雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

人類の「前史」が終わる

2023-01-31 00:05:50 | 面白い
お正月に本をいくつか読んでいたのですが、
その中で、
この本が抜群に面白かったのです。



田坂宏志(たさかひろし)さん著。
「死は存在しない ―最先端量子科学が示す新たな仮説―」
内容を簡潔に記せば

「最新版!科学者のスピリチャル理解」

という感じでしょうか。
学者らしい広く深い見識と考察力。
物事に向き合う姿勢の誠実さ。
極力、平易で分かりやすい文章にしようとする努力。
何より、この世界の真実を見つけようという
「熱い探求心」を感じることが出来て、
僕にはとても印象的な一冊となりました。
備忘録(忘備録)的に、
ここにもほんの一部分を書き置いておこうかと思います。
ええ。ええ。(^^)



============================
——————科学というものが、
現代における「最大の宗教」となっているという、
奇妙な状況がある。



——————それゆえ、現代の科学は、
我々の誰もが日常的に体験する、
次のような「意識の不思議な現象」を説明できないのである。

「視線感応」
「以心伝心」
「予感」
「予知」
「占い的中」
既視感(デジャブ)
シンクロニシティ(共時性、同時性)



——————そして、人類の歴史始まって以来、
無数の人々が抱いて来た問い、
「なぜ、不思議な出来事が起こるのか」
「なぜ、神秘的な現象が起こるのか」
「死後の世界は存在するのか」
といった問いに、二十一世紀の科学は、
あくまでも「科学的な立場」から、
「答え」を示していくべきであろう。



——————そもそも、現代の科学は、
「物質」から「意識」というものが、
どのように生まれてくるかを説明できていないのである。
現代の脳科学は、そのことを、
「脳神経の作用で、意識が生まれてくる」
と説明するが、この説明そのものに、
多くの学者や哲学者が疑問を抱いている。
むしろ、現在、最も注目されているのは、
「そもそも物質そのものが、
極めて原初的な次元で意識を持っているのではないか」
という仮説である。



——————「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、
一言で述べるならば、
この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に
「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、
この場に、
この宇宙全ての情報が「記録」されているという仮説である。



——————もし、「ゼロ・ポイント・フィールド」が、
「ホログラム原理」で、
この宇宙の出来事の情報を記録しているのであれば、
無限に近い膨大な情報を記録することが可能なのである。



——————この「ホログラム原理」を用いると、
記録した情報が、
記録する媒体の「すべての場所」に保存されているため、
媒体の「一部」からも「全体情報」が取り出せるのである。



——————従って、
もし「ゼロポイントフィールド」が、ホログラム原理で、
この宇宙の出来事の情報を記録しているのであれば、
フィールドの一部に繋がるだけで、
フィールドに記録されてた「全体情報」に
触れることができるのである。



——————先ほども述べたように、
量子真空が、138億年前に、
この壮大な神羅万象の宇宙を生み出した場であり、その中に、
無限のエネルギーを宿している場であることを考えるのならば、
不思議な説得力を持った仮説である。



——————実は、現代物理学の世界では、
「過去」「現在」「未来」は、
「同時に」存在しているものとされている。



——————このように、現代科学の最先端の
量子物理学においては、何もない「真空」の中にも、
莫大なエネルギーが潜んでいることが
明らかにされているのであるが、このことは、
「真空」を「無」と考える一般常識からすると、
なかなか理解できないことであろう。



——————また、最新の「量子真空」の研究によれば、
このエネルギーは「無限」であるとの理論も提示されている。



——————なぜなら、量子物理学的に見るならば、
この世界のすべては「波動」だからである。
こう述べると驚かれるかもしれないが、
これは「科学的事実」である。



——————いや、それは、
「目に見える物質」だけではない。
我々が、「目に見えない意識」と思っているものも、
その本質は、やはり、すべてエネルギーであり、
波動に他ならない。
もし、我々の意識や心や精神というものが、
量子的な現象であるとしても、
脳内の神経細胞の電気信号であるとしても、
いずれも、
「波動エネルギー」に他ならないからである。



——————彼(グレゴリー・ベイトソン)は、
ある著作において、
「複雑なものには、生命が宿る」
「心とは、生きていることの証である」
と語っている。

(中略)

すなわち、
「複雑なものには、命が宿る」
ということを複雑系科学の専門用語で言えば、

システム内部の相互関連性が高まっていくと
(システムがふくざつになっていくと)
自己組織化や創発という性質が生まれてくる
(生命的な性質が現れてくる)

ということである。
すなわち、地球のような巨大システムにおいても、
その内部で、水や空気や土壌、海洋や大気や大地、
微生物や植物や動物、
生命や生命手や生態系が複雑に絡み合い、
複雑化していくと、そのシステム全体に
「生命」としての性質が現れてくるのであり、
そのようにして「生命」が芽生えたシステムには、
自然に「意識」というものが芽生えるということを、
ベイトソンは述べているのである。



—————我々の意識の世界には、
次の五つの階層がある。
第一の階層は、「表面意識」の世界である。

(中略)

第二の階層は、「静寂意識」の世界である。

(中略)

第三の階層は、「無意識」の世界である。

(中略)

第四の階層は、「超個的無意識」の世界である。

(中略)

第五の階層は、「超時空的無意識」の世界である。

(中略)

このうち、「静寂意識」「無意識」「超個的無意識」
「超時空的無意識」の四つの階層が、
ゼロ・ポイント・フィールドに繋がることができる
「意識の状態」である。



—————「この宇宙は自己組織化を遂げ続けている」
ということである。



—————もし、あなたが、
「私とは、この肉体である」と信じる限り、
「死」は明確に存在し、
そして、それは、必ずやってくる。

もし、あなたが、
「私とは、この自意識である」と信じる限り、
あなたの意識がゼロポイントフィールドに移った後、
いずれ、その「自我意識」は、消えていく。
そして、「超自我意識」へと変容していく。
それゆえ、その意味において、
「自我意識」にとって「死」は存在し、
それも、必ずやってくる。

しかし、もし、あなたが、
「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、
この “宇宙意識” そのもに他ならない」
ことに気づいたならば、
「死」は存在しない。
「死」というものは、存在しない。



——————では、もし、
これからの数十年をかけて、二十一世紀における
科学と宗教の融合
が成し遂げられたならば、何が起こるのか。
思いを込め、
願いを込め、
最後に、筆者の考えを述べておこう。

人類の「前史」の時代が終わる。

筆者は、深く、そう信じている。
============================


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真冬のグラタン

2023-01-27 00:00:33 | 美味い
にゃんと!
グランタンとドリアの専門店なのにゃ!(=゚ω゚)ノ



「ドリア & グラタン なつめ」さん。
東京都は渋谷区、
代々木八幡という駅の近くにありまする。
僕さん、このお店には1年に1度くらいわ!
必ずお伺いしちゃうのです。
今年も少し前に恒例的に行きました。
ええ。ええ。(^^)



先ずはベースとなるグラタンやドリアを選んで、
その後、
豊富なトッピングメニューからお好みのモノをチョイス。
ご自分様仕様にアレンジ!という、
このチョイスがサイコーに嬉しい&楽しいんす♪(^^)



今回の僕さんは
「たっぷりベジタブル」グラタンの大盛!をベースに
チョリソーとハラペーニョをトッピング。
辛味が立つ仕様に。
サイコーっす。。(*´ー`*)



グラタンというのはどーしてなのか!?
心ほっこり♡
温かい気持ちになってしまうメニューなのでつ。
寒い冬にわぴったり☆なのでつ。
なんでだろー。。!?
そんなこと思っているのは僕さんだけなのか。。
にゃんにゃのだ!?
このホコホコな冬向けの美味しさわ......
和食から最も遠いところにある一品な感覚とか......
しかも、
コチラのお店さんは食後のコーヒーもとても美味しくて。
よきかなよきかな。。(●´ω`●)



して、
どうして!?
1年に1度くらい?
お伺いするのか?というと、
グラタンは今は亡きおばあちゃん
大好きな食べものだったからなのです。
僕さんは、そのお祖母ちゃんの命日には

「グラタンを食べる!」

と決めているわけなのです。
お決まりごとなんす。
グラタン記念日っす。
ええ。ええ。
以前、この

グラタンと枝豆

という記事でも記していましたが、
僕のお祖母ちゃんは戦争でお祖父ちゃんを亡くし。
女手一つで、苦労して、苦労して、
僕の父親を含む5人の子供を育て上げた人でして。
戦中も戦後も、
家でいつも食べていたのは配給などでもらえる
サツマイモぐらいだったそうです。
白いご飯は何よりのごちそうだったんだ、と、
幼かった僕にいつもそんなことを言っていました。
そんなおばあちゃんがグラタンを好きだったワケを
上にリンクした記事から抜粋すると......



———————なんでも、
デパートの屋上にあったレストランで、
一緒に入った友人から「美味しいよ」という勧めを受けて
疑心暗鬼で注文したらしいのですが、
初めて口に入れた時に

「世の中にこんな美味しいものがあったのか......」

と、涙が出るほど心底感動したそうです————————



と、そんな理由で。
なので、
おばあちゃんの命日には僕は必ずグラタンを食べるのです。
この世にいない人に、
好きだった食べ物を届けるには、
その人を想ってソレを食べてあげると
しっかりと届くのではないかと。
僕はそう思っているのです。

寒い冬のある日。

僕はそんなことを思いながら
熱々のグラタンを食べるのです。(^^)


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動く漫画

2023-01-23 00:03:05 | 面白い...映画/音楽
年初のシリーズ記事が長くなってしまい、
少々世間とズレのあるタイミング!?
かもしれませんが......



映画
「THE FIRST SLAM DUNK(ザ・ファースト・スラムダンク)」
がとても良かったのです♪(^^)
原作者の「井上雄彦(いのうえたけひこ)」さん自らが
脚本と監督を務めた作品。
公開後、驚異の7週連続1位の大ヒット。
今日現在迄の興行収入は82億円超え。
100億円も時間の問題。
当初は僕的には完全ノーマークの作品だったのですが、
公開後の周りの評判がとても良かったので、
マストチェック作品へと変更して見てみました。

内容としては原作漫画で最も熱く描かれていた
インターハイの2回戦で、
ファンの間で語られるところの、いわゆる

「山王戦」

漫画を読み込んでいる者としてはその内容も熟知してますし、
世に出てから既に長い年月がたっている作品でもありますし、
TVアニメ版の続編的な要素もある感じでしたし、

「今さら!?」

と、それが僕が当初ノーマークにしていた理由でも
あったのですが......



しかし!



皆の評判通り!



とても良かったのです♪(^^)



個人的には最初から最後まで泣けちゃいまちた。



(T 。T)ぶぇ。



いやー、、、
原作を読み込んでるファンにはたまらない作品かなぁ、と。
この作品までの物語を知らない人には

「?」

という感じの作品であるとも思いますが。
バスケットボール漫画の傑作であります。
興味深かったのは、
これまた当初ファンの間で疑問の声が上がっていた
「フルCGアニメーション」
という部分。
作画を沢山書いてそのまま動かすアニメとは違い、
少ない元原画を元に3DCGで作画を自動生成して
描いていく手法なので、
通常のアニメとは少々違ったテイストになってしまうワケで。
印象としてはアニメーションというよりは

「動く漫画」

とでも言えるような感覚のもの。
好き嫌いはかなり出てくる作風なのではないかと。
しかし、僕さん。
期待していた以上のCG絵の滑らかさと、
絵の細やかさに感嘆し。
見ているうちにドンドコと
作品世界に引き込まれていってしまいました。
色んな意味でなんだか終始ウルウルで。

感動。

久々にスラムダンクの「熱さ」にヤラレテしまいました。
ついでに本棚の隅から漫画を引っ張り出して
改めて読み直したりなんかして......



どーも、
このヒットは、
若い世代は勿論、
スラムダンク世代やチューネンズが見ると、

「忘れていた熱い何か」

を思い出し、

「もう一度、自分も頑張らないとな、、」

なんて思ってしまうことでもヒットしている様な感じで。
いわば少し前の「トップガン」的ヒット?
となっているのではなかろうかと。

熱い思い。

負けたくない!

負けない!

勝ちたい!

という気持ち。

そんな気持ちの大切さを
また改めて思わされてしまった作品なのです。



映画の公開に合わせて発売されたムック
「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE
(ザ ファースト スラムダンク リソース)」
すっかり映画にヤラレテしまい購入......
巻末には今回の映画の主軸ともなっている幻の単発読切作品
「ピアス」も収録されています。
「宮城リョータ」の秘密☆的なお話。
ファンにはたまらんばい(*´ω`)
最後に、
この本の中にある井上さんの印象的な言葉を置いておこうかと。



============================
自分が描いた漫画を見直すと、
当時は若さもあって単純に上り坂を駆け上がっている。
やたらと前へ出る部分にフォーカスしている。
それは例えば勝ち負けの単純な価値観だったり。
だから、
作中にある別の視点を見落としている。
光が当たってない部分がたくさんあることに気付いて、
今の自分だったらそっちの方を描きたいと強く感じました。
かつて描いたものは、
まだ痛みを経験していない状態で前に出ていた。
そうではなく、
弱い者や傷ついた者がそれでも前へ出れる。
痛みを乗り越え、一歩を踏み出す。
これが今回の映画のテーマだと。
============================



過ごして来た月日の長さによって、

自分の年齢によって、

見つけられることの違い。

見つけるべきことの違い。

身につけるべきことの違い。

身につけるべき「強さ」の意味の違い。

勝ち負けの意味の広がりと増していく深さ。

その理解。

それがわからぬのなら、

出来ないのであれば、

愚か者と言われても仕方ないのではないか。



やっぱり、
どんなときも、
負けたくないっすのー☆(*`・ω・´)ゞデシ!


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矢岳徒然 5

2023-01-19 01:30:14 | 面白い...パワスポ寺社
今回、僕が感じたのはそんなイメージ。
フワフワとしたことですが、
そんなことを思い巡らせながら、
僕は皆と矢岳神社(矢嶽神社)を後にしました。

......ポンチキ話はもう少しだけ続きます。




矢岳神社(やだけじんじゃ)とストーンサークルと
ドルメンを参拝し、山を下った僕らは、
ほど近くにある天草エリアの最高峰
「倉岳(くらたけ、くらだけ)」
にも寄って帰ることにしました。





標高682メートル。
その頂上にある「倉岳神社」
一部マニアさん達には「天空の鳥居」として有名でしょうか。





しっかりと鐘もならしまして。(^^)
ええ。ええ。
なんと!山頂に井戸が!あるのです。
矢岳(白岳)同様、この山もただならぬ山。



倉岳や矢岳を含む
「観海アルプス(かんかいあるぷす)」
と呼ばれる天草の山脈は、
そもそも中央構造線に沿っていて、
その動きによって造られて来たのだとも思います。



「1日ありがとうございました!
なんとかガンバレまちた!」

すると、
天草の海に光の柱が!
美しい!
感激!(T 。T)ぶぇ







そんな倉岳神社を後にして、
山々を動き回った1日の仕上げにと、
疲れを癒すため天草市にある温泉
「ペルラの湯舟」さんに突入。



僕はこの温泉には幾度か訪れているのですが、
リゾート系ホテル
「ホテルアレグリアガーデンズ」さんの施設ということもあって、
なにかと行き届いている温泉さんなのです。
とてもゆったりできて、何より景色がサイコー!でして。
ええ。ええ。
お風呂の写真は撮れないのでネットから拝借したものなぞを♪













温泉を出ると、
車を飛ばして熊本市内へと向かい、
予約していたホテルにチェックイン。
夜な夜な街に繰り出して、
翌日はねーさんコニャのリクエストで
高千穂巡りなどをしたのですが、
とにかく驚かされたのは
帰りの空港に向かう直前の出来事。

何かとお世話になった
熊本市内の地にも感謝をしてから帰ろうと、
僕らは宿泊したホテルの目前にあった、
存在感のある、ずっと気になっていた
シメ縄のかかった大きな楠の木に向かったのですが......
その時に、なんと、
途方もない数のカラスの大群が押し寄せて来て......
周囲の建物の上に、
僕らをぐるりと取り囲むようにしてとまりだし......





その異様な光景に、
街ゆく人々も空を見上げ

「何事か!?」

と、ちょっとした騒ぎに。
僕さんはそんな人達以上の舞い上がりっぷりで......







「ねーさん!コニャ!
神様のお見送りだぞーーーーっ!!
クルマ降りろー!
出て手を振れやー!
すげーぞー!
やべー!
何羽いるかわからん!
凄すぐる!
頭のすぐ上の低さまでガンガン飛んでくる!
マジか!?
オカシイ!
かんどー!!!
泣ける!(T 。T)ぶぇ」





大楠をよくよく見てみると、
この地は都市開発をされる前は
「代継神社(よつぎじんじゃ、代継宮、よつぎぐう)」
という熊本城下の神社があった場所らしく。
その跡地であることを示す石碑が立っていました。
大楠は神社の御神木であった故に開発後にも残されたようで、
僕らはこの時までそんなことは知らなかったのです......





そんな矢岳徒然話のエンディング。
最後は沢山の眷属さん達のお見送りで!?
僕らは感動のうちに東京に帰ることができました。



気がつくと、
全5話と少々長いお話となってしまいましたが。
大枠はフィリピン海プレートに関する諸々でもあったので、
今はまた、この話から繋がる諸々で例の場所に!?
向かわなければいけない状況となっていたりもします。
今年も少々動かされることになるのかなぁ......と、
そんな感じでしょうか。
とかなんとか言いつつも、
今回は新年最初の記事でもありましたので、
改めまして......

あけましておめでとうございます。(^^)

2023年が皆さんに良き年となりますように。


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矢岳徒然 4

2023-01-15 00:29:31 | 面白い...パワスポ寺社
神社の方ではお酒と祝詞を捧げて欲しいのだ、と。
矢岳の神様からはそんなお話でした。
そして、この辺で「無」という言葉の意味も
明瞭にわかって来ました———————————

——————新年のポンチキ話は
もう少し続かせていただきます。




綺麗に保持されている社殿の扉を開けると、
中も清浄に整えられていました。
供物も新しいものばかりで、
この神社が地元の方々にとても大切にされていることが
よくわかります。
僕らも汚すことなどないようにお酒をおつぎして......



祭壇の前で神様から言われた
アマテラス祝詞(のりと)」を捧げさせていただきました。
祝詞の最中には、突然、石垣島の
「於茂登の神(オモトノカミ)」様がいらっしゃって、
僕は慌てて奏上する言葉の中に
「オモトの神」という言葉を入れることともなり。
少し汚れ詰まっていた矢岳神社本殿一帯の気を清浄化する
イメージを持ちながら必死に祝詞を唱えました。
途中、体の中に入った邪気を吐き出すために
祝詞を中断せざるを得ない状況にも落ち入りましたが、
なんとか、最後まで奏上することができました。
そんな戦いの様な祝詞奏上を終えた直後に

「ピン!」

と感じ取れたことがあって。
それは石垣島から沖縄、天草に至るまで......
南西諸島の端から中央構造線の本土西端の入口まで......
何かが繋がった!?という感覚。
それは、ねーさんも同様に感じていた感覚だったようで、
僕はやっとひと安心をして、
伸ばしていた背筋を緩めました。
リラックスして、ふと目線を下げると、
そこには今回選んだお酒のキャップが......



「山」という漢字を元にデザインされたモノのようですが......
実は、この辺り一帯や熊本県の大地からは
僕らは巨大な蛇の力を感じたりもするのです。
それは、
九州の地全体が比較的新しい大地だということもあるのでしょうが、
そんなこともあって、なんとなく、
大蛇神さんの力を知らずと受けたであろう
キャップデザインのお酒を選んでみたのですが......
矢岳の神様は勿論、
熊本の地中深くに棲まう大蛇神さんにも祈りが届けばいいなぁ......
と、そんなことも思いました。



その後、
僕らは社殿から先の道を登り、
ドルメンへと向かいました。



巨大なドルメン。
支石墓(しせきぼ)。
古ぼけて文字が消えかかっている説明板によれば、
世界でも最大級のものとのことで......
確かに大きい......



天井石の真ん中にはUFOマーク!?
カエルさん!?
矢岳の神様!?
の模様が浮き出ています。



その正面に一日繋いできた水とお酒を。
本日の仕上げという感じで。



これより先にも道は続いていて、
山頂にも海を見渡せる巨大石などがあるらしいのですが、
ねーさんコニャの体力を考えて、
今回は一旦、ここで帰ることに。
神様との約束はしっかり果たせたのではないかと、
僕らはそれなりに満足をしていました。



さて。



「無」という言葉に関しては、
卯年らしく

「ぴょん!」

と飛躍するための「無」のようでした。
ただソレは、いわゆる

「全てを捨てなさい。欲は捨てなさい」

的な、そんな宗教的な無ではなく。
思いや願いを叶えるために必要な無。
何かを手に入れるための無。
何かを挫けずにやり続けるための無。

無のチカラ。

無の心。

無心。

今年はそんな無心さが大切なのだ、と。
矢岳神社の神様からはそんな解説をいただきました。
そして、なぜか?
因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)
の逸話も頭を廻るのです。
この逸話の意味や解釈は色々とあると思いますが.......

慢心に注意」

それと、

「助けてくれる人が現れる」

といったことが含まれているのではないのかと。
今回、僕が感じたのはそんなイメージ。
フワフワとしたことですが、
そんなことを思い考えながら、
僕は皆と矢岳神社(矢嶽神社)を後にしました。

......ポンチキ話はもう一話だけ続きます。


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矢岳徒然 3

2023-01-11 00:04:43 | 面白い...パワスポ寺社
今回、
矢岳神社(やだけじんじゃ)さんにお伺いしている最中、
僕はずっとそのことを考えていました。

なぜ「無」?なのか。

何が「無」?なのか。

どんな意味があるのか。

卯年と何か関係しているのか?

......矢岳神社を巡るそんな徒然話は、
次回へと続かせていただきます。




矢岳神社(矢嶽神社)へは、
神々の言葉を降ろしてくれるプリリンねーさんと、
うちのコニャ(奥ちゃま)との3人で向かいました。
場所的には熊本県は天草地方の
上島(かみしま)というところにあって、
住所としては上天草市となるでしょうか。
美しい自然が溢れる「雲仙天草国立公園」の中にあります。
正直、地元の方々以外は、
だーーーーーれもこない!?ようなところ。
僕らが矢岳の神様や
他の神々から事前に聞いていたこととしては、
今回のコトは、以前記した

英彦山(ひこさん)を巡る諸々

からも繋がっている諸事だということ。
なので、その時と同じメンバーで出かけることにしました。
それと、とにかく矢岳の神石に「水」が欲しいのだ、と。
向かう先には沢山の巨石があって、
その中の一つに水を注ぐ穴が開いているのだと。
僕らはその穴のところに行って、場を清め、
心からの祈りを捧げ、岩穴に水を注ぐ......
なんていうことが今回神様に頼まれていたことで。

「あとは現地で教える......」

とのことでした。
現地の天草では、
ねーさんが水を用意してきてくれたので、
僕さんとコニャは念のためのお酒を購入。
準備万端。
でわわわ!っと、矢岳神社さんへと向かいました。

神社は白嶽(白岳、しらだけ)と呼ばれる
400メートルほどの小高い山の南麓にありました。
グネグネとした山道を車で登り、
神社の入口に車を停めて。
そこからは鬱蒼とした参道をテクテクと歩き登ることに。
車を停めた入口はこんな感じで......



看板はもはやワケワカランの巻......



参道というよりは登山道。
軽い登山。トレッキング。
ソレなりの靴も体力も必要な道。



しばらく歩くと、
こんな分かれ道があり......



ねーさんが伺う順番を矢岳の神様に聞くと、
神社より先にストーンサークルに行って欲しいとのこと。



こちらがそのストーンサークル!?的な場所。
鬱蒼とした山林を抜けた先に開けた空間があって、
そこに沢山の大きな石が点在していました。
長い年月の中でサークル形状?
はよくわからなくなっていますが、
ハッキリとわかるのは場のタダならぬ気。チカラ。
中央構造線の上にある地であろうということもよくわかります。
幾つかの石にはペトログリフ?的な文様も刻まれていて、
古代より重要な祭祀の場となっていたということも実感。
辺りに散らばる石さん達にもかなりの力が宿っています。





神様からは、

「この中に穴のあいた石があるから......」

と。

「そこに水を注いでほしい......」

と。

宇宙では水は何より貴重で大切なものだからだ.......

と。

「うーーん、、、
それぞれに穴らしきものは空いてるけどなぁ、、、

あ!

あった!

これや!

きっと。

特別感満点!

ねーさん、
念のため神様確認をお願いしまする」

「それでいいって」

「おお!リョーカイ!」



沢山の岩石が一面に転がっている中で、
その中央部分に、一つ目立つ石があって。
その石には、こんな、いかにも!?
といった穴が開いていました。
穴は当然!?かなり汚れていたのですが、
僕は事前に「穴がある」と聞いていたので、
念のため掃除用のブラシとタオルを持って来ていました。
僕はソレをリュックから取り出し、
イソイソと穴の掃除を始めました。



一部、美しい苔があったので、
そこだけは少し残して、
他の部分を綺麗に仕上げると、早速、
ねーさんが持って来ていた水を注ぎ込みました。



水を注いだ後は、しばしの間、
その石の前で3人で手を合わせて祈りを捧げました。

あたりの静寂が増すような感覚.......

無事に神様との約束を果たせた僕らは、
しばしの祈りを終えると、元来た道を引き返し、
先ほどの分岐点へと戻って、
今度は矢岳神社さんの方へと向かいました。



つきました♪(^^)
山中深くにある神社ですが、
とても綺麗に保持されています。
感激。





神社ではお酒と祝詞(のりと)を捧げて欲しいのだ、と。
矢岳の神様からはそんなお話でした。
そして、この辺で「無」という言葉の意味も
明瞭にわかって来ました———————————

——————新年のポンチキ話は
もう少し続かせていただきます。



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矢岳徒然 2

2023-01-07 00:05:53 | 面白い...パワスポ寺社
矢岳神社にある巨石群に関してはペトログリフも刻まれていて、
どうやら、宇宙の神様が降りられる場所のようでもありました。
プリリンねーさんによると、その神様の名前は
「矢岳の神(やだけのかみ)」
とのこと。
やはり、
遥か古代より地球に関わってきた星の神様のようでした。

限りなくアヤシイ!?
年の初めのポンチキ話は続きます......




もはや衆知の話?であるかと思いますが、
この日本列島には
「中央構造線」
という大断層が東西に走っています。
過去記事の「中央構造線」や「フィリピン海プレート
あたりを見ていただけると
よく理解していただけるかと思いますが、
その中央構造線の陸の西端、
西側の海への出口となるところが、
どうも、天草のあたりのようなのです。
以前の記事にも載せていた資料図に場所を書き入れてみますと......
図中の赤い線が中央構造線となりますが......





こんな感じ。
そして、
フィリピン海プレートの形がよくわかる図も載せますが......





ここで気づく方もいらっしゃるかと思いますが、
中央構造線なる大断層線というのは
フィリピン海プレートの北辺の形に沿って形成されている
と考えられます。

地殻プレートが重なり合うところでは、
どちらかのプレートが、
どちらかのプレートの下に潜り込み、
立体的に重なり合い、幅を持って繋がっているため、
プレート同士がぶつかり合う強大な力が
最も強く作用する場所は、
地表の境目部分より奥の方へとズレていくわけです。

上の4つの図からわかるのは、
フィリピン海プレートは、
日本列島が乗っているユーラシアプレートの下に
南から北に潜り込む形で動き、
繋がっているということであり。
プレートが重なり合っている幅の分だけ、
中央構造線は列島の中に入り込んだ位置で走っている......
ということです。
このあたりのことは、やはり過去記事の
鹿島徒然
あたりにも図と共に記していたと思うので、
イメージが湧きにくい方はそちらも参照して頂けたらと。

そして、
フィリピン海プレートの淵に沿っているということは、
天草で海に出た先は南海トラフから琉球海溝に沿って、
沖縄本島石垣島の方にまで
この構造線は繋がっているであろうということです。





「天草の矢岳神社に来てほしい......」

と、神様がおっしゃるということは、
今年は、必然的に、
このプレートの動きのことを意識せざるを得なくなります。

そして、

今年は卯年。

うさぎ年。

ぴょんぴょんドシ。

大地がぴょん!と跳ねる可能性も、
いつもの年より大きいのかもしれません。
しかし、ソレはあくまで可能性の話であって。
この国では常にある可能性であり。
そんなことを少しでも軽減させる?
抑える?
無くす!?
ために、
たとえ無駄で馬鹿げたことだとしても、
色々な人が動いていたりもします。
無意識で動かされているような人もいます。
そんなことで色々な物事が変わっていったりもします。



未来は常に不確定という原則。



なので、正しい言葉としたら、
今年はそんなことを頭の隅に置きながら、
リスク対応を考え、
暮らしの備えを諸々としながら過ごすとよいのかも.......
ということ。

そして、

そんな今年に気になるのは奇数。

そのあたりにも気をつけて過ごせればと思っています。

更にもう一つ。
今年の出雲会議後に天から降り下りて来ていた言葉は、
実は「無」なるものでした。

「無」

どういうことか?

今回、
矢岳神社(やだけじんじゃ)さんにお伺いしている最中、
僕はずっとそのことを考えていました。

なぜ「無」?なのか。

何が「無」?なのか。

どんな意味があるのか。

卯年と何か関係しているのか?

......矢岳神社を巡るそんな徒然話は
次回へと続かせていただきます。



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矢岳徒然

2023-01-03 00:02:33 | 面白い...パワスポ寺社
明けまちた!(=゚ω゚)ノ☆

2023年!

よろしくお願いいたしまちゅのでちゅ!(*`・ω・´)ゞデシ!

新年最初の記事は、
毎年の恒例ともなりましたが、
例年、出雲会議の後から不思議と?
降り下りて来る1年のイメージと、
干支にまつわるエトセトラのお話でございます。

ポンチキ話っす!

あまり気にせんといてくださいませ!

読まれる方はテキトーに!

でちゅ!

先ずは例によって過去記事のマトメから!(*`・ω・´)ゞデシ!



2013年。巳年。みどし。 ヘビ年。蛇年。
過去記事は「ウネリと螺旋
伊勢と出雲の「同時遷宮」の年。
年間のエネルギーは「8」で表される強大なエネルギー。
しかし、その力は「8」の形に捻られ、閉じ込められ。
「8」の内側で蛇の様にウネリ、
強くあるのになかなか外に出ていけない。
停滞しているかの様な焦れったい状況。年。
ただ、何かを勉強するにはとても良さそうな年。
年末に導かれた神社は埼玉県の大宮氷川神社

2014年。午年。馬年。うま年。
過去記事は「うま
巳年で内側に溜まっていたエネルギーや勉強した力が、
遷宮の義の終了とともにお馬さんに乗ってドドド......
っと走り出しそうな年。
年末に導かれた神社は神奈川県の箱根神社と、その元宮

2015年。未年。ひつじ年。
過去記事は「星の時代
見えて来る景色が何故か?宇宙から見た地球の姿。
太陽系の姿。
宇宙という世界。
地球という囲いの中で生きる羊。
導かれる神社さんも今迄になく「星の神様」の社が多く......
星の気持ち。
星の視点。
本格的な「星の時代」の始まり。
そんな意味と出来事が加速しそうな年。
年末に導かれた神社は大阪府、交野市、小松神社
別名、星田妙見宮。

2016年。申年。猿年。さる年。
過去記事は「SIGNAL
引き続き加速していく「星の時代」と共に、
国家や企業、コミュニティの「混」にも立ち会うかもしれない年。
「混」という文字にどんな文字が足されるのか?
......ということと同時に、
多くの「去る」もあるのではないか......という年。
年末に導かれた神社は大阪府、東大阪市、
石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)と、
その上之宮(上之社)

2017年。酉年。鳥年。とり年。
過去記事は「The Year of Ghost
正確には「丁酉=ひのと・とり」と呼ばれる酉年。
ソレは「火の鳥」。幻の鳥。
多くの人に「リアルな未来の生活イメージ」みたいなものが
ようやく幻の様に見えてくる、ビジョンが持ててくる様な年。
故に、火の様にユラユラと消えて無くなる
「幻のような年」にもなりそう。
年末に導かれた神社は岐阜県、不破郡垂井町、南宮大社。

2018年。戌年。犬年。いぬ年。
過去記事は「Eve
それぞれの人にとっての「勝負」とも言える様な事が、
目前にいくつか置かれる年になるのではいかと。
その勝負事の明暗を分ける「鍵」というのが犬!?
というか「恩義」なるもの。
年末に導かれた神社は滋賀県、東近江市、
阿賀神社(あがじんじゃ)
別名、太郎坊宮。

2019年。亥年。猪年。いどし。いのしし年。
過去記事は「維新と威信
維新と威信。
明治の時のような社会科構造の変革が猪突猛進的に進み、
新年号と共にわかりやすく現れてもいく。
旧体制と新体制との間で精神的に傷つき、
血が滲む様な人も多く。
弱り目に祟り目。
犠牲無き維新は無く。
必要なのは自らの威信にかけるという強い気持ち。
どんな時も明治の志士達のような強い気持ちや誇り、
尊厳を失わないこと。
年末に導かれた神社は山口県、萩市、松陰神社

2020年。子年。ねずみどし。鼠。ネズミ。
ちゅーちゅー年。
過去記事は「2020・0101
降りて来た言葉はシンプルに「自立」。
それは「神々や全てのモノモノからの自立」という意味のようでもあり、
現在の人類はようやく成人し、大人になったのだ、と。
そんなテーマが裏に隠れた事象が起こっていくというような年。
ずっとドッシリと構えていたような方々も!?
そんな「新たな自立」という様なことの為にあくせくと、
チューチューと、
ネズミさんのように走り回らねばならないことも多くなる年。
年末に導かれた神社は宮崎県、
日向市にある大御神社(おおみじんじゃ)

2021年。丑年。年。もーもードシ。
過去記事は「風和」。
降りてきた言葉も同じく「風和」。
どんなことがあっても風の様に軽やかに。
透明に。
色をつけず。
流されるところは流され。
止まる時は止まり。
無為自然に。しなやかに。柔かに。
風が和するが如く。
風と和するが如く。
牛のようにドッシリと落ち着き。
小さなことは気にかけず。
どこ吹く風!?みたいにのんびりと。
食べて寝て、寝て食べて。ソレでも全然大丈夫な年。
年末に訪れた神社は奈良県、
生駒郡にある龍田大社(たつたたいしゃ)

2022年。寅年。トラ年。
過去記事は「清洲の虎
降りてきた言葉は「勝利」
この年における「虎」とは結実の「金」であり、
「勝利」を意味するとのこと。
当然、勝利があるということは敗北もあるようで、
どこか張り詰めた厳しい空気も感じられる一年になるとも。
そして虎は「終わりの虎=尾張の虎」でもあるようで、
とにかく「織田信秀」さんのところに行きなさい、と。
年末に導かれた神社は、岐阜県、清洲市、
清洲古城跡公園の中にひっそりと佇む、
信秀さんの子息である織田信長さんを祀る小社
「右大臣織田信長公古城跡」。





......さて。
2023年。
卯年。兎年。うさぎ。ウサギさん。



ぴょんぴょんドシ!(。・ω・。)ノ



昨年末の出雲会議後にお呼ばれしたのは......
熊本県、天草の山中深くにある
「矢岳神社(やだけじんじゃ、矢嶽神社)」さん。



前年同様マニアすぐる場所ですが......
訪れてみると、
神社というよりこの国最古級の古代遺跡といった感じ。
巨岩が円形に並ぶストーンサークル的な場所。
山頂直下には世界最大級の「ドルメン」などもあります。
ドルメンとは石器時代から世界各地に残り見られるもので、
巨大な石柱の上に、
これまた巨大な天井石が乗る形の遺跡。
「支石墓(しせきぼ)」
とも呼ばれるもの。
イギリスのストーンサークルなどはまさにこの形態の代名詞で、
この国の有名どころでは奈良県の石舞台古墳などは
「ソレ的なもの」
ともなるでしょうか。

矢岳神社にある巨石群に関してはペトログリフも刻まれていて、
どうやら、宇宙の神様が降りられる場所のようでもありました。
その神様の名前は、
プリリンねーさんによると
「矢岳の神(やだけのかみ)」
とのこと。
やはり、
遥か古代より地球に関わってきた星の神様のようでした。

限りなくアヤシイ!?
年の初めのポンチキ話は続きます......



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