民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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ビートクラブ、11月定例ライブ

2018年11月11日 00時33分10秒 | ビートクラブレギュラーライブ
9日(金)
「うれかじストリングス」の練習日。
新曲に切り替えて2回目。
3rdはベテランが休み、もう1人はまだ入ってまもない新人、1人で奮闘した。

10日(土)
今日はビートクラブの定例ライブの日。
夕方の5時頃、篠笛の相方が葬式ができて行けないとのメール。
急遽、気まぐれで演奏曲を変えることにした。
いつでも弾けるようにしたい曲の中から、すぐ弾けそうな曲を選ぶ。
そして、選んだのは、

太陽がいっぱい(1960年の映画主題歌)
想い出のソレンツァーラ(1965年、岸洋子がカバーしてヒット)
エターナリー(1952年の映画「ライムライト」の主題歌)

意識したわけではないが、みんな古い曲ばかり。
8時に会場に行って、11時のオイラの出番までみんなのパフォーマンスを見ていて、
若い人についていけなくなったなぁとしきりに思う。
そのこと自体は今に始まったことではないから、そんなに気にすることではないけれど、
今まで気がつかなかったことに気がついた。
オレが若い人の音楽についていけないということは、
裏返せば、若い人はオレの音楽についていけないということじゃないか。
これはきつい発見だった。
後、5年位は演奏活動は続けられるだろうと思っていたけれど、
オレが若い人の音楽に持つ感覚と同じものを、若い人がオレの音楽に持つとしたら、辛いものがある。
これからはその辺のことをよく考えて選曲していかなきゃならないかな。

今日弾いた曲は前に弾いた曲だし(想い出の~だけは初演)そんなに難しい曲ではない。
それでも、練習とは違って、本番でミスなしで弾くのはやっぱり大変だった。
静まり返った会場にオレのギターの音だけが響く。
いい音がしているという感触はあったけれど、あきれるほどミスの多い演奏だった。
直前に運指を変えた不安感が拭いきれなかった。

今日は突然「なにか弾いてみろ」と言われて弾くというシチュエーションを想定しての(ある意味実験的な)演奏だったから、
貴重な経験をしたと割り切って考えることにしよう。