゃにゃ!」

にゃんて。

地方都市が目指すべきベンチマークは渋谷なんじゃね!?ってな方向で。
時代文化の栄華を極めた街の正常進化、成熟なんて考えたら、実はそんな?
過去と未来とをバランスよく繋ぎ、表現もした街なのでは無いのだろうか?と。
経済発展を遂げた街のその後の「心持ち」や「雛形」を示せる様な街を目指しちゃう!
......ってのも良いのではないのかなぁ......なんて。
責任が無いと何でも言えますのー。ええ。ええ。身勝手で( ̄∇ ̄)



渋谷といえばハチ公さんでしょうか(^ν^)にゃんと!猫さんが足元に二段積み!



音楽世界でご飯食をべて来た僕さんが、
渋谷が渋谷たる時代に心打たれていたキーアイテムはこの辺りでしょうか(^ω^)



懐かしの!フリッパーズ・ギター(The Flipper's Guitar)さんの名盤
「three cheers for our side 〜 海へ行くつもりじゃなかった」
4曲目の「Coffee-milk Crazy(コーヒーミルククレイジー)」なんて、
昔の渋谷そのもの的名曲か!?
全ての要素が「メイン」に対する「カウンター」になっていて。



小沢健二さんのこの「LIFE」と言うアルバムあたりも、
誰もがクラブでブギーバックして、ブーツでドアをドカーン!
と蹴っていた頃の渋谷を語る上で欠くコトのできないアイテムかもしれませぬ(^^)

小沢健二 featuring スチャダラパー - 今夜はブギー・バック(nice vocal)


Flipper's Guitar Coffee Milk Crazy


最後にこちら。滋賀県、近江八幡市にある「ラ コリーナ=La Collina」さん。



すげーっす。ここ。ホント。「未来の街」ということを考えるにあたっては、
個人的には最近で一番「インパクト」と「インスピレーション」を頂けた場所です。
リスペクト。次回、ココにもちょびっと記し残しておこうかと。ええ。(^^)


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限りなくグレイ

2017-01-22 05:26:27 | 願い
仕事帰りの電車の中で、乗降ドアの窓ガラスに某出版社の
「新刊!絶賛発売中!」
という宣伝ステッカーが貼られていました。その宣伝文句には
「AI(人工知能)、SF、出雲神話、、、」
なんていうニワカにソソラレる文字が並んでいて。
そんなチョイとポンポコな言葉の組合せに多少の違和感と作意も感じつつ、
しかし、つい目を惹かれてしまった僕さんは、自宅のある街の駅を降りて、
そのまま駅ビルの中にある大きな本屋さんに立ち寄ってみました。
でも、そのお目当ての本は押しモノを並べる平置きコーナーを見ても、
発売元の出版社さんのコーナーを探してみても見当たらず、
店内に設置されていた検索端末で調べてもみたのですが......見当たらず......
「欠品」の表示。

「こんな大きな本屋さんに無いのか〜......」

と、探すのを諦めた僕は、その場でスマホからアマゾンを検索。
既に中古本も出回っているらしく、
郵送代を含めても新品価格よりかなり安く購入出来ました。この間、ホンの数分。



......さて、

マズイっす。。

本屋さんの店内で、お目当ての本をネット注文。

その本はおそらく明日には自宅に届くでしょう。

何か、おかしい。

違和感......を感じます。

でも、そんな時代。。



そのまま家に帰った僕は再びスマホを取り出し、
大手出版社で編集の仕事をやっている女性の友人に電話をかけました。

「もしもし!?アチキです。ええ。アチキ。ええ。ええ。どもども。
お久しぶりんこ!えっあ!?なに!?あっ!そー!!!
そだね、あけましてで。おめでとーで。そだそだ。確かに。
今年初めてでやんすね。どもども( ̄∇ ̄)
でさ、あのね、なんでおっきな本屋に本が無いわけ?出版社も一押し!なんて本が。
ネットで買っちゃったよぉぉ。ダイジョーブなの?そんなの。
本屋さんって。
ヤバくね?
数年前のCDショップみたいじゃね?
どなのさ?最近のリアル本屋さん事情というのわ。
ちょっとお話を聞かせてけろ!(・Д・)突然キョーミが湧いたの!」

僕は子供の頃から本屋さんが大好きで。逃げ場所の様な、遊び場の様な。
仕事場の様な、息抜き場の様な。
アイデアに煮詰まった時などには良き相談者の様に感じることもあるし、
時に頼れる友達にも、物知りの先生の様にも感じられる場所でもあるし。
それで?なのか、どうなのか。この時僕は唐突に、今更ながらの、
そんな大好きな街の本屋さんの未来を憂う気持ちが強く沸き起こって来たのでした。

ネットワーク革命の後、時代の変化は急速で、
その足跡は寝ていても聞こえて来るくらい。
街の本屋さんに思う気持ちは、数年前の、自分が「棲まう」音楽業界における
パッケージ関連事業の先行きを憂いていた時の気持ちと同じ様な思い。

「もう、リアル店舗形式の本屋さんの殆どは成り立たないと思うなぁ。。」

電話先の編集者の友人も、僕と異口同音にそんなことを言っていました。

「少なくとも、もう雑誌は壊滅よね。
あとは店頭イベントとか、色んな物販モノを増やすとか、レンタル店と一緒になってるとか、
そういう方向に進んでる感じ。ツタヤとかさ。
CDショップと一緒の流れね。キツイわよ。ホント。
だからウチは、逆にリアル店舗さんを出来るだけ大事にする方針でやってるけど。
それはウチにとってはトテモ大事なことだと思うから......」



出雲なう。なのです。



宍道湖(しんじこ)のほとりにある温泉ホテルの部屋の片隅で、
明け方近くに、ポヤポヤとこのグダグダな記事を記しています。
此処は、これまで、事あるごとに幾度も訪ね歩いて来た地ではありますが、
一月という冬の季節の真っ只中に訪れるなんていうことは今回が初めてだったりもします。
そしてやはり、この季節の日本海側の地というのはとても厳しい寒さであって。
長く、深く、濃い歴史が染み込んだ出雲特有の空気感は
そんな寒さをまた一層「意味深」に感じさせてくれたりもします。
そんな感覚というのはどこか日本的な情緒感や感傷的で湿ったモノに包まれていて、
なんとなく水墨画の世界に入り込んだ様な、
時間がシン......と、止まってしまったような、そんな世界に迷い込んだ感じでもあります。





限りなくグレイな冬の出雲の大地と空気。
寒さ以上に心身に染み入って来るこの寂寥感というのは、いったいなんなのだろう......

ここは新しい神々に封印されたこの国の古(いにしえ)の神々が多く眠る地で。
そんな地にうっすらと積もった雪というのは、どういうわけだか暖かく、
寝心地の良い真っ白な掛け布団の様にも見えてきて、
そんな心地よい布団に包まれた大地からは、実は、
神々はあまり外に出たくないんじゃないか......というふうに思えてきたりもします。

仮にそんな神々が長い眠りから目覚め、この世界に起き出して来たとしても、
それはきっと古(いにしえ)の姿そのままでも無いのだと思います。
仮に、古(いにしえ)の神々の復権の様なものがあるとしても、
それはきっと新たな神々との混合と混血で。
そういう意味で、古い神の復活など、そのまんまの意味ではもう無いのだと思います。
きっと全ては、また新しい神や種を産むためであって。創るためであって。
それは拡大と革新を続ける宇宙全体の歩調ともリンクした、リンクせざるを得ない、
必然で自然な道程であるはずで。



ふと、数日前の本屋さんでの出来事が頭によぎります。
友人と電話で話したことが浮かんできます。



激しく流れ行く世界で本屋さんはこれからどうするのだろうか。

古き良き時代は、二度と戻らないハズで。

本屋さんと古(いにしえ)の神々の姿が重ね合わさって浮かんできたりもします。

もちろん、その重なる姿の中には自分の姿もちゃんとあって。
自らの有り様も一緒に問われているようにも思います。

昨日の自分より今日の自分を進化させることはとても大変なことにも思えてくるし、
過去の自分を超えていくこともナカナカ厳しいことだとも思えます。

神々って?どうなのだろうか......

そんな部分は人と似ていたりもする?同じ?だったりするのだろうか......

冬の出雲で、今、そんなトメドモナイことをボヤボヤと考えていたりします。

あまり意味はなさそうで、実りも無さそうなことですが......

......そろそろ寝ましょーかね。。(*´ο`*)=3 ぽふー





毎度のことですが、僕がこの地に来るのは何故か!?神様からのお呼び出し!?
であったりもするのですが、今回の出雲はなんとなく、
良き未来のために古(いにしえ)の力の一部を取り戻そうとするかの様な出雲
そんなポンチキプーなサイドストーリーは、また折を見てココで記したくも思いますが、
今回の出雲に漂っているものは、寒いけど暖かく、嵐なのに晴れている。古いけど新しい。
そんな全てがメビウスの輪の様に渾然と捻れて繋がっている時空。
前後左右上下も無く、時間すらも消え去っている様な感覚世界。
この地に眠る古の神々からはそんな感覚の言葉が、なんとなく、響き降りて来たりもします。



————新しいも、古いも。それが時間であっても。アルようでナイものなのだ。

————このままゆっくり休んでいても良いのだ。
だが、未来のために。必要な変化のために。
我々も今一度身を起こし、ひとはだ脱いでもみようか。

————我も動くことにした。古いも新しいも時間は一緒なのだ。

————混じる時間と、その先にある未来。
それは、楽しみでなくて何であろうか。

————楽しみでなくて、何なのだ。



いろいろと不可思議な言葉はありますが、なんとなく、
大好きな本屋さんにも届けばいいなぁ......と。
限りなくグレイな話で(^^)かしこ。


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TPPと西尾さん

2016-12-09 01:01:08 | 願い
オリンピックとかサッカーのワールドカップとか。
大きなイベントとかお祭りとか。
「ある部分」大きな事件とかスキャンダルとか。
マス系メディアが「そのコト一色で染まっている」ような時、
何か大事なことが世界の片隅でスルリと決まっていたり。
本当は皆が見逃してはいけないシビアなことがさらりとニュースで発表されていたり。


そういうことってあるかと思います。


あえて、そういうタイミングや、
多くの人が見逃しやすい全体状況を意図的に作り出していることって......あるかと思います。


それが国家というものだったりするのかもしれません。


それが権力というものの正体だったりするのかもしれません。


僕らは、いつも、自らが選んだ人々に翻弄されていたりもするのでしょうか?
国家とは、そんなことが起きた時に、
国民の抵抗力が無力となるような絶望的な仕組みにでもなっているのでしょうか?


今、目前のテレビでは、
震災の時に「国民全体であれだけ反対していた」原発再稼働のニュースが溢れています。
税金を一兆円もかけて作った
「もんじゅ」なる原子力発電所を維持する方向の話も可決されています。
「もんじゅ」は維持だけで年間2百数十億円!もかかる発電所です。
ここで作ろうとしている「プルトニウム」とは、人類の作った最強の毒物でもあります。
わずか「10000分の1」の成分を吸い込んだだけで人は死に至る物質です。

そんなものをこの国の政府は作っていたのです。
今も維持しようとしているのです。
福島第二原発やウランの処理すらまともにできていないのに!です。

「もんじゅ」は、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア......
全ての国が諦めて捨てた発電システムでもあって、この国に至っては、
40年前に作られて、17年前にやっと稼働して、その直後に事故を起こして、
今に至るまで1キロワットも発電できていない発電所です。
17年間、延々と燃料を保持するだけの作業を行ってきた発電所です。17年です。
それをとり壊さずに年間200億円もかけてこれからも維持していきますよぉ〜
......というニュースです。こんなふうにざっと記しても背筋が震える事情に関しては、
「誰々が不倫してました......」
なんていう話より、マスなニュースでは時間が割かれないわけで......

さらには「IR=Integrated Resort=統合型リゾート」という名の下に、
カジノ法案も成立に向けて進んでいて、その裏で、
あれほど騒いでいたTPPに対する議論はいったい、どこに行ってしまったのでしょうか。
カジノよりTPPの方が、国家国民に対する影響はとても大きいハズなのです。

そのTPPにしても、農業の問題などを表に出しながら、
アメリカの真の狙いや問題は別のところにあるという事実は......隠されているのです。
それらはいったいどれくらい報道されているのでしょうか。
その話も、実は、背筋が寒くなるような事なのです。


いつも、僕は、国家なるものに対しては圧倒的な無力感に苛まれてしまいます。


この国が好きなのに、です。


ソコには悔しさも諦めもあって、何かがオカシイようにも思ってもいます。


国の「何か」が未熟であるような気がいつもしていたりします。


理想の国家とはどんなシステムに磨き上げていくことが必要なのでしょうか。


そんな進化に向けて、選挙という方法以外に、
国民が国政に影響や力を及ぼしていく方法などはないものでしょうか?
デモとか、クーデターとか、そんな古典的な方法以外に、もっと、
今のテクノロジーを利用したら可能となるような新しいシステムは創れないのでしょうか。
作れるのに作らないのでしょうか?


政府の創造性の無さは、僕ら国民一人一人の創造力の無さのあらわれなのでしょうか。


僕らはいつも、その時々のテクノロジーや文化、技術の進化に
肝心の心や哲学が追いつけていないようにも思えます。
往々にして、常に新たなテクノロジーこそが文化、文明の進化を醸造していくように、
変革の順番としてもいつもテクノロジーが先行してしまう......
ということは致し方ないことだとも思いますが、願わくば、
心の進化もテクノロジー並みに早くならないものかと、時折、
怠惰で変化を嫌う自分の心を嘆かわしく感じたりもします。


つい先日。12月2日。
参議院のTPP特別委員会で北海道がんセンター名誉院長の西尾正道氏が意見陳述を行いました。
その陳述は、今のこの国の政治中枢における病理が見事に表現されている
素晴らしいもののように僕には思えました。
これほどの率直さと明瞭さを持って話された陳述にはそうそう出会えないとも思います。
またそれが、とても悲しくもありますが。。
しかしこれすらも、もしかしたら?常套的な政治手法の手の内にあるような事でもあって、
「不満などは一旦吐き出させて」「段取りはちゃんととったではないですか」と。
「議論はつくしたではないですか」と。
その後は「喉元過ぎればなんとやら......」で。「国民などそんなものなので......」と。
また何事もなかったかのように自分たちの思惑通りに全てを進めていく。
そんな段取り的意見陳述会であったりする可能性があることも、
やっぱりとても悔しくて、悲しくて。


僕らはいったいどうすれば良いのでしょうか。。


この西尾さんの陳述に拍手と尊敬の気持ちが浮かべば浮かぶほど、その量に比例して、
大きな無力感と絶望感とが湧き上がって来てもしまうのです。


こんなことを記すことにいったいなんの意味があるのか?
記している僕自身、全く、何も、わかってはいませんが、
いつか転記したウルグアイの「ムヒカ大統領」の素晴らしき演説と同様に、
「この陳述が一人でも多くの人に伝わればいいなぁ.......」
と。そんな願いだけは明確にあるので、ここに記しておこうかと思います。
西尾さんには真摯に、敬意を表させていただきます。


——————————————————————————————————————
かつて自民党は
「ウソはつかない!TPP断固反対!」
って言ってました。稲田防衛大臣はかつて
「TPPのバスの終着駅は日本文明の墓場だ」
という発言をしてるんですけれども、コロッと個人がウソをつくとかいうレベルではなくて、
党としてウソをついてる。180度態度を変えちゃう。

国民は一体誰に投票したらいいんですか?
党の公約も破棄しちゃう。修正どころか180度変えちゃう。これはウソとしか言い様が無い。
倫理的、道義的な問題はどうなっているんでしょう。
恥ずかしくないんですかね!
TPP断固反対と何年か前に言っていたのに。
この様に息を吐くようにウソをつかれたら、やってられません!国民は。

そもそも6000ページにも及ぶ内容を本当に皆さん読んでるんですか?
情報出して下さいといっても海苔弁当の段階です。
知らないで、赤信号みんなで渡れば怖くないって言って、皆さん賛成しようとしている訳です。
冗談ではない。
こんな条文をまともにチェックもしてない訳ですから、
実際には赤信号も見ないで渡ろうとしている訳です。これが今の現実です。
で、実際にTPPってのは基本的には、昔戦争、今TPPです。
昔は戦争を仕掛けて国益を取りました。
ところが公然と核兵器を持つ時代になったらお互い面と向かって戦争は出来ない。
地域紛争は勿論起こりますけども、国家として国同士がぶつかり合えないですから、国益を取る。
国益というよりむしろグローバル企業ですけれども、
国を動かしているグローバル企業の利益を取る為に、
貿易上の仕組みを変えて利益を取ろうってのが正にTPPでございます。
これがTPPの本質でございます。

米国の医療はとんでもなく高い。
日本のGDPの20%以上を占めてますし、日本の7倍の医療費が使われてる。
TPPになるって事は、結局アメリカナイズされた医療になるという事でございます。
もうお互いに助け合うとかですね、共に生きるなんていう発想は無いんです。
とにかく、医療も完全に金儲けの道具になるというふうに考えて下さい。
米国のロビー活動費見たら、何がターゲットですか?農業とかそういうものじゃないです。
最大のターゲットは保険も含めた医療業界の仕掛けなんです。
2013年の3月4日付けのタイムスに28ページに渡る
「米国医療の驚愕・医療ビジネス」
という特集号が出てました。正にこの中から取った記事であります。
こういう事によって日本の医療は多分、かなり大幅に変わると思います。
ちなみに米韓FTAが2012年に締結されましたけど、韓国の医療費は2年間で2倍になりました。
日本は韓国の医療規模の4倍位ありますから、恐らく、あっという間に膨大にお金が飛び上がる。
今オプシーボ(新型がん治療薬)で、半額にしようなんて議論やってますが、
そんな話じゃ全然なくなります。本当に深刻です。

1985年以来、とにかく日本の医療市場を解放する様に、
アメリカはずっと働きかけて参りました。
最近では新薬創出加算の様なものを作ったりして、
一様に製薬会社が有利な形で日本市場に参入して参りました。
しかしTPPが正にこういったですね、
米国が日本の医療産業の解放を行う最後の仕上げがTPPだと僕は考えております。
ちなみに米国業界と保険業界の標的は日本市場であるという事は、
全国保険団体連合会の寺尾さんの論文からサマリー(要約)を取ったものです。

私が医者になった頃は、1ヶ月の抗がん剤は数千円でした。
90年代になって数万円になりました。21世紀になって数十万円になりました。
そして3年前の免疫チェックポイント阻害剤が出たら数百万円になりました。
桁3つ違ってますけども、TPPが締結されればどうなるか?
要するに、アメリカの製薬会社の殆ど言いなりの値段になりかねない。
中医協(厚生労働大臣の諮問機関)ではチェック出来ません。
中医協のやってる事が透明性とか公平性を欠くとISD条項で訴えられたら出来ませんので、
かなり製薬会社の意向を汲んだ価格になる。ダントツで日本の医療費は飛び抜けます。
最終的にはですね、皆保険も実質的に崩壊するというふうに考えております。

患者負担が増大し、混合医療が解禁されます。民間医療保険が拡大します。
営利産業が医療産業に入ってきます。
今でさえ薬剤は3兆円以上の輸入超過になっているものが、もっともっと広がっていきます。
このままでは日本の医療は崩壊し、日本人の健康は守られません。
新技術が保険診療に出来ない事態が考えられますし、
実際の術式(外科手術の方式)までですね、特許料を取るというような事態になります。
医療費も高くなりますので、国民はみんな医療保険に入らざるを得ない社会にもなりかねない。

TPPの本質はグローバル企業が一般国民を犠牲にした金儲けでございまして、
自由貿易は善であるという前提なんですけど、
国の状況とかですね、経済格差を考えてやるべきであって、
これ自体が本当に良いかどうかは話が別ですね。
産業革命以来、富の源泉ってのは労働力でした。今はロボットも使える、AI(人工知能)も使える。
そしたら何が富の源泉かっていうと、科学技術を持つか持たないかです。
そうすると科学技術の負の側面は隠蔽するという事になりますし、
そういう事が金儲けになっちゃうと、とんでもない格差が出来ます。経済的に。
それをどういうふうに公平性を保って再配分するかっていうのが
本当の意味での政治家の仕事だと思います。
こういった本質的にやるべきことをきちっとやらないで、
どんどん企業が儲けるようなところに世界を誘導していくってのは、
とんでもない事だと思います。

その点では、議員としてよりは、一人の人間として、
共に生きる社会をどう作るかっていう事を本当に真剣に考えて頂きたい。

最後になりますが生命を脅かすTPPの2つの大きな問題がございます。
医療問題を言いました。もう一つは健康問題です。
例えばこの40年間、ホルモン依存性のガン、女性は、僕医者になった頃、乳ガン15000人でした。
今90000人です。
前立腺ガンも殆どいなかったけど、今90000人で、男性の罹患者数のトップになりました。
卵巣ガンもどんどん増えてる。子宮体ガンも増えてる。
ホルモン依存性のガンが5倍になってるんですよ。
この40年間でアメリカの牛肉消費量は5倍になりました。
正にエストロゼン(女性ホルモン)入のエサを与えて1割生産性を高めて、
そういう肉を食べている日本人もアメリカ人も5倍になってるんです。
ホルモン依存性のガンが。それから耐性菌もそうですね。
豚や鶏には抗生物質入りのエサを与えて生産を高めてる。
そのため、人間が肺炎になっても薬がなかなか効かないという問題もございます。
それから残留農薬が世界一緩和されてる。とんでもない話だ。
今一番使われてるネオニコチノイド系の農薬が自閉症の原因であることが突止められてます。
WHOでは発ガンにも関係しているとBランクにランキングされました。
それから認知症にも関係している。鬱病にも関係しているという報告がどんどん出てきている。
このままいけばアメリカの子ども達が二人に一人が自閉症になるよという論文が
ハーバード大学から去年出ました。
本当に、こういう事が深刻なんですね。

遺伝子組換えを日本人が一番食べてる。
アメリカにとって、大豆やトウモロコシは家畜のエサです。
ところが日本人は納豆で大豆食べます。味噌や醤油の原材料です。
一番食生活で、遺伝子組み換えの影響を受けるのは日本人の食生活なんです。
こういう事が全くチェックされないで、世界一、遺伝子組み換え食品が普及してる。
日本人の健康そのものが保てません。
ガンの患者さんが増えてるのは高齢者だけじゃないです。
食生活を含めて増えてるし、更にもっと深刻なのは、
昔60以上になってガンになってたのが、今は40代はザラです。
約20年、若年化してガンになってます。これが現実です。僕の実感として。
自分達の国で農薬を規制したり、
遺伝子組み換えを表示したりする事がTPPに入った場合に出来なくなっちゃうんです。
日本の国の決まりよりもTPPの方が上位にある訳です。
こういう現実を冷静に考えて頂きたい。

最近では遺伝子組み換えで、鮭も5倍位大きいものが作られてますよね。
これも規制しなくていいの?ってことですよね。本当に何があるか分かりませんよ。
子宮頸がんワクチンだって、今まで不活化ワクチンか弱毒化ワクチンで作ってたんです。
だから大きな問題は起きなかった。
子宮頸がんワクチンは遺伝子組み換え技術で作ってるんです。
更に効果を高める為にアルミニウムの様なアジュバント(補助剤)を加えて作ってるから、
ああいう予期しない問題が起こっちゃう訳です。
もう少し冷静に、命を重視する、
お金よりも命を大事にするっていう発想に切り替えるべきだと思います。

最後に、大変深刻なのは、今、福島から出ている放射性物質、
これは微粒子として浮遊してます。残念ながら。
そういうものと農薬も含めた化学物質が人間の身体に入った場合、
相乗的に発ガンするって事が動物実験で分かってます。
こういう多重複合汚染の社会になって来て、
恐らく2人に1人がガンになるっていわれてますけども、
多分20〜30年経ったら3人のうち2人はガンになります。
僕はとっくに死んでますから、若い議員さんは是非確かめてください。
この場で西尾が嘘を言ったかどうか確かめて欲しい。
本当にガンがどんどん増える社会になります。
その点では自分たちの国でキチッと法律で、ある程度規制出来る様な体制を作る為には
決してTPPに加入すべきではないと私は思っております。

ありがとうございました。
——————————————————————————————————————


「TPP恥ずかしくないのか!党としてウソをつく」西尾正道 参考人12/2参院・TPP特別委員会


西尾さんは政府、その他組織からの圧力も覚悟、意識をしながら、
異様に緊張しつつ必死に話しているように見えます。
本当に恐ろしい話だと、
この陳述映像や内容が番組付き解説者のコメントより「時間を割いて」報道されないのも、
本当に恐ろしい話だと、僕は思っています。


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中央構造線の憂い

2016-04-29 00:10:46 | 願い
ナショナル ジオ グラフィックの綺麗な写真の中で、
お兄さんが遠い目をして眺めているのは、いわゆる、大地の裂け目ってやつです。
アフリカを南北に走る「大地溝帯=だいちこうたい」
上の写真も下の写真も。
ネットからチロリと拝借させて頂きました。



この大規模な地殻変動は、今この瞬間も、
「アフリカ大陸を二つに割らん!」
として動いています。
何かと話題の!?聖書の里、イスラエルも、
そんなアフリカの大地溝帯の真上にあることがよくわかります。



へっこんでます。明らかに。
画像中の湖は世界で最も低いところにあることで知られる「死海」
聖書では「約束の地、カナン」などと書かれたりしているエリアでもあって。
そんな「大地溝帯=グレート・リフト・バレー」全体を地図で見るとこんな感じで......



現在、陸上において最も大きな大地の割れ目というのがこのアフリカの地溝帯となります。
そして、その割れ目と同じものが、実は、日本列島にも大きく存在していて、
それが過去に「鹿島徒然」や「日本中央=ひのもとのまなか」などの記事でも記して来た
「レイ ライン」とも重なる「中央構造線=ちゅうおうこうぞうせん」と呼ばれるもの。
言わば、日本列島の大地の裂け目。
ウィキペディアの図では赤線で記されています......



国土地理院が地名を付けちゃうとこんな感じ。



で、以下が、
時に「パワースポット」なる言葉でも語られる有名寺社や名所等を幾つかマークしたもの。



今ちゃっちゃっ、とスマホで作ったのですが、
いかがでしょう?
先程の「中央構造線の位置とピッタリと重なる」ということがお分かりでしょうか。
地形地図でも線としてハッキリと現れています。

パワースポットのエナジーにも幾つかの種類、タイプがあるように思いますが、
このマップに記した様な寺社を建てた古(いにしえ)の人々というのは、
大地の裂け目から湧き出てくる地球の強力なエナジーなどもよく感じ取れていて、
視えてもいた様な人達なのでしょうか(^^)

ちなみにブルーの星☆印が神社さん。
左下、九州の方から右に向かって「幣立神宮」、今回の地震で倒壊してしまった「阿蘇神社」、
四国に渡って、道後温泉の「伊佐爾波神社=いさにわじんじゃ」「金比羅神社」「大剣神社」、
淡路島の「伊奘諾神宮=いざなぎじんぐう」、紀伊半島「高野山」「天河大弁財天社」、
「伊勢神宮」、夫婦岩で有名な「二見興玉神社=ふたみおきたまじんじゃ」、
伊勢から知多半島に渡る線上には「神島」。そこから愛知県に上陸して「豊川稲荷」
「 安久美神戸神明社=あくみかんべしんめいしゃ 」
浜名惣社神明宮=はまなそうじゃしんめいぐう」、
南アルプスへ登り、ゼロ磁場で一部マニアに有名な伊那の地にひっそりと佇む「熱田神社」、
言わずと知れた「諏訪大社」「榛名神社」「日光二荒山神社」、
ちょいと外れて秩父「三峰神社
ラインに戻って「大宮氷川神社」「香取神宮」「鹿島神宮」......
太平洋に抜けます。

オレンジのダイアモンド(菱形)が名所旧跡とか有名な温泉さん。
「阿蘇山」「湯布院」「別府温泉」「道後温泉」「諏訪湖」「浅間山」
皆、見事に中央構造線と重なります。


そして......


赤のピンマークが......


原子力発電所です。


数ある原子力発電所のうち
「大地の裂け目の上に立っている」原子力発電所ということになります。
大地の裂け目とは、
言い方を変えれば今回の熊本大地震の原因となった「活断層」のことでもあります。
しかも、もっと大きな活断層......


今、この瞬間、上の赤ピンで示した九州の中央構造線上にある
川内原発(せんだいげんぱつ)は再稼動されています。
四国の左端、これまた中央構造線「そのもの」でもある佐田岬の真上に建つ
伊方原発(いがたげんぱつ)も近々再稼動するようです。


この事実に、熊本地震の映像がオーバーラップしてきます。。。


このままで、いいのでしょうか?


沢山の原発が停止している中で、
電力不足による停電やらトラブルやらのニュースはあまり伝わって来てはいませんが......
原発は本当に今程の数......50基以上も必要なのでしょうか?


何でそんなに作られたのか?


理由は?


裏の仕組みは......?


そこにはこの国の、世界の、「闇」があるようですが......


東日本大震災における福島第一原発の事故以降、発送電が分離され、
今月、4月からは、電力会社を自由に選べるようになりました。
僕は早速、自然エネルギー発電を推進している電力会社さんから買える様に変更しました。
先日初めて来た請求書を見ると、値段もお安くなっとります!
良いカンジでわないですかぁぁ♪(o゜▽゜)o


さらに!


お金さえあれば!!


必ず自家発電&蓄電&配電コントローラーシステムを入れたいですし、
そこに「電気バッテリーを搭載しちゃう系」自家用車を組み合わせるシステムなどにも
変えていこうと思っています。


オフグリッドな生活ですな( ̄ー ̄)ええ。ええ。


ただ使いたいだけですが。この言葉。


おふぐりっど。


ええ。ええ。


僕様は小市民ですから、
大きな物事や闇を晴らす様なことなど到底出来ません。が、しかし、
とにかく、自分に出来る小さな改革を積み重ねていこうと思ってます。
小さな改革の集合体が真の革命となれるのでございます。
時代を変え、作っていくことが出来るのでございます。
きっと。
ええ。ええ。


お金さえあれば!(=゜ω゜)ノ


えい!えい!オーーーッ!ε=( `ω´)/


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パン

2016-04-21 23:40:20 | 願い
街の綺麗なパン屋さんは、
幾つかの欲しいパンをトレーに乗せてレジに持ち込むと、
パンをそれぞれ種類ごとに分け、
一つ一つ丁寧に個別のビニールに入れてくれたりします。
最後にはそれらをまとめて、
店の名前が印字された手さげ付きの大きめのプラスチックバッグに入れてくれたりもします。
エコが叫ばれるようになってからこんなパン屋さんは少しづつ減って来たのかもしれませんが、
少なくとも、
1995年1月18日の午後2時ぐらいに僕が入ったパン屋さんはそんなパン屋さんでした。



その日は、淡路島周辺を震源とした歴史に残る直下型大地震が京阪神を襲った翌日。
僕は大阪の豊中という街に住んでいて、
近所の木造の家などはほぼ全て半壊、もしくは全壊をしていました。
そんな風景を横目に見ながら、その街を南北に走る街道沿いにあるパン屋さんに、
僕は一人、パンを買おうと並んでいました。



その時の僕は20代前半。一人暮らしで常に外食ばかり。
普段から家の冷蔵庫にはコーラとビール以外めぼしい食べ物や飲み物などまったく無く......
近所のコンビニが冷蔵庫代わりで......なんていう生活をしていました。
その震災の時にも、僕の部屋にあったものは、確か、牛乳と卵とベーコン。ソーセージ。
お米が5kgの袋に1/3程度。わずかな量。
それしか食べ物も飲み物もありませんでした。

余震、と呼ばれる大きな地震は引っ切り無しに襲って来ます。

まるで、何かが、

人智を超える何かが、

激しく怒っているように感じたり。

それに恐怖したりもしていて。

そんな中、震災中の食料を探してスーパー、コンビニ、米屋に八百屋に魚屋......
僕は歩ける範囲の全ての店を回りました。
しかし、災害に襲われた街の店々からは既に全ての商品が消えて無くなっていて、
中身が空っぽのお店ばかり。
そんな街の風景には、どこか「絶望感」のようなものが恐怖と空虚さと共に漂っていました。
街は、遠い夢の中の廃墟のようにも見えました。
それでも、
街がそんな風であればあるほど、

「何とか食料だけは......」

という僕の思いは強くなり、小売店の様な店々は勿論、発想を切り替えて、
ありとあらゆる自動販売機や、ファーストフードにお弁当屋さん。
全てのレストランや定食屋さんなども探し歩きました。
そんな店々の中には、窓ガラスが割られ、中にある食品やお菓子、
ドリンク類などが全て持って行かれたようなところもありましたし、
自動販売機も電源が切れていたり、壊れて、倒れていたり。全て売り切れだったり。
24時間営業の牛丼屋さんなども全て閉まっていました。
牛丼屋さんの中には、少し前までは開いていたのか「品切れ」の張り紙が出ているような店も。
それでも

「まだあるんじゃないか?」

「また、もう一度店が開くのではないか?」

という一縷の希望を持った人々が何十人と牛丼屋の入口のドアから街道沿いに
ズラリと立ち並んでもいて。
いつ開くともわからない牛丼屋さんに30人以上の人が並ぶという光景を、
僕はその時以来見たことはありません。
そうして、歩き疲れ、足が棒の様になっていた僕の前に、
少し前に見かけた牛丼屋さんのようにとても多くの人々が並び、
「何か」を買っているお店が突然現れたのです。



それが、冒頭に記したパン屋さんです。



「なんとか、1つでも、小さなパンでも買うことができればいいな......」



そう思って、僕は長い待ち人の列に並びました。
それからレジまで、30分ほど。
並んでいる間に、このお店が何で営業できているのか?もわかりました。
お店の中にパン焼き工房があって、そこで毎朝パンを焼いていたから可能だった様です。
幸い、食材もオーブンも無事で、それで、近所の皆さんのために、と。
自分達に出来るだけのことをしてくれていたお店の様なのです。
店内に入ると注意書きの紙があちこちに貼られていて、

「お一人様5個程度でお願いします」

と書かれていました。
この張り紙を僕はとても良く覚えています。
見渡すと、それ以上のパンを買いこんでいる人もいます。
5個より少し少ない、二、三個だけ買って帰る様な人もいました。
このお店同様の気持ちで買っている人なのでしょうか......いろいろ......です。
僕はそんな人々を横目に見ながら、とにかく並んで、
僅かに残っていた小さな菓子パンを3っつだけ......買いました。
僕は一人暮らしでしたので、とても5個は買えませんでした。
そして料金を払おうとレジ前に立ち、お金を出すと、
レジに立っていた高校生の様な若い女の子は

「お待たせして申し訳ありませんでした。。」

と、平常時と同じ様な?......平常時を知らないのでイメージでしかありませんが......
そんな対応と言葉を話していました。
それ迄、列に並んでいた時に、人の流れがやけに遅いと感じていた僕は、
幾人かの人の背中越しに前方のレジの様子を覗き見ていたのですが、その時は......

「◯◯◯が一点。△△△が一点、×××が一点......合計¥¥¥¥¥です!」

女の子はそう言いながら、
一つ一つのパンを、いつものように一つ一つ丁寧にビニールに包み、
それをさらにプラスチックバッグに入れてお客さんに渡していました。

いつもと同じ形なのでしょう。

僕は、自分の会計が来た時に、並んでいた時に見ていたのと同じように
わずか3個のパンをビニールに詰めようとする彼女に対してこう言いました。

「ビニールはいらない。そのまま袋に入れてくれればダイジョーブ」

そして、

「すげー並んでるからさ。。。」

と付け加えました。
その後、パンを受け取って立ち去る時に、
振り返って、もう一度、彼女の様子を見てみました。

「◯◯◯が一点。△△△が一点、×××が一点......合計¥¥¥¥¥です!」

僕はその時、とても複雑な思いでその光景を見ていました。



「ちょっと、パニクってるんだろうな。。無理もないよな......」



「どうして......こーなっちゃうのだろう......」



それは、
居並ぶ人々に懸命に対応している優しい女の子に対する気持ちというわけでもないのです。



別の日は、
当時付き合っていた彼女の消息を確かめようと決死の思いで向かった神戸への道すがら、
貴重なペットボトルの水を配っているヤ◯ザ屋さん職の方々を見かけました。
強面の男の人の手から配られている水を3本も4本も取ろうとするオバちゃんがいました。
コワモテの男の人は、

「一人2本までや!わからんのかい!」

と言っていて、
そのおばちゃんはスゴスゴと引き下がった後、
その水をもらおうとする沢山の人の列にもう一度、何食わぬ顔で並んでいました。
水は、誰かに預けたようでした......
周りの人々からは冷たい視線が飛んできます。が、おばちゃんは意に介しません。
そのあと並んだ後ろの中年男性から怒号が飛びます。

「あんた!何回ならんどんねん!!!」

その中年男性の後ろには、泣きじゃくっている小さな男の子が並んでいました。



また違う場所では、救援物資を多くの人々に配っている光景が見えました。
そこからは女性の大きな怒鳴り声が聞こえてきました。



「あんたらふざけんな!私には沢山の子供がいるんだ!」



ふと見下ろした僕の足元は、
まるで爆弾が落ちた跡の様に、ボコボコと窪んだ穴だらけでした。
その周りの地面は所々、何か別の世界の様にワケもわからず捻くれていて、
それが道だったのか、人の家の庭だったのか、路肩の歩道だったのか、
全くわからない場所になっていました。



「絶対彼女を助けてやる」



その時、そんな気持ちが強く湧き上がってきました。



数日後、
しばらく連絡が取れなかった西宮に住んでいた敬愛する先輩のG野さんと会うことができました。
心底心配をしていた人の無事が確認できて、僕はなんとも言えない喜びを覚えていました。
G野さんはプロレスの興行もとり仕切る様な剛腕なイベンターさん。
体も大きく、体力もあって、荒ぶる人ですが、心根も優しい。
家は半壊だったようなのですが、自分と家族の無事を確認した後は、ずっと、
倒壊した近所の家々から沢山の人を自衛隊さんや消防士さんと共に
ひたすら助けていたようでした。
G野さんはその時も、やっぱり頼もしく、山のように僕の前に立っていました。
G野さんは僕に一言こう言いました。



「あんな、UZMET。男は体鍛えとかなあかんで。いざという時役に立たん」



今、南米、エクアドルでも大変な事態となっている様です。



今一度、2014年に書いた「1月17日」という記事の最後の部分だけ、
ここにも転記しておきたく思います。



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本当は、
その時僕が言いたかったこと、
阪神淡路大震災の時に「思ったコト」「起きた出来事」というのは
とても沢山あって、
だからとても一遍に話したり書き記すようなことは出来ないのですが、
そんな事というのはみな極々当たり前で
常識とも言えるようなことばかりにも思えています。
......そんなもの?なのでしょうか。。



命は宝物だということ。

明日死んでも後悔の無い様に生きなければ、ということ。

大切な人の安否が分かって初めて次の心配も行動も出来るんだ、ということ。

異常な災害時には人間それぞれの本質が表れてくる、ということ。

そして、改めて、

強く生きたい、強くなりたい......ということ。

そんな当たり前のことばかり。

でも、そんな当たり前のことも成すのは難しいということ。

当たり前に生き抜くということも大変なことなのだということ。



阪神淡路大震災以来、
1月17日にはその時噛み締めた色々な思いをちゃんと思い起こそうと努力してみます。
あの時を目前にし、
あの時に一緒に過ごした途轍も無く辛い思いをした人達。
今もそんな思いをし続けている、
なかなか癒えない傷を負った多くの人達のことを思ってみます。
電気やガスが街に戻るまで、
僕のワンルームで窮屈な思いをさせながら数ヶ月一緒に暮らした
3人の人達のことを思ってみます。
ほんと、ダメな僕は、毎日の生活にまみれる中でそんな思いも
ついつい薄れてしまっていたりする様な気もして。。



改めて、
命に感謝して、大切に、強く生きねば。。と。



当たり前の日々に、感謝をしなければ。。と。



1月17日にはそんなことを思い直したりします。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>



多くの人が、強くあれますように。


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少しでも

2016-04-17 18:27:35 | 願い
熊本地震。

被害に遭われた方々。
とてつもなく理不尽な悲しみに直面されている方々。
途方に暮れている方々。
言葉もありません。
僕はこんな時にいつも、自分の無力さにおののき、
心さいなまれてしまう様な小さな人間ですが、
それでも、被災者や地域のことを他人事とは決して思わない、思えない、
最低限の誇りを持っていることを確信できる人間でもあります。
そんな僕に出来ることは、例え少しのことでも、
祈りでも、何でも、していきますし、やります。

東日本大震災から5年。
未だ心痛む様々な状況、出来事を抱えているこの国。

その憂い。

自分の生活のことだけで精一杯という毎日の中で、
どうしても薄れていってしまう災害の記憶。情報。反省心。改善心。努力。

被災者支援の不足。
支援策への無関心さの拡大。
未だ収拾出来ない原発問題。
大きな地震が沢山起こるこの国に、それでも数多く存在している原子力発電所。
そんな原発の再稼働。
電力や生活インフラに関する利権問題。法律の問題。
法律そのものの考え方の古さ。
立法化のシステム、ルールの不全。不足。
未来の電力システムやインフラ整備へ向けての政府指針の不明瞭さ。
そんな国家戦略が不確定であるという事実。怖さ。不信。
そんなコトゴトに対する僕自身の無抵抗さ加減。声の低さ。
そんなものものを変えられない、許してしまう、力なき自分......「僕ら?」でしょうか。

熊本地震と名付けられた、今、目前で起きている悪夢に、もし、何か、
タグのように隠れている意味のようなものがあるのであれば、
そんなことすらもちゃんと捉え、考え、対処もしていかなければ......
などとも思ってしまいます。
少しでも多くの人々と一緒に考えることをしなければ......などとも考えてしまいます。


そんなコトゴトとや思い、考えを、自分自身に今一度強く問いかけて、
自分に出来ることをやろうと、再決意します。


ここ数日、
毎日伝わり来る災害情報から思い起こさせられてしまうのは、
僕自身の中にある地震災害の経験と記憶。
札幌で味わった1993年の釧路沖地震の記憶。
大阪、豊中に住んでいた時に遭遇した阪神大震災の沢山の経験と記憶。
東日本大震災には東京、港区で遭遇しました。
そんな地震という出来事に対する記憶や想いは、過去に少しだけ......
このブログの中でも記してもいましたが、今一度、自分自身で読み返してみても、
そこには未だ癒えぬ、人にも語れぬ傷があることを再自覚もさせられます。

1月17日
国破れて山河あり

でも、そんなことも、
今、この瞬間、大変な現実と向かい合い、
戦っている多くの方々に比べれば何ともないことでしょう。
痛くも痒くもないことでしょう。


一人でも多くの人が助かりますように。
傷つきませんように。
平穏な日々を取り戻せますように。


必ず、僕らに良い未来がありますように。
創れますように。


ちゃんと、実行します。
もう一度頑張ります。
もう一度誓います。


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みなもと

2015-12-31 00:07:10 | 願い
毎年毎年のことでもありますが、
この時期の「今年を振り返って」的なTV番組を見たりなんかすると、
ちょっと心が苦しくなったりします。

勿論、明るいニュースも沢山ありますが、
ネガティブなニュースや出来事に心が痛む印象の方がどうしても強く残ってしまいます。
それは、そんなニュースの中に含まれる社会の病理や人間の至らなさ、
未熟さなどを自然と心が感じ取ってしまうからなのでしょうか。

なかなか他人ごととも思えず、
自分もこの社会を通してそんな出来事達とどこかで繋がっている限り、
その因の一端を担っているのではないか......というような気持ちになったり、
かといって自らの力ではどうにもできないような無力感にも苛まれてしまったり......
そんなことがまた、心の痛みを増幅させたりもするのでしょうか。

大人ほどの分別が身についていない少年少女の痛ましい事件などからは、
僕ら大人社会が抱える問題や歪みが象徴的に表出しているような感覚を受けたり、
テロや戦争関連のニュースからは「現」経済システムや宗教の限界を感じたりもします。
気象や地球環境のニュースなどからは「現」文明の限界まで感じられたりもします。



だからこそ、より良き未来へ、
僕らは強く進まなければならないのでしょうか。。



様々な人々からよく指摘を受けるように、
この世紀までの文明は僕らの持つ「欲」によって進化を遂げてきたようにも思えます。
それでは、これからの世紀においてはそろそろ、進化のエネルギーの源泉となるものを
そんな「欲」以外の何かに変えられるのか?どうか?
実は、そんなことが多くのニュースの奥底に潜んでいて、
この時代を生きる僕ら全員が問われていることの様にも感じます。

なぜそんなふうに感じてしまうのか?

自分がそうだからです。
自分の生活のモチベーションの源泉が「欲」であることが否定できない事実だからです。
欲だって前進するための大事なエネルギーだと思っているからです。
もちろん、皆がそうだとは思いませんが、
少なくとも、僕に関してはそんな自分と毎日向かい合って自問自答をしてもいます。

自分は、いつか「欲」ベースの邁進エネルギーから脱皮できるのだろうか?
文明の進化が欲のエネルギーを基礎とする限り、
どんなに進んだ文明を手に入れたとしても、そこからは貧困も、差別も、嫉妬も、
怒りも無くならないのではないのだろうか?
宗教など、本来はそんなエネルギーの源を正す目的や役割があったハズだと思うのに......
どれだけ意義深き崇高な教えであったとしても、
この世界に生まれ落ちた瞬間から多くの人の欲に絡まれ、ソレが垢ともなり、
いつしか誰かの、権力者の、「利」の為の道具ともなってしまっているのではないか......
そんな道具となった時には最早、本来の姿ではなくなってしまっているのではないか......



そんな教えや宗教の誕生してからの歩みや姿こそが、
実は僕ら一人一人の生きる姿と重なって現れていることではないのだろうか......



なんなんだよ。殺人て。
なんだよ。テロって。
戦争って......なんなんだよ。
貧しいって、どうすりゃいいんだ。



胸が苦しくなります。



------ある神様から降ろされた幾つかの言葉......



「暗闇の中でも目が利く事を思い出すのじゃ」

「わかっておるようでわからんのがそなた達の得意とするところ」

「本当の宗教とは何かということ。
そして利のあることでなく強く生きるということを教えてあげることじゃろうて......」



......神の言葉は、きっと、そこらじゅうに溢れているのだと思います。
ありすぎて、
満ちすぎていて、
だから、気付けないだけかもしれません。
気付かないだけかもしれません。
普段、空気の存在を忘れてしまう様に。
キッチンの蛇口をひねると水が出てくることに何の疑いも持たない様に。



神とは愛そのもののコトなのだとも思います。
だから神も愛も、きっと、そこらじゅうに溢れているのだと思います。



恋愛。友愛。夫婦愛。
動物愛に人類愛。音楽愛に映画愛。
野球愛にサッカー愛。ゴルフ愛にラグビー愛。
ジャイアンツ愛だ、タレント愛だ、アイドル愛だ。

いや、空気があるのも愛。
海があるのも、山があるのも、雨が降り、太陽が照って、隣に誰かがいるのも愛。
両親がいるのも愛。両親がいないのも愛。
子供がいるのも、いないのも愛。
理不尽すらも愛。苦悩だって愛かもしれない。

あの人も愛で出来ている。
この人も愛から生まれている。
花が咲くのも、枯れるのも愛で、木が茂り、倒れるのも愛。

愛、アイ、あい。

あれも愛。
これも愛。
たぶん愛。
きっと愛。

ん?(・・?)

なんかの歌みたいやな(´・_・`)

でもきっと、そんなふうに、
愛だって神の言葉と同じ様にそこらじゅうにあるのだと思います。
正確に記せば、そんな言葉達の様に何にでも付いているのものなのだと思います。
とかく何かと合わさっているから純粋にソレだけ取り出して見れない事が多いだけで、
本当はそんな言葉達や存在の分だけ愛はあるのだと思います。
本当は、こんな所では書ききれないほど世界は愛だらけで、
ソレに気づけば、身近な人が一番大切になるのだとも思います。

だから愛を感じるには、難しいことなんて、きっと、
なぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーんにもないのかもしれません。
もともとそこらじゅうにあるのですから。
だから、それに気づいた時には
突然世界が愛に満たされて見えたりもするのかもしれません。

そんなことも一瞬、一秒の気づきであれば
きっと誰でも一度は体感もしていることなのかもしれません。

一度も愛を体感していないのだとしたら、そんなことを忘れているのか、
そんな気付き自体に気付いていないのか。認めていないのか。
はたまた脳が認めようとしていないのか。
否定の心でもってソレに蓋をしているのか......そんなこともあるかもしれません。



「欲」ではなく、ましてや「利」のために変容してしまった教えや宗教でもなく、
そんなそこかしこにある愛の様に、神の言葉の様に
「沢山満ち溢れているモノをエネルギー源と出来る」
ことの確立が、次の文明や価値観の変容に繋がっていく様な気もします。
ただ、今の若い世代......というか、満たされた世代というか、足る事を知る世代というか、
には、そんな「欲世代」では想像も出来ない様なモチベーションや
エネルギーソースで力強く働いている人達も沢山出てきてもいて、
欲世代からすればソレはちょっと不思議で理解不能な人に見えたりもする様なのですが、
そんなところにも僕は、
なんとなく神の意図みたいなものをチラホラと感じ取れたりもするのです。



2015年の最後に、僕はこんなとりとめの無い事を考えながら、コタツにもぐり、
大好きなコナコーヒーを欲にまみれつつ
ポチポチと飲んでいたりしているわけでございます。



「京風うどんすき」の名店「権太呂(ごんたろ)」さん。京都四条本店♪
名物の「権太呂なべ」。欲世代にはジュル......( ̄¬ ̄)...っとおいちいのですな......



「愛と愛情の違いってなんだと思う?」

つい最近、こんな会話をこのお気に入りのうどん屋さんでうちのスタッフとしていました。

「その仕事に関してだけ愛情が持てないんです。。なぜだか。。」

そう言うスタッフさんの質問に対しての僕からの答えは、
いつも、大体、この「意味論への入り口」という記事で記したことになったりします。

言葉はというものは本当に難しいです。

「愛」も捉えづらいです。

「愛情」も正確に掴むことはなかなか難しいです。

そんな事々は、神様を捉えづらいのと同じ話の様にも思えます。

愛情は「情」という付属部分が取っ掛かりともなれるので、
純然たる「愛」や「神」よりは少々捉えやすくなっているとは思いますが......
「情」をいかに理解するかによってまた色々と違ってくるのかもしれません。

そのスタッフさんはその後、
また新しいアプローチで仕事に挑戦できている様でなんだか良かったのです(^_^)
僕もそんなスタッフさんのように常に新しい挑戦が出来るような人でありたいと、
「欲世代」なりに切に思う年末年始でもあります。


♪ 毎年よく質問をいただく「初詣」に関しては、
何時ものごとく!?こちらの記事を参考にしていただければと思います。
よい年末年始をお過ごし下さい(^^)♫


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SIGNAL

2015-12-23 03:10:21 | 願い
冬至です。
僕は、個人的に冬至の日(22日)が大晦日で、翌日が新年だと思っています。
詳しくは以前、この記事で記していますが、
地球という星の視点で見た時、自然の摂理という観点で考えた時には、
これが妥当な解ではないかと思っています。


陰極り、陽と転ず。


陰陽転換の日。


だからなのか、この時期になると毎年のごとく、
来年のサインがチラホラとそこかしこに点滅し出していたりして、
そんなことも過去数年ここで記してきた事ではありますが、
改めてざっとまとめてみると―――――――

2013年。巳年。
伊勢、出雲同時遷宮の年。
「8」で表される強大なエネルギーのねじれと閉じ込め。
エネルギーは蛇の様にウネリ、内側に強くあるのに動いている様で動いていない。
まるで停滞しているかの様な焦れったい状況。
何かを勉強するにはとても良さそうな年。


2014年。午年。
そんな内に溜めたエネルギーがお馬さんに乗ってドドド......っと走り出しそうな年。

2015年。未年。
見える景色が何故か?宇宙から見た地球の姿。太陽系の姿。
宇宙という世界。その囲いの中で生きる羊。
導かれる神社さんも今迄になく「星の神様」の社が多く......星の気持ち。星の視点。
「星の時代」の始まり。そんな意味と出来事が加速しそうな年。

――――――――と、そんな感じでした。
それで、2016年。申年。来年。
なんでしょう......
引き続き「星の時代」が加速するであろう事はとてもリアルな感触で
多くの人がしっかりと感じているのではないかとは思いますが......



「混=こん」



......です。



この漢字がこのところとても強く意識させられています。個人的に。。



色々な文字をくつける事が出来る漢字ですし、
その分ちょっと捉え方が難しい漢字だとも思います。

混合。混成。混同。混在。混然。混雑。混戦。混乱。混入。混迷、混濁。混沌。。

どんな文字をつけるのか?
によってかなり意味も違ってきますし......
その「何をつけるのか」が人によって変わる、
問われるような年となるのでしょうか。
どうなのでしょう。。



パワースポットや神様好き!というような人や、
この国の神社や神道(しんとう)等に興味ある方々の間では
よく聞くと思われる言葉に「国津神」「天津神」というものがあると思います。
陰の象徴で、出雲に代表される国津神々。
陽の象徴で、伊勢に代表される天津神々。
そんなふうに理解している人も多いのではないでしょうか。
そして僕個人としてはこの神々をくくる名称をこのように理解しています。

国津......混沌。
天津......秩序。

不思議な力を持つ貴重な友たちとも話してきた中で僕が辿り着いている
答えの一つです。
そしてこの場合の「混沌」とは、決してネガティブな意味では無く、
何か新しいものが生まれるときの初期状態であったりします。
全ては混沌の中から生まれる......といった創造の根源的な意味です。
そうやって多くのモノモノが生まれていって、
その後発生する様々なコトゴトに対して必要となるものとして
秩序があるのではないかと。そういう風に理解しています。

混沌→創造→秩序→混沌→創造→秩序。。。

そんなサイクル。
物質、生命、人、文明、文化、果ては、星や宇宙の創造サイクル。

出来うれば「混」に続く文字は「乱」や「濁」でないことを願いつつ、
そんな言葉がワサワサ......と胸の内に沸いて来ている今年の年末。



僕の個人的な感覚としては、2013年の同時遷宮以降、
色々な所で古い神様が復活してきている様な気がしています。
それは「青き炎」や「8を巡る旅」で少しづつ記してきた通りです。
三ヶ日徒然」や「鳩ノ巣徒然」。
三鷹徒然」「鳥海山徒然」「諏訪徒然」「玉置徒然」......
番外編としたら「ニコニコ(^^)BAR」あたりも、
実はこの事にリンクする話だったりもします。
そんな「古い神々の復権」という事には
とても深い意味も含まれているとは思いますが、特に、
今年強く感じていた「星の時代」ということのために......
というような意味合いは一番大きく感じられもします。
環境のために。地球のために。人の価値観の新たなる変容のために。
今一度、根源的な力を持つ神々の力が必要なのでしょうか。。。



先日発表された「パリ協定」というのはまだまだ未確定の要素が沢山あって、
曖昧な部分もかなり多くありますが、TPPなども含めた地球規模的な新秩序を
作り上げていこうとする「星の時代」的な出来事の一つだとも思えます。
ネガティブなことに関しても災害、人災、戦争、テロ......と、
枚挙にいとまがありませんが、でも改めて、
きっと全てが「星の視点」で考えていかなければいけない
そんなタイミングの様にも感じられます。

混沌の上に置かれた秩序にまた「混」の字が加わってきそうな来年。
国津から移行した天津に、また国津の要素が加わってきそうな年。

それはしかし、全ての流行やファッションなどがそうであるように、
まったく同じ形での繰り返しでは無いように思えます。
リバイバルといえど必ず何かが違うのが世の常です。
何かが違っていないと流行が繰り返されるようなことはありません。
それは円では無く螺旋ということでもあります。
同じ場所に戻ってきても高低、空間......何か?が違っているのです。

そんなこの世界の真理を来年のシグナルに加えるのであれば、
今回の「混」は仮に国津的創造の「混沌」だとしても、
「秩序」を持った混沌なのだと思います。
その辺りがまた僕らが経験する新しい形の状態なのではないかなぁ......と、
思ったりするわけです。



繰り返しになりますが、「混」の後ろにつく言葉は様々な言葉が考えられます。
それはそれぞれの人や場所や環境で違う言葉になるものだとも思いますが、
「混」という言葉が含まれる以上、
より「タフ」に歩まなければいけない一年となるのかなぁ......
などとも思いながら過ごしている冬至の日なのでございます(^_^)かしこ。



いつも携帯の写真ばかりですが、
今年撮った写真の中でとても大切にしている一枚です。
富士山と銀河!?みたいだと勝手に思っている写真(^^)
「混」......創造の源(みなもと)的な「混」というのは、
僕には銀河の渦の様なイメージで見えてきます。
そういう意味で最近撮ったこの写真も来年へのシグナルが含まれているのかな......
なんて感じで見えてきたりもします。

「混」が内包する意は、いつだって進化です。
ここ最近の人類の進化とはコンピューターの進化による
ネットワーク化やデジタル化......
そんなコトゴトによって押し寄せてくる人々の価値観の大きな変容。
社会構造の変容。

グランズウェル」以降。「ジェネレーションC」の時代。

時間と空間は縮められ、意味も薄められ、
情報や金融がデジタルで国境を楽々と越える時、
物理的な国家領土は意味を失ってきています。

グローバルな企業や巨大なSNS企業はもはや国家的な領域に入ってきました。
そこには国家を超えた人々のコミュニティが多数存在してきています。
共感や価値観を共有する新しい形の国民、
国家が誕生していると言っても良いのかもしれません。

僕らは集団への帰属意識や生活の保障をそんな企業群やネットワーク社会、
コミュニティなどに求めるようになって来ているようにも思えます。

旧来的な国家が持つ最後の武器は
もはや法的権威、権力ぐらいのものとなるのかもしれません。
しかしそれすらも最早いつ新たな波の中に消え去るのかわからない
状況にも思えます。

二世、三世と、世襲のごとき形で受け継がれる政権の中枢を担う政治家群は、
最早「職業」的で、会社員的体質ともなっているようにも感じられ、
真のリーダーたる資質、本質を有している......という様な者は、むしろ、
グローバルな企業やアグレッシブな企業群、
個人などの中に見出せるようにも思えます。

僕らは国家と企業、コミュニティの「混」にも立ち会っているのかもしれません。

そこでは、混乱や混濁、混戦などとならないことを望みますし、
願わくば混合や混成となっていくことが「星の時代」らしくて良いのでしょうか。


そして「申年=猿年」のサルは、「去る」と響いてきたりも......するのです。


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カフェ、時々自由

2015-10-12 19:44:53 | 願い
環境とは恐ろしいもので、
それ自体が人の思考パターン、思考形態に影響します。

そして真に恐ろしいのは、
そんな環境に影響を受けているであろう思考世界が、
自分の生きる世界そのものであり、
正しい思考形態なのだという自己認識になってしまうことです。

そんな思考形態とは、ある一つの環境において形成された思考形態なのであり、
決して全世界を貫くことが出来る思考ではないのだと、
そういうことを時折忘れてしまっていたりすることが怖いと思うのです。

キリスト教の環境で培われた思考。
イスラム教の環境下で形成された思考。
仏教の影響下で醸造された思考。
通貨経済、資本主義、商業主義、自然主義、菜食主義、肉食主義、平等主義......
商店の家庭、工場主の家庭、農家の家庭、会社員の家庭、社長家の食卓、
国家元首家の食卓......友達、学校、職場......の影響下で自然と育まれた思考。
全ての環境がその下で生まれ育つものの思考に影響することは、
逃れられ無い事実であり、時にとても恐ろしいことに思える時があります。

そんな環境の最たるものは......地球であり、太陽系であり、銀河系であり、
それらのある宇宙次元であるのかもしれませんが、
そんな大きな惑星、恒星系、銀河系毎にもそれぞれの環境によって育まれている、
未だ人類が持ち得てい無い、見たり、感じたりしたことのいない
思考形態というものがあるのかもしれません。



惑星の「惑」は「枠」に見えたりして。。



こんなやたらと大きな話の方がもしかしたら正論で、真実なのかも?しれませんが、
こんな僕の目の前にあるものは常に差し迫る毎日の現実というもので、
それに対する方策を時々の自分が持っている思考スキルをフル回転させながら
切り抜けて進む......というのが僕の生活の実でもあります。それでも時折、
そんな遠い場所にある「夢のような真実」を見つめなければいけない路地に
入り込むこ様なことがありますし、
それもまた必要なことのように思えることもあります。



最近、
新たにうちのオフィスに入ってくれた二十代中盤の女性スタッフさんが何やら硬く、
僕の目から見て、結構こわばった表情が続いているのが気になって、
先日プラっと、カフェにお誘いしてお茶をしていました。

彼女は留学経験も豊富で、英語も堪能。
そんな部分も期待してうちのチームに入ってもらったのですが、
そんなキャリアの割になかなか「抜けた」笑顔が出てこない。
少なくとも、僕にはそう見える......



「どーぅ?フロア。机周り大丈夫?せまひ?窮屈?問題なひ?」


「大丈夫です!とても仕事しやすいです。前の会社に比べたらもう、最高です。」


「そう!?
なんか中々笑顔が見えないからさ、ちょっと気になっただけなんだけどね。
だったら心配ないね。じゃ。うんうん。」


「そーなんですか!?
自分では気づいていなかったんですが......
あまりにこれまでと職場の感じが違うのでちょっと戸惑っているのかもしれません。。」


「そんなに違うんだ。。ふーーん。。
前は、、でもキャリア的にはさ、君がいたのはスゲー会社ばかりじゃん。
世界一のバッグ会社の広報だろ?その前は世界一のネットストアじゃん。」


「でも、私が働いていたオフィスはいつも周りに気を使う感じで、、
新人ですし、いつも怒られてばかりで。。
言葉遣いとか。靴とか、私服の服装まで注意されるくらいとても厳しくて。。
激しく否定されるような扱いとかもとても多かったので。
会社全部というより、自分のいたセクションが特別だったのかもしれませんが。。」


「私服まで!?うぇぇぇーーーーーっ!?Σ(゜д゜)そーなんだ。。
あの会社で。。意外。。へぇぇ。。スゲーな。それ。。」


「なので、この自由な空気感がちょっと戸惑ってしまっている部分はあります。
皆とてもいい人ですし。。びっくりしました。。」


「なんか良い話か悪い話かわからん感じやなぁ。。ふぅーーん。そーなんだ。。
でもいいじゃん。なんとなく。
そしたらその思ったことをもっとそのまま表に出してくれればイイだけの話だね。うん。
もっと大きな声でさ、大笑いとかしてよ。全然。問題なし。うちでは。
そういうやつ多いやろ?それでイイんだよ。
でもよかったよかった。そんなことで。(^^)一安心。」


「そーですね。
自分をもっと出していい職場なんですね。
びっくりしました。
ずっとそれを押し殺すことを一番に教えられてきたので。。
大声出すとか、笑うとか、、まったくいけないことだと思ってました。。
そーなんですね。」


「そーーーなんですよ !(・3・)b
まぁ、常識的に人に迷惑かけるような所までは、って話であることはわかると思うけど。
君の話も凄くよくわかるところあるけどね、、、
俺ね、この世界に20年以上いるじゃん!?
その分だけちょっと追加することがあるとしたらね、多分、、
この業種は業種でその君が感じている自由さの分だけとても厳しくて、
エゲツなくて、辛い部分もあると思うからさ、
そういう理解もしておくことだけはオススメしちゃうかな。うん。マジで。
自由であればあるほど大変な所も沢山出てくるから。
そこはちゃんと意識しておくのも大事かなぁ。。ってね。
んじゃ!
かえろーかね(^^)オフィス」



自由は自由で色々とあります。
僕的には。
ほんまに。



その夜、仕事もあって、
少しだけラインメールのやり取りもしましたが、一部抜き出すとこんな感じでした。



「ーーーーーーー今日はバタバタさせてすいませんでした。

◯◯ちゃんは、
どうぞ、
自己表現を自在にして下さい。

そのために必要な、
周囲からの信頼をどうぞ勝ち取って下さい。

仕事をして、
他者のために尽くし、
人から信頼を得ていく目的は、
いつでも、どこでも自分を自由に表現出来るようになるためです。

それが自由ということの一つの意味であり、
自由とはそんな不自由さの中にあるわけです。

君の持っているものをイキイキと世界に表現して下さいね。

期待して、頑張って応援してます。
おつかれマンボー」



「ーーーーーーーお疲れ様でした。
今日は貴重なお時間有り難うございました。

緊張していたのと引き継ぎラッシュだったのとが重なって
疲れているように見えたかなと反省しました。。

今まで人間関係が厳しく、
自己表現することは控えるように気をつけていたので、新しい環境に感謝して、
自分らしさを出しつつ楽しみながら頑張ります。

不自由の中に自由があるのですね!
このような機会に恵まれたことに感謝です。
よろしくお願いします」



環境とは恐ろしいものです。
人間の思考とは、価値観とは、文化とは、恐ろしいもです。
思考が変わっても全てが変わりますし。
朱に交わらなければいけない時も結構ありますし、
交わりすぎても結構イケませんし。
環境に左右されながら、それでも左右されない思考を持って、
唯一無二の自分を創り上げていくことはとても大変で尊いことなのだと思います。

自由を手にすることは、
同量に伴う責任と共にとても大変で尊いことなのだと思います。

綺麗ごと「だけ」言いうわけではありませんが、
美しき理想は捨ててはいけませぬ。((((*゜θ゜)ノノナノダ!

そんな秋の夜長。
僕さんは大好きなコカコーラを飲み干すのでございます。
あぁ、コーラッ腹。。理想よいずこ......(´△`)あぁ...





宇治、縣神社(あがたじんじゃ)のワンさんと、
日高、高麗神社(こまじんじゃ)のニャンさん。。
君らわ自由すぎるのぉぉ。。(´△`)あぁ...


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強く強く

2015-01-17 20:52:41 | 願い
月に住まう美しき女神様はこんなことを話していました。



「——————遠き世より、星々が何故離れず、
またぶつかり合わぬかを考えた時に、目の開くことあるということあり——————」



僕は、しばし思いを巡らせます。



世界中から流れ来るテレビのニュースを見ながら、
」を「人」と置き換えて、
思いを巡らせます。



戦争、テロ、報復、テロ、報復、テロ......宗教、宗派、教義......
正義と狂気。
大義と主義と犠牲。
富、貧困、分配、独占、略奪、復讐。
事実と真実。
科学と宗教。信仰と教育......



宗教とはなんだろうか。



何故あるのだろう。



......人が弱いから......なのか。



では、本当の宗教とは、
そんなものあるのか?無いのか?
どんなものなのか?



必要なのか?

いつまで必要なのか?

どこまで必要なのか?

どこまで有益なのか?

どこからが狂気なのだ?

どこで凶器と成るのか?



白い髪に白い眉毛、長い顎髭を蓄えたお爺さんのような神様は、
細長い目でこんなことを話すのです。



「——————本当の宗教とは、
利のあることでなく強く生きるということを教えてあげることじゃろうて——————」



そして、こう続けます。



「——————燃ゆるも 消えるも
超ゆるも 引くも
天も 地も
同じ己にある——————」



我々はキリストを超えることができるのか?

我々はブッダやアラーを超えることができるのか?

それとも、

超えてはいけないものなのか?

それが宗教というものなのか?

我々は進化しているのか?

進化出来るのか?

二千年前に生きた偉人達を超える人間はその後、生まれたのか?

ガンジーはどうだ?

空海は?

マザーテレサはどうなのだ?

ニュートンは?アインシュタインは?ニールスボーアは?マンデラは?

あの大統領は?あの首相は?王様は?天皇家は?
あの武将は?あの先生達は?あの教授達は?

いや、そんな人達は、
いつの時代も市井の中に無名で存在しているのかもしれない。

地の塩として生きているのかもしれない。

隣のあの人は?おじいちゃんは?父は?母は?自分は?



どうなのだ?



もしも、
もしもそんな人はいない、としたならば、
それは、人類の怠慢ではないのか?



時々、木漏れ日のような言葉を......届けてくれる人がいます。



「——————世が大きく動く時、
それを神々様にすがらず、見据える心が世の長となる方の役目。
湾岸戦争など、一国の、双方の、二国の大統領が真剣に神に祈る姿を見た時、
この言葉の意味を知る——————」



強く生きなければ。



強くならなければ。



沢山の事件を思い。
沢山の歴史を思い。
沢山の宗教を思い。
沢山の科学を思い。
沢山の叡智を思い。
沢山の文明を思い。
沢山の人々を思い。
身近で、愛する人々のことを想い。
自分の歩みをかえりみて。



世界で起こる、この頃の情勢を感じ、見て、
1月17日という日付をこの国で目にすると、
そんな日には、特に。



「とにかく強くならなければ」



と。



そんなことを思うのです。



昨年、1月18日に記した記事の末尾を下に。
また一度、心に揺り起こしておきたく。
美しき海のような心を、なんとか、創り持っていきたく。


―――――阪神淡路大震災以来、
1月17日にはその時噛み締めた色々な思いをちゃんと思い起こそうと努力してみます。
あの時を目前にし、
あの時を一緒に過ごした途轍も無く辛い思いをした人達。
今もそんな思いをし続けている、
なかなか癒えない傷を負った多くの人達のことを思ってみます。
電気やガスが街に戻るまで、
僕のワンルームで窮屈な思いをさせながら数ヶ月一緒に暮らした
3人の人達のことを思ってみます。
ほんと、ダメな僕は、毎日の生活にまみれる中でそんな思いも
ついつい薄れてしまっていたりする様な気もして。。


改めて、
命に感謝して、大切に、強く生きねば。。と。


当たり前の日々に、感謝をしなければ。。と。


1月17日にはそんなことを思い直したりします。



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お雑煮

2015-01-01 15:10:20 | 願い
明けました!
おめでとうございます。

新たな年明けとともに、
いつもお世話になっている近所の神社さんに初詣に行ってきました。
初詣に関してはこちらの記事でドゾドゾ
かがり火が綺麗でした(^^)
感謝感謝なのです。



実は昨年のクリスマスぐらいからちょっと思っていたことがあって、それは、
なんとなく毎年毎年確実に「ソレ感」が薄まっている様な感じがしていたこと。

「ソレ感」というのはクリスマス感とか年末感とか年始感とか、
街の景色や空気から感じるそんな「感じ」のこと。
年齢に伴う「慣れ」という部分などではなくて、
そんなものを差し引いても残り、感じてしまうようなもの。

もう長く続いている景気低迷の中で
企業や商店が無駄な宣伝広告費を使わなくなったせいなのか、
そんなモノに踊らされなくなった消費者動向に毎年毎年磨き上げられた結果生まれている
街やメディアの空気感なのか、
個人個人も無駄な金使いや消費をしなくなったという空気感。。なのか。
昨年の末から今年にかけて僕はそんな空気感を強く感じながら過ごしていました。



そんな年末年始の中で「いくつか」感心してしまったことがあって、
その一つが「今年の漢字」
選び方や方法が良いのか?どうなのか?僕からすると毎年

「ピッタリやなぁ。見事やなぁ。。」

と感心してしまう文字が選ばれています。
2014年は「税」だったようで......



昨年末にちょっと訪れた京都、清水寺で撮った写真ですが、
話題性の高い出来事が立て続いていた昨年の中で途中からちょっと薄まりつつあったもの......
だけど、とても大事な文字を掘り起こしたなぁ......
なんて感心してしまいました。



もう一つ年末に感心してしまったのがSF映画「インターステラー=INTERSTELLAR」
2001年宇宙の旅」や「コンタクト」と言った
ハードコア系SF映画のライン上にある作品だと思いますが、
現代物理学に沿って描かれた物語とその映像クオリティの高さには感服してしまいました。

物理学の知識があるかないかで楽しみ方がだいぶ変わる作品かもしれませんが、
「ワームホール」や「ブラックホール」「特異点」の理論的で具体的な映像化などには
物理好きな人々にもちょっと斬新なものであったハズ。
この作品の監督
「クリストファー・ノーラン=Christopher Nolan」さんには毎度ヤラレッぱなしで。。
ハリウッド映画なのにヨーロッパ映画的な重みや深さみたいなものがどの作品にも溢れていて、
この監督さんは本当にすごいっす。大好きっす。

昨年の映画界は他にも思いもよらず素晴らしい作品が多かったようにも感じていて、
IT技術の進化がもたらした「一億総クリエーターの時代」で
誇りある「真のクリエイティブ」を感じさせてもらえる作品がとても多かったように思います。

ポップな打ち出しで本質が少し伝わりきらなかったように思えていますが
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー = Guardians of the Galaxy」
もそんな印象的な作品の一つ。
期待しないで見に行ってみると実はとんでもなくハイスペック!な映像と物語。
この映画で上げられたハードルを次期「スター・ウォーズ」は果たして超えられるのだろうか?
そんな心配をしてしまうくらいの圧倒的な迫力とクオリティを持つ3D作品でした。

単館系では「アクト・オブ・キリング」なんていうトンデモナイ作品もありました。
この映画に至ってはもう
「技術なんてアイデアと才能さえあれば何も要らないんじゃないの?」
なんてちょっと次元の違うレベルにまで感慨が及んでしまう作品でした。
映画の宣伝コピーは

「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」

で、そのドキュメンタリーとしての真のリアリティは嫌悪感すら生み、背筋が凍るくらいの重さ。
インドネシアという国の知らなかった衝撃的な歴史や、
インドネシアだけに留まらない人間社会全体が持つ「危うさ」
そんなこともしっかりと頭に植えつけられました。
そんな「危うさ」はエンドロールに出てくる出演者や関係者スタッフのクレジットのほとんどを
身の危険を考慮し「ANONYMOUS=アノニマス=匿名」としてしまうくらいのもで。。
数多見てきた映画の中でもこんなエンドロールは初めて!見ました。
映画冒頭に印象的に映されるフランスの哲学者ヴォルテールの言葉

「殺人は許されない。殺した者は罰せられる。鼓笛を鳴らして大勢を殺す場合を除いて」

も、映画終盤頃には見る者にとても重々しくのしかかってきます。
忘れ得ない作品となりました。



2015年。
テレビでは元旦から「スター・ウォーズ・イヤー」なんていう年末!公開予定映画のCMが
計ったように流れていましたが
上記した「一億総クリエーターの時代」というのは別の言い方をすれば
「一億総評論家の時代」とも言えて、
そんな時代で突出した評価を受ける作品、
お金を集めるモノというのはこれまで以上に凄いものになっていくのだろうとも思います。

前時代的ニュアンスをベースに語られる「クリエイティブ」という言葉や作品は
最早「フリー」とされる領域に置かれていて、
「自分でも作れるし。。」という価値観の中に含まれてしまうのかもしれません。

映画にしても音楽にしても、ゲームやアプリ、もはや写真や雑誌、小説に至る迄も、
まがりなりにも金銭をいただく「プロ」とされる領域においては
そんな価値観やフリーなるモノとを相手にしながら、
アイデアも含めそんなレベルを常に凌駕していかないと
「ヒット」と言われるステージにはまったく上がれない時代なのだと思います。

そもそもヒットという言葉の概念も強い覚悟と自己否定を持って
入れ替えなければいけないのだと思います。

もはやクリエーターという言葉や職種自体あまり価値のないモノになっているのでしょう。
その厳然たる事実を受け入れていない人にはとても厳しい時代なのだとも思えます。


「真のクリエイティブとは何か?」


制作者やクリエーターが世に作品を送り出す時、
これまでになく深く、数多い物差しで世の中に測られていく時代。


楽しみも多く、怖さも大きい、そんな時代。


先ずは、
「怖さを飲み込まないとなぁ......」と、
「お雑煮がいいなぁ......」と、
そんな気持ちを新たにしている年始なのでございます(^^)


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希薄な温もり

2014-11-30 00:08:45 | 願い
某ファーストフードチェーンのカウンターで店員さんに注文確認を「されて」いる時、
その店員さんは自らの言葉全てを言い終わらないその途中で、突然!
立ち去ってしまって......
忙しいのか?どうなのか......
自分の話しの途中で言葉を続けながらもクルリと踵(きびす)を返し、
そのまま奥の方で何やら忙しそうにドリンクを注いだり、
ポテトをトレーに乗せたりしています。。
まぁ、無意識なんでしょうけど。。
当然、接客の笑顔など望むべくもなく。

そう言えば......
某牛丼屋さんのチェーンでもこんな事があったな......
あの時は......声まで、何を言っているのか全くわからない感じだったな。
ボソボソと。とても小さな声で......

そう言えば某映画館でポップコーンセットを頼んだ時もこんなことがあったな。

そう言えば......
この国のお店から働く人の心地よい笑顔や言葉、
雰囲気がトテモ減ったような気がするな。

客として問い合わせた電話の先で、
話し終わるやいなや「プツッ」と電話を切られることも
当たり前のように増えてきたな。

どこかの国みたいになってきたのかな......

いつの日か、
この国でもサービスにはチップが必要になるのかな......

笑顔にはお金が必要になるのかな......

それで、

いいのかな......

どーなんだろ......



今日は朝から、冷たい雨が降っています。



僕の小さな頃の記憶や印象では、
たとえコンビニ店でもファミレスでも小うるさい店長さんがいて、
相手がアルバイトだろうが社員だろうが同じように接していて、
接客にはビシビシと厳しい指導を行っていたりしていて。



僕らはいつも安さを求め。
店はあらゆる合理化を進め。
ソコで働く人も、訪れるお客さんも「合理化」に向かっていって。
生産者も製造者もソコに引っ張られていって。
人々の会話や関係もソコに向かっているのだろうか。
合理化は外資系企業の得意分野でもあり。
気がつくと合理化とは即ち経費、経営、経済、社会の合理化のこととも解され、
輸入されていたりなんかして。



合理って....

理=コトワリが整合されることだったよな......

経費や経営、ましてや経済や社会の話じゃないよな。

哲学じゃね?むしろ。

優しさじゃね?むしろ。



資本主義と民主主義ってーーーーー全く別のことだよな。

一般においてどこかで一緒になってしまっている様なことは無いのだろうか?

もしそうだったらーーーーー危険じゃね?



僕らが求めているのは「豊かさ」ではなかったのだろうか?

「豊かさ」と「安さ」も違うはずで。

資本主義の先に民主主義があるハズでもなく、
ましてや自由や豊かさがあるとは思えなく......

自由と豊かさを生む根源たる「種=タネ」とはなんだろうか?

それが自己目標であり、生活目標であり、社会目標であり、
政治目標であり、国家目標であり「◯×△▽主義」なんじゃね?

今までにそんな言葉が無ければまた産めばいいじゃん。

「豊幸自由創造党=ほうこうじゆうそうぞうとう」
自由豊受党=じゆうとようけとう」とかでもいいやんか。

ダサいかな...(´・_・`)



2000年代に入ってからは大企業の社長さんや大物政治家さんたちが
メディアの前でお詫びを繰り返す様なこともトテモ多く見かけるようになって、
焼肉酒屋えびす」の社長さんとか朝日新聞さんとか一部政治家さん達とか.......
そんなことの究極的象徴が一連の「東京電力」問題に見えていたりもして。
そんな人達は常に、
人前ではよく練られた正しい言葉と論旨でもって理に沿って物事を語るのだけれど、
同時に何かが欠けている印象までも背中が語ってくれていて。
身近にもそんな人がチラホラといたりして。



心身の奥に何かが欠けている気がするのです。
重みが感じられないのです。
理はあるのかもしれません。
しかし、心身の芯にあるべき温もりが感じられないのです。
体の芯から伝わってくるものが希薄なのです。
温度が感じられないのです。



成功とは大きな会社で出世すること。
大きな事業や会社を創出すること。
大きな財を成すこと。
高級な家と別荘と車と服とバッグと宝石とグルメと異性と
旅行三昧が成功の証で価値のあること。
そんな価値観の人も世界中で沢山いて。

戦後の世界情勢や時代が生んだ価値観なのだろうか。
モチロン、自分も含めて......

勿論、合理的な言葉も論旨も持ち合わせてはいないけど、
そんな心身の芯から溢れ出る温度や重みを感じとれる人もいますし、
しかしそれもソレダケだとしたら同じ様に「半部」ということなのかもしれません。

理想は両方がバランスよくあることなのでしょうか。。。
どうなのでしょう。



ファーストフードのお店の外は、
冷たい雨が降っています。



この時に少し記しましたが、
最近、オフィスが東京のど真ん中にある高いタワービルの高層階に移転して、
毎日、毎晩、世界でも稀なる大きな都市を広く大きく見渡せる環境で働いているのですが、
心に少しの違和感もあるのです。
それはよく見える都市の「在り様」に対しての違和感だったりして。

見渡す限りのタワー、ビル、ビル、ビル......
コンクリートにガラスにグレーな街、街、街.....
グレーの縁は砂漠のようにその際限が見えず、
何かの割り当てを押し付けられたかのように
低い所にひしめくように詰め込まれた小さな屋根、屋根、屋根......
木は何処だ?小川は何処だ?土は......何処だ?

都市がこんな姿となっている元は......きっと俺の中にもあるものなんだろうな......
などと眺めながら思ったりもするのです。

そのグレーに聳える広大な街の広がりは、
自らと、多くの人々のエゴや欲望の広がりをそのまま写した姿にも感じられたりして。
美しく、励まされることも沢山あるけれど、
ドス黒く、ちょっと落ち込んでもしまうこともあるのです。

地下鉄の駅から直結のビルも便利でトテモ良いけれど、
鳥カゴに飼われている鳥のような気になる時もあるのです。



「ココではね、餌は安心してもらえるんだよ。。」



ウットオシィ.....と思いながらも雨の日に踏みしめる外の水溜りや空気というのが
とても大切な何かを宿していたのでは......という気もするのです。
駅からオフィスに入るまでの外を歩く時間というのが
とても大切なものだったという気もするのです。

都市はその国の人を映す鏡なのか?

鳥籠なのか?

もっと、

もっと理に適った都市の形があるはずだ。

この国なら、

もっともっとすごい都市が創れるハズなんだ。。

創れるはずなんだ!

敷地あたり最大床面積を取れるビルや建物が「合理」では無いはずだ。
樹木や河川、生態系と見事に調和された大きな都市の形だってあるはずだ。
豊かさと利便性を兼ね備える都市や居住空間の在り様も人の生きようもあるはずだ。
それが合理だ。
違うのか!?



「ポテトお待たせしました~(・Д・)」



「ハッ!?!Σ(・□・;)
はイィぃぃぃぃぃっぃぃぃぃぃぃっ!!ヽ( ̄д ̄;)」



まぁね、
時々ね、
そんな感じなのです。



外は、
冷たい雨なのでございます。。





現在まで存続している王室の中で「世界最古」である天皇家。
そして、故にこの地上世界で最古から続く国でもある日本国。
この国の神話において、
その皇祖神で太陽神ともされる天照大御神(アマテラスオホミカミ)
天界から地上界に下る孫の瓊々杵尊(ニニギノミコト)に持たせたものの中で、
アマテラス「自らが語り、手渡したモノ」というのはたった一つ、「鏡」だけになります。

その意味を、最近また改めて、深く思うのです。


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大人ってなんでしょう?

2014-08-02 19:22:29 | 願い
絵の勉強でもしていない限り、
自分の肖像画なんて書くコトはそうそう無いと思います。

仮にそんな肖像画を描き出したとしても、
自分が見たく無い自分を余すことなく写し、
自分が嫌いに思う部分を他人の目線でありのままに描けるような人は
果たしてどれだけいるのでしょうか。

で毎日自分の顔を見ていても、
ソレを自分の都合の良い様に見ないというコトすら
ナカナカ出来るコトでは無いように思います。

TVで自分を取り巻く世界のニュースを見ていても、
それが自分と「深い」繋がりがある、関わりがある、
という感覚で捉えるということもナカナカ出来ることでは無い様に思います。


人はモノゴトを自分の捉えたい様に捉えます。
見たい様に見てしまいます。


それは、
人が不完全である限りいつも背負っている十字架の様にも思えます。


「大人って、、なんでしょうかね......」


時折交わされるそんな会話も、
不完全な人間につきまとう十字架のように思える時があります。
小さな頃はあまり交わす事が無かったこんな会話は
年齢を重ねる毎に増えていったりもしましたが、ある地点からはその意味も価値も失い、
何かの付属品の様に宙に漂っているように感じられてもいます。



「君は大人だね。」

「お前は子供だな。」



そこにどんな物差しを持って話されているセリフなのか?
曖昧な場合も多いように思いますが、
「大人ということに大きな価値を持たせたい」というニュアンスが溢れている時の
そんなセリフには時折違和感を覚えるようなこともあります。



君は、その言葉を言うほど大人なのか?
君は......大人とはいったいなんだと説明するのか?



「社会に出て法的にも金銭的にも自立している人だよ」

「何かに頼らないで生きれる人だよ」

「法律から定義づけられるよね」

「子供ができれば親になって、そこから大人じゃね!?」

「調和が取れる人だよ。自己中じゃなくてさ。それが出来る人」

「何かを諦めたら......それも大人じゃね?」



......答えは、なんでしょうか?
答えはあるのでしょうか?

それとも、
ソモソモ、
答えを出すべき様な問題なのでしょうか?

誰かが、
誰かの優位に立ちたいがために持ち出したレトリックの可能性は無いのでしょうか?



大人とか、子供とか、
そんな言葉が飛び交う会話の中で僕の心に表れる空模様はいつもこんな感じ。
ちょっとした雷雨のような、春の嵐の様な。。



人は、自分のことが一番わかりません。
少なくとも......僕はそうです。

物心着いてから今に至るまで、
ずっと自分を紐解く旅をしている様にすら思える時があります。

「俺は何者なのか?」

考えても大きな意味は無さそうなので、
ただただ、生き抜いてみようと思うばかりです。

だから僕は「大人とは?」と、
その意味を聞かれるようなことがあれば、

「自分で自分を分かっている人なんじゃないかな......」

と答えることしかできません。

そして、産まれてからこのかた
未だ自分で自分を分かっていない僕はとても大人とは言えないと思います。



18の時から金銭的にも社会的に自立して生活してきました。
自分なりの孝行も、お婆ちゃん孝行もしてきたつもりです。
兄弟も奥さんも助けて来ました。
沢山助けられても来ました。
ペットさん達にも幸せに暮らせる様にいつも愛情を込めてきたつもりです。
子供も......そのうちやってく来るでしょう!?
近所の皆さんの力になれる様に自分なりに努力もしてきました。
人を裏切るようなことだけはしない様に踏ん張ってきました。
職場の力になりたいとも、故郷の力になりたいとも、
日本や世界の力になりたいとも努力しています。
悪いことも沢山して、良いと思える?ことも沢山してきました。

でも。

僕は未だ子供のままです。

それが悪いことなのか良いことなのかは意味のない問題の様に思っています。

「自分は自分のことをどこまで分かっているのか?」

ただ一つ。
それが僕には意味のある問題です。



プラトンやアリストテレスを育てた古代ギリシャの賢人「ソクラテス」は
「国家を堕落させる教えを広めた」として当時、
愛憎敬侮入り乱れる裁判で死刑の判決を受けました。
それでも支持者の多かったソクラテスの牢獄は、
彼がいつでも逃げられるように番人が鉄格子の鍵を開けていたようなのですが、
ソクラテスは逃げずに、毒杯を煽り亡くなったと今に伝わっています。



「汝自身を知れ」


「グノーティ セアウトン = Know thyself」



彼が残した有名な言葉。
大ヒットした映画「マトリックス」シリーズでも
シーンや脚本にさりげなく織り込まれていた言葉。

ソクラテスは当時、沢山の知者と称される人達の考えをよくよく調べてみたら
皆何もわかっていないことがわかってしまいました。
これはどうしたことか?と考えた彼が導き出したその答えは
「無知の知」と呼ばれるもの......



「この人達は自分のことを知者だと思っているが私はそうは思ってない。
しかしこの人達も私も知者では無いという点では同じだ。
違いは、この人達は自分のことを
“実際には知者ではないのに、知者であると思っている” のに対して、
私は自分のことを
“実際に知者ではないその通りに、知者ではないと思っている” という点だ。
自分が知者ではないというその姿を、その姿通りに自覚しているという点が
最も大切で賢いということなのだ......」



大人とはいったいなんでしょうか。


ソクラテスならなんと答えるのでしょうか。



いつか、そっと、
聞いてみたいものです。



ご近所にある「エル・テ・ディ・カフェ」



大人なカフェで超!お子ちゃまなケーキを頼みながら
カチャカチャと打ちこんだ今回の記事。。。



ケーキたまらん。。(= ̄ ρ ̄=) ....オトナニナレナイノ...


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マジックを 2

2014-07-13 21:35:42 | 願い
「―――――落ち込むこともあるけれど、私、この街が好きです。」


ラストシーンに流れる主人公「キキ」のこの台詞がとても響いてしまう「魔女の宅急便」
とても好きな映画作品。
確かコノ台詞は、キキが遠く離れた母親に送った手紙にしたためた言葉だったと思います。


今日の早朝、
眠い目をコスリながら必死に!?見たワールドカップ三位決定戦「ブラジル×オランダ」戦。
「最早意味の無い試合だろう、、」
と言われてもいましたが、
サッカーファンの礼儀!?として気になって思わず見てしまいました。
注目していたのはドイツに歴史的大敗をきっしてしまった、
ワールドカップ史上最多「5回」の優勝を誇るサッカー王国ブラジルの様子なのですが、
この日もなんだかとても元気が無くオランダに「完敗」をしてしまいました。
ドイツ戦の時より更に深刻度の増した試合終了時のブラジル選手達の完膚無きまでの落ち込みよう、
うなだれようを見ていて浮かんで来た気持ちというのが冒頭の「キキ」の台詞で。。


「―――――落ち込むこともあるけれど、私、ブラジルのサッカーが好きです。」


という感じ。。(´‐ω‐)=з


僕がサッカー少年だった頃から憧れていたブラジルのサッカー。
それを継承してくれている皆さんについつい、したためたくなった気持ち。
まだ日本がワールドカップの「ワ」の字にも届いていなかった頃から、
いつも、まるで「魔法!?」の様なサッカーを僕に見せてくれていた
大好きなブラジルチームに届けくなった言葉。


「魔女の宅急便」のお話も主人公の魔女の少女「キキ」が、
彼女の成長と共に持っていた魔法がだんだんと消えていってしまう......
というような話しでしたが、
物語の最後には彼女はまた「魔法」を取り戻していました。
それも「新しい形」で。


きっとブラジルもキキと同じ様に彼等のマジカルなサッカーをいつの日か取り戻すのだと思います。
勿論、また新しい形で。


キキは物語の最後で空飛ぶ魔法を取り戻したのですが、
幼い頃からの友達だった猫の「ジジ」とは話せなくなっていました。
ソレまでは人と同じ様に毎日話しが出来ていたのに、ジジはおろか、
他の猫とも話すことが出来なくなっていました。

この部分は、最初にコノ映画を見た時にはドーニモコーニモ気になって気になって......
なんだか色々と思いを巡らせてしまったトコロでもあるのですが、まぁ、よくよく考えてみると、
最後に戻ったキキの「空飛ぶ魔法」もいわゆる「ホウキ」で飛ぶ!という形でもなくなっていて、
「新たに」デッキブラシ!(゜ロ゜) で飛んでいたし。
監督の宮崎駿さんとしたらきっと、
「同じコトをするにしても大人になると子供の頃とはまた違った世界や風景、
環境の中でやらなければいけないんだよ......」
というようなメッセージをこめていたのかなぁ......と、
思わされたりなんかもしています。



次はブラジルもデッキブラシで飛んでくるのでしょうな。きっと。

デッキブラシでも応援します。

色々あるけれど、
ヤッパリ僕はブラジルの魔法の様なサッカーが好きですから。

勿論日本代表にしても同じことだけど......

ドチラも応援しよ(^^)



以前書いた「マジックを」という記事の続きの様な話しにもなりますが、
流れでもう少しこの大好きなジブリアニメの話しをすれば、
コノ映画で感動したこと、改めて考えさせられたことというのは
子供の頃持っていた魔法を持ち続ける為に一番大切なものは何か?ということ。
「マジック=魔法」ということの意味。
「大人になるに従って消えていく魔法とは何なのか?」
ということ。

コノ映画によると、その答えは、
最後は「心によるのだ」と言われている様な気がしています。

子供の頃は「余計なこと」など何も考えず、
ただただ世界を純粋さと好奇さでもって真っ直ぐに見つめ、素直に動き、過ごし、楽しんでいました。
そんな心はいつも現実の世界の中では完膚なきまでに打ちひしがれてしまうけど、
それでも絶対に失ってはいけない「魔法=心」があるはずだ......と、
そんな意味とメッセージを僕はこの映画から感じてしまうわけです。

純粋さと好奇と希望と愛に満ちた光の様な心。

ソレは余計なことばかり考える様になってしまったオヤジ生活の中にあっても、
絶対に無くしてはいけないモノなんだと。
改めてそう思います。



サッカーにおいても、きっと、
いくら相手に打ちのめされ、叩かれても、
その上で進化を志し新たな考えやスタイルを持ち込む!と決意したとしても、
失ってはいけないそれぞれの国やチームの「本質的な何か」があるハズなのだ......と思います。
そしてその「本質なるもの」を掴み間違えない、見誤らないということを前提とした上で、
マジックは絶対に無くさない。


大人になっても、無くさない。


どんなに負けが込んでも、現実に打ちひしがれても、無くさない。


で、きっと、そのことこそがマジック。


本質なるものを無くさないことこそがマジック。


全ての人にマジックを。


さ!!


明朝4時!4年に一度の決勝だ!ダ━━━━(`∀´)ノ━━━━━━!!!


映画同様マジックの様な「魔女の宅急便」のテーマ曲。
この時記したユーミンのアルバム「MISSLIM(ミスリム)」の3曲目に入ってます。
♪「やさしさに包まれたなら/荒井由美」


小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた

やさしい気持で目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ

カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ


小さい頃は神さまがいて
毎日愛を届けてくれた

心の奥にしまい忘れた
大切な箱ひらくときは今

雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ♪


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