「作品の公開は自分の死後20年は控えてほしい.....」
という遺言を残したスウェーデンの画家
「ヒルマ・アフ・クリント(Hilma af Klint)」さん。
1944年に逝去(せいきょ)されて以降、
長い間マニア向けの!?知名度の低い画家さんでしたが、
ここ数年は時代の潮流もあってか、
驚くほどの世界的ブレイクを果たしています。

彼女の作品を取り巻く状況が劇的に変わったのは2013年。
スウェーデンのストックホルム近代美術館で開催された回顧展。
以降、その回顧展は2015年迄ヨーロッパ各地を巡回し続け、
多くの賛辞を受けることになりました。
そして、世界的な名声を決定的にしたのは、
ヨーロッパでの成功を受けて2018年に開催された
ニューヨークでの回顧展でしょうか。
ニューヨークでも屈指の規模とステイタスを誇る
「ソロモン・R・グッゲンハイム美術館」
での動員は60万人を超え、
美術館の記録を塗り替えてしまいました。
そんな彼女の展覧会がアジアで初めて!
この日本で!開かれる!
と伺いまして。
先日プラリとパトロールに行ってきました。
場所は東京、千代田区にある「東京国立近代美術館」
ヒルマ・アフ・クリントさんの大回顧展
「The Beyond」
とても見応えがありました♪(^^)

彼女の絵を評する際によく用いられる言葉としては
「これ絵なの!?」
「わけわからん」
「抽象絵画(ちゅうしょうかいが)じゃん」
「モンドリアンやカンディンスキーより古くね?」
「ってことは抽象画の先駆者では!?」
などなど。
加えて、
彼女が傾倒していたスピリチャリズム世界の影響もあり、
「神の絵」
「神的世界を表現した絵」
「スピリチャルな絵」
「オカルトじゃね!?」
「ブラヴァツキーの神智学協会の絵じゃね!?」
「シュタイナーの世界じゃね!?」
などなど。
とても多角的な見方のできる方となっています。
今回の展覧会はそんな彼女らしく写真撮影OK!
という神がかった!?かたち。
巨大な絵も沢山あって、
サイズに押される感覚も見どころでしょうか。


とにかく独特の絵が並びます。
ワケなどわからなくても魅かれるものがあるという......





しかし、しかし、
いつでも写実的な絵やモダンな絵もしっかり描けるという......


とても印象的なこのコーナーは、
絵画展なのに聖地的な天地の力が集まっていたりも......

この絵などは特にスゴイっす......
帰りにポスターフレームも買ってしまいまちた......

制作資料的な展示物には
幾何学的で数理的な思考が垣間見えるノートなども。





全ての絵の奥底に彼女のなんらかの根拠や定理、
意図があることもよく分かります。





彼女を「不思議ちゃん」たらしめている
友人達と行っていた「降霊会」の祭壇写真なども。

「至高の霊的存在に向かう世界の絵を描くように......」
というような啓示を神から受けていた.....
という話も伝わっていたりします。










この展覧会は石川県は金沢市在住のアーティスト
「Nちゃん(♀)」からも強力なプッシュ!
をいただいていたのですが、
「uzmetさんの感想を聞きたい......」
なんてことも言われていたもので。
多様なヒルマ作品の中でも、
特に彼女に独特の存在感と価値を与えている
スピリチャルとも形容される抽象画部分に関しての
個人的な感想を記しますと......
ミエテいたんだろうなぁ、、と。
そうは思います。
それと、
何かと教えられていたんだろうなぁ、、と。
見えていたものは常に動きのある映像だったのだろうなぁ、、と。
そうも思います。
物質や生命の生成と消滅。
その源泉と循環。量子。分子。
それらに必要な陰と陽。雌雄。男女。統合。
エネルギーの正体。
それらを司る神的なもの。
そんなスピリチャルな抽象画の特徴としては、
「動画を一枚の絵の中に収めようと描いている感覚」
でしょうか。
彼女に見えていた世界や分子や量子やエネルギーや、
魂や神的なものの「動き」を一枚の絵に落とし込んでいる感覚。
例えば、アニメーションなるものは
時系列に沿ったモノの動きを一枚一枚の絵に落とし、
それをパラパラ漫画やgif(ジフ)と同じ原理で連続表示していくというもの。
そんな何枚もの絵を使って表現する「動き」というものは
「時間」という軸を使わないと出来ないものですが、
彼女はそんな「動き」というものを
「時間のない二次元的な一枚の絵の中で表現しよう......」
としていた感覚を感じました。
それはちょうどピカソをはじめとする「キュビズム」が
「多様な角度から見た物の形を一つの画面に収める」
という視覚実験的なものであったのと全く同じことであって。
「時間と共にある “動き” なるものを、
静止した二次元的世界に閉じ込めるように表現する」
ということのようにも思えます。
その辺がどこか数理的で物理的な雰囲気も纏う作品となっている
要因なのではないかと思いますし、
独特の前衛性を感じる絵画となっている部分ではないかと。
ま、こんな感想を記しているような人はいないようですけども。
ええ。ええ。
「彼女が感じ見ていた神とは、
常に動き、変化するものであって、
それは時間そのものであったのかもしれない......」
なんてことでもあるでしょうか。

そんな展覧会で僕のようなポンチキさんが
一番感動したのはこの絵でした。

未完成?的な小さな絵だったのですが......
最高です。
素晴らしい。
輝かしい。
神々しい。
以前も記した大好きなターナーさんの最晩年の絵の境地に
踏み入れている感覚があるように思えました。
神々しい光の中で陰も陽も全てが一つに溶け合っていくさま......
全ては一つであるのです......というさま。
目指すべき神天の世界と、そこへ向かう自分。僕ら。親と子。
構図の完璧さと柔らかさ。
それが未完成で描き置かれている......
泣けちゃいます♪(^^)
という遺言を残したスウェーデンの画家
「ヒルマ・アフ・クリント(Hilma af Klint)」さん。
1944年に逝去(せいきょ)されて以降、
長い間マニア向けの!?知名度の低い画家さんでしたが、
ここ数年は時代の潮流もあってか、
驚くほどの世界的ブレイクを果たしています。

彼女の作品を取り巻く状況が劇的に変わったのは2013年。
スウェーデンのストックホルム近代美術館で開催された回顧展。
以降、その回顧展は2015年迄ヨーロッパ各地を巡回し続け、
多くの賛辞を受けることになりました。
そして、世界的な名声を決定的にしたのは、
ヨーロッパでの成功を受けて2018年に開催された
ニューヨークでの回顧展でしょうか。
ニューヨークでも屈指の規模とステイタスを誇る
「ソロモン・R・グッゲンハイム美術館」
での動員は60万人を超え、
美術館の記録を塗り替えてしまいました。
そんな彼女の展覧会がアジアで初めて!
この日本で!開かれる!
と伺いまして。
先日プラリとパトロールに行ってきました。
場所は東京、千代田区にある「東京国立近代美術館」
ヒルマ・アフ・クリントさんの大回顧展
「The Beyond」
とても見応えがありました♪(^^)

彼女の絵を評する際によく用いられる言葉としては
「これ絵なの!?」
「わけわからん」
「抽象絵画(ちゅうしょうかいが)じゃん」
「モンドリアンやカンディンスキーより古くね?」
「ってことは抽象画の先駆者では!?」
などなど。
加えて、
彼女が傾倒していたスピリチャリズム世界の影響もあり、
「神の絵」
「神的世界を表現した絵」
「スピリチャルな絵」
「オカルトじゃね!?」
「ブラヴァツキーの神智学協会の絵じゃね!?」
「シュタイナーの世界じゃね!?」
などなど。
とても多角的な見方のできる方となっています。
今回の展覧会はそんな彼女らしく写真撮影OK!
という神がかった!?かたち。
巨大な絵も沢山あって、
サイズに押される感覚も見どころでしょうか。


とにかく独特の絵が並びます。
ワケなどわからなくても魅かれるものがあるという......





しかし、しかし、
いつでも写実的な絵やモダンな絵もしっかり描けるという......


とても印象的なこのコーナーは、
絵画展なのに聖地的な天地の力が集まっていたりも......

この絵などは特にスゴイっす......
帰りにポスターフレームも買ってしまいまちた......

制作資料的な展示物には
幾何学的で数理的な思考が垣間見えるノートなども。





全ての絵の奥底に彼女のなんらかの根拠や定理、
意図があることもよく分かります。





彼女を「不思議ちゃん」たらしめている
友人達と行っていた「降霊会」の祭壇写真なども。

「至高の霊的存在に向かう世界の絵を描くように......」
というような啓示を神から受けていた.....
という話も伝わっていたりします。










この展覧会は石川県は金沢市在住のアーティスト
「Nちゃん(♀)」からも強力なプッシュ!
をいただいていたのですが、
「uzmetさんの感想を聞きたい......」
なんてことも言われていたもので。
多様なヒルマ作品の中でも、
特に彼女に独特の存在感と価値を与えている
スピリチャルとも形容される抽象画部分に関しての
個人的な感想を記しますと......
ミエテいたんだろうなぁ、、と。
そうは思います。
それと、
何かと教えられていたんだろうなぁ、、と。
見えていたものは常に動きのある映像だったのだろうなぁ、、と。
そうも思います。
物質や生命の生成と消滅。
その源泉と循環。量子。分子。
それらに必要な陰と陽。雌雄。男女。統合。
エネルギーの正体。
それらを司る神的なもの。
そんなスピリチャルな抽象画の特徴としては、
「動画を一枚の絵の中に収めようと描いている感覚」
でしょうか。
彼女に見えていた世界や分子や量子やエネルギーや、
魂や神的なものの「動き」を一枚の絵に落とし込んでいる感覚。
例えば、アニメーションなるものは
時系列に沿ったモノの動きを一枚一枚の絵に落とし、
それをパラパラ漫画やgif(ジフ)と同じ原理で連続表示していくというもの。
そんな何枚もの絵を使って表現する「動き」というものは
「時間」という軸を使わないと出来ないものですが、
彼女はそんな「動き」というものを
「時間のない二次元的な一枚の絵の中で表現しよう......」
としていた感覚を感じました。
それはちょうどピカソをはじめとする「キュビズム」が
「多様な角度から見た物の形を一つの画面に収める」
という視覚実験的なものであったのと全く同じことであって。
「時間と共にある “動き” なるものを、
静止した二次元的世界に閉じ込めるように表現する」
ということのようにも思えます。
その辺がどこか数理的で物理的な雰囲気も纏う作品となっている
要因なのではないかと思いますし、
独特の前衛性を感じる絵画となっている部分ではないかと。
ま、こんな感想を記しているような人はいないようですけども。
ええ。ええ。
「彼女が感じ見ていた神とは、
常に動き、変化するものであって、
それは時間そのものであったのかもしれない......」
なんてことでもあるでしょうか。

そんな展覧会で僕のようなポンチキさんが
一番感動したのはこの絵でした。

未完成?的な小さな絵だったのですが......
最高です。
素晴らしい。
輝かしい。
神々しい。
以前も記した大好きなターナーさんの最晩年の絵の境地に
踏み入れている感覚があるように思えました。
神々しい光の中で陰も陽も全てが一つに溶け合っていくさま......
全ては一つであるのです......というさま。
目指すべき神天の世界と、そこへ向かう自分。僕ら。親と子。
構図の完璧さと柔らかさ。
それが未完成で描き置かれている......
泣けちゃいます♪(^^)