
赤の広場にある「ワシリー大聖堂」
どう見てもおとぎの国のお城としか思えない
貧弱な私の脳みそ・・・(-_-;)
■2014年3月26日
サンクト・ペテルブルグからモスクワに移動して、まずクレムリンを訪ねましたが、見学後はすぐそばに位置する「赤の広場」まで歩いて行きました。この場所は旧ソ連時代、共産党の象徴である真っ赤な色をした広場だと思い込んでいた私は、この「赤の広場」をイタリア語なら「la piazza(広場) rossa(赤)」だよなぁ~等と思いながらいましたが、なんと大きな的外れといいますか、誤解といいますか、いや、きっぱりはっきりと無知そのものでした。赤の広場とは、古いロシアの言葉で「とても美しい広場」という意味を持つのだとか。ガイドさんからそう聞かされて、へえへえのトリビア(古っ)でした。

クレムリンから坂道を降りてきてこの門から入りました。
この風情、どこか遊園地にでも入場~みたい(^^)
今日はいいお天気でしたが、風が強くてとても冷たい一日で、震え上がりました。

赤の広場
赤くない・・・
右にそびえ立つのが時計を持つ「スパスカヤ塔」で、クレムリンの城壁が続く
あの塔のてっぺんには直径3メートルもある宝石のルビーが輝く
クレムリンと赤の広場を結ぶこの塔は最も重要な建物になっているとか
以前テレビのニュースで、『赤の広場では、なんちゃらかんちゃらの記念パレードが行われました~』と聞いた記憶がありますが、この広場のことだったんだ、と現地に立てば、一介のニュースでさえ急に身近に思えてくるから不思議です。
昔々の名だたる武将達が闊歩したであろう石畳は確かにそのまま存在しているし、今は観光地と化しているけれど歴史をたどってみれば、この場所は怖い話が見え隠れする。その中でも特筆されるのがイワン大帝で、16世紀の頃、大戦の勝利を祝って建てさせたのが“おとぎの国のお城”のようなこのワシリー聖堂でした。

この聖堂、別名をボロクソじゃなかったポクロフスキー聖堂ともいう
ロシア正教は、不思議なことにマリア様を礼賛する・・・でも拝むのではないらしい
カトリックでもなくプロテスタントでもない独自の道を歩んだロシア正教は、ガイドさんからどんなに聞いても理解できなくて、キリストの母マリアを決して神格化して拝みはしないが、生神女(しょうしんじょ)として尊敬するのだといいます。同じ女性として、悪い気はしないのだけれど、奥深か過ぎて、その真なる意味が最後まで分かりませんでした。
このカラフルな聖堂の色合いもそれに拍車をかけている訳ですが、実は前述の通り、聖堂を巡って残酷な逸話が残っています。先のイワン大帝が、できあがった聖堂を見て、こんなに美しい建物を二度と作ってはならんと、製作者の目をくりぬいてしまったとか。もっとも、これはまことしやかに流れた嘘が、元々幼少期から極悪非道な性格の持ち主だったイワン大帝のエピソードになってしまったようですが、嘘でもホントでも、こんなに可愛い教会なのに、伝承されるお話とのギャップはなんと大きいことでしょう。
なお聖堂は葱坊主を持つ8つの建物から出来ていますが、一見バラバラの寄せ集めのように思えるのに四方八方どこから見ても見事な調和を保っています。これこそがロシア統一を表しているのだとか。ガイドさんは、とても熱く、そして早口でまくし立ててくれました(^^)

国営百貨店「グムデパート」
この赤の広場で目を引いたのは、横に長い宮殿のような立派な建物です。この建物はモスクワでも異彩を放つ高級百貨店で、しかも国営だというからびっくり。
ここではわずか30分の自由時間しかなくて、広場の写真をあちこち撮っているうちに過ぎてしまいましたが、ガイドさん、もっと早くこの百貨店のことを話してくれたなら、中でお茶を飲むことも出来たのにと残念でなりませんでした。というのも、中に入ってみて、その斬新な造りに驚かされたのです。

グム百貨店の正面入ったところ、いわゆるインフォメーション
通路は高くて、吹き抜けになっています。二階にはずっと続くテラスもあってカフェやレストランもありました。なんともおしゃれな雰囲気で、他のヨーロッパのデパートとは明らかに違う。画一的でない、それでいてとてもリッチな気分にする雰囲気は独特でした。

通路にはブランドのブースも並んでいる
イケメンのお兄さん、テロテロの格好をしている旅行者の私たちには、声は掛けない^^;
ガイドさんが、この百貨店の説明をした時に言った一言
聞き漏らしはしませんでした
この百貨店の中には、豪華な歴史トイレがある
なんですとー
続く