雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」と見つけてもらえたら、、そんな思いで書き記してます。

邪馬台国徒然 8

2018-03-30 20:06:23 | 不思議
......血は、血ででしか濯(すす)げないのか......
7人はソレゾレに、様々な思いを抱えながら若神子神社を後にしました。
僕らはこの日も朝早くから動き回っていたので、
「この辺で休憩も兼ねてお茶でもしようか!」
と、「骨寺村荘園交流館」というところに寄ることにしました。
そこには骨寺村の名前の由来となる2つの伝承が記されている資料もあって、見てみると、
なんとなく、どちらの説にも大本には共通する何かがあるように僕には感じられました。
そんな共通するモノこそがこの村の深奥に秘されているものなのではないのか?......と。
そう思えました。
お話は「8」へと続きます。




「骨寺村荘園交流館」はこんな感じで。
鼻血で汚れた皆の手や、ねーさんの服を洗ったりしながら一休みもしつつ......





館内にはカフェやシアターもあって。
空撮された骨寺村やその歴史などを見たり学んだりすることも出来ました。



この時のメンバーは全員、訳ありで?集まった?この地に縁深い人達だった為か、
上映中にはほぼ全員、大の大人がそれぞれの感性と理由とで涙を流していました。
映像が終わり、シアターの明かりがつくと、

「ちょっと!どーしちゃったの?あんた達?何かあったの!?」

なんてスタッフさんに言われちゃう!的な。かなりオカシナ画ズラだったと思います。
まぁ、ポンチキ極まりないメンバーで。ほんと。呆れちゃいまちゅ。ええ。
そして、村の名前の由来に関しては以下の様な二つの説明文がありました......



======================================
国の重要文化財となっている鎌倉時代に描かれた骨寺村の絵図には
「骨寺跡」「骨寺堂跡」という文字と、建物の礎石のような図像が描かれています。
かつてここに骨寺という寺があって、
絵図が描かれた鎌倉時代の後期には廃寺になっていたことが分かります。
今はその跡も確認できませんが、その寺の名前が村の由来になったと考えられます。
骨寺とは珍しい名前ですが、
亡くなった人の骨の一部を特定の聖地に納める風習(分骨)があります。
この骨寺はそのための場だったのではないでしょうか。
======================================



======================================
鎌倉時代の『撰集抄』という説話集に、平泉郡にいた一人の娘が、
天井裏の髑髏から法華経の読み方を習い、
その髑髏(ドクロ)を逆柴山に葬ったという話があります。
その髑髏は、比叡山の高僧第18代座主の慈恵大師良源の髑髏(ドクロ)で、
葬った場所が慈恵塚だと本寺では伝えられています。
このことが、骨寺村という名前の由来であるともいわれています。
======================================


......やはり、どこか共通点が潜んでいる逸話達の様に思えるのですが......
僕等はこんな感じで休憩のひと時を過ごし、最後にもう一箇所だけ、
神々に言われていた場所へと向かうことにしました。
ソレが骨寺村の最奥地とも言える「山王窟(さんのういわや)」





骨寺村の南を流れる磐井川(いわいがわ)の上流、
矢櫃ダム(やびつだむ)の横に聳える断崖です。





この場所に関しては、交流館のパンフレットには以下の解説がありました。



=======================================
かつて骨寺村(ほねでらむら)と呼ばれた一関市厳美町本寺地区。
その西の境に山王窟(さんのうのいわや)という切り立った岩山があります。
ここは昔「山王の鬼」と呼ばれた蝦夷(えみし)が立て籠もり、
ヘイダ(坂上田村麻呂:さかのうえたむらまろ)と激しく戦った場所といわれています。

ヘイダが陸奥国へ攻めて来ると、
最初に蝦夷の大武丸(おおたけまる)の一族は鬼となって激しく抵抗しましたが、
家を焼かれ田畑を奪われた鬼たちは、
逃げて「五串村(いつくしむら:現在の厳美町)」の山奥に立て籠もりました。
しかし一族を率いた大武丸は捕らえられ、後に「鬼死骸(おにしがい:現在の一関市真柴)」
と呼ばれた里で首を切られ殺されてしまいました。
その時死骸を埋めた上に置かれた石は、「鬼石(おにいし)」と呼ばれています。
転がって落ちた大武丸の首は、目を見開いたまま跳びあがり、
飛び散った血飛沫(ちしぶき)は虻(あぶ)や蚊となって相手を刺し、
目に飛び込んで戦いました。
やがて力尽きたその首は「鬼越沢(おにごしざわ)」を飛越え、
宮城県の「鬼首(おにこうべ)」に落ちて息絶えたといわれます。

五串村の山奥に立て籠もった大武丸の一族を追ったヘイダは、
ここ骨寺村まで攻めて来ました。
真坂の裏山の大きな穴に潜んでいた鬼たちは、
怒涛(どとう)のごとく押し寄せてきた大軍を防ぎようもなく、
磐井川を飛越えて逃げようとしました。
それを追って雨のように飛んでくる矢に討たれ、
倒れた鬼たちの死骸で埋め尽くされた場所は「鬼地谷起(おにちやぎ)」と呼ばれています。
ヘイダはさらに真坂から駒形へと西へ兵を進め、
最後に戦ったのが山王の鬼とその一族でした。

山王の鬼たちは、「牛首戸(うしくびど)」に柵を築いて頑丈(がんじょう)な門をつくり、
門の扉には魔よけに敵を睨む牛の生首を張りつけました。
それに恐れをなした兵たちは、柵に近づけず門を打ち破ることすらできませんでした。
苛立ったヘイダは軍を引いて磐井川を渡り、「的場(まとば)」と呼ばれる地に集まり、
やがて山王窟と的場を挟んで烈しい矢の打ち合いが始まりました。
飛び交う矢はすさまじく、
落ちた無数の矢で埋め尽くされた場所は「矢渕(やぶち)」となり、
後に「矢櫃(やびつ)」の地名になりました。
「山王窟」は山王の鬼が一族を率いて立て籠もり、
その熾烈な戦いで仲間の多くが殺された場所です。
山王の鬼とその2人の息子も捕らえられて、首を打ち落とされ殺されてしまいました。

その後ヘイダは祟りを恐れて、山王の鬼の首を「祭畤山(まつるべやま)」に、
2人の息子の首を「二子山(ふたごやま)」に葬りその霊を弔(とむら)いました。
しかし、親兄弟を失った蝦夷の哀しみに満ちた声は、
去っていくヘイダの後を追っていつまでも奥深い沢に響き渡り、
消えることはありませんでした。
後にその沢は人知れず「鳴沢(なくさわ)」と呼ばれましたが、
今では「鳴沢(なるさわ)」といわれており、
哀しくも怨念(おんねん)に満ちたこの伝説を知る人もほとんどいなくなりました。
=======================================



そんな山王窟(さんのうのいわや)。
ココに用があるのは......きっと......僕さん。ちとワケありで......間違いなし。
若神子神社と同様に「イワクツキ」の場所でもありますし、皆に迷惑をかけるわけにもいかず。
みんなには崖下の道の辺りでチョイと待っていてもらうことにして、僕は一人、
聳え立つ砦の崖を、その袂のあたりまでよじ登って行きました。
この時の僕を通りがかりの人が見たら、
阿呆者が無邪気に崖登りをしている様にしか思われない感じだったかも?しれませんが、
一日中胸を刺され続けている僕としたら、ソレはもう、この地に来たことを
少し後悔もする気持ちが湧いて来るくらいの決死の覚悟だったりもしたわけでして......





僕は崖の中にこの場所のツボ的な所を見出し、そこにお酒を置き、
神様にも言われていた和解の意を込めた祝詞を唱えました。
そして、ココに来るまでの様々な物語と気持ちとをポツリポツリと真摯に話しました。
そんな一通りのことが終わると、僕は崖を降りて皆のもとへと戻りました。
皆は、僕のそんな行動を遠目に見守っていてくれて、
遠くからでも、僕の動きに合わせて一緒に祈りまで込めてくれていた様でした。



泣けます(T . T)ぶぇ。



ありがちゅー。



特に、蝦夷軍の御霊(みたま)のカケラを宿していたプリリンねーさんとEriさんと
ミワンさんがいてくれたことというのは、
僕にとっても、この地に理不尽なる思いで散っていった蝦夷皆さんにとっても、
とても意味があったことの様で。
山王窟一帯に暖かな空気が満ち出でていく大きな助けともなりました。



不思議ですが、この後。

骨寺村に入ってからずっと痛かった胸の痛みが無くなりました。

それは、同じくその痛みに苦しんでいたmikoちゃんもそうだった様で。

体も心もフワリと、とても軽くなって。

気持ちも明るくなっている自分に気づきました。

ダムに戻ると、そこには美しい滝虹も掛かっていて。





卑弥呼の御霊(みたま)と蝦夷の御霊。

なんとか、僕らは、

僕らなりのケジメをつけることが出来た様ではありました。

全ては空想的、異空のポンチキ物語。

卑弥呼の時代から坂上田村麻呂の時代にかけての物語。

西暦にして200年ぐらいから800年ぐらいにかけての物語となるのでしょうか。

骨寺村という地には奥州藤原氏以前の物語が隠れているらしく。

それは、この国の「何か」を象徴する様な物語でもあるらしく。

この国のカルマでもあり、人間の至らなさの物語でもあり。

調和の印の虹を掛けなければいけないことでもある様で。

この日以来、今も、僕の手の中に残っている一つだけ確かな感触は。

この国に鬼などいない、ということ。

敵などいないということ。

敵とは本来、

自身の成長のために切磋琢磨し合う本当の仲間なのだということ。

それを「敵」という言葉が見合うほどのものに変えてしまう精神性というのは、

恐ろしく稚拙で未成熟な精神性であるということ。

もう7年ほど前になるでしょうか。このブログにも幾度か登場してくれている、
僕の体を定期的に見てくれている気功師の「Yさん」は、
出会った頃の僕にこんなことを言いました。
それは僕自身、長く考えて来た事と見事に重なったことなので、
Yさんへの信頼を深めたことの一つでもあります。



「矛盾していることは、魂は朝廷、支配者、天孫なのに、
肉体は征伐に行った蝦夷のものをまとって生まれています。
征夷という使命、仕事だったのにも関わらず、多くの蝦夷の人々に触れるにつけ、
彼等を愛していったのでしょう。深い愛を感じます。
肉体と精神のアンバランスさが難しさとしてあります。」



嘘か、真か。良い話しなのか、悪い話しなのか。そんなことは全くわかりませんが。
僕には僕のやるべきことがあるのだろうと。
成長させなければいけない自分があるのだろう、と。
そんな自分であるが故に出来ることがあるのかもしれない.......と。
そんなことを思い、自分に言い聞かせながら、今日もあくせくと泥にまみれて働いております。





旅の仕上げには美味しいものを(^_^)ええ。ええ。
一関駅のほど近くにある「蔵元レストラン せきのいち」さんの「くわうどん」
桑の葉を練り込んだ!うどんさんなのです。



世嬉の一酒造(せきのいちしゅぞう)さんが酒蔵の一部を改装して経営しています。







グルメ馬鹿一代の「K様」に教わって以来、
僕はもう何度か伺っているお気に入りのお店さんなのですが、
酒蔵さんらしいフレッシュで美味しい甘酒とか、



他にも一関名物でもある餅を「ハレの日」用にアレンジした「果報もち膳」とか、



「ハット」と呼ばれる小麦粉の練り生地を自分で千切って鍋に放り込んで作る
「手切りはっと膳」など。



どのメニューも美味しいっす(^^)♪


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コメント (6)

邪馬台国徒然 7

2018-03-26 00:03:31 | 不思議
でも、きっと、



アノ林の中に......



なにか......



あります......



......卑弥呼......



......そこか。



間違いは、



無いと思います......



次回「7」へと続きます。




骨寺村には直線がありません。
ソレは古来よりこの地で暮らしてきた人々が、今も住んでいる人々が、
全てのものを自然の形に調和させて造ろうとしてきたことを意味しているのだと思います。
田圃(たんぼ)の中を縦横に走る畦道(あぜみち)も、
全てクネクネと曲がり、デコボコとしていて。
しかし用に足りるだけの機能はしっかりと有してもいます。
大地に違和感無く溶け込むその姿は、全てが田圃とも、全てが道とも見えるくらい。
収穫の秋にでも来たら、この地は一面の黄金色に輝いているのでしょう。



そんなウネル畦道(あぜみち)の先、村の中心部に......ポツン......と、
何故か?鬱蒼とした林があります。なんとも言えない不可思議な存在感。
この林の中に「若神子社(わかみこしゃ)」と呼ばれる社があるといいます。
この地へ導いてくれた神様も
「そこに行け」
と、そう言います......



その林に僕らが揃って近づいた、その時でした。
巫女力も強く、神々の言葉も正確に降ろす事が出来るプリリンねーさんの鼻から、突然、
ドス黒い、ドロドロとした血が多量に噴き出して来て止まらなくなってしまったのです。
明らかに普通の血ではありません。
そのあまりに突飛な出来事に本人は勿論、周りにいた皆も最初はしばし唖然とし、その後
「ハッ!」
と我に返った様にねーさんに駆け寄り、
持っていたティッシュやハンカチを彼女の鼻に当て込みました。
そのまましばらく、皆で止血の為の手当てをしていたのですが、
ソレでもねーさんの鼻から流れ出る黒い「瘀血(おけつ)」は止まることはなく。
やがて鼻に当てていたティシュやハンカチが吸収出来なくなった血が
ボタボタと彼女の服や大地に滴り落ちました。
滴り落ちたその血はなんだか生き物のようにウネリ、
枯れ草が覆う冬の終わりの大地にネットリと吸われて行きます。
この時ばかりは、僕の目には村の大地が大きなナマズの様な生き物に感じられて、
幅の広い大きな口を空に向けて開き、
汚れたドス黒い血をゴクゴクと飲み込んでいる様にもミエました。
彼女の顔色はみるみる悪くなっていきます。
足元も少しおぼつかない感じにもなってきて、やがてしゃがみこむ様にして、
そのままジッ......と、鼻血が止まるのを待っています。



「......これ、止まるのかな?」



皆がそんな事を思い出した頃に、その澱み濁った黒い血は止まりました。
興味深いことに、鼻血が止まった瞬間、蒼白になっていた彼女の顔には血色が戻り、
それはむしろ、鼻血を出す前より元気になっている様な印象さえ受けます。
この時のことをこの地に導いてくれた神様は、
後にこんなふうに話してくれました——————————



———————鼻血が出たのは忘れられた場所だったからだよ。
若神子神社は、巫が生け贄になっていた場所だからだよ。
ねーさんにつかえていた頭の血が出たので、もうスッキリしたはずだ。
スミで塗られたことは、沢山の犠牲になっているホツマツタエの人柱のことだよ。
罪穢れを祓ってくれてありがとう————————————————



いつかの記事でも記していましたが、「卑弥呼」とは「日の巫女(ひのみこ)」であって、
太陽崇拝文化における最重要人物であり、巫女職の最高位だったとも考えられます。
そう考えた場合、卑弥呼とは歴代何人もいたであろうとも思われます。
そんな彼女達は、村や地域や国などが大きな厄災に直面した時に、
その出来事に対する「迷信的」な責任も負わされたり、
皆が信じる神々に厄災を跳ね返せるよう力添えをお願いする為の生け贄や、
最終手段的捧げ物としての役割までも背負わされていたかもしれません。
勿論、それは、真の神々が望んでいたことではないでしょう。
むしろ逆であり、そんな行為を止めようと必死だったようです......し......
むしろ卑弥呼こそ、そのことを分かっていたハズなのです......が、
無垢で無知であった人々が、それでも懸命に、良かれという思いでやってしまったことでもあって。
それを止められなかった神々はそのことを何千年も痛ましく、
「申し訳ない......」
という気持ちで過ごして来ていたようでもありました。
生贄や人柱の様な話は、今の僕らからするともしかしたらバカらしい!?話なのかもしれませんが、
こんなことは今でも、この現代社会でも、形や様相を変えて存在しているとも思うのです。
それは確かなことだと思います。

......そんな、ねーさんの鼻血が止まった後、
僕等は改めて骨寺村のど真ん中にポツンと不自然に茂る林の中に入っていきました。
林の前に佇んでみると、ソコにはこんな観光用のプレートが置かれていて......
地図にあった表記とは違い、
若神子社ではなく「若神子神社(わかみこじんじゃ)」のようです。



鼻血を流した辺りからこの社(やしろ)にかけての一帯では、この近代的なプレート以外、
とてもじゃありませんが写真など一切撮る気は起こりませんでした。
それは皆も同様に感じていて、自然と言葉も出なくなります。
僕等はプレートを超えてそんな林の中に入り行ってみました。
林の中は低い草木が覆い茂り、ちょっとした藪(やぶ)の様になっています。
ソコは全くもって歩きにくく、獣道をかき分けるように歩いていくという感じ。
そしてその感覚から、この場所は、どうも
「村人でも滅多に入らない場所なのだな......」
と言うことが明瞭に分かりました。
それでも僕等は、そんな鬱蒼とした藪をかき分けながら林の奥へと入っていくと、
ソコには自分の背丈より低いくらいの覆屋(おおいや)がひっそりとありました。
覆屋の中を覗き込んでみると、下にとても古い、
所々が欠け落ちた幾つかの小さな石の社(やしろ)が並び置かれてありました。
よく見ると、その覆屋の回りにもまるで墓碑のような石の社が幾つか並べ置かれています。
そんな石社達を目にした時に、僕は若神子神社の地中深くに、重く、暗く、
「地球の裏側まで続いてるのか?」
と思える様な大きな穴がどこまでも続いている......そんな感覚が沸き起こって来ました。
そして、その感覚が......消えません。



暗い。

寒い。

痛い。

手を伸ばして、

この目の前の、穴を塞いでいる暗い板を、土を、かき分けて!

外に出たい!

ツメが割れ、指先が切れ、真っ赤な血に染まって、指がもげ落ちても、

それでも出たい!

ココは嫌だ!

死ぬのは嫌だ!

怖い!

なぜ?

なぜ私だけが?

どうしてこんな目に合うのか?

神など、

神など!

そんなモノいない!

そんなもののために!なぜ!

なぜ私だけが!

ひどい。暗い。死にたくない!

出して!

ココは嫌!

出して!

ここから出して.......



いったいここで、どれくらいの血が流れたのか。
どれくらい理不尽な思いが積もり、重ねられていたのか。
いったいどれくらいの巫女さん達の命が、
時に「卑弥呼」と呼ばれる最高位の巫女さん達の血までもが注がれてきたのか......



僕は喉がつまり、胸が苦しくなり、沈鬱な気持ちに苛まれていました。

多くの言葉はかわしませんでしたが、きっと皆も同じ思いだったと思います。

感覚の鋭いメンバーの中には自然と、自分でも意図しない涙が溢れ出す人もいました。



僕等は用意してきたお酒を覆屋の中の石社に供え、そして、
神々と約束をしたアマテラスさんから頂いた祝詞(のりと)を
一生懸命唱えさせていただきました。
正直、何が変わったのか?
何が良くなったのか?良いことなのか?悪いことだったのか?わかりません。
ただ、ここに来るまでの長い道のりと幾多の物語を思うに、
きっと、何かの役には立っているかもしれない、と。僕はそう信じることにしました。
心なしか、祝詞の最中から、
林の上の空からまばゆい光の柱が降り下って来ているように思えていました。
その後、時々に届いてくる神々や、
この地にゆかりのある史人の御霊さん達からの言葉はこんな感じでした。



——————◯◯◯◯神だ。(この地へと導いてくれた神様)
田村麻呂には伝えたから「マル」だよ。



——————坂上田村麻呂だ。
骨寺村に行ってくれたのか。
骨寺村とは、以前は言っていなかったが、あの場所は我が国の真ん中に位置していたのだよ。
八幡平は「ヤマタイ」と読めるだろう。
北上山地から「金」が沢山出ていたからな。
罪穢れは、だから起こってしまったのだよ。
「金」が出たので、狙われたということだな。
ねーさんが鼻血を出した場所は、私が石を置いた場所だよ。
沢山の犠牲になった人がいたから供養したのだよ。古代から繰り返されたことだよ。
沢山血が流れた所なので、ねーさんが流せばわかると思ったのだよ。
真ん中だっただろう。
私は、駒形根のアラハバキの言葉がわかったのだよ。
だから、ねーさんと同じだな。uzmetとも同じだよ。
宝がなければ平和な土地だったのだよ。
古代のことは、わからないだろうな。



——————妻籠(つまご)のアシュラです。
疑いのない人達が、骨寺村に行ったという話は聞きましたよ。
骨寺村は、藤原の時代に栄えていました。
のーーーぞーーーみーーーがあったからです。
(中略)
のーーーぞーーーみーーーは、憑かれているスミで塗られた人達の浄化でしたよ。
骨寺村には、坂上田村麻呂が行っていました。
罪穢れを祓って欲しいと、藤原清衡に言ったのです。
藤原清衡も、今は神になっているので、話してあげてください。



——————藤原清衡です。
私は、いつも夢に出てくる場所を探していました。
民達が、苦しんでいる場所でした。
それを、坂上田村麻呂が教えてくれたのです。
藤原三代が、平泉に行ったのはそういうことだったのです。
ありがとう。
骨寺村に行ってくれてありがとう。



......血は、血ででしか濯(すす)げないのか......
7人はソレゾレに、様々な思いを抱えながら若神子神社を後にしました。
僕らはこの日も朝早くから動き回っていたので、
「この辺で休憩も兼ねてお茶でもしようか!」
と、「骨寺村荘園交流館」というところに寄ることにしました。
そこには骨寺村の名前の由来となる2つの伝承が記されている資料もあって、見てみると、
なんとなく、どちらの説にも、大本には共通する何かがあるように僕には感じられました。
そんな共通するモノこそがこの村の深奥に秘されているものなのではないのか?......と。
そう思えました。
お話は「8」へと続きます。


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コメント (4)

邪馬台国徒然 6

2018-03-22 00:06:07 | 不思議
骨寺村近くの温泉ホテルで過ごした夜は、
そんな不安と期待が入り混じる混沌としたものでした。
お話は「6」へと続きます......




前回記事でも載せましたが、この写真は骨寺村の中央から栗駒山を撮影したもの。
宮城県、秋田県、岩手県の三県にまたがる大きな山です。標高は1,626m。
幾つかの峰々が幅広に連なる山容と、広くてなだらかな裾野斜面は、
僕にはどこか長野県の八ヶ岳を連想させ、
凛とした「山の気」は爽やかにキラキラと山肌を流れ下り、
途中所々溜まり、蓄えられもして、またサラサラと平地へと動き出して行きます。
この山が常に蓄えているエネルギーや水の量は相当豊富であろうことは一目瞭然。

霊峰、栗駒山......と言った感じでしょうか。

骨寺村は、辿り着いてみると、

そんな大きくて豊かな恵みをもたらす山との距離感がこれ以上ないくらい抜群の場所でした。

山の力がものの見事に入り込んで来ます。

加えて村の四方は全て小高い山々が連なって取り囲んでいて、
周囲からは程良く隔離もされています。
ソレらの山々はヨーロッパの街における城壁の様でもあり、
天然の要塞と言ってもいい様な地形。
高さも程よいので自然のエネルギーも程よく溜めて、また、吐き出すこともできます。
そして、そんなふうに囲われ、
守られてもいる平地は極めてなだらかな傾斜も合わせ持っていて。
北と南の端には、囲む山々に沿って東から西へと流れる2本の清廉な谷川まで流れています。
そんな地形と相まって、
稲作用の水田を作っても全ての水田に均質な水を均等に容易く流せるという、
これ以上ないくらいの理想的な農業環境を造り上げてもいます。

こんな地ではちょっと穴を掘れば、豊かな湧き水もあちこちから出てくるであろうし、
村を囲む川も谷川なので、川面は皆の住む地面よりかなり下に深く彫り込まれてもいて、
氾濫の心配などもほとんどありません。
この地の暮らしやすさは、農耕や狩猟を中心とした古代の生活様式であれば尚のこと、
群を抜いて優れていたであろう事は容易に想像できます。
そんな理想的な地形の様子は、以下の公式ホームページの写真や、
現地の案内ボードの写真などからも良く分るのではないかと思います。





しかも、この村の川を東へと少し下っていけば北上川に合流し。
その北上川を対岸へと渡れば、
目前には早池峰山(はやちねさん)を中心とするたおやかな北上山地もあるわけで。
そこには砂鉄や金がゴマンと産出されていた砂鉄川や沢山の金山迄もがあるのです。
北上川を登れば平泉、花巻、盛岡、八幡平へと。
下れば太平洋を望む石巻港へと容易に出ることも出来ます。

風水的な言葉を使った表現をすれば、栗駒山は骨寺村の「祖山(そざん)」ともなっていて。
そこから流れ出す大地の力......龍脈、地脈......は、
骨寺村一帯へと綺麗に流れ込んで来ています。
村の所々にはそんな力が吹き出すスポット......龍穴......的な場所もいくつかあり、
北風を防ぐ「玄武(げんぶ)」となる北の山もしっかりと高く在ります。
南側は広く開けていて陽気がたまりやすく、その先には谷川迄も流れているので、
溜まった陽気を逃さない天然の堤防も併せ持っている様な状態。
故に朱雀(すざく)も自在に飛び回れてしまう......とでも言いましょうか。
そして村内を東から西へと流れる川には、その流れに沿った道も走っていて、
ソレは正に白虎(びゃっこ)が闊歩する道であり、
青龍(せいりゅう)がウネル水場でもあって。さすがは奥州藤原氏の荘園にもなった地。
こんな完璧で作物収穫力も高い、綺麗で奇跡的な場所などそうそうは無いであろうと。

しょーじき、戦さなどもしやすい地形でもあるだろうし、
隠れやすい地形でもあるだろうし。
もし周囲から隔絶されて干される様なことがあったとしても、
何の問題もなく暮らすことも出来るであろう、そんな全てが揃っている理想的な地。
もしココが岩手県一帯を広く治めていた古代王国の首都だったというのであれば、
まさに山々に囲まれた大国......邪馬台国。
当時の理想郷の一つ......でもあったのでしょうか......
ココまで導いてくれた◯◯◯◯神様に使える眷属の神様は、僕らにこう言うのです......



「小太郎(龍神さん)は、金華山黄金神社にいるだろう。
◯◯◯◯神は、駒ヶ岳の上にいるよ。
骨寺村荘園は、元々は邪馬台国と言ったよ。
北上山地には、沢山の金が出たからな。
(邪馬台国は)九州とか近畿とか言っているが、それはもっと後の時代だよ。
縄文の頃は、三鷹が中心だったから。
もっと暖かかったしな。青森までは栄えていたよ」



海からも程よく離れ。
険しい山からも程よく離れ。
水も作物も鉄も金も様々な鉱物資源も全てが揃う地。



......卑弥呼さん、



どこに?



いるのさ......



アマテラスさんの祝詞、



ちゃんと持ってきたんだ......





そんな村を見渡せて、
先に「龍穴」と記した場所の一つがこちらの駒形根神社(こまがたねじんじゃ)。
「まずココに行くが良い......」
と神様に言われていた場所でもあります。
「本当の名前は栗駒神社だ、、」
とも言ってましたが......村の東の端、小高い丘の上にあります。
その名前の通りお馬さんも祀られています(^^)やはり......の黒馬さん。



鐘撞堂も味があります。ご挨拶も兼ねて皆で一回づつ、村に響く様に撞かせてもらいました。



しかし、どうもココは、卑弥呼さんという感じではありません。
政治会合などの中心地だったのか?知恵のある神様の香りがします......孔雀王......だと、
此方の神様はそう言っていました。
そしてEriさんは、その孔雀王さんがとても喜んでくれた「粟(あわ)の穂」なるものを
ワザワザ用意して持ってきてくれていました。



Eriさんが送ってくれた写真ですが、今やなかなか見れない様なもの。
Eriさんすげー。完璧。ファインプレイ。神様大喜び!で。



裏山は未だ未だ沢山のモノモノを抱えてもいる様で......
なのでこちらの石碑はスルーは出来ません。ええ。



こんな感じで、この地の龍穴でありパワースポットとも言えそうな駒形根神社と、
ソコを守る神々の皆さんに挨拶をさせて頂いたのですが、
ココまで、とにかくこの村では人に会いません。見渡す限り僕ら以外に人の姿は無く。
少々不思議な動きをしていても訝しがる様な人もいなく。
そこで僕等はもう一つ、広々と広がる田園のど真ん中にポツン......と、
違和感のある姿を見せている小さな林へと向かうことにしました。
骨寺村の地図には「若神子社(わかみこしゃ)」と、そう書いてあります。



メンバー全員、直感で、
「今回の一番の目的地はココに違いない」
と、最初からそう感じていた社(やしろ)。
しかしその社は、何故か?一点集中的に鬱蒼と生い茂った林の中にあるようで、
高い木々に遮られて遠目ではよく見えません。



でも、きっと、



アノ林の中に......



なにか......



あります......



......卑弥呼......



......そこか。



間違いは、



無いと思います......



次回「7」へと続きます。


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邪馬台国徒然 5

2018-03-18 00:52:22 | 不思議
どことなくアレ!?の様な?そんな雲さん。
僕等7人は、重厚で、不思議と暖かい、
「エ」も言われぬ空気に包まれていることを感じながら骨寺村へと向かいました。
お話は「5」へと続きます。






この日、行く先々に出てくる不思議な雲さん達が気になっていた僕は、
骨寺村へと向かう道中は、その雲さん達をブンブン!に追いかけながら車を走らせていました。
同乗してくれていた皆さんにもそんなドライブにノリノリのお付き合いを頂きつつ、
しかし、そんなフザケタ!?運転をしていると、
気がつくとナビゲーションが示してくれる道からは幾度も外れてしまうこととなり、
当然ですが予定に無かった道へと迷い込み、そして、通りかかった途端、
急ブレーキをかけざるをえなかった特異な空気に包まれる神社の前に辿り着きました。

「骨寺村に入る前にだな、この道を行ってだな、、ソコ!ソコじゃ!そこに寄りやがれ!」

と、追いかけていた雲さん達が僕にそう言ってくるのです。
その神社というのがコチラ。
予定外に偶然訪れてしまった「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」さん。



車を止めて皆でノソノソと入って行ってみると、
最初は鳥居があるので神社だと思っていたのですが、
どうも毘沙門天(びしゃもんてん)さんを主祀するお寺さんでもあるらしく。
神仏習合的な雰囲気もあるところで......



結構有名なスポットの様でしたが、僕さんは全くもっての初めてで......でも、
何やら懐かしく......これ如何に!?(ー`´ー)うーん......zensenokiokunano?kaina!?



境内には崖に掘られた仏像などもあるらしいのですが、
どうもこの大きな岩穴の中に建てられた毘沙門堂さんが重要ポイントの様でして......
メンバー全員中に入って体の汚れをスッキリ!と洗われた様な感じ。
実のところ中尊寺でも、
最奥にある白山神社さんでとんでもなく奇跡的なククリ姫さんの風の渦が降りて来て、
7人のメンバー其々が背負っていた余計なものを祓ってくれてはいたのですが、
こちらでは、その力のもっと霊界寄り......身近な現実界寄りの力......という感覚でしょうか。
中尊寺の不動明王さん、白山神社さん。
それと、毛越寺の龍神さんとも合わせて完璧に準備が整いまちた!とでも言いましょうか......
とにかく鋭くも優しい気が満ちていた場所でした。
どうも骨寺村に入るには、この地に参詣してからでないとダメの様な感じで。
不思議ですがそういうルール!?システム?みたいで......
そしてこの時の空も、まぁ、ホントに、生涯忘れられないシリーズ・シーズン7!
ぐらいの凄いことにもなっていて......
毎度のスマホ写真なので上手く伝わらないのが残念なのですが......



その、あまりの異様さと荘厳さとで一同、最初は開いた口がふさがらず......



宇宙船のような!?雲の向こうからは倒れてしまいそうな強烈なエナジーと、
溢れんばかりの沢山の言葉が降り注いで来ます......





皆、クラクラしつつも大ハシャギで......手を振ると反応もしてくれるのです......!?





この写真を見ていると、今でも妙に体や頭が軽く感じられたりもして......



この日の僕らの予定としては、
骨寺村の直ぐ側にある「矢びつ温泉 瑞泉閣」という心地良さそーな温泉ホテルに一泊して、
平泉旅の疲れをゆっくりと落とし、そして翌日、朝イチから一日かけて

「本命の村一帯で卑弥呼捜索をする!」

......というプランだったのですが、
この達谷窟(たっこくのいわや)さんでの出来事は予定外のプレゼントの様な感じもして、
なにやらとても勇気付けられ、楽しくもあったのです。
そして、そんなこんなの窟(いわや)さんを後にした僕らはいよいよ、
この旅の目的地である骨寺村へと入りました。正面には名峰「栗駒山」が聳えます。
この山は遠目から見ても明らかに霊峰。神々が降りられる山。
仙台あたりからずっと一緒だった怪しげな雲さん達も、
この日の最後は全てこの山の頂上に集まり、大きな光の柱の様になって、太陽と共に
「また明日ねー!(^^)」
なんていうポップな感じで、一つ残らず!消えていきました......



「すげーな。ここ......」



上の写真は翌朝に撮ったものですが、本当に素晴らしい地。とても清廉な空気が流れています。
ここに来るまでのこれまでの歩みや出来事を合わせ考えてみると、
「実はかなりの大ゴトではないのか?」
なんていう妙な不安や恐れも僕の中には強くあったのですが、
そんなものも一瞬にして忘れさせてくれる様な風景。日本という国の原風景。
むしろ、意味のわからない期待感が胸にこみ上げても来ます。
ただ、この時から......骨寺村と言われるエリアに車が入った瞬間から......
僕は左寄りの胸......心臓が、キリキリと......
キリで穴を開けられる様な痛みと、強く圧迫される様な締め付け感とに襲われていて.......
運転をしていた時でも、ついしゃがみ込みたくなるような状況だったのでした......



「やっぱり、キツイな......ココ......なんか......ある......ここ......」



ホテルに着くまで、なんとか痛みをこらえた僕は、広い大部屋に入って、一息。
心身が落ち着いた頃にそんな状況であることを皆に話しました。
するともう一人、僕とまったく同じ体調になっていた人がいたのです。
それが、巫女力満載のmikoちゃん(♀)で......



「やっぱり!?私も!そーなの!痛いの!」



そして、そんな痛みに苦闘していた僕らに神様から言葉が降りて来ました。
ねーさんがそれをトレースしてみると......



「骨寺村にいる昔の怨念だ」



どーやら僕とmikoちゃんは、かつてこの地を制圧に来た側の御魂のカケラを持っていて、
特に僕さんは......その中心人物......相当恨みを買っている人の様でして......
(´ω`。)ハァ......wakatteimasukedone......
ソレでこの地の未成仏霊さん達からの総攻撃をバンバンと受けているようなのです。
そして、その因縁もあってこの地に来ているようでもあるのです。

「今じゃ!スキアリまくりタイム!ナウ!」

という感じで......やられまくり......
ちなみにねーさんは征服された側の御霊のカケラを持っているので味方という扱い。
地元東北のミワンさんとEriさんも勿論!の味方らしく。
まーゆさんとikuちゃんは双方に直接関係する御霊さんでは無い様なので、
目をつけられる理由もなく。ikuちゃんに至っては温泉を楽しみ、平和そのもの。

ソレで僕とmikoちゃんだけが痛みに苦しんでいるという状況の様でして......
なんともポンチキ極まりない説明なのですが、
息をするのも苦しい痛みに苛まれる僕さんたちにとっては

「嘘ダァ、、またまたぁぁぁ、、、( ̄▽ ̄)」

なんて冗談では済まされない状況でもありまして......ええ。ええ。
まぁ、世の中にはこんな事もあるワケでして。
ええ。驚きですが。
そして、そんな神様の優しい!?のかキビチイ?のか分からないお慰め的説明を

「キャハハ!」

と笑いながら話していたねーさんの顔を、
身体の痛みをこらえながら見ていた僕の目に、ふと、
不思議なビジョンが浮かんできたのです。



それは多量の真っ赤な血が.....



ステージカーテンの様に、幅の広い滝の様に......



中空からドロリ......と、滴り落ちてくるイメージ。



なぜなのか?



なんとなく......



ソレで僕は皆の前で、自然とこんなことを口走っていたのです。



「なんか、鼻血を出しそうな顔をしてるな。ねーさん。。」



「なに言ってんの!?バカじゃない!キャハハハ、、(^。^)」



骨寺村での卑弥呼探索の前日。近くの温泉ホテルで過ごした夜は、
そんな不安と期待が入り混じる混沌としたものでした。
お話は「6」へと続きます......



矢櫃温泉(やびつおんせん)は、
現在は山王山温泉(さんのうやまおんせん)と改称したらしいのですが、
瑞泉閣(ずいせんかく)さんの名称も、瑞泉郷(ずいせんきょう)となった様です。
この時はとてもお世話になったホテルさんです。
こちらのロビーで飲むコーヒーが妙に落ち着きましたの(^ν^)
霊峰、栗駒山の美しい山容もすぐ近くに綺麗に見えます。





露天風呂からは山越しに登ってくる美しい朝日も見えます。
ナカナカ居心地の良い、東北らしい優しいホテルさんでした。
今度はごゆるりと!お仕事でなく!?行きたいなぁ、と。思っていまする(^^)


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邪馬台国徒然 4

2018-03-14 00:00:10 | 不思議
次回は、そんな「〇〇村」へと向かう、
霊感に優れた6名の皆さんと僕さんとのポンチキ旅の話へと展開していきます。
コレまた、いつもの様に!?「夢物語」として笑って受け止めて頂ければ幸いでして。
ええ。ええ。(^^)
春のおとぎ話は、徒然なるままに続いていきます。




〇〇村とは「骨寺村」です。
正式名称は「骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)」
古来より、岩手県、平泉町にある世界遺産「中尊寺」の所領として管理されて来た集落。
中尊寺には上の写真にある様な、
鎌倉時代に書かれた重要文化財の荘園絵図も保管されています。
中尊寺や毛越寺があまりにも有名な為、
二つの寺院からかなり離れた所にあるこの地は一般には全く知られていない場所のようです。
実際に行ってみても目に止まるような物などは何ひとつ無く、
山間にひっそりと佇む、何の変哲も無い田園地帯。
よもやこの地が「魏志倭人伝」に記されている
邪馬台国の女王「卑弥呼」が住んでいた地であろうなどとは、
ヨホドのポンチキ人であっても夢にも思わないであろう、とても穏やかな地。

そんな所を邪馬台国の中心地などと「勝手に!」考えてしまう様になったきっかけは、
一年以上前のある日に起きた出来事からでした。

その出来事というのは、実はこの「コタツとミカン」という記事で記していた事で、
その日の僕は、神様からの頼まれごとがあり、
自宅から程近い世田谷八幡宮へと向かったのでした。
リンク記事にもある様に、神社へはお馴染みのポンチキねーさんも同行してくれて、
僕らは無事にその用事を済ますこともできたのですが、
この時の神社の上には美しい天からのサインがあったり、
境内の磐座の上では記事中のみゆきちゃんのイラストにもある様な
神様の笑顔を感じられたりもしていました。
そしてそんな神用が済んで「ホッ」とした僕らは、帰り道にカフェに寄ることにしたのですが、
そのカフェですっかりリラックスしてしまった僕は、フト、
ついさっき迄居た「八幡神社」に関して長年考えて来た事を初めてねーさんに話したのです。

そもそも東北の八幡平(はちまんたい=やはたい)という場所こそが
邪馬台国の名前の名残であって、全国に広がる八幡神社とは「やはたじんじゃ」であり、
それは邪馬台神社(やまたいじんじゃ)の呼称が変容したものであろう......と。

坂上田村麻呂という平安時代の武将が蝦夷征伐に赴いていた時に
「日本中央(ひのもとのまなか)」
と、弓の筈(はず)で書き記していたという伝説の場所も、
キットそのあたりだったと思うんだ......何度も探しには行ったんだけど......ね、と。

するとその時。いつもの事ではありますが、突然、
その場でねーさんに2柱の神様から言葉が降りだして、
両神とも異口同音に僕等にこんなことを言うのです......



日本中央(ひのもとのまなか)とは骨寺村のことだ



その後も神々は、事あるごとに幾つかの言葉を降ろしてくれました。



「邪馬台国はスミで塗られたところだよ。
岩手の八幡平だよ。
八幡平の近くの骨寺村荘園だよ。」



いかにも!?といったちょっと不気味な感じもする骨寺村という名前。
調べてみると、決して八幡平のすぐ近く、ということでもありませんが、しかし、
北上川に沿った現在の岩手県のエリアが一つの大きな王国であった可能性は、
地形的にみても全然不思議なことでは無いな、とも。
八幡平から盛岡、花巻、奥州、平泉、一関......北上川は北の神の河。
そんな風にもミエテ来ます。
そして、僕等が骨寺村にいく決定打となった言葉が......



「◯◯◯◯神だ。
マナカ(日本中央)の話だな。
坂上田村麻呂は現神(アラガミ)だったからわかっていたよ。
八幡平(はちまんたい)は、ヤマタイと呼んでいた場所だよ。
骨寺村荘園になるずっと前だ。
せーーーかーーーいは、新しくなったから隅まで教えられるよ。
来年、コトシロヌシが出たら、北海道の前に岩手だな。
三鷹熱海真脇富士、春になったら岩手、北海道だな。夏までだよ。」



このブログでは未だコトシロヌシ(事代主神)さんの話は記すことは出来ていませんが、
この神様の言葉の後、僕等は邪馬台国に向かう為に必要な準備と順番として、
先ずは神様の言う事代主のさんのお膝元である出雲、美保の地へと向かい、
そこでそれなりの神事と準備もして、出雲も巡り、それでよーやく、
晴れて邪馬台国へと向かう事が出来るようになりました。
「骨寺村荘園」へと向かう迄には、実は結構長い「それなりの道のり」があるにはあった......
というワケでもあるのです。

そうして、一ノ関駅で待ち合わせた僕等7人は、骨寺村に行く前に、
その領主でもある平泉の中尊寺へと向かうことにしました。
やはり、この地を旅するには「奥州藤原氏」を無視するわけにはいかないのです。途中、
「先ずは腹ごしらえ!」
ということで、平泉駅前にある蕎麦の名店「芭蕉館」さんで、
名物「平泉わんこそば」をしっかりと!食べちゃったり(^^)



ゴキゲンさんで(^^)/♪



こちらはお馴染み。黄金の国、平泉を象徴する中尊寺の金色堂。
覆堂(おおいどう)の中にはあまりに有名な黄金で作られた寺院が保存されています。



西暦1300年頃。西洋諸国の間で
「東の果てに黄金で出来た国、ジパングがある......」
という噂や伝説を生んだ「東方見聞録」。冒険家マルコ・ポーロの口述を著した本。
マルコポーロは黄金の国の噂を中国で聞いていた様で、
見聞録の文章からはその情報の元が中尊寺や金色堂である可能性も指摘されています。
仮にそうだとすると、一般的に奈良や春日大社とされている「シルクロード」の東の終点が、
実はもっと東の、東北地方の平泉であった......ということになる可能性もあります。
そして、マルコポーロが中国で聞いたというそんな日本の噂を創り出した深奥にある要因には、
ソレ以前の時代から日本が中国(魏=ぎ)に
多量の金を贈っていた史実が関連していた可能性もあり、
それこそが「魏志倭人伝」に書かれている頃の邪馬台国ではなかったのか?
......などと、そんな想像までも膨んで来ます。

そもそも何故?京の都で権勢を誇っていた藤原氏がこの東北の平泉に移り住んで来たのか?
その理由は未だにハッキリと分かってはいないようなのですが、
もしかしたら奥州藤原氏の遠祖である「藤原頼遠(ふじわらのよりとお)」さんは、
田村麻呂(たむらまろ)同様に、
古代、この辺りの地がこの国にとって最も大切な場所であった事をちゃんと知っていて。
しかもその地は、既に遠く異国に迄噂が伝わっている様な
大量の金や鉄を産出している国でもあり、
様々な武器や用具をも生み出していた国であった事も知っていて。
そんな地を我が物にしようと、そんな野心もあって都を後にしたのではないのか......!?と。
可能性としてはそんな風に考えられなくも無いわけです。



中尊寺と毛越寺でこの地を守る神々に骨寺村へ向かう旨の挨拶をしている間、
僕らの上空にはなんとなく不思議な雲が、ズーーーーーーッと......いらっしゃいました......





どことなくアレ!?の様な?そんな雲さん。
僕等7人は、重厚で、不思議と暖かい、
「エ」も言われぬ空気に包まれていることを感じながら骨寺村へと向かいました。
お話は「5」へと続きます。


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邪馬台国徒然 3

2018-03-10 00:19:09 | 不思議
もし国の記述に興味が湧いた方などがいましたら!?
是非、独自に探してみてもらえたら......なんて。
でも、その時のあなたは、きっと立派な考古学者さんなのだと思うのです(^ν^)ええ。
お話はもう少し続きます。




以下に、独創的過ぎる見解でもって、
魏志倭人伝に記されている古代國に対する現在の比定地を記してみます。
妄想に妄想を重ねた地域となりますが、一応、
プリリンねーさんの完全監修もいただきまして。ええ。
知識と過去時間を司るアノ!?神様の確認も頂きやしたのでつ♪(# ̄ー ̄#)むふふのふ。



====================================
①倭人は帯方(たいほう)の東南の大海の中に在り。山島によって国邑(こくゆう)をなす。
=日本列島全体。

②対馬国(とまこく)=長崎県、対馬諸島。

③瀚海(かんかい)=東シナ海。玄界灘(げんかいなだ)辺りも含まれた表現か。
一大国(いきこく)=長崎県、壱岐島(いきのしま)。

④末廬国(まつろこく)=佐賀県、松浦市一帯。

⑤伊都国(いとこく)=福岡県、糸島市一帯。

⑥奴国(なこく)=福岡県、福岡市から宗像市、北九州市、
山間部ではいわゆる筑豊炭田(ちくほうたんでん)から宇佐神宮辺りまでの一帯。

⑦不弥国(ふみこく)=熊本県、宇城市(うきし)一帯。砂川流域。

⑧投馬国(とうまこく)=静岡県、伊豆、堂ヶ島(どうがしま)一帯。

⑨邪馬台国(やまたいこく)
=岩手県、◯◯村を中心とした、八幡平(はちまんたい)一帯も含む広大な地域。

⑩女王国より以北、その戸数、道里を略載を得べきも、
その余の旁国は遠絶にして、詳(つまびらかに)することを得べからず。
=八幡平(はちまんたい)以北、青森から北海道のエリア。

⑪斯馬国(しまこく)=宮城県、色麻町(しかまちょう)から仙台市、名取市にかけた一帯。
色麻古墳群、念南寺古墳群(ねやじこふんぐん)。
名取には全長170メートル級の雷神山古墳なども。

⑫巳百支国(いわきこく)=福島県、いわき市一帯。

⑬伊邪国(いやこく)=福島県、郡山市から弥栄(やさかえ)辺りまでの一帯。
「弥栄」は「いやさか」もしくは「いや」という名前であった可能性も。
中心地は東北エリア最大の前方後円墳を含む大安場古墳群(おおやすばこふんぐん)か。
猪苗代(いなわしろ)は「伊邪の城」もしくは「伊邪の後ろ」か。

⑭都支国(ときこく)=茨城県、日立市(ひたちし)から水戸市(みとし)の一帯。
いわゆる「常磐(じょうばん)」と呼ばれるエリア。常磐は勿論「ときわ」と読む。

⑮弥奴国(みなこく)=栃木県、宇都宮市から壬生町(みぶちょう)にかけた一帯。

⑯好古都国(ここつこく)=千葉県、九十九里(くじゅうくり)から
房総半島先端にかけての一帯。要所は安房神社、三島神社、須崎神社、玉前神社など。

⑰不呼国(ふここく)=山梨県と静岡県の富士山一帯。

⑱姐奴国(さなこく?しゃな?)=静岡県、浜松市の佐鳴(さな、佐鳴湖)から御前崎、
焼津市、静岡市の三保半島にかけての東海一帯。

⑲対蘇国(つそこく)=三重県、津市(つし)の一帯。

⑳蘇奴国(そなこく)=愛知県、江南市、蘇南(そなん)から名古屋市一帯。
中心地は一宮、真清田神社(ますみだじんじゃ)辺りか。

㉑呼邑国(こおこく)=滋賀県、甲賀市から甲良町辺りを中心とした琵琶湖回り一帯。
中心地は多賀大社辺りか。湖の王で「湖王国(こおうこく)」であった可能性も。

㉒華奴蘇奴国(かなそなこく)=神奈川県。金沢地区を中心とする一帯。
「次に」という原文の記載順列を考えると違和感があるが、
僕のビジョンと神様の答えは一致。

㉓鬼国(きこく)=和歌山県、熊野市の鬼ヶ城、木本神社(きもとじんじゃ)辺りから新宮市、
山間部はいわゆる熊野三山を含む一帯。紀州という呼称の元となったエリア。

㉔為吾国(いごこく)=三重県、伊賀市一帯。

㉕鬼奴国(きなこく)=大阪府、大阪市を中心とする一帯。いわゆる畿内(きない)。

㉖次に邪馬国(やまこく)=奈良県、奈良市。いわゆる大和(やまと)。中心は春日大社。

㉗次に躬臣国(きしこく?くしこく?きゅうしんこく?)=和歌山県、串本町一帯。

㉘次に巴利国(はりこく)=兵庫県、播磨(はりま)地域を中心とした一帯。

㉙次に支惟国(しいこく、きいこく)=山口県、防府市を中心とする一帯。周防(すおう)。

㉚次に烏奴国(うなこく)=愛媛県、宇和島市(うわじまし)を中心とする一帯。

㉛次に奴國(なこく)=福岡県、福岡市から宗像市、北九州市、
山間部ではいわゆる「筑豊炭田(ちくほうたんでん)」から宇佐神宮辺りまでの一帯。

㉜ここは女王の境界尽きる所なり。
=邪馬台国の最西端が汝国。地理的に朝鮮半島諸国や魏国(中国)との国境であり、
国家防衛的にも文化交流的にも最前線国であり重要国であった。

㉝その南に狗奴国(くなこく)有り。男子を王となす。
=汝国以南の九州。鹿児島を中心とする一帯。
=====================================



どーでしょう。このポンチキさ加減。。(* ̄ー ̄*)
学会などからは永久追放されるであろうラインアップ。
でも神様との答え合わせでは、最初、90点!というところまで一致しておりまちたの。
僕さん。マジ感激で。ええ。

ポンチキ・ポイントとしては、先ず、
これまで様々な人達に膨大な研究や議論をし尽くさせて来た距離と方角に関して

「奴国以降の記述は、まぁ、曖昧だろう」

と完璧に割り切って考えている点です。

「何故曖昧な記述だと言うのか?」

というと、当たり前の事ではありますが、倭人伝における記述は、
ただでさえ不確実であろう、想像しか出来ない遠い異国の地の話であるということと、
加えて、④の「奴国」以降の文章は全て「伝聞形式」で書かれているからです。
この文を書いた人、もしくは情報のソースとなった人は、
魏国(ぎこく)から九州北部までは確実に自らの足で辿り着いています。
なので国の名前も現在の地名とカナリ酷似もしていますし、
距離や方角の記述もそれなりの「まとまり感」があります。
しかしソコから先の倭国(日本)の情報に関しては、誰かに、
それは奴国の邪馬台国出張所の役人なのか?もしくは町の人々なのか?
はわかりませんが、とにかく人々から聞いた事を記している文字使いとなっているのです。

ここは絶対に見落とせないポイントです。

倭人伝の情報源となった人?人々?は、海を越えて辿り着いた北九州で人々の話を聞いた後、
もしかしたら行きたかったであろう邪馬台国への道のりはカナリ長く、険しいことを知り、
そしてほぼ間違いなく彼等は邪馬台国には行っていません。そのまま引き返した感じ。
この辺りの事実の指摘は前回記事でも記した「邪馬台国はどこにあったか?」という本や、
その他多くの書物などでも詳細に書かれて来ています。
ちなみに京都の龍谷大学に所蔵されている疆理図(きょうりず)と呼ばれる、
現存する最古の世界地図を以下に転載しますが......



どーでしょう。このポンチキさ加減。
日本は右下に描かれていますが、南北も逆になっています。チョーーいい加減です。
これでも1402年に李氏朝鮮(りしちょうせん)国で作られた正式な地図です。
魏志倭人伝の書かれた時代は、この地図が作られた時より更に千年以上も前となります。
そんな時代に書かれた「未知の外国の旅行紀」で、
加えて「人から聞いた噂?話し?」でもあって。
そんな状況下にある記述の距離や方角を正面から相手にしていては暗中模索の五里霧中。
邪馬台国の所在地など永遠に分からないとも思うわけなのです。アチキわ。ええ。

そして、次のポイントとしては⑥と㉛に「奴国」が「2回」出てくるところ。
これはもしかしたら、邪馬台国を一周して戻って来た!?
という表現である様にも考えられます。もしそうなら、
問題は一周した地が九州なのか?本州なのか?はたまた......という点でしょうか。

その次は「邪馬台」の「台」の字が原本では「壹」と書かれていたり、
他の史書では「臺」と書かれていたりする問題。
壹は「イ」とも、壱(いち)の旧漢字ともされるようですが、
これも考え出すと迷宮入りになる様な事なので、
「基本通り壹や臺は台の古い形ということでいいじゃん!リコーのコピー機無かったし!」
というこれまた安易な立場を選択。興味のある人は今すぐ検索へGo!

そして最大、且つ最重要のポイントは⑧の「投馬国」のところです。
「南、水行二十日、投馬国」
と書かれているコノ記述が、今もって邪馬台国は九州なのか?奈良なのか?
という議論の要因となっています。
詳しくはネット上でも様々な記述が見つかるとも思いますが、この九州説や奈良説の場合、
ほぼ全てが投馬国に渡る前の⑦不弥国(ふみこく)が北九州一帯に比定されています。
そんな主流となっている説に対し、この自由気ままなポンチキブログにおいては、
⑦の不弥国(ふみこく)を熊本県の宇城市とし、
⑧の投馬国を伊豆の「堂ヶ島」としています。
その理由は、既に上に記した通り、
奴国以降の方角や距離などは完全に無視してい考えていることと、
倭人伝の著者にもし、上の疆理図(きょうりず)の様なイメージがあるならば、
北は南となり、西は東になり......
南下して船で20日間旅して辿り着くという⑧の「投馬国」は、
「ザックリいえば、遠いとこなんだろー。。(*´ω`*)」
という程度で記述を受け止めると、距離感としては関東辺りでフィットもして来ます。



さてさて、こちらわ、
学会から最も遠いとされる「ポンチキ界」にある夢想極まりない「雲完ブログ」です。
「シガラミもコダワリも、なーんにも無いのっ☆」
というソノ唯一の優位さでもって、前出の本の作者でも、他の誰であっても、
決して導き出すことのなかった、
あまりに突飛でも無い「邪馬台国の中心地」へと話を進めていこうと思います。



———————⑨邪馬台国(やまたいこく)
=岩手県、◯◯村を中心とした、八幡平(はちまんたい)一帯も含む広大な地域—————



次回は、そんな「〇〇村」へと向かう、
霊感に優れた6名の皆さんと僕さんとのポンチキ旅の話へと展開していきます。
コレまた、いつもの様に!?「夢物語」として笑って受け止めて頂ければ幸いでして。
ええ。ええ。(^^)
春のおとぎ話は、徒然なるままに続きます。



ポンチキ旅の出発点は「お餅」で有名な岩手県、一ノ関(いちのせき)駅。
この旅を一緒にしてくれた霊力溢れる6人の方々の愛称を入れておきますと、
一ノ関駅でのお出迎えと旅の同行サポートをしてくれた、
地元、東北在住の「Eri♀」さんと、「ま〜ゆ♂」さん。
わざわざ北海道から駆けつけてくれた「ミワン♀」さん。
そして、最早お馴染みの!?「iku♀」ちゃんと「miko♀」ちゃんと、
神の言葉を正確にトレースするポンチキ頭領の「プリリンねーさん」。

不思議な事にこの皆さんは、全員、邪馬台国と何らかの深い魂的関わりを持っていた様でして。
もし、この方達のうち一人でも欠けていたら......
今回記している物語は、今日のこの記事あたりで途切れていたと思います。

そんな宿命と役割を持った皆さんと一緒に貴重な旅が出来たことには、今さらですが、
僕は心より嬉しく、感謝もしています。
どーも僕は、何かを考えていたり集中していたりする様な時は限りなく無表情になって、
無愛想さも極まる印象を人々に与えてしまう未熟者だったりもしますので、実のところ、
こんなふうに思っていたことも伝わっていなかったろうな......とも思っているのです。
なので、この時のメンバーの皆さんには改めて此処に感謝を記し置いておこうかと思います。

ありがとうございます(^^)

このブログのサブタイトルの言葉に嘘はありません。いつの日か

「アイツはこんなこと考えていたんだ、、」

と、この記事を見つけてもらえれば、とても有難く、心和らぎもするのです。

そして、そんなふうに人に見つけて貰える嬉しさは、

邪馬台国を命を賭して護り、暮らしていた人々にとっても同じことではないか......

とも、思うのです。


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邪馬台国徒然 2

2018-03-06 00:36:41 | 不思議
今、この国にある8千を超える沢山の神社の中で一番数の多い名前の神社があります。



その名前は———————————————



邪馬台国を巡る徒然なる空想物語は、ここから始まります。
次回へ続きます(^^)




その神社とは「八幡宮(はちまんぐう)」です。
全国でもズバ抜けて多い神社名となっています。総本社とされるのは大分県の宇佐神宮。
一般的には武の神である「八幡神」を主祭としている神社ですが、
その実は「応神天皇=ほんだわけのみこと=誉田別命」とも言われていて、
多くのところでは応神天皇の母親ともいわれている
「神功皇后(じんぐうこうごう)」と一緒に祭られていたりもします。
しかし、八幡神を応神天皇とする説は未だ明瞭な証拠も史実もなく。
これまでも多くの研究者が真実を探求してきたことでもありました。



......さて、八幡。はちまん。やはた。やわた。



お気づきでしょうか。



やはた......やまた。



やまたい。



こじつけ!?



そーかもしれません(^^)



では、今度は日本地図をグーグルマップあたりで眺めてみる事にします。



探すのは「八幡」という地名。



当然ですが、国だった場所を探すわけで、なので一番目立つ「八幡」を......



どこにあるかなぁ、、、と。



うーーーーーんんと、、、、



ありました。ここ、、



東北、岩手県、北部。青森県と秋田県との県境でもある「八幡平」。広大な地域。
秋田県の鹿角市にも八幡平市という市があるので、
昔はもっと広い地域が八幡平と呼ばれる地であったかもしれません。



この「八幡平」は「はちまんだいら」......と読むのではありません。



正式に「はちまんたい」と読みますし、古来よりそう呼ばれて来てもいます。



なぜでしょうか?



一部で坂上田村麻呂の伝承に基づく話もある様ですが、
実は、田村麻呂はこの地にまで北上したという記録はないのです。
突き詰めると昔からそう呼んでいる......と、
そうとしか言えないのが現状、本当のところの様です。



はちまんたい......八幡台.......やわたい......やまたい.......邪馬台......



広大な地域にまたがる、山々に囲まれた地域。山々に囲まれた大国?



ヤマタイコク?



全国に散らばる八幡神社(はちまんじんじゃ)とは、



元は「やはたじんじゃ」であり、邪馬台神社(やまたいじんじゃ)であって、



邪馬台国の地方行政府のようなものだったのか?



全国の場所を問わず、八幡神社の数が飛び抜けて多いのはそういうこと!?



ここで、こんな曖昧で馬鹿げた!?話は後回しにして、
邪馬台国の存在を決定づけている肝心の歴史書
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」
の話に移る事にします。
歴史の教科書でも有名なこの書は、実は中国の有名な史書「三国志」の中の一部分で、
「倭人=日本人」に関して書かれているところだけを抜き出して指す呼称です。
この本が書かれたのは3世紀末、280年〜297年頃であるということは既に確証されているので、
邪馬台国というのはちょうどこの頃の日本にあった国だと言うことは
誰もが認める史実となっています。
そして、この本には現在も様々な学者の皆さんが研究や論争を続けている、
魏(ぎ=中国)から邪馬台国(日本)に渡る旅路が細かく書かれています。
ここまで詳細に書かれていて、それでも場所を特定できないとは......
ちょっと不思議なところもありますが、そんな部分を抜き出して以下に記すと......



====================================
①倭人(わじん=日本人)は帯方(たいほう)の東南の大海の中に在り。
山島によって国邑(こくゆう)をなす。

(中略)

②始めて一海を渡ること数千里、対馬国(とまこく)に至る。

(中略)

③また南に一海を渡ること千余里、命けて(なずけて)瀚海(かんかい)という。
一大国(いきこく)に至る。

(中略)

④また一海を渡ること千余里、末廬国(まつろこく)に至る。

(中略)

⑤東南に陸行、五百里、伊都国(いとこく)に至る。

(中略)

⑥東南して奴国(なこく)に至る。百里。

(中略)

⑦東行不弥国(ふみこく)に至る。百里。

(中略)

⑧南投馬国(みなみとうまこく)に至る。水行二十日。

(中略)

⑨南、邪馬台国(やまたいこく)に至る。女王の都する所なり。水行十日。陸行一月。

(中略)

⑩女王国より以北、その戸数、道里を略載を得べきも、
その余の旁国は遠絶にして、詳(つまびらかに)することを得べからず。

⑪次に斯馬国(しまこく)有り。

⑫次に巳百支国(いもきこく)有り。

⑬次に伊邪国(いやこく)有り。

⑭次に都支国(ときこく?としこく?)有り。

⑮次に弥奴国(やなこく?いやこく?)有り。

⑯次に好古都国(ここつこく)有り。

⑰次に不呼国(ふここく)有り。

⑱次に姐奴国(ねなこく?つなこく?)有り。

⑲次に対蘇国(つそこく?つきこく?)有り。

⑳次に蘇奴国(そなこく?そやこく?)有り。

㉑次に呼邑国(こおこく)有り。

㉒次に華奴蘇奴国(かなそなこく)有り。

㉓次に鬼国(きこく)有り。

㉔次に為吾国(いごこく)有り。

㉕次に鬼奴国(きなこく)有り。

㉖次に邪馬国(やまこく)有り。

㉗次に躬臣国(きゅうしこく?くしこく?きしこく?)有り。

㉘次に巴利国(はりこく)有り。

㉙次に支惟国(しいこく?いきこく?)有り。

㉚次に烏奴国(うなこく)有り。

㉛次に奴國(なこく)有り。

㉜ここは女王の境界尽きる所なり。

㉝その南に狗奴国(くなこく)有り。男子を王となす。
=====================================



さて、ここからは、倭人伝の記述文言における幾つかのポイントを踏まえつつ、
上のNo.①から㉝までの古代國を現在の地域や地名に該当させてみようかと。
冒頭の①~⑥あたりは、もう見るだけでスグ!お解りの方もいらっしゃるかと思いますが、
その辺りも含め、次回は
「無責任な妄想に妄想を重ねながら」
出来る限りのコトを記していこうかと思います。

「なぜ出来る限りなのさ!?妄想に妄想を重ねるなどと?」

と?......そりわ......今神様に確認をしてもらっているのでつ!

「( ̄▽ ̄;)どでしょーかぁー?」

などと。ええ。ええ。

「この前、将門さんのトコロにも命懸けで久保田の萬寿を持っていったのでぇぇ、
どか、ひとつぅぅ、、」

って。ね。(*´ω`*)ええ。ええ。出来うる限り、で。
この後も徒然なるままに記していこうかと思いまする。
もし国の記述に興味が湧いた方などがいましたら!?
是非、独自に探してみてもらえたら......なんて。
でも、その時のあなたは、きっと立派な考古学者さんなのだと思うのです(^ν^)ええ。
お話はもう少し続きます。



日本中央」「 2」「3」「4」という、かなり前の記事でもチラリズム的に記していましたが、
邪馬台国に関しては、以前から

「はちまんたい(八幡平)あたりが怪しいのでは?」

的世界がミエテいた僕は、しかし、その中心地まではなかなか絞り込めないでいました。
なんと言っても八幡平という地はタダタダ広いのです。
何度か足を運んで探索してみたりもしていましたが、ちょっとメゲそうにもなっていました。
そんな暗中模索をしている頃に出会った印象的な本というのが上の写真、
「邪馬台国はどこですか?」
という作品。著者は「鯨 統一郎」さん。
当時の僕が考えていた事やミエテいた事に強い自信と確証を添えてくれた、
僕にとっては印象深き本です。

「ああ、同じだ。やっぱりそーなのか。。」

と、この本に出会った時は嬉しくなったことを覚えています。
一般的には鼻つまみで!?相手にされていない様なシロモノかも知れませんが......
今回記した事と、次回記事の「半分」くらいの事までは、
こちらの本に細かい考察や史実データが「小説として」書かれていたりします。
特に「魏志倭人伝」における漢文読解の仕方などは、
微妙な言語表現の違いを見逃さずに感じとり、すくい上げもしながら、
小説と言えど興味深い推論を進めていっています。
そんな部分には歴史学者さん達とはまた違った、
作家さんならではの凄みもあり感心もしてしまいましたが、
この本は鋭いインスピレーションを持って書かれている様にも?思えました。
著者の鯨統一郎さんは、もしかしたら?
邪馬台国で暮らしていた人のミタマを宿している方?なのか?
なんて気もして来てしまいます。
しかししかし、上にも「半分」と記したように、邪馬台国の中心地と考えられる場所は、
そんな鋭い作家さんでも、学者さんでも、ネットワーク上にある情報さん達でも、
これまでに未だ一度も言説に上がっていない場所の話へと進んでいく事となるのです。
そんなお話も含め、もしご縁などあれば、鯨統一郎さんとは是非一度
「一緒に美味しいビールでも!」
なーーーんて思ったりなんかしています(^^)かしこ。


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邪馬台国徒然

2018-03-02 00:02:37 | 不思議
血は、血ででしか濯(すす)げないのか......



遥か昔、この国に存在していたであろう邪馬台国という国を思う時、
僕の中に湧き上がってくる印象とはそんな感じで。
それは、とても悲しく、やるせない気持ちが、深く重く折り重なる様なものでもあって。
思いを馳せれば馳せるほど胸が苦しくもなります。



このブログは、あの東日本大震災の後から幾つかの理由もあって書き始めました。
気が付けばそれから5年以上の月日が経ち。そんな今年のこの時期に、
ようやく邪馬台国(やまたいこく)に纏わる話を記せるタイミング
来たような気がしています。

邪馬台国というのは、本来、
今に繋がるこの国の為政者達が無きモノとしたかった古代の大国です。
それが、偶然なのか?必然なのか?
コントロールの効かない隣国の歴史書にこの国のことが記されてしまい、
その結果、今日(こんにち)もその存在が広く世に伝わり、残り、
卑弥呼(ヒミコ)」というミステリアスな女王の存在と名前の響きも相まって、
ロマンティシズムに溢れた多くの人々の想像力までも掻き立てる様な亡国ともなりました。
言い方を変えれば、それは、

「消したのに、消すことができなかった国......」

ということかも知れません。
もし、隣国の歴史書が無かったとしたら?
この国の歴史からは完全に抹消されていたかもしれない国であったはずです。
そして、そんな邪馬台国や、さらに古い時代の王朝など、
この国の闇に置かれ、無きものとされて来た多くの国々や人々の
存在の形見とも言えるようなものが、時に「神社」というものでもあるのです。

そんな忘れ形見的、封印の社(やしろ)的神社の代表と言えば......出雲大社......
ではなく!?
本当のところは諏訪大社であると、僕は、個人的にはそう認識をしています。
アチコチで大笑いもされそうですが、自分なりに日本中も回りまくって、実地検証もして、
痛い目に逢いまくって、その結果、至って真面目にそう感じているのです。



教会における十字架やキリスト像、お寺における仏像の様な、
全ての神社における共通の御神体とは、祭壇中央にドン!と置かれる大きな鏡です。
丸い、太陽の様な鏡。

それは天皇家が保管する国家神器「八咫鏡(ヤタノカガミ)」を模するものでもあり、

恵の唯一神「太陽」を模するものでもあり、

「神とは、この鏡に映るあなた自身ですよ」

ということを教えるものでもあり、そして、

「鏡が歪んでいると、映すもの全てが歪みますよ」

「曇った鏡は、全てを曇らせて映しますよ」

「もしかしたら、この世は真実と逆さまになっている世界であるかも知れませんよ......」

ということを諭すものである様にも......僕には思えてきました。
そんな神社における最重要アイテムである鏡。
諏訪大社におけるソレは、実は、諏訪湖そのものである、と。
僕は、とある神様!?からそう教えられてきました。
それは、言ってみれば、日本で一番大きな神鏡である......と。



しかしながらその鏡は、原初の形からはどんどんと小さくなってきて。
やがて濁り、曇り。歪められ。
つい最近までは有るものを有るがまま、
そのまま映し出すこともままならなくなってしまっていた様で。
それもそのはず。鏡を護らんとしていた古代の神々は、
時に人の命迄もが注がれる強力な呪(しゅ)をかけられた4本の
巨大な御柱の中に閉じ込められて、
柱と柱の間に引かれる線は強烈な「結界」ともなっていて。
為政者に騙され、揺動もされてきた純粋なる罪無き人々は、
御柱祭がそんな呪(しゅ)の式次第であるということとはついも知らず。
ただひたすらに神々の為に、我らの地を守る為に、感謝の為に、と。
その祭りを長い間行い続け、伝え、讃えてもきました。
そんな人々の純なる心力をも利用した結界は諏訪湖というこの国一番の大鏡(おおかがみ)を、
長らく鏡として機能させない様にもし続けてきて——————

——————しかし、今年。つい先日。
「スーパーブルーブラッドムーン」なる
地球上では35年ぶりとなる天体現象が起きていた時。
この「イワシと月と太陽と湖」という記事にも記した通り、
凍った諏訪湖が綺麗に割れる「御神渡り(おみわたり)」という現象も5年ぶりに確認され、
諏訪湖に対する神様の言葉が久方振りに降りても来ました。



「鏡割りじゃ」



僕は初めて、この言葉を受け取りました。
諏訪徒然」や「ニコニコBAR」という全17話のシリーズ記事で記してきた様な事も?
関係しているのか?いないのか?それは全く分かりませんが、
とにかく、時ならぬこの神様の言葉!?は、諏訪同様に歴史から隠され、
封印もされた大国「邪馬台国」の話も記して良いタイミングなのでは無いか?
と僕に確信させる出来事とはなったのです。
それは少し驚きもしましたが、嬉しくもなることでもあって。
そんなワケもあり、今回綴らんとするこの物語は、
あくまでタダのド素人の夢物語として読んでもらえればと。
ただそれだけで嬉しくもあります。
そして、これを読む時の方々の想いというのは、きっとそのまま、
非業の思いで亡くなっていった邪馬台国の人々にとってはとても嬉しいこととなる様にも......
思えていたりもするのです。
それは、この国の未来にも、光を与えてくれるようなものであるとも思えるのです。



未来は、いつも過去の上にあるのですから。



光を射し入れた過去は、光射す未来に繋がるはずなのです。



誰もが認識している様に邪馬台国というのは古代日本の大きな王国の一つです。
ということは、その痕跡は、本当はこの国のいたるところにあるハズなのです。
なにも九州や奈良、大阪やらにしかその痕跡や遺跡が無いという考え方に関しては、
そのこと自体も少し疑ってみる必要がありそうだな、とも思えます。



この話が何を意味しているのか?



上記した文中に僕はこう書きました。



「この国の闇に置かれ、無きものとされて来た多くの国々や人々の
存在の形見とも言えるようなものが、時に神社というものでもあるのです」



今、この国にある8千を超える沢山の神社の中で一番数の多い名前の神社があります。



その名前は———————————————



邪馬台国を巡る徒然なる空想物語は、ここから始まります。
次回へ続きます(^^)



東洋医学では、流れが悪く、滞りがちな血液を「瘀血(おけつ)」と呼んでいる様です。
「瘀(お)」とは「停滞」という意味で、文字通り血流が滞ったり、ドロドロとしたり。
血管内で淀んでしまった状態の血液を指すそうです。
「瘀血」になった血液は正常な状態に比べて粘度が強くなっていて、
それで流れが悪くもなっている様なのですが、
解説書などには「ふる血」とか「汚れた血」「悪血」などとも書かれていたりします。

かつて邪馬台国が存在していたであろう地に、
数人の信頼できる方々と一緒に足を踏み入れた時、その瞬間。
実はこの「瘀血」が、巫女としての能力も高い女性の鼻から突然、
多量に吹き出して来て止まらなくなりました。
その血は彼女の服を汚し、大地にも多量に滴り落ち、そして......
地中深くに吸われていきました。
その時一緒にいた皆さんは僕同様にその事を明瞭に覚えていると思いますが、
その血はマサに瘀血。ドロドロとボタボタと、かなり淀み、汚れた血でした。
鼻血など出したことの無い彼女自身は勿論、一緒に居た全員が驚き、
唖然としていた事も覚えています。
今回の徒然なる夢物語は、ひと先ずそこへ向けて記していくことになります。


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