雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

意図満載

2015-06-14 22:14:51 | サブ・タイトルの話
まだ若い彼女は「あるモノ」の制作を主な仕事としていました。
なかなか個性的で、
好きなものと嫌いなものとをハッキリと分けるタイプ。
で、それが外にも伝わる。
ハッキリと顔や雰囲気に出てしまう。
本人は気付いていないのだけれど......いや、正確には

「気づいてはいるのだけれど、
それを変えることは自分否定に思える状態となっている」

という感じ。
そして、そんな形の業務言動を長年続けていたところ、
ソレは自然と体に染み渡っていってしまい。
自らの仕事領域のことだけでなく、
彼女が時々に思っていることの多くも、不思議と

「そのまま外に感じとらせてしまう」

という事態や個性に迄なってしまっていました。
特に否定的な感情や、
拒絶的な気持ちなどは強く人に伝わったりもするもので......
多くの仕事相手や仲間を信じるコトも少々難しくなっていたようで......
もちろんソレは、友人を信じる様なコトとは違う「信」で良いのですが......
そんな個性は体面する人々に彼女の真実とは異なる「誤解」を生んでしまい。
その誤解はやがて周囲の「事実」となり。
その事実と彼女の中にある真実とのギャップは、
時に彼女に辛い思いをさせていたりもしている様でした。
そんな自分の状況も彼女は冷静に把握できていないような感じもあって......
ケレドモ、そんなことはもしかしたら「素直」といっても良いことでしょうし、
そうすると悪いことなど......あるのでしょうか!?
世知辛い実社会という範囲に限って言えば、どーも......あるようなのです。

実際、彼女は常にトラブル続きでした。

「好き嫌い」や時に「主張」となる様なモノなどは
一歩引いてみると個人の趣味的な領域にあって、
決して「対象の否定」という気持ちなどとは一緒にしてはいけないように思います。
しかしながら、ソレはともするととても一緒にしやすいものなので、
僕達にとっては多分絵に描いたように陥りやすい「罠」なのだとも思います。
相手の食べ物の好き嫌いを知ったところでその人自体を嫌いになる......
なんてことは普段そうそうは無いように、ソレとコレとは全くの別物。
そんなコトは皆わかっています。
チャンと別々に分けて考えることができるもの。
彼女はそんな事々をとかく一緒にしてしまっていたようにも見えていました。

それは、

きっと、

仕事が好きだから......

なのだと思います。

僕の目にはそんな風に見えていた彼女が、

少し前、

会社を辞める決意をしました。

業務領域に自分の趣味領域が重なってくるような仕事では、
取り組む際の「意識」の持ち方に少々の注意が必要である様に思えます。
二つの領域を混ぜて捉え「過ぎて」しまうと、
ソレは時に素人的な仕事になってしまったり、感じられてしまったりもします。
「自分の趣味領域」というのは「個性」とも言えて、
「分けて考える領域」というのは、
クライアントやマーケットの趣味性や嗜好性、思考、要望、希望......
その他制限事項とも言えます。
社会というメンドーな!?世界における
「最大公約数的事項」や「社会規範」といったようなもの。
ソレらはどうしたって混じっては来ますが、
ちゃんと分けて表現することもできて。
そんな分けた中にも自分の趣味性や個性を嫌味なく、
自然に入れられるのがまたプロというもので。
そんなプロの現場で、
時折素人的に感じられてしまう様な出来事が彼女に関しては多々ありました。

プロのスキルがあるのに、プロの意識を持ち切れていない。

そんな階段の踊り場で悪戦苦闘して、苦悩して、頑張っている......という感じ。

プロとはなんだろう?

僕らは時折そんなことも考えます。

個性を突出させ、
爆発させていくのもプロ!


という人もいるとは思います、が......

そういう人は「アーティスト」なんだと思います。

じゃぁ、

アーティストとは一言で何だろうか?

芸術家?
それをもっと具体的に言語化すれば「自己表現者」とも言えて。
自己表現を極めんとする人」なのだと思います。
そういう意味では、人は皆、
なんらかの形で外に向かって自分を表現しているわけで。
「一億総自己表現者」であり、
そうすると生きとし生けるもの全てが芸術家である様にも僕には思えてきます。

一億総クリエーターです。

だからこそ、

プロフェッショナルとは違うと僕は思うのです。

極論、夢も何も無いことを言えば、

プロか?そうで無いか?を分けるものは実のところたった一つで......

「お金をもらえるか?もらえないか?」

なのだとも思います。

もし、人様から貴重なるお金を1円でも貰えれば、
それが自己表現であろうが何であろうが、
アートであろうが落書きであろうが、
その瞬間、それはプロの仕事となりますし、なれると思います。
初めてのお使いのお駄賃だろうが、
アルバイトだろうが、
路上で芸を見せようが、
10歳児だろうが90歳であろうが、お金を稼げたら、その時点で、
その行為はプロの「仕事」と呼ぶことができるのだと思います。
そんな仕事の先に「プロ中のプロ」とか「エキスパート」とか、
「スペシャリスト」などもあるのではないかとも思います。

だからプロの話しをする時には常に夢だけの話にとどまりません。

でも、だから「プロ」という言葉は職種に関わらず、
あらゆる職業人に充てる事の出来る言葉であるとも思うのです。
だから、お金を生んでしまったアートが、
時にプロの領域に入ってくるようなことも起きてくるのだとも思うのです。

サラリーマンと呼ばれる人々だって、
会社がその人に給与を払う価値を認めている限りは
「会社員という職業のプロ」
なのだと思います。中でも、
会社に利益をもたらす事ができる仕事を組織内で中心的に創造できる様な人は
「プロ中のプロ」と言えるのかもしれませんし、
そんな人を「ビジネスマン」と言うのだとも思います。
経営者やウチの父の様な自営業者、個人事業主といった様な職も、
リスクや覚悟の度合いの違いなどはあるでしょうが、根本的には

「自分はどう生きるか?働くか?稼ぐか?」

「やりたいことをどのような形でやるのか?やれるのか?」

という個人個人のライフテーマや、
価値観における道選択の違いがあるだけで。
多くのコトはそんなプロの話しと同じ線上にある話の様に思えます。

お金を稼ぐこと。

でも、

そのお金に振り回され無い事。

それはエゴを消すこと。

しかし自分の本質までは消さない事。

意図を消すこと。

でも、

意図を消しているのに、

周囲には「意図満載」に見せる事も伝える事も出来る事。

「プロ」って、

そーいう事なんだと僕は思っています。

彼女の仲間が開いてくれた送別会で、
僕は広い海の様な、少々茫洋としたイメージで、
皆の前でヒドク輪郭のボヤけたこんな話しをしました......

「——————自分を信じること。本当に自分を信じ抜くこと。
自分はいつもその真の意味を考えていて、自分に問い詰めて、努力している感じ。
他人や多くのものを信じれるか?どうか?は、
何時もそこにかかっているように思えてるんだよね———————」

かなりモヤっとした「霧」のような話しでしたが、
そこには沢山の意味を込めたつもりでもあります。
「霧」の中に置いた幾つかの本意の内の一つは、
今迄決して言葉にすることはありませんでしたが、実のところ、
こういうコトでもありました。



「いつの日かプロになってほしい」



そんなことを、
僕は意図を消しながら意図満載!で話したつもりです。



「そんな君にいつか会ってみたいんだ......」



と、そんなことを思いながらポヤポヤポヤーーーッ(= ̄ ρ ̄=) ......と、
話してみました。
そんな、僕にとっては実はチャレンジング!?な送別会の後、
意外にもスマホには彼女からお礼のメールが届いていて。
ソレはなんとなく、彼女の性格を考えるに、
そんなメール一つ打つのもとてもエネルギーが必要だったのではないのか?
とも感じられるのです。
僕が返信したのはホンノ一行......
このブログの過去記事アドレスだけでしたが......
いつだって、人との出会いや別れに際して
僕は返信したこの「女神の言葉」の記事のような気持ちでいたりします。
いつの日か、愛する誰かが、

「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」

と見つけてもらえたら、
そんな思いで今日もココに書き記しておきます。



送別会の翌日に訪れた京都の街で、
裏千家の素敵なお姉さんに心静かにお茶をたてていただきました。
限られた時間の中で作法のエッセンスを凝縮させた御手前を魅せていただき、
プロ!的な心を感じさせられました(^_^)
他人に話す言葉は、いつも、実は自分に向けられているものであって。
愛すべきこの街の風景は、そんなことも教えてくれます。


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