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雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

大日本総鎮守 3

2025-06-25 00:00:24 | 不思議...パワスポ寺社
僕らはお酒とお花を捧げ、
アマテラスさんから授かった祝詞を奏上しました。
その間、勿論、誰も来ません。
僕らが祈っていたことはただ一つ。

「この国をお守りくださいませ......」

続きます。






ここまで、
出ていた大雨予報とは裏腹に雨はまったく降らず。
僕らは全てをスムースにこなすことが出来ました。
アマテラス祝詞を挙げた後は、
大山祇神社は初めてだというねーさん
生樹の御門(いききのごもん)
と言われる大楠さんなど、幾つかのパワースポットに案内して。
宝物館も見学し。
僕らは神社を後にしました。



























ホテルを押さえていた今治市街へと戻る途中、
お腹が減ったので伯方島(はかたじま)にある
「さんわ(三和)」というラーメン屋さんにピットイン。
以前「しまなみ徒然」という記事にも記していたお店ですが、
今は場所も建物も新しくなっていました。
本場「伯方の塩」を使った塩ラーメンが美味しいのでつ。
ご機嫌♪な僕さん(^^)





食後は美しき伯方ビーチで
「伯方の塩ソフト」をほおばるの巻。
ソフトクリームを片手に、
やり遂げた感を出しまくっているねーさん。



僕さんは新発売!の「島レモンソフト」などを。
ええ。ええ。



伯方島もサイコーっす。
こんな良きところが沢山ある国が守られないわけはありませぬ。



大日本総鎮守。



7月までに行ってくれ......
という神様との約束を果たせて、
7月までにこの記事を記すことが出来て、
よかったっす。(^^)





東京に戻ろうと、
今治駅近くでレンタカーを返した時。
ずっと曇っていた空から突然太陽の光が差し込みまして。
ふと見上げると、
大三島の龍神さんが来てくれていました。



太陽を玉のようにして口に咥えている御姿が
この写真でも見てとれますでしょうか。
予報とは違って、
滞在中一度も雨が降ることがなかったのも
この龍神さんのおかげでありまして。
この直後、僕らが電車に乗りこんだとたん、
予報通りの大雨!
となっていました。
なんだか不思議だったのです。



☆シリーズ過去記事と関連記事はコチラ☆
大日本総鎮守
大日本総鎮守 2
龍の門
龍の門 2
7月5日界隈

☆大山祇神に関しての過去記事はコチラ☆
天の逆手
天の逆手 2
天の逆手 3
雲見徒然
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龍の門
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大日本総鎮守 2

2025-06-21 00:34:35 | 不思議...パワスポ寺社
その石柱にはこんな言葉が彫り込まれているのです。

「大日本総鎮守(だいにほんそうちんじゅ)」

お話は続きます。




「何故か?まだ雨降ってないけど。
今日は大雨予報だから、
とにかく降りだす前に回ろう」

と僕はねーさんに言って、
そそくさと神社に入っていきました。









ねーさんは初めてでしたが、
僕さんとしては過去記事

龍の門
龍の門 2

に記しているようにこれまで幾度も来ている神社さん。
今回はお酒も持って、いつもの周り方をして。
そして、過去記事にも記している本殿真裏にある
「姫子邑神社(ひめこむらじんじゃ)」
にも向かいました。



ここの三社に関しては過去記事にも記していたように、
僕らポンチキーズとしては
一般に言われていることとは全く違う理解をしていて。
中央が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)さんで、
左右がコノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)さんと、
イワナガヒメ(磐長姫)さんという理解。

お酒と、女神様にはお花も添えて......



......さて。

この後。

実は。

今回。

オオヤマヅミ(大山祗神)の神様からはピンポイントで
「ココに来て欲しい」
と言われていた場所がありまして。
そこに伺うことが今回の最大の目的。
神々はそこを、

「元々、旗神社(はたじんじゃ)があったところだから......」

と、そう言うのです。
僕らはひと通り巡った本殿エリアを出て、
その場所へと向かうことにしました。
境内マップではそこは「八坂神社」とだけ記されている小さな末社。
ネットにもポンチキ系の諸々にもまず取り上げられることのない、
マニアな方々にもなかなか触れられることのない社(やしろ)。
場所的には本殿を上から見下ろす小高い丘の上にあります。
時と場合によっては二重の鉄柵で閉じられていたりもするエリア。
なので、行ったとして必ずしも入れるかはわからず。
人もまず来ないようなところ。
でも、とにかく行ってみることに。
本殿エリアを出たところにある宝物館前の道をまっすぐ奥へと進み、
左手に見えて来るこんな階段を上ります。



幸い鉄柵は開いていました。
よかったっす(^^)



階段の途中には、
この地を守って来た人々の墓跡的なものや
ドルメン的な慰霊碑もあります。



その先にもう一つ鉄柵があり、
正面に「祖霊社」と呼ばれる社殿が。



神仏習合の時代にお寺ともなっていた感じが色濃くある建物。
八坂神社はその境内の片隅にひっそりとあります。
横には「五穀神社」という社が並んで立っています。



二つの社の前に立った時、
僕さんとしては「姫子邑神社」と同じく、
神社の表記とは違う感覚を受けました。
五穀神社とされる向かって左の方が牛頭天王であり、
スサノオ(素戔嗚)さん。
すなわち八坂神社。
となると右の方が五穀神社。
ウガノミタマノカミ......と記されているようですが、
僕さんの感覚ではクシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫)さん。
もしくは、時によりツクヨミ(月読命)さん。
出雲の神の2トップ。
ねーさんも僕さんのその理解に違和感は感じていないようでした。
ただ、念の為、その場でねーさんに神様に伺ってもらうと、

「そうだ」

と。なるほど。
ふんふん。

「......誰も来ないところだし。
ここでアマテラス祝詞(のりと)をあげるのだな......」





僕らはお酒と......
まさかここにも女神さんがいらっしゃるとはツユも思わず。
クシナダさんにお詫びでも......と思っていたら!
流石のねーさん。
僕さんとは別に花を買って!持ってきたというではないですか。
ファインプレイ。
やんややんや。
と、そんなお酒とお花を捧げ、
アマテラスさんから授かった祝詞を奏上しました。
その間、勿論、誰も来ません。
僕らが祈っていたことはただ一つ。

「この国をお守りくださいませ......」

続きます。



後で調べたところ、
八坂神社のある「祖霊社」はやはり神仏習合時代に
「神宮寺(じんぐうじ=神仏習合建物の呼称)」
とされていた所のようでした。
鉄柵があるのは1992年に放火事件があり、
警護を強くしたからなのだそうです。
場所的には本殿を見下ろす場所にあるわけで、
おそらくは、
古代はコチラが祭祀の中心地であったのではないかと。
そこに仏教が入って来た時代に仏様と習合されて神宮寺となり。
故に、不敬な輩の放火にしてもこの場所を狙ったのではないかと。
長い歴史を持つ神社。
やはりさまざまなイワクもあります。



☆大山祇神に関しての過去記事はコチラ☆
天の逆手
天の逆手 2
天の逆手 3
雲見徒然
雲見徒然 2
龍の門
龍の門 2
磐長姫
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大日本総鎮守

2025-06-17 00:03:46 | 不思議...パワスポ寺社
愛媛県の大三島(おおみしま)というところにある
「大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)」さん。
全国の山祇神社や三島神社の総本宮でもある超!
のつく特別な神社さん。
この神社さんに関しては、過去記事

龍の門
龍の門 2

あたりに記していたかと思います。
リンクした上の記事の中でも記していたように、
国宝や重要文化財の指定を受けた武具の約8割!
が集まっていて、
地球のエネルギーが噴き出しているポイントの一つでもある感じ。
そして、今年の3月頃だったでしょうか。
コチラを本拠とする大山祇神
(大山津見神、おおやまつみのかみ、おおやまづみのかみ)
様からプリリンねーさんと僕さんにこんな言葉が降りて来たのです。



「7月より前に大山祇神社にねーさんと2人で来て欲しい。
急がなくても良いが、必ず来て欲しい......」



そんな感じの言葉はその後、
幾度も幾度も繰り返し伝わってきて。
毎度毎度そんなことを言われるねーさんとしても



「絶対に行かないとダメだと思うのよぉ、、
いつがいい?」



と、けっこう急かしてくるような状況に。
ただ、僕さん。
前回記事に記していたように仕事がとても大変になっていて。
ストレスも130点満点だった時期。
そんなスケジュールを出すことも、
旅をするような気持ちにもならないような日々を過ごしている時で。
気がつけば月日は過ぎ去り5月も終盤となっていました。
すると、また、



「いつくるのだ?」



と、他の神様からも圧迫感のあるお言葉さん達が。
かなり沢山。
6月中には必ずねーさんを連れて来て欲しいのだ、と。
遅れてはならぬのだ、と。



「むむむむむ.......」



僕さんとしてはなんとか梅雨に入る前に行ければと思い、
5月中のスケジュールを必死に出して、
ねーさんに投げてみました。
神社は島特有の砂地にあるので、
雨が降ると足場が大変なことにもなりそうなのです。
すると、ねーさんも大丈夫との返答で。
僕さんは早々に交通やホテルの手配をしようと
動き出してみました......が。
今度はねーさんが



「スケジュールが難しくなりました。
せっかく組んでくれたのにごめんなさい、、、」



などとのたわまれるワケなのです。
ならば!と。再度、別スケジュールで調整。
なんとか6月中にねーさんと2人で向かうことにしました。
ただ、しかし、時期としてはもう完全に梅雨入り。
天気予報を見ると「大雨注意」なんていう予報。



「まったく。なんで!?よ。
こんな梅雨の真っ只中に。
雨も多い瀬戸内海の真ん中の島に。
しかもあそこは砂地的なところじゃんよ。
まいったなぁ、、、
どーしていつもこんな無茶なことばかり言われるんだべか。
オイラがなにしたっていうのさ!?
もう、よーわからんわ、、
なんだかなぁ、、マジ疲れるなぁ、、、」



僕さん愚痴だらけ。
ぐっちぐち。
大雨とわかっていて向かう沈んだ気持ち。



「ぬぬぬぬ......
雨対応はしっかりして行かねばだな。
ねーさん!そこ、あらかじめ万全にね。
よろしこー。。」



神社さんに登場の巻。
入り口の鳥居の前に立つ僕さん達。
大雨予報でしたが、
いまのところまだ雨は降ってこず。
鳥居横にある高い石柱を見上げると......



「あ、そうか、、、
7月までにって......
ココは......そうか......」



その石柱にはこんな言葉が彫り込まれているのです。



「大日本総鎮守(だいにほんそうちんじゅ)」

お話は続きます。



このお話には序章となった一件がありまして。
それは今年の3月にブログ読者のKTさんのご子息さんから、
突然、このお守りをいただいたことでした。
神奈川県、
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)さんの刀のお守り。



神様曰く。
台紙の色はねーさんは赤で、
僕さんは青が良いとのことでした。



このお守りが届いた直後から上記したような言葉が
降りるようになったという流れだったのです。



僕さんはこのお守りを大山祇(おおやまづみ)さんの娘神様である
「コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)」さんと
「イワナガヒメ(磐長姫)」さん
のイラストの間に入れて
大切に飾っています。
ねーさんのレイアウトの真似っ子でちゅけど。
ええ。ええ。



☆大山祇神に関しての過去記事はコチラ☆
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開運 4

2025-02-01 00:01:47 | 不思議...パワスポ寺社
「さて、と、神の岩、神石は......あるのかな......」

などと呟きながら海の方へと出てみると.......

ありまちた!

神石!

確かに水没してる!

ねーさんやるな!」



お話はもう一回だけ続きます。(^^)




もう一つ、
崖のような岩山「当目山」の下にあるらしい
「御座穴(ござあな)」なるものも見てみようかと、
崖下から伸びている堤防の突端に出て行ってみると......





富士山や!

マジか!

絶景やんけ!」



「あ!

アレが御座穴か!

見れた!

スゲ!」



僕さんは誰もいない、来ない堤防の先端に、
繋いできた「開運」のお酒とミカンと苺大福をセット。
御座穴と神の岩と富士山と、それぞれに拝礼をして、
「神の岩」の方に向かって祝詞(のりと)を捧げることに。





祝詞が終わり、一息つくと、
「神の岩」の上に沢山の鳥さん達がいることに気づきました。
なんだか感動.......



年初の「一旦、戻れ」という記事に記していた通り、

今年の言葉を追って訪れた伊勢神宮。

その伊勢から戻り、倭姫さんの導きもあって、

引き続きで訪れることとなった焼津の地。

四方から迫り来る炎を見事!

打ち返して勝利した!

という伝説を持つ地。

その地で受け取った言葉は「開運」。

昨年末の出雲会議後に受取った2025年の大枠イメージに
付け加える言葉があるとすれば、この「開運」となるでしょうか。
個人的には、
昨年は年初から火の海の如く厳しいことばかりの1年だったので、
今年の「開運」という言葉は救いのように、
妙に心地良く響いてきた言葉ではありまして。
年初記事のスピンアウト的にこのお話も記させて頂きました。
今年は是非とも、
皆が開運となる1年になりますよーにぃぃーーー♪
なにとぞー(^^)



———————その後、東京に戻った僕さん。
新年用の祝酒として「開運」さんの迎春祝酒バージョン!
を探し出し、改めて購入。
パッケージには伊勢の倭姫さんのお多福顔も。
早速、新年を迎えんとする家の神棚に
いそいそと供えてみると......

ああああ!

そういえば!

少し前に「あかりこ」さんから頂いて神棚に置いていたお米が!

穂高神社さんの御神米が!

開運!

だった......のです。



偶然でしたが、
今年の我家の年始の神棚は開運三昧になっとりまちた♪(^^)



☆シリーズ過去記事☆
開運
開運 2
開運 3


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開運 3

2025-01-28 00:00:02 | 不思議...パワスポ寺社
「来年は開運だな、こりゃ(^^)」

などと都合の良い解釈をしてみた僕さん。
どこかしら心は大満足。
奏上した祝詞もご機嫌仕様。

お話は続きます(^^)




その後、境内摂社さん達にもご挨拶。
市杵島姫命社(イチキシマヒメさんの社)には、
やはりスーパーで買ってきた甘いものとお茶などを。





主祭神とされているヤマトタケルさんの像もあったので、
もちろん開運!のお酒を。



神武天皇の像や焼津天満社、お稲荷さんなどなど、
境内の社(やしろ)さん達にも全て参拝。













勿論、捧げたものは全てすぐに下げて、
持ち帰って後でいただきますのです。

ええ。ええ。



さて。
今回焼津に来た目的はこの神社への参拝ということだけではなく。
もう一つ、ねーさんがポロッと送ってきた
神様の言葉にあった場所に行ってみたかったのです。

その言葉は初回の記事に記していましたが、今一度以下に......



「神石といわれたけど、
水没しているみたいだね。
入江大明神だから、大丈夫と言ってた」



おそらくは、
いつもの如く何も知らないままに神様の言葉をおろしたねーさん。
僕はその言葉を元にネットでチチッと調べてみたのですが、
どうも、その「水没している神石」があるのではないか?
と思われる場所は
「那閉神社(なへじんじゃ)」
というところのようで。
焼津神社を出た僕はその神社に向かってみることにしました。





訪れてみると小さな入江にある神社さんで、
スサノオさんや出雲系の神様が祀られていました。
神社に伝わる由緒にはこのようなことが記されています。



============================
継体天皇三年(西暦509年)四月。
物部氏の勧請により当目山に鎮斎。
その後一度海中神の岩に鎮座したが、
風浪の害を避けて現在地に奉遷された。
我が国の最も古い神祭の姿である、海の彼方から訪れる神を、
一旦海中の島(神の岩)にお迎えし、
海岸の御座穴(ござあな)にお祭りし、
さらに姿美しい神奈美山(かんなびやま=お椀を伏せたような姿の山)
に神は降臨されるという、その信仰そのままの山が当目山であった。
したがって、その昔は社殿もなく、
山そのものが御本殿(御神座)であった。
============================



物部の宮......か。なるほど。
ここがそんな宮であるということは、
焼津神社にしてもヤマトタケルの名を被される前はやはり出雲系
物部。
この神社の立地はまさに入江にあるわけで。
本来「入江大明神」と呼ばれていた焼津神社の元は、
この神社や一帯のことであったことも間違い無いはずで。
やはり、焼津神社の主祭神は「ヤマトタケル」ではなく。
「入江大明神」のほうが正しい神名であるのかと。
そして、この神社の由緒にある「神の岩」というのが、
ねーさんの言う「神石」であるとも思われ。

となると!

焼津神社に捧げた「開運」のお酒もしっかりと繋ぎ。
もちろん!のミカンさんも!で。
ええ。ええ。



神社のすぐ横には入江の浜が。
名前は「浜当目海水浴場」



「さて、と、神の岩、神石は......あるのかな......」

などと呟きながら海の方へと出てみると.......

ありまちた!

神石!

確かに水没してる!

ねーさんやるな!



お話はもう一回だけ続きます。(^^)



☆シリーズ過去記事☆
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開運 2

2025-01-24 01:14:59 | 不思議...パワスポ寺社
ということで。
着きまちた♪
焼津神社さん。
通称「入江大明神」。
倭姫さんとの関係なども含めて、
お話は次回へと続かせていただきまする。(^^)



焼津神社の主祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)さん。
初期の大和朝廷の列島支配のために、
天皇の命を受け日本各地を平定して回ったと伝わる
勇猛果敢な朝廷の武将。
しかし、あまりに強かったため、
その力を恐れた時の天皇に様々な策略を仕掛けられ、
いつも遠くに追いやられてしまっていた人物でもあったようで。
その足跡は今も日本各地に様々な形で残っています。
特に焼津神社のある地においての伝承は有名で、
神話には以下のような物語が記されています。



=============================
ヤマトタケルは九州の熊曾(くまそ)を平定した後、
出雲の出雲建(いずもたける)を倒し、大和へと戻りました。
しかし、その力をますます恐れた景行天皇は
休む間もなく東国の平定を命じます。
その投獄平定に向かう前、
タケルは倭姫命から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と、
火打ち石の入った袋を授かりました。

現在の静岡県、焼津の地着いたタケルは敵に欺かれ、
草むらの中で四方から火を点けられ窮地に追い込まれます。
この時、タケルは妃(きさき)の
弟橘姫(おとたちばなひめ)を守りながら戦っていました。
四方を火に囲まれたタケルはとっさの機転で倭姫命から授かった
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で草をなぎ払い。
逆に、火打ち石で敵に向かって火を放ちました。
すると炎は向きを変え、
敵に向かって勢いよく燃え広がり、
タケル達は窮地を脱することができました。
この後、天叢雲剣は
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれるようになり、
名古屋の熱田神宮にお祀りされました。

この伝説から、この地は「ヤキツ」といわれるようになり、
現在の「焼津(やいづ)」という地名となりました。
=============================



巫女職トップの倭姫さんらしい、
タケルさんの危機を予知していたような「渡しモノ」が
凄過ぎるお話ですけど......
この逸話は712年に編纂された「古事記(こじき)」にも
記されているもので、
少なくとも「焼津神社」や「焼津」という地名には
1300年以上の歴史があるということにもなります。
ただ、僕さんとしてはこれ迄も幾度か記してきたように、
ヤマトタケルさんというものは
伝承の主体となる方もいたかと思いますが、多くの場合、
古代大和朝廷が各地の併合のために派遣した
軍事部隊の武将の役職名的なものと考えていて。
祭神となっている神社の多くは、その地を併合した後に、
元々の地域神の上に自らを被せて祀らせた......
という形になっているのではないかと考えています。
この焼津神社にしても、
境内や付近一帯からは古墳時代の遺跡が沢山発見されていて。
この地にはタケルさんが来るかなり前の時代から
一大集落や村があったことがわかっています。



広い境内にはそんな遺跡の展示や、
武の神の神社らしく綺麗に整えられた土俵などもありました。



伺った時は年末で、氏子の方々が境内を自由に使って
正月の諸々の準備をされていました。
人々にとても大切にされている神社だということが
ひしひしと伝わってくる風景。
神社が近隣の人々の絆を育んでいることを実感。
この国が失いかけている風景でもあるでしょうか。
なんだか心が和みます。





拝殿に向かうと、
社殿の横に大きな楠(くすのき)が見えます。



拝殿で手を合わせた後、木の方に回り込んでみると、
このクスが御神木のようで、樹齢は300年以上とのこと。
全体の御姿はどことなく、この地の伝承の通り、
平原を焼き払った炎の形のようにも見えます。
僕の目には大きな炎にしか見えないクス。







「この炎の木が中心だな......」

と、そんなことを思いながら木の根本を見てみると、
小さな賽銭箱と供物台が。
本殿と違って人も殆ど来ません。

ここで祝詞(のりと)なのか......

僕は周囲を見まわし、誰もいないことを確認し。
祝詞を捧げようと持ってきたお酒を木の根元の台に供え、
後ろに下がって手を合わせてみると......



「うえええ!?
ま、マジか......
開運に開運......って、
ここに供えるからこの酒を!?選んだのか......
偶然にしても......驚くな......」

前回記事に記した通り、
スーパーにあった沢山の種類のお酒の中から、ふと、

「焼津神社にはこれだな、、」

と思って買った「開運」という名前のお酒。
それがドンピシャ!で御神木の供物台の賽銭箱の文字と同じ。
しかも、台の前にはまるでミカン!?のような丸い石も二つ。
以前から記してきた通り、
神様から天叢雲の剣(アメノムラクモノツルギ)と
ミカンの関係を聞いていた僕としては、

この丸い石はミカンにしか見えず。
石にもお酒を届けつつ、追加のミカンもお供えして......



「来年は開運だな、こりゃ(^^)」

などと都合の良い解釈をしてみた僕さん。



どこかしら心は大満足。
奏上した祝詞もご機嫌仕様。





お話は続きます(^^)


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開運

2025-01-20 01:33:37 | 不思議...パワスポ寺社
FLORAL」という過去記事に記したように、
このところ富士山の女神様である
コノハナサクヤヒメさんとの縁?が深まった感がありまして。
それと、年初の「一旦、戻れ 2」という記事で記したように、
伊勢神宮で内宮の拝殿幕が全開し、
つい、その幕と握手をしてしまった......
なんていうことからの流れもあって。
神宮を創建した倭姫(やまとひめ)さんの導きも得られ。
少し前。昨年の末に、
僕は静岡県の焼津へと向かうこととなりました。
その時のポンチキーズとの会話は以下のような感じで。
最初は僕さんからみゆきちゃんに
アホな話をしたのが始まりだったのですが。
その時のLINEをそのまま転載しますと......



「みゆきー。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)が飛んできてる感じが、、、
焼津。
都築神社
熱田神宮
アメノムラクモ。
トヨクモの神。
焼津神社。
、、、凄いパワー。
なんだろか。
虹が出た」

「焼津神社ですかね!」



このやりとりをしている最中の空には、
うっすらと虹が出ていたのですが......
このみゆきちゃんの言葉の後、ねーさんからは



ヲシテの神だと言ってるよ」



との言葉が。
僕はねーさんにこんなことを返します......



「神様がなんか話して来てるー。
お願いしますー。
虹も出てるー。
倒れそーなくらい強いパワーでグロッキー。
明日、焼津神社に行っても大丈夫かな?
祭神がヤマトタケルなので、
念のためねーさんの審神者(さにわ)をもらえたらと。
すいません」

「神石といわれたけど、
水没しているみたいだね。
入江大明神だから、大丈夫と言ってた」



——————ということで。
毎度意味は全く分からないのですが、
僕さんは2人の言葉を手繰り、
静岡県の焼津市へと向かうことに。
道中にはコノハナさんのお馬さんが。
アメノフチコマ(天の斑駒)さんでしょうか。





焼津に着くと、
みゆきちゃんが言っていた焼津神社に伺うことにしました。
先ずはお酒を買おうと地元の小さなスーパーに駆け込み。
沢山の種類のお酒の中から、ふと

「神様にはコレだな.......」

と思った「開運」というお酒を購入。
それと、ミカンと女神様用のお茶と甘いものも。

ちなみに、
ねーさんに審神者をお願いするほどに僕さんが
ヤマトタケル(日本武尊)さんを警戒していた理由としては、
時折、過去記事の
迷ったんですが、、
に記していたようなことが起こったりするからなのですが。
あくまで念のための確認ということで。
ええ。ええ。

ミカンを持っていくことにしたのは、
過去記事の
ニコニコBAR 4」や
コタツとミカン
鍔とアイヌ 9
に記したようなことがあったりもしたもので。
神様によると、
熱田系の剣(天叢雲剣、草薙剣)を正しく使うには
ミカンの皮の腕輪が必要だったりもするようでして。
ええ。ええ。
ま、ポンチキ極まりないお話ですが。
しかし、熱田神宮や都築神社の神様には

「剣の為に、たまには来ると良いぞ」

なんていうことを言われていたりもしてまして。
神様はトヨクモの神様(豊雲野神)であったりもするのですけど。
ええ。ええ。



ということで。
着きまちた♪
焼津神社さん。
通称「入江大明神」。
倭姫さんとの関係なども含めて、
お話は次回へと続かせていただきまする。(^^)



☆関連過去記事☆
一旦、戻れ
一旦、戻れ 2


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飛騨高山徒然 9

2024-10-24 00:00:31 | 不思議...パワスポ寺社
「天気あまり良くないみたいで、、
ごめんなさい。
結局、熱出しながら寝ます。
明日、YUさんは運転の用意をおねがいですー(*´ω`*)」



2人に迷惑かけまくりな極々私的なポンチキ話は、
もうちょっとだけ続きます。



今回はグネグネの山道を避けて、
距離はありますが高速がダイレクトに繋がる
名古屋から飛騨高山に入るルートを選択。
なので皆とは名古屋駅集合。
綺麗な富士山を横目に見ながら新幹線で向かうことに。
しかし僕さん、この日の朝になっても熱は下がらず。
かれこれ5日以上こんな調子で体はズタボロ。

「しょうがないな......
熱の様子を見ながら行くか......
いざとなったらその辺の病院に駆け込むべ......」

そう考えた僕は体温計を持って出かけることにしました。
朝起きた時の熱は下の写真の通り。



新幹線に乗ろうと、
駅のホームでぐったりしながら測った時の写真。



名古屋駅に着き、レンタカーを借りて、
皆と落ち合った僕さん。
会うなり、早々にYUさんにドライブの依頼。
やはりまだ熱が下がらず......



YUさんとねーさんが前の席で
楽しくおしゃべりドライブをしている中、
僕さんは後ろの席全てを使って横になり、

「できるだけ寝てやるぞ!回復させるぞ!」

という状態に。
途中のサービスエリアでの体温計。



「おお!?
下がってきた!もう少し!」

さらに寝まくる僕さん。
気がつくと
飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)」に到着。
流石の安定YUさんドライブ。



しかも天気予報は外れて快晴。
すげ〜♪
熱は、、と、、



「下がってるやんけーーっ!(((o(*゚▽゚*)o)))
にゃんとまーーっ!」



毎度の形で3人でビシッと参拝。
いつもの場所......
「チバカの桂」での祝詞はボロボロの体のせいで全く声が出ず。
それでも振り絞るような声でなんとか奏上。
とにかくココに来れたことに感謝。



位山(くらいやま)は登らず、
飛騨山王宮日枝神社(ひださんのうぐうひえじんじゃ)」へ。



今回の目的である拝殿横の富士神社に到着。
長かったここまでの道のり。
富士山本宮浅間大社で頂いてきた御朱印を
フォトフレームに入れて持っていきました。





お酒と共に手を合わせ、お祈りと報告をして。
僕は御朱印のフレームを手に取って、

「うりゃ!
熱にも負けないで来たったで!
御朱印も貰ってきたから!
額にも入れたし、
約束は果たしたからなぁぁーーっ!」

的な自慢げな顔で、
境内にいる見えない皆々様に御朱印を高く掲げるようにして
ドヤってみました。
すると......



光った!
なんて感じの写真が!撮れたみたい!
凄い!嬉しい!
ねーさん!YUさん!
こんな馬鹿げたことに付き合ってくれてありがとう!
写真も撮ってくれてありがとう!
とても感謝なのでする!
本当にありがとう!



その後は皆で高山の街をそぞろ歩きして、
僕さんの定宿的なお気に入りホテルさんにチェックイン。
僕さんは部屋に入ったとたんバタンキューのおやすみさん。
お二人はゆったり温泉三昧......とのこと。
翌日はいつもの宮川朝市でおにぎりを食べて......





前回、壮大な日輪(日暈)で迎えてくれた?
富士山行きをアオってくれた?
櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)」まで食後のお散歩。
お空はぴーかん。





どや!
やりきったで!
わーーはっは!( ̄∀ ̄)
熱にも負けへんかったでぇー!
なんていう生意気な報告を。



ということで。
飛騨高山の徒然話は、最後に、
この一件で確信を得た
「私的なことでない部分」
を記し残して一旦仕舞おうかと思います。
もう一回だけ続かせていただきます。



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2
飛騨高山徒然 3
飛騨高山徒然 4
飛騨高山徒然 5
飛騨高山徒然 6
飛騨高山徒然 7
飛騨高山徒然 8


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飛騨高山徒然 8

2024-10-20 00:15:05 | 不思議...パワスポ寺社
神社を出ても、
相変わらず上空には大きな日輪が輝いています。



「......帰ったら、早めに行こう。
富士山本宮浅間大社......」



日輪(日暈)の美しさに僕は改めてそんな決心をして。
この日、東京へと戻りました。
続きます。




飛騨高山から戻り、
早々に向かった富士山本宮浅間大社。
この頃やたらと

富士山、富士山、、」

と言っていたプリリンねーさんも、
ここまでの飛騨高山の経緯を話したら同行してくれることに。
それと、

富士宮焼きそばがたべたーーい!(^ν^)」

とうるさすぐるコニャ(アホの奥ちゃま)も連れての参詣。



焼きそばは鳥居横にある
ここずらよ」さんでいただきさん。



コノハナサクヤヒメさん(木花咲弥姫)らしい
「花の舞」という日本酒と、
甘いものとお茶を差し入れ。
勿論、直ぐに下げて後で皆でいただきます。





この日は社殿補修の募金もやっていたので、
僅かばかりですが寄付もさせて頂きました。



もう幾度来たか分からない神社さんですが、
この日はふと気になった御朱印なるものを購入。
何故か?この札を飛騨高山の富士神社にもっていかねば......
と思ったのです。
その後はねーさんが行ったことがないというので「白糸の滝」に。





滝につくと、
滝を覆う木々の間にまたもやの日輪が。
ボーっと見ているうちに直ぐに消えていってしまったので、
消えかかりの写真になりますが......





富士山本宮から帰ると、
僕はTBさんに諸々の報告がてらここまでの事を話してみました。
すると、TBさんはこんなことを言ってきました。

もう一度飛騨高山に行くと良いかもしれません

僕が御朱印をもらった時に感じたことと同じ......
となれば、もう一度飛騨高山に行かねば......と、
その後、僕は良きスケジュールを探っていたのですが、
なかなか思うようにいかず。
気がつくと富士山本宮から帰って2ヶ月ほどが経ってしまいました。
そんなある日。
僕はポンチキーズのグループラインにこんなことを入れます。



「今、駅なんだけど、暖かい神様が来てる。
なんだろ。
何か言ってる、、ねーさんわかるかな」



すると、
ねーさんからはこんな返事が。



イラタ(天之御中主神の別名)だ。
待っているよ。
飛騨高山だ。
だって」



すかさず、
今度はポンチキみゆきちゃんから......



「さるぼぼが話しかけてきているのでよろしくお願いします」



まったく。2人とも。
ポンチキも休み休み言いなはれ......的発言。
ま、いつものことですが。
だいたい、
みゆきちゃんは「さるぼぼ」なんて知らないハズでして。
それでもこんなことを言ってきやがるわけで。
ねーさんはその言葉にこんな返答をしていました。



「さるぼぼは飛騨高山に来ると聞いたので話してきたらしい。
話した後に調べたら飛騨高山の人形でビックリした。
だから買ってきましょう。
みゆきちゃんにもね」



いつの間にか!?
ここでねーさんの飛騨高山同行が決定。
2人でスケジュール合わせをして日程を決めるという流れに。
聞けば、ねーさんは飛騨高山には行ったことがなく。
一度行ってみたかったとのことで。
じゃぁ、と、もう1人行ける人がいるといいね、と、
ドライビングも得意なYUさんの同行も決定。
元々は極私的な僕とTBさんとの会話から始まったことだったのですが、
最終的には3人で仕上げ?
の飛騨高山に向かうことが決定しました。



——————しかし、しかし。



例によって、また。



ナニカの邪魔が入ったのか!?



飛騨高山に向かう5日ほど前に。



僕さん。



突然の発熱。



ぶっ倒れ。



2日ほど完全に寝込んでしまいます。



数日熱が上がったり下がったりを繰り返し、
体はボロボロ。
飛騨高山のこともあるので、
医者にも行ってみたのですが......



「症状的にはマイコプラズマの可能性もありますねぇ。
今とても流行ってるので。わかりませんが。
とりあえずそれも見越したお薬を出しておきますね、、」



と、そんな感じ。
本当に、どうして?
毎度毎度こんなことに。
こんなメに。
自己嫌悪の自暴自棄。最悪。
僕はこんな状況を高山同行メンバーの2人に伝えると、



「無理に行く必要はないよ、、」



と2人とも言ってくれたのですが、
しかし、僕はなんとしても行きたくて。
高山に向かう前日までなんとか体を戻そうと格闘していました。
しかし、熱はいっこうに下がらず。
僕はベッドに横たわりながら、
色々わかっているだろうし、
僕のこんな状況をいつも目の当たりにしている
ねーさんにラインをしました。
念の為、測りたての体温計写真も添えつつ......



また命懸けのことになると思う。
心臓が痛むけど、昨日よりは良いからなんとか抜けたい。
スケジュールも貴重だし、、、

(中略)

一応、ねーさんに確認したいのだけど、
神様は高山に来るな!ということではないよね?
みゆきのところにサルボボまできているのだから。
どうかな。

(中略)

本当に厳しいことばかりでさ。
今日、あまりに辛くて神様に文句言っちゃったりもしたし。
ほんと、どうしていいかわからなくなっちゃってるんだよ」



ニギハヤヒは、待っているよと言ってるけど」



この言葉を受けて、
僕は飛騨高山徒然旅用に作った3人のグループラインに
決行の判断を入れることにしました。
スレを見ると前日の15時10分のことでした。



「飛騨高山に行くことにします。
せっかく諸々押さえたのと、
体はもうどーでもいいので。
俺が高山に行き出してから始まったことなので、
早くカタをつけたく。そんな感じです。
すいません。

(中略)

俺がやばい時はYUさんも運転の用意を何卒、お願いします。
そんな感じで、よろしくです。

(中略)

俺は、俺のために、
神様と向かい合いに行きます。
話したい事が山ほどあるので。今回。
疲弊してるけど、果たしに行くつもりです。
飛騨高山は元から俺の話なので。
皆さんは心配も関係もなく。
お気楽に楽しんでください。

(中略)

天気あまり良くないみたいで、、
ごめんなさい。
結局、熱出しながら寝ます。
明日、YUさんは運転の用意をおねがいですー(*´ω`*)」



2人に迷惑かけまくりな極々私的なポンチキ話は、
もうちょっとだけ続きます。



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
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2024-10-16 00:03:37 | 不思議...パワスポ寺社
後からわかったことなのですが、
飛騨山王宮日枝神社はこの高山陣屋の鎮護神でした。
お話はもう少し続きます。






高山市内のホテルに宿泊した翌朝。
僕は朝食をとろうと街の名物でもある
宮川沿いの朝市に向かいました。
高山名物「宮川朝市」なるもの。
ここには高山に来ると必ず行く
お気に入りのおむすび屋さんがあるのです。



そのおむすび屋さんのほど近くには、
秋の高山祭を主催するもう一つの市内重要社である
「櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)」があるので、
僕はおむすびを食べた後に、
朝のゆったり散歩で伺おうと思っていました。
春の高山祭は前回記した通り
飛騨山王宮日枝神社(ひだたかやまさんのうぐうひえじんじゃ)
の主催なのですが、
秋の高山祭のほうはこちらの神社さんが主催となります。
こちらの神社さんも街の人にとても愛されている重要社。
僕はゆったりと朝食をとって、
神様用のお酒も買って、
ゆるゆると宮川沿いに立つ神社の鳥居の前まで歩いて行きました。



すると.....





壮大......
神気が強くて、言葉も出ず......







宮川にかかる橋と鳥居越しの壮麗なる日輪(日暈)
全日の陣屋でのことも含めここまで毎回毎回出ると、
もう、なんと理解すれば良いのか......



毎回とはいえ、
こんなタイミングでの日輪にはいつも感動してしまい、
聖地の真上に輝く神々しさには涙が溢れそうにもなります。
飛騨高山の街の美しさと相混じったこの時の日輪の風景は、
僕は生涯忘れることはないと思います。



天空の日輪に見守られながら境内を一通り巡ります。
琴平神社、天満宮、照崎神社、お稲荷さん......
高山祭屋台会館などの博物館的な建物もあります。
本殿脇には高台へと登る階段が。
上には「飛騨山王宮日枝神社(ひださんのうぐうひえじんじゃ)」
と同様に火伏の秋葉神社があるようです。





拝殿前にあるこの石にお酒を。



神社を出ても、
相変わらず上空には大きな日輪が輝いています。



「......帰ったら、早めに行こう。
富士山本宮浅間大社......



日輪の美しさに僕は改めてそんな決心をして。
この日、東京へと戻りました。
続きます。



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2024-10-12 00:16:25 | 不思議...パワスポ寺社
この富士神社の案内板を見た瞬間、
僕は再びTBさんとねーさんの言葉を思い出し、
背筋が凍りくような感覚に襲われ、
しばらくその場に立ちすくんでしまいました.......
お話はもう少し続きます。




僕は驚きつつも、ここまでの経緯を思い、
背中のゾワゾワ、ゾクゾクが止まらないまま
掲示板の通りに神社の拝殿奥の方へと進みました。
するとまた掲示板が出て来て......



そこは拝殿の真横で、壁の中に小さな入り口がありました。
入り口の先は壁で覆われているので外からは全く見えない一角。
中に入ると、拝殿を真横から見る、
神社の中庭と呼べるような空間があって、
そこに富士神社と呼ばれる社殿がありました。





「なぜ山王神社(さんのうじんじゃ)の中に?
こんな神社があるんだ?」



僕は社(やしろ)の前でしばし呆然と立ち尽くしてしまった後、
目前にあった説明書きを読み込んでみると......



============================
富士社社殿は、もとは日枝神社の本殿として、
寛延元(1748)年に建てられた。
松田太右衞門による現存数が少ない神社建築である。
流造りに千鳥破風(ちどりはふ)、
軒唐破風(のきからはふ)を取り入れた屋根形態で、
珍しく極彩色が施されていた。
昭和10(1935)年、豪雨で裏山が崩れて本殿が倒壊したため、
昭和13(1938)年に新本殿を建てた。
旧本殿は破損箇所を修理して、末社殿として移築し、
富士社となりました。
平成7(1995)年に外観の極彩色の修理が行われ、
当初の美しい色彩が蘇った。
「富士社社殿附棟札(ふじしゃしゃでんつけたりむなふだ)」
として県指定重要文化財になっている。


============================



何故?
コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)さんの富士神社にしたのか?
はどこにも記されていなく。
山王神社の神様に聞いても



「この地と富士とは繋がっているのだ」



としか答えてくれず。



......しかし、驚くべきはTBさん......
アノ人、飛騨高山なんて来たことないし......
この神社のことも知らなかったハズなのに。
でも、という事は、
この後、富士山本宮に行って、また!?ここに!?
戻ってこないといけないのかな......」



僕はTBさんの言葉通りになっていることに心底驚き、
近く、もう一度ココに戻る決意をしました。



「なんだかよくわかりませんが......
ねーさんも富士山と言っていましたので、
また戻ってくることにします。
少しお時間をください。
なにとぞ......」



富士神社に手を合わせながら、
僕はそんなことをボソボソと呟きました。
その後、心身に妙なシビレを感じたまま、
隣にある「産土社(産霊社)」にも合掌。



境内も一通り散策。
天満社や稲荷社もありました。









そんな飛騨山王宮日枝神社を出ると、
市街地に入る直前にあった
「高山神明神社(杉箇谷神明社)」にも立ち寄ることに。
斜度のある階段を上る神社さん。
日枝神社の境外末社のようです。
本殿横に聳え立つ御神木の杉の巨木は樹齢300年以上だそうで......





その御神木の横にはさらに上へと登る階段が。



登った先にあった秋葉神社。
街を火災から守る火伏せの神。
だからなのか高山の街を見渡せます。





そんなこんなの参拝を終え、
ようやく高山市街の中心地である「高山陣屋」に到着。
早朝からのドライブで4つもの神社を訪ね歩いた僕は
少々の疲れを覚え、ここで車を駐車。
街中のカフェで一休みすることに。
車を降りて、ふと、陣屋の上の空を見上げると......
いつもの!?日輪(日暈)が出ていました。





後からわかったことなのですが、
飛騨山王宮日枝神社はこの高山陣屋の鎮護神でした。
お話は続きます。



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飛騨高山徒然 5

2024-10-08 00:01:31 | 不思議...パワスポ寺社
—————————と、そんな感じで、
僕が初めてこの地を訪れた時のことを思い出しながらのドライブ。
やがて、見えて来ました......
飛騨一宮 水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)。
これまでも幾度か訪れてきた場所。
久々の参詣。
お話は続きます。



到着♪
水無神社。
今回、久々にココに来ることを決めたきっかけとなった
TBさんに言われた言葉が頭の中をグルグルと回ります。
そんな参拝......



獅子とは違う容姿の狛犬さん。
本来は秩父の三峯神社さんのように
狼さんであったのではないかと思われます。



右に巨大な御神木を見ながら入る境内は広々としていて、
隅々まで行き届いている掃除が清廉な空気を生んでいます。
その清廉な空気は不思議となぎの海のようにフラットで、
実は、強い神気は感じられない感覚。
そして「水無」という名前とは真逆に、
常に水の気がさらさらとうっすらと流れていて、
そのおかげで境内にはチカラがこもらない感じ。
その感じは神様のいないことが多い神奈川の
寒川神社さんなどととてもよく似ているのですが、
ただ、どこかしらに?
強力なナニモノかがいるような微かな神気が極々うっすらと、
透明ともいえる感じで紛れ漂っています。
その辺が寒川さんとかと違う感じでしょうか。
しかし、そんな薄い感覚は本殿の前に立つと一変。
ドン!と真っ直ぐで強力な山の様な神気を感じさせられます。
そんな感覚の大きな差がこの神社の特徴でもあるでしょうか。
お酒を配りつつ、アチコチ参拝。



境内で一際特異なチカラを放つ「ねじの木」



下は白と黒の神馬さん達を祀る社(やしろ)。



菊理姫(きくりひめ、くくり姫)さんの
白山神社もあります。



稲荷社も。
かなりチカラのあるお稲荷さん



例の場所......「チバカの桂(かつら)」の社(やしろ)は、
前々回記事のコメント欄にsatokoさんが入れてくれたように、
以前、社の下に置かれていたモノは今は無くなっています。



桂の木の根元の方には人型っぽい鬼瓦?またぎ瓦?
みたいなものが置かれていたりも。
相変わらず人が来ない場所なので、
ここでも持って来たお酒を捧げつつ、いつもの祝詞を奏上。





「今回はあまり時間がないので
位山(くらいやま)には登りませんが、
折角なので、今回はこれまでちゃんと行けていなかった
市内の神社さんにお伺いしようかと思っています。
何卒、道中のお導きとご加護を......」



と、ここではそんな挨拶と参拝。
お酒も届けながら神社を一通り周りました。
頭の中には相変わらずTBさんに言われた言葉が巡っています......



「———————それと、
その後に......
なんでしょうか......
富士山が見えるのです。
富士山の神社......表?の方?
メインで中心となるところ。
高山から戻ったらソコにも行くと良いかと思います。
順番はそれで......
無理はしないでくださいね。
もし行けるようなら、で————————」



ねーさんの言葉もチラホラリ......



「最近ね、神様がみな富士山、富士山、て言うのよ......」



そんな感じで一通りの参拝を終え、
僕はそのまま高山市内へ戻ることに。
道すがら、以前から寄ろう、寄ろう、と思いつつ
一度も寄ったことの無かった
「飛騨山王宮 日枝神社(ひださんのうぐう ひえじんじゃ)」
さんに立ち寄ることにしました。





有名な春の高山祭(山王祭)を主催する神社さん。
高山に春を告げる祭り。
鳥居を潜り、階段を登って、
綺麗に清められている境内を歩きます。
とても良い神社さん。
沢山の映像作品でもモチーフにされているそうです。



そして、
本殿の前に着いて手を合わせようとすると......
賽銭箱の横に思いもよらない驚きの案内版が......



「うえええっ!?!?!?
ふ、富士?神社!?
うそ!?
別にあるの?本殿の奥?山王神社で?
なんで?
飛騨の高山で!?
どーしてよ?
こんなところで富士山?って.......!?」



この富士神社の案内板を見た瞬間、
僕は再びTBさんとねーさんの言葉を思い出し、
背筋が凍りくような感覚に襲われ、
しばらくその場に立ちすくんでしまいました.......
お話はもう少し続きます。



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飛騨高山徒然 4

2024-10-04 00:01:09 | 不思議...パワスポ寺社
水無神社に向かう道すがらに思い出していた昔話は、
もう少しだけ続きます。




水無神社(みなしじんじゃ)から位山(くらいやま)に向かうと、
途中、山の入口となる道の端に
「位山白銀神社(くらいやましろがねじんじゃ)」
という小さな神社がありました。
社(やしろ)の背後には
祭祀に使われていたような雰囲気の巨石があります。



ココは外せない関所的な場所だな......と感じた僕は車を降り、
これから山に入らせてもらうことを報告。
古い神様なので濁り酒を捧げつつ、
お許しと加護をお願いしました。
祭神名は分からない神社のようでしたが、
「シロガネ」という名前からしても、やはり、
ここでもニギハヤヒ(饒速日命)さんを感じさせられます。
東京都港区の白金もそうですが、
僕の認識では「白銀」とはニギハヤヒさんと強く結びつく金属であり、
改めて、この地はニギハヤヒさんの地であるのだな、と。
そんなことを思います。



先を進むと、
冬はスキー場ともなっている位山下部の山肌が見えてきます。
山頂へはこのスキー場のリフトからも登れるのですが、
車で山上の登山口まで行ける山道もあるので、
僕はそちらの道をチョイス。
ちなみにこのスキー場の名前が面白く。
その名も「モンデウス飛騨位山スノーパーク」
モンデウスとは「モン=山、デウス=神」で、
「神の山」という意味。
この山が古来より如何に人々の強い信仰を受けて来たのかが
こんなところでも感じられます。
建物の向こうに見える雪を被った美しい山は
御嶽山(おんたけさん)。



山道は山頂にほど近いところまで上がれて、
駐車場もしっかりあります。
石碑に刻まれているように、
ここが「飛騨一宮水無神社奥宮」の入口。
この鳥居をくぐって登っていきます。



......ですが、
そのすぐ横には霊山らしくミステリアスな!?オブジェが。
神がかった個人の方が建てたものらしいのですが、
山の雰囲気を少々特殊なものにしてしまっている感じ。





特徴的な「狛龍」的なオブジェもあるのですが......
このブログでは省きます。
下の写真の石碑に写り込んでますので、
それで雰囲気を感じてもらえればと。
今や検索しても沢山出てくると思いますし。ええ。



登山道のガイド看板。
古い写真なので今はもっと新しくなっているかと?
思いますが、このように登っていくことになります。
「思惟の山道(しいのやまみち)」とのこと。



登り始めるとわかりますが、とても優しい山。
登山というよりトレッキングな感覚。
ただ、とにかく沢山の磐座と祭祀場があります。
修験道の人々も昔から沢山いたであろうことも
ひしひしと感じさせられます。





禊岩(みそぎいわ)と
御門岩(みかどいわ)。





朧岩(おぼろいわ)と日抱岩(ひだきいわ)と
光岩(ひかりいわ)。







豊雲岩(とよくもいわ)と
餅ノ岩(もちのいわ)。





八重雲岩(やえぐもいわ)と
蔵立岩(くらたていわ)。





そして、水無神社の奥宮とされる
「天の岩戸(あめのいわと)」へと辿り着きます。
ここでは持って来たお酒を......









近くには「天の扉」などというものや......



その先の山頂近くには鏡岩(かがみいわ)。
御霊岩(みたまいわ)なるものも。





とにかく磐座(いわくら)だらけの登山道ですが、
ココでは名前がわかるモノだけを載せてみました。
そして、「天の岩戸」を越えると山頂エリアに入ります。





この一帯は見通しも良くなっていて、
展望広場もあります。



白山や乗鞍岳、木曽の御嶽山が奇麗に見晴らせます。
以下の写真はその順番になっています。







位山はこのエリアの分水嶺となっているところに、
その特別さの一端があると思うのですが、
こんな霊峰三山の間に位置してソレゾレの姿がよく見える......
という部分にも特別さがあるのではないかと。



こちらが山頂。
辺りには山頂守護の為の!?
修験ぽい小さな社などもありますが......



一番のポイントはこの三角錐(さんかくすい)の石。
もし、位山を天然のピラミッドだとするならば、
この石がキャップストーン的なものとなるでしょうか。
天に昇り立つ強い気を放つ石。
かなりのエネルギー。
この山のキーストーン。





ここで、
祈りと共に最後の濁り酒を。





近くには山頂なのに水が沸き出でるという、
「天の泉」というスポットもあります。
まさに御神水。









そんな位山の山頂からまた麓へと下り。
高山の街で何か美味しいものでも......と街に入ってみると、
なんと、偶然!
この時は有名な高山祭=山王祭の日でもありました......







日本三大美祭と言われる祭り。
壮麗な山車(だし)が華やかに街を巡っていました。





—————————と、そんな感じで、
僕が初めてこの地を訪れた時のことを思い出しながらのドライブ。
やがて、見えて来ました......
飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)。
これまでも幾度か訪れてきた場所。
久々の参詣。
お話は続きます。



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飛騨高山徒然 3

2024-09-30 00:10:00 | 不思議...パワスポ寺社
—————————次回、
車で移動する最中に思い出していた、
この時の水無神社での出来事をもう少し記しておこうかと思います。
続きます。(^^)








この場所に立った瞬間、僕は

祝詞(のりと)か......

と思い。
誰もいなかったので、
「チバカの桂(千心力の桂)」の前にある
小さな社(やしろ)にお酒を捧げ、
その前で懸命に祝詞を捧げました。
すると、あくまで私的な感覚ではありますが、
辺りが異様にキラキラと眩しいほどに光り出し、
その光に自分が包まれるような感覚に陥りました。
そして、その時、目前に美しい、
わずかにミドリがかった大きな青い石があることに気づいたのです。
僕は手を合わせたまま、
その石をよくよく見ようと心眼を凝らすように頑張っていたのですが、
あまりに強く光るその石は、その輝きで輪郭がよくわからず。
ただ、なんとなく、少し長細いクラスターのように見えました。
少し緑がかった感じもあったので、最初は

「エメラルド?」

かと思ったのですが、
その青の強さと硬質さゆえに

「サファイア......かな......」

と理解をしました。
しかし、それがどんな意味のある石なのか?
どうして見えているのか?
本当にサファイアなのか?
などは全くわからず。
とにかくその場に満ちる異様なチカラと、
小社の後ろの山の奥方から感じられる大きな神様の雰囲気に
ひたすら圧倒されていました。
そんな祝詞を終えて、
合掌を解いた後に撮ってみた写真はこんな感じで。
とても古いスマホ写真で恐縮至極ですが......





この場にしばらくボーーーっと佇んでいた僕は、
フト、我に返るような感覚で居直り。

「いかん、いかん、、、」

などと呟きつつ、
心にはこの神社の御神体山である位山(くらいやま)に登ろう......
奥宮に行こう......
という気持ちがフツフツと湧き出て来るのでした。

「そっか。
山にも行かないとなのか......」

僕は神社を出て車に乗り込み、一路、
位山(くらいやま)の山頂を目指すことにしました。
この山に自生するイチイ(一位)の木は、
少なくとも平安の昔から令和の今に至るまで、
皇家が使う笏(しゃく)の材料として選ばれ続けて来ています。
以前「即位の礼」という記事でも記していた
令和天皇の即位に関する一連の儀で使われていたものにしても
水無神社(みなしじんじゃ)が制作し、上納したもの。
三種の神器の一つである
天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」に関しても、
第二次世界大戦中には戦火を逃れさせるため、
名古屋の熱田神宮からこの水無神社に隠し移されていました。
それは昭和天皇自らの決断であり、
この神社や山が古代から天皇家と特別な関係を持っている
ということがよく分かる逸話でもあります。





水無神社に向かう道すがらに思い出していた昔話は、
もう少しだけ続きます。



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2


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飛騨高山徒然 2

2024-09-26 00:26:31 | 不思議...パワスポ寺社
それと、

その後に......

なんでしょうか......

富士山が見えるのです。

富士山の神社......表?の方?

メインで中心となるところ。

高山から戻ったらソコにも行くと良いかと思います。
順番はそれで......
無理はしないでくださいね。
もし行けるようなら、で————————」



そんな飛騨高山をめぐる極々私的な徒然ポンチキ話は、
次回へと続かせていただきます☆(^^)




この話をTBさんにされた時、



「流石にこの人ポンチキすぐるなぁ、、、」



と、とても驚いてしまったのは、
ちょうどその頃、僕はまさに飛騨地方の一宮である
水無神社(みなしじんじゃ)に久々に行きたいな......
と思っていたからなのです。
それをドンピシャで言われてしまった感じで。
それともう一つ、
TBさんと上記したような話をしている最中に、
お馴染みのプリリンねーさんからも何気ない一言があって。
彼女曰く......



「最近ね、神様がみな富士山、富士山、て言うのよ......」



ねーさんのこの言葉の意味に関しては
僕はよくわからなかったのですが、
僕としてはTBさんの話とタイミングが重なっていたので



「偶然の一致!?
ということは何か意味があるのかな......」



と、そう思い。
先ずはTBさんに言われた通り、
僕は富士山の前に飛騨高山に行くことにしたのでした。
時期は今年の4月の末頃だったでしょうか。



まだ雪の残る雄山の峰々を眺めながら
新幹線で富山駅へと向かい、
そこからはレンタカーでブイブイと山奥に。





これまでも幾度か訪れてきた地ではありますが、
向かう道すがら思い出していたのは
初めて水無神社(みなしじんじゃ)を訪れた時のこと。
その御神体山である位山(くらいやま)に登った時のこと。
それは前回記事にも記していましたが、
この地で僕は自分に縁のある不思議な石の姿を
鏡に映るような感じで見せてもらったという出来事があって。
かなり昔のことではありますが、
今でも鮮明に覚えている不思議な体験でした————————



—————————僕が初めて水無神社を訪れた時、
本殿参拝を終えて、
本殿に向かって左方にあるの社務所の方を見てみると、
そこに神社の境内から外に出ていく細い道が見えました。
その道の先が気になった僕は、そこに進んでいくと、
神社の御敷地を出たところにこんな場所がありました。
とても古いスマホ写真ですが......





チバカの桂(ちばかのかつら)なるものと、
こじんまりとした社(やしろ)。
チバカとは「千心力」と記すようで、
千の......無限に......強い精神力、心のチカラ......
という意味なのだそうです。
市の天然記念物となってもいるようです。





—————————次回、
車で移動する最中に思い出していた、
この時の水無神社での出来事をもう少し記しておこうかと思います。
続きます。(^^)


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