雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

笑われちゃうよ!

2014-08-30 00:41:07 | セツナイ
ドトールさんにはよく行くのですね。ええ。
アイスカフェラテが好きなのです。ええ。
それで「TSUTAYAカード」が使えるのです。
ドトールは。何処でも。
なのでこの前、お金を払う時に、
いつもの様にそのTSUTAYAカードを出したんです......
けど......



歯医者さんの診察券を出しちゃったんですよ!(=゜ω゜)ノ



カードを出した時、レジのお兄さんが
「ぷっ!(= ̄ ρ ̄=) ...クスクスクス......」
って、懐の深い、必死にこらえた笑い方をするので
「なにさ!?」
と思ったら診察券だったんですよ!



大惨事。。(T ^ T)



それで、ですね。
最近オフィスも引っ越すことになってですね。
前のビルには一階にドトールさんがあって、
すこぶる便利&ご機嫌だったのですけど、
今度のビルには.......



ドトールさんがないのですよ!(=゜ω゜)ノ



愛しのアイスカフェラテMサイズはどこで買えばよいの!?



大惨事でヽ(;▽;)ノ



でね、ビルにテイクアウト系のカフェは他にないのかな?
何かないのかな?......と探したらですね、あったんですよ。
「タリーズ」さんが。
ドトールの「Mサイズ」¥300(税込)に相当すると思われる
「グランデ・サイズ」が¥450(税込)となるわけですよ。
僕あたりのマニアになると1日3杯ぐらいわ飲むわけですよ。
そのサイズのコーヒーを。少なくとも。
小市民にはシャレにならない冷酷プライスなわけですよ!
コスト倍増ですよ!(=゜ω゜)ノ



大惨事で(T_T)



それでですね、
世間でイッパシに働き出してからこのこかた、
電車に関しては面倒な乗換などが無いように、
常に細心の注意を払って住所を決めてきたのですよ。
いつも。流動的に。
もう20年以上もほぼ乗換なしで。楽チン通勤で。
それがですね.......今は家族もいて、お家もあるので
「ビル変わったよーーーーん。よろしこーーーっ♡」
なんて言われても、
そんなお気軽、お身軽にお引越しなどは出来なくてですね......



乗換発生ですよ!(=゜ω゜)ノ



ふかーーーーい地下鉄の乗換駅ワールドで、
天にも昇るホド上のほーへ行ったり降りたりする感じなんですよ!
ビルに入っても、
途中のフロアでエレベーターを乗り換えしなければいけないんですよ!
大惨事で。・゜・(ノД`)・゜・。



でもね、
愚痴じゃないですよ!(=゜ω゜)ノ



「独り言 at goo! blog」
ですよ。
あくまで。ええ。



会社に行く経路も気分によって二つ選べるようになったし。
片方の経路は降りたホームで乗換楽チン!だし。
新しい沿線の街を途中下車してパトロールしたりも出来るし。
個人的にはちょっと「縁」のありそうな街もあるし。
ビル周りの駐車場事情も良好だし。
新しいオフィスも高層階で、
なんだかニューヨークの最新のビルのソレみたいだし。
都心を広く見渡せる夜景も綺麗だし。
ウォール街風のファッションでもしちゃおうか!?
みたいな勘違いもしそうだし。
足下すくわれそうだし。
オイラなんか全くの場違い人だし。

この前はバイク便さんと間違えられて、
警備員さんに業務用エレベーターを案内されちゃうし。

でも、
僕らの業界とはうってかわった異業種の正統派ビジネスマン!
さんやOLさん達も沢山いるし♪(=´∀`)人(´∀`=)イエーイ

なんてったって!

ファミリーマートのアイスカフェラテという
奥の手を発見しましたし(=゜ω゜)ノ
タリーズと使い分けできるし。

まぁ、「無変化」や「停滞」ほど恐ろしいモノは無いですしね。
変化あっての人生の楽しさで。

世界は常に流転してますし。

可愛いおねぇさんは常に去って行きますし ( p′︵‵。)くぅぅ

自宅裏の土手や公園の整備もつい最近、やっと完成して。
待望のご近所シネコン!さんも、
もう少しでオープンしちゃいますしヽ(*´∀`)ノ ワクワク

仕事もソレ以外も、
しばらくは楽しく過ごせそうでございまふ。



とにかく!
ツタヤカードと診察券は間違えないでね!(=゜ω゜)ノ
笑われちゃうよ!



先日「親知らず」を抜いた優しい歯医者さんに、
何やら「治療プラン」なるものを作られて。
スウェーデンの歯科事情の先進性を説明されて。
これから少し通う流れになってきて.......
ハッキリした虫歯さんは無いのですが......
もしかして!?
罠にハマったのか!?(; ̄ェ ̄)アチキ......


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キング

2014-08-26 20:51:13 | 感謝...映画/音楽/珈琲
笑っているのに、泣いているようにも見えて。
泣いているのに、微笑んでいるようにも見えて。



「泣くコトと笑うコトって......
もしかしたら何か共通するものがあるのかな.....!?」



「ロビン・ウィリアムズ=Robin Williams」さんの演技を見ていると、
僕は時たまそんなコトを考えさせられました。

悲しみの中にある希望。
喜びの中にある寂しさ。

いつもそんな繊細なニュアンスを感じさせられていた俳優さんです。
出演作はどれもこれも皆素晴らしい作品で、
そんな作品に沢山巡り会える俳優としての「徳」みたいなものも含めて、
僕のとても好きな役者さんでした。



少し前に、
そんな敬愛する彼がこの世を去ったというニュースが流れてきました。



なんだか......
日本で言えば「寅さん」シリーズの
渥美清さんが亡くなった時のような......
そんな感覚に近い気持ちや、寂しさが込み上げてきました。
トラさんもコメディータッチの所があったし、
ロビンさんも元々コメディアンでもあったし。
そんな部分もあって、
僕の中に似た感じのイメージが作られていたのでしょうか......



彼のいない世界がちょっと寂しいです。



彼が出演していた数々の名作の中で、
僕がDVDパッケージで大切に持っている作品はこの一本だけです。



「フィッシャー・キング= The Fisher King」
クレジットには1991年のアメリカ映画......とあります。
ニュー・ヨークを舞台にした映画で、
僕がとても大切に思う作品の一つ。
監督はロビン同様これまた最高に好きな
「テリー・ギリアム=Terry Gilliam」さん。
主人公は自暴自棄に生きているジャック。
物語は彼のこんな問いかけから展開していきます。



「時々、天罰が下ってると感じることがあるかい?」



そんなふうに思いながら暮らしているジャックの友人として
ロビン・ウィリアムス扮する「パリー」が登場して来ます。

パリーは世間一般からは外れ、疎まれているホームレス。
路上やボイラー室で暮らしていて、
いつも喜怒哀楽を所構わずそのまま表していて、
心奥に刻まれた「アル」狂気やトラウマとも戦いながら生きています。
叫び声を上げながら町中を走り回る様なこともしばしば。
精神病院に入れられてしまったこともあります。
でも実は、元大学教授であったりもします。

そんな複雑怪奇な人物を見事に演じるロビン。

そんなロビン扮するパリーはある日の夜、
セントラル・パークの芝生の上に一糸まとわぬ素っ裸で寝転がって、
月を見上げながら
横にいるジャックにこんな話しをします。



「フィッシャー・キングの話しを知ってるかい?」



パリーは話しを続けます。



「キングは子供の頃肝試しで森で一夜を過ごしたんだ。
夜に一人で眠っていると枕元に精霊が立って、
突然神の慈悲の象徴である聖杯が炎の中から現れた。
そしてこんな声が聞こえたんだ......

“人の傷を癒す聖杯をおまえに託す”

でもその時の王子が抱いていたのは
権力と栄光と美を手にすることで、
そしてその時は自分がタダの少年ではなく、
神に近い不死身な人間に成った様な気もして、
聖杯を我が手にしようと炎の中に手を伸ばしてみた......
すると、聖杯は忽然と消えて、
手には酷い火傷を負ってしまったんだ。

そして、
王子が成長するにつれその傷はどんどんと悪化していって、
その苦しみで彼はある日から、自分が何故生きているのか?
......などと考え出した。
自分はこれまでずっと他人も自分も信じられずに生きてきて、
人から愛し、愛されるようなことも無かった。
そんな苦悩の中で彼は絶望し、
城の中で死の床に伏してしまったんだ。

ある日、気のいい馬鹿者が一人城に迷い込んできて、
相手が王とは知らず、
一人もがき苦しんでいる男を見つけて声をかけた。

“ いったいどうなさりました!? ”

王はその時
“水をくれ。喉が焼けるようなんだ。。”
と答えた。

男はちょうど側にあった杯に水を入れて王に差し出した。
その水を飲んだ王は痛みが和らいでいくのを感じていた。
そして、フト、手にした杯を見ると、
なんとそれは長年王が探し求めていた聖杯だったんだ。
王はその男に訪ねた。

“誰も探せなかったモノを何故!?おまえが探し出せたのだ!?”

バカな男は答えた。

“そんなことはわからない.....俺はただ......
ただ、あなたが喉が渇いているのだと思って。。。”

――――――どうだい?
とても美しい話しだろ?」



この映画のタイトルでもあるこの話しにはいったい
どんな意味が込められているのでしょうか......
また、あるシーンでは、
ホームレスのパリーはこんなことも言っていました。



「時々、ゴミの中にも美しいものがある。」



どのシーンでもパリー演じるロビンの何とも言えない表情が
台詞を宝物のように輝かせます。



人を幸せにすると自分も幸せになれる。
そして、人を幸せにするコトというのは、
いつもホンの些細なことだったりするんだ。
それは、いつも、自分も相手も、
誰も気づかないくらい然りげないことだったりするんだ。



パリーはずっと、
スクリーンからそんなことを投げかけて来ます。
それはロビン・ウイリアムスが扮するパリーでなければ
とても表現出来ないであろう繊細さで。

物語の中盤では、
そんな繊細なるパリーが恋をしてしまった女の子に
想いを告白するシーンもあります。
やはりロビン独特の切ないのか?嬉しいのか?
なんともいえない感じでの告白シーンなのですが、
このシーンで僕は一つ気づいたことがありました。


「慈しむ」


喜びにも、悲しみにも。
泣き顔にも、笑顔にも。
そんな相反しそうなモノ達の共通土台と成りえるものとして、
そんな言葉が思い浮かびました。
その土台がしっかりと、
何よりも強固に有るからドチラの感覚にも見えるのだろうか......と。

いつくしむこと。
慈愛。

もしかしたら、
パリーを演じるロビン・ウイリアムズという人の心には
「慈愛」というものが、夏の日に咲き誇る広大なひまわり畑の様に
いつも広がっていたのではないか......と。
このシーンで、僕はそんな事を思いました。

恋する相手の全てを認め、受け入れ、なお、一層愛する。
そんなパリーの恋は「深い慈しみ」のようなものでもあって、
そんなどこまでも純粋で美しい告白シーンに
僕はいつも胸を打たれてしまうのです。



「君は昼休みに回転ドアから上手く出られずに、
毎日毎日いつもドアから一度押し戻される。

君は気分がいいと必ずブックスタンドによって本を買ってしまう。

君は水曜日には決まって中華料理屋でランチを食べる。

仕事に戻る途中ではいつもキャンディーを買う。

仕事にはうんざりしていて、友達は少ない。

動作がぶきっちょで時々そんな自分に腹を立てる。

時々酷く孤独に落ち込むこともあって.......

......僕は君が好きだ。

I Love You。

君は誰よりも素晴らしい女性だ」



いつも大きな慈愛に満ちていた、
敬愛するロビンの冥福を祈りたいと思います。


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デジデリオ

2014-08-22 00:52:33 | 不思議
そして、もう一方の「デジデリオ ~前世への冒険~」は、
そんな佐藤愛子さんの作品とはうって変わってとてもポップな感じ。
共通点は、どちらも作者が人生の長い時間を費やして探求した、
自身の出生の秘密を巡る真実の物語であるということ。




———————前回と、前々回からの続きのお話となります(^^)
今回は「デジデリオ ~前世への冒険~」という本の方の話———————



この本の作者で、
物語の主人公でもある森下典子さんは雑誌のライターさん。
彼女はある日「家庭画報」という雑誌の企画で

「前世が見える。。。」

と、とても評判になっていた京都のとある女性に会い、

「自分の前世を透視してもらい、その結果を記事にする」

という仕事を引き受けます。
何故?
その企画のライターとして彼女が選ばれたのか?というと、
彼女がルポやリアルエッセーを手掛けていたバリバリの
「リアリスト」だったから。
今回の特集は魂やら霊やらをマッタク信じない彼女をあてた方が、
もしかしたら面白いのではないか......と、
編集部がそんなふうに考えたからでした。
あやふやな世界が大っ嫌いな森下さんは、
最初にこの話を聞かされた時、

「前世が見えるだなんて......
どうせ根も葉もない作り話を聞く事になるのはわかっている」

「そういう人たちは結局、思い込みが激しいか、
あるいは、他人の注目を浴びたくて、意識的にせよ無意識にせよ、
嘘をついているのだと思っている......」

などと考えつつ、でも、仕事でもあるし。
少々の葛藤を抱きながらも、
半分は好奇心でこの仕事を引き受けることにしました。
そうして向かった京都で、普段は空間デザイナーをしているという、
その不思議な能力を持った女性に森下さんはこんな事を言われます......



「......1430年、
あなたはポルトガルのポルトという海に近い街で生まれた。
名前はデジデリオ。
女の子のような奇麗な顔をした、華奢な少年だった......」



そして、森下さんはこんな事を考えました。



「前世が見えるなんて、どうしても信じられないのだ。
何かカラクリがあるはずだった。
こうなったらこそこそせずに、真っ向から疑おうと思った。
作り話ならば、必ず何処かに矛盾があるはずだ。
そして、本当に真実ならば、やはりその証拠が見たい」



こうして、数年間に渡り、
海外と日本とを幾度も行き来する
森下さんの真実探求の旅が始まりました。
最高に面白い!旅の始まりです。
作品はドキュメンタリーでありながらも、
とても良く出来たミステリー小説の様な物語と仕上がり。
雑誌のライターさんならではの文章の読みやすさ。
数年前にはNHK-BSでドラマにもなりました。



僕が「私の遺言」と「デジデリオ ~前世への冒険~」
の2冊をとても気に入っている理由は、
その物語の終わり方にあります。
実は、どちらも明確な結論は書かれていません。
というか、書きようが無い状態にまで進み収束していきます。
僕はソコにこの二つの物語の真実味と崇高さを見いだしているのです。



魂はあるのか?

輪廻転生はあるのか?

ないのか。



この2冊の本が語りかけて来る結論は
「そのドチラでもない」
ということ。
それは僕の個人的な解釈と同じでもあり、
毎日の現実生活の中で感じている実感でもあります。



魂はあると思っています。

転生も有ると思っています。

ただ、マッタク同じ魂、
同じ形で産まれ来ることは無いように思います。

僕は魂の輪廻をそんなふうに理解しています。



万物は全て量子(素粒子)と呼ばれる恐ろしく小さなモノから出来ています。
魂?の様なものを構成している素材成分を、仮に、
そんな微細なるものとして。
それをまた仮に「100」と表し。
その「100」の中で一番多くの割合を占める
「目立つ要素、モノ」だけを取り立てて
「前世の魂」と呼んでいるように思えてもいます。

もしかしたら、
そんな最も多くの割合を占める素材でも、
大抵は全体の「20」ぐらいしか無いのかも!?
しれません。

もしそうだとしたら、
その他諸々の沢山の素材種類が寄り集まって占められる
「80」の割合の方が、
全体の「100」に与える影響は大きい、
ということにもなるハズです。

魂も細かく分ける事が出来る......ということです。

実際、そんな事を伝えるためなのか!?なんなのか、
伊勢神宮出雲大社などでは祭神の魂はい幾つかに分けて祀られていたりします。
和魂(ニギミタマ)、荒魂(アラミタマ)、
奇魂(クシミタマ)、幸魂(サキミタマ)......
魂の構造がもしそんな形だとしたならば、
現在の魂が前世の魂と「マッタク同じ」というようなことはマズ無くて。
過去に生きていた時の魂にしても、
また同じことが当てはまるとも言えます。



全ての魂は皆、
その構成要素が毎回、
何処か少しづつ違っているということ。



「100」の割合だけでなく、
構成素材の種類も含めて毎回違っているのであれば、
魂は全て唯一無二のモノであり、
毎回「初めての魂」とも言うことが出来ます。
そんな初めての魂の形で過ごすライフであれば、
当然それも、毎回「最初で最後」のモノとなるはずです。

「新しい」とは、
時に複数の違う要素やモノが集まり、纏められ、
違うものとして仕上げられ、
捉えられていくことであったりもします。
そもそも、世に「新しい」と言われるモノの殆ど全てが
そんな構造になっているのではないでしょうか。
だから構成要素の一つ一つを理解している、知っている、
というような人の場合は、
その構造がわかってしまう故に、いくら周りが

「新しい」

と言っていても、
そこまでの新しいものにはナカナカ見えてこない......という、
そんな経験を持っている人も沢山居ると思います。
音楽でも「新しい」と言われるものは、
実は殆どそんな構造であったりします。



魂の様なものが有るとして、
その構造はそんな感じのように思えています。



転生の秘密とはそんなコトのように思えています。



だから、
毎回新しいけど、新しくはない。
繰り返すけど、繰り返さない。



魂の存在や転生の答えは、
有と非有の間にあって、
有でも非有でもない。



考えても仕方が無い。
その答えには何かの意味はあるかもしれないけれど、
人生を変える大きな力など無い。



色々な巡りの上で新たに組まれた魂の組織成分。
転生を繰り返してはいるものの、
常に一度きりとなるその魂の道のりは、
新鮮さと最善を尽くす思いで歩むより他は無い。




昔、瞳の大きな少女が語ってくれたお話と、
この二冊の本に記されている真実の物語とが
僕に語りかけて来ることとは、
実はそんなコトのように思えているのです。



大好きなハワイ、オアフ島のノース・ショア。
こんな所に佇んでいると、
海、風、雲、山、水、空気、大地、地球、月、太陽......
偉大なるものは多くの存在に広く、
普く(あまねく)分け与えられている様に思えます。
もしかしたら、人間に関しても、
偉大なモノゴトを成したり与えたり出来たような人は、
この世界から去った後、その魂は広く、普く、
多くの人々の魂の中に、
細々(こまごま)と分かれて入り込んでいくのではないか?と、
そんな風に感じたりもします。

キリストや仏陀も。
日本やギリシャやエジプトやロシア、南米、北米などの神々も。
偉大であった魂達は、
その後産まれる全ての人々の魂の中に、
小さなカケラとして、分かれて入り込んでいるのではないか......
そんなふうに感じる時があります。

僕等が持っている愛や情、仁、義、礼、智......
もしかしたらそんなものも、
生命が長きに渡り育んで来た偉大なる魂の一部なのかも?
しれません。
DNAにはそんなものも書き込まれているのかもしれません。

僕等は皆、そんな仕組みで、
偉大なる魂のカケラを......神を......
宿している存在なのかもしれないな、と、
僕は思っていたりもするのです。



僕の前世に深く関わる!???
京都、清水寺。



ココに行くといつも不思議なことが!?
起ったりなんかして。ね。(ー`´ー)うーん。。


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あの人の遺言

2014-08-18 23:34:44 | 不思議
次回は!
今日の記事の補足的お話を少し記しておこうかと思っています。




......と前回記していたので、
今回の記事はその補足的なお話となります(^_^)



「生まれ変わりって本当にあるんですかね。。!?」



なんて、たまに興味津々で飲み会の話題に登ったりも!?
しますが、前回記したような
「明確な前世の記憶」
を持っているような人も実は沢山いたりして......でも、
そんな経験や友達が見当たらないような人や、
強固な現実論者さんなどは、そんな話しは
「とても胡散臭い」
とも思えていて。
それは今のところ科学的に証明のしようがない話しでもあるし、
説明するのも難しいし......
輪廻転生を信じているような人でも明確な確信や確証が有るわけでも無いし......



やっぱり転生なんて無いな!

でも!?

いや!

どっちなんだろ。。!?

好奇心としてわ......



そんな話題になった時や、
そんな質問をけっこう真面目にされた時に、
僕は決まってこんな話をします。



「......そうだよねぇ、、、
俺の様な普通の人間がそんな話しをとやかく語るよりは、
先ずはこの2冊の本を読んでみたらっ!?
と、そう思う2冊があるんだけど。
その2冊の本の中に転生の真実と......それと、
現実的な答えも詰まっているような気もするんだよね。」



そして、



「読み終わったらさ、その後でもう一回この話ししない!?
その時はさ、かなり面白い会話になるハズだよん。
きっと。よーん。( ̄ー+ ̄)ニヤリ」



そんな会話に登場する
「輪廻転生」に関する興味深い2冊の本というのは、
一つが、この佐藤愛子さんの記した「私の遺言」という本と......



これ......
「デジデリオ ~前世への冒険~」
著作は森下典子さん(^^)



既にドチラも文庫版になっていて、
中古を含め、とても安く手に入ると思います。
そして、ドチラもまごうこと無き「ノンフィクション」の傑作。
ハッキリ言って!
面白いです♪(*´з`)タマラン!
読み出したら間違いなく!一気読み!になると思います。
確実に引き込まれるかと。ええ。
個人的にはマニアック系ドキュメンタリーの傑作!
だと思っています。(●´艸`)ムフフ.。oO



「私の遺言」の方の著者は佐藤愛子さん。
現在は90才。
もう、この方、直木賞を始め数々の賞にも輝いていますし、
その作品の数々はテレビドラマなどにもなっています。
「血脈」などの有名傑作は勿論、
他にも沢山の名作を発表して来た言わずと知れたベストセラー作家さん。
リアリストとしての評価も高い彼女の作風は、
厳しい現実社会や人々の人生を生々しく描く様なものがほとんど。
そんな社会的名声も確立している有名大作家さんが何故!?
その名声と正反対にあるとしか思えないインチキ臭い!?
転生にまつわるような作品とか書いちゃってるの!?
と、この本を最初に手にした時はとても不思議に思いましたが、
その答えは本人が記した「まえがき」にありました。



「———————私がコレから書くことは、私のこの世への遺言である。
いろいろお気に障ることもあるだろうが、遺言だと思って読んで頂きたい。
遺言なんてものは身内、子孫に遺す言葉であって
濫(みだ)りに公表する必要は無いといわれるかもしれないが、
私は公表したいのだ。
公表せずにはいられない気持ちでいっぱいなのである。

(中略)

私は識者ではない。
単純に考え、慎重に素朴に力を振って生きて来ただけの人間である。
私に自慢出来ることがあるとすれば、
力いっぱい真面目に(といっても私なりにだが)生きたということだけだ。

友人は私を奇女変人だという。
別の友人は頑迷固陋(がんめいころう)だという。
私はいつもこの世の中と調和出来ず世間との隙間に苛立ち、
その隙間を埋めたくてよく怒り、ますます隙間を大きくした。

隙間の大きいまま、
私は私の作家生活の最後に私の考えを披瀝しようと決心した。
これから書くことは私がこれ迄生きて来た七十年のうちの、
その三分の一に当たる年月の経験によって得た知識である。
黙って死んでいけばいいものをやっぱりいわずにいられないのは、
それが今この国に漂っている不安と不満を拭うための
一つの示唆になってくれればと思うからである—————————」



この後、この本には、
彼女が北海道に山荘を建てたことから始まる
異様な実話が展開されていきます。
それは30年もの長き年月に及ぶ壮絶な物語で。
地位と名声を手にしていた大作家の舞台裏で綿々と綴られていた驚きの物語。

少し前に、近年のパワースポットブームを決定づけた
「オーラの泉」
という人気TV番組がありましたが。
そのメインキャストであった美輪明宏さんや江原啓之さんの
若き日の姿もこの中に出て来ます。
アノ番組を企画した人は......
多分この小説を読んでいたのではないでしょうか!?そうでなければ、
あの二人を結びつけてキャスティングするような事は
ナカナカ思いつかなかったと思います。
この本を読んでいた僕は......イヤ......この本を読んでいた全ての人は、
きっと、あの番組のキャストを見た時には心底驚いたと思います。
本の中には、
神社で修行していた頃の江原さんと
美輪さんとの不可思議なる関係なども然りげなく、
興味深く描かれています。

個人的には稀代の能力者と語り継がれる
相曾誠治(あいそせいじ=相曽誠治)さんのお話し部分の方が
貴重でとてもインパクトがありましたが......
ただ、そんなことすらも、
とにかく激烈な佐藤さんの物語のホンの一部分でしか無く。
読み進めるにつれ「遺書」とタイトルされた意味も重みもズシン......と、
体の中に入って来ます。

そして、もう一方の
「デジデリオ ~前世を巡る旅~」
は、そんな佐藤愛子さんの作品とはうって変わってとてもポップな感じ。
共通点はどちらも作者が人生の長い時間を費やして探求した、
自身の出生の秘密を巡る真実の物語であるということ。

......ムムム、思ったよりちょっと長くなりそうなので、
「デジデリオ ~前世を巡る旅~」
のサワリの話しなどはまた次回に♪(^^)スミマセヌ



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少女の手

2014-08-14 17:26:26 | 初めに、タイトルの話
少女は深い闇の中で自分の手をマジマジと見つめてみました。
上から差し込むわずかな光に照らされて、
微かに見えた自分の小さな手は......
どうも......黒く見えます。



「その時の私は、
今の私よりちょっとだけ小さいくらいの歳だったと思う......
だから......13?4?......ぐらいの歳かな。。」



そう僕に話す彼女は「天才少女詩人」と呼ばれ、
世間から注目を集め出した15才の少女。
その時、彼女は高校1年生。
アーティスト名は「螢」。
僕等は彼女のCDブックレット用写真の撮影で訪れた、
広い撮影スタジオの片隅にある細長いテーブルを囲んで
話をしていました。

テーブルの上には撮影用の細かい機材がバラバラと並び。
他にはポテトチップスやチョコレート、
キャンディ、ビスケット......
色々なお菓子やコンビニのサンドイッチ、
おにぎりなども雑然と置かれていました。
スタジオのスタッフが煎れてくれる熱いコーヒーの入った
ステンレスシルバーの大きなポットも二つ。
そのポットの横には取っ手付きの黒いカップホルダーが
何かのタワーの様に沢山重ねられて置かれています。
それに挿して使う白いプラスチックのカップも
ホルダー同様に高く、
沢山積み重ねられて置かれていました。
僕らはその簡易型のコーヒーカップを組み立てて、
ポットの珈琲を注ぎ込み、
とてもリラックスしながら話をしていました。



神経の張り詰める写真撮影。
その合間のしばしの休憩。



僕と螢が話す、そのすぐ横には、
彼女が全幅の信頼を寄せるアートディレクターの
ちーさん(敏腕女性ディレクター、仮名)もいました。



「......なんとなく覚えてるのは、
ソコがとても深い井戸の底だったこと。
どうしてそんなトコロに落ちてしまったかはよくわからない。
誰かに落とされた様な気もするし、
自分で歩いていて落ちてしまったような気もするし......
よくわからない。
覚えているのは、とにかくそこに落ちて、
どうしていいかわからなくて、
体の半分ぐらい、腰のあたりまで水に漬かっていて......
冷たくて、寒くて、、真っ暗で、絶望的で、悲しくて......
そんな日がもう何日も何日も続いていて。
でも誰も助けに来てくれなくて。
私はこのままココで死ぬんだろうな......と思っていたの。
そんな感じでもう本当にどうしていいかわからず絶望してた。
そんな感じ。

それでね、深い井戸の底だから昼間も真っ暗なんだけど、
太陽が上の方に昇って来た時には少し明るくなるの。
光が射す時もあるの。
その時に私ちょっと自分の手を見たの。
その記憶はハッキリとあるの。
それでね、その手がね、真っ黒だったの。
それも覚えてるの。
私、黒人だったんだと思う。その時。
多分、アフリカとかケニアとか?
そんな辺りに住んでいた黒人の女の子だったと思う。
なんにもないところ。見渡す限り。
そんなところの。
それをよく覚えてるの」



彼女が僕とちーさんにしてくれたその不思議な話は、
自分の中にある「最古の記憶」の話し。
どーしてそんな会話になっていたのか?は、
忘れてしまいましたが、僕らはその時、
それぞれの中にある
「一番古い記憶って何よ?」
......という会話で盛り上がっていました。



「それで、私、死んじゃうの。そこで。」



「......ふーーん。。すげーな。
そんなこと覚えてんの!?マジで?
すげーな......」



「次に覚えてるのはお母さんのお腹の中。
私お母さんのお腹の中にいる時の記憶もけっこうあるの。
あまり人に話さ無いけど。
馬鹿だと思われるから。
でもあるの。
お母さんが聞いてた音楽も覚えてる。
お父さんと喧嘩してたことも」



「それも不思議だなぁー。
すげーなぁ。。」



「二人は信じるよね。わかるもん。。
それでね、なんとなくだけど......
黒人の女の子だった時と、
お母さんのお腹にいた時は繋がってる感じがしてるの。
うまく言えないけど。
そんな感じ」



「繋がってる、、、か、、、
今の螢とアフリカの螢を合わせると、
ちょうど俺らと同い年ぐらいやな。。
そっか、
それでオマエさんは老けてるわけだな!?
んん!?( ̄▽ ̄)そだろ!?ん!?」



螢が15歳にしては大人びているな......と感じていた部分が、
本人の話したこんな物語に起因しているのかどうか!?は、
当然分かりませんが。
いわゆる「輪廻転生=りんねてんせい」というものが、
もし本当にあるのなら、あり得ない話でもなく......
霊能者でもない僕らはその時、
大きな瞳の少女が話す物語をタダタダ興味深く聞いていました。
でも、なんとなく、僕は真実の話のように思えています。
勿論、今も。



お盆の季節です。
魂などというものが本当にあるのか?ないのか?
そんなことどちらでもいいよ.....というような人も含めて、
少なくとも現実に見えている世界では、
先祖の皆々様が彼方の世界から此方の世界に帰ってくる時期として、
このお盆というものが全国的に認知、
確立されているようにも思えています。
それは、ちょっと考えるとトテモ不思議なことなのですが、
実は多くの人々も魂というものの存在を心の奥深くでは認めている?
信じている?
感じている?
のではないかということの表れのようにも思えます。

考えてみるに、
最先端の脳科学でも未だ解明しきれない領域は確かにあって。
「お盆」という世俗的概念も含めて世界に広がる様々な宗教、
儀礼、祭事、神話、民話などの様子や概念等を見渡してみても、
人類が生まれてから今に至るまで一貫して変わらないコトの一つに、
実は、

「見えないものを信じている......」

ということもあるのではないか......という気もします。

「イヤイヤ、そんなもの信じてないよ......」

というような人でも、
愛や友情、信頼や根性!
恨みにツラミに奇跡や運命、幸運や悲運、偶然......
などと言ったコトに言及するような時、
実はそれも魂や霊、神様......
などと同様の「見えない世界」の話しでもあって。
それは不思議ちゃん噺(ばなし)と
さほど変わらないことのようにも思えます。
そして完全なる世界は、自然界は、
あまねく循環のシステムで回っている様にも思えます。
それが普通の様にも思えます。
マッタク同じもの、コト、
生命の誕生、出現の繰り返しなどは無いものとも感じていますが、
そんな部分も包括した魂の大いなる循環は、
当たり前で尊いシステムの様にも思えます。



このブログの一番最初の記事で
「タイトルの由来」
として記したのが、今回も触れた「螢=ほたる」と言う
アーティストにまつわる話しでした。

その時に思いもよらない沢山の反応をメール等でも頂いたので、
コメント欄ではついつい

「機会あればまた螢の話しを記しますね。
僕の手がけて来た中でも、
本当に色々面白い思い出があるアーティストですから......」


などと返してしまったのですが......
そんな返事もしてしまったし、ならば、
いい加減でめんどくさがり屋の自分のブログが「もし」続く!?
のであれば、初めての記事同様、
新たな年記のスタート毎に、
その軌跡の証石として

「彼女の思い出を少しづつ記す形が一番いいのかな......」

というふうに思っていました。
なので昨年、2年目に入った時に二つ目の記事を書いて、
今回が自分でもビックリ!の3年目に突入!の回ということで。
三つ目の記事とあいなりました。
内容は幾人かの方々から

「何故螢が大人びていたか?の話しが聞きたい。。」

というようなメッセージを頂いていたので、
今回はそれにまつわるお話としてみました。
話しが話しなので......
本人のコトも含め書くことに少しのためらいもありましたが......
最早むかーーし、むかし......の話しですし、
書く時期も遅らせて、
この「お盆」の時期であれば......!?
ナントナク書ける!?ような気がして......
ブログ2周年の日から僅かに遅れた時期とはなりましたが、
今回こうして記してみた次第です。



この「デジタル・ビデオテープ=DV」の中に、
この時の僕等の姿が収まっていると思います。
当時はマダこんなテープに!素材をストックしてました。
懐かしい(^^)

今日の記事に関してはリクエスト含め、
ブログ一番最初の記事からずっとお付き合いをしてくれている
「蓮華」さん「ながめ」さん。
それと「Monika」さんに、
ココに一言お礼を記させて頂きます。
ありがとうございます。



このブログのサブ・タイトルに偽りはありません。



......最後に。
「輪廻転生=リ・インカネーション=生まれ変わり!?」
等の話題が出る際に、
不可思議世界の諸々に「誤解」や「間違い」等が起らぬよう、
個人的に!
絶対に!
触れておきたいお話や書籍等があったりもするので、
次回は!
今日の記事の補足的お話を少し記しておこうかと思っています。

どか、今日の所はあしからず。

それぞれの世界観で。

あしからず。

また、お盆明けに。

(^^)オツカレマンボー



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せんせーい!

2014-08-10 00:13:28 | 凄い...映画/音楽/珈琲
さっき、
10数年ぶりに苦手意識満々で歯医者さんに行って来たのですね。
そりゃもう決死の思いで。
ズキズキ痛みだした左下最奥にある「親知らず」さんを抜きに。

歯医者さんは子供の頃にトンでもなくヤブイ!?
人に当たってしまったことがありまして。
血だらけ&頭蓋骨にまで響きまくるイタターーイ!
治療をされまくってしまい。
そんな少年の日の記憶が今だ強烈なトラウマとなって
僕の脳裏に刻まれていて......
僕にとっては、
歯医者さんというのは、
出来ることなら

「行きたくないスポットナンバーワン!」

なわけなのです。
アノ夏の日の、
仰向けになって治療を受けている僕の眼前に迫り来る
悪魔のような歯医者様の顔と、

「あれ!?あれ?、なんだ、、これ。。
深いな、、抜けねーナ、、なんだ、これ!?」

という地獄から響いて来る囁き声が、
「歯医者」などと聞いた瞬間!
頭に蘇って来るのです......

「ア、、ガ、、ウグッ、、」

という声しか出せない幼き日の僕ちん。
そんな状態で......2本もの歯をぉぉ......ぉぉ...(´∩`。)グスン

「君は丈夫でイイ歯をしてるから毎回大変だな。
根が深くてなー......
ナカナカ難しいやなー。。」

という、
他人事の境地に漂う無慈悲なる言葉も
少年の心に深く刻まれたのです。



歯医者こわぁぁーーーーーーーーーーーい!。・゜・(ノД`)・゜・。



歯医者なんか大っきらららぁぁぁーーーーーーーーーーい!



ぜったいに行くもんかぁぁぁーーーーーーっ!(T ^ T)



......しかしながら、その後、社会人になって。
上の歯の一番奥に生えている、
イワユル「親知らず」と呼ばれるヤツらが痛みだし。
悪夢の少年時代以来、人生2回目となる、
何十年ぶりに訪れざるをえなくなった歯医者さんで

折角だから、二度と此処に来ない様に、
虫歯があったら片っ端から直したって下さい!


なんていうことはあったのですが。
その時の無愛想で敏腕な中年男性歯科医さんに言われたことというのが......



「、、、うーん、、、
上も下も一番奥のオヤシラズが全て虫歯なんだけどな。
ココは歯ブラシも届かないトコロだからなぁ。。
基本使わない歯だし。
普通はコレ治療より抜いといた方がいいんだけどさ.....どする?
抜くのがオススメだけど。
上の歯の治療だけして、下の親不知の方は今回は様子見とく!?
ん?どする?」



「勿論!様子見で!(=゜ω゜)ノ ソクトウ!」



以来、ずっと様子をみていたソノ親知らずさんが、
一昨日からなんだかとても痛みだし。
人生3回目の歯医者さんに今日駆け込んだという次第なのであります。
最早「清水の舞台」から飛び降りざるをえなかったのであります。
ビビりまくりの縮み上がりまくり。
森三中のバンジージャンプなのでございます。
パンツに一滴のシミなのでございます。(TωT)ウルウル



で、診察をしてもらったら、案の定、
以前に指摘されていた下の親不知の虫歯が悪化していて。
必要以上に選びに選んだ歯医者さんの、
若くて優しげで信頼感もタップリコの男性歯科医先生に迷わず
「抜きましょう」
と言われ。
イザ!
決死の覚悟で抜いたのですが......



な、、なにぃ!?


い、い、、、いたくなぁぁーーーーーーーーい!((((;゜Д゜)))))))


ま、マジっすか!?


もう終わったんすか?


ぬ、抜けたんすか?


今抜けたんすか!?


イマっすか!?


マジっすか!?



......いやぁ......
誠に遅ればせながら、
最近の歯科医術の進歩には驚愕してしまひまひた。



「イ、、イタクなかったですぅ・・(*ノω゜)ゝ」



「最近はコレで普通ですよ。
なるべく痛まないように治療できますから。(^_^)」



「せ、せんせぇぇぇーーーーーーーーーーーーーい!ヽ(;▽;)ノ
あんたすごいよぉぉぉーーーーーーーっ!
ついてくっすぅぅーーーっ!」



そんな歯医者さんの進歩に時代遅れの衝撃を覚えた
古いタイプのダメ人間な僕様。
痛み止めもしっかりもらって。
抜歯して一針縫った後でも食事は大丈夫のようで。
コーヒー飲んでもいいみたいで。。(=´∀`)人(´∀`=)
じゃあってんで、一安心して。
「ナスの辛味噌炒め弁当」なんか買いこんで。
なんだか晴れやかな気分だったりするし。
調子こいて、
とっておきの新しいコーヒーを開けてみようかと思い立ったりもして。

いつもなら、
愛してやまない「コナ珈琲」の選択を、
ちょっと角度を変えて。
とっておきの「カウ珈琲」なんぞを冷凍庫から卸してみたりして。(^ω^)
美味しく煎れて。
飲みながら、

「見たかったDVDでもユターリとみてみよぉーーっ♪」

なんて思ったりして。
それわそれわ、今更ですが、
最近の歯医者さんわスゲェェェーーーーーーーっス!♪( ´▽`)



今日卸した「カウ・コーヒー=Ka'u Coffee」さん(^^)
カウの中では一番メジャーな

「アイカネ農園(AIKANE PLANTATION)」

の珈琲さん。
カウのメジャー化に一番貢献した珈琲かも知れません。
味は勿論、紫のパッケージがとても気に入ってます。
珈琲の世界もお酒等と一緒で産地によって名乗れる名前が決まっています。
ハワイの高品質珈琲の代名詞でもある「コナ」は、当然、
「ハワイ本島=ビッグアイランド」のコナ地区でとれる豆以外には
名称使用出来ません。

カウ地区というのは、
そのコナ地区に隣り合わせの場所にあるハワイ島最南端、東斜面の地域。
その場所も味も含めてコナとまったく同じもの......
と言っても何の問題も無いように思えるモノなのですが、
厳密に味わってみるとヤッパリ、
不思議と味の個性がコナとは「少し」違っています。
軽さが愛おしい!?コナよりはワズカに重い感じ。
味の「ボディ」が強い感じ。
以前記したアフリカン・ビーンズの個性が少し混じっているような感じでしょうか。

南から西にかけての斜面に広がるコナ地区と、
東から南にかけての斜面に広がるカウ地区との土地の在り様の違いと、
アフリカンとカウの共通点を合わせて考えてみると、多分、
珈琲の「ボディー=味の濃密さ=コク」には
「風」もかなりの影響を与えているのかなぁ......と思います。
やっぱり。
風に多く吹かれると豆の味は軽やかになっていく傾向にあると言うか、
そんな感じ。
実際コナ、カウの両地に佇んでみてもカウ地区よりコナ地区の方が
数段風当たりや空気の抜けが強い様に思えますし。
ハワイの豆より味に濃密さが有るアフリカやインドネシアの珈琲
ハワイ島よりは吹き抜ける風の軽さも量も少ないように思いますし。
多分そういうことかもしれません。
苦みや酸味等は地質や日照時間やらナンヤラカンヤラ......と、
また別の影響要素もあるとしてですが。

僕は重々しい味より口当たりの良さと軽さに重きを置くタイプなので
そんなカウよりもやはりコナの味の方が好きではありますが、
カウ独特の軽さに混じる濃密さも素晴らしく良いものだと思います。

なんにせよ、
カウもコナ同様にハワイ島の風と海と大地を感じられる軽さと香りで。
その対極にある味の濃密さもバランスよく高次元で成立している
美味しい珈琲だと思っています。
抜歯の後にも優しい味なのですなぁ(^^)オコノミオコノミ
今度歯医者の先生にも飲ませてあげたいですなぁ。


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新価値創造

2014-08-06 02:54:48 | 勇気
誰もが知る大手製薬メーカーの管理職だったTさんは、
数年前に僕が働くエンターテイメント会社に転職して来ました。

エンターテイメントを基軸とする僕等の会社......業種は、
言ってみれば「水商売!?」の様なもので、
それも全国民、全世界に向けた大規模な水商売。
浮きも沈みも激しくて商品やコンテンツの入れ替わりも激しい。
確固たる経営基盤も有るようで、実は無くて。
流行りも廃りもつくり出すけれど、流行り廃りの影響も受けやすい。
投資家などからしたら最も慎重になってしまうような、
何かと判断が難しい業種。業態。
もう毎日、一分一秒が生き残りをかけた戦争。戦場。
イワユル「生き馬の目を抜く」ような世界。
ちょと言い過ぎ!?か。でも、遠からず。

大手製薬会社とは真反対の概念の中にある、
そんな業種世界に転職して来たTさん。
前職でのキャリアも長く、カナリの上役でもあったハズ。
それなりの安定した収入もあって、
二人の子供もいて家庭も含めて安心出来る環境だったはず。
「それなのになんで転職なぞをぉぉ?」
と、数人の親しい仲間で集まった昨夜の食事会で聞いてみると......



「昔タップダンスをしていたことがあったんですよ。
それでそんな世界にずっと興味と憧れがあったのと、、
あと、奥さんも理解してくれて、
後押しもしてくれたから......」



と。



「確かに前の会社で働いている時は生活も安定していて、
収入にも満足していて。
このままの環境でいる方が安心だ......
というのは誰よりも奥さんがそう思っていたんだけど、
それでも俺が転職の相談をした時には
“自分の思うことを自由にすればいいよ”
と言ってくれて。
それで踏ん切りもついて思いきって転職したんですよ。
明日死んでも後悔しない様に」



そんなTさんはウチの会社に来てからはカナリの苦労をしていました。
マッタク勝手の違う世界に有る程度の年齢で来たワケですから......
それは本当に大変だったと思います。



「新設の予備的なセクションに入ったもんだから
経費もマッタク認められなくて。
入社して最初の一年間は携帯電話代も出してもらえなかったんですよ」



僕は初めて聞く自分の会社の別セクションの実態にちょっと驚きながらも、
そのまま話しを聞きました。



「......それで、、それでも早く実績を出して、
皆に認めてもらおうとも思っていたから、
入社してからは人脈作りや営業やらで食事会や飲み会も沢山あって。
それで、経費を提出しても実績が無いから、、、
という理由で認めてもらえず突き返されるし、もう半分ヤケで。
プライドなんかもあったから
前の会社の退職金を全てそんな経費に回しちゃってたんです......
そんな生活を一年して、
で気がついたら退職金も貯金もあっという間に無くなっていて。
それでも上司からは
“実績が出ていないから経費は認められない”
と言われ続けていて......前はね、自分が可否を出す方だったのに......
セクション的に接待的なことが多かったので
先方にお金を出させるわけにもいかなかったんですよ。
しかも付き合いには重役、社長クラスが多かったし。
お店の値段が半端無いの。毎度。
2年目からはアクセサリーとか家財道具とか、
お金に換えられそうなものは皆お金に換えていたんです。
自分には仕事人としてのプライドもあったし。
それでなんとかお付き合いをしていたんですよ。アチコチと......」



「......そんなセクションだったの!?
信じられん......同じ会社で。。
俺知らなかった。
それさ、家とか!?大丈夫だったの?」



「奥さんはずっと何も言わないで付合ってくれてました。
今はドン底でキツい時だから......ごめんね。。と。
俺はそう言うしかなかったのですけど、
奥さんは何も言わずに製薬会社時代とはマッタク違うキツイ生活に
何の文句も言わず付合ってくれてました」



実はつい最近も彼は会社でかなり辛いことがあって、
それはハタから見るに彼が「悪い」というような事では決して無いのですが、
彼は会社を辞める、辞めない、、としばらく深く思い悩んでいました。
それでも「辞めない」という判断をしたのは、
これまでして来た色々な思いや我慢。仕事人としての誇り。
私的な貯金をハタイテ迄して築き上げてきた人脈と大きなプロジェクトも
最近やっと順調に進みだしたからでした。
「ここで辞めるわけにはいかない......」
と。そんなことがTさんに辞職を思いとどまらせた理由でした。
「苦労をかけた家族にもやっと恩返しが出来るハズだから......」
と。Tさんはそんなふうに考えたそうです。



「最後には家で売れるようなものも無くなっちゃって。
それで、今思うとその頃がドン底だったような気はするけど、、
外食なんてもう殆ど出来なくなっていて。
家でもあまり美味しいものは家族に食べさせられていなくて。
それでも、タマには外食を......と、子供達を連れて......
その時は松屋に行ったんですよ。
でね、久々の外食で、ファミレスでもなく、
牛丼を食べさせたんです。家族に。一人400円ぐらいです」



「......うん。。」



「それでその時、小さい子供達が、
牛丼食べながら俺にこう言ったんですよ。
牛丼美味しいね!とても美味しい!って。
奥さんがそれ見て笑ってて。
俺ね、、ソレで、、初めて家族の前で泣いちゃって。。
ごめん。。って気持ちがあふれて来て。。
松屋で泣いちゃったんですよ。」



「。。。」



「その時の気持ちが今の俺を支えてるんですよね。
ソレ迄が恵まれすぎていたとは思うけど、
自分のワガママで家族に辛い思いをさせちゃって。
でも、それで色んなこと学べたしね。
感謝してるんですよ。今は。
そんな事にも。マジで。」



上を見ても下を見てもキリがなく、
世界にはこの瞬間も生きるか死ぬか
空腹や病気、戦争災害に苦しんでいる人が沢山いるのだと思います。
不自由な体で懸命に生きる人も
お金に困って途方に暮れている様な人も、
きっと沢山いると思います。
経済的には裕福でも、家族や親族、時に家系や社会的に
大きな問題を抱えながら生きている様な人も沢山いると思います。
それでも、
どんな人もソレゾレの環境の中でソレゾレの力を精一杯働かせて、
ソレゾレの器に入れられるイッパイイッパイの水を
毎日溢れんばかりに注ぎ込んで生きている

ということに関してはアマリ変らないのではないかな......と思います。
ソレゾレの環境と状況と人生を、
ソレゾレがソレゾレの持ち得ている力と懸命さでもって生きているということです。
その一点に関しては平等だと思えるということです。



明日はTさんのために、
京都のとあるクライアントさんの所へ行ってこようかと思っています。
Tさんの仕事をより大きなものとするためにも僕は明日、
自分に出来るだけのことをしっかりとやってこようと思っています。



そのクライアントさんに明日持ち込むプレゼンシート。
通常のシート資料とは別にエンタメ会社の企画書らしく一風変わった
京都らしい「絵巻物」にしてみました。
「お土産」的に。

タイトルは「新価値創造」

Tさんや自分達のチームのためにも。
大好きな京の都のためにも。
必ず、新たな価値を創造したく思います。

我々は、
あまりに「ちゃらんぽらん」ではありますが、
生き馬の目を抜く世界に生きる人間でございます。

あまりに「馬鹿者」ではありますが、
ただの馬鹿にならぬよう、
日々頑張っている次第でございます。


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大人ってなんでしょう?

2014-08-02 19:22:29 | 願い
絵の勉強でもしていない限り、
自分の肖像画を書くことなんてそうそうは無いと思います。

仮にそんな肖像画を描き出したとしても、
自分が見たく無い自分を余すことなく写し、
自分が嫌いに思う部分を他人の目線でありのままに描けるような人は
果たしてどれだけいるのでしょうか。

で毎日自分の顔を見ていても、
ソレを自分の都合の良い様に見ないというコトすら
ナカナカ出来るコトでは無いように思います。

TVで自分を取り巻く世界のニュースを見ていても、
それが自分と深い繋がりがある、関わりがある......
という感覚で捉えるということも
ナカナカ出来ることでは無いように思います。



人はモノゴトを自分の捉えたいように捉えます。



見たいように見てしまいます。



それは、人が不完全である限り、
いつも背負っている十字架の様にも思えます。



「大人って、なんでしょうかね......」



時折交わされるそんな会話も、
不完全な人間につきまとう十字架のように思える時があります。
小さな頃はあまり交わす事が無かったこんな会話は
年齢を重ねる毎に増えていったりもしましたが、
ある地点からはその意味も価値も失い、
何かの付属品の如く宙に漂っているように感じられてもいます。



「君は大人だね。」

「お前は子供だな。」



それはいったい、
どんな物差しを持って話されているセリフなのか?
曖昧な場合も多いように思いますが、
「大人ということに大きな価値を持たせたい」
というニュアンスが溢れている時のそんなセリフには、
時折違和感を覚えるようなこともあります。



君は、その言葉を言うほど大人なのか?
君は......大人とはいったいなんだと説明するのか?



「社会に出て法的にも金銭的にも自立している人だよ」

「何かに頼らないで生きれる人だよ」

「法律から定義づけられるよね」

「子供ができれば親になって、そこから大人じゃね!?」

「調和が取れる人だよ。自己中じゃなくてさ。それが出来る人」

「何かを諦めたら......それも大人じゃね?」



......答えはなんでしょうか?
答えはあるのでしょうか?

それとも、
ソモソモ、
答えを出すべきような問題なのでしょうか?

誰かが、
誰かの優位に立ちたいがために持ち出した
レトリックの可能性は無いのでしょうか?



大人とか、子供とか、
そんな言葉が飛び交う会話の中で、
僕の心に表れる空模様はいつもこんな感じ。
ちょっとした雷雨のような、春の嵐のような。



人は自分のことが一番わかりません。
少なくとも......僕はそうです。
物心ついてから今に至るまで、
ずっと自分を紐解く旅をしているようにすら思える時があります。

「俺は何者なのか?」

考えても大きな意味は無さそうなので、
ただただ生き抜いてみようと思うばかりです。
だから僕は

「大人とは?」

と、その意味を聞かれるようなことがあれば、

「自分で自分を分かっている人なんじゃないかな......」

と答えることしかできません。
そして、産まれてからこのかた、
未だ自分で自分を分かっていない僕は
とても大人とは言えないと思います。



18の時から金銭的にも社会的に自立して生活してきました。
自分なりの孝行も、お婆ちゃん孝行もしてきたつもりです。
兄弟も奥さんも助けて来ました。
沢山助けられても来ました。
ペットさん達にも、
幸せに暮らせる様にいつも愛情を込めてきたつもりです。
子供も......そのうちやってく来るでしょう!?
近所の皆さんの力になれる様に自分なりに努力もしてきました。
人を裏切るようなことだけはしない様に踏ん張ってきました。
職場の力になりたいとも、
故郷の力になりたいとも、
日本や世界の力になりたいとも努力しています。
悪いことも沢山して、
良いと思える?ことも沢山してきました。



でも。

僕は未だ子供のままです。

それが悪いことなのか良いことなのかは
意味のない問題のように思っています。

「自分は自分のことをどこまで分かっているのか?」

ただ一つ。

それが僕には意味のある問題です。



プラトンやアリストテレスを育てた
古代ギリシャの賢人「ソクラテス」は
「国家を堕落させる教えを広めた」
として、当時、
愛憎敬侮入り乱れる裁判で死刑の判決を受けました。
それでも支持者の多かったソクラテスの牢獄は、
彼がいつでも逃げられるように
番人が鉄格子の鍵を開けていたようなのですが、
ソクラテスは逃げずに、
毒杯を煽り亡くなったと今に伝わっています。



「汝自身を知れ」

「グノーティ セアウトン = Know thyself」



彼が自らの原点としていた有名な言葉。
大ヒットした映画「マトリックス」シリーズでも
シーンや脚本にさりげなく織り込まれていた言葉。
この言葉を大切にしていたソクラテスは、
当時、沢山の知者と称される人達の考えをよくよく調べてみたら、
実は、皆、何もわかっていないということを知ってしまいました。
これはどうしたことか?
と考えた彼が導き出したその答えは「無知の知」と呼ばれるもの......



「この人達は自分のことを知者だと思っているが、
私はそうは思ってない。
しかしこの人達も私も知者では無いという点では同じだ。
違いは、この人達は自分のことを
“実際には知者ではないのに、知者であると思っている”
のに対して、私は自分のことを
“実際に知者ではないその通りに、知者ではないと思っている”
という点だ。
自分が知者ではないというその姿を、
その姿通りに自覚しているという点が
最も大切で賢いということなのだ......」



大人とはいったいなんでしょうか。



ソクラテスならなんと答えるのでしょうか。



いつか、そっと、
聞いてみたいものです。



ご近所にある「エル・テ・ディ・カフェ」



大人なカフェで超お子ちゃま!なケーキを頼みながら
カチャカチャと打ちこんだ今回の記事。



ケーキたまらん。。(= ̄ ρ ̄=) ...オトナニナレナイノ......


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