民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「知らざあ言って聞かせやしょう」 付章 その1

2017年02月18日 00時18分30秒 | 伝統芸能(歌舞伎など)
 「知らざあ言って聞かせやしょう」 心に響く歌舞伎の名せりふ 赤坂 治績 新潮新書 2003年

 付章 その1

 江戸の文化には世界に稀な特徴があります。庶民(町人)が文化を担っていたのです。現代の我々は、江戸文化と言えば、芸能では歌舞伎、浮世絵、文学では絵草紙や俳句・川柳などを思い浮かべます。これらはすべて庶民の文化です。それまでは、支配層の文化が時代を代表していました。たとえば、平安文化と言えば貴族の文化だったし、鎌倉文化も支配者であった武士の文化でした。これは西洋も同様で、支配者・権力者の文化が時代を代表していました。江戸時代の文化だけは特異で、権力とは遠いところにいた庶民が文化を担っていたのです。

 その江戸文化を代表する演劇は歌舞伎です。歌舞伎は江戸幕府の開府と時を同じくして誕生し、他の庶民文化と一緒に、元禄期(17世紀末~18世紀初頭)に花開きました。そして、時代を代表する芸能として、他の文化に大きな影響を与えてきたのです。


「知らざあ言って聞かせやしょう」 はじめに その7

2017年02月14日 00時45分15秒 | 伝統芸能(歌舞伎など)
 「知らざあ言って聞かせやしょう」 心に響く歌舞伎の名せりふ 赤坂 治績 新潮新書 2003年

 はじめに その7

 しかし、どこかで耳にしたことがある名せりふも、現代はそれが歌舞伎のせりふであることを知る人は少なくなってしまいました。ましてや、どういう芝居のどういう場面のせりふなのか、知っている人はほとんどいません。
 幸い、近年、歌舞伎や日本語への関心が高まっています。近代以降の欧米化政策の結果、日本人でありながら、自分が何人なのかわからなくなった人が多くなった中で、自分の足許を見詰めたいと考える人も増えていることの反映でしょう。
 本書の目的は、名せりふを通して、歌舞伎はどういう演劇なのかを紹介することにあります。どの項目から読んでも良いように作りましたので、関心ある項目からお読みください。せりふだけ抜き出して味わうことも出来ますし、解説を読んで深く識ることも出来ます。また歌舞伎の台本・せりふの特徴を知っておけば、さらに理解が深まりますので、ぜひ巻末の付章「歌舞伎の台本とせりふ」もお読みください。

「知らざあ言って聞かせやしょう」 はじめに その6

2017年02月12日 00時37分21秒 | 伝統芸能(歌舞伎など)
 「知らざあ言って聞かせやしょう」 心に響く歌舞伎の名せりふ 赤坂 治績 新潮新書 2003年

 はじめに その6

 ところが、名せりふとして現代まで伝わっているものは、初演の狂言作者(劇作家)が書いたとは限りません。原作の浄瑠璃や初演の台本にないく、のちに俳優や狂言作者が工夫して作ったと思われるものも多いのです。(「入れ事」と言う)台帳(「土台になる帳面」という意味)というように、歌舞伎は台本をあくまで基礎であると捉えていたので、台帳が作られてからも、俳優たちは工夫を加えたのです。
 歌舞伎に限らず、演劇は観衆がいなければ成立しない芸術です。歌舞伎の名せりふは、作者、俳優と、観衆が共同して作りあげてきたのです。我々の祖先培ってきた文化遺産と言えるでしょう。

「知らざあ言って聞かせやしょう」 はじめに その5

2017年02月10日 00時11分14秒 | 伝統芸能(歌舞伎など)
 「知らざあ言って聞かせやしょう」 心に響く歌舞伎の名せりふ 赤坂 治績 新潮新書 2003年

 はじめに その5

 『鈴ヶ森』はいま一幕物としても上演されますが、もともと幡随院長兵衛物(権八小紫物)の一場面の名前です。同じような場面は、現代も上演される作品で言えば、桜田治助の『幡随院長兵衛精進俎板(俎板の長兵衛』にも、鶴屋南北の『浮世塚比翼稲妻(稲妻草紙)』にも出てきます。延享期(18世紀半ば)に初演され、名場面の一つになったのです。
 江戸時代は、台本(「台帳)という」も含めて、古くても良いものは再利用しました。歌舞伎は現代劇でしたから、新作の上演が原則で、出演俳優に合わせて毎回台本を書き改めましたが、前に上演して好評だった場面は再利用したのです。「雉子も啼かずば・・・」というせりふも、この場面を含んだ作品が上演される度に使われたので、いつの間にか諺になっていまったと思われます。


「知らざあ言って聞かせやしょう」 はじめに その4

2017年02月07日 00時12分20秒 | 伝統芸能(歌舞伎など)
 「知らざあ言って聞かせやしょう」 心に響く歌舞伎の名せりふ 赤坂 治績 新潮新書 2003年

 はじめに その4

 戦前までは、歌舞伎を見ることはもちろん、演じることも庶民の生活の一部でした。たとえば、『蛙茶番』『村芝居』『田舎芝居』『芝居風呂』『質屋芝居』(以下いくつか省略)などの古典落語があります。近代までは歌舞伎が芸能の中心に座っていたので、歌舞伎を題材にした落語がたくさん作られたのです。これらのほとんどは、素人が歌舞伎を演じる時のゴタゴタを描いたものです。
 このように、歌舞伎は庶民の生活の中に浸透していたので、多くの人が歌舞伎のせりふを知っていて、あらゆる会話に登場しました。たとえば、「雉子も啼かずば討(撃)たれまい」という諺があります。実は、この諺は『鈴ヶ森』にせりふとして出てきます